『五輪書』を読む。
また最近、ラーメン屋さんなどが夜8時を過ぎると閉店するようになった………。
右へ倣え! でみんな同じ行動をとらないと非国民呼ばわりされかねないので仕方がないとは言え、夜の8時を過ぎて営業している店と、自粛した店で中共肺炎感染率がどれほど違うのか、きちんと数字として分かっておるんですかね。
「手をこまねいていれば」
って、緊急事態宣言だして、それでぼへーーーっと事態をただ眺めておったのは一体どこの誰なのか。もはや昨今の為政者は日本語の理解力もなくしてしまったのかな。前為政者より大したこと無いんじゃないか、って言われてましたがやっぱり大したこと無いw
しかし、それはさておき、昨今の自粛ムードのおかげでわたしにはメリットがありました。
それは何かといいますと、ラーメン屋さんが早々にしまってしまうので、どうしてもラーメンが食べたくなるとスーパーなどで生麺を買うしかないわけですが、そうなると味もさることながら、トッピングがないのでどうしても何かを追加したくなるのが人情というもの。で、最近はおネギさんを買ってきて輪切りにして大量に添えるようになりました。で、おネギさんを食べるようになってから、年のせいか最近とみに増えつつあった胃のむかつきとか、もたれ、痛みとかが結構改善されてきたように感じます。
昔からおネギさんの健康効果は高いと知られているわけですが、とはいえ何かこれという目的がないとそうそう頻繁には買わないのも人情というもので、この自粛のおかげでおネギさんをたくさん食べるようになった。人間万事塞翁がんま。何がメリットで何がデメリットかは、やはりよくわからないもの。という、いつものお話でした~。ウッキー。
さて。
おこんばんはです。豊臣亨です。
今回は日本人なら名前くらいは聞いたことのある『五輪書』を読んでみましょう。
これは誰もが知っている、戦国末の稀代の天才剣豪、宮本武蔵が書き残した剣術兵法書であります。しかし、一代の天才が、剣に人生を捧げて会得したものを書き記したわけで、そこにあるのは何も剣術のみに着目するにはあらず。色々考えさせられるところ、得るところがあるわけです。とは申せなにぶん、剣の道をもって敵に勝つ、のが本書の目的なわけで、竹刀すらまともに振ったことのないおっさんには、大半が無用の長物。なので今回は剣術とはあまり関係ないそれ以外の、気になるところをみてみたいと思う次第であります。
で、今回読むのは「今こそ名著 五輪書 わが道をひらく」 前田信弘著 JMAM 日本能率協会マネジメントセンター発行 から見てみませう。お、今回は安岡先生の本じゃないんかい、と思った方。大丈夫。ちゃんと先生の本も出てきますw
さてこの本は、ビジネスの視点で読み込んでおりまして、昨今は日本人だけでなく欧米人も、ビジネス書として『五輪書』を読む人がいる、と申されていますね。最近はビジネスとか自己啓発とかで古典を紹介するのも当たり前になったことですし、とっつきにくい古典を手軽に、気軽に読めるのもひとつはメリットでありましょう。
では、そもそも『五輪書』の五輪、とは何かといいますと、p22
「地の巻」 「直なる道の地形を引きならす」 兵法におけるまっすぐな道の地ならしをすること、になぞらえ全体の構成を示している。
「水の巻」 「水は方円のうつわものに随ひ、一てきとなり、滄海となる」 水というものは四角い器でも、円い器でもそれにあわせて形をかえる。水は一滴ともなり、また大海ともなる、として『五輪書』の中核として位置づけられる。
「火の巻」 「火は大小となり、けやけき心なる」 火は大きくなったり、小さくなったり、すさまじい勢いをもっている、ことになぞらえ、戦闘、勝負のことが記されている。
「風の巻」 「風といふにおゐては、むかしの風、今の風、その家々の風」 風というのは、むかし風とか、今風とか、それぞれの家風、として、世間の兵法について各流派の内容を説明している。
