『先哲が説く 指導者の条件』 で読む 熊沢蕃山 三、
まん防?
ついに、ヤン坊マー坊に三男キャラでも新しく追加、されたわけでもないようで。
ここまで経済が全世界化し、海外製品や食品に頼らないとまともに生活もできない以上、ウイルス蔓延もある程度は許容せざるを得ないでしょう。スエズがちょっと止まっただけで物流ガー! 経済ガー! って言ってたんですから。
そうなると、問題は蔓延した社会でどう生きるか、であるかと考えるべきで、例えば、免疫を高めてそもそもウイルスを寄せ付けない肉体作りを国家をあげて目指すとか(世界に冠たるラジオ体操を会社でも義務化とかw)、もしくは風邪っぽいかな? と思ったらすぐに何に感染したか検査できるキットを全家庭に売り出すとか、そういったことに視野を向けるべきなのに、いまだに時短とか、こんなんで本当に大丈夫なのかな、それで中共肺炎対策と言えるのかな、と思うところ。
経済は回せ。でも、飲食店は遠慮しろ。
これが対策だ、とか言われても。飲食店経営は経済活動じゃないんかい。
で、お役所さんたちは大勢で会食したり、接待してもらってます。。。
リップンチェンシンマンセー!(日本精神万歳!)
おこんばんはです。豊臣亨です。
現代が、かくも現代であればあるほど、本当の学問というのは千古の偉大さを教えてくれるわけです。何も、政治家や官僚、上級国民になることが立派な人間であることを証明はしません。
ましてや、知能指数が高いからと言ってだからそれが何だというのか。
歴史を見れば明らかなように、ただ、オツムがいいだけの人間がしてきたことは、情報弱者を搾取し、馬鹿にして見下してきただけであって、本当の正しい社会を作ったことなどただの一度もありません。
畢竟、志が腐った人間に生きる価値などないことは、歴史が遺憾なく教えてくれます。
古賢先哲の教えを受けてそれに従って生きることこそが、東洋人の目指す万古不易の理想であります。これも、歴史が、偉大なる東洋人が身を以て全人生を以て、証明しております。
では『先哲が説く 指導者の条件』 で読む 熊沢蕃山 その三に参じてまいりましょう。
蕃山先生の日本精神論
「蕃山先生の語録は世間普通の知識の書と違って、心の書、心学の書であるから、ただ文字や語録を注釈して、それでいいというものではない。たとえ一節の文章といえども、もしその心を語るとなると、際限のないものである。
そうでなければ生きた学問とは言えない。単なる学校での勉強と同じことになってしまう。その意味では、必ずしもすべてを読まなければいかんということはない。どの一つをとっても「水を掬すれば月手に在り」、つまりどの水を掬っても、必ず円満な月がそれに映ると同じことで、どの一文をとっても、そこに蕃山先生の面影が丸く円に映るのであるから、本当は一文を読めば、それでもいいわけであります。そういう心で学んでほしいのです。
【再書略。中夏の聖人を日本へ渡し候わば、道学の教えいかがなさるべく候や。
返書略。儒道と申す名も、聖学と云う語も、おおせらるまじく候。そのままに、日本の神道を崇め王法を尊んで、廃れたるを明らかにし、絶えたるを興させ給いて、二度神代の風かえり申すべく候。からめいたる事は、何もあるまじく候。国土によって風俗ありといえども、天の神道は二なく候えば、儒といい仏といい道と云う名を、その国ならぬ国へ持ち来る事は道をしらぬ者のしわざにて候】
再度の書簡。
中国の聖人を日本へ寄越したら、道の学問はどういうふうに伝わるでしょうか。
返書の大略。
儒教とか道教という名称も、聖学という言葉も、聖人ならば仰言らないでしょう。そして、それまで日本で行われてきた日本の神道を崇め、王法を尊敬して、廃れたものを明らかにし、絶えた道を復興して、ふたたび神代の風を回復されるでありましょう。
唐流のことは行われないでしょう。大体、国土の違いにより、それぞれの国の風俗というものができ上がるものですが、わが天津国の神道はこの世に二つとない立派なものでありますから、儒教といい仏教といい道教という名称を、外国であるわが国に持ち込むことは、道を知らぬ者の仕業であります。
