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安○は第二のヒットラー



 おこんばんはです。豊臣亨です。


 なんでも、日本が嫌いで嫌いで、ついには朝鮮に帰化したという見事な精神構造をなしえた人物が、「安○は第二のヒットラー」という内容の本を出版したんだとか。


 ……よりにもよってヒットラーだとぅ!?


 貴様ァ! ふざけやがって、ばかやろう!



 ヒットラーに対して失礼だろうがッ!!!



 …さて。


 確かに、ヒットラーはユダヤ人種滅殺を謳い、数多のユダヤ人を虐殺してきた人間ではありますし、彼が行ってきた悪をいちいち上げればきりがないのでしょうが、この問題、ユダヤ人と西欧人種間での確執は、古代ヘブライから続く、相当に根深いものがあるでしょう。この古代からの多民族間の恩讐や嫉視排擠(しっしはいせい)・確執を理解することは、どだい、渡来の人々は誰でもありがたがって受け入れてきた日本人には、絶対に不可能でしょうから、これに関して論ずることはわたしにはできません。


 それに、ヒットラーにはユダヤの血が流れていた、などという説もあるほどなので何がなんやらさっぱりであります。まあ、日本人の血もユダヤ系統が含まれるらしいですが。


 また、ヒットラーは、



「ローマ帝国が滅んだのはフン族やゲルマン民族のせいではなくキリスト教のせいである」



 と言ったとか。


 そもそも、イエス・キリストはユダヤの民であるから、そのユダヤ人から生まれたキリスト教という視点も、我々日本人には到底解すべからざる恐ろしいほどの歴史の錯綜があるでしょうし、このことに関しては沈黙を守るといたしまして、例によって例のごとくwikiでヒットラーを読みますと、意外と興味深いのであります。わたしもそれなりに暇をもてあます人種ではございますがさすがにヒットラーのwikiをこれまで読んでみたことがなかったので、とっくりと読みふけってみますと意外と面白い。


 冗談でもなんでもなく、安○ごときと一緒にするな、と言いたくなるほどです。


 そもそも、ヒットラーという人間は、実はドイツ人ではなく、オーストリア国人でありますが、民族的にはドイツ人であり、そして逸すべからざるところには、彼は熱烈な愛国心をもった人物であります。


 そして、最終的にはドイツ人にとって最悪の敗戦責任者と成り果ててしまいましたが、少なくとも、第一次大戦、さらに世界恐慌の大混乱のドイツを救った救国の英雄であることは疑いようがない。


 昨今、米国の走狗と成り果てて、税金だろうが国民の資産だろうが、米国に売り渡すことを能事と心得る、売国奴どもとは天地の相違があります。


 だいたい、今回の日韓の騒動も、どうせF35を言われるがまま買うから後ろ盾になってくれ、などと言ったのでしょうし、(おか)イージス、イージス・アショアだって、米国のご命令どおりに購入を決定しているだけのこと。どいつもこいつも、政治家などといいうものは売国奴と同義語の連中ばかりで、米国か共産勢力に媚びへつらうようなクズしかいない。愛国心どころか日本に害悪を垂れ流すようなのばかり。だから日本人は諸手を挙げて政治家を信用できない。「誰がなっても結局一緒」なのであります。この度の対韓強硬論も、二度と蒸し返さないという条件でしなくてもよい条約を結んでやったのに、さらに蒸し返すからさすがに堪忍袋の緒が切れただけであって、愛国以前に人として当然の反応に過ぎない。


 それに引き換え、ヒットラーがいわゆる総統に就任した当初は、ドイツ国民の支持率は何と、国民投票で89.93%というべらぼうに高い支持を得ていた。いかにドイツ人がヒットラーに期待を寄せていたかがこれで分かる。それがヒットラーの策謀・陰謀であったとしても、少なくとも、ヒットラーやまたその陣営にはそれをなすだけの能力があった。日本に、それだけの策謀を働かせることの出来た政治家が戦後、何人いたか。核の傘、などとほざいて、米国の奴隷と成り果て豚の惰眠を貪っていたようなのとはまったく違います。


