恥って?
おこんばんはです。豊臣亨です。
では、今回は『恥』
恥について学んでみましょう。
とは言いましても、前回の安岡先生に教えていただいた『敬』の中に自ずから『恥』が入っているので、ことさらに抽出し強調する必要はない、といえなくもないのですが、『恥』を特に取り上げられた先生のお言葉もありますので、せっかくなのであわせて伺っておきましょう。
老荘思想家のおっさんは語りたい。
敬と同じく、恥、という概念を強調するのは儒教のお仕事。ことさらに強調するのは孟子。なので、お教えいただく書は、
「孟子」 現代活学講和選集3 PHP文庫から。p168
「孟子曰く、人は以って恥なかるべからず。恥ずるなきをこれ恥ずれば、恥ずることなし」
孟子は言う、『人間は羞恥心がなければならない。もし、羞恥心がないことを恥ずかしく思うようになれば、辱められることはない』
「孟子曰く、恥の人におけるや、大なり。機変の巧を為す者は、恥を用うる所なし。人に若かざるを恥じずんば、何ぞ人に若くことかこれあらんや」
孟子は言う、『羞恥心は人間にとって重大な徳目である。場当たり主義でごまかしと小細工を弄する人間は羞恥心がないものである。自分の徳行や能力が人に及ばないのを恥ずかしく思わないような人間が、どうして人並みになれようか』
「孟子は『恥』ということを非常に力説しております。『恥』については私も方々の講座でたびたび論及したことでありますが、そのたびに孟子の説を引用したと思います。
いつか宗教とは何であるか、道徳とは何であるかということを論じた時、あるいは一つの時代がいかようにして衰退して、いかようにして勃興するかという興亡の原理というものお話した時に、つねにこれを引用したと思います。
人間が人間たる、つまりヒューマニティーというものが発達するために、こんな難しいことを言わんでも、つまり人間が動物的存在からだんだん精神的存在、文明的存在に発達していく、その根本になるものは、『敬』と『恥』であります。
「本立って道生ず」
という言葉が『論語』にありますが、学問学のディレッタンティズム、つまり枝葉末節の雑識になると煩瑣で応接に暇ありません。(中略)すなわち根本へ根本へと探求を進めれば、いろいろな学説・思想などというものは、極めて簡単であることは明瞭であります。
(中略)
さて、この『敬』と『恥』、これは孔子、孟子、つまり『論語』と『孟子』を通ずる根本観念でありましょう。『敬』というのは、人間が生まれたまま、自然のままに満足しないで、どこまでも進歩向上しよう。言い換えればつねに何か大いなるものに向かって、たえず憧れを持っている、そういう向上の本能、衝動を持っておる。そういう要求を持っているということであります。
その時に人間性が、進歩向上、ある偉大なるものを求める時に生ずるのが『敬』の心であると言えましょう。その時に陰陽相対の理法で、必ず省みてそこに生ずる心が『恥』ということです。
その敬する心と恥じる心、それをもっと根源的に言うと本能とか衝動ということがある。これが人間の中にあって、ここから人間の道徳とか、いろいろな学問・文化に発展してゆく。
その中でも敬するということは、われわれがある大いなるもの、高きものを求めることによって初めて生ずるので、非常に大切なものだが、これはなかなか努力を要する。厳粛であります。それに対して恥じるという気持ちは、現実を、自己を見る時、この実存に省みる時に生ずる心である。
これは非常に実存、実際的であります。『敬』はどちらかと言うと理想的でもあります。その点から言うと、人間にとってこの敬の心を養うということは難しい。たえず進歩向上の本能を刺激しなければなりません。そうしないとなかなか発育しません。そこへいくと、恥じるという心は、誰もがそのままにその場で一番持ちやすい本能的衝動であります。
『論語』では『敬』ということを非常に大切に説いているんですが、『孟子』はむしろ『恥』というものを掴まえて、人間が恥じるという心を養えば、それで人間は必ず救われる。人間が恥じるという、恥に耐えないという心を養いさえすれば問題はない。だからこれを養えばいいのだ、これが、孟子がつねに力説していたことでありました。私もまたこの思想は非常に当たっていると思う。