「空の巻」 「おのれの実の道に入る事を、空の巻にして書きとどむ」 自然に真の兵法の道に入ることを、空の巻として書き留める、ものとし、全体をまとめる。
とありまして地水火風空の五つの章で構成される書のこと。この書を残したとされる武蔵やお弟子さんは、当初は「五巻」とか、「地水火風空之五巻」と呼んでいて、五輪とは呼ばなかったのが、後の世に仏教概念から五輪書と呼ぶようになったのだとか。
では、さっそく本題に入りたい、とは思いますがこの『五輪書』と合わせて武蔵が残した書には、『独行道』というものもあり、21か条の心得が記されていまして、剣の道を志すものの気をつけるべき心得が記されているわけですが、これが実にすごいのでありましてこちらを先に伺ってみたいと思います。
一、世々の道に背く事なし
一、よろず依枯(えこひいき)の心なし
一、身に楽をたくまず
一、身を浅く思い、世を深く思ふ
一、一生の間欲心なし
一、我事において後悔せず
一、善悪につき他を妬まず
一、いずれの道にも別れを悲しまず
一、自他ともに恨みかこつ心なし
一、恋慕の思いなし
一、物毎に数寄好みなし
一、居宅に望みなし
一、身一つに美食を好まず
一、我身にとり物を忌むことなし
一、旧き道具を所持せず
一、兵具は格別 余の道具を嗜まず
一、道に当たりて死を厭わず
一、老後財宝所領に心なし
一、神仏を尊み神仏を頼まず
一、身を捨て名利は捨てず
一、常に兵法の道を離れず
の21か条。
ちなみに、安岡先生の書には19か条とありまして、
一、身を浅く思い、世を深く思ふ
一、身を捨て名利は捨てず
の二つはないようであります。まあ、それはともかく、
一、世々の道に背く事なし
これが一番最初にあるのがやはりすごい。武蔵は優れた剣の遣い手であったと同時に、道を会得した人であることが分かる気がいたします。熊沢蕃山先生のところでもみましたが、
【天の神道は二なく候えば、儒といい仏といい道と云う名を、その国ならぬ国へ持ち来る事は道をしらぬ者のしわざにて候】
天の下、神道の他は二つも三つもいらないわけで、神道にそって教えを敷衍すればいいものを、そこに儒教だの仏教だのをもってきて別の道を立てたということは、日本の本来の道を知らぬ者の仕業であろう。
とおっしゃったように、その国にはその国の秩序があるわけで、それに合わせたものにすべきであると言えるわけです。また、『西洋の没落Ⅰ』 シュペングラーの時でも、
「道徳の数は文化の存在する数だけあり、それ以上でもなければ、それ以下でもない。この点では、勝手な選択は許されない。一人の文化人間のどの生活理解にも初めから、すなわちカントの最も厳密な意味で言うア・プリオリ的に、一つの状態がある」
と言っていたように、その国にはその国の道徳があるわけです。そこに昔から根付いたものを尊重すべきなのに、新しいから、それがいいものだから、と軽々しくよそのものを導入しようとするものは、多くの場合痛い目を見るのは歴史が示すところであります。
それが良いものであれ、いえ、良いものであればあるほど、その改革、変革には慎重を期さねばなりません。そこに元からある秩序を乱さず、それでいながらより以上の良きこと、改善を目指すのならば慎重の上にも慎重を期さねば、かえって混乱を招く。元来の秩序、しきたりや習慣に沿って既得権益をもつもの、抵抗勢力というものはあるわけです。ガンダムUCでダグザ中佐も、
「個人の力では変えられないし、変えようとする気すら起こさせない。どんな組織でも起こることだ。が、かと言って維持存続の本能に呑み込まれた歯車を悪と断ずることもできない」
と言ったように、おおよそ、人というのは目先の利益、損得に従って動くものであるので、はるか先にある理想よりも目先の利にすがるもの。抵抗勢力=悪と決めつけるわけにはいかない。
