『東洋宰相学』に学ぶ 恩田木工民親
これから『7Days to Die』を始めようと思う皆様に、経験者より一言。
一、宝箱の中身を残すな。
宝箱など中を漁れるものは、なんでもゲーム内時間の30日を目処に中が新しく入れ替わるそうです。ですが、これが中に物を残していると、何だ残ってんじゃ~ん、と判断されずっと昔に取りこぼしたものがそのままで放置されます。もったいないので捨ててもいいから中のものは空っぽにしませう。
一、漁れる容器は壊すな。
今見たように、モノを漁れるものはリセットされるわけですが、宝箱でもゴミ袋でもなんでも壊すことができます。ですが、壊してしまってはリセットどころの話ではない。漁ったものは壊さず放っておきましょう。で、思い出した頃にまた漁りましょう。ちなみに、わたしはこのリセットされるというのをつい最近知ったので、漁ったものは邪魔なものとみなして全部壊していましたとさ。
一、ティア5は開放しないほうがいいんじゃね?
トレーダーと呼ばれる商人のおっさん(一部例外あり)から受注できるクエストは、ティアという難易度によってランク分けされるわけですが、ティア4とティア5の難易度は別次元です。ティア4までならちょっと大きい一軒家とか、中規模店舗程度ですぐに終わるようなクエストばかりなのですが、ティア5は大工場、大ビル、大型アパート、大病院と、何階層、何十部屋にも分かれズンビー(ブードゥー教では、ンザンビというのだとか。wikiより)さんがめっさいらっさるのはともかく、ゾンビを殲滅しろ、なんていうクエストだと、めっさいらっさるゾンビさんをすべて探し出さねばならない。さらに、床とか穴空いているし、床が抜けるトラップもあったりして、ゾンビさんが足を踏み外して下に落っこちようものなら、いちいち救って(?)あげないといけなくなります。非常に邪魔くさい。それに高ティアだから宝箱にイイものがでるとは限りません。宝箱を漁った時の中身は、ゲームステージという別の判断基準で決定されるのでゲームステージさえ高くなればティア4とかでもイイものは出ます。
まあ、あれだけの巨大施設を作り上げ、それを迷路化する労力は賛嘆の一言ですが、はっきり言って面倒くさいw なので、ティア3まで開放すれば今の所(ゲームのバージョンα20ではティアごとにクエストが選べるようになるらしい。現在α19.3)ティア4までいけます。ティア4を開放してしまうと確か、10回ほどクエストを達成してしまうとティア5がクエスト受注欄に並んでしまうので、4は開放しない方がいいでしょうね。
一、ゾンビの湧き設定
このゲームの最大の売り(?)であるフェラルホード。ゲーム内で7日ごとの夜になるとプレイヤーめがけて陸続としてゾンビさんが襲いかかってくるというものがあります。初期設定ではそのホードにおけるゾンビさんの湧く数を設定でき、これは4体から64体まで選べるのですが、実は一回のホードにおけるゾンビさんの湧く総量は一緒なのだそうな。だから、64体湧きならいっぱい湧いて、すぐに終わらせることが出来るけど、基本設定の8体湧きとかだと、ちまちま倒していかないといけない。難易度にもよりますけど、8体湧きだと夜明けの4時までかかりますが、64体湧きだと22時開始の早いと2時頃には終わる。早く終われば終わるほど、ゲームをいったん終わらせてまた始めれば、フェラルホードがまた起こるので(おかわりホードと言われるそうな)、ゾンビさんが宝袋をじゃんじゃか落としてくれますのでホクホクになります。
ぼくのかんがえたさいきょうのげいげききょてん が出来た人は64体にしたほうがいいでしょうね。
あと、グチを。
ロボット砲台先生が床をすり抜けるバグ、いい加減直してくれい……。
先生が急に床をすり抜けて落っこちるバグが時々起こるのです。ゴッドモード(完全無敵状態)でもないと救出できないようなところいかれるのがすごい困る。こっちは無双のヘタレなんじゃからして、ズンビーさんが怖くて探索なんかできやしねぇ……。
ゲーム始めた当初は、おっかなくておっかなくて、ゲームをやっている家の外で散歩しているワンちゃんが「ワン!」って鳴いただけでビクッ! ってなるほどなんじゃから……。
何はともあれ良きサバイバル生活を!