子供が成長していく過程を見ても、非常に著しく現れるのが、『恥じる』『恥ずかしがる』ということです。人間の性格の基礎は三歳頃から五、六歳ぐらいまでの間に大体できる。ここからは学齢、学校へ入ってまず十六、七歳ぐらいで大体人格としてできてしまう。(中略)人格の根底はその際にできる。数えの三つぐらいになると、子供は非常に恥ずかしがる。これをうまく養成すれば、うまく培養すれば、非常に人間らしい人間、立派な人間になる。これに『敬』の対象を与えることによって、すなわち『敬することを知らしめる』ことによってますます立派になる。良く作用する。ここから道徳心が生まれ、それを根本にして宗教心というものに発展するのであります。
その反対に、恥を失う、恥じなくなるということになると、もうそれで致命的、人格、道徳として致命的な欠陥になる。つまり、孟子はそれをここで説いているわけであります」
恥、というのは人間精神の根幹をなすものである、と孟子は力説する、わけですね。
前回申し上げた『四知』も、この恥の観念によっても起こるものだということがお分かりいただけるかと思います。
本当に立派な東洋人は、皆、この『敬』と『恥』というものを高いレベルで涵養していて、それに従って己の行動規範とされているのは、歴史や人物の書を紐解けばすぐに明らかになることであります。
昔は、地震雷火事親父、と申しまして、災害のごとく親父を恐れたものですが、これは何も親父が『敬』の対象である、とばかりはいえません。ただ、一方的に怒鳴り、しかりつけ、暴力をふるって家族を支配、威圧するばかりでそこに子からみて、うちの親父はなんと偉大なんだろう、という尊敬、憧れが、そこにあるとは申せません。本当は、親父は子供たちにとって、尊敬の対象でなければいけないのですが、日本の家庭が阿呆ばかりになったということであります。日本の国から、学問が消えてなくなったという実例であります。もちろん、わたしの親父も尊敬に値するほどではありませんでしたね。どちらかといえば、真逆かな。
ちなみに、戦時中、あまりに日本人と言う生き物が理解できない米国では、文化人類学者ルース・ベネディクト女史に、日本の分析を依頼しました。それが、戦後発表された日本文化を概説した『菊と刀』であります。
戦時中という情勢もあり、日本を訪れたことはなかったのだそうですが、日本に関する文献を読み漁り、在米日系一世、二世や米国の捕虜となられた日本人へのインタビューを行い、日本の文学や映画などからも情報を得たそう。
その結果、日本人の心の根底にあるのは、いわゆる世間体、その世間体に恥ずかしくない生き方を目指す「恥の文化」と認めた。で、日本と対極にあると考えられる欧米人の心の根底にあるのは、いかに良心に基づいた行動がとれるか、という「罪の文化」と認めた。
彼女の言っていることが正しいかどうか、また『菊と刀』の書の内容が『恥』と『罪』の二字に集約できうるものなのか、の批判はここでは行いませんが、たった二年で膨大なかつ不透明で主観と客観で恐ろしく論点がずれそうな情報を整理し、日本人という、日本人にすら理解しがたい生き物をよく分析したな、と思います。そして、その行動様式の根底に「恥」を垣間見ることができる、とみたのは一面において正しいでしょうね。
日本人にとって、いかにご先祖様を恥ずかしめない生き方ができるか、は重大命題でありました。
自分もやがて死ねば神となり、ご先祖様のもとにゆく、さらに、ご先祖様に常に見られている、という宗教に生きる日本人からすると、いかに清く正しく美しい日々の生き方ができるか、はそれこそ己の尊厳をいかに守るかという重大事だったわけですね。
もちろん、それだけではなく、村社会に強く拘束されていた日本人にとって、世間体、というのはまさしく生き死にがかかった問題だったわけで、わたしも経験がありますが、地域社会に悪評がたつ、というのはまあ、生きた心地がしないものです。
とはいえ、女史の本の中に、戦時中ということもあってこの言葉がありました。誤解をそのままに放置するのもあれなので語りますが、戦陣訓、