中国の聖人を日本によこしたなら、道の学問はどういうふうに伝わるでしょうか。儒教は日本で宣揚されるのでしょうか、あるいは道教は宣揚されるのでしょうか。
これはいい質問であります。
それに対して蕃山先生の回答であります。
「儒道と申す名も、聖学と云う語も」、本当にできた偉い人であったなら、まことの聖人であったなら、おそらく儒・道とか聖学という後も仰せられないであろう。そのままに、「日本の神道を崇め王法を尊んで、廃れたるを明らかにし、絶えたるを興させ給いて」、再び神代の風に還るでありましょう。
「からめいたる」とは唐流、そういう事は何もあるものではない。「国土によって風俗ありといえども」、日本の神道は二つとない立派なものであるのだから、「儒といい仏といい道と云う名を、その国ならぬ国へ持ち来る事は道をしらぬ者のしわざにて候」、儒・仏・道の教えというけれども、日本に持ち込んだのは道を知らない者の仕業である、というのであります。実に高邁なる、そして徹底した識見と申さねばなりません。
幕末から明治へかけて、人物は実に多士済々であったが、特に人物の器量・識見・それから学問、この三拍子そろったという点において、まず三傑を挙げることができる。
東においては藤田東湖(1806~1855)、近畿においては京の春日潜庵(1811~1878)、それから西においては熊本の横井小楠(1809~1869)」であり、この三傑は残されたいろいろの遺文・遺書を通じて想像するごとに、驚嘆というか、感服を禁じえない人々であります。
しかも、この三傑には自ずから相通ずるところがある。潜庵はあまり旅行しなかった人なので藤田東湖とは面識がなかったようだが、旅行をよくした横井小楠は東においては藤田東湖に一番感銘しており、近畿においては春日潜庵に服しておる。
この横井小楠が健在でありましたら、明治維新にまた大きな影響を与えていたと思うが、惜しいかな、ご承知の通り早々に刺客の手に倒れて、明治新政府の建設に与かれなかった。この横井小楠の識見と風格は実に非凡であって、この小楠が最も心服しておったのが熊沢蕃山先生である。蕃山先生の学問、したがって『集義和書』『集義外書』を彼は本当に心読しておる。たぶんこの一文なども非常に彼の共鳴を強くしたものだと思います。
一方、フランスの学者に、日本人にはあまり知られていないが、アインシュタイン(1879~1955)を半円とすれば、ちょうど別の半円になると言われるタイヤール・ド・シャルダン(1881~1955)がいる。
パリのカソリック大学の地質学教授で、また考古学・人類学・神学者でもあった。東洋・中国研究でも有名で、北京原人の骨を発見した一人でもあります。著書には『現象としての人間』『神のくに・宇宙讃歌』など非常に興味あるものを遺されている。
アインシュタインが人間から入って、だんだん自然に徹していったが、シャルダンは自然から発して、だんだん人間に徹していった。そして自然と人間というものを一貫して洞察しております。
彼に言わせると、そもそも地球が太陽から分かれた濛々たる草創の時代、言わば天地開明の期で、やがて水が生じ、海となり、その水からやがて万物が発生してきた。つまり、最初は無機物の世界・水の世界(geosphere,hydrosphere)と言うてよろしい。その中から、次第に植物や原始動物、いろいろの生物の世界が現れ、今度は文明文化の世界(noosphere)になった。
noosはギリシャ語で「精神」という意味である、geosphereからbioshere(有機的生命世界)、そしてnoosphere、つまり、濛々たる天地の気から次第に生命の世界が現れて、そこから精神の世界が現れてきて、そこに発達したものが人間であると推論したのであります。
それまでの西洋の学問では、もっぱら自然と人間とを対立的に考え、人間の歴史を自然の歴史から区切って、そして人間が自然を征服するというような考え方さえ発展した。こういう考え方は間違いである。物の世界・自然の世界と心の世界・人間の世界とは、同一系統のものである。したがって、人間の霊妙ないろいろの機能というものは、いずれかの程度において自然に含まっておる。
