マルクズ
マスゴミ、クズマさん、みたいなオツムの悪い題名で、どうもすいません(偉大なる師匠風)。おこんばんはです。豊臣亨です。
さて。
最近はこういう反共の動きもようやく高まりを見せておるようで、皆、考えることは同じと申しますか、軌を一にする、といったところでありましょうか。わたしもその動きに連動すると申しますか、とある有名な言葉を借りるなら「乗るしかないこのビッグウェーブに!」でありまして、古い言葉で言うと「バスに乗り遅れるな」となります。まあ、これは共産主義の標語ですが。
昨今、心ある、と申しますか反共的な人々にとっては悪の親玉、それこそ、暗黒破壊神レベルなカール・マルクズ。現代においても共産主義の生みの親として有名かと存じます。
古来、左翼学者どもが拝んで拝んでしょうがないので、何やら偉そうな人間らしい、写真を見る限りにおいても偉そうにしておる人間らしい、何やら偉そうな思考形態をぶち上げた人間らしい、ということは分かるものの、とはいえ、左翼でもあるまいしこんなゴミクズを本気で調べようとも思えないし、そもそも興味もない、というのが人情というもの。
かくいうわたしも、『資本論』なんて読む気もないし、読んだところで精神異常者のたわ言見せられて不快に感じるだけでしょうから何ら得るところがないと思っております。
とは申せ、「孫子」で、
【彼を知り己を知れば百戦して殆からず】
と言ったように、これからまさしく自由主義陣営対共産主義陣営で一大決戦に及ばんとしている世界情勢において、この、マルクズ、とはそもそも何やねん、というのも知っておくのも悪いことではないかと存じます。
ある意味、敵を、反面教師を知るからこそ自分の堕落を止められる、自分はこのようにはなってはいけない、という強力な自戒となりうるわけでして、かつて、わたしにもそういう経験がありました。まあ、今も常にあるわけですが、若い頃一番、衝撃が大きかったのがかの、
宮崎勤
でありまして、こいつの登場はわたしにとって青天の霹靂と申しますか、やつの面構えを見た瞬間悟ったんですよね。あ、わたしの未来の姿だ、と。連続幼女誘拐殺人事件が発覚したのが1989年といいますからわたしが中学生の頃ですので、厨二病真っ盛り。この頃のわたしは猿に毛が生えた程度の自我しかもっていなかったはずですが、それでもこいつの所業はわたしにとって強烈な自戒となりました。こいつにだけはなってはならない、と。
こいつもアニメや漫画が好きな、いわゆるオタクであり、わたしも同じような傾向がありつつも、わたしがこのような事件を起こすこともなく、こうして学問に邁進するようになったのも、この反面教師があったからだと、わたしは本気で思っております。
今時の若い人は分からんでしょうが、こいつがアニメ界やら漫画界やらに与えた影響は深甚でして、以降性的な表現に対して様々な規制がかかることになりますし、オタクは危険人物、という適正なんだか偏見なんだかよく分からん認識を周囲に増大させたのもここからですね。多分、わたしだけではない、多くのオタクにとってもこいつの存在は様々な意味で大きかったでしょう。
そういう意味で、わたしにとって非常に貴重な反面教師となったわけでありまして、わたしが、どこぞのとある半島国家に対して、素直にありがたい、と思えるのもこういう経験があるからであります。
こういう存在は明瞭に、敵、と認識できるからこそ、それへの対抗心、対抗策が醸成されるのでありまして、むしろ、得難い存在なのであります。それが敵であれ、なんであれ、素直に、真摯に受け止めてそれに対処してゆく、対応してゆく、というのが大事なのであります。「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」たところで周辺がそれをわざわざ乱してくれるのであるから、憲法九条なんて何の意味も価値もないということを、何より共産勢力が教えてくれるのであるからウケる。あれれ~おかしいぞ~? 九条のk(略 ちなみに、九条のk でも出てくるから検索したらダメw