日本人が「根回し」を大事にするように、いかに抵抗勢力を作らないか、敵対しないか、に心を砕いて来たわけですが、古来、改革者というものは絶対の自信を持つがゆえに、悪を根絶せねばならないと気負うために、改革を断行しようとするも抵抗勢力によって手痛い反撃に遭うもの。熊沢蕃山先生はもとより、上杉鷹山公が一回は隠居を余儀なくせられ、二宮尊徳翁が排除されたのも、抵抗勢力によってです。道を心得た人ですらこの憂き目に遭うわけです。
一、世々の道に背く事なし
熊沢蕃山先生のような偉大な儒学者がこの一言を言えるのは、何も驚くには値しません。なにせ、こういうことを四六時中考えるのが儒家というものですから。でも、人を斬り殺すことを四六時中考えているような戦国時代の剣客がこの一言を心得状の第一にあげる。冷静に考えますと非常にすごいことだとおもいます。
武蔵がどれほどの人生を生きてきたか。剣の道より入って、本質を徹見したからこその一言と言えるでしょうし、もっと言いますと、こういう事を考えられる武士が日本にいたからこそ、日本の歴史を振り返りますと2000年もの長きに渡って国を維持できたというのが分かる気がいたします。日本以外の国ではどうして革命が起こったか。どうして日本では革命ではなく維新になったか。こういうところに日本の歴史の本質が見えて来るわけです。
だからこそ、昔を見て今を見ますと、嘆息が尽きないわけで。
時々ネットでも、マスクをしたって感染なんて全然防げないとかいう人があります。それが完全に真実ならばいいのですが、もし、本当にマスクをしたって感染が全然防げないのなら、どうして、世界中の科学者や医学者がもっと声をあげていないのかと考えるべきで、そうではなく極少数の人間がそう言っているのは、やはりデマと認識せざるを得ない。デマを流すのは秩序を破壊しようとしているわけで、主義者のそしりを免れないでしょう。
ポリコレだのフェミニズムだのは、間違いなく既存の秩序を破壊して喜んでおる主義者の類です。こういう声を駆逐できない所に、現代の病巣がある。人間に貴賤はなくても、魂に貴賤はある。
その国、その民族に流れる筋道にそって物事を進展させるのが本来でありまして、武蔵は剣の道により入りて、本質に至った人なわけですね。そして、これは何も剣の道にのみ限ったお話でもないと思うわけです。
それがどんな道であろうと、
一、一生の間欲心なし
一、善悪につき他を妬まず
一、いずれの道にも別れを悲しまず
一、自他ともに恨みかこつ心なし
という執着、我執を捨て去り、真剣に、すべてをなげうって我が道を邁進すればやがて、本質に到れる、ということを武蔵は人生をもって、我が身をもって会得したことをここに残していると言えるでしょう。
この21か条、または19か条に記されていることは、出家僧のようなそういう人の精神性を述べているのでありまして、禅の道に言う、「懸崖に撒手して絶後に蘇る」と「ものゝふのやたけ心のひとすじに身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」も、同じ意味だと言えるでしょう。
身の執着、我が身を惜しむという我執を離れ、すべてを捨てて、すべてをなげうって全身全霊をもってあたって、それによって蒙昧の境地を脱する。これが本当の修行なのでしょうね。
一、神仏を尊み神仏を頼まず
これは、「心仏衆生是三無差別」や、「即身成仏」と同じと言えるでしょうか。
仏にすがる、とか仏の慈悲に頼る、というのは、やはりそこに恋々たる未練、執着から脱しきれていない拘泥するものがあるわけで、神仏を尊ぶけど、それを頼むことをしない、というのは自由の境地、我が身も神や仏と同種である、という一段抜けた精神を表している気がします。
武蔵の言葉は、その道に己を投げ出した、懸崖に撒手して絶後に蘇った人のお言葉ですので、受け手も真剣になって伺うべきなのは、この『独行道』を知れば味識できるかと思います。
