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『西洋の没落Ⅰ』を読んだ。けど、けど、ケド、、




 さっぱりわかりませんでしたとさ _ノ乙(、ン、)_




 おこんばんはです。豊臣亨です。


 読んだ? 眺めた? 見てただけ? なのが



『西洋の没落Ⅰ』 シュペングラー 中公クラシックス



 これで最後の西洋哲学的読書になるのかな? 西洋の書は読まないとは申しましたが、土屋教授の本をスマホで読んだのがこの本を読むより後だったので、まあせっかく読み始めたことだし途中でやめるのもこっぱずかしい、と最後までがんがって読み終えましたが、一割どころか一分、一厘もわがりまへん _ノ乙(、ン、)_


 前書き、または前解説として、板橋拓己というヨーロッパ政治学者の方が「時代が生んだ奇書」と題して、本書は大変内容が難しい、ということを申されてはおりましたが、それにしても内容がさっぱりわがりませんでした。


 とはいえまあ、この本書は何ぞや、を。


 そもそもシュペングラーとは誰ぞや、から申しますと、名はオスヴァルト・シュペングラー。正しくはwikiに従えばオスヴァルト・アルノルト・ゴットフリート・シュペングラーと呼ぶみたい。wikiでは父は鉱山技師、とありますが本書では郵便局員の家に生まれた、とありますね。えらい違うw ドイツの文化哲学者、歴史学者、とwikiにはあるようですが本人は自身を哲学の専門家なのだとは思ってなかったとか。最初は高校教師になるもやがて著述に軸足を移し、第一次大戦の最中、この『西洋の没落Ⅰ』を書きあげたのだとか。


 何せ、総計二〇〇〇万もの死者を出した人類最大の愚行と後に言われる第一次大戦が、西洋のみならず世界的に大ショックを起こしていたときだけに、この、西洋の没落、という題名はさらに一大センセーションを巻き起こし、侃々諤々(かんかんがくがく)の大論争を巻き起こしたのだとか。大体、第一次大戦によって、人間や、白色人種文明そのものが危殆に瀕すると申しますか、このままで自分たちは本当に大丈夫なのか、科学至上主義とかイデオロギーの出現など、このまま盲目的に現状を突き進んで大丈夫なのか、という時代そのものへの懐疑がむくむくと膨らんでいた時期も時期だっただけに、その衝撃たるやなかったそう。西洋の自殺、とも評される時代に生きる白色人種が救いを求めるように貪るように読み、洛陽の紙価を高からしめたのだとか。


 そういう次第で第一次大戦の終戦直後にでたこともあって、戦争を否定、論ずるものなのかと思いきやさにあらず、板橋氏の申される通り、内容は、p8



「ニーチェ的な言辞が散りばめられた衒学(げんがく)的な歴史哲学および比較文明論」



 なのであり、p12



「ギリシャ・ローマ文化と西欧文化に加えて、インド文化、バビュロン文化、中国文化、エジプト文化、アラビヤ文化、メキシコ文化という八つの「高度文化」」



 を総覧する、世界中の、時代も文化も様々な、自身の知りうる限りの知識を持ち込んで、さらに、歴史のみならず、数学、科学、建築学、美術、演劇、文芸、と恐ろしいまでに論述があっちゃこっちゃ至りまくり。キリスト教はもちろんとして、仏教まで持ち出して様々な文化やら歴史やらを比較し論ずる。文化、文明とは、それが生み出され勃興し、発展し、頂点を迎えるとやがて、斜陽、衰亡というお決まりのパターンがあるように、実は西洋文化も、世界の頂点を極め栄耀栄華のど真ん中を突き進んでいるように見えてこの時代、その斜陽にあるのではないか、というのが本書の目的。


 また、本書においてドイツ文学者の大川勇氏は、



「壮大な構想で奇体な史観を語った異形の書」



 と言い、



「「マニアックともいえる膨大な知識を振りかざし、大胆な類推と飛躍する論理を駆使」


 するものであり、本書を読み通すのは


「その大言壮語に目をつぶってもなお、少なからぬ労苦をともなう作業」」



 とまで言わしめるほどの書。もうこれ、下手くそなサブカル雑誌レベルの酷評です。このような親切丁寧な解説があったのですが、それでもやっぱり、わけわかめ _ノ乙(、ン、)_


