四章 1話
雨が降り落ちる様に、一度流れ始めてしまえば、それを止める事は至難であり、望むべきではない。
そう在る事が必然であり、当然の帰結であるが為、抗う事も、曲げる事も、その様な事は不要である。
在るがまま、流れるがまま、揺れる波の随に。
反董卓連合騒動──改め、段珪事件から約二ヶ月。
皇帝が亡くなり、世継ぎとされていた劉辯も死に、誰の目にも明らかに漢王朝は終焉を迎えた。
“皇女”の劉協は生きているが、政治に関わる事は先ず有り得無い事だろう。
彼女は今日も楽しそうに侍女達から料理等を習って過ごしていたりするのだから。
漢王朝が、朝廷が無くなった今、漢王朝の領だった地は各地の諸侯の手中。
段珪──正確には袁紹達だが、董卓の仕業に見せて邪魔な輩を纏めて処分してくれた為、曹操は司隷の掌握を容易く済ませる事が出来ていたりする。
だが、声高々に独立を宣言した者は未だに居ない。
それは当然と言えば当然だろう。
独立して動けるのは現状では一握りしかいない。
袁紹・袁術・公孫賛・馬騰、そして──曹操。
それ以外の勢力というのは独力では生き残れない。
その為、諸侯は様子を窺いながら力を蓄える。
──とは言え、実質的には曹操次第だと言える。
曹操と誰が対立するのか、その誰かは勝てるのか、協力すれば“旨味”が有るのか。
何処までも私利私欲を第一として考えている。
現実的な話をすれば、諸侯は曹操に取り入る材料を何よりも欲しているのが実情だったりする。
既に誰が次の時代を統べる存在なのか。
誰も公には口にしないだけで、理解している。
見せ掛けだけの群雄割拠の到来。
その実態は、生き残りを掛けた諸侯の曹操に対するアピール合戦の場に過ぎなかったりする。
そんな中心人物である曹操はと言えば。
「──勿論、私の方が先よね、晶?」
「──当然、私の方が先でしょ、晶?」
愛する男を巡り孫権と睨み合っていた。
愛妻に両側を陣取られた圭森は天井を見上げながら先ず来ない助けを冀った。
今の会話だけを切り取ると勘違いされそうなのだが何一つ疚しい事は無い。
久し振りに──と言うとブラックな企業っぽいが、基本的に忙しい時は休日など無い社会性の時代で、圭森は二連休を得ていた。
二連休という状況は珍しい事だったりする。
……まあ、暇に為れば一日2~3時間程度の仕事で十分な状況も有り得るのだが。
事後処理等で忙しかったが一段落した事で圭森にも纏まった休みが出来た訳だ。
「たった二日で大袈裟な…」とか思ったとしても、口に出してはならない。
その二日すら、得られない程に忙しい事も有れば、農家等は休日という概念は無いに等しいのだから。
そんな折角の二連休なので、家族で過ごそう。
そう考えた圭森は妻である曹操達に話をした。
仕事の関係で今日は曹操・孫権と息子達と。
明日は黄忠母娘と夏侯淵と過ごす予定なのだが。
夫婦で料理をしたら「何方が最初に食べて貰うか」という事で火花を散らされているのが現状。
決して、圭森に非が有ったという訳ではない。
尚、息子達は同じ料理を食べさせるのには早い為、現在は乳母達の元に居る。
その息子達の乳母達も食べられる様にプリン擬きを圭森が曹操達の分も含めて製作したのだが。
その切り札を出すか否かで密かに葛藤しているのは口に出してはならない事だ。
結局、睨み合っている二人を抱き寄せて、物理的に黙らせるという手段を選んだ圭森。
ある意味、誤魔化したと言える選択に罪悪感を懐く圭森だったが、密かに視線を合わせて北叟笑んで、「ふふふっ、上手く行ったわね」と目視の出来無い握手を交わしていたのは内緒。
圭森が知る必要の無い、女の密約だったりする。
夫婦の時間を楽しみ、差し入れと引き替えにして、乳母達から息子達を受け取ると東屋に移動してから親子水入らずの時間が始まる。
「ほ~ら、真、炎、甘くて美味しいぞ~」
両手に持った木製の匙で掬い取ったプリン擬きを各々曹真・孫炎の口へと運び食べさせようとする。
初めて目にする存在に興味を示し先ずは可愛い鼻を鳴らして匂いを嗅いで確認する。
優しく甘い匂いに誘われて食い付くのかと思えば、意外にも二人共に慎重だった。
その様子には抱いている華琳達も苦笑していた。
……ぅ、むぅ……変な所で俺の血を引きおって…。
そんな風に考えていると、曹真が先に匙を口に含み──僅か一口で目を輝かせた。
その様子を見て、反応を窺っていた孫炎も匙を銜え──衝撃を受けて硬直する。
息子達の嬉しい反応に俺は得意になるぞ。
「ふっ、ふっ、ふっ…どうだ、真?、炎?