では、本題に立ち返るといたしまして、今回も例によって例のごとく安岡先生に教えを請うわけですが、今回は○っと丸写す感じで。これは、
「人生の大則 人間学講話」 プレジデント社 から、p49
不和的人物―マルクスとその人
「達観すれば、宇宙も人生も大和の中に存在し、活動しているのであるが、その内容に立ち入れば、決して簡単なものではない。否、限りなく複雑微妙なものであって、見ようによっては大和とは大いなる矛盾ともとられるであろう。大いなる造化・永遠の生命の中に、間断なく新陳代謝が行われている。その一辺に即すれば、解せぬこと、耐えられぬことが多い。
現代文明生活そのものの中にも容易ならぬ自壊性がある。徹底して言えば、人間自体の中に、生きようとする本能と死のうとする本能――建設的傾向と破壊的傾向とが間断なく争っている。そういう相反する力の相克が(もっと深く論ずるとまた違ってくるが)、物理・化学・生物学の世界においても行われておると同じように、人間をあるいは進歩せしめ、あるいは退行させる、その死本能・破壊的傾向が、大戦の後には、ダダイズム(退廃的芸術運動なのだとか)やエキジスタンシアリズム(実存主義なのだとか)のような、虚無的・背徳的思想行動を生じた。革命の流行思想もまたこれと深い関係がある。
今日は教育を受けた者ほど、革命を避けられないもののように考えている。彼らは革命によって無能で腐敗した政府の代わりに、新鮮で活気に富み、聡明で有能な政府を打ち立て、続々人気ある新政策を断行して、内に平和と希望を実現し、外国に対して力のある友好関係を開けるように、なんとなく感ぜられる。ところが近来の事実はその反対で、無秩序と動乱と、暴力と恐怖と、困窮と破滅と、すべて意想外な惨事が起こりがちである。革命の歴史研究家であるアメリカのC・ブリントン教授も、その好著『革命の解剖』の中で、
「革命の免れがたい非常事態は、幾百万の人間を不義と圧制との恐怖に陥れ、善良な人々ならば滅多に受けるはずのないような苦痛の中に多数を突き落とした。苟も思慮の深い人ならば、これらの革命の記録を通じて、たとえ革命のある目的がどんなに望ましいものであるにしても、否、革命の実際の成果のあるものがどんなに望ましいものであるにしても、そのために支払われた社会的・精神的犠牲が大きすぎるということを知るに違いない。恐らく我々としては、その犠牲は払うだけの価値あるものであったと結論しなければならないだろうが、同時にまたやはり、将来においては、こういう犠牲を避けることに努力しなければなならない」
と論じておる。まことに着実な科学的結論である。
実際、悲惨な革命は避けようと思えば十分避けられるものである。いかなる革命も決して故なくして突然起こるものではない。必ずそれ相応の原因由来がある。特に政治の無能と腐敗、それに伴う民衆生活の困窮と前途の不安、民衆の為政者に対する失望・軽蔑・憎悪・怨嗟は常に革命を惹起する先行条件である。
戦争による荒廃と絶望的苦悩はその最も強烈な誘引となる。それとともに我々はまた初めに述べたような文明の神経症的精神病傾向に深く注意せねばならない。環境のはなはだしい荒廃は、その中で生活する者に、知らず識らず耐えがたい孤独感や無力感を抱かせる。
これを仔細に検討したフロイトを始めとして、多くの心理学者たちがこの秘密を説明しておるが、それは人間に内在する複雑なマゾヒズムやサディズム的倒錯をかきたてる。
マゾヒズム的傾向というのは、自ら進んで何かを為そうという自主的な意見も気力もなく、たえずなにか頼りになるものに寄りかかろうとして、漠然と悩んでおるのが始まりで、それからだんだん自己の劣等感・無力感・個人の無意味さというような感じに強く支配され、良識のある者から見ると、少し変だと思われるような自己批判や自己非難に耽り、それなら歯を噛みしめて克己修練すればよいのに、それは一向しないで、果ては悪魔の思うつぼに嵌まって、自滅の谷に転落してゆくような者のことである。
