『五輪書』を読む、の二。
中共肺炎下で五輪を開催すべきか、否か。五輪だけに。
断々乎として開催すべし、という人もいれば、アホくさい、返上すべし、という人もいるようで。そういった人々が、互いの利権やら主義主張によって相争っている。本来、憎むべきは中共肺炎のはずですが、眼前の人を敵として相争っている。注意をそらさせて本当の敵を見失う、というのも中共の謀略なんですかねぇ、それとも、目先で騒ぐしか能のない人の軽薄さかげんなのでしょうかねぇ。
おこんばんはです。豊臣亨です。
世の中はあいも変わらず。天下もと無事、小人これを乱す。善哉善哉。では、五輪書を読む、その二に参りませう。p85
【物事に付き、拍子は有るものなれども、とりわき兵法の拍子、鍛錬なくては及びがたきところなり。世の中の拍子あらはれてある事、乱舞の道、れい人管絃の拍子など、これ皆よくあふところのろくなる拍子なり。武芸の道にわたって、弓を射、鉄砲を放ち、馬に乗る事までも、拍子・調子はあり。
諸芸・諸能に至りても、拍子に背く事は有るべからず。また空なる事におゐても拍子はあり。武士の身の上にして、奉公に、身をしあぐる拍子、しさぐる拍子、筈のあふ拍子、筈のちがふ拍子あり。
あるいは商いの道、分限になる拍子、分限にてもそのたゆる拍子、道々につけて拍子の相違有る事なる。物事のさかゆる拍子、あとろふる拍子、よくよく分別すべし】
何事においても、拍子、リズム、タイミングというものはあるものであるが、とりわけ兵法においてはリズムが大切であり、鍛錬なしには身につかぬものである。
世の中でリズムがはっきりと認識されているのは、能の舞や楽人の楽器の音色などである。これはリズムがピタリと合うことによって非常に見事な拍子となる。
武芸の道においても、弓を射たり、鉄砲を撃ったり、乗馬で御すことまでもリズム・タイミングというものがある。様々な武芸・芸能においても、リズムを外すことはあってはならない。
また、目には見えないところにもきちんとリズムというものがあって、武士の人生にも大きなリズムと呼ぶべきものがあって、立身出世するようなリズム、零落するリズム、呼吸の合うリズム呼吸の合わないリズムというものがある。
あるいは商いの道にも同様のリズムがあって、財産を蓄えるリズム、財産を失うリズムというものがある。各々の道においてそういうものがあるのである。よくよく見極めねばならない。
すべて物事はリズムがあって、武芸の道でも商いの道でも、当然、舞や音楽にもあるわけで、そのリズムに乗れるか否かが重要なのだ、と説くわけです。
能とか楽でリズムを大事にするのはわかりますが、剣の道であろうとそこにリズムがあるし、しかも、武士の人生にもリズムがあって、波長が合うのも合わないのもリズムだし、立身出世するのも、没落するのもリズムである、と。武蔵はこの世の中をどのように見ていたのか、すごい気になりますね。
そう考えますと、あの戦国時代でもっともリズムが合ったのが太閤様であったのでしょうね。最初は今川家の武家に使えるけれども、リズムが合わず故郷に帰って織田家に仕えて、完璧にリズムをとらえてすごい速度で立身出世を果たした。しかし、小一郎さん、秀長さんなどを喪って、太閤殿下がどんどんリズムを外してどうしようもなくなった時、その後釜を狙ったのが権現様であった、と。
これはちょっと凄まじすぎてわたしの理解の範疇をはるかに超えますね。このリズムを完璧に捉えた武蔵が天下無双であったのもむべなるかな、でありましょう。p89
【右一流の兵法の道、朝な朝な夕な夕な勤めおこなふによって、おのづから広き心になって、多分一分の兵法として、世に伝ふるところ、はじめて書き顕す事、地水火風空、この五巻なり。われ兵法を学ばんと思ふ人は、道をおこなふ法あり。
第一に、よこしまになき事をおもふ所
第二に、道の鍛錬をする所
第三に、諸芸のさはる所
第四に、諸職の道を知る事
第五に、物事の損得をわきまゆる事
第六に、物事目利を仕覚ゆる事
第七に、目に見えぬ所を悟って知る事
第八に、わづかなる事にも気を付くる事
第九に、役に立たぬ事をせざる事】
「多分一分の兵法として、世に伝ふるところ」とは集団戦においても個人戦においても後世に伝えられるほどの兵法、ということ。剣の道に生きたいと思う者はこの心得で学ぶべし、というわけですがやはりここも凄まじい。
第一に、邪心を捨てよというわけです。
邪心と剣の修練と、どこに関連があるのかすぐにはわかりかねますが、本当の道を会得したものだけがわかる妙理、というものがあるのでしょう。それが、剣であれ弓であれ槍であれなんであれ、本当にその道を究極にまで極めたいと思うのならば、邪な人間ではそもそもすべてを理解することはできかねるのでしょう。