……そうだ、ついでに小ネタを。これは今だけの現象かも知れませんが。
クエストというものは、トレーダーから受注して、現地に行って開始するわけです。すると、その現地の宝箱などは開始と同時にリセットされます。
で、クエストを開始するも、一旦ゲームを終了したとします。それからまたゲームを始めますと、あら不思議。クエスト開始前に戻ってしまいます。ですが。宝箱などは、すでにリセットされたままになります。
ここが最重要。
クエストを開始するも、ゲームを一旦終了することによってクエストは開始されなかったことにされます、ですが、宝箱などはきっちりリセットされるのです。
後は、分かるね?w
良きサバイバル生活を!w
さて、気を取り直して。おこんばんはです。豊臣亨です。
政治の空白が叫ばれて久しい昨今(温度差がすごいなぁw)。誰がなっても一緒なら、せめてこいつにだけは政権を取らせてはいけない、という消去法によって為政者が選ばれる時代になった現代日本。
財政窮迫、汚職に堕落、いつの時代もかわらぬ事態なれど現代ほど政治家の無能を嘆ずる時代はないのでは。
かつて、明治の新世紀には為政者たちはその幕開けを乾杯して祝ったと言いますし、民草も新しい時代がくれば江戸幕府の身分制度や厳しい法令によってがんじがらめにされた世は終わりを告げ、素晴らしい世界になると信じて疑いませんでしたが、さて、2000年代の一世紀もすでに五分の一が経過しましたが、良くなるどころかさらなる悪化しかなく、それどころか、まだまだ悪化の一途をたどるであろうことはすでに明白。
南洲翁、西郷隆盛公や日本史に残る最高峰の英俊であられた安岡先生ですら救えなかった日本です。もはや、後は滅亡を座視して待つほかないのですが、せめて、過去にどういった為政者が世を救おうと努力なされたのか、その記録を伺うのも悪いことではないでしょう。
ということで、今回伺うのは安岡先生の書『東洋宰相学』から、p157
成功の革新政治家・恩田木工民親
から学んでみましょう。
ということで、今回は○っと丸写しの回ナリ。
一 名君真田幸弘と木工の登用
「真実な意味で、前記のように(前章は失敗例、王安石と水野忠邦が示されていました)革新政治を遂行することは失敗しやすい。しかるにここに成功した革新政治の模範的実験ともいうべき一例がある。それはほとんど公式的単純さと精確さとを持つ点においてまた非常な妙味がある。
そのことは宝暦五年(徳川九代家重時代、西暦一七五五年)信州松代真田藩で、恩田木工民親(木工とは官位の名のこと。造営や材木の管理をする部署のことだとか。今で言いますと建設省に相当するのかな。wikiでは木工の部分はもく、と読んでいますね。杢という漢字をあてることもあるのだとか)が断行した藩政の大改革である。
松代真田藩の所領は信州善光寺平十万石であるが、幕府の搾取政策による各種の土木事業や、寛保の洪水のような災害に川中島の治水をはじめ失費が重なり、それに藩主の信安が、迎合に上手な小人を重用して、藩政をすっかり腐敗堕落させてしまい、財政は窮迫して、領民に献金を強い、来年度・来々年度分の租税まで前納させてなお足らず、寛保年中すでに幕府に一万両の借款を申し入れて救済を仰いでいる。結局どうにもならぬ財政的破滅に陥ってしまった。
宝暦二年、信安は病没して、十三歳の幸弘(初名幸豊)が封を襲いだ。この少年が非凡の名君たる天稟を具えていた。
幸弘は若年ながら老成した見識をもって、藩政を結局何人かに任せて非常の改革を断行するより外に救いがないと考え、ひそかにその人を物色して、家老の末席に在った、年まだ四十にたらぬ恩田木工民親に白羽の矢を立てた。
そして自分も襲封早々の年若であり、木工も地位から年齢からまだ貫禄のついていぬ者であるから、登用を独断専行せずに、宝暦五年の始め、江戸在府の時、親族会議を開いてつぶさに藩政の窮状を訴え、これを救うには恩田木工民親を挙げて改革を断行するほかにないことを説いて、親族一統より家老職列座のなかで彼を推挙してもらいたいと申し入れた。