 かの小卒宰相、田中角栄だって国内ではずいぶんと辣腕を奮ったのでありましょうが日中国交正常化に至っては周恩来から「言必信行必果」という言葉を送られて、得意面々で帰ってきたのだとか。本人は交渉をまとめ上げ、チャイナの要人から信頼を得たと得意の破顔大笑であったそうですが、それを聞いた安岡先生はたちまちのうちに周恩来の本心を見破った。


 この、「言必信行必果」は論語の、




【子貢問うて曰わく、何如なるかこれを士というべき。子曰わく、己を行うに恥じ有り、四方に使して君命を辱めざるは、士というべし。曰わく、あえてその次を問う。曰わく、宗族(そうぞく)孝を称し、郷党(きょうとう)弟を称す。曰わく、敢えてその次を問う。曰わく、言必ず信、行必ず果、硜硜(こうこう)然として小人なるかな。そもそもまた以て次と為すべし。曰わく、今の政に従う者は何如。子曰わく、(ああ)斗筲(としょう)の人何ぞ(かぞ)うるに足らんや】




 から来ている言葉であって、本来は士たるもの、恥をもって己を律し、他国に使者としておもむいて君命、日本でいうなら皇室を辱めない、もっというのなら皇室の弥栄をさらに輝かしめるのが使走たるものの役割である。


 しかし、そうなるとなかなかそれを人に求めるべくもない。ならばその次とは何かと問えば、一族郎党からはなかなかの孝行ものだと褒められ、近隣の住人からは勤勉な働き者だと称賛されるくらいでないといけない。


 ではその次はどうですかと問えば、言葉には信頼するに足る真があり、行いにはそれにともなう結果がある。しかし、こんなのはせこせことして窮屈でつまらん人間である。この程度は二の次三の次だ、と。


 では今の政治家はどうか問えば、あの程度はマスやザルでまとめ売りされる程度の連中で、数え上げる価値もない。


 という孔子様の辛辣なお言葉でございますが、チャイニーズの要人からすれば田中角栄といえど、せこせこと立ち働くど三流の小人、としか見られなかったわけであります。そんな批評をもらっておきながらニコニコと得意の破顔大笑で帰ってきたわけですから、安岡先生の落胆たるやなかったでしょう。


 まあ、田中角栄は小卒で宰相になるような、例えるのなら太閤殿下のような人物で、結局、太閤殿下も学のなさが最後に露呈しまくったわけでありますが、この時の日中国交正常化の時も、学のなさが明らかになったわけであります。この時からすでにチャイナから馬鹿にされておるわけですから目も当てられません。何でも、日本の政治家がこぞって安岡先生を頼ってその思想に教えを請うたのに対して、田中角栄は安岡先生を嫌っておったそうですが、能力だけはずば抜けていても学のない人間はどうしても限界がある、という見本であります。


 戦後の日本の政治家のレベルの低さはまさしく「斗筲(としょう)の小人君子これを恥ず」というものであります。


 それはともかくとしまして、恐らく、皆様もヒットラーのwikiなんぞとくとくと読んだことはないでしょうから、お暇なら読んでみるといいです。意外と、へぇ~と思わせられるようなところはあります。


 そもそも、ヒットラーの出自からして不明な点が多いとか。


 ヒットラーの親父、これをアロイス・ヒトラーと言ったそうですが、この人からしてどこぞの私生児で、由来も血筋もよくわからんそうな。ですが、このおとんが結構立派な人物で、学歴的には小卒程度なのだそうですが、19歳の頃、独学で勉強し、税務署の採用試験に合格したとか。


 さらに、最終的には、税関上級事務官という大した学歴もない人間には到底望むべくもない大出世を遂げたほどの人物であったとか。


 しかし、これだけ立派に出世しただけはあって、自尊心のかたまりでヒットラーをよく折檻していたらしいです。しかし、ヒットラーも大概なのが、後に大出世した暁には、この親父の生誕地を演習の場に選んでボッコボコにしたのだとか。それはともかく、今どきの政治家のように、血筋も由来もはっきりしておるけどそいつ自身はポンコツ極まりないのとは、ヒットラーは真逆であります。