でも、そう考えれば確かに、共産主義者とか左翼イデオロギーの人間が、この世の理を理解できるわけがありませんから、やはり邪な人間では本質を会得することなどできるはずがないわけです。性格の悪い、性根の腐った人間であるけれども悟りを開いた達人など、宇宙開闢以来そんな人間があるはずがない。福沢諭吉のごときが、自分は無神論で無宗教だと、愚かにも得々としておりましたが、そもそもそういう下根の人間は物事の本質を理解せず、浅薄皮相に片付けるから結局すべてが軽薄に終始してしまうのであります。今時の日本人の多くは、歴史において様々な失敗を経た人類のもっとも着実敦厚な政治形態こそが民主主義である、と信じて疑わない。古来、東洋に何があって誰がいて何をして、東洋ではどういう思想があったのか、それを訪ねようとも不思議にも思わない。
第三、四は、剣客といえど、剣の修業だけしておればそれでいいというわけではなく、いろいろな職種、職能に触れることによって、己の心を広くする努力を怠るな、ということですね。戦国時代でここまで先進的で進取の気風に富んだ思想が他にあったでしょうか。もし、徳川幕府にこの精神があったら、鎖国などと言っておれなかったでありましょうね。もちろん、鎖国という状況も、日本人の精神をより一層純国産化するという益もあったので一概には排斥できないものではありますが。
第六は物事の本質的なところを悟ること。目利、でめさきとあるから目先かと思わせておいて、そうではなく本質的なところ。目利き、ということですね。
また第七がすごい。神や仏に祈る武蔵ですから、人智の及ばぬものがこの世にはうじゃうじゃあることをわきまえていたのでしょうね。
進歩的文化人、などと、すべて物事を物質世界にだけ視野を限定するから阿呆になる。物質世界だけで世界が終わるのなら、人間に道徳も正義も必要なわけがない。ただ利害と打算と契約関係だけで生きておればよいのです。まあ、事実、左翼はちゃんと利害と打算だけで生きておるので自分たちの主義主張をわきまえておるわけですが、結局、人間が堕落するしか能がないのでまともな人間を生み出すことなど永劫にない。当たり前のことであります。
神や仏という、人間をはるかに絶する偉大な存在、偉大な先駆者がありそれが今日も自分をじっとみている、自分を見守っているという認識があるから、人間は道徳や正義をもち、今日を生きるにあたっても悪に身を任せてはならん、と思えるわけです。神や仏を思想から排除すれば、人間は視点を上ではなく、下に向ける他ない。だから、虐殺だろうが圧政、弾圧だろうが蹂躙だろうがなんだってできる。「目に見えぬ所を悟って知る事」左翼イデオロギーは永劫これが理解できない。
では続きまして水の巻。p98
水の巻
【知恵をとぎ、天下の利非をわきまへ、物毎の善悪を知り、よろづに芸能、その道その道を渡り、世間の人に少しもだまされざるようにして後、兵法の知恵となる心なり。兵法の知恵におゐて、とりわき違ふ事有るものなり。戦の場万事せはしき時なりとも、兵法の道理をきわめ、動きなき心、よくよく吟味しべし】
知恵を磨くことによって社会の正道、邪道を心得、物事の善悪を理解し、様々な芸能・武芸に触れ、さらに、世間の人々から余計な影響を受けず、不動の自分を作り上げることによって兵法の知恵となるのだ。
とりわけ、兵法の知恵の場合は他とは違ってより一層の研鑽が必要なものである。それによって戦場のような常に慌ただしい状況下にあっても日常におけるように平常心をもてるものなのだ。よくよく考え尽くすことである。
色んなことを見聞きし、理解し、経験として蓄えることによって何事につけても迂闊に驚いたり、うろたえたりすることにない自分にできる。やはり白刃きらめく戦場にあって、平常心を保つ、というのはやはり特殊な修行が必要となるのでしょうね。
まあ、ゲームに出てくるゾンビさんにいつまで経っても驚いているわたしにはなかなかなし得ないことではありますが、とはいえ、世間の人に騙されないように生きるというのも大切なことかと。まあ、詐欺に合うのは多くの場合、金儲けとか高利率とか助平根性を利用されますが、昨今は振り込め詐欺のように身内に対する心情を利用してくるので、なかなか騙されないというのも難しいでしょうね。
それこそ、探偵のように鵜の目鷹の目でどんな些細なことでも見落とさないという集中力をもっていれば良いですが、それもなかなか厳しいものです。この度の中共肺炎でも、何が真実で何が嘘か見極められるようになりたいものであります。p102
【目の付けようは、大きに広く付くる目なり。観目二つの事、観の目強く、見の目弱く、遠き所を近く見、近き所を遠く見る事、兵法の専なり】
戦いの場においての目のくばり方は大きく広く、見渡すのである。目には、心で見る「観」の目と、目で見る「見」の目があるが、観の目を強くし、見の目を弱くするのである。離れた位置、近くの位置にある敵を距離とは関係なしに大局的に見ることが兵法の上ではとても大切なことである。