サディズム的傾向はこれとは逆に、他の者をまるで陶工の手中の土のように自由にひねくり回したい。自由にひねくるばかりでなく、進んでこれを責め苛み、虐げ、傷つけ、しかも相手が苦しみもがくのを見て楽しむというもので、こういう傾向の強い精神異常者は、自分を非凡な人間のように倒錯し、神より特に選ばれた教祖や、偉大な革命家を以て任ずるようになりやすい。
この二つが陰と陽との理にしたがってまた相交錯し、苦しめられ、追い回され、辱められながら、それに興奮し、満足する狂信的な人間、サド・マゾヒストが続出する。革命は正しく行われるよりも、こうした妖性の場合がいつも多い。試みに近代の革命思想家・革命家の有名な人々の実体を赤裸々に観察してみよう。
近世革命思想を論ずる場合、まず誰にも思い出されるのはルソーである。
ルソーはたしかに天才であった。非凡人であった。しかし同時に精神病的人物であったことも確かである。彼の父はジュネーヴの時計師であったが、軽薄で、性急な放蕩者で、ルソーもその系統を引いて、神経質な、たえず精神の動揺する、意志薄弱な、性的変態者であった。
しかしその半面に不羈奔放な思想と、きわめて魅力に富んだ文才に恵まれていた。有名なヴォルテールが「ルソーを読むと、動物のように森の中を走り回りたくなる」といったくらいである。その魅力で、彼は文明を憎み、自然に返れと叫び、急激な社会変革を扇動した。
そのルソーに帰依したトルストイも、名門の出であるが、悪質の血統を遺伝している。トルストイ家には凶暴な性癖や奇矯な変質者が多く、彼も放蕩から禁欲へ、絶対的懐疑から信仰へと、極端から極端に変わっている。
同じくロシアの貴族出身で、無政府主義を主張し、徹頭徹尾マルクスと喧嘩したバクーニンはどうか。彼は好んで強盗・窃盗・酔漢・浮浪人と交わり、いつも乾杯する時は、「願わくば一切の法律も秩序も破壊せられ、悪辣な情意の解放せられんことを」と唱えた。彼は「革命の初日にはなくてはならぬが、二日目には射殺されねばならぬ人間」と評されておる。まったく「不思議なロシア人」であったのである。
そのバクーニンが影響を受けたフランスのプルードンは、「魔神サタンよ、汝の本体がなんであろうとも、俺の父祖が神と教会とに反抗して帰依した汝悪鬼こそ俺の味方である」と叫び、神を罵り、人間の財産を盗品とし、文明を呪詛した。この師にしてこの弟子あり、バクーニンと好一対である。そのバクーニンをして、「ウラルからアドリア海に至るすべてのスラヴ人は、その言語がどんなに違っていようとも、次の言葉だけは共通してもっている。即ち”ドイツ人を倒せ!”これだ」と叫ぶに至らしめたのは主としてマルクスのためだといわれる。そのマルクスとはいったいどんな人物であろう。
この共産主義者の偶像になっておるマルクスが、またどう贔屓目に見ても正常な人間ではない。
マルクスのような人物が輩出することは容易ならぬ不祥である。しかるにこれほどマルキシズムが流行し批判されておりながら、ほとんどマルクスの人物が正しく人々に伝えられていないことは怪しむべきことである。
その点でシュワルツシルドの『赤いプロシア人・カール・マルクスの生涯と伝説(滝口直次郎訳『人間マルクス』)は材料をことごとくモスクワのマルクス・エンゲルス研究所版に採っており、素直にありのままの人間マルクスを露呈しているのがおもしろい。すべて学説の前に、伝記(それも正確な)を知らねばならない。
カール・マルクスの父ハインリッヒ・マルクスは弁護士で、その愛児の教育には留意しておったが、父は彼について気になることを発見した。それは彼が一向に学校友達というものをつくらず、友達について何の話もせず、友達に手紙を書いたこともなく、ほとんど友情を解しないということであった。
