敬って?
おこんばんはです。豊臣亨です。
今回は「敬」
敬す。敬する。敬う。尊敬する。敬仰する。
敬とは何か。
単純に言いますと、自分より偉大なるものに対して自然として、必然として抱く心境のことであります。
これも古来より論じられる問題であり、これに関しては儒教こそが専門分野といって過言ではありません。
古代から続く政治哲学や学問を受け継ぎ、我こそ天に選ばれた文の伝統をなすものという大覚悟をもたれた孔子様が民草を救い、安立をもたらそうとお弟子さんたちに素晴らしい学問を授けられたわけですが、そのたくさんの教えの中にこの「敬」はしっかり入っております。
人としての大事な心、敬を伺ってみましょう。老荘思想家のおっさんは語りたい。
では、まずもってわたしの尊敬してやまない大先生、安岡正篤先生からお話を伺ってみましょう。
はっきりいいましてこの書を読むだけでも十分といってよいので、かなり抜粋。
書は、
「人生の五計」困難な時代を生き抜く「しるべ」 PHP文庫から。p132
「今まで家庭という時に、共通した長い、久しい欠陥の一つは「愛」が専ら説かれて、「敬」ということがなくなってきておるということです。子供というものは、本能的に分けて言うならば母に愛・慈愛、父に権威・尊敬・敬慕、こういう念を本能的にもっておるものである。
私はよく言うのですが、人間と単なる動物とを区別する最も根源的なボーダーライン、境界の大事なものは何か。これを失くすれば、人間は人間の形をした獣になってしまう。これあるによって、人間が万物の霊長であるという境界を成す大事なものは何かというと、
それは「敬」と「恥」であります。
愛ではない。
愛というものは、これは発達した動物になるとある程度もっている。特に高等動物となると十分に認められる。人間に根本的に大切なものは愛よりもむしろ「敬」と「恥」、この二つであって、これを失うと、人間はあきらかに動物並になる。人間という獣になる。しかも他の動物がもっておらぬ知識だの才能だのといういろいろなものをもっているから、これはどうにも難物になる。
その獣類から人間を進歩せしめた造化の秘密とは何か。造化が長い間かかって努力して、天地の心を立つ。天地が長い幾億年もの造化の苦労を積んで、ようやく人間というものを創造した。内面的に言うならば、心霊の世界というものを開いた。
つまり平たく言うならば、心を立てた。天地のために心を立つ、あるいは天地心を立つを成す。
その心の最も人間的なもの、他の動物と違うキーポイントは「敬」と「恥」であります。
「敬」するということは、自ら敬し、人を敬するということ。
敬という心はより高きもの、より大いなるもの、偉大なるものに対して生ずる。つまり、人間が進歩向上の心をもっておることだ。その人間が本具しておる進歩向上の徳によって、人間は自ずから、進歩向上の対象を創造する。創ることに対して、敬という心が生ずるのである。だから、進歩向上する人は、必ず偉大なる目標に向かって進まんとする。
その進歩向上せしめる的になる者に対して、われわれは敬の心を生ずる。敬するということを分からない者には進歩がない、向上がない。
『論語』にもあります。
「子遊、孝を問う。 子の曰く、 今の孝は是れ能く養うを謂う。 犬馬に至るまで皆な能く養うこと有り。 敬せずんば何を以てか別たん」
と。
ただの愛だけでは動物でもあるもので、敬が生じなければいかんと力説しておる。カントの道徳哲学というものは言い換えれば「敬の哲学」と言うてよろしい。カントにしても、フィヒテにしてもそれは言える。この敬とそして恥、敬することと恥ずることが、一番人間の基本的、根源的な徳であります。敬することによって向上がある。恥ずることによって規律、自ら律するという規律というものがある。この敬するということを建前とすれば、これが展開するとやがて信仰・宗教というものが発達し、恥ずるという内省的なものが建前となると、道徳というものになってゆく。
とすれば、宗教と道徳とはもともと一体のものであって、建前が違うだけのものである。宗教という時には敬が主になって、つまり表立って、恥ずるという道徳はその中に含まれる。道徳という時には恥ずることから生ずるところのいろいろの規律というものが表に立って、敬するという宗教のほうが中に入る。もともと一体のものの表現の相違にすぎないんで、宗教と道徳を截然と二つに分けるという考え方は概念の遊戯であります。
