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見切り発車ではじめてます
いつもの秘伝のスープを使った新作ラーメンです
「……ああ、皆さまのその目」
リアナと名乗る冒険者は、美しい銀髪をふわりと揺らして周りに目を向けた。その細腕で街道をゴロゴロ引いてきた荷車に山と積んだ倒れ伏した男達から視線を外して、ひきつった顔をしている男を正面から見つめる。
「私……また何かやってしまったのでしょうか?」
無垢な疑問を口にする幼な子のように、わずかに首をかしげる。その表情も仕草も、老若男女関わらず魅了するほどに可愛らしい。天使のように美しい顔を持つ彼女がそうして不安げに佇む姿は、一般的な冒険者の装備に身を包んでいても少しも魅力を損なわない。
むしろ女性にしては長身だがほっそりとした華奢な体とボーイッシュな短髪と合わせて、危うげでアンバランスな愛らしさを生み出していた。
その姿からは、男が10人ほど山積みされた荷車をどうして牽引しているのかなどまったく推測できない。
「今度は何がいけなかったのでしょうか」
「何かと言うか……なあ?」
正面に立っていた男がため息を吐きながら頭をかく。その横に立っていた女性が彼の袖をつついて「ギルド長!」と叱咤を飛ばした。言ってやってくれとその瞳が言っている。
「リアナ嬢……これをまた、一人で片付けたのか……?」
「はい」
「さすがと言うべきか、いくらなんでもそこまでとは思っていなかったと言うべきか……複数パーティーの合同依頼を想定していたのに、1人で受けた時はまさかと思ったのに」
「いいえ、何も特別な事はしていません。探し出した隠れ家を強襲して捕らえただけですから」
完璧で優雅な笑みを浮かべた少女は、謙遜ではなく心からそう思っている様子だった。
大通り、冒険者ギルドの前に出来た人集りの中心に立つリアナは誇る事も照れる事も無い。
「依頼を出してからまだ3日だぞ……? アジトも見つかってなかったのに、一体どうやったんだ」
「ごく普通に、目撃証言のあった、街道沿いの37箇所に対人の追跡魔法を仕掛けただけですけど……ああ、取り逃がしが心配でしたか? ご安心を。拠点を突き止めた後は丸一日かけて監視しましたし、一度忍び込んで拠点内に残っている魔力痕跡と人数が一致する事を確かめてから捕らえましたので誰一人逃したりはしてません」
何でもないと言うようにさらりと言ってのけたリアナのその言葉に周囲がざわめく。冒険者ギルドも全て把握できていなかった盗賊の目撃証言をどのように得たのか、諜報の専門訓練を受けていたのか、魔物と区別できる対人の追跡魔法を37箇所も同時に展開出来るなんて魔術師としても一流だと確信して。
その上拠点に踏み込んで、人数などの情報を持ち帰るどころか1人でこの依頼を解決してしまうとは。
さすがリンデメンの街で今一番と評判の冒険者リアナであると誰かが感嘆を漏らすと、その賛辞を耳にしたリアナは自分の功績を否定した。
「いいえ」
「私は何も称賛に値する事はしていませんけど……。えっと、これぐらい普通に出来て当然なのでは……? 今回追跡魔法を含めて私が使ったのは魔法使いと名乗るものなら誰でも扱えるものだけですし、専門の戦闘訓練を受けていないごろつきに勝つ事だって、何も特別難しい事ではないでしょう? 同じことが出来る人はたくさんいると思います。褒めてもらえるような事は何も……その言葉は本当に優秀な方に捧げてください」
その自称「優秀ではない」リアナ本人に否定されて、そのリアナの足元にすら及ばないと自覚のある、周囲にいた一般的な冒険者達の多くが内心で膝を折って天を仰いだ。
普通の魔法使いは視認すらできないような広範囲に37箇所も魔法を展開出来ないし、対人に指定して拠点まで追跡するような高度な使い方ならなおさら。そりゃあ追跡魔法自体は一般的だけど、と周りは言葉を飲み込む。
情報を収集して、忍び込んで残留魔力を分析して、人数と照合するなんて憲兵の専門調査機関の人間しかできないような事までしている。その上戦闘にも長けていて、奇襲とはいえこの人数を一方的に負かせて捕らえているというのにそれを「何でもない」と……
