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『切支丹研究』を読む ~後編の一~



 おこんばんはです。豊臣亨です。


 では、



『切支丹研究』を読む。



 これで終わろうかと思いましたがよくよく読み返すとまだまだご紹介したい一文がありましてもう少し続けるところ。なので後編の一w では、読んでまいりませう。


 いろいろな観点から、いろいろな論点で巧みな筆致で語られる本書ではありますが、中には、そもそも日本にやってきたフランシシコ・ザビエル、さらにイエズス会とは何ぞや? という疑問が浮かぶのも必然といえるでしょうか。


 今回はそんな一節。




「きりしたん時代の宣教師」 山本健吉




「私がまず「文人来遊史」を聖フランシスコ・シャビエルから始めることは、いささか離れすぎると思われるむきがあるかも知れない。もちろんシャヴィル(ザビエルでもシャビエルでもなく、シャヴィルと呼んだ理由は不明です。本書では人の名前の統一がなされず、作家によってザビエル、サヴィエルと自由に呼んでおられます。それはザビエルに限らず、ですが)は文人でも芸術家でもない。だが、シャビエルが日本にもたらしたものは未曾有の思想的体験であり、その結果として、日本に古代ローマに次ぐ大量の殉教者を出したことを思えば、私がシャビエルから筆を起こすことを大方は許されるであろうと思われるのである。


 私は昨年『きりしたん事始』という文章を書き(wikiによりますと、『きりしたん事始』芸術社 1956年)、かなりフィクションを交えながら彼の伝記の一部を書き綴った。ここではエッセイ風に、彼について書こうと思う。

50

 シャビエルについて、われわれ日本人が抱く感興は、決してその教義に対してではない。そのことは同時に、シャビエルもその創立者の一人であるイエズス会の綱領や規約や組織は、われわれに取って、さして興味のあることではないということだ。だがシャビエルをして、六千レグア(wikiでは、現在のスペインでは5572.7メートル、ポルトガルで5000メートル。距離は国と時代によって異なるが、だいたい4キロメートルから6.6キロメートルの範囲におさまるとあり、ポルトガルが簡単なので5キロとしますと、六千レグアは3万キロでしょうか)の波濤をしのいで、東亜に布教の第一歩を印せしめたあの壮図が、どういう理想に取り憑かれて決行されたものか。このことは必ずしも興味のないことではないのである。


 彼の師友とも言うべきロヨラの聖イグナシオを盟主とし、パリのマンモルトルでの請願によってイエズス会が結成されたのは、一五三四年八月十五日、「聖マリア被昇天の祝日」に当たっていた。


 時はちょうど、ルターやカルヴィンの宗教改革の時期に遭遇したので、イエズス会はその徹底した活動性と組織力とから、勢いカトリック教会側の反対改革の、もっとも強力な主動者となるに到ったが、結成の当初から、そういった意図を明確に持っていたわけではない。


 だがそれにしても、イエズス会がカトリック復興運動のもっとも行動的な修道会たるに到る素地は、始めから具えていたと言ってよい。


 ロヨラもシャビエルも、ピレネーの山ふところ、バスク族の血を()けた旧貴族の騎士的伝統を負うていた。バスク族はヨーロッパ最古の民族という強い自負を持ち(wikiによりますとチェ・ゲバラもバスク人)、その剽悍剛直勤勉と進取的な活動性とを以って知られ、その民族性は、ピオ・パローハの『バスク牧歌調』などの小説を通して、われわれにも多少のなじみがある。(批評家ドン・ミゲル・ウムナーノもバスク人である)人種的には謎の民族で、言語はフィンランド語やウラル・アルタイ語と同系統のものと言われているから、「はなれ東洋人種」と言ってもいいだろう。なお、シャビエルとは、バスク語で「新しい家」の意である。


 ロヨラやシャビエルは十字軍的雰囲気の覚めない中で、厳格な宗教的教育を受けたらしく、そのことが最初からイエズス会の性格を決定していたらしい。彼等が描き出したイエズスの肖像は、「天主の国の創立者」であり、「世界克服者」であり、「聖父の光栄と御旨のために活動し苦難する闘士」なのだ。


