5話
“たられば”は基本的に事後に考える事が多い。
それは自身の言動の結果が芳しくなかった場合に人が反省する意味で考える為。
その言動の結果に伴う経験や反省を次に活かす事で、意味が出てくるもの。
しかし、その一方で事前に備える為の“たられば”も存在する事も確か。
何方等にも意味が有る。
それが“たられば”本来の価値ではないだろうか。
「有難う御座います!」
「ああいや、怪我が無くて何よりだよ」
目の前で丁寧に頭を下げる少女の姿を見ながら圭森は思考を巡らせていた。
その一部に現実逃避方向の“たられば”が有った事は誰にも判らないのだが。
(…まさか、こんな形での遭遇になるとはなぁ…)
目の前の少女が誰か。
俺は既に理解している。
まだ名乗ってすらいないが知っている以上仕方無い。
勿論、自分から墓穴を掘る真似はしないが。
「俺は圭森、旅の者だ」
「私は“典韋”と言います
本当に、危ない所を助けて頂いて有難う御座います」
自己紹介の後、再度感謝を述べる彼女を見て、自分の知っている彼女と同じ様に真っ直ぐな良い娘なんだと改めて理解する。
しかし、見た目に小学生な彼女は何歳なのか。
少なくとも、今までに見た原作の人物の中では袁術が一番小柄だったが、彼女は年齢・立場的に考えて特に違和感は感じない。
ただ、典韋の場合は曹操に軍将に抜擢される訳で。
彼女が十五歳未満だったら如何に時代的には可笑しい事ではないのだとしても、素直には認め難い。
勿論、能力重視なら理解は出来るが、まだ未熟な娘に人命(責任)を背負わせる。
その点が引っ掛かる。
…袁術?、彼女は生まれた時から責務として背負った立場だから別だろう。
少なくとも典韋とは立場が明確に違うのだから。
それは兎も角として。
洛陽を発った後、意図的に豫州に入ったのは確かだが典韋との接触を目的とした訳ではない。
ただ、将来的な悲劇回避の大前提には曹操の元に居るという事が有る。
だから何れは仕官するなり目に留まる様に何かを遣るつもりでは居たが。
これは本当に偶然。
偶々今日の晩御飯を探しに適当に山に入った所で崖にぶら下がった典韋を見付け救助する事に為った。
意外な所でクライミングの技術が活きてしまったが、助けられたのは良かった。
しかし、疑問も浮かぶ。
蓮華にしろ、黄忠にしろ、周瑜にしろ、典韋にしろ。
皆、原作よりも早く舞台を降りていた可能性が有る。
周瑜は前倒しで、だが。
自分という異物が混じった事により、起きたのか。
抑、原作の何れかのルートだったとしても似ているが細部では全く異なるという可能性は十分に有り得る。
だとすれば、下手に距離を置いてしまうと危ないか。
そんな考えが浮かぶ。
蓮華(愛する者)の姿が。
背負うと決めた者の姿が。
心奥の不安という火種へと呑み込まれてゆく。
懊悩を見せない圭森は、典韋に促されて彼女の住む村へと案内された。
旅の中、立ち寄った村邑は二十を越えていたが圭森は“黄巾の乱”の戦禍に巻き込まれる可能性が高い村の平穏さを儚んでしまう。
だが、現実は違った。
いや、彼自身思い返したら直ぐに納得が出来た。
典韋の加入は親友でもある“許緒”の手紙に伴う。
では、その許緒は?。
そう、賊徒の討伐をせずに逃げ出した官吏を信頼せず単独で討伐に乗り出した。
結果的に助けられる訳だが許緒の心境は察せられる。
無謀な事だと判っていても動かずには居られなかったという覚悟もだ。
(…そう、なんだよな…
突発的に発生するゲームのイベントとは違う…
だから、其処に至るまでの経緯は必ず存在している…
有り触れた悲劇でも…)
思わず立ち止まった。
“黄巾の乱”まで平和だと誰が決めたのか。
そんな甘い現実は無い。
追い払う事で耐えていると一目で判る村の現状。
何とか、首の皮一枚で凌ぎ繋げている。
