21話
荀彧が想いを遂げ、圭森の妻になって早一ヶ月。
ある意味、彼女の変化は劇的だったと言える。
毒舌は健在だが、それは本当に怒っている場合。
普段は今までの彼女が幻だったかの様に落ち着いて理知的な態度に為っていたりする。
そんな荀彧に「アンタ何者やあっ?!」と噛み付いて一番最初に怒らせたのは李典だった。
その怒り方を見て周囲が「あ、本物だわ」と思った事実は本人には内緒である。
尚、李典に巻き込まれた于禁・文醜も調子に乗った結果、一緒に怒られていたが自業自得である。
そんな変化も良い意味での予想外だと言えた。
そして、もう一つ予想外の事が起きていた。
「────御免なさい、晶
もう一度、はっきりと言ってくれるかしら?」
「ああ、冥琳と斗詩が妊娠した」
「ふぅん……冥琳と斗詩が、ねぇ…」
曹操の冷ややかな眼差しに圭森は顔を逸らした。
曹操・孫権からは二人目を、黄忠達からも一人目を望まれていながら、未だに兆候は無い。
当然と言えば当然だが、圭森が避妊している事実を看破した周瑜以外とは避妊を継続している。
だから、周瑜が妊娠した事は可笑しくはない。
ただ、顔良に関しては圭森としては想定外だった。
しかし、思い当たる節が無い訳ではない。
周瑜同様に顔良にも求められ、応じている。
但し、避妊しなかったのは最初の一夜だけだ。
それ以降は、確かに避妊をしていた。
ただ、顔良は初夜の時は排卵してはいなかった筈。
だからこそ、避妊しなかったのだが。
「ねぇ…晶?、貴男、何を隠しているのかしら?」
感情を無くした抑揚の無い曹操の声に、圭森は直ぐ白旗を上げて、その場に正座をして吐いた。
当然だが、避妊していた事実に曹操は御冠となり、その場にて圭森は押し倒されて搾り取られた。
二人分の熱気と臭気で満ちた曹操の執務室の掃除と換気、各々の身支度を整えてから話を戻す。
2時間近く脱線していた事には触れてはならない。
「それで、どういう事なのかしら?
避妊していたのなら、冥琳は兎も角、斗詩の場合は可笑しい気がするのだけど?」
「あ~……それはだな~……」
此処に来て更に言い難そうにする圭森の様子を見て曹操は眉根を顰めてしまう。
自分達に内緒で避妊し続けていた以上に言い難い事というのは思う程に多くはない。
抑、秘密裏に女達を囲う様な事も無いのだから。
この圭森に限って色恋沙汰は無い。
そう、曹操は断言出来る程には理解している。
言い淀み逡巡していた圭森は諦めて話し始める。
それは圭森自身も知らなかった避妊術の副作用。
圭森の避妊術は自身に対して作用させている物で、相手となる曹操達に施さない為、気付かれない。
そういう意図から考案しているのだから当然だが。
意図的に氣で自身を無精子化させていたのだが。
生物としての本能からなのか、抑圧され続けた結果通常時の圭森の精子は強力且つ濃密な状態に成っている事が判った。
つまり、避妊し過ぎて、気付けば必中化していた。
「つまり、さっきので私は二人目が出来たと?」
「いや、それは流石に無い……とは思うけど…
その、普通だと精子は死んでしまうから、女性側が排卵しないと受精はしないんだけど…
俺のは無駄に強くなっていまして…」
「……成る程ね、だから、数日後に排卵日が来て、それで斗詩は妊娠した、という事なのね」
「…はい、恐らくは…」
浮気を見付かり、自分に咎められる圭森。
そんな感じで縮こまっている姿が新鮮で、可愛い。
可笑しくも有るのだけれど、愛嬌を感じてしまう。
それも惚れた弱味かもしれない。
ふと、そんな事を考えてしまう曹操。
それはそれとして、圭森が渋った理由が解った。
つまりは、避妊せずに一ヶ月続ければ間違い無く、妊娠するという事なのだから。
当然、その事実を知れば、まだ圭森の子供の居ない面々は我先にと圭森に群がるだろう事は明白。
そうなる事態を圭森が避けたい理由も想像が付く。
「…私も二人目が欲しいから皆の気持ちは判るわ
ただ、将師の約三分の一が同じ時期に一度に抜けるというのは避けたい事態よね…」
女としての気持ちを理解しつつも、王として組織の維持を懸念する意識を見せる曹操。
その視線の先には、「ですよね?、ね?」と言わんばかりの仔犬が勢い良く尻尾を振っているかの様な冷静な表情に期待に満ちた双眸を向けている圭森。
後始末をしたばかりだというのに劣情が滾ってくる事を懸命に堪える曹操。
「駄目よ、まだ待ちなさい」と言い聞かせて。
「…ねえ、晶?、交渉というのは双方の利害が一致するから成立するものよね?