 で、この親父の支配から逃れるべくもがくのですが、ヒットラーは生来アホな子であって学校の成績はだいたい悪かったそうな。まあ、子供の頃はアホの子であったという偉人は少なくありません。かのナポレオンも、乳母だかが言うには兄弟の中でもっとも出来が悪かったそうで、子供の頃の不出来はいささかも気にする必要はありません。わたしも子供の頃は何にも考えていない、ただ生きてるだけの畜生風情でしたが、今は多少は胸を張って生きておる。大事なのは長じてからどれほどの志をもつか、であります。


 志も、誇りも、学問もなにもない、20になろうが30になろうが40になろうが、何の気節も気概も発奮もないのが一番いけない。こういうのを酔生夢死という。

 

 さて、ヒットラーは親父と同じく結局小卒で学歴を終わるのですが、親父の遺産を使って美術家を志したりしています。ですが、人物画のデッサンが嫌い、というイミフな気質の持ち主で、しかし建物の描写が好きなので建築家を進められますが、この時ヒットラーは気づきます。


 小卒になれるもんではなかった、、、、、と。


 そう読んでおりますと、今時の若いもんは知らない人も多いでしょうが、かの「オネアミス王立宇宙軍」で冒頭、空母を見に行った、シロツグのセリフ、



「いいことなのか、それとも、悪いことなのか、分からない。


 でも、多くの人間がそうであるように、俺もまた、自分の生まれた国で育った。そして、ごく中流の家庭に生まれつくことができた。だから、貴族の不幸も貧乏人の苦労も知らない。別に、知りたいとも思わない。


 子供の頃は、水軍のパイロットになりたかった。ジェットに乗るには、水軍に入るしかないからだ。速く、高く。空を飛ぶことは何よりも美しく素晴らしい。


 でも、学校を卒業する2ヶ月前、そんなものにはなれないってことを、成績表が教えてくれた。だから、宇宙軍に入った」



 が彷彿として脳裏に浮かんだわけですが、このシロツグのように未来などそこまで真剣に考えていない、行きあたりばったりに人生を決めたありようが意外と若い頃のヒットラーと似ているような気がするのも面白いところではあります。


 さて、シロツグのように若いヒットラーはそれなりに裕福に、ちょっとした挫折やら苦労やらをするのですが、ここが非常に興味深いのですが、折檻されたから父親に対しては一生恨んでいたようですが、母親には深い愛情を注がれていたようです。その、母クララが主治医ブロッホによって余命を宣告されます。乳ガンだそうですが、母クララはヒットラーを溺愛したのに彼はのらくらとしておったようでヒットラーの親友に愚痴をこぼすのですが、しかし、ブロッホ医師から知らせを受けたヒットラーは、クララの案に反して飛んで帰ります。


 そして、ガンに苦しむクララのそばを離れずベッドのわきに置いた長椅子で眠り、生涯で唯一妹や家族と家事を行ったとか。その後、クララは亡くなってしまうのですが、ヒットラーは葬儀の後、ブロッホ医師のもとを訪れクララの治療を行ってくれたことを心からの感謝を述べたとされます。その様子を、ブロッホ医師は、



「わたしの一生で、ヒットラーほど悲しみに打ちひしがれた人間を見たことがない」



 と語ったとか。


 どうにも、我々はこういった独裁者というものは、愛情はおろか、心も何もない血も通わぬ殺人マシーンだと思いこみたがるものですが、少なくともヒットラーはきちんと情を解す人間であることが分かります。日本が嫌いで嫌いで、そのあまりに朝鮮に帰化するような、血の繋がりや民族としての誇りを投げ捨てて顧みないような人非人とは人間性が根幹からして違います。


 ここらあたりを読むだけでも、ヒットラーのwikiを読むだけの価値があった気はいたします。


 また、このブロッホ医師は実はユダヤ人なのですが、ヒットラーは、このブロッホ医師に「名誉アーリア人」という名誉を与えてユダヤ虐殺の最中であってもあつく保護し、やがて国外に開放したとか。ヒットラーは、恩義ある人にはきちんと報いるだけの人間性があった。