心眼とはよく物語などに出てきます。目で見るのではなく心で相手を見るのだ、といいますね。
相手の視線や体の向き、呼吸、力の入れ具合、足の体重のかけ方、そういったものを総合的に、本質的に捉えて相手の心を見抜く。相手を見るときも剣先とかを見るのではなく、体全体を、遠くをみるかのように見るのだそうな。
心で物事を理解しようとするからこそ、邪心を捨てないとメガネが曇ってしまって見通す力がなくなってしまうということでしょうか。素直で、かつ、様々な物事に触れて経験豊かになり、少々のことではうろたえたりしない。自分の心を明るく清らかに保つことで、そういう心配、動揺をなくす。
わたしも経験がありますが、悪事を働くと、その悪事がいつバレるかとビクビクすることになります。しかし、悪事を働かなければそもそもビクつく恐れがない。心配といいますか、余計な思考が一つ減る。パソコン的に考えますとタスクがなくせて処理の負担が減らせます。そういう心配、不安、動揺をなくして心を清く正しくし、物事を素直に見れば、心の曇りが晴れ、直感というものも働くのでしょうね。ちなみに、おでこには第三の目があり、そこで本質的な直感力というものが働くのだとかで、おでこというのは出しておかないといけないのだとか。そう考えますと、子供の時は「前髪」といいますが、元服してまげを結うようになったらおでこはばっちり出しますね。昔の日本人はそういうことをしっかり理解していたのでしょう。p120
【有構無構と言ふは、太刀を構ゆるといふ事あるべき事にあらず。されども、五方に置く事あれば、構へともなるべし。太刀は、敵の縁により、所により、契機に従い、いずれかの方に置きたりとも、その敵斬りように持つ心なり】
構えは有るが、構えなど無い。
何を言いたいかと言えば、刀を持って構えることにこだわるなということである。しかしながら、五つ、上段、中段、下段、右わき、左わきに構えるということは、一つの型にはまったものであるともいえよう。
大切なことは、太刀は、敵の出方をきっかけに、その場所、状況に応じてどの持ち方をしようとも、すべて敵を切りやすいようにもつことである。
太刀を持って構えるということは、そもそも第一の目的は敵を斬り殺すことにあるのであって、そのために構えがあるのであって、そもそもで言えば構えなどなくても敵を斬り殺すことはできるはずである、と。
構えとは、敵の攻撃に応ずる一つのとっかかりなのであるから、それに執着せず、自由に戦うべきだ、と。
よく言われるのが「守破離」でしょうか。師匠の教えをまずはしっかりと「守」り、そして教えが体に染み付くと今度はその型を「破」る、脱却する、そして、それすら突破して今度は自由になって「離」れる。大切な教えが自分の体に染み付いて馴染むからこそ、今度は、本当の自分にあった教えになってゆく、のだとか。武蔵は、そもそも太刀は、人を斬るためにあるのだから、構えとかにこだわってその本質を見失うな、というわけですね。わたしも、若い頃は安岡先生や色んな先生の本を読んで教えを身に着け、そこから独自の思想に至ってこうして偉そうにほざいておるわけで、「守破離」はわたしにもあったのかな。
それを思いますと、こうして生きていることは、実は生きていることが本来の目的ではなく、本来、人間に要求される目的を果たすためにこうして生きておるわけです。だが、悲しいかな、ほとんどの人間は、その本来の目的に思いを馳せることなく、現実や欲だの得だのに拘泥、泥み、堕落し、もったいなくも人生を消尽させる。
もし、人間の生きる目的が、金儲けだの出世栄達や名声を獲得することだのにあるのなら、この世に正義も倫理もあるはずがない。誰よりも強者になって弱者を皆殺しにすればよいのです。それが、約2000年もの昔に、どうして世界に四大聖人が現れたか。それを考えれば、人間の生きる目的などすぐに明らかになるはずなのです。そもそも、共産主義は悲惨で、自由主義はよい、というのなら、さらにもっと、そのさらなる進化、向上を目指してその本質を尋ねるべきなのですが、そこまでは誰も気にしないようであります。
では火の巻。p170
火の巻
【枕を抑ゆるとは、頭をあげさせずといふ心なり。兵法勝負に限って、人に我が身を回されて後につく事悪しし。いかにもして敵を自由に回したきなり】
「枕を抑える」とは、敵の頭を上げさせない、ということである。
兵法における勝負においては、敵に振り回され、後手後手に回ってしまうことは最悪である。なんとかして敵をこちらの思い通りに振り回したいものである。
ミサイルが超高速で飛来する現代で、「専守防衛」などと言っておる時点で勝負を捨てていると言って良いでしょう。