こんな厄介な役を生き受けさせるのであるから、他人に文句のあろうはずもなく、早速藩の重だった者に恩田木工同道出府を命じて、親族一統立会の上、年寄役より藩政改革の全権を恩田に任せるから、家老をはじめ諸役人一同、万事木工の指図を受けて努力するよう、藩君の発意で親族一同談合の上取り決めたと申し渡した。
いずれも内心、事の意外に驚いたが、もちろんどうなるものでもなく、唯々として拝承した。
時に木工は進み出て、さような大役はとうてい自分ごときものの任ではないと辞退したが、これを辞退することは臣下として不忠であると励まされて、余儀なくお受けした。それについて何か註文はないかと問われて、それではこの大役は反対者があったり、命令が行われないと勤まらないから、家老始め諸役人いずれも木工の言うことは何によらず違背せぬという一札を入れさせていただきたい。その代わりに木工のやり方に不忠があれば、どんなにでも責罰されたい。それに対して決して恨みはしませぬという誓詞をお渡ししましょうと願って、希望通りに実行された」
ニ 嘘を言わぬ決心
「こういう一札を取って大任を引き受けた木工は、帰国早々まず家族、親類一統を招集して就任の報告をし、ついては一生の運命がここに定まることであるから、親類は今後義絶していただきたい。女房は離縁するから、親許へでも帰ってもらいたい。子供も勘当するから、何処へでもたちのくがよい。家来共も残らず暇をやるから、何方へでも奉公するがよかろう。もちろん欲しい必要なものは何でも分けてあげようと申し渡した。
驚いた夫人は、そんな大任をお引き受けになったからとて、一体われわれにどんな不届きがあって御暇を出されるのでしょうかと問い返した。
木工は、いやいや、何も不届きはないが、ただ役儀の邪魔になるからで、そのほか何の理由もないと答えた。何のことかさっぱり分からぬ親類衆も、木工殿は気でも狂われたのではないか。いくら何でも、それでは今後ただ一人どうするお心意か、はなはだ心もとない話だというわけで、代わる代わるその理由を話してもらいたいと、詰め寄るままに、木工ははじめて、それほどまでに言うならば、言うも無益と思って差し控えていたが、改めて言うて聞かそう。
今後の役儀を果たすについて、まず第一、自分は今後一切嘘を言わぬ決心である。しかるに女房はじめ皆々なかなかそうはいくまい。すると世間が信じない。
次に平生飯と汁との外は香の物も副食ゆえ食べぬつもりである。著物もすぐに木綿にしようと思うが、すでに有るものを舎いて新たに作るのはかえって費用がかかるから、在る物を著て、新しく作らねばならぬ時は木綿にする。女房共にそんなことはとうていできまいから、今のうちに暇をやるのだと説明した。
それでは御言葉通りに守りさえすれば宜しいのでしょうかという夫人に、いや、そうはゆかぬ。家来共にみんな暇をやれば、飯もたかねばならぬ、水も汲まねばならぬ。もちろんそういうことすべて相違なく実行致しましょう。誓うか。誓ってやりましょう。それなら問題ない。元々通りにしようというわけで、夫人と子供は解決した。
召使い一同も、そんな理由でお暇をもらっては世間に見棄てられてしまいます。どんなにでも辛抱しますから、置いていただきたいと懇願するので、それなら宜しい。ただし給金は今まで通りあげると言い渡した。彼らは、お給金も要りませぬと辞退したが、いやいや自分は千石も知行をとって、飯と汁とよりほか食わぬのであるから、別外費用はかからぬ。お前たちは妻子を養育する身であるから金も要る。それを出して、家内の入要を引いて、残りは差し上げるほかに考えはないのだといわれて、一同感激した。親類衆もみな感じ入り、義絶を取り消してもらって、有難く引き下がった」
三 意表をついた改革案の内容
「次には家老職より役人一同を集めて、別の誓詞を取り交わし、こういう革新は一人ではできない。皆の努力に待つことをねんごろに説いて、徹底的緊縮方針を宣言し、これに附帯する三条件を言明した。
その一、いくら緊縮政策を断行しても、お上の御用に事欠くようなことはできない。やはり十万石相応のことはせねばならぬこと。
その二、今まで俸給の天引きが行われていたが、これからは決して俸給の天引きを行わず、まるまる支給すること。その代わりに勤務は厳格にして、断じていい加減なことは許さない。