では、『五輪書』に入りますと、p46
地の巻
【兵法の道、二天一流と号し、数年鍛錬の事、初めて書物に顕はさんと思ひ、時に寛永二十年十月上旬の比、九州肥後岩戸山に上り、天を拝し、観音を礼し、仏前にむかひ、生国播磨の武士新免武蔵守藤原の玄信、年つもって六十】
六十になって、自分の起こした流派に関して書として残したいと思い、山に登って神を拝んで、仏に詣でてその覚悟を示した。普通、宮本武蔵、といっていますが、本来の名は新免玄信(もしくは、はるのぶ)と呼ぶようですね。
二天一流とは、右手に太刀、左手に小太刀をもつという戦い方。二刀流の剣の天才と相対す、とか恐ろしすぎますね。p48
【我、三十路を越えて跡をおもひみるに、兵法至極にしてかつにはあらず。をのづから道の器用有りて、天理をはなれざる故か。又は他流の兵法、不足なる所にや。その後なをもふかき道理を得んと、朝鍛夕錬してみれば、をのづから兵法の道にあふ事、我五十歳の比なり。それより以来は、尋ね入るべき道なくして、光陰を送る。兵法の利にまかせて、諸芸・諸能となせば、万事におゐて、我に師匠なし。今この書を作るといえども、仏法・儒道の古語をもからず、軍記・軍法の古きことをももちひず、この一流の見立て、実の心を顕はす事、天道と観世音を鏡として、十月十日の夜寅の一天に、筆をとって書初むるものなり】
三十歳になって振り返ってみると、色々な人々と戦ってみんな勝ってきたが、しかし剣の腕前で勝ったとは思えない。まあ、もともと剣の筋はよかったと思うし、自然に任せていた故だろうか。又は、他が弱かったのか。
それを人は天才という。また、
「兵法の利にまかせて、諸芸・諸能となせば、万事におゐて、我に師匠なし」
兵法の利、剣術に関する会得したものを、絵画とか武具制作にも応用したが、そのことごとく、自分でものにした。と、言っているわけで、やはり天才は何をやらせても天才というべきでしょうか。
でも、我に師匠なし、というのは深く味わうべき言葉でして、物事、本当にど真剣になって取り組めばある程度はものになるはずでして、教えてくれる先生がいないとわからない、などというのはつまり、分かる気がない。最初からやる気がない、のだと言えるでしょうか。
教えてもらうことを当然、当たり前、と認識している現代人は深く自戒とすべきでしょうね。
ちょいと昔は、「技は盗むもの」と言われて来ました。
教えてもらう、という受け身と、盗んでやる、というひたむきさでは意識が大きく違うのは当たり前なわけで、学校の授業でも真剣に話を聞いている人とぼへーと聞いている人の理解力に相違があるのは当然と言えるでしょう。
その究極は、師匠などなくても自分でなんとでもできる、ことだと武蔵は言うわけですね。まあ、天才とは違いますよ…とひがみを言いたくもなりますが、大事なことはその恐るべき前向きの精神性と言えるでしょう。また、
「今この書を作るといえども、仏法・儒道の古語をもからず、軍記・軍法の古きことをも用いず」
それっぽい言い回しや故事をもってきてそれっぽく作りませんでした。ただ、
「天道や観世音を鏡とし」
書を書いた。これもやはりすごい覚悟だと思いますね。権威化とか神格化とかそんなことは一切願っていない。そこに残すのは、ただ真心であって、我が真意を残すのみ。と言うわけです。それに対してもっとも注意したのが、神や仏が常に見ている、という気持ちだった、と言うわけです。身が引き締まる思いであります。p52
【武士は文武二道といひて、二つの道を嗜む事、これ道なり。縦ひこの道不器用なりとも、武士たるものは、おのれおのれが分際程は、兵の法をばつとむべき事なり。大形武士の思ふ心をはかるに、武士はただ死ぬるといふ道を嗜む事を覚ゆるほどの儀なり。死する道におゐては、武士ばかりに限らず、出家においても、女にても、百姓以下に至るまで、義理を知り、恥を思ひ、死する所を思ひきる事は、それ差別なきものなり】