これらのことが日本語には実によく表現され、しかも使いこなされておる。まさに日本語の特徴の一つである。敬するということは、すなわち偉大なる目標をもつ、進歩向上の目標をもつということですから、そこで敬するということを知ると、その敬の対象に近づこうとする。できるならば、それに親しみ、一つになろうとする。
そこで敬する、敬うということを日本語で「参る」という。
神に参る、仏に参る。
これがだんだん普遍化して「父の家に参ります」という具合になった。やがて「何々して参ります」とも使われるようになった。非常にいい言葉であります。
西洋で男女が愛する。ラブとか、リーベンとかいう言葉がたくさんありますが、日本では「参る」といういうのです。西洋の「愛する」という言葉の中には敬がない。
日本語は愛することを参るという。例えば「俺はあの女に参った」と言う。これは女を愛することよりも、もっと進んで、あの女は偉いと、自分は頭が下がるということなんです。だから「愛している」なんて言うのでは駄目で、「参った」と言わなければ本当の愛ではない。ことに女が男に参ったというより、男が女に参ったというのが面白い。面白いと言うてはおかしいが、味が深い。だから、結婚も、愛しているからと言うぐらいの結婚では、これは動物的であって駄目なんである。双方が相討って「参った」ということになって初めて本当の結婚が成り立つわけなんであります。
それは、まだいいが、日本語でもっと感服するのは勝負をして負けた時に「参った」と言うことです。これは絶対に他の国にない。日本語独特の値打ちのある言葉です。たいてい勝負をして負けたら、悔しい。憤慨、自嘲、いろいろそういう嚙んで吐き出すような言葉が多い。一番下劣なのは「クソッ」とか「畜生」とか何とか言う。失敗をし、相手に負けたら「クソッ」とか「畜生」なんて言うやつはだいたい駄目だと思っていい。ところが日本人は「参った」と言う。参ったと言うことは、負けた相手を偉いと認識、感服することです。これはいい言葉です。
この頃の思想家とか、評論家、ことに進歩的文化人なんていうのは、こういうことが一つも分かっていない。敬すれば参る。参るという以上はどうしてもなるべく側へ近づきたい。いわゆる親しみたい。側にいって何でも努めたい。いわゆる灑掃(掃除のこと。灑掃の労をいとわずとかいう)でも承りたい、これを侍る、侍すると言う。
「はべる」あるいは「はんべる」
参れば侍りたい。そして、単に側へ近づき、共に暮らしたいばかりでなく、もう本当に参るというと、何もかも要らなくなる、
すべてを捧げたくなる。
それを「祭る」という。
侍るとか、祭らうとか、日本人は何かというと、「仕る」「奉る」とみんな「まつる」と表現する。漢字でもよく表しております。
例えば、最も典型的なものは「祭」という文字。これは食うもののない原始人が命を支える大事な肉(月)を右手(∋)でもって、神に自分の命の糧を奉るという意味である。「示」は神棚で、神を示します。祭祀とよく言うが、「祀」という字は祠という字と同じ意味で、その人が亡くなっても、亡き人にいますが如く仕えることを言う。
これは東洋道徳精神というか、東洋の人間精神の非常に本質的なものであります。
「侍る」に対応する言葉は「侍ふ」「候ふ」ということである。
こういう敬の道徳に徹して生きようとした階級が、つまり「武士」であります。だから武士のことを「侍」と言う。侍とは敬する者に参って、それに侍り、侍い奉ると言うことである。
一命を捧げて、それに近侍していくという道、それがすなわち「武士道」であります。侍とはそういう心、道を本体とした階級であります。
(さすがに中略(笑))
だから、敬というものが大事なんで、子供はもう純真であるから、本能的に敬の心をもつ。愛は動物の昔から、もとより本能的に備えている。だから「敬愛」でなければいかん。あるいは「愛敬」でなければいかんのであります。これを切り離すといけません。家庭では、子供は自ずから父に敬を抱き、また敬を求める。そして母は愛の対象としておる。それなのに、昨今の児童研究、児童教育学、あるいは社会学、心理学、いろいろの方面からの家庭問題についての議論はきわめてナンセンスである。
家庭というと、専らこれは安息所で母の座、母が大事である、子供を育てるのはすべて母・愛だと言う。古来から英雄、偉人の母はみんな偉かったと、親父は抜きになってしまっとるんです。家庭の居候みたいになって、高等居候的立場にある。親父どももまた家庭というものは、家族の安息所、休憩所のように考えている。そして、家庭へ帰るというと、おおよそ不敬だ、自ら不敬の存在になってきたわけであります。
