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此の掌に貴方を。  作者: 桜惡夢
第一章  血と泥に塗れど芽吹く
5/100

   5話


 孫権と圭森の合意により孫権の侍従という立場にて圭森は屋敷に住み込む事が決定し、今度は圭森の方が孫権に質問を行った。

孫権からすれば仕える事に為った主の立場や家の事等大まかな状況を知る必要は理解出来る事で有った為、特に隠す様な事は何も無く圭森の質問に答えた。

圭森からすれば、予想した以上に簡単に欲しい情報が手に入った事は歓迎すべき事では有ったが、気持ちは多少複雑だったりする。

拍子抜け、という事だ。

ただ、楽観視して臨んでは得られない結果である事も圭森は理解している。

それ故に複雑な訳だ。


そんな圭森にとって孫権の現状は想定内の物だった。

特に困った状況ではなく、原作通り袁術──正確には袁家により孫家の力を削ぐ目的で現当主である孫策の側に数名を残し、家臣達は各地に分散させられているという状況である。

つまり、有り体に言えば、“原作前スタート”という状況に圭森は居るのだ。

現状、不確定要素の有無が判らない以上、自ら動いて原作(筋道)を違えるよりも沿って進む方が良い。

そう圭森は考えている。


しかし、圭森は知る。

此処が何もしないままでも生きて行ける様な平和的な世界ではないという事を。

その為には自ら動く必要が不可欠である事を。

其処で、圭森は孫権に対し一つの御願いをした。


それを聞き入れた孫権。

そして、二人は部屋を出て屋敷の裏庭へと向かった。

一角に東屋が立つ庭園。

圭森の──現代の日本人の感覚的には“豪邸”にしか存在しない様な光景だ。

尤も、この世界・時代でも一定以上の権力・財力等が無ければ済めない屋敷には違い無いのだが。


そんな東屋から見下ろした場所に広がっているのは、直径5m程の雑草が殆んど生えない剥き出しの地面。

宛ら、学校のグランドだ。

しかし、その地面の状態が意図的に造られ、維持され存在しているのではないと圭森は察している。

一見平坦に見える地面には細かな凹凸が有る。

そういった庭の風景として造られたのだとするなら、可笑しい事だろう。

──だとすれば、その様に為った理由は一つ。

“誰か”が、日々この庭を使っているという証。


其処さえ理解出来たなら、察する事は難しくはない。



「…本当に良いのか?