武士道とは死ぬ事と見つけたり。ただ、この覚悟は武士のみにあらず、出家僧であろうが、女性であろうが民百姓に至るまでこの覚悟をもって義理を身に着け、恥ずかしい生き方をしていてはいけない。そのことに関して身分差別などない。
命を捨てる覚悟、というのに関連して、こういうお話があります。
豊前小倉の藩主細川忠興から、わが家来に武蔵の目に叶うほどの者はおったか、と尋ねると、武蔵は都甲太兵衛という者がよいですな、という。
忠興は、都甲太兵衛というものは剣の腕前は全然であったことを知っていたので驚いて、あの男の何がよいのかと訊くと、武蔵は、ならばお呼びになってその心構えを伺うと良いでしょう、と言うので忠興も召し出してみたところ、都甲太兵衛が言うには、
自分は平生、死ぬのがすごく怖かった。剣の腕もまだまだであるし、もうこうなったらいつ死んでも仕方がないという、据物の心、試し切りに斬られるようなワラタバの如きつもりになって日々、剣の修業に励みました。そして、最近ではようやくその覚悟が定まっていつ死んでも怖くない、という気持ちになってきたように思われます、と答えた。
武蔵はすかさず、これが武士の大事な心得です、と申したとか。
そう考えますと、「るろうに剣心」では、師匠である十三代目比古清十郎が命を捨てるな、とか教えていたと思いますが、それがどういう意味になるかはこういった書を読めば分かるでしょう。命を賭さずにどうやって命がけになれと言うのか。いつ命を落とすかわからぬ白刃きらめく最中、命を捨ててはいけない、と思うことこそが致命的な迷いになるでしょうに。
それはともかく武士でなくても、執着しない、未練を残さない、というのは大事な心得かと存じます。p55
【世の中をみるに、諸芸を売り物にしたて、我が身を売り物のやうに思ひ、諸道具につけても、売り物にこしらゆる心、花実の二つにして、花よりも実の少き所なり。とりわきこの兵法の道に、色を飾り、花を咲かせて、術と衒ひ、あるいは一道場、あるいは二道場などといひて、この道を教え、この道を習ひて、利を得んと思ふ事、誰かいふ、「なま兵法大疵の元」、まことなるべし】
世の中、剣でも槍でも弓でも芸を売り物にし、自分の体をも売り物のように思い、大切な道具をまるで売り物のようにして、花も実もあるように表面上は見えるが、しかし、中身はないのである。なんちゃら道場、なんちゃら流派などとぬかしているが、「生兵法は怪我の元」なのである。
戦国も末期、太平の世が見えてきたわけで誰も生き残りに必至な時なのでしょう。ですが、大切な武士の生きる道である剣や弓などを、見せ物、売り物にしていると武蔵はいうわけですね。
現代では、言うのも野暮なので花ではなく、実を目指す人が心得るべきでしょうね。p61
【統領におゐて大工をつかう事、その上中下を知り、あるいは床間はり、あるいは戸障子、あるいは敷居・鴨居・天井以下、それぞれにつかひて、悪しきにはねだを張らせ、なお悪しきにはくさびをけづらせ、人を見分けてつかへば、そのはか行きて、手際良きものなり】
大工の棟梁が部下を使う時、その腕前の上中下を知り、ある者には床の間、ある者には戸、障子、またある者には敷居、鴨居、天井というように、その能力に応じて使い分けるのである。
未熟者なら根太(床を貼るための下地の板)を張らせ、もっと未熟ならくさびを削るような雑用をこなさせるなど、適材適所で人を見分けて使い分ければ、能率があがって手際良くゆくものだ。
郭橐駝という植木屋のお話がありますね。その男は、よく植木を育てるのである人がその秘訣を聞いたが、その男が言うには、別に秘訣なんてありはしない、ただ、その木がのびのびと育つようにしているだけだ。よその植木屋は、無理やり成長させようとするから、木が傷んでしまうのだ、といったそうな。まあ、こういう話はいっぱいありますが。