彼は自由な時間はできるだけ大人と過ごした。それも二人だけである。一人は彼の父であり、他はプロシア王国枢密顧問官のウェストファーレンであった。この娘が後に彼の妻となったのである。彼はこの二人の大人に対して、飽くことを知らず質問や議論を吹きかけては、しつこく食い下がった。
彼は目が黒く、顔は浅黒く、鼻はやや平べったくて、ムーア人に似ておったので、ウェストファーレンはマルクスの父に、「君のムーア人は昨日もまた僕を絞ったよ」と笑いながらよく語った。マルクスは母とも合わなかったようである。
マルクスはトリエールで大学予備校を卒業してから、ボン大学に入学することに決めた。当時卒業試験を終わった学生たちは、大学に行く前に旧師を公式に訪問することが一つの礼儀になっておって、それを怠るのは師に対する侮辱とまで見られていたそうであるが、彼はついに一回も訪問しなかった。
父は彼の性格の中にだんだん厭わしいものを発見して、ボンにおる彼に、「お前はいろいろ良い性質もあるが、しかしお前は利己主義の熱に支配されているというお前に対する私の考えが残念ながらお前のやり方によってますます深められた」といっている。また別の手紙の中には、「お前は自己保存に必要以上の利己主義をもっている」とも指摘しておる。
マルクスは長男であり、学校の成績も良かったが、次男は低能、三男は病弱であり、結核で夭折した。ほかにも五人姉妹があったので、父の家計は決して楽ではなかった。しかしマルクスはこれに対する遠慮気がねなど一向なく、ボン大学の学生時代には、一番金持ちの子弟でさえも、年に八○○ターレル(wikiによると16世紀以来数百年にわたりヨーロッパ中で使われていた大型銀貨だとか)は使わないのに、彼は七○○ターレル以上も使って父を困らせた。
そして、その金を搾りとるために、彼は不正直な傾向をも示し始めた。両親あての手紙には、大仰な誇張に満ちた形容詞を使って、父の「胸を悪く」した。この父も彼の二十歳の三月に亡くなり、それから三年間、彼はベルリンに遊学して、母に残されたわずかな資産の中から送金を受けていたのに、トリエールの家に帰ってからは、母や家族の者と折り合いが悪く、母も姉も、「お前はもう二十四になったのだから、母や多数の子供たちが生活するのに必要なわずかな収入に寄食しているのは男らしくない。かつ無責任だから、自分で働いて生活するように」と説いたが、彼は「家の連中は金があるのに私の生活を妨害する」とひねくれ、他人にやる手紙の中にも、「もっとも厭わしい家庭争議」のことを書いて、「母が生きているかぎり、私は財産をもらうことができない」とこぼしている。
そして結局この母にも一生食い下がり(父のわずかな遺産が母の所有になっていて、母が死ねば彼のものになるわけであった)、弁護士までかけて搾取した。母が死んだ時には残額わずか十二ポンドしかなく、彼をいたく失望させた。
貧乏は彼を深刻に苦しめた。貧に対する洒落なふうなど全然ない。プロレタリアの独裁者と以て任ずるマルクスは、娘のラウラが好いていた求婚者ラファーグに手紙をやって、「事を進めて約束したりする前に、そちらの家庭の経済事情について、はっきり知りたい」と要求しており、その富裕なことを知って安心したのである。
「僕の金銭事情の秘密」――エンゲルスへの彼の手紙の中の語である――をラファーグに知られることを恐れて、「実際のことを知らさないでおく必要があった」(同じくエンゲルスへの書信)と策している。しかしこの婿は出来損ないで、娘のラウラは結局、母同様家計に苦しめられ、ついに自殺した。
マルクスと交際した友人は皆悩まされた。彼のベルリン時代、もっとも親密な友人と彼自ら語っていたルーテンベルグ(プロシア兵学校講師)は、いっしょに地方新聞を経営するや、たちまち「批判的才能も独立の能力もまったく欠いていて」「彼の主要の仕事は句読点を直すことだけだ」と排撃され、激しい敵視を受けた。