『西洋の没落Ⅰ』 


 というからには続刊があるわけですが、こんなん続かれても読む能力がない。「少なからぬ労苦」どころの話ではおまへん。


 大体、言い回しがややこしい。p13



「すなわち、「文化」とは、ひとつの高度文化の創造的な活動の時期を指す一方、「文明」とは、完成段階に到達した文化が必然的に迎える崩落状態を意味している。文化が「成ること」であるとすれば、文明は「成ったもの」であり」



 と、成ること、成ったもの、なる独特な言い回しで文化と文明を選別しようとする必要性もいまいち飲み込めないし、普段まったく使わないようなしち面倒くさい単語がうじゃうじゃ出てくるので、文意を理解するどころではない。鳥あたまのように、三番目の単語を読んでおる時には最初の単語を忘れている、という塩梅で、読んでいる、などとお世辞にも言えたものではありませんでした。


 とはいえ、カントを読んでいた時のように、脳内妄想を開陳しておるような文章とははるかに一線を画しており、至って真面目に論じているのは分かるのですが、いかんせん難しすぎる。


 試しに、シュペングラーがどんなことを言っておるのか、を(比較的)簡単なものだけでも取り上げてみますと、p142




「「長さと幅と」は、体験としてはあきらかに単位であって、合計ではない。注意深くいえば、感受の単純な形式である。それらは、純粋に感覚的な印象を表している。


 深さは表現を、自然を表している。深さとともに「世界」が始まる。第三次元とほかの二つのいわゆる次元との評価上のこの差異は、もとより数学には全然未知のものである。それはまた感覚と観照という対立概念のなかにもある。


 深さのなかへの拡がりは、前者を後者に変える。深さだけが、言葉通りの意味における本来の次元、すなわち拡げるものである。覚醒存在はそのなかにあっては能動的であり、他の次元にあっては厳密に受動的である。この本源的な、それ以上に分解し難い要素のなかに、深く現れているものは、一つの特殊な文化という意味でいう、一つの秩序の象徴的内容である。


 そのうえ深さの体験――以下述べることのすべては、この見解によっている――は、完全に創造的な行為であるとともに、また完全に無意志的な、必然的な行為であって、「我」は、この行為を通じて自己の世界を、いわば強制的に保持しているのである。自然は、その時、その時の文化の関数である」




 たったこれだけの短文を眺めても何を言っておられるのかさっぱりわがんねぇ。


「自然は、その時その時の文化の関数である」


 とか言われても、正しいのか間違ってるのか、それすら分かりません。また、東洋と西洋では、同じ単語でもまったく違う認識、概念で使っていることが少なくないので、自然、という単語すら、わたしが理解している自然という意味で使っているのかどうかすら、疑わねばならない始末で、たったこのくらいの短文ですらまったく分からない。さらに、自然を文化の関数で理解できる、と考えておられるように、明らかに理系脳なので、わたしのオツムの程度とは次元が根幹から違うので、そもそも思考形態があっていない。こんなものが徹頭徹尾、全文を構成している。Xn+Yn=Zn といった関数が普通に出てくるに至っては、こっちは最近、九九もまともに出てこないようなオツムの惨状なので、読むことがもはや拷問レベル。


 読む価値がないからと、読み飛ばしたことはあっても、


 読んでも分かるわけがないと確信して読み飛ばしたのは、この歳になって初めてかも。


 どこぞのアニメで、こんな細っこい棒なんか見たくない! と剣を放り投げた剣神様がおわしましが、わたしも一応、字面(じづら)を追うのを楽しみにしておる者の一人でありながら、文を追うのが億劫で投げ出してしまいましたとさ。スマホで土屋教授の本とか、なろう小説読んでいる時は眠気が吹き飛ぶ勢いでしたが、この本を読んでおると、まるで眠りの魔法をかけられたかのように瞬時に眠たくなって、読み終えるのにすごい時間がかかってしまった。


 四苦八苦しながら何とか最後まで読み終えたけれども、結びの言葉すら何を言っているのかさっぱり分からず、もはや脳が拒絶反応を示しているのをはっきりと認識する有様でござった。


 と、いうことで、見てるだけ~、で、終わり。


 したらばな~。




 ……で、終わるのもなんか癪。


 九割九分九厘理解できなかったとはいえ、一厘は理解できたわけで、その理解できた部分だけでもみてみませう。


 老荘思想家のおっさんは負け惜しみを語りたい。


 を、この一言もずんぶ(随分)と久しぶりな気がするw p272




「道徳形式としての定言的な命令はファウスト的であり、そうしてファウスト的以外にはないのである。「キリスト教」を道徳的命令に結びつけるのは誤りである。キリスト教がファウスト的人間を改造したのではなく、ファウスト的人間がキリスト教を改造したのである。