「生きて虜囚の辱めを受けず」
というのは、捕虜になることは生きることよりも恥ずかしいことであるから、そんな屈辱を耐え忍ぶよりは潔く死を選べ。
だと、思っている人は未だに多くいると思いますが、これはそういった生き残った人々に冷厳に、冷徹に、無慈悲に死を迫るというようなオツムのオカシイものではありません。
『通州事件』という歴史を知っている人は今日、まれであろうかと思いますが、知っている人ならお分かりでしょうけど、その当時、チャイニーズにとっ捕まった日本人が、どれほど残虐な方法でなぶり殺されたか、というのはその当時の歴史的事実なわけであります。
そんな、悲惨な、人間としての尊厳も畏敬もない、恐らく家畜だってそんな残虐な殺し方はしないだろう、という方法でもって皆殺しにされるのが明白であるから、とっと自決したほうが自分のためである。
というのが本当であります。
ちなみに、『通州事件』をwikiしようと思う方がいましたら、相当に衝撃的な事件である、ということは理解しておいてください。あれが、その当時の世界の常識だったのでしょうから。とはいえ、この事件の被害者の女性は、この時ほど女として生まれたことを後悔したことはないでしょう。
では、米国につかまったら、文明国らしい人道的な扱いを受けたのか、といば、目くそ鼻くそだったわけです。
米国兵が殺した日本兵の頭蓋骨を、本国で待つ恋人に贈り、それをまじまじと眺める米国人女性。というのも、いまでもネットで「日本兵 頭蓋骨 ライフ誌」で検索すればでてきますが、歴史的事実として、日本人ならば知っておくべきでしょう。
「我々は未来に向かって後ずさりしてゆくようだ」といったのはどこのお人でしたか。
日本人は性善説で、すべての人には良心がある、と固く強く信じていますが、そんなものは日本を一歩でもでればこの地上のどこにも、未来永劫、どこにも存在しないのだ、ということは、歴史的事実として、理解しておくべきでしょう。
そういう意味では『恥』というものは、日本人の大事な特徴なのであります。国連を信じ、外国を信じ、すべての人に良心はあって、それに基づいて人は生きているのだ、と考えられるのは、その根底に『敬』や『恥』がある民族でなかったら、そんなこと、露とも考えるはずがないからであります。
まあ、欧米人に『罪』なんて概念が本当にあるのか、など、知るよしもありませんけどね。少なくとも、米国先住民族を皆殺しにして奪った土地に住む気分はどんなものか、米国後住民族に聞いてみたい気はしますけれども。
まあ、少々脱線しまくりなので話を戻しますが、では明治のもっとも偉大なるお方、西郷隆盛さん、号を南州さんとおっしゃった明治の大元勲のお言葉を伺ってみましょう。せっかくいま大河ドラマやっていますし。
これは『南州翁遺訓』という、西郷南州さんのお言葉をまとめたもの。
それを今回は『恥』に絞ってみてみましょう。
四
「万民の上に位する者、己を慎み、品行を正しくし驕奢を戒め、節倹を勉め、職事に勤労して人民の標準となり、下民その勤労を気の毒に思う様ならでは、政令は行はれ難し。然るに草創の始に立ちながら、家屋を飾り、衣服を文り、美妾を抱へ、蓄財を謀りなば、維新の功業は遂げられ間敷也。今となりては、戊辰の義戦も偏へに私を営みたる姿に成り行き、天下に対し戦死者に対して面目無きぞとて、しきりに涙を催されける」
天下万民の上にあって直接政治に関わる者ならば、己を慎み、品行を正しくし、傲慢なる贅沢三昧を戒め、質素倹約につとめ、己の職責に全霊をもってあたって万民の模範となり、
下々の者が、そんなに身を粉にして働かなくとも……、とその勤労の刻苦を痛々しく思うほどでもなければ、上から通達する政策命令が確実に行われるはずがない。
しかるに、新たなる歴史の始まりという誉れある時代に生きておきながら、豪華な屋敷を建て、上等な衣服を着て、好みの女性を抱え込み、私財を蓄えることを能事となすのならば、せっかくの明治のご維新の大業は成し遂げられないだろう。
今となっては、幕末全体にわたる戦争のあの正義を尽くした戦いも、自分さえよければそれでよい、という醜い有様に成り果て、こんなことでは天下国家に対し、戦っていただいた戦死者の方々に対し、何とも面目がない……、としきりに落涙された。
