〇〇、宰相やめるってよ
九月ですねぇ。
あと四ヶ月過ごせば一年終わるんですねぇ。
一年もそんな慌てずもうちょっとゆっくりしていけばいいんですけどねぇ。まあ、夏が終りはじめてちょっとほっとしておりますけどね。おこんばんはです。豊臣亨です。
しかし、ここまで退任を望まれた日本の首相も珍しいのでは。コロナ対策が大概失敗こいたあげく、急にやる気をなくしました的なネット記事が流れておったので辞めるってよ、とニュースが流れましても別段、「あ、そう」といった感じですが意外と世間の評判が悪くないですね。
トランプに至ってはいち早く日本史上で一番偉大だった、とのたまう。ってか、あんた日本の歴史なんてかけらも興味もないだろ、とは思いますが、各国首脳も軒並み高評価(カタツムリ in ロイコクロリディウム民族はのぞく)。各国首脳はともかくとしましても日本国内でも意外と悪くない。
偉大かどうかはさておき有能ではあった、などというコメントもとある違法サイトにもあるくらい。まあ、とある違法サイトはネトウヨがウヨウヨいるので鵜呑みにはできませんが、世間的な意見としましては、体調悪いなら仕方ないよねー、また再任してね。といった意見の方が多いのでは。
ここまで暖かい声が贈られるのは、わたしとしましては意外な感が非常に強いですね。
アベノマスク二世誕生か!? のニュースが流れたりと、こと、コロナに関してはほとんど頓珍漢な行動ばかりでまともなコロナ「対策」がそもそもできていないのではないかというのが世間的な評判だっただけに、
急にやる気なくしました、からの体調不良、からの辞任、と、体調不良、で何とかなってますがコロナ対策までの評価は非常に低く支持率もそれに伴った数字だったはずなのに、ここまでコロッと手のひらを反した反応になるのも意外に感じるなと言う方が無理でしょう。
マクドナルドのV字回復を見てわかりますように、日本人は基本ちょろいと言うべきか、それとも見事に立て直した経営陣を称賛すべきか、それともどっちもか。まあ、ここまで暖かい意見が多いのはそもそも、日本ではコロナがそこまで脅威にはならなかったから、かも。
コロナ発生からの初動にしたって、チャイナからの旅行客の流入を最後まで渋ったあげく、「ダイヤモンド・プリンセス」でコロナが大発生した時にはそれこそ専門家のツイートが一騒動になったりと、無能無策ぶりをこれでもかと発揮。全国民一律10万円支給にしたって最初は条件付き30万とか、迷走に次ぐ迷走。めんこいマスクを支給、とかニュースが流れた時にも何だかなぁ、と思ったもの。あの時は本当に日本はどうなるのか、というニュースがマスコミから呪詛のごとく流れてましたし、それが米国やら欧州に拡散して世界はどうなってしまうのか、といった感じに。
それが、都市閉鎖だの、食料品買い占めだの、てんやわんややった挙げ句に、実は日本ではコロナは言うほど脅威でも何でもなかった、というのが徐々に明らかになってしまい、為政者が何もしなくても日本では、国民レベルでなんとかなってしまう、というのがさらに明らかになって、いつもの通り、誰が為政者でもどうでもいいんじゃね? ということでしょうか。
これでコロナで東京で三万人規模の死者がでていたらどうなっていたことやら。
こんな状況で逃げんのかお前!? などという言葉も左翼以外からも聞けたでしょう。
【人間万事塞翁がんま】
の言葉通り、何が幸いとなって何が災いとなるか、ちょっと先も分かりませんね。
ですが、SO☆N☆TA☆KU☆ を日本にここまで拡散させたパワハラ総理の辞任がここまで静かなのも、何だかなぁ、とも思いますけどね。
森友・加計疑獄なんて、もうちょい突っ込めばなんとかなったはずなのに、野党が窮極の無能すぎてついに疑獄どまり。権力を乱用し、夫人の罪を隠蔽し当事者なのに証人喚問は徹底して拒否、財務省近畿財務局の職員が自殺する事態に。トカゲの尻尾切りは日本に限らず世界の政治の通常営業でしょうが、それでもここまでのことを為しておきながらその悪事を追求できない野党の無能さは、逆にすごいレベル。これが追求できないならそれ以外でなに言ったって通用するはずがない。
変な例えをするなら、46cm主砲が通じない相手に12.7cm砲が通じるわけがありません。
コロナで恐々としているさなかに、桜を見る会追求に固執とか、もはや空気を読めないどころか問題を認識する能力に根幹的な欠陥があることを露呈する始末。