共産勢力や左翼におもねる必要のない昨今、そろそろこういう守勢根性をなんとかしないと、滅ぼされるのは自分だと分からないといけないのですが。p175
【渡を越すといふは、縦へば、海を渡るに瀬戸といふ所もあり、または、四十里五十里とも長き海を越す所を渡といふなり。人間の世を渡るにも、一代の内には、渡を越すといふ所多かるべし。船路にして、その渡の所を知り、舟の位を知り、日波を能く知りて、友舟は出さずとも、その時の位を受け、あるいはひらきの風にたより、あるいは追い風をも受け、もし風替りても、二里三里はろかずをもっても、湊に着くと心得て、舟を乗りとり、渡を越す所なり。その心を得て、人の世を渡るにも、一大事にかけて渡を越すと思ふ心有るべし】
「渡を越す」というのは、たとえば航海には瀬戸、海の難所というものがあり、または四十里五十里もの長い航海をすることもある、そういう難所を越える、苦難を経ることを渡を越す、と言う。
人間が生きることも、生涯においては数々の難所を越えることもある。船路にあっては、その難所を知り、船の性能を知り、波の良い日悪い日を知り、僚船はなくてもその状況に臨機応変し、或いは横風を頼り、或いは追い風を受け、もし風がなくなっても二里三里くらいなら自力でオールを漕いでも港に到着するつもりで船を操って難所を乗り越えるのだ。
そのつもりで、人生においても全力でことに当たらねばならない。
状況によってはすべて自力で行わねばならないこともある、と。まさしく。こういう、阿弥陀様がすべて救済してくださる、と考えないところに武士の武士たる由縁が見えますね。p184
【敵になるといふは、我が身を敵に成り替えて思ふべきといふ所なり。世の中をみるに、盗みなどして家の内へ取り籠もるやうなものをも、敵を強く思ひなすものなり。敵になりて思へば、世の中の人を皆相手とし、逃げ込みて、詮方無き心なり。
取り籠もるものは雉子なり。打ち果たし入る人は鷹なり。よくよく工夫あるべし。大きなる兵法にしても、敵をいへば、強く思ひて、大事にかくるものなり】
「敵になる」というのは、敵の身になって考えるということである。世の中では、盗人が家の中に立てこもることがあるが、その場合、立てこもる盗人のことを、強く恐ろしいもののように考えてしまうが、しかし、盗人の気持ちになって考えてみれば、世の中すべてを敵にまわして、逃げ場もなくして途方に暮れているものなのだ。
つまり、立てこもるのはキジであって、取り囲むのはタカなのである。
戦いの場でも同様に、とかく敵は強大なものと思い込んで、大層に構えて消極策をとりがちだ。
己を知り、敵を知れば、百戦して危うからず、ということでありましょう。
とはいえ昨今の、中共を侮る一部の考えには素直に賛同致しかねるところではあります。少なくとも、中共は核の傘とか、アメリカについていけば百年安泰とか、下らない畜生根性・奴隷根性はなく、すべて自力でやってきた意地と気概があるわけで、なにかあれば米国が助けれくれるだろう、などと他力救済を当て込んでいるような畜生風情とはそもそもの生に対する根性が天地の相違があるわけです。決して、侮ってかかれるような存在ではないことは明らかであります。もっとも、開戦となっても中共の兵器がすべて役立たずに終わってくれればこれほど幸いなこともないでしょうが。
したらば風の巻。風の巻は他流派に関する指摘ですね。p230
風の巻
【他流におゐて、強みの太刀といふ事。太刀に強き太刀、弱き太刀といふ事は、あるべからず。強き心にて振る太刀は、荒きものなり。荒きばかりにては勝ちがたし。また強き太刀といひて、人を斬る時にして、無理に強く斬らんとすれば、斬れざる心なり。試し物などに斬る心にも、強く斬らんとする事悪しし。
誰におゐても、敵と斬りやうに、弱く斬らん、強く斬らんと思ふものなし。唯人を斬り殺さんと思ふ時は、強き心もあらず、勿論弱き心にもあらず、敵の死ぬるほどと思ふ義なり】
他流派には、強く斬るとか弱く斬るとかあるようだが、そんなものがあるはずがない。
強い気持ちで切り込めば、太刀は荒立って粗雑になってしまう。荒立ってばかりでは勝ちにはつながりにくい。また、強き太刀とか言って、人を斬る時に無理に力を込めすぎれば、かえって切れにくいものだ。
据物を試し切りするにしたって、荒立って斬るのは良くない。
誰にしたって、敵と相対して、弱く斬ろう、強く斬ろうなどという思うことなどない。ただ、人を斬り殺すと思えば、強い心だの、弱い心だのない。ただ、殺すつもりで斬る、それだけである。
サムライスピリッツ、全否定、とw
でも、お互い剣を抜いている以上、目指すのはただ、敵を斬り殺すという結果のみであって、そこに強く切り込むだの、浅く切り込むだの余計なことを考えていては、勝てるものも勝てなくなる、ということでしょうかね。だいたい、日本刀でさくっと斬られたら、即座に致命傷になりそうですし。太ももとかサクッと斬られたらどれほど切り口が開くんですかね?w