(略)
程度の差こそあれ、世の男ども、親父どもは、だいたい家庭は安息所と心得て、家に帰ったら、どうも暴君ぶりというよりは、だらしのないところを見せる。安心して、うち寛ぐ。うち寛ぐのはいいけれども、うち崩れてはいかん。
子供のほうは幼いほど、親父を敬の対象としているわけだ。それだから、子供は親父の大きな帽子をかぶったり、大きな親父の靴を引きずって歩いたりする。
これを目のない、心のないお母さんたちは可愛いいたずらだと思っている。大きな間違いであります。
ユーモラスにのみこれを見て、指を差してワーワー笑って、言わば可愛がる。子供は何もおどけてやっとるんじゃない。子供ながらに、親父の帽子をかぶり、親父の靴を履いて、親父たらんとしておるんです。だからよく似合うとか、何とか褒めてやればいいものを、この子供はもうユーモラスだとか、おどけてるとか、何とか批評する。あるいは愛護かもしらんが、こういう愛護は無知の愛護というものである。
(略)
ここに現代日本の悲劇というのか、滑稽というのか、堕落というものがある。
ともかく精神的に堕落しとるということは、こういう些事でも分かる。だから、まことに荷が重いけれども、親父というものは、これはやはり家庭にあって、自ずから敬の対象でなければならん。子供が接して、自ずから敬する親にならんといかん。
「レーデン・アンディ・ドイッチェ・ナシオン」
つまり「ドイツ国民に告ぐ」という大講演でフィヒテでやはり「敬」の大切さを説いておる。「愛する」ということばかり言っておってはいかん。家庭で大事なのは父の敬である。「父子の間の敬である」ということを言うておるが、これはもう東洋では、古来通説、自明の理であります。
分業すれば、父の敬、母の愛、そこで不幸にして一方が欠けると、面倒である。その場合には、父が敬と愛と両方の対象にならなければいかん。逆に母が父を兼ねなければならんというのは、母にとっては大変な重荷だ。非常に難しいことだけれども、これは大事なことであります。
いずれにしても、子供の「敬」の対象である父の存在は健全な家庭の欠くべからざる要であります。そのためには、言葉とか鞭で子供に対して要求したり説教したりする前に、父自身が子供から「敬」の対象たるにふさわしい存在たることが肝腎です。父の存在そのものが、子供に本能的に敬意を抱かしめる、彼の本能を満足させる存在であること、それが父たるもののオーソリティであります。
だから、父の存在、父の言動そのものが子供を知らず知らずに教化する。簡単に言えば、父の存在・父の姿、行動が子供が本能的に真似するものでなければならぬ。
そうなれば、父たるものは子供の前で大あぐらをかいて、下品な言葉で怒鳴ったりするようなことが一番いけない。本当は子供が起きた時には、父親がもうちゃんと起きて正座しておるとか、親父の前へ出たら、子供は自ずからにして姿・形を正す。父の言葉が自ずから子供を服せしむという風でなければいかん。しかるに、そんなことは封建的でいかんとか何とかくだらない低級な理屈をつけて、一緒にふざけたり怒鳴ったりすることが人間的進歩的であるふうに考えたこれまでの習慣は大変な間違いであったと言わなければなりません。
それなら二六時中、親父はしゃちほこばっていなければならぬといけないかと言うと、そんなものじゃない。その中に春風駘蕩たるところも、ユーモアもあるわけです。
細川幽斎(一五三四~一六一〇)はその晩年、倅の忠興(一五六四~一六四五)が来た時は、まったく寛いでくだけた態度で応対したが、六丸という幼い孫が来た時は、ちゃんと姿勢を正して慇懃に会った。家老が、
「ご当主に対してはあんなにくだけてご引見なさるのに、お孫さんにはどうしてそんなに形を改めてお会いになりますか」
と聞くと、幽斎は、
「もう倅はできてしまったものだから、それでよい。孫はこれからものになるのじゃから、こちらも敬して会わねばいかんのだ」
と言ったので、家老が感服したという話があります。
(さらに略)
そうして生まれた児童というものは、これは人生の曙である。清く、明るく、健やかなるを尚ぶ。胎児をだんだん育ててみると、それは実証できるけれども、まず明かりにというものに敏感になるんです。それから清潔ということ、清いということに非常に敏感です。昨晩、私たちの座談の席で、豚の話が出たんでありますが、世間は豚というと不潔なもののように思うておる。ところが豚は非常に清潔を好む。豚を飼うには豚を清潔に養ってやらなきゃならんということは専門家がみなよく知っておる。
