「佐藤一斎『重職心得箇条』を読む」 の十三、
したらば、「佐藤一斎『重職心得箇条』を読む」 の十三、ゆきましょう。
「【政事に抑揚の勢を取る事あり。有司上下に釣り合いを持つ事あり、よくよく弁ふべし。この所手に入れて信を以って貫き義を以って裁する時は、成し難き事はなかるべし】
これは特に申し上げるまでもないことです」
わおw
そ、そっすかw
では僭越ながらそれがしが噛み砕いてみまする。
政治には、その情勢によって上がったり下がったり時流に流されることもあり、また、人々が相集まってバランスを取ろうとすることもあり、きちんとわきまえなくてはいけない。
つまり、洞が峠を決め込んで日和見やったり、談合やったり密約したり、私欲我意で自分たちの好き勝手なことをするものであるから、
ここの所にメスをいれる時は、確信あるのなら断断乎として初心を貫徹し、正しく裁定すれば、やって出来ないことはない。
という意味になるのかな??
う~ん、これはなんとも言えませんね。
悪党が、なにゆえ悪党と言われるか。
党は自民党、自由党の党ですが、これは群れる、という意味だそうな。つまり、悪人は悪人同士でよく群れる、群れ集まるわけですね。だから、孔子様が【少正卯を誅す】でおっしゃるように、
【非に順いて沢】
悪いことをなして悪人に恩恵を与える人間だ、と悪人は悪党であって、群れ集まって悪事をなして利益をあげる。その人数が多ければ多いほどその勢力が巨大になってその利益も巨額になって誰も手が出せなくなる。いまの中共や(米国)もその筆頭です。
一人殺せば犯罪だが、万人殺せば英雄、ともいうように、悪事はそれが巨大であればあるほど手がつけられなくなるわけですね。
それに反して善党という言葉などないように、虚心坦懐で、己を省みて恬淡な善人は群れることをあんまりしない。なので悪党に簡単に蹴散らされてしまう。
孔子様が少正卯を誅すことができたのは2500年前だから孔子様の独断と権限でできたのであって、罪状もなにもない人物をいきなりとっ捕まえて殺す、なんてことが今時できるわけがない。それができるのは共産主義者だけです。
それが正義であればあるほど、実は悪人には煙たい、目障りなものであって余計に始末したくなるもの。おロシアで、心正しい記者が抹殺されているのもそういうことです。
まあ、別に悪党でなくても、今の日本の政治家や官僚、財界人に、ど正論を叩きつけて、それで彼らが「おっしゃる通り」と前非を悔いて改めることができるかどうか。
私利私欲にまみれまくり、名誉名声、地位立場に固執する人間に、正論を受け入れるだけの人間性があるかどうか。
もっとも、安岡先生も、だから言うまでもない、と一言で締めくくっているのかも知れませんが。
話は変わりますが、なんでもすべての人間は、生まれる時に、わたしは幸せになる! 人殺しや盗みなど悪事はしない! と神様に宣言して生まれてくるのだそうな。でも、現実はこれこの通り。重力に魂を引っ張られて人間はこうなってしまうのですね。ただ言えることは、重力に魂を引っ張られてそれで人生が終わるのが悪党なら、己の魂の純真を、自由を保つのが善人です。
どちらになるかは、自分の裁量しだい。
といったところで、「佐藤一斎『重職心得箇条』を読む」 の十三、これまで。