 福音書に親しんだ近代のわれわれなら、何という単純素朴なイエズスのイメーヂだと思うだろう。だが、少なくとも彼等が信じる神は、われわれの時代の哲学者の神、文学者の神、牧師の神ほど、うす汚れていなかったことも確かだろう。少なくともパスカルの言うヤコブの神、イサクの神、ヨゼフの神の近いものであったろう。


 彼等をして雄大な意図を抱かせ、イエズスの狂熱的な弟子として果敢な行動を起こさせるためには、そのような楽天的なイエズス像で十分だったのだ。彼等はイエズスと協力して悪魔・異端とたたかう戦場の闘士であり、天主の国を建設して全世界にこれを普及するイエズスの使徒たらんことを期し、従って会士には、兵士的な犠牲心や活動性や、克己と献身との意欲が、もっとも厳格に求められた。


 アウグスチヌス会やフランシスコ会やベネチクト会などが、その創立者または宗とする聖者の名前を負うているのに引き較べて、彼等の修道会が盟主イグナシヨでなくイエズスそのものの名を負うているのは、彼等の熱烈な信仰から発する抱負を如実に示してもいる。


 彼等はヘスイタ(ジェスイット。耶蘇会とも言われる)と呼ばれたが、これは「我が主イエズスをわが物顔にする連中」という侮蔑的な称呼で、その意味を転じて、彼等みずからも「わが主イエズスの忠実なともがら」という意味で用いるに到ったのであった。天から与えられたと自信する彼等の職分に対するあまりの熱心さが、ついには傲岸と偏狭とを生むに到ったことは否めないようだ。彼等はまた目的のためなら手段を選ばぬと言われたが、主の召命への一途な盲信が、ついには手段として陰険な政治的策略をすら採らしめることが、しばしばであったらしい。


 スタンダールの『赤と黒』に描かれたジェスイットの像からは、何とも名状しがたい、暗い、陰険な印象を受ける。


 このようなことは、結局彼等のキリスト像が、直接福音書によるものではなく、イグナシヨが霊感のうちに生きたという貧困な騎士道的キリスト像によって形成されたことによるものである。彼自身回心の機縁となったものは、福音書ではなくて一部のキリスト伝と聖人伝とであった。


 天主に転向した武人であった彼にとって、彼の胸を打ったものは悪魔の国に対する指導官としてのキリスト像であり、その宗教的英雄行為、とりわけ難行苦行によって騎士道を象徴する諸聖人たちの像であった。彼の幻想は、いつも騎士の理想、王命、旗風などによって充たされていたという。


 のち『イミタチオ・クリスチ』と一読して思想を深め、いわばバプテスマのヨハネの弟子から、キリストの弟子となるに到ったと言われる。それでもなお、彼の意図したことは世界の征服であって、使徒となって世界に踊り出で、新たな霊魂を天主のために獲得しようとするこであった」




「われわれの時代の哲学者の神、文学者の神、牧師の神ほど、うす汚れていなかった」


 牧師の神とはつまりプロテスタントのいうデウスですから、辛辣な文章ですね。


 その教義の中身はともかく、プロテスタントは牧師の結婚を禁止しませんし、女性の司祭も認められますから、十字軍的性格を帯びるというイエズス会の視点からすると確かに、「うす汚れた」という表現になるのももっとも、なのでしょうか。結婚という状態を、どういう視点でとらえるかによって論点が変わりますので一概には堕落とも言えないでしょうけど。




「十七世紀になると、パスカルを読んだものなら、ジェスイット対ジャンセニストのあの激しい論争を知っている。


『プロヴァンシアル』に描かれたジェスイットの像がどの程度に確かなものかは別として、少なくともわれわれから見れば、それは狂気の沙汰と言うべきであり、ヨーロッパ文化の暗い、醜悪な反面をここに見出すとさえ言いたくなる。理性的生活の伝統を少しでも持っているわれわれには、到底不可解という外はない。