おかげで最近は蓮○氏も静かですね。しゃべればしゃべるほど逆効果、ってさすがに分かったのかな。まあ、とっくに手遅れですけど。
在任期間が最長だったからこそなのか、歴代で最高に罵詈雑言を受けた宰相であろうことは間違いないと思います。この静かな辞任は飛ぶ鳥跡を濁さず、という言葉で言い表せるでしょうか。論語の言葉を引用するなら、
【成事は説かず、遂事は諌めず、既往は咎めず】
やってしまったもんはとやかく言わない。
すんでしまったことはいさめようがない。
終わったことをほじくり返さない。
ということでしょうか。
これがカタツムリ in ロイコクロリディウム民族だったら後から思いっきり叩かれそうですが、日本はそんなことはなさそうで、えがったえがった。
しかし、米中戦争、からの第三次世界大戦の機運も高まりを見せつつある世界情勢です。
世界情勢もさることながら日本国内だって問題はいつだって山積。
皇室にしたって、
このまま女性宮家創設を進めること無く放置しておけば、敬宮愛子内親王殿下、眞子内親王殿下、佳子内親王殿下、皆様それぞれご結婚あそばされますと、当然臣籍降下となり皇室におわす方は悠仁親王殿下ただお一人になってしまう。
日本におわす皇族が悠仁親王殿下のみ。
その時に至って、悠仁親王殿下のお妃探しはどうなるであろうか。日本のみならず、世界中の関心が凝集されるはずで皇后様の例を見ても明らかなように、候補、として名がマスコミに流れた瞬間、怖ろしいまでのストレスに苛まれることがいまからすでに予想されます。
お一人残される皇族であり、天皇になられるであろう悠仁親王殿下の妃になる、というのがどれほどの意味や価値を持つのか、それが現代の概念に侵された現代人の理解の及ぶ範疇か。
男系男子の、世界最長の王朝の血統を担うという、重責、覚悟をそのお人に負わせるのか。
我々民草がある意味無邪気に皇室を尊ぶのとは、全然世界が違う立場に立たされる方が、どういった心情をもたれるのか。
万世一系♪ 万世一系♫ と無邪気に民草は喜んでおればよいと思うのでしょうが、それは、それを背負った方々がおわすからこそ成し遂げられたことなのであり、今後もそれを背負う方がおわすという驚愕すべき歴史の連続なのであります。
それを思えばこそ、民草としては女性宮家も含め、女性天皇と、ありとあらゆる方策を考えねば、最悪の最悪、日本から皇室が消えてなくなってしまうという状況が、確かに迫っているということも理解すべきでありましょう。
男系男子のみ、などということを言っておっては、元も子もなくなってしまいかねません。皇統を維持するためには確実に側室という体制が必要となるのに、一夫一婦制という、キリスト教的概念を持ち込むから維持が難しくなるわけですが、しかし、西欧の概念にあわせて側室という体制を昭和聖帝陛下ご自身が否定なさっている。叡慮はくだされたわけで、それに沿って新たな体制を作る他ありません。
陛下の赤子として、信念に基づいた為政者の登場が待たれます。
せっかくなので、現為政者の最大の功労を考えますと、ズバリその在任期間でしょうね。それまで、誰がなっても同じ=今の総理が誰だったかさっぱり分からん。という日本を確実に変えたことは確かであり、だからこそ各国首脳陣からの称賛の声なのでしょう。
ちなみに、前の総理って誰だっけ? って考えましてもさっぱり出てこない。かけらも出てこない。wikiで調べますと、野田総理。のだって誰? レベル。
何をやったのかさっぱりわからねど、wikiにはこう出てきますね。
朝鮮学校無償化
こういうのを見ますとやはり、隔世の感あり、といったところですねぇ。
それまで、ポッポーゆきをとか、菅とか、恐怖の民主党政権だったわけで、その流れでの朝鮮学校無償化なのでしょうが、こういう、カタツムリ in ロイコクロリディウム民族を好き放題野放しにするという状況を食い止めた、という事実だけでも現政権の意義はあった気はいたします。
次期宰相は別の菅で決まりのようですが、少なくともこのまま日本を売り飛ばすようなのとは一線を画してほしいところではあります。ま、神様仏様米国様という奴隷構造は変わらないのでしょうけどね。
せっかくなので論語にあります、為政者にふさわしい有り様とは何か、というのを伺うのも悪いことではないでしょう。また、日本は民主主義と誇るのなら、人任せでよしとせず自分にもそれを課す気構えがほしいところであります。