ちなみに、ムダ知識ですが、戦国時代とかでは、さくっと斬れないように刀をわざと刃こぼれさせたのだとか。刃こぼれした、のこぎりみたいにギザギザした刀で斬られると傷がぐちゃぐちゃになって治りにくい傷になるのだとか。うへー><
また武蔵はこういうことも言っています。
【物毎に勝つといふ事、道理なくしては勝つ事あたわず】
余計なことを考えずに、素直に刀を振り下ろす、結果はそれから理の当然としてついてくる、と。
「そうあれかしと叫んで斬れば世界はするりと片付き申す」
って『HELLSING』では言ってましたがw p252
【兵法の速きといふ所、実の道にあらず。速きといふ事は、物毎に拍子の間にあはざるによって、速き遅きといふ心なり。その道上手になりては、はやく見へざる物なり。
縦へば、人に早道といひて、四十理五十理行くものもあり。これも朝より晩まで速く走るにてはなし。道のふかんなるものは、一日走るやうなれども、はかゆかざるものなり。
乱舞の道に、上手のうたふ謡に、下手のつけて歌えば、遅るる心ありて忙しきものなり。また、鼓・太鼓に老松をうつに、静かなる位なれども、下手はこれにもおくれ先立つ心あり。高砂は急なるくらいなれども、速きといふ事悪しし。
速きはこけるといひて、間に合わず、勿論遅きも悪しし。これも上手のする事はゆるゆると見へて、間の抜けざる所なり。諸事しつけたるもののする事は、忙しく見えざる物なり。このたとえをもって、道の理を知るべし】
兵法において速さを競うことは本当の道ではない。剣速を問題にする者は自身のリズムと合っていないことを気づかないものであり、それで速いとか遅いとかいってもしょうがない。
また、それがどんな道であろうとも、達人の場合はただ速くしているようには見えないものだ。
たとえば優れた飛脚などは一日に四十理五十理走るものもいる。朝から晩まで走り通しというわけではないが、未熟者は一日中走っていても成果につながらないものだ。舞でも、達人の謡に未熟者が追従しようとしても、どうしても遅くなってそれを挽回しようと急いでいるように見えるものだ。また、『老松』という能の演目では、あれは静かな曲なのだが未熟者が奏でると遅れが目立つ。『高砂』はテンポが速い曲だが、めったらやったら早ければよいというものではない。
「速きはこける」と言って、リズムが狂っているのに速く走ろうとすればコケやすくなるものだが、だからといって、とろとろ遅くすればよいというものでもない。達人のすることはゆったりとしているが、きちんと勘所、急所をとらえてリズムが完璧なものだ。何事につけて、達人の行いには忙しない感じは一切ない。この喩えで道理を理解するように。
ここまでねんごろな例えのある兵法指南書が他にあるだろうか、って感じですね。ここまで言われて盲滅法に速さにこだわる人もいないでしょう。素晴らしい例えでございます。p256
【他流に、奥表といふ事。
兵法のことにおゐて、いづれを表といひ、いづれを奥といわん。芸により、ことにふれて、極意・秘伝などといひて、奥口あれども、敵と打ち合う時の理におゐては、表に戦い、奥をもって斬るといふ事にあらず。我が兵法のおしへやうは、初めて道を学ぶ人には、その技のなりよき所をさせならはせ、合点のはやくゆく理を先におしへ、心の及びがたき事をば、その人の心をほどくる所を見分けて、次第次第に深き所の理を後におしゆる心なり】
そもそも兵法にあたって、何を「表(入り口)」何を「奥(奥義)」ということができようか。
芸によってはときおり、「極意」・「秘伝」などと称して奥義に通ずる入り口があるけれども、いざ実際に敵と打ち合うとなって「表」で戦い、「裏」で斬るなどというわけにはいくまい。
我が兵法を門下に教える場合には、初心者にはその人の技量に合わせ、早くできそうなところからまず習わせ、理解できそうな道理から教える。初めは理解できそうにないなら、その人の修行が進めば徐々に深い道理を教えてゆくのだ。
格闘ゲーム、全否定、とw
そりゃまあ、太刀をとって戦うのに、通常技、必殺技、とかあるわけがない。まあ、昔から、スペシウム光線一発で倒せるのなら三分戦う必要ないよね、とか思いますけどね。ただ、それをすると物語すべてが面白くなくなるし、ゲームでもラスボスは二回ぐらい変身があるわけで、最初っから最終形態だと、プレイヤーもあんまり緊張しないといいますか、面白みがないといいますかw
それはともかく、その人の理解度に合わせて徐々に教える濃度を濃くしてゆく、というのは大昔からやっていることですね。
禅の問答『公案』では、