 神の恩寵の絶対性を主張するパスカル並びにジャンセニストと、信仰に人間の自由意志の介在を許すジェスイットとがここに対立しているのだが、この論争の正否はともかくとして、そこに浮かび上がってくるジェスイットの姿は、真の叡智からは遠い。宗教は人間の自由意志を許容する多寡に応じて、ただの実践倫理とも化し、形式的な戒律とも化する危険をはらむ。この危険をも承知の上で、教会による秩序を絶対的条件とするのがカトリシズムであるとすれば、それはそこから生ずる如何なる悪をも否定の条件にはなしえない存在と言うべきだろう。


「人の悲惨を知らずに神を知ることは、傲慢を惹き起す。イエズス・キリストを知ることは、中間を取らせる。というのは、彼においてわれわれは神とわれわれの悲惨とを見出すからである」(パンセ)とパスカルは言っている。「人の悲惨を知らずに神を知る」と言ったとき、パスカルの頭にはジェスイットの傲慢さが浮かんでいたかも知れない。


「もし彼等( )(ジェスイット)が十字架に磔けられた神が愚かとせられるような国に行けば、十字架のつまづきを取り去り、ただイエズス・キリストのみを宣べ伝え、苦悩のイエズス・キリストを伝えません。それは彼等がインドやシナでやっていることであり、彼等は信者に、微妙な工夫によって偶像崇拝を許すのです。すなわち彼等の衣服の下にイエズス・キリストの聖像を隠し持たせ、彼等が釈迦や孔子の像に対して行う公礼拝を心の中でその聖像に捧げよと教えるのです」(プロヴァンシル、森有生氏訳)


 果たして彼等が、インドやシナで、このような便宜主義的な方法を用いたかどうか私は知らない。だがわれわれは、少なくともシャビエルが日本人ポウロ・アンジロウ等に対して、そのような態度を採らなかった例を見ることができる。


 苦悩のキリストを抹殺して光栄のキリストのみを宣べ伝えたということは、十七世紀のイエズス会士たちにはありそうなことである。十字架での死は恥ずべきであり、恥ずべきであったがゆえに騎士道の理想に反した。


 インド人やシナ人のみが十字架に躓いたのではない、彼等自身がすでに躓いていたのではなかったか。


 キリストの苦悩を抹殺して、光栄のみをあらわにすることは、救いの神、慈愛の神に代えるに、審判における怒りの神を以ってすることであり、それは義人の神であって、罪人の神ではない。ジェスイットの厳格さは究極においてパリサイの形式的な戒律主義に通じるものであった。


 これはパスカルの言葉を用いれば、キリストにおいて彼等はついに人間の悲惨を見出すことが出来なかった、否、人間の悲惨に対して故意に眼を閉じたことによるのだ。パスカルにおいては謙虚と剛毅とが、ジェスイットにあっては傲岸と貧困とが、楯の両面として共棲している。アランがパスカルとの論争に関連して、「ジェスイットの特徴は、決して口に出して言ってはならぬいろいろのことがあって、最善の態度はそういうことがらを少しも考えぬことだ、というところに在する」(文学語録)と言ったのは、まさに叙上のような彼等の思想の脆弱さを考えるとと、そのまま(うけが)(またはうべな)うことができるのである」




「宗教は人間の自由意志を許容する多寡に応じて、ただの実践倫理とも化し、形式的な戒律とも化する危険をはらむ。この危険をも承知の上で、教会による秩序を絶対的条件とするのがカトリシズムであるとすれば、それはそこから生ずる如何なる悪をも否定の条件にはなしえない存在と言うべきだろう」