人間の子供もそうです。清く、明るいということが、人間のあらゆる徳の最も根本的な徳です。そこに古代神道の非常なデリカシーがある。微妙な貴い点がある。
清く、明きとか、さやけくとかいう言葉がそれである。したがってその時は、非常に静かです。静まっておるから、清く、明るく、静かということは、神道の眼目であります。子供を育てるのはそうでなければなりません。清く、明るく、健やかなるを尚ぶ。
子供を不潔にして育てたりなんかしてはいかん。そうすると、大きくなって必ず不潔をやる。汚職だとか、涜職だとかいうようなことをやるのは、みんなこの頃からの悪縁である。清く、明るく、静かに育てたらそんなことはできない。してはいかん、しては法に触れる、分かったら大変だ、などということで取り締まることでは、これはもうそもそも堕落であります。
そうではない、不潔には耐えられん、汚いことはできんというのが本当の道徳。
これは大いに子供の時の育ちに関係する」
ここらでよかろうかい。
「敬」という心根は、神や、自分の父、もしくは偉大な存在に対して発する、人間の素直な心の発露なわけですね。
その、偉大なものに自分を少しでも近づけるために、人は努力を惜しまぬわけであります。
敬する、自分が憧れる、尊敬する対象を心にもつと、自然、必然、それを目指したい、目的、目標としたくなるものであります。
自分と言う人間も、そうありたい、そうなりたいと思う。
そうすれば、自然、必然、その高みに到るためには今の自分では到底太刀打ちできない、到底、レベルの低い自分ではそんなものにはなれやしないということに気がつく。
そして、恥ずかしいと思う。尊敬するべき存在に比べて自分は何と能力がないのであろうか、到らないのであろうか。この現実がどれほど情けないことであろうか、打ちのめされる。打ちひしがれる。
そうなれば、努力しようとする。自分が目指す目標に向かって、すべきこと、なすべきこと、しなくてはいけないこと、する必要のないことなどがみえてくる。
そして、相手を敬うということは、直接、自分を敬うことにもつながっているのであります。
何故か。
例えば、こんにちは、と挨拶する相手と、無視する相手、どっちがよりきちんと付き合える相手か、は言うまでもないでしょう。
つまり、相手を敬うということは、だからわたしもきちんと敬ってください、ということにもなっているのであります。相手を敬わないということは、自分をも敬わなくてけっこう、と言っているに等しい。自分を捨てているのであります。
そうして自分自身を高めるのであります。
またこの文章に、東洋人の道徳を感じるのであります。
「子供を不潔にして育てたりなんかしてはいかん。そうすると、大きくなって必ず不潔をやる。汚職だとか、涜職だとかいうようなことをやるのは、みんなこの頃からの悪縁である。清く、明るく、静かに育てたらそんなことはできない。してはいかん、しては法に触れる、分かったら大変だ、などということで取り締まることでは、これはもうそもそも堕落であります。
そうではない、不潔には耐えられん、汚いことはできんというのが本当の道徳」
四知、という言葉で知られる、昔のチャイナでもちゃんとありまして、今では忘れられておりますが、昔は特撮ものにも見えたこの名句。
「天知る知知る我知る汝知る。何ぞ知ることなしといわんや」
これは、楊震という人のところに、お世話になって出世した王密という人が袖の下を持っていった時の故事。
楊震さんがこのような賄賂など受け取るいわれはない、といったところ、王密さんがいえ、誰も見ておりませんので……、といったことに対する楊震さんのお言葉がこれ。
誰も見ていないではない。天も見ているし、地も見ている。わたしも、そなたも、見ているではないか。どうして誰もみていないなどといえようか。ということですね。
より正確にいいますと、こういった不正、悪事に対して、何より、俺がみているんだ。俺がこんなことは納得できんのだ。このような薄汚い人間になるために俺は生まれてきたわけじゃない。お前と一緒にするな。という反発ですね。
天が見ていようが、地が見ていようが、お前が見ていようが関係ない。俺が、納得できないことなら俺は絶対にしないのだ。という大覚悟であります。
