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おっさんがマスクをする理由



 と、第しましておこんばんはです。豊臣亨です。


 日々、やほーなニュースを見ておりますと、一部、マスクなんてしなくていーよ。的な記事を見かけます。


 そういった内容では、曰く、


 マスクを強要する同調圧力、コロナ脳とか、


 風邪に毛が生えた程度の中共肺炎にここまで怯えまくって馬鹿じゃねぇの、とか、


 中共肺炎なぞ、インフルエンザの死者よりも少ない、とか、


 周囲の空気に流されて自分のオツムでものを考えることを放棄した阿呆な日本人、などなど。


 実に、中共肺炎を屁とも思わぬ強気な発言の数々であります。


 まあ、現代人がどれほど優れた叡智を具えた優秀な人々なのか、は、拈弄(ねんろう)(とっくりと思いこらすこと)なる検討が必要かとは存じますが、しかし、ことこの度に及んではマスクをしない理由を、そういったもので語ることは非常に危険と申しますか、迂闊のそしりを免れぬ恐れがあるかと存じます。



 わたしが何より恐れるのは、わたしが被害を受けるだけにとどまらず、わたしが中共肺炎を撒き散らすかもしれない、という事態であります。


 このことに関して、わたしには非常に印象的なセリフがあります。


 ガンダムユニコーンで、シナンジュを駆るフル・フロンタルがネェル・アーガマに迫った時、バナージはこう叫びます。




「『箱』なんて……。『箱』なんて渡しちゃえばいいでしょう!? 何なのかわからないもののために、人が大勢死ぬなんて……!」




 と。このバナージのある意味癇癪に、ダグザ中佐はこう詰め寄ります。




「では君は責任をとれるのか? 『ラプラスの箱』には、連邦を覆す何かが隠されているといわれている。それがネオ・ジオンの手に渡り、より多くの人の命を奪う結果を招いてしまった時、君は、なんと言って死者や遺族たちに詫びるつもりだ」




 東地宏樹さん演じるダグザ中佐のイケボが脳内に響き渡りますが、わたしがマスクをする理由とはまさしくここにあります。


 世はパンデミックです。


 しかも、黒死病やスペイン風邪に匹敵する人類史に永劫残るべき災禍であります。


 確かに、日本では、現状、死者は少ない。諸外国に比べてましても陰惨なる状況には至っておりません。


 夜、渋谷を歩いておりますと、「人多いよね?」という声を街歩く人々から聴けるくらい、人々が町に繰り出しておりもはや日常の喧騒を取り戻した感があります。


 しかし、だからといって中共肺炎が無毒化したわけでも、完全無欠なる治療薬が開発されたわけでもありません。ましてや、この度の中共肺炎は、抗体ができないとかいう話でありまして、ますます細菌兵器じみておりますが、つまり、いつ何時、この細菌兵器たる中共肺炎が怖ろしい変異を起こして強毒化したり、感染力を増加させたりしないとも、誰にも言えないわけで、開発した中共だって、世界に蔓延したこの細菌兵器がどのように変質するかなどまったく把握できないでしょう。だから、その恐ろしさを一番知っておる中共は肺炎鎮圧に党を上げて徹底してやったのでしょうから。


 確かに、人によっては今回の中共肺炎は、風邪の如きものでしょう。


 わたしも、夏が始まる前におかしな「風邪」をひきまして、熱がでて体がダルイ程度の症状ですみましたが、それは、わたしだからそれですんだのだ、ということであります。


 この中共肺炎によって、人は死ぬのであり、重症化するのであり、クラスターとなるのであり、様々な災厄を撒き散らすのであります。


 わたしにとっては風邪に毛が生えた程度もない、風邪の方がまだきついくらいでありましたが、それが別の人、たとえば、肺や気管支に懸念がある人、もしくは体が弱まっている人などに中共肺炎がうつれば、やはり、最悪の事態というのは起こるのであり、その時に、


「なんと言って死者や遺族たちに詫び」


 ればよいのでしょうか。


 そりゃ、自分も被害者なのであるから、この怒りを結集し、その発生源たる中共に叩きつけて初めて真の勝利を得ることができる。立てよ国民! と、開き直ることも不可能ではありませんが、そんな神経図太い人間に、自分がなれる自信はありませんし、そうならないための行動をとるべきであります。


 いま、重視すべきは、数字などではない。


 インフルエンザの方が死者が多かろうが、それがなんだというのか。


 愚かなワイドショーが騒音撒き散らしたからと言って、その非をただただ鼓を鳴らして攻めておってよいのか。ワイドショーの騒音は今に始まったことなどではない。存在自体が…(略