 この一文をもっとも簡単に言い放ってしまうと、


 異端は皆殺しでOK


 あの女は魔女だから火炙りでOK


 となるわけですね。


 自分がデウスの意志を実行すべき絶対なる善である、と信じられるのならそこから発生する如何なる行動をも制約する理由にはなりえない。現代でも、法律に裁判官の恣意的判断を差し込めばどうとにでもなってしまうのと同じでしょうか。愛国無罪というやつです。ただ、『プロヴァンシアル』で論争したパスカルは、「我々の行為は、それを生み出す自由意志の故に我々自身のものであり、しかも我々の意思をしてそれを生み出させる恩寵の故に神のものである」と唱えたのだとか。これはまさしく即身成仏の思想と同じものなのです。パスカルという人物をwikiで見てみますと、



「哲学をばかにすることこそ、真に哲学することである」



 と言っていたり、実に楽しいお方であることが分かります。かの有名な「人間は考える葦である」という言葉も、



「人間はひとくきの葦にすぎない。自然のなかで最も弱いものである。だが、それは考える葦である。彼をおしつぶすために、宇宙全体が武装するには及ばない。蒸気や一滴の水でも彼を殺すのに十分である。だが、たとい宇宙が彼をおしつぶしても、人間は彼を殺すものより尊いだろう。なぜなら、彼は自分が死ねることと、宇宙の自分に対する優勢とを知っているからである。宇宙は何も知らない。だから、われわれの尊厳のすべては、考えることのなかにある。われわれはそこから立ち上がらなければならないのであって、われわれが満たすことのできない空間や時間からではない。だから、よく考えることを努めよう。ここに道徳の原理がある」



 と申されるお人であり、実に東洋的な思想の持ち主であることが分かるのであって、「彼等の思想の脆弱さ」と言うほどのお人であるかは疑問はつくところではあります。残念ながらパスカルは早熟の天才にして若くして世を去ったお人であり、この思想が円熟にまで達することもなかったようであります。このような人が長生きしてその思想を鼓吹することがあれば、この考える葦、は西洋における「他力本願」ともなり得たでしょうし、西洋の思想がもっとまろみを持ったでしょうに残念なことであります。


 とまれ( )(ともあれ)、


 イエズス会が結成されたのは1534年であり、ザビエルがやってきたのは1549年。結成から十五年という早さでの到来であり、それこそ彼等は使命に燃えて到来したわけで「次第にあらわになって来る欠点も、まだ積極面にかげに被われ、いわばまだ愛すべき欠点に過ぎなかった」わけで、自分たちとて初めて眼にする日本という世界に、デウスの教えを広めるのだ、という行為がどれほどの誇りと使命感によって裏打ちされ、どんな困難をも乗り越えてみせるぞという強靭な精神力になっていたかは、少しは分かるところでしょう。ですが、実は、悟り、という精神性を当たり前のように発揮する東洋、日本人に、磔という暗い面を隠した光栄のみのキリスト教を伝えることがどういうことなのか、を少し見てみましょう。




「初期きりしたんの伝道師たちが、このような烈々たる精神を持って来たことは、われわれにとって喜ばしいことであったが、また半面から、仏教徒渡来以来一千年を有する民族の宗教的体験の深さを思えば、彼等のもたらした救拯(きゅうじょう)(信仰によって救うという意味)の思想の貧困さが、ブレーキともなったことも否めないと思う。


 シャビエルの渡来以来九十年にして、ついにキリシタンは潜伏するの止むなきに到ったのであるが、その責任の一半は、確かに彼等の宗教思想の純粋さの欠如から来る政治的駈引(かけひき)にあった。九十年に亘る宗教的情熱の嵐を経験しながら、日本人の中から一人としてすぐれた大宗教家を生まなかったことを思うがよい。その点から言えば、われわれがまず最初に、イエズス会を通してキリスト教に触れたことは不幸であったと言えるかも知れない」




 パスカルが日本と出会っていたら。


 そう妄想するのも楽しいことではあります。




「「日本の信者には、一つの悲嘆がある。それは私達が教えること、すなわち地獄へ堕ちた人は、もはや全然救われないことを、非常に悲しむのである。亡くなった両親をはじめ、妻子や祖先への愛の故に、彼等の悲しんでいる様子は非常に哀れである。死んだ人のために、大勢の者が泣く。そして私に、あるいは施与、あるいは祈りを以って、死んだ人を助ける方法はないだろうかとたずねる。私は助ける方法はないと答えるばかりである。


