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此の掌に貴方を。  作者: 桜惡夢
第二章  歩み往く先に有る夢現
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   10話


 奇襲としては成功した。

夏侯惇隊は二十名が脱落し出鼻を挫かれた。

だが、あの夏侯惇の率いる部隊が、その程度の事では怯みも止まりもしない。

寧ろ、「倍返しだーっ!」という勢いで再び駆け出し夏侯淵隊へと迫る。


しかし、夏侯淵隊としても夏侯惇隊の特徴など疾うに理解している。

対応する事は泣いた子供を泣き止ませるよりも遥かに容易い事だと言えた。

一射目に放った内三十名が既に第三射を終えていた。

その為、奇襲に混乱をした夏侯惇隊が自ら生み出した隙を文字通り射抜いた。

盾が間に合わず、三十名が脱落してしまう。

合計で半数を瞬く間に失い夏侯惇隊は焦った。

盾持ちも十名以上が脱落し夏侯淵隊の第四射・五射が続け様に襲い掛かった。


その結果、夏侯惇隊の数は三十名を割っていた。

それは正に後方から全てを観察され、知られ尽くした夏侯惇隊の自滅だった。


だが、それで終わらない。

確かに数は減ったが大将も旗も無事である以上、まだ敗けてはいない。

そして、もう一つ。

要となる盾持ちは脱落してしまったが──盾は残る。

味方の使用武具の再利用は不正行為ではない。

生き残った者達は脱落した仲間から即座に盾を回収し密集陣形を作った。

数が減った事で、二十枚の盾を更に有効に使える様に為ったのは皮肉な事だ。


一転して静かに睨み合う。

その様は宛ら鷹と亀。

焦れた方が敗けである。


しかし、焦るのは夏侯惇隊だったりする。

何故なら勝利条件を満たす事が無く、“試合時間”が尽きてしまった場合には、残存兵数が多い方が勝つ。

騒動の“完全決着”の為に設けられた裁定条件。

問題の試合時間は、太陽が中天に掛かるまで。

その判断は全て主君である曹操に委ねられているが、彼女が贔屓する事は無い。

つまり、夏侯惇隊の勝利は時間内決着しかない。

ただ、夏侯惇隊の見下した意識は綺麗に消えていた。

後方支援しか出来無い?。

誰だ?、そんは馬鹿な事を言った馬鹿はっ?!。

そんな声が聞こえそうな程夏侯惇隊は本気に為る。

自分達は確かに精強だ。

だが、それは背中を預ける夏侯淵隊(仲間)が入るから出来る事なのだと。

彼等は深く認識した。

そして、そんな夏侯淵隊が自分達を狩る敵に為った。

それがこれ程まで恐ろしい事なのだと知った。


そんな中、唯一夏侯惇隊と無縁で私利私欲で参加する荀彧は焦りに焦っていた。

兎に角、勝たなくては。

その一念で、唯一の可能性──夏侯惇の単騎突破策を提案する。

周囲が異論を挟むより早く夏侯惇自身が了承。

方針が決まってしまった。


そんな状況を脱落しながら聞いていた夏侯惇隊の者が思い出した事が有る。

それは確か夏侯淵隊の者が自分達の事を“猪部隊だ”と言っていたと話したのが荀彧だったという事だ。




手足も頭も引っ込め甲羅に閉じ籠る亀の様に防御する夏侯惇隊を前に夏侯淵隊は手を出せずにいる。

しかし、時間が過ぎる程に夏侯惇隊の方が焦りを生み追い詰められるという事を全員が理解していた。

僅か五射。

個々で言えば僅か二射。

たったそれだけで勇猛果敢を体現している夏侯惇隊を封殺してしまった。

その指揮の巧みさに全員が理解していた。

この圭森という男の能力を主君の曹操が評価している事は過大ではないのだと。

勿論、夏侯惇隊の慢心等の要因は有ったが、それらを活かした力量は確か。

「それを理解していたなら自分も同じ様に成功させる事が出来た」等と口にする過信者は其処には居ない。

それ程に巧みであった。


だが、大多数が称賛をし、感嘆している中、夏侯淵は圭森に畏怖を懐いた。

自身よりも優れている事は察してはいたが、明らかに圭森は矛盾している。

曹操は意図が有って自分に取り入ったとしても圭森を嬉々として招き入れる。