思っていた以上に美味いだろう?」
絶対にドヤ顔だろう俺は「次!、父上っ、次っ!」「もっと!、父様っ、もっとっ!」催促をしてくる息子達を愉悦を持って見詰める。
──ただまあ、手は御希望通りに次を運ぶが。
だって、可愛い息子達の御願いだもの。
断るだなんて──俺には出来ません。
そんな俺を「親馬鹿なんだから」と苦笑する妻達。
嗚呼、幸せって、こういう事なんだな…。
そう思わずには居られない一時でした。
尚、息子達が食べ終わり、満足して眠ってしまえば次は期待の眼差しで息子達を抱いたまま可愛らしく口を開けて「あ~ん…」と催促する御姫様が二人。
ええ、妻達からは逃げられませんからね。
……しかし、何ででしょうかね。
「あ~ん」はしている時は嬉し恥ずかしな事なのに遣る側に為ると恥ずかしい上に変に意識してしまい──何故だか背徳感を感じるのは。
そしてその夜、二人目が確定してしまいそうな位に燃えて萌えて尽き果てはのは言うまでもない。
翌日は朝一で曹操達に食べられた後、予定通りに黄忠達と街に出掛けた。
因みに、黄忠達にもプリン擬きは用意していたので差し入れはしておいた忠実な圭森だったりする。
その為、朝から黄叙が物凄く御機嫌である。
「“お義父さん”っ、彼方彼方ぃっ!」
「ん?、彼方か、よし」
「わーっ、早い早いーっ!」
肩車した黄叙の指示で圭森が走る。
見た目には圭森と年齢的に微妙な感じではあるが、二人の姿は端から見れば普通の父娘にしか見えない程に自然で、馴染んでいる。
その様子を見守る黄忠と夏侯淵は微笑ましそうに、意外と子煩悩な圭森に少し困った様にしている。
もう一日有れば別々でも良かったのだが、都合上、親子水入らずに夏侯淵が割り込む格好になった。
当初、夏侯淵としては遠慮しようしていたのだが、黄忠達から「一緒に行きましょう」と言われたので今日の状況となっている。
しかし、実際に一緒に居れば気にならなくなる。
夏侯淵自身、圭森と結ばれてから、曹操達と一緒の夜も数える程だが経験している。
当然、黄忠と一緒の寄るも有った訳で。
黄叙の事は妹の様に、娘の様に思っている。
だから、自分も母親に為った様な気分になる。
「……やはり、母親というのは大変そうだな」
「ふふっ、そうね…今は随分と楽だけれど…
五歳になる位までは色々と大変だったわね…」
そう言う黄忠の眼差しは、横顔は母親の物。
黄叙を見ながら目を細める黄忠の脳裏には懐かしい情景が思い浮かんでいた。
苦労が無かったと言えば嘘になるだろう。
ただ、それは黄叙自身に問題が有ったのではなくて早くに夫を亡くした事により一人で子育てと仕事を両立させなくては為らなかったから。
しかし、乳母を任せられる女性を雇う事が出来れば問題は無かったのだろうが、当時の黄忠の立場では信頼して任せられる相手が居なかったのが実情。
それだけに、黄忠は自らの非力さを責めりした事は数え切れない程有った。
それでも頑張って来れたのは他ならぬ愛娘の存在が有ったからに間違い無かった。
だからこそ、寂しい思いや我慢をさせてしまう事を申し訳無く思っていた。
そんな想いも含めて受け入れ、しっかり黄叙の事も考えてくれている圭森には本当に感謝している。
尤も、娘だろうが、女としては引く気は無いが。
それはそれで数年後が楽しみでも有ったりする。
そんな黄忠の様子を見てから圭森と黄叙を見ながら夏侯淵は自分の将来像を想像してみる。
子供は……解り易い所で自分に似た娘だろうか。
圭森と二人で娘と手を繋ぎながら歩いている。
──と、その娘が興味を示したのは食べ物だった。
まあ、色気よりは食い気、子供だから仕方が無い。