何しろ昨日の今日だぞ?」



そう声を掛ける孫権は顔に不安を滲ませている。

だが、迷いは無い。


まだ中天には早いのだが、陽は高く上っている。

その為、服から覗く素肌を容赦無く照り付けてくる。

それでも、目に見える様な汗を掻かない辺り、彼女は気候に慣れている。

対して、圭森の額等からは既に汗が滴る。

それだけでも圭森が南部の出身者ではないと判るが、既に気にする事ではないと孫権は割り切っていた。

一方の圭森は暑さも有るが緊張から来る汗も有る事を理解している。

つまり、そんな些細な事に気を配る余裕は無かった。




ゆっくりと、大きく。

深呼吸を繰り返す圭森。

その様子を見守りながら、孫権は静かに待つ。

自身の問いに対し、圭森は何も返してはいないのだが孫権は察していた。

圭森に退く気は無い事を。

だから、先程の彼に掛けた言葉は“最終確認”。

故に、待つだけである。


バチンッ!、と力強く己の両頬を両手で叩く圭森。

そして、孫権を真っ直ぐに見据えて──構えた。



「御願いします」


「──っ…」



圭森の変化に孫権は驚き、小さく息を飲んだ。

流石に、表情や態度に出る程の事では無かったが。

それでも驚きはした。


孫権から見た圭森の印象は必要最低限の礼儀を持つが相手に諂う様な事はせず、しかし、過度に遜るという事も無い“権力者”からは縁遠い様に感じている。

加えて、冷静さ・判断力・決断力の有る事から文官に向いていると思った。

大きな身体は武官としても見劣りしないが、細い様に感じてもいる為だ。

何より、時折見せる表情は戦い等とは無縁の童の様な印象が強かったのだ。

だから、驚いた。


スッ…と人格が変わる様に“戦士”の顔に為った事は本当に意外だった。

だが、納得してもいた。

何処か、圭森の中に感じる“芯”の強さ。

それが垣間見えたから。



「…では──行くぞっ!」



孫権は両手で握った木剣を正眼に構え、気合いと共に開始を告げる。

それに合わせて圭森は前に踏み出し、距離を詰める。

孫権に対し、圭森の手には木剣等の得物は無い。

ただ、両手を汚れた布地で覆っているだけ。

つまり近接戦闘(無手)だ。


だが、如何に木剣だろうが剣である事に違いはない。

余程の使い手でなくては、剣を相手に無手で戦う事は先ず有り得ない。

だから、孫権は驚いた。

孫権が圭森に「得物は?」と訊ねたら「使い棄てても問題無い布地が有ったら、それが欲しい」と言った。

勿論、直ぐに用意された。

それを両手へと巻き付ける圭森が無手で戦う気なのは孫権は理解していた。

「馬鹿にして…」等という気持ちや考えは無い。

ただ、心配はしていた。

鍛練ならば兎も角、実戦で無手というのは殆んど無い事なのだから。

有るとすれば、得物を全て失ってしまった状況でか、通用する腕前だからか。

その何方等かだろう。


圭森の身体──裸(全て)を見てしまっている孫権は、圭森の細身の割りには全身しっかりとしている事実を知っている。

だから油断は無かった。

甦る記憶に動揺し掛けて、気合いで抑えはしたが。

それは対峙するよりも前に片付いていた話。

特に影響は無かった。



「──疾っ!」


「──っ!?」



それ故に、驚きは大きい。

向かって来た圭森の放った右脚での蹴撃。

拳を警戒していたあまりに僅かにだが反応が遅れる。

性格上、完全な受けでなく“撃ち合い”に応じる様に前に出ていたが為に迎撃は不可能だった。




それでも、咄嗟に身を捻り木剣を盾にして防ぐ。

顔の真横──左耳の側で、鈍く乾いた音が響く。

その一撃を受け止める様な真似はせず、孫権は利用し自ら地面を蹴って圭森から距離を取る様に離れた。


仕切り直し、という感じで両者は再び構え直す。

同時に、両者の緊張感──本気の度合いが増した。

それは当然だと言えた。


孫権にすればギリギリだが防ぐ事は出来た。

だが、「実戦だったら…」と考えてしまうと、余裕は無くなってしまう。

もし、木剣で無ければ今の一撃で圭森の右足は負傷、最悪切断されている。

その可能性は低くは無い。

しかし、それ以前の問題で“木剣でなければ”防御は間に合わなかった。

鉄剣の方が重いのだから。

つまり実戦で有ったなら、どんなに運が良く考えても自分は倒れている。

死んではいなくても自分は地面に倒れている。

それは戦では死と同義。

その事を理解してしまえば“先ずは様子見ね”という余裕など消えてしまう。

それに加え、全く知らない動きをされたのだ。

少なくとも圭森の戦い方は従来の格闘技ではない。

そう認識してしまったら、警戒せずには居られない。


一方、圭森は反応された事自体には驚きはしない。

抑、自分よりも孫権の方が“常に死が側に在る”世で生きているのだから。

自力が違うと考えている。

だから其処は驚かない。

しかし、その後の対処には嫌でも驚かされた。

勝てるとは思っていない。