東洋の言葉で言うなら「天地同根・万物一体」となる。東洋的思索の一つの根本的命題であり、シャルダンは、まさにこれをそのまま言うておる。古くから伝わっておる「天地同根・万物一体」説を説き直しておるにすぎない。このすべてを通ずる自然、あるいは天の働きというものは、実に不可思議な限りない創造・変化であり、これを「造化」と言う。
これはあらゆる自然科学者が競って解明しておることで、自然科学は結局、東洋の歴史的学問でいうところの「造化」という一語を、限りなく豊かに、興味深く解説しておるものと言うてよろしい。
したがって、自然と人生とは共通した一つの道であるが、その内容は、限りなき創造・変化であり、これが道の二大眼目である。西洋人はこれをdiversityと言う。要するに生の千変万化である。生命力・創造力の旺盛なほど変化に富んでいる。それが単調であれば、それは生の限られたる姿であり、生の豊かさに恵まれたところでは、非常に内容が豊富で変化があります。
その意味で、わが日本は最も生の豊かさに恵まれた天地である。
この反対に、中近東とかアラブなどは、最もダイバーシティのない、単調な荒涼たる世界、生の瑞々しいところがない天地である。日本を出てインド洋を越えてアラビア半島の一角アデンに着くと、本当に満目荒涼たるもので、よくこんなところに人が住めると思う。戦前は中近東の人の平均寿命は三十五、六と言うていましたが、まさに「荒涼」という一語に尽きます。
そこへいくと日本は実に瑞々しい。
飛行機で大陸を横断して、日本の海へさしかかってくると、岸辺に海のさざ波がよく映って、日本の島々は実に美しい。昔、秦の始皇帝が日本を東方神仙の国と考えて、不死の薬を求めて徐福を派遣したという伝説(『史記』始皇本紀)も、故あるかなである。
事実、日本は国土が非常に若い。したがって放射能が非常に豊かである。つまりエネルギー・地力が豊かであり、それに養われて山川草木・禽獣魚介の種類もまた非常に豊富であります。富士山麓の植物や動物の種類は実に変化に飛んでおります。
そこで、日本人の肉体はちょっと他民族にない弾力性を持っている。ダイバーシティーを持っておる。第一に、外国人が日本に来て驚くのは、世界中の食べ物・飲み物があることである。ちょっと町を歩いても、朝鮮料理・フランス料理・インド料理・アメリカ料理、もうなんでもあります。実に豊富なものです。西洋の人など異民族の人々はなかなか他民族の食べ物や酒などを自由に飲み食いできない。いきなり日本酒を飲んで、みそ汁と沢庵と刺し身でというわけにはいかん。すぐに腹をこわしたり、そもそもそういう舌を持たない。
ところが日本人はもうなんだって食べられる、飲むことができる、それをエンジョイすることができる。こんな舌や胃を持った民族というのはちょっとない。日本人の生命力・エネルギーが若いから、そういうことが可能なのです」
日本人の陶鋳力
「しかし、だからといって暴飲暴食はいかん。あまりいろいろなものを飲み食いすると身体に悪い。身体に合うものを正しく摂らなければならない。機械文明が発達すると世界中のものが容易に集まるが、それを無思慮に始終食べると、人体の生理機能を破壊するのです。
同じように、注意をしなければならんのが精神・頭脳である。日本人の精神・頭脳は非常にダイバーシティーに富んでおる。思想・信仰の上からも自由であり、寛容であり、古来の神道のほかに仏教が来れば仏教、儒教が来れば儒教、キリスト教が来ればキリスト教と、なんでも取り入れる。そして、消化吸収し自分のものにしてしまう。ついには、西洋のデカダンスからリベラリズム、共産主義なんてものまで、実によく取り入れる。ときには中毒したり、下したり、吐いたりするけれど、とにかくよく取り入れる。しかも食い物・飲み物と同じようにエンジョイする。仏教が来たときに、どんなに興味をもったか、儒教にしてもまたしかり。日本独特の神道はいつの間にか儒教・仏教などをみごとに取り入れて、たえず新しい神道を作っております。
これを山鹿素行(1622~1685)は「天縦の神聖」と言うておる。天のほしいままにさせるところの神聖、非常に優れた働きであり、能力である。