場面は変わり、屋敷の庭で娘が稽古をしている。
一生懸命に遣っているのだが、何故、娘は“剣”を振っているのだろうか。
そして──続け様に思い浮かんでいた場面の数々に夏侯淵は思わず右手で額を押さえていた。
折角の楽しい一日の始まりが頭痛で台無しになる。
その直前で思考を破棄出来たのは幸いだった。
「…紫苑、子供の頃の教育というのは大事だな…」
「……?…………あぁ…ま、まあ、そうよね…」
心底、理解した様に呟いた夏侯淵の一言。
不意の事だったので最初は解らなかったが、直ぐに夏侯淵が一体“誰の事”を思い浮かべて言ったのか察した瞬間に、何とか声を絞り出した。
“彼女”に悪意が有る訳ではないのだが。
確かに、自分の子供だと考えてしまうと……だ。
「晶さんとなら、大丈夫ですよ」
「……ああ、そうだな
教育の大切さを知っている事が重要だからな」
何かを覚悟する様に言う夏侯淵の姿には母親経験の有る黄忠でも掛ける言葉が見付からなかった。
いや、母親経験が有るからこそ、なのだろう。
胸中で応援する事しか出来無かった。
そんな大人二人とは違い、黄叙は父娘という一面で楽しむと同時に、こっそりと圭森を独り占め出来る女としての喜びを味わっている。
また、自分の我が儘を叶えてくれている圭森により“お姫様”気分に為れている事に喜んでいる。
「お母さんを困らせない様に…」という気遣いから“我が儘を言わない”事が染み付いてしまっていた黄叙にとって、自分の我が儘を肯定してくれる事は素直に嬉しくて仕方が無かった。
圭森が今はまだ“黄忠の娘”としてしか見ていない事は理解しているし、仕方が無いとも思っている。
ただ、それは“今は”という話でしかない。
将来は絶対に圭森のお嫁さんになる。
そう心に強く誓いながら。
今は、今しか出来無い事、子供の今だから許される我が儘を遣ってみたいとも思う。
勿論、悪事や他人に迷惑を掛ける事以外で。
その時、圭森が一緒に居てくれたら幸せだと。
肩車をしてくれている圭森の頭を抱き締めて思う。
まだまだ芽生えたばかりでも、力強く。
精一杯に咲き誇る季に向かって蕾を膨らませて。
春を待ち侘びる。
世界を照らす女神が眠りへと就けば、妖しく微笑む魔女が姿を現し、無法の狭間へと誘う。
「──んぢゅっ、ぢゅづっ、っふあっ、ハアぁっ、ンンッ!、あ、あきっ、ラぁアァッ!」
「──ぢゅっ、秋蘭っ、秋蘭っ、くうアぅっ!」
深い闇の中、過熱してゆく圭森と夏侯淵。
だが、その二人の傍らには気を失った黄忠の姿。
黄忠が先に潰れた、という訳ではない。
交互に、平等にしていたのだが、夏侯淵が勝った。
昼間の黄叙を含めた時間に感化されたのか夏侯淵は何時に無く──と言うか、彼女自身でさえ認識する事が出来無い位に熱が猛っていた。
それは夏侯淵の、ある意味では女としての本能。
身近な、圭森と夫妻となった者の中では、会えない馬超を除けば、自分だけが母親ではない事実。
勿論、黄忠の場合、黄叙は圭森の実子ではないが。
それでも、夏侯淵からしてみると“仲間外れ”だと感じてしまうには十分だった。
それが無意識に彼女の本能を刺激した結果で。
事実、今の彼女は理性が働いてはいなかった。
更に激しく、貪欲に圭森を求め続けた夏侯淵。
ただ、翌朝、目覚めた後に、“箍が外れた”という程度ではない自身の行き過ぎた恥態を思い出して、珍しく取り乱してしまった。
その姿を微笑ましく見詰めるのが黄忠。
搾り尽くされた圭森は頑張って回復していた。
太陽が黄色く見え様とも、仕事は待ってくれない。
それが社会人の、大人の責任なのだから。