その三、右の通り厳格に勤務に服する余暇には、銘々好きなことをして楽しむがよい。詩歌・俳諧・謡・鼓・浄瑠璃・三味線・慰みならば博奕でも苦しくない。おのおの相応の娯楽がなければ平生しっかり勤めもできないから、そのつもりでやってもらいたい。
この言い渡しは実に藩士の意表に出るものであった。そのうちに藩主が帰国せられたので、藩主と打ち合わせの上、彼は領内の庄屋衆(村役人の一種)をはじめ、領民の各代表者、御用金上納者、年貢未納者を城内に招集し、藩士一同立会で、ますます意想外の会議を遂行した。
彼はこの度の大任を引き受けた顛末を報じ、これは要するに全藩を挙げて一致協力しなければ成功しない大問題で、この恩田に腹を切らせるかどうかも、一同の決心次第で定まるから、それで特に相談するのであると前置きして、次のような提議をした。
第一、自分は今度一切嘘は言わぬ。命令したことは決して変改しない。
ただしそれでは何か都合の悪いことが皆の衆にあるだろうか。――一同は、いや、今まで役人方は嘘を言って、人民をだまされるので困っていたが、嘘は言わぬ、一度命令したことは中途で変改せぬとなれば、実に結構ですと喜んだ。それでは。
第ニ、自分は今後吉凶にかかわらず、一切音物は受けないから、どんな軽い品でも、つけとどけは無用である。
それとも賄賂を取らぬと皆々難儀するようなことがあるのだろうか。――もちろん結構なことである、それでは諸役人へも一切賄賂は無用とする。
第三、今まで足軽千人の中、百人を所々の番人に残して、九百人を月々村々へ年貢催促に巡廻させていたそうであるが、今後は一人も出さぬつもりである。
これもまた事実どうだろうか。――それはなおさら結構なことで、実は年貢の催促よりも、その足軽衆が五日も七日も逗留して、荒し廻るので、ほとほと閉口してきた実情であるから、そうお願いできればこんな結構なことはありませんという。
第四、自分もそう長くはこのお役を勤められないかも知れないが、まず五年ほどはと考えておる。その間、地方の普請などは別として、上のための奉仕事業などは一切させぬつもりである。
それともこれまた何か困ることはないか。――諸役御免とはいよいよ有難いことで、彼らは何だか薄気味悪くなった。
ここで彼はまた一段改まって、これまでの事、逐一同意を得て満足であるが、これから一層大切な相談ゆえ、よく聞いてもらいたいとて、年貢の前納・前々納までしている人々に向かい、お前方は何故そんなことをしたのか。何か好いことでもあってやったのかと訪ねた。
とんでもない、お役人の命令ゆえ、やむなく従ったのですといえば、役人の命令であろうが、本年度分を出しさえすればいいものを、来年度分、来々年度分まで出す者も出す者なら、取る者も取る者だと一喝しておいて、さてそうはいうものの、実は何分お上の不如意のために、役人も無理と知りつつやったことであり、百姓も迷惑ながら、そこを察して甘んじて応じたのであるから、まことに正直な者である。
そんな百姓衆をお持ちになった殿も果報者であるが、そんなことではしかたがない。今後は来々年度分はもちろん、来年度分の前納も命じないから、左様心得てもらいたいと言明した。木工は更に御用金上納者に向かって、お前たちはなぜそれを出したのか。利息でもいただくのか。何か内々好いことでもあるのかと訊いた。
利息どころか、元金さえ返していただけない迷惑至極の沙汰ながら、お役人の厳命で、是非なく差し出した次第ですといえば、彼はまた、いくら役人の命令とて、無理をする要はない。たとえ公儀より殿様へ御用金申し付けられたとて、手前なら江戸へ参ってお断りする。出さぬとて殺しはせぬのに、出す者も出す者なら、取る者も取る者だ。
とはいうものの、これまたお上に金がなくて、江戸表の御用も勤まらぬための余儀ない次第で、お前たちが言うことを聞いてくれたので、諸方面に恥をかかずにすんだことである。しかし今後、御用金は一切命じないから、左様心得てもらいたいと申し渡した。一同いよいよ結構なことばかりである。