だから仏教も日本仏教となり、儒教も日本儒教、道教も日本道教、キリスト教も明治初年には日本的キリスト教が盛んになった。それは明治時代に本当に日本精神を持った人が多かったからである。私の見るところでは、押川方義(1849~1928)や松村介石(1859~1939)などは、キリスト教の牧師であるけれど、非常に日本的な人であった。
フランスのカンドー神父は、日本には西洋のキリスト教を持ち込んでもだめで、日本的キリスト教でないとだめであると、堂々たる日本語で書いておる。この人はそれに気がついておる。最もこなれの悪い毒性の強いやつは、マルクス・レーニン主義というやつで、これは日本的になっておらない。これを一番なんとか始末せんといかんのですが、とにかく日本は非常に包容力があって、しかもこれを日本的・個性的に創造し、造化してゆく。
だから、真の日本精神、民族的能力を持った人にかかれば、いかなる国、いかなる民族の学問・信仰も「陶鋳」され、日本的なものになります。
事実、先程挙げた藤田東湖とか、春日潜庵とか、横井小楠なんていう人は、まさにそういう陶鋳力をもった人で、なんでも日本化する。日本化するということは、アメリカ臭、ロシア臭、フランス臭、そういう臭みがなくなって、蕃山先生の語録にいう「からめいたる事は、何もあるまじく候」ということになる。
ロシアめいたる、アメリカめいたる事は、何もあるまじく、日本本来の聖的なものになる。だから本当に日本を知るならば、中国の聖人、どこの聖人の教えも日本に渡ったなら、その国の教えも思想・文化というものも、生のまま持ち込むことをしない。ちゃんと日本に合わせるようにするはずである。また日本人はそのように受け取ることができる。これが日本精神であり、「天縦の神聖」なのであります。
こういう至極のところになると、素行も蕃山先生もちっとも変わらない。中江藤樹先生(1608~1648)なども、やはりそういう人であった。とにかく、日本人とは、非常な造化力を本来持っておる。生命力が旺盛で健康であれば、なんでも消化でき、それがその人独特の体質・風貌を作っていくように、日本民族精神が旺盛である。日本精神の粋を体得した人ならば、外来の思想・信仰・学問を自在にこなして、それを極めて日本的なるもの、日本民族的なるものにリクリエイトしていくはずである。そういう人が一番純粋の日本人である。その意味において、蕃山先生のこの日本精神論はその識見を証明するもので、貴重な指摘であります。
江戸後期に葛城の慈雲尊者(1718~1804)という真言宗の僧がいた。「雲伝神道」と世間が称するほど神道に深く入った人である。また、藤樹先生とよく一対に言われるのが盤渓禅師(1619~1690)であり、
「伊予の大洲にすぎたるものは、中江藤樹に盤渓和尚」という歌があるくらいである。ただし、盤渓と藤樹とは同時代ではない。禅師が加藤候に迎えられて如法寺に入山したのは、藤樹先生が大洲を去られた後である。この盤渓禅師などは、非常に禅を日本化した識見の高い名僧で、幼少のころに『大学』を読んで、「大学の道は明徳を明らかにするに在り」という冒頭に引っかかって、もうそれに病みついて、とうとう血を吐くところまで苦心・思索したと述懐している。この盤渓禅師によって、どれくらい禅が日本化したか、計り知るべからざる功徳であります。
なお、日本化した一例を言うと、「かーっ」(喝)という禅語は中国宋代の俗語で、日本語でいえば「馬鹿」ということだ。それをそのまま使っている。また禅語の「這箇」は「この」という意味で、「那箇」は「あの」であって、thisとかthatとかいう意味の俗語である。あるいは「什麼生」というのは「どうだ」といっておどかしつけることである。盤渓禅師はおかしなことを言うといって、それを道破しておる。盤渓禅師の本を読んでみると、中国語をそのまま日本語化した言葉がたくさんある。
道元禅師(1200~1253)の『正法眼蔵』なども、漢字ではなく、仮名書き文で書いている。優れた人は実によくそういうふうに消化しております。しかし、そういう日本人の精神が戦後というより第一次大戦後のころからだんだん民族精神の頽廃で、せっかくの「天縦の神聖」が怪しくなって、だいぶ鵜呑み、ないしはその中毒になるようになってきた。戦後のいまがその最も悪い状態であると言うてよろしい。敗戦後の占領軍の日本管理政策が幸いにして非常に早く解消することができたので、どんどん健康を回復するかと思ったが、どうもあの打撃が今日でも深刻に残っておる。
