芸人失格
プロローグ
一つの詐欺事件が発覚した。
多くの被害届が消費者センターに寄せられていたが、証拠固めが難しくなかなか警察も動こうとしなかった。
しかしついにその事件の容疑者が、任意同行を受け、警察で事情聴取を受けた。
犯人の名前は「ださいたまおさむ」こと、初島修一。
やがてその事件が、芸能界を震撼することになる。
「魔法の壷」
そう聞いただけで大概の人は怪しいと思う。
占い師みたいのが壺を買わないと、悪いことが起きると人々を騙すみたいな話はよく聞く詐欺事件だ。
しかしこの事件は少し様相を呈していた。
芸人の多くが騙された詐欺事件はなぜ起こったのか。
浅草のママと言われたその占い師に見てもらうと、みんな売れっ子になるという噂が芸能界に広まったのは、もう十年以上前の話である。
最初、どうせ詐欺だからと言って、みんなは笑い飛ばしていたが、密かに壺を手に入れていた芸人がいた。
しかも彼らは壺を買うや、大ブレイクを果たしたのだ。
壺を買った当人はその事実を秘密にしていたが、その噂はじわじわと芸人の間に広まっていったのだ。
被害届を作成中の弁護士は、芸人たちに聞き込みをした。
芸人ヤンぼうの証言。
「壺は買いました。最初は疑いながらも、藁にも縋るつもりで、買ってみたんです。しかし壺が届いたその日のうちに、お笑いライブの仕事が入り、とんとん拍子で売れっ子になっていたんです。」
「それをあなたは秘密にしてましたね」
「そりゃそうですよ。みんなが壺を買ったら、俺の人気も下がるかもしれないじゃないですか」
「なるほど」
「いきなり売れた芸人のほとんどは壺を買ったと思いますよ」
「例えば…」
「マー坊とか、ミスターカールとか」
「どうしてそう思うんですか」
「だって変ですよ。あんなに面白くないのに、いきなり大ブレイクですよ」
「で、あなたは被害届は出さないんですか?」
「弁護士さん、壺を買ってブレイクした芸人が被害届を出すと思います?」
「出さないでしょうね」
「その通り、だって、感謝してるくらいですからね」
弁護士は戸惑っていた、一様に同じ反応が返ってくるからだ。
しかし被害届も実在する。
深く追求してみると、
「売れなかったからその腹いせに、被害届を出すんですよ」と本音をぶちまける。
「どう見たってサギでしょ」
個人的に調べたところによると、実に売れてのはわずか1%に過ぎないということだ。
その数からみて、壺に効果は感じられない。
売れたのが偶然なのか、壺の魔力のせいなのかの真意は分からないのだが、みんなが信じてしまったことが一番の問題点であったように思う。
ここにも一人、壺を買おうかどうしようか迷っている芸人がいた。
芸人歴20年。
未だにアルバイト生活。
奥さんも元芸人だったせいもあり、芸人を続けることに理解はあった。
しかし毎晩のように繰り返される愚痴に彼は嫌気がさしていた。
飯伏マスオ。
人生最大の一大決心。
それを後押ししたのは奥さんに子供ができたことだった。
それは百万円近くする壺。
壺の値段はまばらで金持ちからは大金をせしめるらしく、一億円払った芸人もいるらしい。
その壺を八十万円で売ってくれるというのだ。
自らの成功のため、苦労を掛けた妻のため、そして生まれ来る子供のため、末は家族の幸せのため、マスオは貯金の全額八十万円で壺を手に入れた。
しかし仕事のスケジュールは真っ白だった。
「神は我を見放したか」と持ちネタを叫ぶ。
「面白くないよ、君、その物まね、分かる人、そんなにいないから」
オーディションも散々だった。
「もうやめるか、芸人」
そう妻に漏らすと、妻は涙を流した。
「お腹の子のために、職探しをするよ」
浅草のママは実はインターネットの中に存在する謎の占い師だった。
口コミが口コミを呼び、結果、多くの被害者が生まれるに至った。
ママが芸人に売りつけたのは「笑いの壷」という怪しい壷である。
「あなたが売れないのは悪霊がついてるからです」