そういう“危ない遊び”も好む事を知っているが故に夏侯淵は何も言わないが。

夏侯淵自身は違う。

圭森の言い分は尤もだが、それにしては能力と比べて立場に差が有る。

圭森ならば筆頭軍師に抜擢されても可笑しくはない。

寧ろ、それが普通だ。

だが、圭森は違う。

野心や出世欲が無いのなら配慮などはしない。

配慮するという事は自分が組織の中にて敵を作らない様にする為でもある。

それ故に、夏侯淵は内心で圭森への畏怖を懐いた。


ただ、その一方では圭森の存在が、言動が自分達への大きな刺激なのも確かだと理解もしている。

外へ──他勢力に行かせる位であれば、それこそ以前曹操が言っていた様に己が伴侶として“繋ぐ”という手段も有り得るだろう。

抹殺するとすれば、それは既に手遅れだ。

圭森の人柄に、価値観に、存在に惹かれている者達は自分の部下だけではない。

不当な圭森の処断は確実に曹操の勢力を割るだろう。

だからこそ、出来る対処は“飼い殺し”が無難。

勿論、飽く迄も圭森に何か意図が有り、曹操の邪魔に為るならば、の話だが。


そんな夏侯淵の側で戦場を見詰めている曹操には既に決着が見えていた。

荀彧には可哀想な話だが、曹操は圭森の、夏侯淵隊の勝利を確信した上で今回の模擬戦を許可していた。

その理由は単純。

夏侯惇・荀彧という稀代の才器を更に成長させるには“完璧な敗北”を格下から与えるしかない。

この格下とは立場的な事で能力の意味ではない。

そして、それが出来るのは圭森以外には居ない。

圭森も曹操の意図を理解し“序でに夏侯淵も”という曹操を上回る配慮を見せ、この模擬戦に臨んでいた。




各々の意図が絡み合う中、夏侯惇が動いた。

盾を左手に持ち、単騎での敵陣突入を仕掛ける。


その為に動いた僅かな隙。

針の穴を通す様に、一矢が閃いて亀甲を穿った。


蛙が潰れた様な声を上げて倒れたのは、額の真ん中を綺麗に射当てられた荀彧。

その状況に茫然となる隙を見逃す様な相手ではなく、続け様に五人が脱落。

精度も異常だが、何よりも連射速度が凄まじい。

結果、夏侯惇と部隊は分断されてしまった。


しかし、背水の陣と為った夏侯惇が臆する筈も無く、寧ろ、強敵を前に闘争心を更に燃え上がらせる。

夏侯惇に向かって降り注ぐ矢の雨だが、盾が有る為に決定打には為らない。

故に夏侯惇は止まらない。

だが、時間は稼げた。

如何に夏侯惇が優れようと時間差で襲い来る矢の中を容易く進む事は不可能。

そして、番えられた一矢が射放たれ、夏侯惇の足元に突き刺さった。

その瞬間、夏侯惇は屈み、盾の影に身を隠した。


これが実戦ならば矢を恐れ止まる事など有り得ない。

けれど、これは模擬戦で、矢に当たれば一撃死という事前の規定が有る。

実戦なら即死にはならない肩や足は勿論、頬や鎧等に掠っただけで終わる。

それ故に、夏侯惇は慎重な行動を強いられた。


そんな夏侯惇を助けようと部隊は接近を試みるのだが僅かでも隙を見せれば矢が容赦無く射抜く。

その為、動けなかった。


その状況を見て、夏侯惇は意を決して突進する。

捨て身にでも為らなければ前には進めないから。

そんな夏侯惇に、矢の雨が容赦無く降り注ぐ。

しかし、夏侯淵という弓の名手を妹に持ち、幼少から手合わせもしているが故に夏侯惇の前では役不足。

足を止めるには至らない。

だから、唯一可能な一人に夏侯惇は意識を向ける。

弓に、弦に、矢に、指に、視線に集中し──放たれた矢を模擬剣で弾き落とす。

その瞬間に見せた動揺。

それを見逃さずに接近して仕留めようと踏み込んだ、その瞬間だった。


──コッツンッ、と。


夏侯惇の頭に何かが当たり地面へ落ちて転がった。

一瞬の静寂。

転がった矢を見た夏侯惇が模擬剣を持ったまま右手の指先で頭を触る。

目の前に持ってきた指には赤い粉が付いていた。


それと同時に鳴り響くのは試合終了を告げる銅鑼。

歓声を上げる夏侯淵隊。

項垂れる夏侯惇隊。

戦の勝者と敗者が決まり、後に“伝説の紅白戦”等と呼ばれる一戦は終わった。





「華琳様!、もう一度!、もう一度御願いします!