打撃という病弊が、今日ではがんになったんじゃないかという気もせんでもない。それも胃がんとか子宮がんとか乳がんとかじゃなく、肝臓がんや脳腫瘍に近い。戦後占領されて進駐軍の政策で支配されたあの数年間に受けた病弊・打撃というものから、完全に立ち直らなくて、それが元凶となり、肝臓がんや脳腫瘍になっておると思うのが増えてきた。精神的にそう感じる。熊沢蕃山先生をもし今日あらしめたら、この日本精神論のあとにどういうことをされたか、非常に興味を感ずるところであります」
日本人と道徳
「ここで、蕃山先生の話は一応終わります。そして、最近(昭和四十二年当時)の世界の動きを見つめながら、日本および日本人はどうあらねばならないのか、この講話の最後として私なりの結論を述べておこうと思います。
いままでの講話でしばしば、ときにより折りにふれて話しておいたことでもあるが、まず第一に指摘しなければならないのは、いまの日本人は道徳嫌いになっていることである。別の言葉でいうと、日本人は宗教は理解しようとする。あるいは好むが、道徳は嫌うということです。少なくとも、道徳というのは古臭い、新しい感覚のものじゃない、という考え方がある。私はこれが怖いのであります。何か重大な問題、成り行きがどう変化するかわからんという問題になると、日本のマスコミ、ジャーナリストは、旗幟を鮮明にしない。ただ事実報道だけをやり、それへ少しずつ自分の感情を混じえる。これこそ世界の識者の顰蹙を買っておるところだが、それはそのまま政治にも現れます。
例えば中国の国連加盟問題である。世界の国々でもしきりに議論されているのに、日本の政治家はまさに無定見・無識見なるもので、ものを断定する勇気・見識がない。胆識がない。中国に関するニュース、世界の評論ばかり取り上げているだけで、自分はこう思うとははっきり言わん。他の国からすると、日本は何を考えているかということになる。中国を入れる票が多くなるのか、ならんのかということばかり研究しておる。多くなりそうだと、日本は親中国になる。あるいは、文革にすいて世界が反対すると、日本も反対へ傾く。はっきりしない。そしてそれを「中庸で行く」とか言う。そんな「中庸」なんてどこの古典にもない。中庸の言葉の意味を一つも知っていない。それは最も卑劣で臆病なコウモリ主義というのであります。
いまのジャーナリストは私のことをよく思っていないようだ。
なぜかというと、「あの人はあまりはっきりモノを言い過ぎる」と言うんだ。はっきりモノを言うて悪ければ、どうすればいい、ニヤニヤしたらいいのか。実にピントがずれている。バスに乗り遅れまいとするだけで、無定見・無見識に籠り、モノを断定する勇気がない。絶えず形勢を観望して「中庸」といった言葉を軽々に吐いているにすぎません。
同じように「道徳」についても非常に錯覚しておる。道徳というものは是非・善悪を裁いてはいかんのだと思っておる。キリスト教でも言うとるではないか、「誰かこの女に石を投げられるだけの者があるか、汝自身に問うてみよ」と。それが道徳だと軽薄な解釈に甘んじている。是非・善悪をはっきり言うなんて、人間としておおよそ横着な話なんだと言う。そこまではいい。それが道徳であって、中庸だとなると、だんだん歪曲されて、わけのわからない日本人になってしまう。そうではなくて、真の意味の道徳とは、是非・善悪をはっきり裁くものなのであります。
(中略)
ところで、いったい、なぜこのごろの日本人が宗教は好むけれども、道徳を嫌うのか。私はこの講話シリーズでかなり詳しく話したと思うが、とにかく道徳がないと、人間は間違いなく滅びるのであります。