 そのうえにこれを新しい宗教にしたばかりでなく、新しい道徳の方向に改造したのである。「それ」は、一つの世界中心というすべての感情でもって、「我」となり、個人的懺悔という聖礼の前提をしている。自己の道徳を普遍的な真理に高め、これを人類一般に強制し、すべて異なった性質のものを解釈しなおし、征服し、破壊しようと欲する情熱――倫理にさえも在する権力意志――は、われわれにだけ特有な所有である。この意味において――深くて、まだまだ理解されないことであるが、――イエスの道徳(平静な・知的な態度であり、マギ的な世界感情にもとづき、救済力があるものとして迎えられた態度であって、その知識は特殊な恩寵として与えられている)は、ゴートの初期において、内的に命令的道徳に作り変えられたのである」




 ここに出てくるファウスト的、とは、ありとあらゆる知識やスキル、快楽や欲望、時には苦痛や絶望であっても、自身を向上せしめるものすべてを欲する、という存在で、まさしく白色人種がこれにあたるのだそうな。


「自己の道徳を普遍的な真理に高め、これを人類一般に強制し、すべて異なった性質のものを解釈しなおし、征服し、破壊しようと欲する情熱」


 と、ファウスト的人間によって、キリスト教は改造されたのだと。


 倫理感の中にすら、権力意志が介在し、初期のイエスの道徳は、ゴート時代(西ゴート王国なら、西暦400~700年くらい)に命令的道徳に作り変えられた、と。


 fmfm


 たかが野蛮人のくせに、科学を手に入れた途端、自分たちこそ世界普遍、グローバリズムだのグローバルスタンダードだのとほざきだしそれ以外の文化も、思想も、そのすべてを消し去ろうとする、他文化を一切理解しないでお前たちが理解しろよと、自文化を押し付けてくる白色人種のことですね。知ってます。


 じゃあ、するってぇ~と、何かい?


 世界平和のためには、白色人種をみなg(略




「道徳の数は文化の存在する数だけあり、それ以上でもなければ、それ以下でもない。この点では、勝手な選択は許されない。一人の文化人間のどの生活理解にも初めから、すなわちカントの最も厳密な意味で言うア・プリオリ的に、一つの状態がある。


 この状態はあらゆる瞬間的な判断と努力とよりももっと深いものであり、そうしてそれらの様式をある一定の文化の様式と認めさせるものである。個人は自己の文化の根源感情にもとづいて、道徳的にも、あるいは非道徳的にも、「善」にも「悪」にも行為することができる。


 しかし彼の行為の理論は、たんに与えられたものである。各文化はこれに対して、それぞれ特有な標準を有している。その標準の妥当性は、その文化とともにはじまり、また終わる。普遍的な人間的道徳というものはない。道徳は、彫塑(ちょうそ)(彫像と塑像)、音楽あるいは絵画と同様に、それ自身で纏まっている形式界である。


 この形式界は一つの生命感情を表現しているものであり、たんに与えられたもので根本的には変ずることのできないもので、内的必然のものである。それが存在しているということは、甘受しなければならない運命である。ただ意識された形というものだけが啓示の結果であり、あるいは科学的見識の結果なのである」




 わたしはこの一文で、カントのア・プリオリというものがすとーんと腑に落ちました。


 文化の数だけ道徳がある。


 まさしく、この言葉は正しい。よもや、カントの妄想をここまですんなり理解させてもらえるとは思いませんでした。


 例えば、古代アステカなどは、心臓をえぐり出して神に捧げるのが、太陽の寿命を伸ばす聖なる儀式であったとか。そこに生きている人にとって、心臓をえぐり出す、という行為は、ア・プリオリ、インプリントされた道徳であって、後付の知識や経験などをまったく考慮に入れない神から付与された叡智に他なりません。


 それが間違っている、などと主張するのは、異文化の人間の概念であって、それが善であろうが悪であろうが、文化に存在する固有の道徳なのだ、と。


 さらにいいますと、なにゆえ、どこぞの中共は、法という概念が根付かないか。いえいえ、彼らにも法というのはありますが、彼らなりの法というものがあるのです。それを清規、陋規(ろうき)として分けているのだとか。


 清規はまさしく道徳。人を殺すな、人のものを盗むな、火を付けるな、という誰にとっても分かりやすい、当たり前の道徳で、


 陋規(ろうき)の陋は身分が低い、いやしい、という意味で、例えば、ワイロを取るにしても取りすぎないとか、取ったら取ったで一族にきちんと分配するとか、善には当然善の、悪にだって悪なりの法というものがある、ということだとか。