実に驚くべきことに、日本人の退廃堕落は、もう始まっていたのであります。
幕末から明治維新という、恐らく日本の歴史のなかでも燦然と輝く、日本人の高潔なる精神をこれほど世界に知らしめた偉業はないのに、その中で日本人の一部の連中は、しかも、国家の枢要をなす連中が、すでにてめえさえよければそれでよい、という人間に成り果てていた。気になる方は書を漁るとよいでしょう。
そして、敬をなくし、恥をなくし、私利私欲の行いを能事とする明治政府の連中の有様に、深く深く落胆されているのであります。そして明治新政府と袂を分かち、西南戦争において国家の敵となってしまわれた。
この事をどう思うかで、すでに人としての価値は決まっている、と言い切って、決して過言ではないでしょう。
一一
「文明とは道の普く行はるるを賛称せる言にして、宮室の荘厳、衣服の美麗、外観の浮華を言ふには非ず。世人の唱ふる所、何が文明やら、何が野蛮やらちっとも分らぬぞ。予嘗て或人と議論せしこと有り、「西洋は野蛮じゃ」と云いしかば、「否な文明ぞ」と争う。「否な否な野蛮じゃ」と畳みかけしに、「何とてそれ程に申すにや」と推せしゆえ、「実に文明ならば、未開の国に対しなば、慈愛を本とし、懇懇説諭して開明に導くべきに、さは無くして未開蒙昧の国に対する程むごく残忍の事を致し己れを利するは野蛮じゃ」と申せしかば、その人口を莟めて言無かりきとて笑はれける」
文明とは、人として何が正しいのか何が悪であるのか、という筋道、道徳がきちんと確立されているという、ある意味尊称であって、王宮がどれほど荘厳華麗であるかとか、衣服に包まれた人々がどれほど見目麗しいかとか、所作や立ち居振る舞いがどれほど洗練されているか、ということを言うのではない。
世の人々が、何やら文明国がどうとか野蛮国がどうとか言っておるが、まったくわからん、とおっしゃられる。
わたしはある時、とある人物と論争したことがある。わたしが「欧米は野蛮だ」といえば、ある人「いえ立派な文明国です」という。しかしわたしが「いやいや欧米は野蛮である」と畳み掛けるので、ある人が「どうしてそれほどまでにおっしゃるのか」と問うので、
「本当の文明国ならば、いまだ正しき学問のない未開の人々に対して、慈愛や徳をもって、どうして道徳や正義がなければ国家として成り立たないか、ということをきちんと教え導いてあげないといけないのに、それどころか真逆に、文明の発達していない人々に対すれば対するほど、むごく残忍な所業に打って出る。そしてそれで己の利を盗むのは、野蛮国のすることである」
といえば、ある人閉口した様子で何も言い返せませんと言った、と笑っておっしゃられた。
尊欧卑亜。
これが明治維新のひとつのキーワードですらありました。
しかし、それが本当に正しい言葉なのかどうか。西郷南州さんはものすごく簡単に、それを指摘なされたわけであります。
そんなことは過去の過ぎ去った不幸な歴史の一面に過ぎない、と思えるでしょうか。
文明国は、いまは立派な、すべての発展途上国が敬する目指すべき目標でしょうか。
一八
「談国事に及びし時、慨然として申されけるは、国の陵辱せらるるに当りては縦令国を以って斃るるとも、正道を践み、義を尽すは政府の本務也。然るに平日金穀理財の事を議するを聞けば、如何なる英雄豪傑かと見ゆれども、血の出る事に臨めば、頭を一処に集め、唯目前の苟安を謀るのみ、戦の一字を恐れ、政府の本務を墜しなば、商法支配所と申すものにて更に政府には非ざる也」
ある時、談義が国政に及び、ものすごく嘆いておっしゃられるのは、国家が外国の見下し、軽侮の誹りを受けたのなら、たとえ、城を枕に討ち死にしようとも、正しき筋道、道徳を以って、大義を明らかに宣揚するのが政府の本質的役割である。
ところが、平生、財政や穀物に関しての議案を聞けば、どれほどの英雄豪傑の登場かと錯覚するが、一転、議案が戦争に関することともなると、責任を取りたくない責任者が首を並べ、ただ、目前の苟安(かりそめの安全)を話し合うのみ。