 この悲嘆は、すこぶる大きい。けれども私は、彼等が自分の救霊をゆるがせにしないように、また彼等が祖先と共に、永劫の苦しみの処へは堕ちないようにと望んでいるから、彼等の悲嘆については、別に悲しく思わない。しかし、何故神は地獄の人を救うことができないか、とか、何故いつまでも地獄にいなければならないか、というような質問が出るので、私はそれに彼等の満足の行くまで答える。彼等は、自分の先祖が救われないことを知ると、泣くことをめない。私がこんなに愛している友人達が、手の施しようがないことについて泣いているのを見て、私も悲しくなって来る」(アルーベ神父、井上郁二共訳)


 これらの質問によってみれば、日本の信徒たちの思想は、少なくともその希求は、ジャンセニズムに似た恩寵の絶対性であるらしい。日本人は神の創った悪魔が永遠の刑罰と苦痛とをこうむったことに対して、刑罰に峻厳な神はごうも慈悲深いとは言えないことを抗議する。


 また地獄という怖ろしい牢獄を創る神、もっとも怖ろしい苦痛に永遠に悩まねばならない人々に対して憐憫を感じないような神は善い神とは言えぬこと、もし神が善であるなら、神は十誡なぞというむずかしい律法を人に課さなかったであろうということについて、弁じ立てるのである。


 日本人は、人が地獄に投ぜられるという思想を、救済の希望なしにはまったく理解できなかったのだ。


 これらの日本人らしい質疑に対して、どういう解答を与えたか、シャビエルには書いていない。それはイエズス会の会友に宛ててしたためられたのだから、異教徒のこのような質疑に対するカトリック的正解は自明のこととして書かず、続いて日本へ渡航すべき後進の会士たちに対して、あらかじめ心の準備をさせようとしたまでなのだ。


 だがこれらの質疑が、どういう根底において発せられているかをシャビエルが洞察したならば、彼はあまり軽くあつかうべきではなかった。


 これらの質疑は明らかに、浄土教徒――ことに真宗教徒のものである。


 仏教の諸派のなかで、もっともキリスト教に近い考え方の宗派であり、アミダという一神教的な人格神を持った一派である。それは日本の浄土系思想のもっとも純粋化された窮極であり、往生はすでに「决定(けつじょう)(阿弥陀仏の救済を確信する、悟り)」であり、従って念仏は救拯きゅうじょうへの希求ではなく、救われてあることを意識する者の「仏恩報謝(ぶっとんほうしゃ)(救われることに期待して善行を積むのではなく、救われることが決定であるからこそその御恩に報いるために善行を積むという思想)」にすぎない。


 つまり、アミダの恩寵の絶対性の思想なのだ。


 シャビエルは日本の宗教の主な開祖がシャカとアミダであることを分類的に知っていたが、浄土思想の日本の民衆への浸透の度合いについては、まったく理解を持たなかった。日本人にとっての躓きは、シナ人やインド人と違って、十字架ではなく審判であり、キリストの苦難ではなくかえってその光栄であったのだ。


 シャビエルが不思議とした日本人教徒の煩悶は、家族制度に馴致(じゅんち)(なじむこと)された彼等の生活感情を考えれば、少しも不自然ではなかった。融通念仏の開祖良忍(wikiによりますと、平安時代後期の天台宗の僧で、融通念仏宗の開祖。聖応大師とあり、良忍ご自身は天台宗ですが、融通念仏宗は浄土宗のようです)が、すでに



一人一切人、一切人一人


一行一切行、一切行一行



 と言っているのである。一人の功徳は一切人に通ずるとともに、一切人の功徳も一人に通ずる、すなわち相互に融通するものだというのである。これこそ己の祈りによって、愛する者たちの霊魂を救おうとした希求した彼等にとって、福音であった。また親鸞によって、善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をやという激しい言葉が、人間のありようへの深い洞察のもとに吐かれている。これは罪人を救おうとて来たったイエズスの福音に相応ずる。