【子曰く、政を為すに徳を以てすれば、譬えば北辰の其の所に居て衆星のこれに共うがごとし】
政治を行うに徳を根本に据えれば、それは例えば北極星がそのままにして動かずとも、周囲の星々がめぐるようなものだ。
論語でも古来名高い文章ですね。
唐の時代がまさにそうで、周辺国がこぞって親交を求めやって来た。
ある意味、すぐ近くに信義とは真逆の国がわらわらあるので、差別化は容易でしょう。この情勢を利用できないのは、むしろおかしいレベル。
【子曰く、之を導くに政を以てし、之を斉うるに刑を以ってすれば、民免れて恥無し。之を導くに德を以てし、之を斉うるに礼を以てすれば、恥有りてかつ格る】
民を導くに法令を第一とし、刑罰で制御を企てようとすれば、民は法の目をかいくぐることだけに汲々とし、悪徳を恥じるという気持ちすら失ってしまうだろう。
しかし、民を導くのに道徳を第一とし、礼儀作法によって日々を律すれば、民は何が善で何が悪かをはっきりと認識し、誰に言われるまでもなく己を正しくさせるだろう。
明治以降、日本が失った儒教、東洋思想とはこういうものですね。
明治維新を成し遂げた人々は、自分たちの根っこにこの東洋思想があったからそこまで考えつかなかったが、これを子供の頃からきちんと仕込むことが日本人を根っこから作り上げることであった。それをないがしろにした明治以降の日本人が、どんどん劣化していったのはむしろ当然と言えるでしょう。
で、いまは法治国家、と得々としておりますが、それによって現在の日本がどうなっておるか、ちょっと考えれば分かりそうなものです。
思えば今の日本人が、日本人をもってしてヤバくね? と思い始めたのはそれこそいろいろあるでしょうが、わたしにとって強烈だったのはコンビニ土下座事件ですかね。
客が何やら意味不明なことをほざき、店員に土下座を要求し、しかもそれを動画に乗せて拡散を図る。それを行った連中はそれこそ得々として行ったのでしょうが、それがどれほど許しがたい悪事か、ニュースにまで取り上げられてようやく理解できたのでしょう。それ以降もコンビニ店員の悪ふざけを動画に拡散と、いろいろありましたが、こういうオツムのおかしい連中がうじゃうじゃいるのがこの国であり、さすがにそこまでゆくとヤバい。と、現代日本人をもってしても思わしめたわけで、道徳もここまで低下したか、と改めて認識できたからこそ、こんなヤツらには絶対なってはいけない、と教えてくれた貴重な連中です。
論語でも道徳を学べますが、こういう下衆をもってしても道徳というのは学べるものであります。時習です。
ですが、こういう道徳というものをきちんと国家レベルで教えてくれる方がいいに決まっておるわけですが、今後も為政者に期待するのは100%無理に決まっておるわけで、自分で学ぶ他ありません。
【哀公問うて曰く、何を為さばすなわち民服せん。孔子対えて曰く、直きを挙げてこれを枉れるに錯けばすなわち民服す。枉れるを挙げてこれを直きに錯けばすなわち民服ぜず】
哀公(魯の第27代君主)が下問した。何をどうすれば民を悦服できるだろうか。孔子様がお答えするに、公が正直なものを取り立てて不誠実なものの上に位すれば民は従いましょう。
ですが、不誠実なものを取り立てて、正直者の上に据えれば民は反発するでしょう。
忖度を強いる政権を、民が悦服するとは、摩訶不思議なこともあったるものです。
まあ、現代日本では、何が善で何が悪かなど、もはや誰にもわからなくなっているのでしょう。
ナムナム。-人-
【子曰く、利によりて行えば、怨み多し】
利益ばかりを追求すれば恨みを買う。
資本主義がまさしくそういうことであり、中共が世界から嫌われておるのもこれですね。
山田方谷先生は、自身の論文『理財論』において、今の役人は、財政の窮迫やかかる費用については細かに論ずるのに、人心道徳の萎靡沈滞についてはまったく捨て置いているとしています。
賄賂や汚職、富貴や華美に流されて、人心がどんどん荒廃しているのに視野が利益一辺倒で義、道徳にまったく視野が向いていない。まずは為政者が質実剛健を実行し、余計な支出を減らせば国は自然とととのってゆく、と仰せです。