次に彼は年貢未納者に向かって、先納め、先々納めまでしている者のある中に、当然納めねばならぬ当年度の年貢を納めぬとは不埒千万、それを棄ておく役人も大不届き者だと大喝した。そうして顔を和らげて、怒ったものの、実はよくよく難儀な事情で納められなかったのであろう。
役人もそれが分かっているからあえて取りもしなかったのであろう。それこそ仁政というもので、有難いことだ。そこで未納の分は免除するから、今後は間違いなく納めないと厳罰すると申し渡した。感激したその連中は、たとえ裸になっても納めますと誓言した。
そこで彼は先納、先々納の面々に、何もかも存知の通りの次第ゆえ、これまでの分はどうか帳消しにしてもらえまいかと申し入れた。最初からの意想外な話に感じ入っていた一同に異存のあろうはずはない。満足した木工はこの上更に一つの無心がある。それが承知してもらえねば、お上も立たず、手前も腹を切らねばならぬ。それでこのことは今ここでとは言わぬから、村々へ帰って、皆とよく相談して返事してもらいたい。
そのことは、これまでの分を損にして、その上当年の分を納めてもらいたいことである。専門家にも計算させてみたり、自分でも算用してみるに、諸役人への賄賂やら年中の御役勤めに要する人足手間賃やら、足軽の接待に要る費用を勘定してみると、ほとんど年貢の七割方かかるようである。しかもそれは何にもならないことであるが、本後それが一切要らなくなるのであるから、それを思えば何とか承知してもらえることと思う。ここのところを皆々によく言うて聞かして納得の上、報せてもらいたいと懇説した。
一同は、よくわかりました。只今この場でもご返事申し上げられることですが、せっかくの覚召しゆえ、一度村に帰って、皆々によく申し聞かした上でお答え申し上げますと喜んで応じた。
木工はまた御用金上納者にも、金子は返済したいが、存知の通りの次第で只今はできないことであるから、妙な話だが、人の身代は今良くても、運が悪ければ子孫の代に貧乏するかも知れぬ。その節利息までは叶わぬが、元金はそういう子孫の者に返すように取り料ろうから、それまでお上に預けたことにしてもらえまいか。それがお前方への無心であるといった。もちろん一同は喜んで承諾した。
最後に彼は一同の賛成に感謝の意を表して、次回返答の節、手前始め一家中のこれまで悪かったと思われることを何なり遠慮なく書付にして、密封して差し出すように言った。皆々嬉しがって退出した。
代表者たちから委細伝え聞いた領民は快哉を叫んで、当年分はおろかなこと、二年分でも出そうじゃないかという元気であったので、ただちに領内一致快諾の旨が回答された。木工は満足して一同に、今後は領民も一層家業に精出すよう激励を与え、その代わりに慰みには何なり好きなことをしてよい。しかし博奕は天下の御法度である。商売にこれをする者があれば厳罰するが、慰みにする分には差し支えない。
それから信心を怠らずせよと教えた。そして一同から意見書の束を受け取って、早速藩公に、これですっかり財政が、しかも領民感激の中に整理されたことを報告して、お祝いを申し述べ、その意見書を披見されるように提出した」
四 毒を以て毒を制す
「領民からの忌憚のない意見書を逐一披見して、さすがの幸弘も役人の堕落に驚かされた。そして木工にその不正役人の処分を相談したが、木工はこれまた意外にも、こういう輩は厳罰すべきもので、中でもこれこれの者は死罪にあたりますが、さてこれほどの悪事も器量なくてはできぬことでありますから、逆に用いようによっては、改革のお役に立てることができます。構いませぬから、一つ彼らをお呼び出しになって、随分お顔を和やかになされて、この恩田の補佐役を仰せ付けていただきたいと申し上げた。
幸弘も危ぶみながら、ほかならぬ恩田のすることでるから、彼らを呼ばれてその通り命ぜられた。思いがけない大変革に狐につままれたようで、安い心もなかった彼らは、藩公から呼び出されて、すっかり観念して出頭したところが、案に相違の命令を受けて、さすがの悪党も木工に兜を脱いで、申し合わせて彼に努力を誓った。
