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夢じゃないから

 毛先をあたたかい風が撫でる感覚に、ゆっくりと意識が浮上した。目を開けて周囲を見渡すと見慣れない部屋にいることがわかって、夢じゃなかったんだな、と実感した。

 窓辺に佇むミハイルが、遠くを心配そうに眺めている。ローウェンが見当たらないから、どこかへ出掛けているんだろう。昨晩の対応からして、ミハイルはローウェンを大事にしているみたいだ。

 しかしゲームではミハイルなんて名前のキャラクターはいなかったし、こんなに大事に思われてるならローウェンは孤独な魔族にならなかったんじゃないだろうか。その辺を含めて、じっくり話をした方がいいかも知れない。


「起きたか」

「……オハヨウゴザイマスミハイルサマ」


 ミハイルの赤黒い瞳で見られて、つい体が固まる。攻撃されないように敬語で応じると、ミハイルはその綺麗な顔を不愉快そうに歪めた。ローウェンと違って表情豊かだ。


「やめろ気持ち悪い。別にもう攻撃しねえよ」

「ローウェンが信じたから?」

「まぁな」

「信頼してるんだな」

「アイツは天才だ。何か考えがあるんだろ。ああ、勘違いしない方がいいぞ。ローウェンは基本的には打算で動く。優しいだけじゃない」

「あ、はい」


 さいですか。まぁローウェンはゲームでも血も涙もない冷徹なボスって感じだったもんな。昨日は優しい美少年だって思ってたけど、ボスへの道はもう始まってるってことか。


「昨日のアレ、謝らねえからな」

「あ、あぁ……まあ魔物の俺がローウェンのこと知ってるのも不審だもんな。俺も考え無しだった」

「一応護衛だからな。仕事上間違ってなかったと思う」

「護衛?」


 親友か何かと思ったら護衛だったのか。その割には口調も作法もなってない気がするが。そもそもゲームのローウェンには護衛なんていなかったし、ローウェンに護衛を付けるような父親じゃない。


「ミハイルって王様に雇われてるのか?」

「馬鹿言うな。あんなクソ野郎に雇われるくらいならスラムに戻るぜ。雇い主はローウェン本人だ。報酬は安定した衣食住の供給。仕事は護衛兼、友人兼、家族でいること」

「家族……」


 そうか、思い出した。名前は出てこないけど、ローウェンが闇落ちした原因のキャラクターがいた。血は繋がってないけどローウェンにとっては唯一の家族で、魔族のような見た目のせいで民に引き剥がされた人物。

 民には攻撃できず困っていたローウェンに、「お前も結局"権力者"か」「2度と呼ぶな、虫酸が走る」と言い放って姿を消す。ローウェンは深く絶望し、庇わなかったことを後悔した。段々とそれは周囲への恨みに変わっていき、最後には国を滅ぼしてしまう。なるほど、ゲームではシルエットだけだったけど、あれはミハイルだったんだな。


「ただいま」


 うんうん、と俺が納得していると扉が開いてローウェンが入ってきた。生肉を風魔法で浮かせながら。いや何でだよ。どうせなら調理してから持ってこいよ。そんな俺の心の中のツッコミを余所に、ローウェンは棚から鍋と野菜を取り出して、低い棚の上で調理を始める。


「なんでここで料理……」

「出来立ての方が美味いだろ」

「王宮の厨房は使ったのが王にバレると面倒だ」

「な、なるほど」


 だからと言ってキッチン付きでもない自室でやる人はいないと思う。火とか水とか、全部魔法でやるから出来ることなんだろうな。


「ところで、ユタも私達と同じメニューでいいのか?」

「魔物なんだから生肉食わしとけばいいじゃねーか」

「生肉はちょっと……元人間なんで」

「そういやそんなこと言ってたな」

「私は覚えてたから3人分で作ってるぞ」

「聞いた意味なくね?」


 ぐつぐつと具材を煮込みながら相変わらずの無表情で言うローウェンにミハイルがツッコミを入れた。呆れたような表情だけど、その目は優しくローウェンの背中を見つめていた。兄が弟を見るような目に見えて、ミハイルは案外心を閉ざしてないように思えた。

