7/17の本日のおっさんのたわ言
おこんばんはです。おっさんです。くだんの戯言です。
最近、ごーとーごーとーうるさい。
強盗がどうした。
なんでこいつらはいちいち英語にしないと物事を表現出来ないんだろう。
正しい日本語を遣いたい実行委員の一人(居直り)として、もうアホらしすぎて意味を調べる気にもならん。そんなに英語が喋りたければ本国いけばいいんだし、せめて香港あたりでやってくれ。
大体、東京ガー。東京ガー。と毎日騒いでおるが、パンデミックやってんだからそりゃ何百人だって感染者がでるだろ。バイオハザード状態なんだから。大事なのは、いったい何人の死者が出ておるのかであって、一万人単位で死者が出てから騒げよ、と、本当に思う。
もっと言うなら、いい加減慣れろよ、と思う。
中共肺炎が上陸していったい何ヶ月経ってると思ってやがる。
ビートルズがやってきたってこんだけ経てばそうそう騒がんだろうが。
それで我々民草は毎日勤勉に労働に勤しんでおるのだからそれでいいだろうが。わーわー騒いだくらいで日本の経済にどれほどの影響があるんだよ。わたしごときには想像すらできんが、あの東京自粛でかかった費用を考えれば、すぐに再自粛だ~、などといえんぐらいの金がかかるはずなのであり、その費用だって結局税金じゃろがい。
江戸時代のように、地方は地方で独自色を出してきちんと質実剛健やってるんならともかく、地方にまかせたってろくなことにはならないことは、昔、地方に一億ばらまいてもまともな発想、想像力もないことはすでに実証されたはず。
金のこけし作ったり、でっけえ土偶作ったり、
温泉掘って金儲けした成功例もあるものの、全体を俯瞰すればどうかは分かったものではない。
中央集権で東京の命令しか実行できない現状も大変でしょうし、独自財源がなければなんにもできんでしょうが、わたしからいえば、よそはよそ、うちはうちで自分たちの王国は自分たちでもり立ててゆくのだ、という気骨もなしに、国が金くれないから何もできないじゃないか、というどこぞの半島民根性でどうする、と言いたい。
こんな現状に比べますと日露戦争当時、こんなお話があったそうです。
これは安岡先生の書、
「日本の伝統精神 この国はいかに進むべきか」 PHP文庫
から伺ってみましょう。
紀州男児の典型、岡崎邦輔
岡崎さんという人は当時政友会にあって、自分で先頭に立つよりは、人々のとりまとめをしておられたお方のようです。日露戦争当時、日本軍が満州は奉天にたどりついたということで日本国民は勝った勝ったと騒いでいるも、軍費は足りぬし、武器・弾薬・食料・被服等あらゆる物資が底をついているような状況で、困った政府中枢は神経衰弱になってしまうほどの状態であったとか。p218
「当時この時局を心から心配された人々が政党の中にもさすがにおった。
今日の政党とは違う。紀州の岡崎さんは心からこの時局を心配されて、彼は同志とひそかに首相を訪れて、これはその時の首相の秘書官をしておられた亡き中島久萬吉翁から直接再三にわたって聞いた話でありますが、岡崎さんが代表で総理の所に来られて、
「御苦心のほどは重々お察しする。さぞご心配であろう。しかし一日も早く鉾をおさめようというならば、そういう風に国民を指導しなくてはいけない。
今度の戦争に与党も野党もない。
我々は共にそれぞれの立場において、全力をあげてこの国の安泰を計らねばならぬ。どうぞ御心配なく隔意なく本当のことを言って下さい。そうすれば、我々が出来るだけ協力を致します」
ということを言われた。
桂首相は涙を流して感謝されたということである」
かつての日本人には、慈悲の心も、思いやりの心もあった。
国家の一大事には、党派の垣根を超えて団結する義の心があった。
それに比べますと近頃は、国家の安危をはかるどころか、本を読んで己の精神の涵養もできない、自分の人生を何より大事にするということすら理解できない、
ただただ文句を言って、反対して、騒ぐだけの、
女の腐ったようなやつ、ならぬ、
どこぞの半島民の腐ったようなやつ、が多すぎる気が致しますが、如何。