その人を能力、ひととなりを見分けて、その人がのびのびと仕事ができるようにしてあげる。
現代でそれがあったら、奇跡と言えるでしょう。p70
【他の事をよく知らずしては、自らのわきまへ成りがたし。みちみち事々を行ふに、外道といふ心あり。日々にその道を勤むるといふとも、心のそむけば、その身はよき道と思ふとも、すぐなる所より見れば、実の道にはあらず。実の道を極めざれば、少し心のゆがみに付けて、後には大きにゆがむものなり。吟味すべし】
他のこともきちんと知らねば、自分も客観的には見えないものだ。
また、いろいろなことをする上で、外道という心があって、毎日修練するといえど、心が間違っておれば、当人は正しい道だと思っていても本当の有りようではない。
本当の有りようでなければ、最初は小さな心のゆがみも、後々大きく歪むものである。よくよく考えるように。
孔子様も、
【異端を攻むるはこれ害のみ】
間違った教えを身につけるなど、害にしかならない。
とおっしゃっています。
イデオロギーなどと下らないことを論じておる時点で、類は友を呼ぶ。朱に交わって赤くなるものであります。西洋人ならともかく、東洋人なら古典を学んで己のレベルをあげればよいのに、左翼とか右翼とか言っている時点でてんでお話になりません。p75
【この一流、二刀と名付くる事
二刀と云い出す所、武士は将卒ともにぢきに二刀を腰に付くる役なり。昔は太刀・刀といひ、今は刀・脇差といふ。武士たるもののこの両腰を持つ事、こまかに書き顕はすに及ばず。我が朝におゐて、知るも知らぬも腰に帯ぶ事、武士の道なり。この二つの利を知らしめんために、二刀一流といふなり。鑓・長刀よりしては、外の物といひて、武道具のうちなり。一流の道、初心のものにおゐて、太刀・刀両手に持ちて道を仕習う事、実の所なり。一命を捨つる時は、道具を残さず役に立てたきものなり。道具を役に立てず、腰に納めて死する事、本意に有るべからず】
我が流派を何故、二刀と名付けたか。武士とは、大将であろうと、一兵士であろうと腰に大小差すものだ。昔は、太刀に刀と言ったが、今では刀に脇差と呼ぶようになった。まあ、なにゆえ武士が大小を腰に差すようになったかについてはいまはおく。我が日本においては知っていようがいまいが、大小を帯びるものこそが、武士という存在なのだ。
この二本の刀を使いこなす利を知らしめんがために、二刀一流と名付けたのである。
槍やナギナタと同様、戦道具であるが、刀とは違って外の物である。刀は常日頃から身につけるものである。
我が流派においては、初心者といえど、この二本を両手に持っていどんでもらう。何故なら、死を決して闘う時は、使えるものはすべて使いたいからで、たとえ、小刀といえど腰に残して死ぬのは武士の本懐ではあるまい。
一流とは、二流、三流と同じではなく、流派、と認識すべきでしょう。二刀流派、ということでしょうね。
勝負の場に臨んで、身につけたものならなんでも使うべき、というのはある意味清々しいw また武蔵は、
【両手にて太刀を構ゆる事、実の道にあらず】
両手に持って闘うのは、本当ではない、と言っているのがちょっと不思議な気はします。示現流とか、もろに両手持ちの豪剣ですよね。ですが、
【太刀は広き所にて振り、脇差は狭き所にて振る事、まづ道の本意なり。この一流におゐて、長きにても勝ち、短きにても勝つ。故によって太刀の寸を定めず、いずれにても勝つ事を得る心、一流の道なり】
どんな状況下であっても必ず勝つことを主眼とし、そのために二刀を持つのだ、というわけですね。最初は片手で太刀を持ったら重く感じるが、毎日修練しておれば慣れるものだ、とも言っています。まあ、勝つために日々大変な修行をこなすことなど、武蔵からすれば当たり前過ぎることでしょうね。p79