 チャイニーズというのは、それこそ家族第一主義で、わたしが子供の頃はチャイニーズと結婚すれば一族郎党ぶら下がりにやってくる、と聞いたものですが、しかし、これがチャイニーズの基本的な道徳で、男子たるもの一族を養うのが正義。そのためにワイロを取るのが、むしろ正義です。しょうもない道徳や法を振りかざして一族を養えない男のほうが、チャイナでは情けない男として認識されるのだそう。ちなみに、孟子も、男子たるもの嫁が一人しかいないのは情けないことだと思っていたとか。


 かつて日本軍が中原(ちゅうげん)(チャイナのこと)に侵出した際、日本人もワイロを取るが、日本人のワイロのとり方は伝統的なチャイニーズからすればこの、陋規から逸脱した行為であり、一族に分配するとか、みんなで分け与えるというのではなく、愛人に貢ぐとか、愛人に店をもたせるとか、そういう自己中心的なワイロのとり方しかしなかったから、ひどく現地で嫌われたとか。そのくせ、やたらと法適用に細かくうるさいから、法匪(ほうひ)、法をたてに乱暴狼藉を働く無法者、と言われたそうで、皇軍ならぬ、蝗軍、畑を食い荒らすいなごのようだと、現地では大いに嫌われ者だったらしいですね。


 でも、じゃあ日本軍が侵出したことはどうだと聞くと、チャイナは戦乱ばかりだから、軍隊がやってくるのは慣れている、と言ったとか。ちなみに、戦中、日本軍の将校などを運んでいた車夫などが、軍人さんは何人嫁さんいるんですか? と聞くので、失礼な一人だ、というと、うわなっさけねぇ、とバカにされたのだとか。


 また、今でも、かどうかまでは知りませんが、チャイナの田舎にいくと、一族が同じ家や村の中に住んでいるのだそう。そういうを客家土楼(はっかどろう)といって、巨大な屋敷を建ててみんなで住んでいるのだとか。客家(はっか)は客人という意味。一族で暮らすのに、客人、とは何かというと、よそから一族みんなで流れ着いたから、現地の人間から客人、と言われたのだとか。wikiでは福建土楼(ふっけんどろう)と出てきますね。ネットで調べればすぐに写真とかでてくるでしょうが、まさしくこれは一族郎党の暮らす城です。


 盗賊野盗は当然のこととして、国も、役人も、軍隊も、その他の一族、現地人も、そのすべてが信じられないチャイナの歴史において、唯一信じられるものが血のつながった一族であった。その一族のために生きるのが彼らの基本倫理であり、道徳。そういう、すべての外敵から一族を守るために、彼らは巨大な館=城を築き、備えたわけですね。一族を養うためなら盗みもするし、殺しもする。一族のため、が絶対の正義であり、一族のためにならない、が絶対の悪、だとか。


 ちなみに、何せそういう歴史なので、他の一族との闘いや現地人との闘い、というのがあって、それを土客械闘(とかくかいとう)というそうですが、一族の住む村単位で戦争やっておったのだそうで、村ごと地図から消えた、なんてことが最近まであったのだとか。


 だから、そういう、一族至上主義、というのがチャイナの歴史なものだから、古代皇帝は、宦官を重用した。


 宦官とは、去勢した男だから、一族とのつながりがない。


 チャイナの歴史上、皇帝が死去すると皇后の一族が権力を握って好き放題やるのがチャイナのお決まりなので、どうしても、そういう一族倫理から脱却した宦官を使わざるを得ない。歴史的に見ても、宦官を徴用するのが悪いことだと分かってはいても、どっちがマシか、となると宦官を選ばざるを得ないのでしょう。凄まじい歴史です。チャイナにはチャイナの固有の文化、道徳があって、それは永劫日本人には理解も、真似もできない世界なのであり、恐らく、いや、間違いなく、永劫分かり合えない間柄です。


 とはいえ、大嘘ぶっこいて、チャイナ5000年とかほざいておるくせに、いまだに国家として法の概念すらまともに理解できないとか5000年間何をやっておるのか、と思いますけどね。