なら、この場合、私は何方等を取るべきかしら?」
「──っ………………」
その言葉の意味を察し、先程まで振っていた尻尾を作り物の様に止めて、逆立てているかの様に。
物凄く真剣な眼差しを向けている圭森。
此処で「…解ってるよな?」と言う様な亭主関白な圭森ではなく、「…ねえ?、嘘ですよね?、ね?」という感じで母性を擽ってくるのが圭森。
勿論、計算ではなく、私達妻に対してだけ見せる、彼の飾らない素顔としての可愛いらしさ。
だから、ついつい曹操も日和掛けてしまう。
「私を絶対に妊娠させる事を条件に皆に黙っていてあげてもいいわよ?」と言いそうになってしまう。
「……それも、悪くはないわね」と、小さな曹操が心の中で囁き、揺れ動いてしまうのだが。
其処は過去最高の気合いで乗り越える。
「…まあ、無粋な冗談は止めて置きましょう
晶、私だけではなく皆が貴男との子供を望んでいて貴男も望んでくれいているのよね?」
「それは勿論、華琳達との子供は一人ずつだけとか考えてはいないし、沢山欲しいとは思っている
当然、華琳達の身体が第一ではあるけど…」
「ええ、それは私達にしても同じよ
だから、今、貴男が“空蝉”を気にしている以上、私達も無理強いはしないわ
でもね、晶?、空蝉が何時動くのか判らない以上、気にし過ぎていては子供を成せないわ
流石に「私達全員を…」とは言わないから、先ずは紫苑だけは妊娠させなさい
出来れば、翠もだけれど…
まあ、一年以内でも十分よ
それは私を含めて残りの面々も同じ事…
その辺りの事は言わなくても解るわよね?」
「…………はぁ~……そうだな…
どうしても空蝉の事を気にしてしまうと…つい…
…思っている以上に臆病に為り過ぎてるかな?」
「ふふっ…臆病でもいいじゃない
過信し過ぎて絶望するよりは増しよ
それにね、晶?、そういう時こそ甘えなさい
私達が貴男に寄り掛かれる様に、貴男も私達に寄り掛かってくれて構わないのよ?
それとも──男として、恥ずかしいかしら?」
「………………正直に言うと、かなり、かな…」
気負いの和らいだ圭森を揶揄う様に見詰めながら、曹操は距離を詰め、抱き締める様に圭森の頭を己が胸へと優しく抱き締める。
我が子にするのとは違う、夫を、男を癒す抱擁。
圭森自身からも「男というのは単純」と聞いたし、実際に頷ける部分も多いと思う。
何より、感情を判断基準に置き易い女性に対して、男というのは理屈を判断基準に置き勝ち。
だから、追い込まれている状況では感情で打付かる真似は絶対に厳禁だったりする。
そういう時には感情で包み込むのが手っ取り早い。
今、曹操が遣っている様に。
そして、曹操は圭森を癒し──我慢を止める。
「仕事?、世継ぎを増やす事も立派な仕事よ」と。
問えば、曹操は即答する事だろう。
尚、女性が追い込まれている場合、感情が基準の為下手な屁理屈を説くのは逆効果が多い。
そういう意味では男心と違い、女心は複雑怪奇だ。
そんな曹操との遣り取りが有ってから、一ヶ月。
その時の話通り、黄忠の妊娠が確認された。
圭森の口から聞かされた時、経験から感じていても喜びの大きさは抑えられずに黄忠は涙した。
如何に見た目が若々しくとも、世間的に見たならば黄忠は歳上過ぎるのだから。
それが圭森で言えば六人目を産む事になるのだから嬉しくない訳が無かった。
…そう、実は圭森には“五人目”が出来ている。
曹操との“二人目”が、である。
これに対抗心を激しく燃やすのが孫権と馬超。
曹操としては、して遣ったりであった。
愛妻達から逃れる為、圭森は出張。
予てより探していた華佗の行方を掴めた為だ。
決して、現実逃避している訳ではない。
「久し振りだな、華佗、涼州で別れて以来だ」
「ああ、もうそんなになるのか…
旅の身では有るが、話は聞いているぞ
曹操が新たな皇帝となり、魏王朝を興したと
お前も重臣の身なんだろ?