人体の生理でいうなら、抑制機能がないと人間はだめになる。ホルモン機能がないと人間はだめになり健康はだめになる。神経でいうと、自律神経というものがないとだめになる。感覚神経だけではだめ。われわれの内臓はすべて自律神経で生きておる。自律神経の中でも、特に大事なのは迷走神経と抑制機能を司る神経系統で、これが臍の一センチほど下のところ、すなわち臍下丹田というところに一番集まっておる。刺激があった時にぐっと抑制をするのがこの神経である。道徳とは感覚神経に対する自律神経の働きをするものであります。だから欲望に対しては、克己的な働きになる。道徳心を失ったら、人間は放縦になり、軽薄になってだめになります。
日本くらい平和、平和と言うて大事な問題を抹殺する風俗はほかにはない。平和は誰でも口にするが、それをどう達成するか。こういう実際問題になると、これくらい難しいことはない。こういう穢国濁世、あるいは穢国悪世というような時代に、平和は空念仏になりやすい。単なる概念、あるいは標語みたいなものになって、実際のものにならない。平和というものを実際のものにしようと思ったら、非常な抑制機能、すなわち非常な道徳的精神が必要である。
ところが、平和というと、どことも争わず、是非・善悪をはっきりさせない。なるべく物事を曖昧にしておく。なるべく衝突を避ける。つまり道徳を忌避するところから、次第に人間が惰弱になって、ちょうどホルモンのきれた人間、自律神経の衰えた人間と同じことになる。健康不振と同じことで、それがまた美しい言葉で偽装され、寛容とか忍耐とか妥協とか、あるいは公平とか中庸とか、いろいろの言葉に名を借りたむしろ危険な思想・行動になる。さらに、いろいろの欲望や打算がからまる。そして、日本が非常にはっきりしない、しかし何だか奇怪な、油断のならない国だという反感を外国人に与えています。
(中略)
ソ連に対してもそうだ。沖縄のことでは反米的議論をするが、北方領土問題に関してはソ連に対してよう言わん。言うと結果が悪いということでは、悪や暴力の横行にまかせるということになる。
ある人は日ソもようやく友好・親善ムードになってきて、シベリア開発と日ソ協力関係の前途が有望になってきたときだから、ここで荒立ててはいかん、ただ寛容・忍耐だと言う。もっとひどいことを言う人は、アメリカとソ連とがようやく和解ムードになってきたときに、日本がヘタにソ連を刺戟したりすると、米ソの平和の障害になると言う。何ということだろう。おまえ、頭がどうかしとりゃせんか、と言いたくなる。
日本を目指して、ソ連や中国は虎視眈々として対日工作に血道をあげておる。それはいまの日本を手に入れるくらい彼らにとって望ましいことはないからだ。日本を手に入れたものがアジアを支配する。これは少し魂のある者なら、誰でもわかることである。日本を手に入れるのに戦争をする必要はない。アメリカがやったような上陸作戦なんかする必要はない。
日本に傀儡団体を作って、彼らの自由に操縦できる傀儡団体・傀儡勢力に日本の政権をとらせさえすればいい。日本を占領したのと同じことになる。だから対日工作は実に深刻なもので、スパイの天国という人もいる。日本にはそれを取り締まる法制さえありません。
日本人の言う、中立・中道・平和・民主、これはことごとく的を外している。
ことごとく大事なところを取り違えておる。これを一つはっきりさせる思想・学問が必要であります。このままいくと、不養生の限りを尽くしておる肉体と同じで、必ず混乱に陥る。不祥事が起こります。
これをいったいどうすればいいか。結局、正しい思想、正しい学問を興すことである。そして、それぞれがただ議論をしておるだけでなく、いわゆる一燈照隅行で、一人ひとりがわが立つ一隅をそれぞれ照らしてゆく。そうすれば一灯が千灯、万灯になるので、それをやるよりほかに日本は救いようがない。まかり間違って民族が血で血を洗うような内乱をやったら、その実害はどこまで尾を引くやらわからない」
(後略)
道徳とは何か
「さて、それでは「道徳」とはなんぞや。
何事によらず、「本立って道生ず」(『論語』「学而篇」)という言葉がありますが、どうしても根本を定めるということが一番大事である。やっかいな問題、困難な問題、紛糾した問題ほど、初めの根本にかえって考えてゆく、実行することが大切であります。
(中略)
