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此の掌に貴方を。  作者: 桜惡夢
第三章 伸ばした掌が掴むもの
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   13話


 回朋の言葉に私は衝撃を受けていた。

言っている事は当たり前なんだけれど。

こうして、いざ、本当に必要な相手に言える事。

それが難しいからこそ、素直に凄い事だと思う。

そして、それ以上に本当に僅かな時間でも初対面の韓宮を見ていた事だな。

それも単純な見た目の印象ではなくて、もっと深い部分を読み取っていた事。

父親である韓熊や、一応昔から知っている私でさえ感じ取れなかった韓宮の抱えている苦悩をだ。


勿論、韓宮本人の口から肯定された訳ではないが、個人的には回朋の言った事に納得出来ていた。

数年前、韓熊の仕事を見ていた韓宮と話をした時、何頭かの馬を見ながら印象を訊いたら、「此奴って変わってるなぁ…」と思った事が有ったからだ。

私も母さんから「感覚任せじゃなくて、他の皆にも判る様に言葉にしなさい」と言われる事が有る。

私は馬の生育師の様な仕事をする立場じゃないから今の感じでも何とかなってるけど。

韓宮の場合、伝統っていう狭い世界観の中に居て、昔からの遣り方・常識に合わせないと駄目だ。

いや、本当は合わせなくてもいいんださ。

だけど、そうする事が当たり前な世界で。

だから、私や韓宮の様な“特殊な感覚”を持つ者は弾き出されたり、淘汰されてしまう。

それを回朋は見抜き、然り気無く壁を壊した。

その瞬間を見られた事に感動しながら──溺れる。



(……あっ、これはもう無理だな…

アタシ、他の誰かじゃ駄目だ…)