次こそは私がっ!」


「──だそうよ、回朋?」


「夏侯惇様、此度の一戦は如何様な経緯で許可された物でしたか?」


「そんな物は、私と秋蘭の部隊の──っ!」


「ええ、その通りです

“部隊の衝突”が原因で、その決着の為です

決して貴女の武勇の為では有りません

であるならば、この結果に意を唱える事は妙才様に、引いては貴女の部隊の者の日々の努力を否定するのも同義だと言えます

それでも、遣りますか?」


「……っ……」



 負けず嫌いな春蘭だから自分が勝つまでは何度でも遣ろうとするのは経験から予想していた。

だから敢えて圭森に振って何と言うか試してみれば、見事に黙らせて見せる。

それも容赦無く率直に。

ある意味、春蘭の性格等を理解している証拠よね。

諭す様な回りくどい言葉は春蘭には逆効果だもの。



「春蘭、私は貴女の武勇が夏侯惇隊が劣っているとは思ってはいないわ

けれど、この一戦は確かに夏侯淵隊が上回った

それを受け入れられないと言うので有れば、貴女には失望するしかないわ

春蘭、どうなの?」


「………我等の敗けです」



春蘭の言葉に夏侯淵隊から小さな歓声が漏れる。

安堵とも言えるかしら。


少し意地悪な言い方をする事に為ったけれど、これも春蘭達の為を思えばこそ。

そして、遺恨を残すよりも糧として成長を促す為。



「さてと、それで大将首を上げたのは誰かしら?

殊勲賞として、何か褒美を与えるわ」



そう言うと夏侯淵隊の中で小さく騒めきが起きた。

戸惑う様な、困惑する様な視線と表情で、それは軈て一人へと向けられた。

秋蘭の副将・韓芳へ。



「…曹操様、私の射た矢が当たった事は確かですが、全ては回朋殿の指示です

私でなくとも回朋殿ならば夏侯惇様に当てられます

殊勲賞を受け取るべきは、他でもない回朋殿かと」



一歩前に出た韓芳は全ては圭森の功績だと言う。

それは判っている。

だからこそ、敢えて此処で私は話をしている。

圭森が如何に対応するか。

それを見てみたいから。

その為だけに、小さな石を水面に投げ入れた。





「ふむ…どうなの回朋?」


「指揮を執った事は間違い有りませんが、私一人での勝利では有りません

確かに私が射ても同じ様に当たる可能性は有りますが先ず不可能でしょう

妙才様が居れば夏侯惇様は妙才様に集中された筈…

今回は私を意識させる事で子忠殿から注意を逸らし、死角を突いた訳です

子忠殿の腕前が有ればこそ出来た事ですし、隊の皆の連携が有っての事…

ですから私一人の功績とは言えません」


「成る程ね」



模範的な回答とも言える。

けれど、全てが事実な以上必要以上には追及出来無い事も間違い無い。

上手く躱されたわね。


まあ、圭森の言う様に彼が春蘭の意識を引く影で高く放った韓芳の矢で狙う。

実力が無ければ不可能ね。

春蘭を“狙撃地点に誘導”出来る実力が無ければ。

それから最初の陣地決めと開始直後の移動も、全てが計算の上だった訳ね。

緩い傾斜に布陣し、敢えて春蘭に自分の位置を見せ、太陽を利用して射ち上げた矢を視界から隠す。

楽しませてくれたわ。



「それでは、回朋、貴男が代表して褒美を決めなさい

それでいいわね?」


「……畏まりました

それでは、此度の敗戦側の将師、夏侯惇様と荀彧様の“自腹で”両隊の懇親会を催して頂きたいと思います

如何でしょうか?」


「ふふっ、良いでしょう

春蘭、桂花、良いわね?」


「はっ」


「…畏まりました」



“敗戦の将師”というより衝突の原因の二人に対する罰金みたいな物ね。

特に男嫌いの桂花には結構堪える遣り方だわ。

ただ、その一方で両隊への桂花への不信感等の緩和を狙っての事でしょう。

「まあ、これで水に流して一緒に頑張りましょう」と言外に示している。

懇親会自体も改めて互いの必要性を知る場に為るし、上手く遣ったわね。

何処まで見越してなのか、訊きたくなる程に。

結果として、圭森の姿勢に両隊からの信頼度は増し、両隊の蟠りは緩和する。

春蘭は振り回されたけれど被害は小さい。

結局、首謀者である桂花の一人敗けだったわね。




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