礼儀作法もやはり同じことで、例えば正座や座禅などの修養は辛いものだと皆考えておるが、そうではない。道元禅師は、「座禅はすなわちこれ安楽の法門なり」と言うておる。ときどき腰を据えて、脊梁骨(背骨のこと)を真っ直ぐに立てて、結跏なり正座なりをやってみると、これが人間にとって一番正しい自然な姿だということがわかる。肩肘を張ったり身体をくねらせたりする、腰を曲げたりする姿勢がよくないし、疲れる。いろいろの生理的・心理的障害で、絶えず人間は毒を出す。毒素の多い人間ほど、足が痺れるぐらいの正座を一日のうちに何回かやると、心身ともに健康になります。
躾という字はまことにうまくできている。身体を美しくする、体をきれいにする、人間の在り方・生き方・動き方を美しくするという、これは躾だ。美しくするということは、つまり良くするということである。食事でも作法というものは、自然なもので、非常に美しい。箸やお椀の蓋の取り方でも、作法通りにすれば実に合理的である。つまり、道徳とか躾というものは、人間の生活、人間の在り様、人間の動き方というものをいかに自然にするか、いかに真実にするかということである。
人間が獣ではなくて人間らしく生きる道が道徳で、それは極めて自然であって、理屈でも手段でもなんでもない。真実、自然のことなのです。
そこで今度は道徳教育、生徒に対する道徳実習ということになってくると、どうしても指導者・師たるものが、言論や方法・行動よりも何よりも、自然にお手本・垂範になるということである。だから教育の「教」という字は、効能書きの効という字で、上がお手本になるという意味なのである。父母というものは、やはり子供のお手本になる。子供は理屈はわからないけれども、化せられる。お手本を見てそれに習う。模倣の前に、感化という働きがあり、これは自然のエネルギーの作用と同じことである。
子供は何も機械的に模倣するのではない。習うわけである。そこに、家庭における父母の道徳実習のデリカシーという微妙な点がある。子供を躾けるということは、子供を叱ったり強制したりすることではなく、父母の在り方が、自然にお手本になるということであります。
大石内蔵助を中国版にしたような人で、普の時代に謝安という名宰相がおった。非常に偉い人で、奥さんも賢夫人であったが、ある日その奥さんが、
「あなたはちっとも子供を教えてくださらない」
と言う。すると謝安は、
「いや、わしは年中教えているつもりだがな」
と答えたという有名な逸話がある(『世説新語』「徳行」)
そのように、本当の家庭教育というものは、親そのものの普段の態度・姿勢次第なのであります。小さい子はいつの間にかテレビでいろんなことを知っておる。ある晩一人の若い父親が酔っ払ってフラフラ家へ帰ったら、子供が玄関へ飛び出してきた。まだ口もろくにまわらん男の子が時代劇ドラマを見ておったのであろう、若い親父が帰った途端に普段は「パパ」と言っていたのが突然ちゃんと座って「父上」とうやうやしくお辞儀したという話があった。
私は非常におもしろい話だと思った。親子が転倒してしまっておる。親父が幼児に教えられた。ここに教育の微妙な法則がある。道徳自体は実に自然なものである。一番美しい自然である。だから、ドイツ語でも、フォアルビルト(Vorbild 垂範)という。この垂範・お手本になるには、手練手管、つまり機械的・功利的な手段とか理屈とかいうものは最もいけない。本質的な情緒というものが必要である。パスカルは、頭の論理に対して「感情は心の論理である」と言うておる。
人間が最もそのままの働きを感情というので、日本の代表的な哲学者である西田幾太郎(1870~1945)も情のことを「自我そのものの状態の意識である」と説明をしておる。道徳は、この感情・情緒・情操に訴えるのが一番有効である。そういう意味で、文芸や音楽というものをできるだけ活用することが大切であります。
私はその上において、昔の武士は偉いものだといつも感心する。ことに武士道が日本の女性を仕立て上げた。武士道における女性の人間形成なんてのは、いまのジャーナリズムには通用しないが、それは偉いものです。日本の女性の理想像とはいかにあるべきかということを考えて、道徳学習を徹底的に女性にほどこした。そうして座作進退、礼儀作法というものを徹底的に躾けておいて、今度は、音楽や文芸というものを通して、徹底して恋愛教育をやった。躾を通じて美的教育をやる。