 作ってくれたのはシチューだったらしい。あまり大きく切られていない野菜と何の肉だかわからない肉の塊、そして少し薄めの味付け。とても王宮で食べるものとは思えないそれが、ローウェンの状況を表しているようだった。


「それで?昨晩の話は本当か?」

「ああ。信じたくないかも知れないけど、ここは創作物の世界だよ。俺はその創作物が好きだからよく覚えてる。好きなキャラクターだったローウェンのことは特に」

「それは光栄だ」

「ローウェンが王宮でどんな扱いだったのか、この先何があってどうなるのか、よく知ってる。舞台は数年後だから」

「言ってみろ。その創作物の中で私はどうなる?」


 ローウェンが俺に挑戦的な目を向けたのを受けて、俺は知りうる全てを話した。ローウェンはシューンヴァイツ王国の第1王子ということ、子供の時から父親である王のせいで食べるものすら保証されていなかったこと、狩りをして食べ物やお金を手に入れていたこと。両親から嫌われていたこと、母親は死んでいること、父親は後妻と後妻との子供である第2王子にかまけていたこと。ミハイルと引き裂かれること、闇落ちして国を滅ぼしてしまうこと。そして勇者に倒されて死んでしまうこと。

 ふたりは静かに俺の話を聞いてくれた。ミハイルはいちいち表情を変えていたけど、ローウェンは興味深そうに目を細めるくらいだった。


「なるほど、面白い。精霊王の言い伝え通り薄命というわけか」

「言い伝え?」

「ミハイルは知らないのか。この国には精霊王ってのが王族に生まれることがあって、そいつは物凄い魔法の天才で美人薄命、っていう言い伝えがあるらしい。設定集に書いてあった」

「魔物の姿のやつに説明されると腹立つな」


 俺が説明するとミハイルが眉間にシワを寄せて俺を両手で揉みしだいてきた。昨日みたいなガチの攻撃じゃなくて、じゃれてるみたいな、親戚の子供を可愛がる伯父さんみたいな手つきだったから怖くはなかった。手を止めたミハイルが「でも」と忌々しげに口を開く。


「1番腹立つのはローウェンが死ぬって話だ。こんなクソ強いやつに勝てるのもおかしい」

「いや、私が魔族になったのなら充分あり得る。精霊王は精霊に好かれるから魔法の強さで敵うものがいないんだ。魔族になってしまえば精霊の加護は受けられない。聖魔法である治癒魔法が使えなくなるから自己治癒も出来ない」

「は?じゃあわざわざ弱くなったのかよ。お前馬鹿じゃねーの」

「お前こそ護衛のくせに助けて貰えずに拗ねて暴言を吐くなんて烏滸がましいぞ」

「なんだと?やんのかコラ」

「相手にならん」

「ざっけんなテメェ!」


 今にも喧嘩が始まりそうな会話だが、どちらも全く手を出そうとはしていない。涼しい顔のローウェンにミハイルは青筋を浮かべているが、本当に怒ってる理由は馬鹿にされたからなんだろうか。死ぬと言われても涼しい顔をしているからムカついているんじゃないだろうか。そうだったらいいな。


「あのさ、それで俺、思ったんだけど」


 ふたりの目線が俺に集まる。ミハイルが先を促すように軽く顎をしゃくった。頷いて口を開く。


「ゲームでも設定集でも、俺みたいな魔物、出てこなかったんだよね。もしかして、もしかするんじゃないかな、って」

「未来を変えられると?」

「ふたりの協力がなきゃ出来ないことだけど……俺、ローウェンに幸せになってほしい!」

「いいぜ、俺は乗る」

「……そんなことを言われたのは初めてだ。ありがとう、やってみよう」


 俺の無謀な考えにミハイルが即答してくれた。ふたりでローウェンに目をやると、設定集にすら無かった驚き顔で俺を見ていた。そしてパチパチと瞬きをした後、照れたように笑って頷いた。まともにそれを見てしまった俺は、推しが尊すぎて気絶した。

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