理屈じゃなく、感覚で理解した。

私は回朋以外の男とは一緒に慣れない。

──と言うか、もう回朋以外に心が動かない。

それを今、直感的に理解した。


元々、今まで恋は愚か、異性への好意や憧れでさえ懐いた事が無かった私だ。

初めての恋に、その相手の回朋に強く惹かれる事は可笑しくはないと思う。

けど、それ以上だって、今この瞬間に感じる。

もう、これから先の人生を回朋が居ないで歩む事は私には不可能だって。

そう言い切れる程に、心が魅入られている。


そんな気持ちの私が見詰める中、回朋は笑う。

韓熊を諭し、柔らかく促すみたいに。



「その為にも、先ずは放馬した仔を探しましょう

それで構いませんか?」


「ああ、勿論だ、おっさん、アタシ等も手伝うよ」


「……御嬢、若旦那、忝ねぇ…」



そう言って韓熊と分かれて回朋と二人で町へ。

──と思いきや、回朋は立ち止まって佇む。

一瞬、何か有ったのか気になったが、声を掛けない様に反射的に息を飲んだ。

昔、母さんが似た事を遣って見せてくれた。

氣を使い、自分を中心にして周囲を探る技だ。

私も近い距離なら山の中とかなら出来無くもないが町中では無理だったりする。

母さんからは「貴女は雑念が多いのよ」と言われ、否定出来無いから苦手だったりする。

それを今、回朋が遣っている。

その目的は一つ、放馬した馬を探す為だ。

普通なら無理だって思うだろうな。

けど、華佗や母さんから聞いた話だと回朋の技量は頭抜けて高いらしい。

だから、回朋だったら出来ると思える。



「…………見付けました、此方です」



直ぐに見付けた様で私を促す回朋。

並ぶ様に走りながら、氣の鍛練を頑張ろうと思う。

回朋に教わってもいいけど。

私自身が遣る気にならないと意味が無い。

回朋に認められたい、並び立ちたい。

そんな想いから遣る気になる。


町を行き交う人の中を縫う様に走り──捉える。

建物の数が減り、林が広がる町の外れ。

其方等から、一際大きな嘶きが響いてきた。

その声に、無意識に身体が速度を上げた。

だが、仕方が無いと言える。

私達にとって馬は家族だ。

姓として漢字を冠している程に、繋がりは深い。

そして、それ故に鳴き声一つで理解出来る。

今、その馬が、どんな状態なのかを。



「御嬢!、若旦那!」


「おっさん!」



愛馬に乗って探しに出た筈の韓熊と合流した。

どうやら町中じゃなく、町外れを探していた様だ。

こういうのは経験なんだろうな。


そう感心しながらも急ぐ先に、二つの影を捉える。

暴れている若駒と──宥め様とする韓宮だった。

反射的に視線を向けた先は韓熊。

その表情には驚きと怒りと──喜びが混ざる。

「ったく、素直じゃないな…」と言いたくなる。

そんな表情を韓熊は浮かべていた。


しかし、それは一瞬だけ。

韓宮達を見て直ぐに緊張が増した。

放馬した馬が興奮状態なのは言うまでもない。

気にすべきは韓宮の右手だった。

掌から地面へと滴り落ちる赤。

被った草の葉が重みで頭を垂れ下げる。



「か──っ!?」



思わず叫び掛けた私の口元を回朋の左手が塞ぐ。

顔を向けた先の回朋は韓宮を静かに見詰めている。

「何で止めたんだよっ!」と言い掛け──気付く。

今、私達が大きな声を出せば、落ち着いた放馬した馬が再び興奮してしまう可能性が高い。

回朋は、この状況でも冷静に韓宮の頑張りを無為にしない様に配慮していた。

その視野の広さ、思慮の深さに感嘆する。



「だ、大丈夫…大丈夫だから…さぁ、おいで?」



食いちぎられてはいないが骨折は確実だろう右手の痛みに堪えながら、韓宮は落ち着いて話し掛ける。

その姿に、頑張りに、目頭が熱くなる。


だが、それは人間の勝手な感動でしかない。

怯えた若駒には関係無い事だった。

威嚇する様に嘶き、韓宮を、私達を恐れる。


そんな膠着状態で、韓宮の身体が揺れた。

力が抜ける様に膝から崩れ落ちる。

突然の事で反応が出来無かった。

しかし、韓宮が地面に倒れる事は無かった。



「よく頑張りました、後は私が引き受けます」


「……ぁ……御願い、します…」



韓宮を抱き止め、優しい笑みを浮かべながら回朋は声を掛けて、韓宮の右手を氣を使い治療する。

そして、慌てずに歩み寄った韓熊に韓宮を任せると若駒の方へと向き直った。


正直な話、産まれてから、ずっと見てきた仔なら、私も宥められる自信は有る。

だけど、初対面の仔で、しかも人間を恐れている。

この状況では、近付く事自体を躊躇うだろう。

落ち着くのを待つか、数人掛かりで力ずくか。

選択肢としては、この二つだと言える。

暴れ方が酷い場合や場所によっては……殺す場合も珍しくはない事だからな。

そういう意味でも、助けられる場合は助けたい。

そう私達は幼い頃から教わり、自らが望む。


回朋は若駒の正面に立つと真っ直ぐに見詰める。

微動だにせず、ただ若駒を静かに見詰めるだけ。



「────っ!?」



──と、そんな中で、唐突に瞬間的に殺気を放つ。

韓熊達は気付いてはいない。

本当に一瞬の事であり、感じ取り難い物だった。

だが、決して微弱という訳ではない。

寧ろ、身体が反射的に硬直してしまう程に苛烈。

そんな殺気を受けて明らかに動揺を見せる若駒。

其処へ、回朋は無防備に歩み寄った。


普通に考えれば若駒が攻撃してくる状況だ。

しかし、まるで若駒には姿が見えていないかの様に回朋は何事も無く歩み寄りると右手で若駒の首筋を優しく撫でながら声を掛けた。



「もう大丈夫、“痛かった”な?