けれど、“奇襲”であれば体勢を崩す初手としては、十分に使えるだろう。

そう思っていた。

だから、孫権が迷う事無く蹴りを受け流して、距離を取った事には驚いた。

少なくとも、圭森の中では“孫権は退かないだろう”という決め付けが有った。

それは原作を知るが故の、現実との間に生じる齟齬。

その事に気付いたからこそ圭森は“既知の孫権”から“未知(眼前)の孫権”へと意識を切り替えた。


その結果、緊張感が高まり両者は相手に集中する。

一挙手一踏足を見逃さず、ジリジリと間合いを保って右側へと移動する。

無言のまま、睨み合う姿は唸り合う猫の様に。

互いに機を狙い続ける。


端から観ていたとすれば、とても地味な光景だろう。

だが、本当に緊張感の有る戦いとは、そういう物だ。

猫の喧嘩は関係無いが。

派手な技や馬鹿気た威力の応酬ではない。

“静かな駆け引き”にこそ武術の真髄は垣間見える。




暫し、探り合いが続く中、先に仕掛けたのは孫権。


それは、ある意味で言えば当然だと言えた。

ある程度、動きに規則性が生じてしまう剣技に対し、無手──格闘技は規則性が非常に少ない為だ。

唯一、近接戦闘である事が共通点で有るだけ。

それ以外は、基本的に自由だったりするからだ。


しかし、そんな事を考える者は意外と少ない。

だが、それも当然だろう。

格闘技で敵を殺すよりも、剣・槍・弓矢を使った方が効率も良く、確実に対象を負傷させられ、鎧を着けた相手でも致命傷を与え易いというのが事実だから。

態々、護身術や最終手段の格闘技を鍛えるという事は軍事的には効率が悪い。

格闘技を身に付ける時間で武器の扱いを身に付けるか編隊訓練をした方が良いと考える事が主流だからだ。


孫権自身も例外ではなく、そう考えていた一人だ。

だが、この圭森との戦いで意識は一変した。

必殺ではないだろう。

しかし、“負けない事”を第一に考えた時、格闘技は最も侮れない武術だと。

戦い方を考えれば考える程理解させられるのだ。


その上で、圭森に合わせて後手に回るのは愚策。

両手で木剣を扱うからこそ威力を生み出す孫権では、彼我の身長差が大きい故に圭森の半身で放つ蹴りには対処し難いのだ。

右手だけでは厳しい。

“懐に潜り込めば”確かに孫権に勝機が有るだろう。

しかし、近接戦闘を主戦場としている格闘技を相手に遣るとなると賭けだ。

生き死にが懸かっていれば迷う理由は無いが、現状は違うのだから孫権としても避けるのは当然の事。

だから、自ら仕掛ける事で流れを自分で作らなくては勝機は見出だせない。

そう孫権は決断した。



「哈ぁっ!」



最短距離を駆け、躊躇無く木剣を突き出す孫権。

下手な斬り払いは悪手。

躱された後に出来る隙。

其処を突いてくる可能性は高いのだから。

だから小細工はしない。

今の自分に出来る中で最も攻守への隙が小さい方法を選択した。


そんな孫権の突きに対して圭森は僅かに左寄りだが、正面から撃ち合う様にして自ら前に出て行く。

両者共に退きはしない。




木剣の先が圭森を捕らえた──と思う直前だ。

圭森の身体が半身に変わりギリギリで木剣を躱す。

孫権は即座に身体を捻って横薙ぎへと、木剣の軌道を変えようとする。

だが、此処で本の僅かだが孫権の反応は遅れる。

それは何故か。

圭森が居るのが孫権の左側──利き手では無い左手側だったからだ。

利き手の右側に居るのなら反応出来ただろう。

しかしだ、利き手ではない左側に咄嗟に軌道を変える事は意外と難しい。


利き手の右手よりも左手の方が握力は有る。

そういう人は意外に多いが右手より左手の方が器用だという人は滅多に居ない。

基本的に必要が無い為だ。

それは孫権にしても同じ。

また、孫権の剣技の性質は彼女自身を投影する様に、実直な剣筋をしている。

変則的な動きをし、全身を使う様な戦い方ではない。

だから崩れてしまった場合左右で反応に差が出る。


その事を圭森は孫権の剣の右前の握りから見て察し、意図して左側に避けた。

最初から左寄りだったのはギリギリで躱すとしても、孫権の剣筋の鋭さと速さに加えて身長差を考慮して、“万が一”を想定した上の備えだったりする。

少なくとも圭森の自分への自己評価は高くない。

勿論、過小評価でもない。

だから上手くいった。


懐に入られた孫権には抗う術は無かった。

圭森が突き出す左腕が腹を捉えて終わりだ。

当てる当てないは兎も角、勝負は決した。






──────筈だった。



「──ぅわっ!?」


「──えっ!?」



さて、人は着慣れない服、履き慣れない靴という状況だった時、“十全”に動く事は出来るだろうか。

出来る者も居るだろう。

だが、多くは難しい。

そして、それは圭森も同じだったりする。


孫権の声の無い悲鳴と共に小気味良い乾いた破裂音が庭に響いた。




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