などと悪いことを吹き込まれ、多くの芸人が笑いの壷を買ってしまった。
「この壷を買えば、明日から、笑いの神が降りてくるようになる」
そう言われて、壷を買った芸人は実際のところ、はっきり分っていない。
そんな壷を買ったということがばれるのを恐れて被害届けを出す芸人がいないからだ。
しかし、逮捕してみて、大御所たちの名前が犯人の口から次々に語られた。
そして名前の上がった芸人たちは「壷を買ったんですか」とインタビュー攻めにあうことになる。
みんなテレビで活躍中の売れっ子芸人ばかり。
芸能界は震撼した。
一番問題なのは、謎の占い師、浅草のママは実は中年の男で、しかも売れない芸人だったことだ。
売れない芸人、ださいたま・おさむ。
その名を知る人はほとんどいない。
テレビで活躍したことは一度もない。
芸人でさえ名も知らないほどの無名な芸人だった。
そんな芸人に騙されたとあっては、芸人生命にもかかわると、多くの一流芸人が口を閉じてしまった。
ださいたま・おさむは取調べで、一流芸人の名前を次々にあげた。
壷の値段は、ピンキリで芸能人の格で値段を決めていたと思われる。
「ハモちゃんは、壷を1千万で買ったし、ヤボちゃんは2千万は出したね」と、ださいたま・おさむはうそぶいた。
噂が噂を呼び、みんなが売れたのは本当に壷の能力のおかげじゃないかとさえ、言うものまで現れた。
芸人たちは口を閉じ、大御所が口をそろえて被害などあっていないとマスコミでコメントしたせいで、被害届けを出した売れない芸人たちも先輩たちを立てないわけに行かず、被害届けを取り下げた。
こうしてださいたま・おさむは釈放された。
おさむの手元には数億円の金が残った。
笑いの壷で、本当に笑いが止まらないのは、この犯人なのかもしれない。
笑いの壷に本当に効果があるのなら、おさむが一番成功したはずなのに……
そして、今もインタネット上で壷を買いたがる芸人がいっぱいいる。
売れていた芸人たちは人気がかげると、なぜだろうと考える。
そして、それは壷をないがしろにしたせいだと思うのだ。
「壷には流行があります。常に笑いの壷は時代と共に変化し続けるんです。だから新しい壷をあなただけに特別に……]
そしてださいたま・おさむは再び壷を売るのです。
何の変哲もない安物の壷を。
エピローグ
「だまされたと思って、買ってみたら、それから運気がぐぐっとあがったんです」
「あなたに特別な壷をしんぜましょう」
おさむは笑いの壷を差し出した。
「本当ですか」
「この壷を毎晩、布で3回拭いてください。あなたの運気はアップし、何を言っても大爆笑を取るでしょう」
今年も売れっ子芸人が次々に生まれては、消えていった。
彼らは心配で壷を買う。
そして売れてない芸人も売れたいと思い、壷を買う。
「どうしてあなたは成功したと思いますか?」
超一流の芸人のヤボちゃん。
「それはおもしろいからじゃないですか」
強気の発言で知られたヤボちゃん。
ヤボちゃんもまた新しい壷を手に入れた。
何の変哲もない安物の「笑いの壷」を……。
「これで今年も安泰だ」
ヤボちゃんは壷を布で拭いた。
そして多くの売れっ子芸人が毎晩毎晩壷を拭き続けている。
ちなみに芸人をやめたマスオさんは、再就職先を探すも四十過ぎという年齢のせいか、仕事が見つからず、アルバイト暮らしのままだと言う。
それでも子供が生まれ、本当の幸せを手に入れたと感じたらしい。
「きっとこの壺を買ったせいで幸せになれたんだろうね」
「まさか」
鬼のような妻が優しい妻に戻っていた。
それだけでも壺の効果があったと思った。
実際弁護士が調べてみると、壺を買った芸人のほとんどが現状に幸せを感じていると言う。
芸人をやめて、商売を始め、成功した者は壺が道を示してくれたんだと、壺のパワーを信じて疑わなかった。
今では弁護士自身も壺の効果があるのではないかと感じている一人になっていた。
そして今日、弁護士のもとに壺が届いた。
(了)