ここに日本の女性の礼儀作法というものがある。西洋人に言わせるとこれぐらい美的なものはありません。
だから心ある歴史学者や社会学者は、徳川時代に武士道における婦人教育がなかったら。幕府は三百年ももたなかっただろうと指摘している。太平洋戦争でも、女性の方がしっかりしていて、弾力的・犠牲的だった。そこに日本女性の偉いところがあった。易哲学でいうと、陰が体(本体)で陽が用(働き)だ。だから男は子が産めない。最も造化・自然であるところの生産というものは、女性の仕事で、男はいかな英雄・豪傑でも子を産むことはできない。女性に任せなければどうにもならない。それだけ女性は包容力・忍耐力を持っておる。
そういうふうに、道徳というものは自然である。自然であるから、原則として教師たるものは自ら範を示すことである。その上に有効なる手段は、人間をそのまま反映するところの情緒というものを主として、これに理性とか知性というものを結びつけて、できるだけ文芸とか音楽とか、つまり礼楽を興すことである。これが道徳学習を進めていく大事な根本原則であります」
以上でございます。
お疲れさまでした。
ここまで読んできて思うことは、昭和四十二年の当時ですら、日本はひどい有様であったわけです。それが、令和の時代になるとどうなるか。
煽り運転だの、コンビニ店員のイタズラ動画だの、子供車中置き去りだの、日本人の劣化は目を覆うばかりです。盗みや殺しもひどいが、昨今はただただ自滅するだけの劣化が激しい。まあ、それでもここからさらに、まだまだ劣化するんだろうなぁ、とは思っておりますが。
ですが。
そこに救世主が現れた。
惰弱な日本に、是非・善悪を直言できないヘタレな日本に、イデオロギーに脳みそ溶かされてまともな思考能力もなくなってしまった日本に、光明を与える偉大なるメシアが現れたのであります。
そう。
我らがブンブン!
ここまでひどい奴がいるのか! ここまで愚劣な奴がいるのか! ここまで阿呆がいるのか!
いっかな情弱の日本人でも唖然とするほどのメシアの登場であります。人の振り見て我が振り直せといいますが、ここまで完璧で無欠の調律された反面教師は、世界史上でも相当に珍しい。本当に珍しい。本当に奇跡的存在であります。
ここにおいて、日本人は得難い敵役を見出したわけです。
平和平和と、ぬるま湯につかっておれば、ほとんどのリソースを経済に極振りしておれば、享楽に全神経をさいておれば、と生きていた日本人に、さすがにこれではいかんぞ、と思わせてくれたことに対する感謝の念にたえません。
自らの人生を、いえ、民族根幹から台無しにしてまで憎まれ役を買って、しくじり人生俺たちみたいになるな! となってくれた彼らに、わたしは内心密かに感謝の祈りを捧げるものであります。-人-。
ましてや、中共は世界支配の野心を隠そうともしない。そして、各国が全世界的に対中共に向けた戦略を練り始めた。
このままではいつ自壊するやも知れなかった日本が、ようやく日の目を見る好機が訪れたわけです。まあ、もっともそれでも前途多難であることはいうまでもありませんが、無自覚・無思想・無反省の日本人が、いよいよ日本精神に目覚めるときが来たのかも知れません。
そういう時勢にあって、わたしはブログを初めた当初からこれまで通り、安岡先生のおっしゃるとおり、
「いわゆる一燈照隅行で、一人ひとりがわが立つ一隅をそれぞれ照らしてゆく」
これを、恐らく死ぬまで続けるのみであります。このともしびがひとつからふたつ、ふたつからみっつへと拡大することを願って。
でぇじょうぶだぁ。
大和民族の潜在能力は、我々が想像できる以上に高いと思っておりますので。
といったところで『先哲が説く 指導者の条件』 で読む 熊沢蕃山 その三、はこれにて。
したらば。
「推し武道」のOPを聴きながら。
基本、アイドルものって、髪型がちょびっと違うだけで同じツラが並んでるとか、イミフにギスギスやったりしてあんまりおもしろくないから見ないことが多いですが、これは物語の組み立て方がよかったですね。くまささんの、ある意味悟った割り切り方も凄いw