良いのか?、こんな所まで一人で出向いて来て…」
「お前が居るからだ、華佗
そうでなければ俺も単独では中々動けはしない」
再会を喜び、抱擁を交わす二人。
その様子だけを見れば親友同士の再会なのだが。
二人の眼差しは緊張感を孕んでいる。
当然と言えば当然だろう。
曹操は華佗の、五斗米道の技術の価値を圭森という実例を目の当たりにして理解しているのだから。
皇帝と成った曹操が華佗を宮廷医として迎えたい。
そう考えるのは、何も可笑しな事ではない。
だからこそ華佗は友人としてではなく、曹操の家臣という立場で目の前に立つ圭森を警戒している。
「……華佗、遠回しな駆け引きは無しだ
魏の民の未来の為に、お前の力を貸して欲しい」
「……圭森、宮廷医の間違いではないのか?」
「それが全く無いとは言わないが、俺が居るんだ
態々、お前を迎え入れる必要は無いだろ?」
「…………成る程な、言われてみると、そうだな
だが、だとしたら、何故俺を必要とする?」
「お前が各地を旅をしながら人々を救っている事は俺も知っているし、俺自身助けられた身だ
それが、力無い民を救う事も理解している
だがな、華佗……お前を必要とする人々も多い
その声が、現状では届き難い事も確かだな?」
「…………ああ、否定はしない
助けを求められながら間に合わなかったという事は何度も有ったからな…
その悔しさ、己の無力さは決して忘れはしない…」
「華佗、孟徳様は国事として医療環境の整備を行う事を決定し、動き始めている
その中には薬の製造・流通・管理も含まれる
貧しくて薬が買えずに…といった犠牲を減らす為の政策も平行して行われている
お前が出向くよりも早くに民が薬を手に出来る
そういう社会を築いている真っ最中だ」
「……それが本当なら凄い事だな
だが、それなら俺が必要とは思わないが?」
「いいや、だからこそ、お前が必要不可欠なんだ
世の中の大半の医者は、古い官吏的な者だ
そういう“紛い物”を一掃し、正しい医者を育て、世に送り出す為には、華佗、お前の力が必要だ
お前以上に医者を育てるに相応しい者は居ない」
「いや、しかしだな…」
「それから、魏王朝領内なら、お前は自由に動いて治療に向かってくれても構わない
勿論、行き先は言って貰うがな
必要なら、俺も力を貸す
魏の民の未来の為、千年、二千年先まで同じ過ちが繰り返されない基盤を築き上げる為に…
華佗、お前の力を貸して欲しい」
そう言って圭森は深く頭を下げる。
華佗が圭森の立場を正しく理解していたとしたら、卒倒していたかもしれない。
だが、圭森は敢えて詳しくは話さずに華佗を口説く事を選び、こうして頭を下げている。
それは、国の、民の未来を思うからこそ。
圭森なりの、華佗への誠意の示し方である。
「…………はぁ~…頭を上げてくれ、圭森
俺も曹操が民を大事にする人物だという事は前から知っているつもりだ
だから、お前を信じて、協力させて貰おう」
「華佗っ、有難うっ!」
「これも、あの日の出逢いの縁だろうからな」
そう言って思い出すのは圭森を助けた時の事。
あの出逢いが無ければ、二人の道は交わる事無く、救われなかった生命も多々有った事だろう。
その事実を、旅の途で華佗は知る事になった。
自分が圭森を救った事は正しかったのだと。
医者として誇りに思っているのだから。