 毛沢東や李承晩のような、恩人だろうが仲間だろうが目先のためなら何の情も憐憫もなく粛清するような殺人鬼とはやはり人間性が違います。


 ちなみに、ヒットラーの妹はパウラといいますが、ヒットラーに養育費をむしり取られたり、死んだ親父のように平手打ちを食らわされたりと散々な目にあうようですが、この人を覚えていてほしいと思います。


 さて、その後ヒットラーは兵役を嫌がって国外逃亡を企てるのですが、しかし結局とっ捕まって懲役をくらってしまいます。


 ですが、びっくり。


 第一次大戦が始まると、バイエルンの王あてに請願書を送ってバイエルン陸軍に入隊します。


 えっ、今までの兵役逃れはなんだったんですか!? と言いたくなるような事態ですが熱血主人公なみの劇的な心変わりがあったのでしょうか。


 しかも、その後いくつかの戦線で戦うのですが、真面目な勤務ぶりを評価され六回も受勲しているのだとか。ですが、不思議なことにこれだけ表彰されているにもかかわらず、階級は伍長だか兵長だかどまりであったとか。その理由を直属の上官であるフリッツ・ヴィーデマン中尉は、



「指導力が欠けており、部下を持つことになる伍長以上の階級には相応しくない」



 と評価した、だからだとか。


 この時の人生で満足しておれば世界の歴史も激変したでしょうに。


 嗚呼。


 それはともかく、その後、兵士から華麗(?)な政治家に転身したヒットラーは、自身に眠る弁舌(煽動?)の能力に気がつき、その後その能力に磨きをかけ、一躍総統に躍り出るのは誰もが知るところではあるとは思いますが、祖国オーストリアに進駐し、ドイツに併合するのですが、ヒットラーの手腕の一端をここにもみることができます。なんでも、オーストリアはこの時「1937年の失業率は21.7%もあったが、1939年には3.2%まで低下した」とか。現在、どこぞの半島の失業率が25%に達する勢いだとかで、1937年のオーストリアはどこぞの半島と同程度の失業率であった。それがたった二年で3.2%までに失業率が低下するなど、誰が想像できるでしょう。いかにヒットラーやその幕僚が群を抜いた逸材であるかが分かります。


 そして、ヒットラーは、恐ろしいまでの楽観思考で全世界方位で戦争をふっかけてゆくのでありますが、やめときゃいいのに、戦略はおろか戦術面、一作戦にいたるも様々に口出しをし、全ドイツ兵を大混乱の渦中に叩き落とすわけです。


 また、意外とヒットラーは独裁者でありながら漁色にふけることがない。恋人は唯一と言われるエヴァ・ブラウンしかいないと言われます。ヒットラーの親父はご多分に漏れず閨門(けいもん)がおさまらざるお盛んな人物であったとは対照的であります。そして、部下のゲーリングに、


「わたしにとっての生涯の女性はエヴァだけであり、戦争が終わったら引退して田舎の町で結婚する」


 と語ったとか。それ、フラg………。


 そして、ソ連がベルリンに侵攻してきた最終局面。


 ヒットラーの反対を押し切り、エヴァはヒットラーの籠もる地下壕にやって来た。そんな彼女に報いるために、ヒットラーは生涯で唯一の結婚式をあげた。


 そして、エヴァは「フロイライン・ブラウン(ブラウン嬢)」と地下壕の部下に言われ、誇らしげにこう言ったとか。



「フラウ・ヒットラー(ヒットラー夫人)と呼んでくださる?」



 と。


 そして、翌日、夫妻は自害した。


 西欧に全方位に不幸をばらまいたヒットラーが、そのいまわの際で、純愛のなか一生を終えた、という事実に、歴史の皮肉と言いますか面白さに、改めて気付かされるのであります。実に物語的で素晴らしい。やはり、散りゆく者は美の中で没してほしいと思うわけであります。


 そしてそして、ヒットラーの死後。


 ヒットラーは当然、莫大な遺産があったわけですが。


 その莫大なる遺産相続を巡って、何と、妹パウラが名乗りを上げます(!)。


 う~ん……。




 血は争えn(略



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