「仏に至る道を教えて下さい」というものぐさな雲水に、趙州和尚(唐の時代の名僧)が、
「墻外底(道ならほら、垣根の外にあるだろ)! 」と言い放った。墻外とは垣根の外側。で、
「いえ、わたしはそんな小道をお尋ねしているのではありません、仏に至るための大道をお尋ねしているのです」という雲水に、また和尚様は、
「大道長安に通ず」と言ったとか。
あくまで観念的、空想的に道を論じたって何の意味も価値もない。それどころか、ますます現実を遊離し空想の世界に乖離する恐れすらある。和尚様は、道とはそういう空理空論にあるのではなく、あくまで自分の足をもってしっかりと踏みしめてきた現実の道にこそあるのだ、と教えてくださるわけです。まあ、その雲水がそれに気づいたのかどうかは不明ですが。
カントのところでもみましたが、
「ところで我々は、最高善としての神の概念を、どこから得たのだろうか。他ならぬ理念から得たのである、理性が道徳的完全性についてア・プリオリに構想し、自由意志の概念と不可分離的に結びつけたところの理念に求めたのである」
神の概念を、てめえのオツムにある「理念」から得たのだ、しかも、自由意志の概念によってね! などとほざく連中には永劫、趙州和尚の「墻外底!」は理解できないでしょう。そういう意味で、仏に至る大道を、人に聞けばなんとかなると考える雲水と、カントは同種の人間です。
仏という大理想に至るその道順は己の踏みしめる道によってのみなし得るのです。自分の歩く日常を一歩一歩と着実に、堅実に正しく生きることによって、ようやくそれがやがて大道長安、大理想仏に通ずるのであります。空理空論でそれがなしうるのならバモイドオキ神でも拝んでおれば良い。
では空の巻。空の巻はこの五輪書の総括的な位置づけであり、もっとも深淵的で本質的な箇所となります。p264
空の巻
【二刀一流の兵法の道、空の巻として書きあらわす事、空といふ心は、物毎のなき所、知れざる事を空と見たつるなり。勿論空はなきなり。ある所を知りてなき所を知る、これすなわち空なり。
世の中におゐて、悪しく見れば、物をわきまへざる所を空と見る所、実の空にあらず、皆迷ふ心なり。この兵法の道におゐても、武士として道をおこなふに、士の法を知らざる所、空にはあらずして、色々迷ひありて、せんかたなき所を、空といふなれども、これ実の空にあらざるなり。
武士は兵法の道を慥に覚へ、その他武芸を能く勤め、武士の行ふ道、少しもくらからず、心の迷ふ所なく、朝々時々におこたらず、心意二つの心を磨き、観見二つの眼を研ぎ、少しも曇りなく、迷ひの雲の晴れたる所こそ、実の空と知るべきなり。実の道を知らざる間は、仏法によらず、おのれおのれは慥なる道と思ひ、良き事と思へども、心の直道よりして、世の大かねにあわせて見る時は、その身その身の心の贔屓、その目その目のひずみによって、実の道に背く物なり。その心を知って、直ぐなる所を本とし、実の心を道として、兵法を広く行ひ、正しく明らかに、大きなる所を思ひとって、空を道として、道を空を見る所なり。
空は善有り、悪は無し。智は有なり、利は有なり、道は有なり、心は空なり】
我が二刀流の兵法における道を、空の巻としてここに書きあらわす。
「空」という心とは、物としての形がないこと、形として知ることができないことを「空」と見るのである。もちろん、「空」とは何もないことを指す。物事が「有る」ことを知ることによって、はじめて「無い」であることがわかる。これがすなわち「空」である。
卑近なものの見方では、物事の道理を曖昧にすることを空だとしているが、これは本当の「空」ではない。それは心の迷いに他ならない。
この兵法の道においても、武士として修道を行うのに、武士の心得を知らないことが「空」なのではなく、色々と迷い、葛藤や苦悩を「空」と言っておるようだが、これもまた真の「空」ではない。
武士として剣の修業を確実に行い、様々な武芸を身に着け往くべき道を明らかに、そして心に迷いがなく、日々刻々怠ることなく「精神」と「意志」の二つの心を磨き、「観」と「見」の二つの眼識を養い、心中の曇りを去り、胸中の迷いの雲が晴れた境地こそ、真の「空」であると知るべきだ。
真の道を悟らぬうちは、仏の道を知らず、世間の道理にも疎く、自分だけは正しい道だと思い込み、至善だと思い込んでいるが、本質的な位置から見、これを世間の基準に照らしてみる時には、その人その人の贔屓目や偏ったものの見方が原因で正しい道からはずれているのである。
このことをよくよくわきまえ、まっすぐな精神を基本とし、正しい心を大道として、兵法の道を大いにすすめ、正しく明らかに、大局を掴み「空を道、道を空」と理解することである。
空には善はあるが、悪はない。
知恵を磨き、道理を得て、大道を往く時、心は空となる。
剣禅一如。
武蔵によってこの一語を強く感得するところであります。