毒を以て毒を制すとか、蛇の道は蛇ともいうが、これは木工が神経をいら立たせて、しかも手を下せば下すほど、裏をかかれ易い悪事の粛清を、きわめて平静に自然と消滅させる大きな効果があった。そればかりでなく、こういう興味のある利益もあった。あるとき幕府とのあいだの用件で、江戸役人から藩に金二千両の請求がきたのを木工が相談に上すと、彼らのなかの三人が進み出て、それは恐らく千二、三百両ですみましょう。私共に経験がありますから、お任せ下されば何とかしてきましょうというので、それは御苦労だが、そんなら宜しく頼むといって、木工は二千両持たせてやった。
すると果たして三人は千三百両でかたづけて、得々と七百両を持ち帰った。木工はこれを幸弘に報じて、どうせ二千両費えるところを、彼らによって七百両助かったのであるから、彼らにも報いてやっていただきたいとて、百両ずつを三人に与えて忠勤を奨励した。こうなると、小人も善が面白くなるものである。
彼は極端な倹約を励行して、食事などことに汁と飯に限ったほどであるが、その半面、信仰を奨励して仏事供養などを惜しみなく盛大にやらせ、そういう時には僧侶を始めとして、賓客や家族にも平等に大盤振る舞いをさせた。良い娯楽の奨励とともに、これはまた味のあるやり方である。
商売にすることは厳禁だが、慰みならば博奕でも構わぬと許したことは前にも記しておいたが、そのうちに、「慰みならば」という条件をすっかり等閑に附してしまって、公然博奕に耽り、大分身代限りをする者ができたという報せを聞いた彼は、或る日慰みの博奕に負けて難儀している者は藩で救済するから、遠慮なく届け出よと布告した。これは有難いとばかりに届け出は殺到した。
それに基づいて相手方を呼び出し、いちいち確かめたところが、もちろん皆公認のつもりであるから、その通り確認した。そこで彼は勝った者にそれだけの金子をことごとく皆負けた者に返還するように命じた。驚いて異議を申し立てる者に、彼はそれでは商売に博奕をした者であるから、法に遵って厳罰に処すると申し渡した。
これにはみな愕然として、彼の命令に服し、爾来博奕の流行はばったり止んでしまった。こういう風にして、彼は藩士に文武を奨励し、領民の教化に努力した。そして彼の五カ年計画は、五カ年ならずして領民謳歌のうちに立派な成功をしたのであった」
改革の第一は、嘘を言わぬことであるそうです。
吉田松陰先生も、
「至誠にして動かざるものは、未だこれあらざるなり」
という言葉を大事にされた通り、結局の所、いえ最初から、徹頭徹尾、人間、真心で臨むのが大事なことかと思います。
そう考えますと、現代政治家の何人に、至誠があるか。
嘘を言わぬ覚悟があるか。
この一事をもってしても、現代の政治家が信用するに値するかどうかが瞭然と言えるでしょうか。
いま眼前の問題だけかわせばよい、適当にごまかし、贅言を重ね、話題をそらせば良い。人の噂も七十五日という通り、どれほどの問題も喉元すぎれば暑さも寒さも忘れるというもの。
別にこれは何も政治家だけに限った話ではありません。会社でも何でも、嘘を言わない。己の欲っせざるところを人に施さない。そんな当たり前のことすら現代では失われているから、誰も彼も他人を信用しないし、自分さえよければそれで良い、という行動しか取らないわけです。
で、結局、てめえさえよければそれで良い、という生き方がいちばん大事な自分の人生すら台無しにしておるのに、そのことにすら気が付かない。
どこぞの、多目的トイレで致しておった有名人がいたように、昨今の有名人はその、いちばん大事な自分すらぶっ潰しておるのに、世の人々はそのことを完全に他人事とみなして、自分とは無関係と思っている。
根幹的な部分、嘘を言わない。
至誠をもって、真心をもってあたる。
そんなもっとも人として大事なことを何もわからないままで人生生きたところで、多目的トイレで致しておった人間と、本質的には何にも変わらないというのに。
目くそ鼻くそをわらうといいますが、自分自身をすら省みることができない多くの現代人は、すでにどれほど生きるに値する価値を喪失しているか。多分、背筋が凍るような悲惨な事実だと思います。