彼は額は高くなく、耳は突き出ていて、金切り声で、印象はよくなかった。葡萄酒が好きで、上機嫌の時は冗談も言ったそうであるが、出し抜けに、同じテーブルの誰かに、「僕は君をやっつけてやるぞ」と言う妙な癖があって、それを繰り返し繰り返し言っては愉快がった。彼の古い友達の一人であるルーゲは、「マルクスは歯をむき出して笑いながら、彼の行く手の邪魔になるものは誰でも抹殺するだろう」と評している。
また同志の一人クリーゲは、社会主義の宣伝に、愛とか、人道とか、道徳とかいうような言葉を三十五度も使ったことを指摘されて、「そんな”空文句”で説明する”感傷的な婆ども”は、反動主義にほかならぬ」とマルクスから大攻撃を受けた。
バクーニンはよほどマルクスを嫌ったと見えて、マルクスやエンゲルス、ことにマルクスを、「いつも災いの種を播きちらす奴」といっており、また「虚栄心と悪意と喧嘩と理論的狭量、要するに虚言と愚鈍、愚鈍と虚言だ。こんな奴らと一緒では呼吸も楽にできない」と憤慨している。
またマルクスの長年の友であり、同志であり、援助者であったフライリッヒラートも、最後に彼から報いられたものは「脂ぎった俗物」「鼻持ちならぬ奴」「卑劣な無頼漢」「豚野郎」(マルクスよりエンゲルスへの手紙による)の罵倒であった。かつマルクスのためには最も強烈で忠実な信者であり、また経済的にも、彼の経済学批判の著述を出版するためにも、犠牲的に尽力してくれた恩人であるラッサールさえ、事ごとに「ラッサールの犬め!」と呼ばれている。しかもラッサールは寛容であった。
その彼が拳銃の決闘の結果、非命に斃れた時、マルクスの弔事は単に、「あんな騒々しい、押しの強い男が本当に死んでしまって、これから永久に口を閉じてしまったことはなかなか信じられんことだ」であった。
ただ一人、生涯形影相したがって、あらゆる尽力を吝まなかったエンゲルスでさえ、実は最愛の妻を亡くして、マンチェスターで悲嘆に暮れていた時に、マルクスはあっさりした弔みの手紙の中に、例によって自分の窮乏を訴えて、至急金を送れといってやった。
これにはさすがのエンゲルスも怒りを爆発させて、「今度の僕の苦しみと、君の取ったまことに冷たい態度を考えるとすぐに返事が書けなかったわけがわかるだろう。僕の友人は教養のない連中まで、みな予想以上の友情と同情を寄せてくれたが、君は例の冷酷なものの考え方の優れていることを示す適当な機会だと考えたらしい。それもよかろう。君は勝利を楽しむがよい」と書いたのであるが、少々考えなおして最後の文を消し、「今は金がない」という文句に改めて出したのである。それも極度の窮乏の罪に帰している。
プロレタリアも実はマルクス・エンゲルスにかかると、「あいつら」「あの驢馬ども」「何でも信じる愚かな労働者」であり、エンゲルスよりマルクスへの手紙の一つには、「民主主義的愚民や、赤い愚民の間で、いや共産主義的愚民の間でさえ、僕らは人気を博するようなことはないだろう」といっていることも、また忘れられぬ記録である。
革命の亡命者たちも彼らにかかっては、「ひきがえる」であり、「賤民」であり、「亡命愚民」であり、「ジャーナリズムの穢土の中にひしめく腐った亡命隊」であったのである。
彼に添い遂げた妻ジャニー・ウェストファーレンほど気の毒な女はない。彼はこの妻だけは心から愛した。一八七一年八月か九月に、マルクスからエンゲルスに出した手紙によれば、この妻の里方の兄がプロシアの内務大臣になった時、ロンドンで貧乏のどん底にあったマルクスは、妻のために「ジェニー・マルクス夫人・旧姓ウェストファーレン男爵」という名刺を刷っている。
マルクスはこのような人物である。以上のことを知れば、たとえこういう人物がどんな天才であったとしても、心ある者は絶対にマルキストになれないはずである。そして人間にこういう者が出ること、こういう人間がいかにして救われるか、救われないかというようなことも、深く省察すべき問題である。こういう問題になれば、もはやイデオロギー論争ではだめである。結局宗教的問題である。しかしその宗教も世俗宗教では歯が立たない。堂々たる人道国家を建設することのできる宗教でなければならぬ。マルクスの執念ほどの深刻熱烈な求道者が出てこなければ、なかなかマルクス主義を救うことはできないであろう」