戦の一字、いざとなれば国家の威信にかけて義によって戦うという勇気もなく、政府の本質的価値を失墜させるのならば、商法取引所という程度で、政府などと口がさけてもいえない、とおっしゃられた。
米国の属国、奴隷に甘んじているどこぞの島国に住む畜生民族を思えば、何も言うことはありますまい。
二九
「道を行う者は、固より困厄に逢うものなれば、如何なる艱難の地に立つとも、事の成否身の死生抔に、少しも関係せぬもの也。事には上手下手有り、物には出来る人出来ざる人有るより、自然心を動す人も有れども、人は道を行うものゆえ、道を踏むには上手下手も無く、出来ざる人も無し。故にひたすら道を行い道を楽み、もし艱難に逢ってこれを凌がんとならば、いよいよ道を行い道を楽むべし。予壮年より艱難と云う艱難に罹りしゆえ、今はどんな事に出会うとも、動揺は致すまじ、それだけは仕合せ也」
正しき人として生きようと思う者ならば、運命的に困難苦難はつきものなのだ。なので、どれほど艱難辛苦が目前にあろうとも、目指す事が成るか、成らないか、生きるか、死ぬかは少しもこだわる事はない。
物事には上手な者、下手な者、よく出来る人、出来ない人がでるものである。
そうなると、どうしても混乱動揺する人もでてくるであろう。しかし、人として生きる以上、道徳、道筋は行わなければいけないのだ。道徳に従って生きる、正しき生き方をする、そこに、上手も下手も存在するわけもなく、出来ない人などいるわけがないのだ。
よって、正しく人を生きる、ということを素直に、敦厚に、純粋に、ただ楽しめばよいのである。
もし、困難苦難が眼前に立ちはだかって、これを打ち破らねばならないのならば、ますますもって正しく人を生きるということを楽しむべきだ。のんびりと、ゆっくりと、人間であるということを、楽しむのである。わたしは世に活躍できる年頃から困難と言う困難に遭遇してきた。だから、もはやどんな困難が降りかかろうとももはや動揺はない。それだけは幸いだ。
大西郷という人物ならではのお言葉であるといえるでしょうね。
これは、孟子の言葉、
「自ら反みて縮くんば、千万人と雖も、吾往かん」
という言葉を下敷きにしていると思うべきでしょう。
悪いこと、間違ったことをすれば、どうしてもばれやしないか、後ろ指を刺されないか、と内心おどおどします。
これはわたしも経験があるからわかります(笑)。
しかし、もうもはや間違ったことはしない悪いことはしない、という決断と、それに日々の行動が伴えば誰から後ろ指を刺されても気にする必要はない。開き直りではない。事実に基づいた絶対の自信。己が己を為めての絶対の自信です。
だから、貧乏をしようと冷や飯を食おうとあるがままでいればよい。
自分のありようを守りぬけばよい。
そこまで覚悟が出来れば、いい意味で諦観ができる。達観できる。
そうなれば後はのんびりと生きればよい。
これを、大西郷の次元で行われたのでありましょう。
こういう言葉もありますね。
「天の将に大任をこの人に降さんとするや、必ず、まずその心志を苦しめ、その筋骨を労し、その体膚を餓やし、その身を空乏にし、その行い為すところを払乱せしむ。心を動かし、性を忍び、その能くせざる所を増益する所以なり」
これは「生きるって?」で見てきたので解説はいたしませんが、昔の人で、この言葉を知らない士はいないといいます。
幕末明治維新で活躍された方々は、皆、この言葉を胸に抱いて後の飛躍を信じて窮乏刻苦を耐え忍ばれた。昔の人々はすきっ腹を抱えて本を貪るように読み、己の自力の涵養をこそ大事と心得ておられたわけです。
こうした学問が日本人の中にあったときに、日本人は本当に世界を驚かせたわけです。いま、日本人はどういった理由で世界を驚かせているでしょうね。
では、安岡先生のお言葉をさらに伺ってみましょう。『孟子』に戻ります。p26
「孟子曰く、人の禽獣に異なる所以の者幾ど希なし。庶民はこれを去り、君子は之を存す」
孟子が言う、「人間が禽や獣と異なっている理由は極めて少ない。一般大衆はこの貴重なわずかなものを捨て去り、教養のある人はいつもそれを心に持っている」