それが判ってしまう。
視線を巡らせるだけで俺に申し訳無さそうに顔を伏せ口を噤んでしまう典韋。
その頭を自然と撫でていた事は仕方が無いだろう。
疚しい気持ちは無い。
同情──が無いとは流石に言い切れないが、同情して慰める訳ではない。
村の防衛の要だろう彼女の苦労と努力、覚悟に対して敬意を持っての事。
決して子供扱いではない。
「…厳しいのか?」
「……はい、正直に言って次は持たないと思います」
「村を棄てる事は?」
そう訊ねると典韋は静かに首を横に振った。
そんな気はしていた。
こんな時代だ、他所に移り生き延びたとしても何時か再び賊徒に襲われる。
或いは移住の間に襲われて終わってしまう事も十分に考えられるだろう。
それなら、長年住み続けた場所で最後まで抗い、結果亡くなった方が良い。
そういう考えだろう。
「…皆、私達に「村を出て自分の為に生きなさい」と言ってくれますが…
そんな事、出来ません
故郷を見捨てるなんて…
私には出来ないんです…」
「…“私達”というと?」
「あ、はい…許緒っていう幼馴染みが居るんです
その彼女の事です
私達が中心に為って賊徒を追い払っていましたから」
「…今は違うのか?」
「……村を救いたい
その気持ちが強過ぎて…
一人で賊徒を倒す気で村を飛び出して行ったんです…
……怪我とかしていないといいんですけど…」
ある意味、共倒れ一直線。
典韋一人では村を守れず、許緒一人では返り討ち。
原作では曹操達に助けられ村も救われるのだが。
これは現実、原作ではない。
ただ、お陰で今が原作上の何時頃なのか判った。
それは大きな情報だ。
これだけでも違うから。
後は、自分がどうするか。
それを決めるだけだ。
とある街に有る屋敷。
その一室にて四人の人物が卓を挟み、話していた。
「──だからさ、俺が居た世界じゃ真名なんて風習は無いんだよ
強いて言えば…一刀が俺の真名に当たるのかな?」
「──っ!?」
「な、なんと…」
「むぅ…」
「…へっ?、な、何だよ?
ど、どうしたんだ?
何か変な事言ったか?」
「…いや、此方等としては予想外だったものでな…」
盗賊を追っていた中、妙な人物を保護した曹操達。
その者──北郷一刀と言う男を取り調べていた。
彼の話は信じ難い物だが、納得せざるを得ない部分も幾つか有り、曹操達は彼を一先ず信じる事にした。
その話の流れで出た真名に関する話で、困っていた。
(…普通ならば真名を呼ぶ事を許している彼に対して私達も真名を預けるべき所なのでしょうけど…
抑、彼の居た世界には真名という風習自体が無い…
ならば、此方等の価値観で合わせてしまうのは早計と考えるべきでしょうね)
そう考え、三人を見る。
あの春蘭さえ真名の件では戸惑っている。
それ程に私達にとっては、真名というのは重要。
だけど、彼は違う。
勿論、彼を雇用するという旨を約束した以上、其処は学習して貰うけれど。
現時点での彼に、私達から真名を預ける理由は無い。
「北郷、でいいわね?」
「え?、あ、ああ…」
「貴男の居た世界に真名の風習は無いのよね?
それなら、貴男達が姓名を名乗った時、其方等的には何と呼ぶのかしら?」
「初対面だと名字──姓で呼ぶのが普通だな
俺の場合は北郷、北郷君、北郷さん、みたいに」
「名を呼ぶ事は無いの?」
「個人に因ってはみょ──姓が被る場合が有るから、「下の名前で呼んで」って言う事は有るけど、普通は初対面で呼ばないかな
勿論、人によっては平気で名前を呼ぶ奴も居るけど」
「それで罪に問う事は?」
「無い無い!、そんな事で罪には為らないって!
精々、注意する位だよ
嫌なら無視して関係を持つ必要は無いんだから」
「つまり私達の姓名や字に近い扱いで、真名が無い
そういう事でいいのね?」
「多分、有ってると思う」
「多分とは何だっ!