 いま、懸念すべきは自分が被害者になるだけではなく、自分も加害者の立ち位置になりかねない、という単純な事実であります。


 それが、単純に、マスクをすれば少しはその懸念が、自身が加害者になる恐れが少しでも軽減できるのなら、何を文句を言う必要があるのであろうか。


 自分がクラスターにならない、ということは、家族とか仕事場とか周囲とか、自身に関係する人たちへの配慮であり、思いやりであるのです。自分が加害者にならないですむ、という心の安全であります。


 ほんの少しでも自分の心の平穏が維持できて、他の人々への思いやりにもなる。マスクをするという簡単な行為で、それがなしうるというのなら、何を噛み付く必要があるのでありましょう。


 何度も取り上げますが、老子にもそういう言葉はあります。




【人の畏るるところはまた以って畏れざるべからず】




 人々が畏れはばかるところは、同じ様に畏れはばからねばならない。




 そういう配慮、思いやりを、ただ見下し、小馬鹿にし、己の思考を放棄し同調圧力に屈した愚民、と罵るのが現状果たして思想家として正しい言動であるかどうか、とっくりと思い巡らせるべきであります。


 尊大に中共肺炎を唾棄し、たかが風邪程度と軽んじるのは、わたしはまだはやい気がいたします。少なくとも、この中共肺炎が終息し、世界がこのパンデミックに怯えなくなってから振り返っても全然遅くない気がします。


 そして、


 わたしは、マスクしていない俺様カッケー とか言っている人間を、こうして記事越しに伺っておると、こういう人々は荘子の悪質なイミテーションに見えるんですよね。


 かつて、荘子は自分の女房が亡くなった時、どうせ人はいつか死ぬ、死ぬために生まれてきたのだ、だったら何を悲しむ必要があろう、と楽器を鳴らして歌っていたといいます。


 若い頃のわたしはそれを読んで、それが本質だカッケー! とか思ったものです。ですが、いっぱしに苦労して、学問が曲がりなりにもできあがると、こんなものは厨二病の戯言だと思うようになったのであります。


 孔子様も、家族の間は「直す」とおっしゃったように、家族に必要なのは正義とか道徳ではなく、情、なのであります。


 その、家族に向けるべき情をないがしろにしていくら本質を語ったところで、しょせん荘子は人間が出来上がっておらぬガキに過ぎません。


 マスクしていない俺様カッケー とか言っている人間は、人としての情をないがしろにして、正論を吐いておるのです。それがたとえ、どれほど正しいことであろうと、人の情から反れてしまっては未熟者の戯言に過ぎません。少なくとも、思想を学んだものなら、まだ中共肺炎が完全に終息していない世界情勢にあっては、静かに世に寄り添うべきであります。



 ちなみに、ダグザ中佐はこういうこともおっしゃっておいでですね。


 バナージの心臓、心に手を当てて、




「自分で自分を決められる、たったひとつの部品だ。なくすなよ」




 ありがちなセリフではあります。


 ありがちで当たり前のことですが、論語にはこういう言葉もありますね。




【己の欲せざる所を人に施すことなかれ】




 こんな当たり前の言葉すら言わざるを得ない孔子様のお心を思うなら、




「自分で自分を決められる、たったひとつの部品だ。なくすなよ」




 ありがちなセリフだからこそ、深く味わうべきでありましょう。


 

 といったところで今宵の戯言はここまで。


 したらば。



9/29付け足し


 そういえば、論語にはこういう言葉もありますね。




【喪はそのおさめんよりは寧ろいため】




 葬儀においては礼儀だ、作法だと気にするな、むしろ、悼め。




 古来チャイナでは親の葬儀はそれこそ真心を表すものとして最重視されました。喪に服す、として数えで三年、親の墓の世話を付きっ切りで行うほどに。


 そんな古代チャイナにあって孔子様は葬儀においては壮麗だとか豪華だとかを気にするくらいなら、まずもって悲しめ、とおっしゃっておいでです。


 人としての情は、それほど孔子様にあって大切なものなのです。葬儀を豪華にするなどと、そこを優先すべきではない、まず人として気になることがあるはずだろう、と。


 まあ、さすがに数えで三年、つまり丸二年も親の墓を付きっ切りで面倒見る、というのは当時からしてやりすぎ、という意見もあったようですけどね。とはいえ、この三年の服喪の作法を孔子様が発案されたかどうかは分かりませんし、孔子様としても実は思うところはありながらも、情として廃することができなかったのかも知れません。


 と、しょせん風邪、と豪語する記事を読んでおりますと、おっさんとしましては違和感を感じるしだいでのこの度のたわ言でございます。


 したらば、こんなところで。




Yamato Takeru Flower of desert  を聴きながら。


「ヤマトタケル」


 このアニメを知っている日本人ははて何人おわすか。かくいうわたしもどういう物語だったかまったく覚えてはおりませんが、このEDだけは今でも歌えますねぇ(TV版だけですが)。

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