「孟子は、人間が禽獣、つまり禽や獣と違っている点は極めてわずかであると言っておる。そして普通の人はこの貴重なわずかなものを捨ててしまい、君子と言われるほどの人は大切に心の奥深くに持っている。ただそれだけの違いですが、その「わずかばかりの大切なもの」というのは『仁』であり『義』であり、そして『敬』と『恥』であります。
父や母やあるいは家庭というものが、人間を今日のように『アトム化』してしまう、機械化・動物化してしまえば簡単ですが、人間は本来、人格的な存在であります。万物の霊長であります。これが人の人たる特質であって、父母にはそれをどう育て、どう教育するかの責任が課せられております。
人間というものは大体どういう要素から成り立っておるかというと、突き詰めて考えてみますと、大きく四つに分けることができます。
第一は、一番大事な人間たる本質、人格としての人間たる本質ともいうべき『徳性』というものであります。例えば心の明るさ、それから清さ、それから人として人を愛する、助ける。人に尽くす、恩を知る、正直、勇気、忍耐など、そういう貴い心の『働き』があります。こういうものを徳性と申します。これらが一番大事な要素であります。
仮に人間が明るさを失って、暗くなってしまい、清さをなくして不潔になってしまい、不正直になり、人が人を愛さなくなり、人が人のために尽くさなくなり、勇気がなくなり、忍耐心もなくなるということになったら、いったい人間というものはどういうものになりますか。それを考えても、こういう徳性がいかに人間にあっては、本質的に大事なものであるか、よくわかるでしょう。これが一番大事な要素であるゆえんであります。
次に『知性・知能』『技術』と続きます。
これあるによって、人が動物より抜きんでることができたのであります。人間が他の動物よりも発達したのは、前足を手として技術を磨くことができたからであります。しかし、この知能とか技術とかいうものを、徳性と比べたら、どちらが大切かということは自ずから判明いたしましょう。知識だの技術だのというものは、あるに越したことはありません。これを発達させたから偉大な今日の文明も生じたのであります。人類もいろいろの幸福を享受することができたのであります。しかしこれがなかったからといって、つまり知識や技術が少々未開発であるからといって、人間たることに、そう根本的な価値の影響はありません。
早い話が、われわれの偉大な先輩が明治維新を断行して、世界の奇跡と言われるような近代世界に大飛躍を遂げた、その維新の人物を例にとりましょう。
西郷南州(隆盛)とか、大久保利通とか、あるいはさかのぼって吉田松陰とか、橋本佐内とか言われるような人が、太陽が東から上って西に沈むのではなく、地球が西から東へ回りながら太陽の周囲を公転している。つまり自転しつつ公転しておるのだとは知らなかった。
今日では小学校の生徒でもよく知っておるこの原理について、西郷・大久保も、松陰先生も左内先生もよくご存じなかった。しかし、そのように今日の小学生でも知っておることを、あの人々が知らなかったからといって、彼らを馬鹿だと誰が考えますか。絶対に考えない。そう考える者がおったら、そいつこそ馬鹿でありまして、賢い人ほどそのようには考えません。
今日、「水はH2Oである」ということぐらいは中学生の常識であります。
しかし、こんなことは弘法大師も日蓮聖人も知らなかった。しかし水がH2Oだということを知らんようでは、弘法も日蓮も馬鹿だと誰が言いますか。そんなことは人間の偉大さには関係のないことです。
それはその時代時代の知識という一般的問題であって、人間たる本質の問題ではありません。知っておるに越したことはありませんが、知らなくてもいいのです。
娘や息子が、うちのお母さんは何もわからん。幾何も代数もフランス語もドイツ語も知らない。だからうちのお母さんは馬鹿だとは考えないのであります。そんなことを考える娘や息子があったら、大馬鹿でありまして、そんなことは母たる本質にいっこうに関係がありません。