はっきりと言わんかっ!」
「無茶言うなっ!、此方の呼び方の常識とか俺は全然知らないんだから!」
騒がしい二人は放置して、秋蘭に顔を向ける。
春蘭とは違い、彼女は私の質問の意図を察しており、小さく首肯してくる。
「北郷?、貴男にとっては慣れない風習でしょうけど此方等の世界で生きる以上身に付くなくてならないと理解しているわね?」
「…死にたくないしな」
「ええ、それで構わないわ
此方等の者の名を呼ぶ際に注意する事は当然だけれど先ず名乗り合う習慣を身に付けなさい
そうすれば真名を口にする可能性は減るわ」
「あ、そっか…」
「それ位気付きなさい」と言いたくなるけれど、今の彼の置かれた状況では私も咄嗟には対処し切れずに、失敗する可能性が高い。
それ程に彼の状況は異常で有り得ない事なのよ。
それでも、現状で帰る術が無い以上は生きる為に色々学ばなくてはならない。
幸いにも彼の世界の教育は非常に高い様で、彼自身も此方等の庶民よりも優れた思考力は有るみたいだから時間さえ有れば大抵の事は慣れてしまうでしょう。
勿論、努力は必要だけど。
「それから私達は基本的に貴男の事は北郷と呼ぶわ
私達の事は…姓名でいいわ
今の貴男には字の扱い方は難しいでしょうから」
「あー…やっぱり、それも首が刎ねる感じ?」
「其処は人に因るわね
気位が無駄に高い相手だと格下に字を呼ばれるだけで怒る様な輩も居るわ」
「…………」
「ん?、何故私を見る?」
「いや、別に…」
彼の言いたい事が判るから私と秋蘭は密かに心の中で溜め息を吐いてしまう。
彼を見倣って、少しは学ぶ努力をして欲しいわね。
…まあ、そんな春蘭の質も憎めないのだけれど。
「それから、もしも貴男が真名を預けられた場合には下の名前を真名として扱い預ける様にしなさい」
「えっと…大丈夫か?」
「其処は貴男次第ね
名乗る際には、北郷だけに留めて置けば大丈夫よ
それ位の対策なら直ぐでも出来るでしょう?」
「そう、だな…フルネ──じゃなくて、姓だけで挨拶する事も有るから…うん、問題は無いと思う」
何かを言い掛けたけれど、それは多分、彼我の世界の言葉・用語の違いね。
彼が慣れる事は勿論だけど私達も彼が“違う”のだと認識を持たなくては注意や指摘は一方的過ぎる理不尽になるでしょうね。
「取り敢えず注意点は以上という所ね、何か訊きたい事は有るかしら?」
「…え〜と…その、真名が重要で許可無く呼ぶと首が飛ぶって事は判ったけど、聞く分には平気なのか?
ほら、今も三人は御互いに真名で呼んでるんだけど、それって御互いに許してる事が前提だろ?
でも、俺は違う訳で…
俺が聞いてる状況で呼んで平気なのかなって…」
「ああ、成る程ね
許される・預けられる事が無い限りは口にしては駄目なのは話した通りよ
だけど、その基準は個人に委ねられるから様々ね
加えて、真名を呼ぶ状況に関しては家風や地域性等が関係する為、此方も統一はされてはいないわ
真名を知らない者が居ても真名を呼び合う事も有るし真名を知らない者が居れば真名は口にしない事も有るといった感じでね
その辺りも個人の価値観に委ねられているわ
ただ、大前提として真名の重要性は共通理解であり、迂闊には口にしない…
その為に“名乗り”という習慣も存在するのよ
私達の場合は聞いていても咎めはしないし、聞かせる事でさえ嫌な相手の前だと字を使うわね
そういった使い分けの為に字という風習も有るのよ
だから、相手の話を聞けば窺い知れる以上、その辺は自分で気を付けなさい
あと、言葉使いに関しても少しは意識しなさい
私達は貴男から話を聞いて理解はしているけど、皆が同じではないわ
そういう配慮はしなさい
死にたくなければね」
「…肝に命じて置きます」
「宜しい、他には?」
「え〜と…盗賊の追跡?、してるんだよな?
俺はどうしたら?
待ってれば良いのか?」
「馬鹿か貴様は?
同行しないで相手の確認をどう遣って行うのだ?」
「…ですよねぇ…」
「ふふっ、そういう事よ
まあ、頑張りなさい」