日本でも、教育をまず根幹から立て直し、道徳教育を論語から始め、古代の偉人はこうしたああしたをもっと徹底してやり、イデオロギーだのスローガンだの、表面糊塗主義がどれほど社会を害するか。ことの理非曲直を明らかにすれば、コンビニ土下座事件をみるように、人々というものは、特に日本人というものはそこに明確な悪があるならそれを忌避する精神があるはずなのであります。
若い頃から仕事についたときのことを心配してやるのも大事ですが、仕事なんていうものはそこに就いてからでも履修できるものでありまして、もっと人間を根幹から作ることを心配しなければせっかくの教育がむしろ害悪になっている、ということを理解するべきでしょう。わたしは学校の先生に恵まれましたからなんですが、少なくとも、学校で習ったことが社会でどれほど役に立ったかあんまり分かりませんね。分からないレベルで身についている、といえるかも知れませんが。
せっかくの学校教育が今の日本人にどれほどの価値があるのか、為政者には考えてほしいところではあります。
【子張、禄を干めんことを学ぶ。子曰わく、多く聞きて疑わしきを闕き、慎みてその余りを言えば、すなわち尤寡なし。多く見て殆うきを闕き、慎みてその余りを行えば、すなわち悔い寡なし。言に尤寡なく行いに悔寡なければ、禄はその中に在り】
子張さんがいかに職を得られるかを学んだ。孔子様がおっしゃるには、いろいろたくさんのことを聞くも正しくない内容をはぶいて口にすれば過ちは少なく出来る。
いろいろたくさんの物事を見て悪いものを取り除いて行えば後悔することも少なくなる。
言うことに間違いなく、行いに後悔がなければ職は自然と得られるだろうね。
人間の行いに、100%正しい、というのはそうそう出来ない以上、この、過ちを少なくする、というのが一番大事なわけで、ならどうするかといえば、自分を客観的に見る、というくらいしかありません。
わたしなどは、状況によっては怒りながらも怒っている自分を客観的に採点していたりしますね。怒る、という精神を冷静に見ることで怒りを制御する、ということですがこれによってどれほど猪突猛進のケがある自分から過ちを少なく出来ているか。その功徳は小さくないですね。
では、昔から、とある国では儒教の国、などという連中がいますが、とある国がどれほど儒教を理解していない連中か、論語で学んでみましょう。
【有子曰く、信、義に近づけば、言復むべし。恭、礼に近づけば、恥辱に遠ざかる。因ること、その親を失なわざれば、また宗とすべし】
有子さんが言われた。正しい信頼関係なら、その言葉どおりに行える。
礼節にのっとった恭しさなら恥をかくこともない。
親愛を失わない人を頼りとし、その人を尊ぶべき。
【子曰く、賢を見ては斉しからんことを思い、不賢を見ては内に自ら省みる】
優れた人をみては同じ様になろうと思い、ダメ人間を見てはこんなのになってはいかんと思う。
【子曰く、古者、言をこれ出ださざるは、躬の逮ばざるを恥じてなり】
昔の人が軽々しく発言しなかったのは、言うこととやることが背馳することを怖れたからだ。
【子曰く、君子は言に訥にして、行に敏ならんと欲す】
君子というものは、口数は少ないが、行いはただちにしようと思うものだ。
【子曰く、已矣乎。吾れ未だよくその過ちを見て内に自ら訟むる者を見ざるなり】
どうしようもない。
わたしはいまだに過失をもって自身の良心に恥じるものを見たことがない。
【子曰く、過ちて改めざる、是れを過ちという】
過ちを犯して改めない。これこそ過ちという。
こういうのを見ますと、どこぞのエセ儒教国とやらが、まったく論語を理解できない論語とは真逆の生き物であるということがわかるでしょう。そりゃあまあ、反日という寄生虫に脳みそ乗っ取られた連中なので論語などと高尚な学問ができるはずがないわけですが。こんな論語のろの字も理解できない連中を儒教国とか呼んだ連中は脳みその中「毛語録」で出来上がっていたのでしょう。
我国の為政者が、こうはならないことを祈るばかりであります。
と言ったところで今晩はこんなところで。
したらば。
キルラキル 2nd OP ED を聴きながら。
キルラキル見てた頃は、インパクト大のEDのアニメに度肝抜かれて(リアルタイムで「うる星やつら」みてましたしw)ED曲の良さが分かりませんでしたが、以前見返して初めて良さが沁みて分かった曲ですね。その時はしばらくこの曲が脳内を駆け巡ったものであります。
昨今こういう骨太なアニメがなくて寂しい限り。