本当の人生を生きると、こういったことに我慢がならなくなる。
悪事、不正、てめえさえよければそれでいい、という人間をみておると殴りころがしたくなる。
警察だの法律だの、そういったもので取り締まる前に、こういった正しい人間をつくることがまず第一であって、薄汚い人間を粗製乱造しておって後から「共謀罪」とか設定すること自体が相当オツムがいかれている、といわざるを得ないのであります。
しかし、国に、社会に、世間に文句をいっておっても仕方ない。
奴らは王密の成れの果てかも知れんが、俺は第二の楊震たらんと欲するのだ、と自身を鍛え上げる、学問をして己を真っ当にする。
誰のためでもない、自分自身のため、であります。
これが学問の真骨頂であります。
己を己で敬する。己で己を為めるのであります。
では、安岡先生の一文にもありましたが、敬、について孔子様のお考えをさらに伺ってみましょう。
「樊遅知を問ふ。子曰く、『民の義を務め、鬼神を敬してこれを遠ざく。知と謂ふ可し』仁を問ふ。曰く、『仁者は難きを先にして獲ることを後にす。仁と謂ふ可し』」
樊遅さんが知、というものを質問された。それに対して孔子様がおっしゃるには、人として正しく生き、鬼神、祖先の霊や神々を敬ってなれなれしくすべきではない。これで知る、といえる。
仁、というものを質問された。それに対して孔子様がおっしゃるには、真心ある者は困難にまず取り組んで、自身の利益は後におく。これで真心、といえる。
敬遠という言葉はここからきておるのですね。
ここでの敬、は二天一流の宮本武蔵とも通じるような気はします。
「我、神仏を敬すれども頼まず」
剣の道において重要なのは自らの腕と覚悟であって神仏に勝利を祈願するなど剣の道に生きるもののあり方ではない、と。
これは、前にお話した、
「心だに 真の道に かないなば 祈らずとても 神や守らん」
というものにも通じると思います。
現世利益を求めて神や仏に祈る前に、「民の義を務め」ておれば、なすべきことをなし、心平かに生きておれば神や仏はお守りくださる。過剰な、余計なことを願う必要はない。ただ、足るを知って、あるがまま生きておればそれでよいのだ。孔子様はこうおっしゃっているような気がします。
「子路君子を問う。子曰く、己を脩めて以て敬す。曰く、かくの如きのみか。曰く、己を脩めて以て人を安んず。曰く、かくの如きのみか。曰く、己を脩めて以て百姓を安んず。己を脩めて以て百姓を安んずるのは、堯・舜もそれなおこれを病やめり」
子路さんが君子、というものを質問された。それに対して孔子様がおっしゃるには、己をきちんと律して日々を正しく生き、人々を敬うことだ。とおっしゃると、子路さんはその程度ですか? というので孔子様は己をきちんと律してそれを以って、人々を安心させることだ。とおっしゃると、子路さんはその程度ですか? というので孔子様は己をきちんと律して日々を正しく生き、それを以って天下万民を安心させる政治へと発展させる。それらのことは、古代の聖帝堯・舜であっても深刻に悩まれたのだ。とおっしゃられた。
この、子路さん。季路さんとも言ったそうですが、この人は孔子様第一のお弟子さんでありながら孔子様に反発するような、気骨あるといえばそうですがどうも直情径行のお人だったとか。在野で政治活動をしていたようなお人らしく、君子とか人々を教え導くような立場にすごい憧れやら野心があった模様です。なので、孔子様に君子とはいかなる人物か、と問うたわけですが、せっかくの孔子様の教えを、「かくの如きのみか」と、はっ、その程度ですか。と小ばかにしています。
しかし、孔子様がすごいのは、「かくの如きのみか」と侮ってくる子路さんに対して、「己を脩めて以て百姓を安んず。己を脩めて以て百姓を安んずるのは、堯・舜もそれなおこれを病やめり」
つまり、己をきちんと正しく治め、きちんと律し、それを以って、純粋に発展させ国家万民を撫育するのは、古代の聖帝である堯・舜のような方々でもご苦労されたのだ。お前如きが安々となしとげられることではない。とぴしゃりとたしなめられているところですね。
自分自身をすら敬することのできないお前が、以って天下万民を安らかに治めることなどできるはずもない、と。実に味わうべきお言葉でございます。
「晏平仲善く人と交はる。久しうして人これを敬す」
晏平仲、晏子は人との交際がとても素敵な人だった。人々は、晏子と交際していつまでも敬った、と孔子様はおっしゃられた。