マルクズに類する思考形態が人類史上において救うに値するものであるかは、十二分なる熟慮が必要かとは存じますが。
また、
「知命と立命 人間学講話」 プレジデント社
の、p264にはこうあります。
マルクス主義者の共通性
「マルクス主義者には、どこかマルクスと共通性がある。そういう共産党員が握ったクレムリンのやり方とか、北京のやり方というものは実に憎悪と復讐の権化だ。その点ではスターリンも毛沢東も同じである。スターリンなどは、晩年のレーニンが非常に嫌がった。なんとかしてスターリンを退けたいと思ったが、逆にスターリンにやられてしまってレーニンが先に死んでしまった。
毛沢東もそういう意味においては実に非人情的で残虐な人物です。
この毛沢東が長征といって、蒋介石の国民政府軍から江西省の瑞金を追い出されて、長征万里と逃げまわって行くところがなくなって、結局山西省の延安に入った。彼を延安に迎え入れて彼を保護した、彼から言えば足を向けて寝られない恩人、それが高崗(一九○五~五五、中共幹部)です。ところが、毛沢東はこの高崗を粛清してしまった。
この前、日本に来ていた、中国人でたった一人のキリスト教カソリックの大司教になっている于斌(一九○一~七八、wikiによると、中国のカトリック教会の枢機卿。洗礼名は「パウロ」。中国人として二人目の枢機卿である。カトリック南京大司教)という立派な人物がいる。この人はカソリック教徒を使って、共産党政権になってから、中国の各省から各県まで入って実情を調査し、その報告をまとめている。
共産党政府によって直接粛清の名において殺された者は七百万人と共産党は発表している。ところが直接粛清された者のほかに、それに関連して強制労働とかなんとかという名目で死んだ者、自殺した者、餓死した者を合計すると一億人をくだらない、と于斌さんは私に言った。
ソ連も同じこと。チャーチルが戦後初めてスターリンに会って雑談したとき、スターリンがコルホーズを作って農業の集団化政策をやった時に、農民の反抗に遭い、その際に殺されたり流刑されたりして死んだ農民の総数は三千万といわれるのだが、「あのコルホーズ政策に対する農民の集団的反抗にはあなたもずいぶんと困っただろう」とチャーチルが言ったら、スターリンが、いかにも無造作に「人間の代わりはいくらでもいる」と嘯いておったという。
それでチャーチルは、「実に憎むべき奴だと反感を覚えた」と語っている。これらは共産党の共通性です。こういう人たちが指導した革命闘争というものは、過激派、ボルシェビィキと言われるくらい惨憺たるもの、強烈なものである。これは世界中スターリンからカストロに至るまでどの国でも共通だ。それは共産党員というものが、人間性の点で共通するそういう悪魔的なものをもっているからで、これがどうしても共産主義革命が許せない所以です。やはりどこまでも人道主義、今日でいうならば自由主義・民主主義でなければいけない」
○っと丸写してみましたが、いかがだったでしょうか。
簡単に言ってみれば、マルクズは人類史における明々白々たるゴミクズであって、共産主義者などとほざく生き物はこのゴミクズのデッドコピーなのである、ということであります。そう思うと以前ちょびっと見ました、恩義に報いる心があったヒットラーはなんて偉大な指導者であったことか。マルクズとは雲泥の差があります。
そう考えてみますと、ソ連だの中共だの、日本共産党だの社会党だの立憲だの、朝日新聞だの毎日新聞だのNHKだの、そういう共産連中にまともな人間がいないことが、ある意味当然といえるでしょう。