【弓を能く射れば射手といひ、鉄砲を得たるものは鉄砲撃ちといひ、鑓をつかひ得ては鑓つかいといひ、長刀を覚えては長刀つかひといふ。しかるにおゐては、太刀の道を覚へたるものを太刀つかひ、脇差つかひとはいはん事。弓・鉄砲・鑓・長刀、皆これ武家の道具なれば、いづれも兵法の道なり。しかれども、太刀よりして兵法といふ事、道理なり。太刀の徳よりして世を納め、身を納むる事なれば、太刀は兵法のおこる所なり】
弓の名手は射手と言い、鉄砲の名手は鉄砲撃ちと言い、槍は槍つかい、ナギナタつかいというも、太刀の名手、脇差の名手は太刀つかい、脇差つかいとは言わない。弓・鉄砲・槍・ナギナタ、皆これ武家の戦道具であれば兵法で総括できるが、刀を使うものを兵法というには相応の道理があるのだ。
古来、武士がその刀でもって世を統治してきたように、武士はその刀によって己を治めてきたのである。その武士が必ず身につける刀の作法を、兵法、というのは至極もっともなことなのである。
馬上天下をとるべし。馬上天下を治むべからず。と昔は言いましたが、武士は刀によって天下を獲って、その刀によって己を厳しく律するのだ、というわけですね。だから、その武士が必ず修めるべき刀の作法においては兵法というのだ、と。
武蔵は両刀をもって戦いに臨んだわけですが、でも、武士のもつ脇差は、己の腹を切るための道具でもあったわけです。人類の歴史の中で、敵を害する武器をもったものは数あれど、己を害する武器を常に身に帯びていた存在が武士以外にどれほどいたでしょう。
いまさら封建社会になど戻りたくもないわけですが、ですが、勘違いしている人がいる。明治の世を切り開いたのもまた、武士であって、庶民の如きは、ええじゃないか、と踊っていただけなのだということを。世を差配するだけの才覚と実力をもっていたのは武士だけなのであってそれ以外のほとんどの人は蚊帳の外であったということを。
このように、厳しく己を律し、常に修練に励むものがいたからこそ、武士の世の限界を知った武士たちは、武士を捨て新世界を切り開くに至った。支配者が自らをその支配に終止符を打った。そんな恐ろしいことをできた支配者が、世界中に、武士以外にどこにおったか。世界ではしょせん革命が「起こった」が、武士は、維新を「成し遂げた」のであります。
確かに、欧米を鵜呑みにし、素晴らしい文化や科学技術、概念が導入されましたが、その中にはイデオロギーという毒もあって、それに中ってしまった。しかしそれは日本人ほぼすべてが受け入れたものであって、武士にのみその責任を期するわけにはいけません。町人も、農民も、新しい世が来ると、新しいものならなんでもいいものだと、なんだもかんでも受け入れたのであります。それで、その中毒にもっともやられてしまった帝国軍人を否定するのは誰でもできます。否定し、馬鹿にするだけなら阿呆でもできる。しかしなら、帝国軍人を否定できるほどの、古来の日本的な伝統、文化、風習を今も古風に守っている、
「異人さんのように強くなりたくもないし、賢くなりたくもありません。ご先祖様方が召し上がったものを頂くのが祖母には一番よろしいがの」
という人がどれほどいるのか。そういう欧米文化を否定した大西郷はいの一番に抹殺されたのです。
欧米の良いところは喜んで受け入れるが、悪いところに染まったものは馬鹿にする。
そういうのを、虫が良い、というのです。
と、言ったところで、今夜はこれまで。
あと一~二回伺ってみる所存であります。
したらば。
ひぐらしのなく頃に「対象a」を聴きながら。
しかし、新しく始まったひぐらし、あれはなんじゃろかいな。
梨花ちゃまはハラワタえぐられて、どんな選択肢も封じられた袋小路に追い詰められて、心も死ぬほどの地獄を味わったのに、沙都子は学校行きたくないから死に戻りする???
選択肢も、回避方法も、てんこもりあるじゃろがい。
はぁ。
昨今、続編になるとみる価値を感じなくなるのは、何かそういう縛りでもあるんじゃろうか。しっかし、指パッチンすればシャンデリア落ちてくる、ってどういうからくりなんじゃろうのぅ。
したらば