おっさんのたわ言
7/3 誤字訂正
おこんばんはです。おっさんです。
今回はちょっとしたついーと、と言いますか、毎度毎度のたわ言を。
ヤホーニュースを見ておりますと、昨今とみに人種問題でぴりぴりしておる米国などでは、アニメなどで登場する人種に声をあてるのはその人種であるべきだ、などという議論が出ておるそうな。
白人キャラなら白人の役者が、黒人キャラなら黒人の役者が、というわけですね。
もう、昨今の米国の人種問題は、もはや米国版文化大革命とまで言われておるそうで、ちょっとでも差別の歴史やら白人優位の歴史なんかあればがんがん取り潰しておるそうで、なんとも気宇壮大なことで大変結構なことではありますが、しかし、わたしからしますとちょっと疑問。
アニメとなれば、白人、黒人以外にもいろいろキャラクターが登場しますよね?
でぜにーアニメでいいましても『ライオンキング』とか『美女と野獣』とか、人間ではないキャラだってたくさんいるわけですが、そのキャラにはその人種しか声をあててはならないとしたら、こういった人間以外のキャラには今後、誰が声をあててゆくのでしょうね??
それこそ、ネアンデルタール人なんかキャラに使ったら、ネアンデルタール人さんを呼ばないといけませんし、
今後、『シュレック』なんかも続編を作るとしたら、シュレックさんご本人を呼ぶのでしょうかね?
ティンカーベルとか、もう妖精さんを呼ばないといけません。
今後スーパーマンで映画化となれば、本物のスーパーマンでなければいけなくなりそうです。
まあ、そんなことはありえないとしてデジタル音声でしゃべらせるのでしょうけどね。差別やら色んな問題を一挙に解決してやろうという意気込みは拍手喝采を送ってあげたいですが、そんな、魂のこもってない合成したセリフに、目の肥えた米国人がどれくらい納得できるのでしょうかね。
もう少し現実的なことをいえば、白人の俳優の声の吹き替えを日本人が担当してはいけない白人にやらせろ、とかになったら一部の人々は大満足でしょうが、へたくそな日本語を話す白人のセリフで映画なんか見せられた日には誰も米国のアニメも映画も見向きもしなくなるでしょうね。字幕で見ろ、ってことかもですけど。
米国人の、何か問題があれば即座に極論にまでもってゆく精神性は、本当に頭が下がる思いがいたしますし、米国の信奉する自由というものがもたらす結果なのですから、米国人としては本望なのでしょうね。
おフランスの作家で、ポール・ヴァレリーという人はこういう風なことを言ったそうな。
「原始人はちょうど獣と同じで、その瞬間、瞬間でしか生きていない。
人間は原始状態に近ければ近いほどそれだけ過去も未来も意識することもなくなる」
ポール・ヴァレリーというお人は、
「我々は未来に向かって後ずさりしているかのような」
的なことを言ったお人だとか。wikiによれば堀辰雄の中編小説『風立ちぬ』の題名ともなった詩を書いたお人だとか。
孔子様はこういうお言葉を残されておられますね。
「吾嘗て終日食らはず、終夜寝ねず、以て思ふ。益無し。学ぶに如かざるなり」
わたしは昔、一日中、食べもせず寝もせず、ず~っと考え込んだことがある。
それで分かった。無意味だと。
学問に勝るものはない。
学問とは、偉大な先哲の教えを受けること、その教えの精髄である本を読むこと、であります。
そう思いますと、いまの米国人は誰から学んでいるのでしょうね。
といったところで、おっさんのたわ言はこれまで。
7/4 追記
つれづれ考えておったのですが、これって実は今回の白黒問題における、人種差別問題の解消を目指しているように見せかけて、実は真逆の問題を内包しているような気がいたします。
何故なら、
「白人キャラなら白人の役者が、黒人キャラなら黒人の役者」
これって、要は人種隔離でしょ。
人種問題解決を目指しているように見せかけながら、その実、人種隔離思考をまき散らしている危険性が高い気がするのです。
これを突き詰めれば、容易に、
「白人と黒人の婚姻はまかりならん」
になりそうな気がしません?
いかにも米国らしく白黒問題に明瞭に白黒つけようとしていますが、こういった問題を軽薄に、極端に扱えば扱うほど問題をさらにややこしくしておるような気がしてなりません。
実は、なにゆえ、日本が世界最長の歴史をことほいできたかといえば、むしろこういう問題に白黒つけずぼやかして曖昧にすませていた、対立を煽らず敵対関係をはっきりさせず、なぁなぁ、でやって来たからこそ、平和にやってきたわけで、このなぁなぁ、というのが種々の問題はありながらも、東洋の最高峰の叡智なのだと言えるでしょう。「信じる」文化なのです。
こうやって白黒対立を続けて内乱にまで悪化させれば、それこそ中共の思うつぼの気がしますが、どうなることやら。