だから、いくら便利な価値のあるものでもあっても、知識だの技術だのというものは、これは属性的価値しかないのであります。本質的価値はやっぱり徳性にあります。知識や技術は少々未開発であろうが、低開発であろうが構いませんが、人を愛することを知らない、人を助けることを知らない、人に報いることを知らない、勇気がない、不潔である、暗い、陰惨であるなどということは、これは大変なことでありまして、これではどんなに知識や技術があったって話になりません。だから同じ要素と申しましても、やはり徳性が第一、これが本質。いくら必要であっても、知性・知能(性は静的用語。能は動的用語)や技術というものは付属的なものなのであります。
それからもう一つ、忘れてならないのは『習慣』、いわば第二の天性でありましょう。スイスの美しい心の詩人・哲学者であったアミエルはその『アミエルの日記』に、
「人間は習慣の織物である」
と書いております。
「人生というものは一つの美しい習慣から織られておる。これは第二の天性。徳性をなすものである。良い習慣をつけるか、悪い習慣をつけるかによって、まったく人間は変わってくる」
ということを言っておるのですが、私もまた、人間の特質の第一は『徳性』であって、これに基づく『習慣』、それから『知性・知能』『技術』、こういうものから成り立っておると考えるのであります」
大事なのは、知識の蓄積でも、技術の練磨ではない。
本当に大事なのは、綺麗なものを綺麗だと思い、汚いものを汚いと思い、正しいことを正しいと思い、間違っていることを間違っていると思うこと、なのであります。
それに関連してこういう言葉が論語にあります。
「斉の景公、政を孔子に問う。孔子対えて曰わく、君、君たり、臣、臣たり、父、父たり、子、子たり。公曰わく、善いかな。信にもし君、君たらず、臣、臣たらず、父、父たらず、子、子たらずんば、粟ありといえども、吾豈に得てこれを食らわんや」
斉の国の王、景公が政治の根本を孔子様に下問されました。それに孔子様が答えておっしゃるには、
「君主が君主としてその重責をまっとうし、家臣が家臣として忠義を尽くし、父は父として子に範たり、子は子として素直に正しく育つ」これです、と。
景公、「ああ、その通りだ。本当にもし、君主が君主としての責務を放棄し、家臣が家臣としての忠義も捨て、父が父としての範を垂れられず、子が子としての心を育てずひん曲がって育つ。こんな有様では、たとえ十二分に食料があったとしても、どうしてわたしはこれを安穏として食べられようか」といった。
景公は、この前お話した、晏子さんを挙用して大いに国家を治めた王。有能だったのは晏子さんで、王自身はそこまででもなかったようですが、こういった問答を行っているということはやはり国家を正しく治めようという志はもたれていたようですね。そうでもなければ、駄目な君主ほど、有能な家臣を嫉視排擠し、危険視し、排斥するものですから、その点だけは景公は優れた君主だったのでしょうね。
ここにある言葉は、ものすごく簡単で、そしてものすごく本質的ですね。
シンプルイズザベスト。
欧米人でも理解できるこの真理は、孔子様がすでに、十二分に示されているのであります。
スローガンだの、政治理念だの、えらそうなことを言っておっても仕方ない。それより、自分が自分の足元から自分の家族から、素直に正しいことを行ってゆく。
これら、正しい筋道、人としての正しい生き方。いま見たものを直ちに、直下に理解して己を強く律する心こそ、すなわち『恥』なのであります。
敬する、という感情はそこに嫉妬やらが裏返しになることもありますし、そもそも敬うに値する、と自身が認めるほどの存在がなければ発生しにくい。自分の外に、それほどの存在がなければいけない。
ですが、恥ずかしい、という感情は己の外にあるものではなく、己の内にあるものです。
己が尊敬するにふさわしいほどの、偉大なる存在を引っ張ってくることもなく、そんな必要もなく、己の中に己を敬う心があれば、ただちに発動するのが恥です。
直ちに、直下に、己に跳ね返って己を強く律せんとする心。
己が、己を正しくありたい美しくありたい、と思う、己に働きかける心。
これすら失うような人生にはなりたくないものであります。
ほとんど引用ばっかで大したことは何も語ってはいませんが、『恥』を語った気になったのでこれにて終わります(笑)
日々学問。