 ついこの間、第一次大戦、第二次大戦で、覇権主義はいつか全面衝突するしかなく、衝突すれば甚大なダメージを受ける、というのが人類共通の理解のはず。ましてや、核の時代、露骨な覇権主義は自殺行為であり、あのソ連ですらキューバ危機にはイモ引いて(怖気づいて)和平を模索したというのに。現実、歴史は牢固として、儼乎(げんこ)として、事実を伝えるのに、それでもなお覇権主義に血道を上げるとか、5000年も歴史があってその体たらくですか、と言わざるを得ません。それに比べれば建国300年の米国の方が、もう少し法、というのを理解しておりますよ。まあ、その歴史と実情はどうであれ、少なくとも露骨な覇権主義を実行できる時代ではない。


 結局、5000年たとうが、一万年たとうが、中原の民族はその程度という歴史の証明でしょう。


 ロバが旅に出たところで馬になって返ってくるわけでもない。


 むしろ、5000年という時間の重みが、自らの無能の証明、ということになってますよね。進化するどころか、むしろ退化してますが何か? とか、わたしだったら恥ずかしくてこんな大言壮語は吐けません。九九も分からなくなってますw がせいぜいです。


 まあ、左翼の言ではないですが、まさしくその左翼の牙城から軍靴の音が聞こえてくるような時代だからこそ、日本はうまく立ち回って、戦後のGHQの呪縛から脱して福沢諭吉の言葉、一身独立して一国独立す、を目指すべきなのでしょうが。そんな胆力をもった大和男子はいずこにありや。


 とまれ(ともあれ)、続きを。p279




「文化と文明と――これは一つの魂の像の生きた体とその木乃伊みいらとである。


 そこで西欧の現存在は一八〇〇年以前と以後とに区別される。前者はゴシックの子供時代からゲーテとナポレオンとにいたる一つの大きな線をなして、内部から発展していった姿をなし、後者の諸形態は知能の描き出すものである。


 文化と文明と――これは土地から生まれたところの有機体と、その固結から生じた機構とである。


 文化の人間は内に向かって生き、文明化した人間は外に向かって、空間のなかで、体軀と「事実」との間に生きる。前者が運命と感ずるところのものを、後者は原因と結果との関連と解する。人はこの時からその欲すると欲しないとにかかわらず、また仏教、ストア主義、社会主義の諸教説が宗教的形態を取ると、取らないとにかかわらず文明にだけ妥当する意味において唯物主義者である。


 文化の道徳は、人の有するところの道徳である。文明化した道徳は、人の探し求めるところの道徳である。


 前者は深過ぎるがために、論理的方法によってあくまで究めることができない。後者は論理の作用である。カントとプラトンにおいてさえも倫理学はたんなる弁証法であり、概念の遊戯であり、形而上学体系の完成である。


 それは根本的にいえば、必要のないものであったのであろう。無上命令はカントにとって全然問題として在していなかったことをたんに抽象的に造りあげたものに過ぎない」




 概念の遊戯!


 西洋世界にわたしと同じことを思った人がおったとは!


 おお、同志よ、革命の日は近いw

 

 ちなみに、弁証法、って哲学本読んでるとうっじゃうじゃ出てきます。当然、この本書でも当然のごとく顔を出してくるわけですが、弁証法とは、テーゼ、アンチテーゼ、ジンテーゼ、と言いまして、何らかの命題があるとする、そして、その命題には何らかの反論、反対する命題があるのであって、その、命題と相反する命題を考察した上で、一段超えたところに進んで命題を展開しようとする、のが弁証法、などと言われるもの。とはいえ、これも土屋教授が形而上学でいったように、古来様々な哲学者が様々に取り扱っており、いろんな使い方があるのだとか。


 左翼の阿呆なオツムで考えますと、


 テーゼとして、国家があり人民があり、アンチテーゼとして、国家なんぞがあるから人民を抑圧するとし、


 ジンテーゼとして、国家なんぞないほうがいい、


 という極めて単純で阿呆な考えになってゆく訳です。


 国家に縛られないような社会を構築しよう、などと言ったって、別に国家という概念が勝手にわいてでたわけではなく、人々が集まって、外敵やら災害やら食糧問題やらを解決しようとすれば必然そこに、人々から頼られるリーダー、指導者というものが招聘されるわけで、それが年月を経て国家というものを作ってゆくに過ぎないわけで、権力者=搾取階級という、人類の歴史を根幹から無視したことをいきなり考えられるのも、左翼が阿呆だからですね。


 だから御覧なさい、ソ連や中共から、どれほどの偉人が生まれました?


