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「佐藤一斎『重職心得箇条』を読む」 の十五、



 めりーくりすます(ちょっと過ぎました)。

 

 とあるようつべの動画によりますと、イエス・キリストにお誕生日おめでとうございます。と言えばご本人にきちんと通じるんだとか。神秘。別に、イエスの本当の誕生日はいつか、なんてさしたる問題ではないようです。


 なら、わたしが安岡先生に申し上げる寝言の数々も通じておるのでしょうか。こっ恥ずかしい>< まあ、泉下にお会い申し上げた時に(霊界では、レベルの低いものは高い階層の人に会いには行けず、高い階層から低い階層へと行くことはできるんだとか。なので安岡先生がわたしのところに行こう、と思ってくださればお会いできるw)ご挨拶ができる、と思えばこの生が終えるのもまた楽しみの一つではあります。-人-


 おこんばんはです。豊臣亨です。


 そして、この時期になると木々や木々に宿るフェアリーが喜んで光り輝くのだそうです。それを知覚できない非才の身が悲しいですが、まあ、その才がないということはその苦労を背負わなくてよい、ということなので仕方ありますまい。


 

 しかし、中共肺炎は収束する気配を見せず、それどころか新たな変異株も出現し世界の脅威のまま一年が終わろうとしておりますね。中共肺炎に始まり中共肺炎に終わる、そんな一年だったかも知れません。


 また、半島問題は一切解決の目処も見いだせず、悪化の一途をたどるのみ。まあ、問題とは言え、問題を起こしているのは一方的に向こう側なのでこちらとしては何もする必要性も無いわけですがね。ちなみに、ちょっと変なことを言い出しますと(いつも)( )、わたしが昨今気になるのが、文在寅を、日本ではまず間違いなくむんじぇいん、と言いますね。なんでわざわざハングルで呼んであげるんだろ?? と、すごく不思議に思っておりまして。


 だって、李承晩、これはなんて呼んでました? これは昔っから、りしょうばん、と呼ぶのであって、いすんまん、なんて呼び方聞いたことはないですよね。りしょうばんライン、と聞いたことはあっても、いすんまんライン、なんて聞いたことは一度もないんですよね。どうして急に日本人はハングル読みが好きになったんだろう?? ぶんざいいん、で良いような気がしますけどねぇ。ここは日本なんだし。ぶんざいいんの分際で! とス◯夫ばりに言っておれば良い気がしますが、如何。



 まあそれはともかく、では「佐藤一斎『重職心得箇条』を読む」 の十五、学びませう。




「【風儀は上より起こるものなり。人を猜疑し、蔭事を(あば)き、たとへば、誰に表向きかように申せども、内心はかようなりどと、掘り出す習いは(はなは)だあしし。上にこの風あらば、下必ずその習いとなりて、人心に癖を持つ。上下とも表裡両般の心ありて治めにくし。なにぶんこの六かしみを去り、その事の顕れたるままに公平の計ひにし、その風へ挽回したきものなり】




「風儀は上より起こるものなり」


 これは全くそのとおりです。


「人を猜疑し、蔭事を(あば)き、たとへば、誰に表向きかように申せども、内心はかようなりどと、掘り出す習いは(はなは)だあしし。上にこの風あらば、下必ずその習いとなりて、人心に癖を持つ」


 面白い言葉ですね。民衆、人心にこの癖をもつ、どうもすんなりしない。こういう癖のあるというのは始末が悪いものです。


「上下とも表裡両般の心ありて治めにくし。なにぶんこの六かしみを去り」


 表と裏がある、見えない所がある、陰で何をするかわからないというようにむつかしみを去ってということ、この「六かしむ」は当て字です。こういう所、大学者の一斎先生、一向にこだわらずに五、六の字をくだけて使っている。


 普通なら艱難の難という字を使うのですが、こういうユーモアと言いますか、屈託がないと言いますか、ここの文章の一つの特徴です」




 なるほどw


 しかし、猜疑心は歴史上常にある話でありまして、古来、中華の英雄が、皇帝になったとたん、家臣を疑い、妬み、大きな働きをなした家臣であろうが、いえ、大きな働きであればあるほどその実力を恐れられ、やがて族滅の憂き目をみた人たちも枚挙にいとまがないですね。


 なのでこういう言葉がありますね。



【四時の序、功ある者は去る】



 四時は四つの季節。四季がめぐるように、人間は大きく出世したら冬が来るように引退すべき。


 出世を果たした者は、皇帝から疑われ、または他の家臣からの讒言(ざんげん)(他者をおとしめるために嘘でもなんでもいいから悪しざまに告げ口すること)を回避すべく自ら身を引く。これが中華における最高の処世術とされました。日本でも平安時代は宮中闘争が激しく、讒言された菅原道真公が怨霊化した、などはとみに有名ですね。


 まあ、それはともかく、「風儀は上より起こるものなり」これこそが東洋思想の本流な気がしますね。


 ためしに、王道、とwikiで調べてみてください。



王道



「・「儒教」における理念。

夏・殷・周時代の理想とされた、優れた王がなすべき道。『洪範』内で箕子は武王に対し、王道は無偏無党(公平中立)である等と唱えている。

孟子はこれを、「仁徳」による統治とし、武力や策略による統治である「覇道」と対比させた。

・(王のための)楽な手段。古代ギリシアのユークリッドが、幾何学の学習について王に言った「学問に王道なし」が由来。後述の「正攻法」という意味での転用が用いられる以前は、学習についてこちらが常識であった。

・転じて21世紀では「正攻法」「定番」「定石」の意味で用いられるようになっている。俗用であるがかなり普及している」



 東洋では、非常に古い時代から、武力や策謀による「覇道」ではない学徳に優れた王による仁政を目指しました。これを「王道」といいます。


 それに対し、西洋では楽な方法を意味し、その楽な方法が定番、定石、に転じていった、と。


 孔子様が、




【己を(おさ)めて以って百姓を安すんずるは、堯舜(ぎょうしゅん)もそれなおこれを病めり】




 とおっしゃったように、東洋では大昔から、政治の中心は民でありその民を安んずる、平和に治めるのが王の役目であった。もっと言えば、民を平和に治めてはじめて王たる資格がある、価値がある、と考えていたわけです。そして、それは古代の聖王である堯舜のような英雄ですらそれには苦心惨憺した、とされます。なので悪政を行う王は、天命を失った、天命を失った王は廃しておk、という易姓革命の概念も沸き起こるわけです。


 だから、「風儀は上より起こるものなり」も、ここから発するものであり、上が王道を行い、正しくあることによって下々もそれにならうであろう、と必然考えるわけですね。


 東洋では、儒教国では、基本、この上が立つ、上が模範と成る、という考えで国が出来た(どこぞの半島は論外)。江戸時代だって、威風堂々たる軍事政権でありながら、儒教によって、儒教を立派に身に着けた武士が上に立つことによって治世が成り立つ、となったわけです。成功したかどうかはともかくとして、その理念だったわけですね。


 しかし、明治以降、日本は、東洋は、西洋のからくりによって政治を行うようになった。王道を、楽な道、と考える西洋思考によって政治を、世界経済を回すようになった。


 それで世界がどうなったか、人々は本当に安んずることができたのかどうか。まあ、火を見るより明らか。



 もっとも、東洋と西洋の学問の違いなどほとんどの人は気にしないようですけどね。むしろ、東洋の学問など棄てられて顧みられない。


 といったところで、「佐藤一斎『重職心得箇条』を読む」 の十五、はこれまで。



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