そして、GHQのご命令による公職追放令によって、日本の教育界、大学だの日教組だの何だのにこういった共産勢力がはびこっていったのであって、戦後、日本人からまともな人材を輩出できなくなっていったのも、ある意味当然と言えるでしょう。
きちんとした正しい東洋思想を学んだ人間だったら分かるとは思いますが、イデオロギーとは、そもそもにおいて人間のレベルからいうと非常にお粗末な、劣化したものの見方なのであって、まともな学問がある人間だったら取り上げる価値すらないのが必然分かるはずなのであります。どこの時代の東洋思想家に、自分をほったらかしにして世界を変革しよう、そうすれば世界は良くなる、などとほざく曲学阿世の徒がいたでしょうか。いるはずがありません。
なので、まあ、すべての共産学者の言動をつぶさに観察したことなどありませんが、こういう連中に本当に東洋思想を語る能力などないであろう、ということが分かる。共産勢力に語れるのは、スローガン、標語、キャッチコピーであって物事を極めて単純化した一面的なものの見方でしかなく、人々に本質的な、根幹的な視野を養うような思想が言えたことはないし、言えるはずがない。劣化した、お粗末な思考で物事を透徹して考えられるはずがない。
「東洋学発掘」 明徳出版社
において、こうあります。p122
シュンペーターの告白
「オーストリアの世界的経済学者で、大蔵大臣やエジプトの財政顧問などもして日本にもよく知られたシュンペーター教授(一八八三~一九五○)が、私は今までいつも誤った認識をした。人間であるかぎり、これは避けられない。しかしただ一つ私に容すことのできない誤信があった。私はかつて社会主義者は政治家としても他の政治家とは異なり、一般に高い人格的教養を具え、その政治にも、文化人の政治としても恥ずかしくない洗練味があり得ると思っていた。
ところが現実の体験は私のこの期待を裏切り、私の誤信を容すことの出来ないものにした――と語り、教授がドイツの社会主義者に言及して、彼等が官界の座り心地のよい安楽椅子の中に安易な自尊心を以て腰を下ろした姿を慨嘆した話を聞いたことがありましたが、もはやいかなる愚者も単なるイデオロギーや組織制度の改廃ぐらいで日本が救われようなどとは信じられないでしょう。
要するに人々が己一人を無力なもの「ごまめの歯ぎしり」とは思わず、いかに自分の存在が些細なものであっても、それは普く人々――社会に連関していることを体認して、まず自ら善くし、また自己の周囲を善くし、荒涼たる世間の砂漠の一隅に緑のオアシスを作ることであります。家庭に好い家風を作り、職場に好い風気を作れぬような人間共が集まって、どうして幸福を人類に実現など出来ましょうか」
そして、それを救う方法は、正しい学問と、正しい信仰、ということになるでしょうが、もっとも、人類はこの二つを自家薬籠中の物にするのに、あと何世紀かかることでしょうね。もはや、永劫自得することも、ましてや理解することすらできないのかも知れません。
少なくとも、わたしは安岡先生のデッドコピーを以て任じておるわけですが、王陽明先生はこういうことをおっしゃっておいでです。
【聖人の聖たる所以は、ただこれその心の天理に純にして、人欲の雑無きこと、なお精金の精たる所以は、ただその成色足りて、銅鉛の雑無きを以てなるがごとし。人は天理に純なるに到れば方にこれ聖なり】
聖人はなにゆえ、聖人なのか。それは、その御心が天の理に背くことなく、金銭だの所有だの、人間の欲得にまみれることがないからだ。
例えるなら、まざりもののない純金にこそその価値があるのと同様である。
人は、その心が天に背くことなく純粋であれば、それは聖人と等しいのだ。まざりもののない金と、言えるだろう。
その後に続けて、孔子様は大量の金であって、我々は少しかも知れないがそれでも金は金なのだ、とおっしゃるわけで、そういう意味でいいますと、わたしも純金の塊である安岡先生に比べれば、砂金ほどの価値もあるかどうかは知りませんが、それでも金としての価値があるわけであります。まごうことなき金、なわけです。