 国是として力を入れている、軍事と科学とスポーツで、なら有名人は出たでしょうが、それ以外に人材が払底しているのはそうやってイデオロギーで、不自然な国造りをやっているからまともな人間が出てこないのです。


 前の弁証法を持ってくれば、


 中華人民共和国は、建国したのが1949年のことでまだ100年も経ってないようなぺらっぺらの歴史しかないわけですが、一応、大陸としてチャイナは5000年あるわけで、


 反論として、5000年あっても、費やしても、いまだに覇権主義をやっておるわけで、


 つまり、しょせん中共は永劫進化できない人種、と言える。第一次大戦、第二次大戦を経ても、な~んも歴史から学べない種族。まあそりゃ、一次二次の世界大戦も、自分たちは完全に蚊帳の外だったわけで、いっぱしにプレイヤーに加わりたい気もあるのでしょうが、はっきり言って、現在の中共と比べれば、清帝国のほうがはるかにまともであったと言われるわけで、身の程知らずもはなはだしい。


 概念のお遊戯やっておるような国から、まともな人間が生まれてくるわけがないのです。


 だからシュペングラーも、「必要のないものであったのであろう」と言えるわけですね。いや~、シュペングラーとは分かり合える気がするw 


 とはいえこうして、分からないままに、曲がりなりにも読んでおりますと、確かに、「マニアック」な恐ろしいほどの知識量を開陳しているシュペングラーでして、仏教に関する言葉もちらほらでてきます。p274




「かの涅槃(ねはん)(ニルヴァーナ)という仏教的理想は、純粋にインド的なものであって、すでに早く吠陀ヴェーダ時代に現れていたものであるが、この理想こそカタルシスに非常に近いものではなかろうか」




 p277




「キリスト前ニ五○年頃阿育王(アショカ)の生きていた時に、梵的生活の改価がおこなわれたのである。吠檀多(ヴェーダーンタ)の仏陀以前に書かれた部分と以後に書かれた部分とを比較すればわかる」




 p278




「ソクラテスは虚無主義者であった。仏陀もそうであった」




 p280




「哲学はカント、アリストテレスにいたるまで、および瑜伽(ヨガ)吠檀多(ヴェーダーンタ)との説にいたるまでは、強大な一連の世界体系であって、形式的倫理学はそのなかにごく小さな位置を占めていたに過ぎなかった。


 今やそれは形而上学を背景とする道徳哲学になっている。認識論的熱情は事実上の要求に屈した。社会主義、ストア主義、仏教はこの種の哲学である」




 さらに「無宗教」と小題して言う。p281




「したがって各文化には、それぞれ特有な魂として消滅するやり方がある。それは最も深い必然でもって、その生活全体から生じてくるただ一つのやり方だけである。そのゆえに仏教、ストア主義、社会主義は形態学的に同価である終末現象である。


 仏教もまたそうである。


 今日にいたるまで仏教の最後の意味は誤解されていた。これは、例えばイスラムまたはヤンセニズムのような清教的運動ではなく、アポルロン主義に対するデュオニュソス運動のような改革ではなく新しい宗教でないのはもちろん、一般に吠陀(ヴェーダ)および使徒パウロの宗教のような宗教ではない。


 仏教はインド文明の根本感情である。


 そのゆえにストア主義および社会主義と「同時的」であり、また同価である。形而上的ではなくして、全然世俗的なこの思想の精髄は、瞑想にふける太子がその最初の帰依者をえた有名なベナレスの説教、「四聖諦ししょうたい」に関する説教のなかにある。


 その根源は、合理主義的・無神論的な数論哲学のなかに在していて、暗々裏にその世界観を前提としているのである。それは、十九世紀の社会倫理学が十八世紀の感覚主義と唯物論とに発しているのと同じく、ストア主義が、ヘラクレイトスを浅薄に利用しているにもかかわらず、プロタゴラスと詭弁論者とから出ているのとまったく同じである。


 いずれの場合においても、理性の万能力があらゆる道徳的考察の出発点である。宗教が形而上学的なものの信仰と解される限り、問題とはなりえない。


(略)


 仏教なるものは西洋の諸言語の言葉によってはほとんど再現し得られないものである。ただストア的涅槃(ねはん)(ニルヴァーナ)について論じ、ディオゲネスの姿を例にあげることは許される。社会主義的涅槃の概念もまた、ヨーロッパ的疲労が生存競争からの逃避を目指して、これを世界平和、人道および四海同胞等のような合言葉に託する限り是認せられるべきである。