でも、直ぐに治るからな」



そう笑顔で若駒に話し掛けながら回朋は空いている左手を若駒の右後ろ脚の付け根辺りに添えた。

蛍火の様に柔らかく、暖かな輝きを纏う掌。

首筋を撫でられながら、若駒の気配が変わる。

興奮・恐怖・不安・混乱・不信・孤独……そういう色々な混ざり合っていた感情が解けてゆく。

呼吸が、眼差しが、拍動が、全てが穏やかに。


暫しの間、見入ってしまった光景。

単純に絵になる光景に、私は未来を重ねていた。

回朋に寄り添い立つ私と、馬の背に跨がる我が子。

有り触れた“家族”の一場面が自然と浮かぶ。

その未来を、好ましく、愛しく感じながら。


回朋の左手の輝きが消え、若駒が回朋を見た。

甘える様に頭を擦り寄せる姿に、私は安堵する。



「韓宮、手は大丈夫か?」


「…あ、はい、大丈夫です…

…御嬢様、申し訳ありません

御迷惑を御掛けしてしまって…」


「こんなの迷惑の内に入らないっての

それより、よく頑張ったじゃないか

感心したぜ、なあ、おっさん?」



韓宮を励まそうと韓熊に話を振るが、顔が渋い。

意地っ張りと言えば意地っ張りだが、父親として、師匠として、甘やかせないのかもしれない。

でもな、こんな時位は素直に誉めて遣れっての。



「……父さん……」


「……自分が何をしたか、判ってるな?」


「………はい…」


「御嬢と若旦那の御陰で無事に済んだが…

二人が居なかったら…」


「………っ…本当に、すみませんでした…」



突き放す様に厳しい態度を取る韓熊。

その意図する所は理解出来る。

だから、口出ししたいが出来無い。

そのもどかしさに、無力な自分への苛立ちが募る。

項垂れる韓宮に何もして遣れない。

頑なに厳しくする韓熊に何も言って遣れない。

熟、自分が未熟なんだと思い知らされる。



「韓熊殿、今回の件は韓宮殿に非は有りません」


「……それって、どういう事なんだ?」


「放馬をした際、この仔を見ていたのは韓宮殿なのかもしれませんが、原因は韓宮殿には有りません

この仔が暴れたのは関節炎が原因です」


「関節炎?」


「恐らくは、一ヶ月程前でしょうか

この仔、歩様が可笑しかったのでは?

ですが、特に異常も無かったので気にはしなかったという事は有りませんでしたか?」


「……そう言えば、確かに、有ったな」


「その時、筋が傷付いていたんでしょう

其処が少しずつ傷を広げ、偶々、今日限界を迎え、痛みに耐えられず、偶々、韓宮殿が見ていた状況で暴れてしまった

それが放馬の真相でしょう」


「いや、だが、若旦那…」


「その証拠に、ほら…」


「……ぁ…」



回朋の側で大人しくしていた若駒が自ら韓宮に頭を擦り寄せて甘えるのを目の当たりにする。

回朋に遣らされている訳ではない。

本当に自分の意思で韓宮に身を寄せていた。



「まだ幼く、色々有って混乱していたのは確かです

しかし、そんな中でも韓宮殿が自分の事を心配し、思い遣ってくれていた事は感じ取っていた訳です

本来、馬とは臆病な生き物です

ですから、信頼しない者に身を委ねはしません

この仔が韓宮殿に身を委ねる事…

それこそが、信頼の証であり、一番の誇りです

今はまだ未熟で、学ぶ事も多いでしょう

ですが、その今は遠い背中に追い付き、越えられる様に頑張って下さい」


「……っ、はいっ…はいっ!」



回朋の言葉に涙を流しながら答える韓宮。

“認められる”という事。

それが、どんなに大変で、嬉しい事なのか。

厳しさを知らなければ、本当には理解出来無い。

私も、母さんが厳しいから幾らか理解出来る。

ただ、本当の意味では理解は出来無いと思う。

結局は、私は私でしかないんだからな。


泣いている韓宮から韓熊へと回朋が視線を移せば、目尻に涙を浮かべながらも意地で堪えている韓熊が深々と頭を下げて見せる。

頭を上げた韓熊に回朋は笑みを浮かべて頷く。

交わす言葉は無くても端から見る私にでさえ判る。


“雨降って地固まる”じゃないけどさ。

今回の一件で、韓熊達は大きく変わるだろう。

それは親子として、師弟としてだけではなくて。

韓宮は自信を得られ、今以上に励めるだろう。

韓熊は韓熊で若駒の異変を見抜けなかった事に対し自分の足りない部分に気付いたから更に上を目指し研鑽を積んでいくだろう。

そんな二人に刺激・感化されて周囲も変わる。


回朋という一石が起こした始まりの波紋。

それは触れる者の心を揺らし、新たな波紋を生む。

広がり、重なり、増えて、次から次へと連鎖。

軈て、最初の波紋は消えてしまうだろう。

しかし、其処から生まれた波紋は繋がり続ける。

人と人、心と心、命と命を繋ぎ、結い、果てしなく継がれ続けてゆくのだと。

そう、私は感じる。


何事も無い静かな水面は綺麗だろう。

しかし、波紋により揺れる水面だけが持つ輝きが、二つと無い景色(みらい)が、確かに存在する。

その波紋に私も触れている。

私だけが生み出す波紋。

それが、どんな景色を描き出すのか楽しみだ。




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