それに引き換え、マルクズのデッドコピーの連中の無様なこと。
ゴミクズの大量生産粗悪品とか、あまりに情けなくてわたしだったら首くくってもおかしくありませんが、まあ、劣化しまくった感性、思考なので何にも、いさかかの痛痒すら感じないのでしょう。にんともかんとも。
しかし、情けないことに世界は自由主義陣営対共産主義陣営と、しょせん、イデオロギーの対立なのであります。最終的に米国が勝つにしても、しょせん、イデオロギーに支配された世界であって、トランプのデッドコピーを大量生産し続けるのでありましょう。
また、懸念はイデオロギーだけにとどまりません。何でも、英国の空母がアジアに向けてやってくるかも知れない、などという記事もありますし、世界情勢は着々と第三次世界大戦に向けて進行中に見えます。
第三次世界大戦が始まれば、どこぞのとある半島国家をぼこぼこにしてやるぜ、などと思っている人がいるかも知れませんが、まず、考えられることは勃発と同時の緒戦で、ぼっこぼこにされるのは日本である、ということを肝に銘ずべきでありましょう。何故か。位置を見たら明らかですね。
日本は工業力、科学力、軍事力、すべてにおいて一級品であり、しかも、米国の最前線基地です。
開戦ともなればベトナム戦争当時のように、便利に使い回されることは火を見るより明らかであって、そんな最前線基地をほったらかしにして戦争しよう、などと思う大国がどこにあるでしょう。あるはずがありません。
戦国時代で例えると、中共を石田三成公として、米国を権現様としますと、日本は鳥居元忠さんの籠もる伏見城であります。
伏見城を無視して関が原に向かうことなどあり得るでしょうか。あり得ません。緒戦の士気向上のためにも、叩きやすいところをまずもって徹底的に叩き、気炎を吐くのが最上であります。
そうなるとまず考えられるのが、核ミサイルによる殲滅か、そうでなくとも大陸間弾道ミサイルによる全面飽和攻撃かでありまして、日本の都市という都市、基地という基地はまずもってぼっこぼこに叩き潰され、いの一番に滅亡に追いやられる可能性が異様に高い、と見るべきでしょう。
大体、第三次世界大戦は自由主義対共産主義の戦いであって、負ければ国家がぶっ潰されるのが分かっている中共が、手加減などするはずがありません。日本や台湾を緒戦でぶっ潰しても、米国、英国、豪州(いまさらですが、何で豪国、じゃないんだろう? と思って調べますと植民地時代の名残らしい??)、インドを敵に回して中共が勝利をおさめるのは難しい。最悪の最悪、全世界核戦争に成り果てる危険性すらある。何せ、第二次大戦後、初めての核戦力保有国同士による武力衝突になるでしょうし、日本が生き残るには、中共や北半島、おロシアのミサイルサイロを発射出来ないように叩く以外にないでしょうが、まさしく、みっそんいんぽっしぶる、と言えるでしょう。
まあ、有り得べからざる妄想はここまでにしまして、イデオロギーなどという下らない戯言にうつつを抜かしていないで、本当の学問を己の身に宿し、いわゆる、腐った性根を叩き直す、ということをしないかぎり永劫に自分自身を救えやしないわけです。
中共の文化大革命やソ連の大虐殺を偉業として褒め称えながら、慰安婦を問題だと騒ぐような人間になるのが、人類にとってのより良い進化と言えるかどうか。
自分たちの暴力は最大限、究極まで認めながら、敵対勢力の暴力はこれを一切認めず、平和だの第九条だのを標榜するのが人間のなすべき業なのかどうか。
本心では、人権とは、人間を好き放題虐殺し、弾圧し、強姦し、粛清できる権利のことだと思っているような連中と、本気で人付き合いが出来ると思えるのかどうか。
ゴミクズというのがどういうものか、それをはっきり認識していただいて、自分だけはあんなのにはならないぞ、と決意していただける一助となりましたら幸いでございます。
といったところで本日はここまで。
したらば。
ドット・ハック つながるセカイ を聴きながら。