 しかしこの概念からは、仏教的涅槃という不気味な深奥な概念には決していたり得ない」




 もはや個々の固有名詞を調べる気力もないそれがしを許してたもれ。また、シュペングラーの言説が正しいのかどうか、もともかくとしまして、シュペングラーも、仏教を知ろうと、数多の書物に参じ考察に考察を重ねてきたのは、これらを読むだけでも伺うことができます。


 ですが、仏教的涅槃、恐らく、悟り、というものを、「不気味な深奥な概念」と考えていることに、わたしは驚きを禁じえませんでした。カントの倫理学を、概念の遊戯、とまで呼べるほどの人物をもってしても、仏教の悟りとは、不気味で図り難い、「西洋の諸言語の言葉によってはほとんど再現し得られないもの」と思えてしまうものなのだな、と。


 かの、ヒルティも、仏教のことをこういった、虚無主義的なものと解釈していたと思いますが、西欧人にとっては、よほど仏教というものは理解し難い、いわく言い難いものなのであるのだ、と思いました。


 この一文に触れて、しばし、妄想しておるとわたしの中での東西両文化が新たに区別できるようになりました。


 安岡先生は、西欧を、個人の観念が発達した社会とおっしゃいました。だから、西洋では義務や権利の観念が発達し、しかし東洋ではこういう個人の観念が発達せず逆に大いなるものに己を捧げるという、没我的であった、と。


 でも、もう少し簡単に言い表せる気がしたのです。


 土屋教授は、宗教を信じるもの、と言い、哲学を疑うもの、とおっしゃいましたが、実は、哲学そのもの、ではなく、西欧文化そのものが「疑う」文化なのではないか、と思うのです。


 だから、権利と義務、の概念も、上は下を疑う、だから義務を課し、下は上を疑う、だから権利の概念を生じさせたのではないか。逆に、東洋は「信ずる」文化。その精髄たる日本に至って、信ずる、という信念が最高潮に達した。


 だから、日本人はたった一つの王朝を頂いて今日までやってきた。


 世界は、様々な王朝、王家が勃興しては没落を繰り返してきたのに、日本だけが、日本列島に大和王朝を生んで、いまもずっと大和王朝のままなのも、この、「信ずる」という文化のゆえではないか。我々は、今も大和民族なわけです。


 古来、日本でも大和王朝下に、様々な権力者が現れた。藤原、源氏、平家、足利、織田、徳川、現代の現政権に至るまで。これら、その時その時の権力者が、少しでも大和王朝の正当性を疑って、これを廃絶しようとすれば簡単に廃せたはず。事実、信長公を放置すれば皇室は危なかった、とまで言われる。だから本能寺の変が起きた、とも。


 また、応仁の乱とか、京都が灰燼に帰すような戦乱の場になることだって多々あった。足軽、なんてのは盗賊野盗とほぼ同義の、野蛮の権化のような存在であり、それが御所を襲いかかるという危険だって十二分に有りえた。ってか、チャイナとかフン族、ゲルマンとかだったらそのまま乱入していたでしょう。でも、日本人だけは、足軽、雑兵にいたるまで、大和王朝の臣下であることを誇りとした。


「信ずる」という文化を歴史的に体現した民族、と言えるかもです。


 また、親鸞聖人の他力信仰だって、信ずる、という考えの最たるものです。阿弥陀様に無心に己を投げ出して、その慈悲におすがり致す、自分の無駄な考えなんて捨て去って、弥陀の大慈大悲に全身全霊で祈る。なんて考えは、少しでも疑ってかかって考えられるものではありません。全面的、完全な肯定以外に、でてくるはずがない考えです。


 また、日本の伝統工芸とか、これ、何のためにやってるんだろ? って少しでも疑問が差し込めばやってられなくなりそうなものがありそうです。だから西洋では、これ、機械でやったらいいんじゃね? と思ったのでしょうし。


 そういう風に考えますと、悟り、とは、いま言った、全面的肯定なのだな、と思うわけです。


 己とか、己の人生、己を生んだ世界、己や、すべてが存在する世界の意味、意義、価値。これらから、一切の疑い、一切の疑心を排除して、まさしく阿弥陀の慈悲におすがりするように、全面的に肯定する。すべてを信ずる。


 その、究極的な境地こそが、悟り、なのであろうな、と想像するわけです。


 弓の奥義に至られたヘリゲル先生が、


「すなわち弓と矢と的と私とが互いに内面的に絡みあっているので、もはや私はこれを分離することができません」


 とおっしゃられたのも、この、全面的肯定の言葉なのであろう、と思うのです。すべてを認めて、すべてを受け入れて、すべてを信じてしまった時に、すべての区別は、意味をなくしてしまうのであろう、と。なのでわたしは、神という存在を、すべての時間すべての空間に遍在する、すべての過去もすべての未来も承知するような存在なのであろう、と考えておるのです。シュレディンガーの猫のように、確率で存在するのではなく遍く存在する。