確かにひとつひとつを箇条書きするとそれぞれそこまで珍しい話ではないだろう。しかし同じレベルで使いこなせる人が一体どれほどいるだろうか。その上、まったく別系統の技術を、ここまで多岐に渡って習得している希少性については一切気付いていない。
本人に謙遜のつもりが無く、自分と同じことが出来る人はたくさんいる、心からそう思っているのがタチが悪い。ならそれすら出来ない我々は一体何なんだと、称賛する街の人間に混じって行き場のない怒りにいら立つ者もいる。若い才能を褒めたたえる声に混じることなく、面白くなさそうな顔をした数人がその場から目を背けていた。
「……違ったのかしら? これができて当然だって、家族にはいつもそう言われてたのに……」
畏怖と嫌悪と羨望のないまぜになった視線を送る者には、喧騒の中リアナが呟いた言葉は届かなかった。
リアナが家族のもとでリリアーヌ・カーク・アジェットとして過ごしていた頃。
彼女は「あの」有名なアジェット公爵家の末娘として社交界中の貴族に知られていた。
一族揃って神に愛されたようなあふれる才能の輝きの中でもさらに彼女は一際人の口にのぼった。輝く銀髪に、人形のような整った容姿だからではない。いやそれも目を引く要因ではあるが、一族、両親の才能を受け継いだ兄姉と同じように、いや15歳にしてすでに各専門家と並んで名を知られる寵児だった。
貴族の通う学園では当然のように首席、武にも恵まれ、同年代では魔法も剣も彼女に勝てるものはいない。魔術専門誌に掲載された論文を書いたのは学園入学前だと言う。錬金術では特許を複数取得しており、その自身が開発した商品を主に取り扱う商店の経営も大成功、近々5店舗目を出店するという話だ。
それでいてさらに芸術の女神にも愛された彼女は、絵画や彫刻、歌やいくつかの楽器の腕も素晴らしいと評判だ。古代神話を翻訳し、自分で編纂し、自ら挿絵も付けて一般国民の親しみやすい形として出版した絵本がベストセラーになったのは去年の話なのでペンネームである「アネット・J」としてご存じの方も多いだろう。
外国に向けた翻訳版も、語学の才能も持つアネット・J本人が手掛けたのは有名な話だ。
当然彼女の才能が花開いたのは様々な分野のエキスパートの揃う家庭環境に恵まれていたのも大きいが、本人がそれだけ優秀だったのだと誰もが認めていた。
「勝者、リリアーヌ・カーク・アジェット!」
天覧でもあるこの剣術大会は騎士を目指す若手の登竜門として有名である。
その決勝、一瞬置いて沸き上がった大歓声の満ちる闘技場の中心、ほんの少し乱れた息を吐きだしたリリアーヌが対戦相手の喉に突き付けていた細剣をおろした。
「さすがだな、リリアーヌ。また君には勝てなかったよ」
「過分なお褒めの言葉、ありがとう存じます」
凛々しい騎士服の隠しきれないほっそりとした、しかし女性らしい華奢な体が丁寧に礼をとる。王子であるライノルドに対する臣下の礼ではなく、それは対戦相手に感謝する騎士の姿だ。
ライノルドは悔しさを飲み込んで精一杯の笑顔を勝者に向けた。決勝戦で勝利を手にしたというのにリリアーヌの美しい髪は一筋の乱れもない。
中性的な美しさのあるリリアーヌのこの姿は男装の麗人として貴族令嬢すら熱を上げており、観客席にはリリアーヌの瞳の色である菫色のハンカチなどを手に握って観戦していた令嬢までいた。彼女達はご贔屓の優勝に、涙ぐんで喜んでいるようだった。
「殿下、お疲れ様でございました」
「ウィルフレッド、君の妹は強いな」
闘技場の舞台から下がると、石造りの通路の手前に近衛騎士のウィルフレッドが控えていた。リリアーヌの次兄にあたる彼は20にしてこの国での最強の名を与えられている武の天才で、武芸においてのリリアーヌの師匠でもある。
騎士であるウィルフレッドは本日の剣術大会の参加者ではなく、大会の警備責任者だ。当然、かつて参加者だった時はウィルフレッドが毎年優勝者として表彰されていたのを知らない者は軍部にいない。