 慈愛の宗教はすでにあった。そこにシャビエルたちが、永劫(のが)れることのできない地獄の観念を吹き込もうとしたとき、それは日本人たちにとって、特権の剥奪とさえ感じられたはずであったはずだ。


 だから、これら日本の信徒たちとの質疑応答によって、シャビエルが対決していたものは、まさしく真宗的思想であったと言ってもよい。この両者が窮極まで対決の相を示さなかったのは、たいへん惜しいことである。それは日本の思想史上の一大事件として、現れるべきものであったし、そのような思想的格闘を経て、日本人のあいだから偉大な宗教思想家が現れることも、不可能ではなかったと思えるのである」




 実に深く面白い。


 ここに日本人の精神性が見事に表されているわけですね。


 どうして日本人は大災害にあってお互いに助け合えるか。買い物をするとき、必然、順番を守ろうとするのか。よその民族がまったく真似できない精神性、モラル、秩序、これらは死んだ家族であろうと救いたい、救ってほしい、という日本人の慈悲の心から発しているわけですね。


 自分は家族と、家族は世間と、すべてがすべてにおいてつながっている、そう考えるからこそ、自分勝手な行動は厳に慎むべきだし、お天道様に顔向けできないような行為は恥ずべきである、と考える。


 自分の悪事がひるがえっては家族に跳ね返る、家族の死後の安寧もそこなってしまいかねない。すべてをひとつのものとして自得できる日本人だからこそ家族の死後ですら心配するのであり、死後をも心配するからこそ、現世においてもその言動は清く正しいものであった。すべてがひとつ、そのすべてがつながっている、と理解できるからこそ、慈悲の心が自然と沸き起こるのであって、慈悲、という概念は実は、日本人にしか出てこない、理解できない概念なのかも知れません。


 だからこそ、その慈悲の心に溢れた日本人からすると、人を裁いて、地獄に叩き落として、後は知ったこっちゃない。などという教えがありがたいものであるはずがなかった。「蜘蛛の糸」に見られるように、どんな極重悪人であろうと救われる価値が、救われる機会が、あるものだと思った。そう、信じたかった。殺人を犯した罪人であろうと、その人が改悛の心を見せたら、日本人は心情的に許さねばならなかった。


 死んでも許さず、墓を暴いて死者に鞭打つなどという行為は、日本人からすると唾棄すべき鬼畜の所業であります。


 個人主義の西洋と言われるように、自分さえ正しく生きて最後の審判に具えておればよいと、世界の関係をデウスと自分という対立関係、相関関係でしかとらえられず、一人で得々としていられるキリスト教の考えには賛同できないのも無理からぬことでありましょう。


 だからむしろ当然、そういった日本人古来の考えが滅びた時、あおり運転で人を殺しても、ぼっこすこに他のドライバーをぶん殴っても平気な人間が現れるに到った。


 日本人と、それ以外すべての民族という世界にあって、日本人としての精神性を保つことがどれほど、やがてそれが世界につながるか、世界の進化に日本人が寄与できるか、と理解できる人が増えてほしいものですね。それがひるがえって自分のためになるのであり、世界の劣化に歩調を合わせることは、自動的に、自分たちも滅亡の道を突き進んでいるのだ、とまで妄想できる人間であってほしいですね。



 といったところで、『切支丹研究』を読む、後編のその一、はこれまで。


 したらば。




 松浦有希 - ジャスト・オンリー・ユー・ノウ


 GUMI - Super Duper Love Love Days


 を聴きながら。


 ジャスト・オンリー・ユー・ノウ は機動戦艦ナデシコで聴ける歌で一番好きかも知れません。知名度恐ろしく低いですが。


 Super Duper Love Love Days はCCサクラの中でけっこう好きですね。CCサクラはいい歌が多すぎて一番は選べません。

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