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「佐藤一斎『重職心得箇条』を読む」 の二、



 高市さんの演説を聞いて、総裁は高市さん一択、って感じですね。


 高市さんにはいい意味で日本のサッチャーになってほしいです。



 では、「佐藤一斎『重職心得箇条』を読む」 の二、参りましょう。




「【大臣の心得は、まづ諸有司の了簡を尽くさしめて、これを公平に裁決する所その職なるべし。


 もし有司の了簡より一層よき了簡有りとも、さして害なき時は、有司の議を用いるにしかず。


 有司を引き立て、気乗りよき様に駆使する事、要務にて候。また些少の過失に目つきて、人を容れ用る事ならねば、取るべき人は一人も無之様になるべし。功を以て過を補はしむる事可なり。


 また賢才という程のものは無くても、その藩だけの相応のものは有るべし。人々に()り嫌なく、愛憎の私心を捨て、用ゆべし。自分流儀のものを取り計るは、水へ水をさす類にて、塩梅を調和するに非ず。平生嫌ひな人をよく用るという事こそ手際なり。この工夫あるべし】




「大臣の心得は、まづ諸有司の了簡を尽くさしめて、これを公平に裁決する所その職なるべし」


 大臣たる者の心得。国家、藩、その存在の場の代表になる人はその下にいるいろいろの役目の人、つまり諸有司の了簡を尽くさしめなければならない。「了簡」の簡の字は、たいてい見るという字を書きますが、ここでは、簡という字を用いています。「りょうけん」と読みます。大変面白い熟語です。


「了」は悟るという意味である。悟るから物事を解決することができる。それで「おわる」という意味にもなる。「簡」は「選ぶ」、いろいろな問題を、これは要らない、これはどうでもいい、これはこうしなければならない、というように選ぶこと、そして選ぶということは、複雑なものに筋を通す、すなわち「簡」であり、シンプリファイです。


 いろいろの役目の人物に「それはこうだ」「こうすればいい」ということを十分に議論をさせ、その議論を公平に裁決するところが重職たる者の職務であろうということです。


「もし有司の了簡より一層よき了簡有りとも、さして害なき時は、有司の議を用いるにしかず。有司を引き立て、気乗りよき様に駆使する事、要務にて候」


 さして害のない事はそれぞれの役目の者のいう事を用いた方がよいという事です。そうするとその役目にある者は、自分の考えが通るから、「気乗りよき様に」了解し、賛成を得ることとなってまことに調子がよい。そのようのいろいろの役目の者を駆使することが重役たるものの肝腎のつとめだということですね。


「また些少の過失に目つきて、人を容れ用る事ならねば、取るべき人は一人も無之様になるべし」


 アラ探しをしたら、アラのない人間はいない。用うべき人間はなくなってしまうということです。


「功を以て過を補はしむる事可なり」


 これはあれの過失だ、いけないところだということがあれば、それに対する功業、手柄、つまりプラスを奨励してマイナスを補わせるようにしたらよい。


「また賢才という程のものは無くても、その藩だけの相応のものは有るべし」


 二百六十余の藩がある。それぞれの藩にはその藩だけの相応の者はあるだろう。 


「自分流儀のものを取り計るは、水へ水をさす類にて、塩梅を調和するに非ず」


 これではうまい味にはならない。料理にならない。


「平生嫌ひな人をよく用るという事こそ手際なり。この工夫あるべし」


 これは一斎先生の「重職心得箇条」の中で一つの名言といわれるものであります。どうも人間というものは好き嫌いがあって、いやだ嫌いだとなると、とかくその人を捨てるものであります。


 たとえ自分の気に入らなくても「できる」「これはよくやる」とか「これは正しい」「善い」ということになれば、たとえ嫌いな人間でもそれをよく用いる。才能を活用する。これが重職たるものの手際である。この工夫がなければならないということでもっともな意見です」




 このお話を伺ってまず思うのが漢の時代の宰相。


 漢の高祖崩御し、ついで漢をよく治めた宰相、蕭何(しょうか)もいよいよ病が重くなってしまった。その報を受けた曹参(そうさん)。この二人は若い頃からの知り合いで蕭何が上司、曹参が部下であったそう。仲が良かったとも悪かったとも言われますが、最初の頃はよくやっていたけれども、漢帝国が興り、蕭何が宰相に任じられる頃には二人の関係はギクシャクしてしまっていたのだそうな。


 で、曹参はこの時、都から離れた山東の地に左遷させられていたのだそうですが、蕭何、危篤の情報を受けてただちに都に帰る支度をせよ、と言い出した。それをみたご婦人が、蕭何に嫌われているあなたが次の宰相に指名されるはずがない、と言いますと、曹参は、何をいうか。我々の好き嫌いの問題などしょせん私事にすぎん。国家の大事にあの蕭何が大事を誤るはずがない、と言って引っ越し作業を進めていると、はたして都から宰相就任の命が下った、という話があるそうな。


 物事が勃興する時には、優れた人物がたくさん世に出ますが蕭何は私事を排し、よく国家のために生きたようであります。



 他にもアラ探し、のところ。昔、取り上げたこともありますがこういう言葉があります。




【二卵を以て干城の将を棄つ】



 

 これは春秋戦国時代のこと。孔子様のお孫さん、子思が衛の国に居るときのお話だとか。


 子思が苟変(こうへん)という男を将に薦めたそうな。しかし、衛侯が言うには、苟変は役人をしておった時、民に余計な税を課して鶏卵を二個づつとって食っておったような私腹を肥やす輩だ。よって用いないと。それを聞いた子思は、君子が人物を登用するのは、棟梁が材木を使うようなもので、その良い所を使い、また、悪いところなら悪いところなりに用います。ですから(やなぎ)(あずさ)が、大きな大木となって、たとえ朽ちた所があっても腕の良い棟梁はうまく使いこなします。


 いま卵二個ごときで干城、国の防壁となる大将を用いないとは、隣国には聞かせられない恥ずべき話です、と言ったとか。


 

 アラなんて探せばいくらでも探せる、しかし、そうした瞬間、人材は得られなくなる。


 いい人材は得にくく、失うなら一瞬。


 だから、昔の聖王は、




【周公、一沐に三度髪を握り、一飯に三度()を吐く】




 古代の周の時代。


 周公旦は、人材が訪ねてきたとなれば、入浴中でもそれを途中で止め、食事中であっても口の中の食べ物を戻して人材を出迎えた、とか。


 


 よき人材を得るのは本当に難しい。だから、古来、中華でもその人材を得、活用することに骨を砕いたわけですね。佐藤一斎先生はそういうことをおっしゃっておられるわけです。


 人の上に立つものが胆に銘ずべきお言葉でしょう。もっとも、ブラック、社畜、派遣は消耗品、が当たり前の現代日本でこれが理解できる上司がどれほどいるかは、わたしごときにわかるはずもありませんが。


 といったところで、「佐藤一斎『重職心得箇条』を読む」 の二、はここまで。


 したらば。



「多田くんは恋をしない」 OP・EDを聴きながら

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