この晏平仲、晏子というお方は名宰相として知られ、国家に重きをなした重鎮であります。質素倹約の権化のようなお方らしく、ひとつの毛皮の服を三十年も着続けたとか。
久敬。大概、人と言うのはその人と接すれば、なれる、侮ってゆくものでありまして、それは論語にもあり、
「子曰わく、ただ女子と小人とは養い難しと為す。これを近づくればすなわち不孫なり。これを遠ざくればすなわち怨む」
孔子様はこうおっしゃられた。くだらぬ者と、女性は教え導くことができないものだ。そばに寄らせれば侮るし、だからといって遠ざければ恨む。
孔子様ですら、人との付き合い、扱いには苦慮されたようです。それが、国家の重鎮となった晏子ともなれば政敵だの外敵だのうじゃうじゃいたわけで、それで「久しうして人これを敬す」という、晏子は人に侮らせるところのものがなかった訳ですから、どれほどの日ごろの行いを律しているのか、ちょっと想像できないほどすごいことであります。
また、斉の景公が孔子様の令名を聞いて重臣に取り立てようとするのですが、晏子は反対したのだとか。それは、安岡先生によりますと、斉の国は国情がいまだ安定せず暗殺、謀殺が繰り広げられており、そこに他国の孔子様がでかい面をしてやってくれば必ず孔子様にも災いになると考えてあえて反対したのだ、とか。なかなかすごいお話であります。
このようにみますと、論語が成ったのは2500年前とされますから、そんな昔から敬、は大事な考えだとされてきたわけですね。
さきほどみたように、孔門下で名をなした子路さんですら、自分自身を敬う、敬、ということを十二分に味識されていたか疑わしいわけでありまして、現代人も己を敬わずに、かえって台無しにされる方々が多いような気がします。
それは、安岡先生の文にもみられるように、最近の家庭は子供を敬する、ということを忘れてしまっているからであり、敬して育てられなかった子供は、親を敬うこともできないし、自分自身をも敬うことができない人生を送ってしまうのではないでしょうか。
かくいうわたしも、子供の頃から親兄弟に敬ってもらった記憶より、真逆の対応ばかりされた記憶の方が多いですね。
そんなわたしでも、こうして学問をして、必死こいて自分だけは自分を敬っている、認めている、わけであります。
学問があれば、どうしようもない子供時代を生きてきても、何とかそれ以降に軌道修正の道もあるわけであります。現代はこういった学問をのんびりする時間も機会もなく、世に取り残されないように忙しく立ち回らねばならないわけで、それでどれほどの人が己の人生を損しておるか。本当の生き方を知ることも、味わうこともなく日々を生きねばならないか。考えますと恐ろしいことであります。
国は、人で成り立っておるのに、その人が、十二分に作られることもなく育てられることもなく、粗製乱造されて世に送り出される。
そして、その事を、国も、世間も、ご本人ですら知りようもなく今日も、日々を生きねばならない。
嗚呼。
最後に、孔子様のこのお言葉をみておきましょう。
「子曰わく、後生畏るべし。焉んぞ来者の今を如かざるを知らんや。四十五十にして聞こゆること無くんば、畏るるに足らざるのみ」
孔子様はおっしゃられた。これから生まれてくる若者らを侮っておってよいものであろうか。
どうして、今の我々より劣っていると決め付けていられよう。我々より、はるかに優れた若者らが現れるやも知れないではないか。
とはいえ、だ。
四十、五十にもなって世間に名声も、評判すらも聞こえてこないようでは、たいしたことでもないけれども。
誰よりも人を敬っておられた孔子様だからこそ、この言葉にもなるでしょうね。
しかし、四十、五十を過ぎて何事をも世に残せない、世に示せないのなら、敬うほどでもない、ということでしょう。
わたしも二十五歳辺りから論語に触れて、四十五十には世に聞こえるような人物になりたいと思ってはおりましたが、老荘思想的には誰にも取り沙汰されぬくらいでちょうどいいわけですからこんなもんですかね。少なくとも、こうしてネット世界には足跡をとどめることはかないましたし、これで十分でしょう。
ほとんど安岡先生に伺っただけではありますが、「敬」というものを少しは語りえたかと思います。
でも道聴塗説というなかれ。きちんと自分の中で日々実践し、腑に落ちた、得心がいったことだけを申し上げているのであって、納得できかねることは反対の意見を述べますので。伯夷・叔斉とか。伯夷・叔斉とか。伯夷・叔斉とか。
といったところで、今回はこれまで。
日々学問。