また、恩田木工の改革を伺ってみますと、多くは無駄を省き、賄賂や汚職を払底するという、ある意味至極当たり前の行動にみえますね。現代でも、賄賂だの献金だのは犯罪と決まっているはずなのに、それが絶えることはないわけで、それが結局のところ、まっとうなまつりごとの妨げになっている。
アベノマスクによってどれほどの防疫効果をあげたのかは不明瞭ですが、確かに、マスクが枯渇するような状況であった時だったからその点でだけは一定の意味はあったでしょう。しかし、その生産を受注した企業に関して不明瞭、闇が渦巻いているところなど、結局のところ本当に至誠がそこにあったのかはまったく分かりません。
すがっちに政権が切り替わってからもまったく何の手も打ってないところをみると、もう何もする気はないのだろうな、といったところですし、この状況下で緊急事態を宣言したところで、どれほどの効果が期待できるのか。
中共肺炎がここまで全世界に蔓延している以上、すでにインフルエンザと同等の存在であるわけで、確かに特効薬とか開発されない限りはもはや後は放っておく外はない。となれば、すべきはそれ以外であって、医療崩壊がおきそうならその対策を講じるべきでしょうね。
例えば、多分、現在ホテルとか旅館とかは相当利用客が激減しているでしょうから、特例措置としてそういう手の空いている方で希望者に、臨時の看護師になってもらえば良い。そして、防疫機能の高そうなホテルとかに軽度の症状の患者さんを移っていただいて病院の負担を減らす努力をすべきでしょう。
日本の科学力や技術を駆使すれば、相当高レベルな防疫室とか作り出せるでしょうし、その後の風評被害も減らせるでしょう。何なら、協力してくれたホテルや旅館には国をあげて掲揚すれば良い。国の威信とはこういう時に使うものです。宮内庁御用達、が一定の価値を担保するように、中共肺炎で献身的に尽くしてくれた日本が認めた優良なホテルや旅館、という印籠は、その後に価値があるでしょう。
外にも、ウーバーイーツのマネごとをすれば良い。国が補助金を出して郵便やヤマト運輸、佐川などが協力しあって、その地域のお店にあるほとんどの商品を、基本前金でネットやFAXなどで注文があれば届ける、という事業を始めればよい。雇用を生み出すことも出来るでしょうし、少しでも外出を減らせるでしょう。で、届ける際は一軒一軒に宅配ボックスの設置をすればよい。こうすれば盗まれる心配もないし、接触も減らせます。
また、中共肺炎保険もあってしかるべきかも知れません。
全国民に一月1000円ほど保険をかけてもらう。そうすれば一年で集まる資金は一兆二千億以上になるのかな。で、万が一死亡した際は1000万ほど死亡金が支払われる、みたいなことをすれば、何とか世界的な災いを乗り切れる前向きな話題になるかも知れません。もちろん、正確な数字などは専門家などが扱うべきでしょうが、中共肺炎の死亡率は日本ではそこまで大量ではないですし、保険の仕組みとしてもそこまで無理くりな話ではないかもです。
また、恩田木工は悪を悪として徹底的に断ずることなく、排除することなく、その器量に応じて使いこなしたわけですね。
【二卵を以て干城の将を棄つ】
という言葉があるように、人間には欲というものがある以上、どうしてもどんな素晴らしい人材であろうと玉に瑕というものはあります。ですが、それをいちいち排除しておっては結局何人も残らなくなってしまう。
大きな器をもつものは清濁併せ呑むといいますが、どこぞの、リベラルは排除します! で総理の道を自ら閉ざした小人がいるように現代の政治家にそんな器量などないのは明々白々であります。国家の大事を論ずる時に、区々たる些事にこだわるしか能がない。そんなわけで大局観などあるはずもない。
現代日本の有様を考えれば考えるほど、オツム空っぽにしてゲームしておったほうが有益な気がする次第です。
よし。今度こそチートなし(ゴッドモードなし)で遊んでみるかぁ。
と、言うわけで、したらば。
付記 ちなみに、wikiによりますと、賄賂を送って納税を見逃してもらっていた者もいたそうで、仁政、の部分も強烈な皮肉なんですかねぇ?w
若おかみは小学生! のED『NEW DAY』を聴きながら(ようつべではなくSpotifyで)。