ライノルドは自身の指南役でもあるウィルフレッドに、悔しさを隠して王子として模範的な笑みを向けて勝者をたたえた。
「過ぎた言葉でございます、……リリアーヌ、また体力配分を間違えたな? 勝ちに急いで剣筋が雑になっていた」
「申し訳ございません」
「あの一太刀が決まらなければ劣勢になっていただろう。俺はそのような一か八かの剣を教えた覚えはない」
体力、腕力で単純に男のライノルドより劣るリリアーヌが勝つには技術を磨き速攻をかけるしかない。ライノルドも自分なりに鍛錬して今日の剣術大会に臨み、実際他の参加者には自分の成長を実感しつつ勝ち進んだ。リリアーヌはさらにその上を行って剣筋が早くなっていたわけだが、それが雑だったかどうかなんて気付いてすらいないのに。
少しの居心地の悪さを感じながら、ライノルドはウィルフレッドが妹に指摘する言葉を聞き流していた。いつもの事だと知っていたからだ。
「今日の反省を帰宅後に行う。鍛錬場で準備して待っているように」
「かしこまりました、お兄様」
まるで上官とその部下のようなやり取りを終えて、リリアーヌはライノルドに今度は臣下として礼をしてからその場を辞した。この後は簡素だが表彰式がある、そのために身嗜みを整える必要があるが女性であるリリアーヌは控室がある場所が離れているためだ。
リリアーヌの姿が見えなくなったころ、ウィルフレッドの顔がだらしなく崩れて「殿下、うちのリリアーヌはさすがでしょう」と機嫌よく口に出した。そこに、近々「剣聖」の名を戴くのでは……と噂される硬派の武人の姿は無い。
「いやぁ本当に、今度は私もいい試合ができるのではと思ったがダメだったよ」
「まったく、そんなことではうちの可愛いリリを嫁にやる事は出来ませんよ」
「分かっている。でも強くなったと褒めてくれたじゃないか」
「殿下が強くなった分、リリも成長するわけですから。差が縮まっていないという事ですな」
「お前が私と婚約させたくないと、わざと私が勝てないようにリリアーヌを鍛えてるのかと勘ぐってしまう」
「それもありますが、でもなんたってうちのリリは天才ですからね」
手放しに妹を褒めるウィルフレッドの姿に、ライノルドは苦笑した。悔しくはあるが、妬みや嫉みは感じない。彼女が天才なのは誰もが知っている。何もしないでも婚約が決まっていたであろう二人だが、「何か一つでもリリアーヌに勝ってからプロポーズしたい」とアジェット公爵家当主、コーネリアスに、ライノルド王子が談判したのは社交界で有名な話だ。
見目麗しい王子と完璧な天才少女の勝負については自分の思いが本人に伝わるのを恐れた王子によって緘口令が敷かれていたはずだが、それから10年、貴族では知らない者が誰もいないようなほほえましい話になっている。
故にこの年でまだライノルドに婚約者はいないが、噂話として平民にまで広まる今は誰一人としてその空席を心配していない。王子がリリアーヌに何かしらで勝つ日はいつだと皆が注目し、その初勝利を待ち望んでくれている。
ライノルドはそれをくすぐったく感じているが、祝ってくれる人が多いのは良いことだと考えていた。リリアーヌ本人の意思も無視しないように、折を見て好意もきちんと伝えていた。リリアーヌも自分を憎からず思っているのは確信しているが、自分が不甲斐ないせいで待たせてしまっている。
決してライノルドは劣っているわけではない。むしろ同年代の中では優秀で、非の打ちどころのない王子だと評判だ。ただリリアーヌがさらにその上を行くだけで。
もうこれはプライドや矜持の問題ではなく、意地になっているのではとライノルド自身も思う事がある。でも幼い日の自分が誓った言葉をたがえることはしたくない。リリアーヌに関して妥協はしないと決めていたのだ。
次にリリアーヌと競い合えるのは何だったかと、予定表を頭の中でめくったライノルドは魔物討伐を兼ねた学園の狩猟日を思い浮かべており、剣術大会で二位を勝ち取った誉は頭の中のどこにもなかった。
第8部「もうここにいたくない」の終わりに家出するまでしんどい話が続くので好きな人はぜひお楽しみください