その道が、剣であろうが槍であろうが弓であろうが、まったく関係ない。正しい心をもって、正しいものの観方をもって、正しい道を往く時、その心は有りて無きが如し、すべての物事を理解し、すべての事物を受け入れ、空へと至る。そして、
「物事が「有る」ことを知ることによって、はじめて「無い」であることがわかる」
変なことを言い出せば、どうして孔子様自らが王となって統治し、民衆を教え導く手段をとらなかったか。
どうしてお釈迦様は王位を棄て、出家に走ったか。
どうしてキリストは十字架を背負って磔刑をうけたか。
どうしてソクラテスは従容として毒杯をあおったか。
世界は「有る」ことであると分かった時、それは同時に「無い」ことであることを思い知る。それは何故か。空には善はあるが、悪はないが故に。
カナダの精神科医エリック・バーンは言う。
「過去と他人は変えられない。しかし、未来と自分は変えられる」
これこそが、すべての真理であり、悟りというのです。
さて、武蔵の至った心の境地を伺ったところで、いったん話題を変更しまして。こういうお話を聞いたことはないでしょうか。かの、巌流島での佐々木小次郎との戦いの後、実は小次郎は武蔵の弟子たちによって撲殺されてしまったのだ~、ってなお話。
そんなことが起こりうるのかどうか、今度は安岡先生の書から伺ってみましょう。こたびお伺いするのは、
『士学論講 いかに人物を練るか』 致知出版社から p151
「彼が二十九の年、慶長十七(1612)年四月、豊前船島で佐々木小次郎と戦ったのが最も有名である。一は死生の境に出入して鍛錬された武蔵の挙止を観るためと、さらにまたこれも名誉の武士であった佐々木小次郎の冤を雪ぐために、この時の真相をいささか伝えておこう。
佐々木小次郎は巌流と号し、武蔵の父を闇討ちして逃げた卑怯者のように俗間に伝えられているが、それは明白にとんでもない謬説である。
小次郎は中条流に名高き富田一家の勢源入道の高弟で、師の免許を得てから諸国を修行して大いに武名を揚げ、ついに自ら巌流という一派を開き、廻り廻って豊前小倉に着き、ここで藩主細川忠興の礼遇を受けて藩士に稽古をつけていた。たまたまそこへ宮本武蔵が西下して落ち合ったので、自然両雄の間に腕を較べねばならないようになったのである。
『二天記(武蔵の弟子の談話を集めた武蔵伝)』によれば、武蔵が京都にいて小次郎の勇名を聞き、腕試しにはるばる京都から父の弟子であった細川家の老臣長岡佐渡を頼って行ったように書かれている。
俗伝では、巌流に「燕返し」という秘術があって、これは小次郎がある日、柳枝を掠めて飛ぶ燕を観て、豁然として悟入した剣法であるといわれている。
この話はいかにも我々の気合に投ずる趣味深い伝説であるが、武蔵研究科は一様にこれを否定している。そして巌流の秘術は燕返しではなくて『撃剣叢談(岡村藩士、源徳修が見聞した各剣術家の概要まとめ)』にあるように「虎切」である。
これは別に「一心一刀」ともいって、大太刀を真っ向に拝み打ちするように構えて、つかつかと進み、敵の鼻先を目付にして、やにわに平地まで打ち込む。あるいは打つなり屈んでいて、上より打つところを担ぎ上げて勝つのである。因州鳥取に小谷新右衛門という者も、やはりこの流であったと説かれているが、これを燕返しといってもまたしっくり契合するように思われる。あるいは剣客が、自己の趣味から燕返しとも虎切ともいったのであるまいか。
とにかく両雄の出会いによって、慶長十七(1612)年四月十三日、いよいよ小倉沖の船島で、双方の贔屓立て(後援者の立ち会い)、または見物など堅く禁止するという触れのもとに勝負することになった。
そして小次郎は藩主忠興の船で、武蔵は家老佐渡の船で護送されることになった。わざわざ船島を択んだことや、見物・贔屓立て禁止の触れによっても、当事者の心遣いが察せられる。武蔵は武蔵でまたこの勝負のために、藩主と家老との間に妙な感情の衝突でも起こるとすまないと考えて、彼は当日、佐渡の船で渡ることは遠慮したいと考えた。
ちょうど前日十二日、改めて正式に明日辰の上刻(午前七時頃)佐渡の船で渡るように申し渡された時、彼は委細領承しておいて、その夜フイと姿を消した。
さあ後は大変である。さすがの彼もいざとなって怯気がさしたのであろうと、中にはしきりに悪口するものもある。佐渡も気が気でなく、だんだん人を派して調べてみると、彼は対岸下関の船問屋の座敷に悠然と坐っていた。そして、使いの者に一書を持たして、佐渡に挨拶した。
【明日試合の儀には私事其許様(貴方様)御船にて向島につかわさるべき旨仰せ聞けられ重畳(かさねがさね)御心遣いの段忝く存じ奉り候。しかれどもこの度私と小次郎とは敵対の者にて御座候。しかるに小次郎は忠興様御船にて遣され、私は其許様御船にてつかわされ候旨に御座候処、ご主人に対せられいかがわしく存じ奉り候。