 そう考えるとさらに、シュペングラーが「仏教的涅槃という不気味な深奥な概念」と、言ってしまうのも、西洋人では、西洋文化では、悟り、というものを理解するような文化的土台が存在しないからであろう、と考えられるのです。


 まず、疑ってかかり、否定から入り、信じないことから出発する西洋では、無心に信ずる、などという「不気味」なことが、そうそうできるわけがない。だから、逆に、科学が勃興しうる下地ができていた。


 科学とは、疑って初めて発達する学問であろう。


 水って何? 鉄って何? 銅ってなに? 温度? エネルギー? 幅? 長さ? 引力? 斥力? 磁力?


 疑問を発すれば、世界は疑問だらけです。


 日本人からすれば、変態ちっくな、妄執じみた執念でこの世界の物の理、を究めたからこそ科学は勃興したのであって、江戸時代以前の日本人からは逆さにして振ったって出てきやしない執念です。


 そういえば、磁石には、S極とN極があって、だから、引き合う力と反発する力がありますが、でも、引力は引力だけですね。物体同士の間に働くのは引力だけで、反発する力はない。そう考えると、世界には基本的に、右と左、上と下、男と女、様々二つに分けられるのに、どうして引力しかないのか。もしかすると、反物質というものが完全に分かった時に、初めてそこに引力の反対、反重力、というものも発見できるのかも知れませんね。そうして妄想すると、宇宙船の推進力も、この反重力なのかな、とか考えたり。


 妄想も際限がありませんね。


 西洋では、この、疑うという文化から発していたから、ここまで科学が発達したのだ、と考えられるし、東洋では信じる文化が発達していたから、一つの王朝が今も続いている、と考えられる。


 東西両文化は、しごく、単純なところから始まっているのかも知れません。


 でもまあ、疑う、ということと、信じる、ということどちらか一方を取る、となればどちらがいいかは、個々の嗜好に合わせればいいかと。そういえば、フルーツバスケットという作品で、今日子さんが、



「透は信じてあげな 


 疑うことなんて誰にでも出来る簡単なことだし


 透は信じてあげられる子になりな


 それはきっと 誰かの力になる」



 とおっしゃっていたのを思い出します。


 疑うことなんて誰にでも出来る。簡単なこと。


 ちなみにわたしは、他人には簡単にできないようなことを目指すのが好きな人間です。


 と、シュペングラーの『西洋の没落Ⅰ』を、一厘だけ分かった気になって、全然没落とは関係のないことをほざいたところで、これまで。全文読みこなせる人は、是非ともご教授いただきたい所存でございます。




「チモシーラップ」を聴きながら。


 したらばな~




しかし、去年の秋から凶悪なGに家が占領されておる次第でして。


冬の間はおとなしかったけれど、やはり、春になると湧いて出てくる _ノ乙(、ン、)_


おまえ、越冬しただろ! って言いたくなるようなお兄ちゃん的なGが出てきたり、


おまえ、今年生まれただろ! って言いたくなるようなめんこいGが出てきたり、


この前暑かったからとエアコン動かしたら、ボソッ、って


おまえ、どっから湧いて出とんねん! って言いたくなるようなでっけぇお父さん(お母さん?)的Gが出てきたり、


両手にゴム手袋をはめて、わたしにとって最強の対G兵器であるカビキラー(殺虫剤に耐性があるっぽいGでもけっこう速やかに始末してくれます。また、一応洗剤なので殺虫剤よりは汚らしくないw)を右手に、Gジェットを左手に、


サーチアンドデストロイ!


サーチアンドデストロイだ!


と、決死の戦闘を繰り広げたり(カビキラーぶっかけられてこっちに逃げてきた時には悲鳴がでましたよ。ええ…。 四十過ぎて…。;;)。


あんな凶悪にして恐怖のGがいる世界を全面的に肯定なんてできるはずがない!


古来、東洋人はGすら肯定してたのかなぁ、とか考えると、


わたしには永劫悟りは無理っす。 _ノ乙(、ン、)_


あと、最近のGは教育が行き届いているのか、Gホイホイを計五枚まいたけど、ぜんぜんかからない…。その近くをうろちょろしてるのに _ノ乙(、ン、)_

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