私にはおかまいなされず候て、しかるべく存じ奉り候。この段御直に申しあぐべきと存じ候ども、御承引なさるまじく存じ候に付きわざわざ申し上げず候あいだ、爰元(こちらとか、わたくし。この場合はこちら)へ参りおり申し候。御船の儀は幾重にも御断り申し上げ候。明朝は爰元船にて向島へ渡り候事少しも差し支えご座無く候。よき時分参り申すべく御座候あいだ、左様におぼしめさるべく候。以上】
明日の試合には御家老の佐渡様の用意くださる船にて向島に渡してくださると伺っており、重ね重ねのお心遣い、かたじけなく思っております。ですが、この度においてはわたしと小次郎とはかの地にて戦うものであり、さらに小次郎は藩主忠興様の船で、わたしは御家老の佐渡様の船で島へ渡るとのことで、これでは主君に対していかがなものでございましょうか。
どうか、わたしにはお構いくだされますな。本来なら、直接申し上げるべきですが、そう申したとてご承知くださるとも思えず申し上げにくかった次第であり、こちらに向かいました次第でありますので、渡し船の件はご辞退申し上げる次第であります。
明朝は、こちらで用意した船で向島に渡りますので、何の問題もございません。頃合いを見計らって向かいますのでそのように、ご承知おきください。
この武蔵の念の届いた挨拶のため、なるほどというので自然、藩主の船で小次郎を護送することも沙汰止みとなった。
かくて翌日、彼は平然と起き出で、大事の決闘を他人事のように、ゆるゆる朝飯を食い終わって、亭主から一挺の櫂を取り寄せ、それを四尺余りの木刀に削り、火のつくような渡海の催促に少しも動ぜず、身軽に出で立って、たった一人の船頭に船を漕がして約束の時刻に船島に着いた。
着くと彼は腿立ち(袴の側面にある大きく開いた部分。動きやすくするためにたくしあげて腰の紐にはさむことを腿立ちをとるという)高くとって脇差を帯し、大木刀を提げて、素足のままひらりと渚に下り、手ぬぐいを取って鉢巻をし、ゆうゆうと歩を運んだ。
先刻から待ちかねた小次郎は大いに焦って、武蔵をめがけて憤然と歩み寄り、遅いぞ遅いぞと声高に罵るのを、武蔵はなおも聞こえぬふりしてゆっくりと歩を運ぶ。
堪えかねた小次郎はやにわに太刀の鞘を投げ棄てて、つかつかと進み寄って武蔵を待つ。武蔵はにっこり笑みを含んで、小次郎、お前は負けるぞと声をかけた。
何! と気色ばむ小次郎に、それが分からぬか。鞘を棄てたが負ける証拠だと、さらに一矢を放った。
烈火の如く怒った小次郎が、虎切の一刀雷光の如く斬り込むが速いか、すでに武蔵の木刀は発矢(擬音のこと)と小次郎の眉間を打った。打たれてどうと倒れながらに払った小次郎の一刀は、武蔵の裳裾を三寸ほどぱっと斬り裂いたが、同時に打ち下ろした武蔵の木刀に彼はしたたか横腹を打たれて、血を吐いて絶息した。
武蔵は小次郎の死活をうかがうことしばし、やがて検使に向かって一礼し、そのまま元の舟に乗って下関に引き上げた。
この時、彼が小次郎の止めを刺さなかったことを後になっていろいろ取り沙汰するものもあったが、武蔵はいった。止めを刺すということは怨敵の所作である。我と彼とはただ兵法を較べただけであるから、勝って後まで止めを刺す理由はないと。隅から隅まで行き届いた心遣いである」
これを伺えば明らかなように、武蔵と小次郎はただ、時たまたま腕くらべをしたまでであり、そこに恨みも怒りもない。しかも、この戦いは小倉藩主細川忠興が注意深く見守る決闘であります。にもかかわらず、その後、武蔵の弟子が小次郎を袋叩きになどすれば、たちまち武蔵の監督不行き届きになるでしょう。下手すれば切腹ものです。そんなことあるはずがありません。
武蔵はどこまでも気遣いの人であり、常に様々に注意を払っていたのはここにおいてもはっきりと分かります。
二本の刀で戦う稀代の剣客でありながら、まるで禅僧のような心憎いまでの気配り。
確かに、現代においてはもはや真剣でもって相対することなど絶対にないでしょうが、しかし、武蔵の至った心情、心のありようは現代にあっても決して色褪せることも一笑に付すようなものでもありません。真面目に、心正しく、一生懸命生きておれば、誰しもがそこに到れる可能性があることを、武蔵は自身の一生を以て示したのであります。
燦然と輝く道標として、今も有り続けるのであります。
さて、この度の中共肺炎騒ぎを、武蔵が観たらどのように評すでしょうね。五輪は、開催すべきでしょうかね。まあ、問うまでもないとは思いますが。といったところで、『五輪書』を読む、はここまで。
したらば。
「信長の忍び」の各OPを聴きながら。その中でも『徒桜』が一番好きですかね~。
「信長の忍び」の各OPを聴きながら。その中でも『徒桜』が一番好きですかね~。