『民主主義という病い』の読み返し
おこんばんはです。豊臣亨です。
民主主義とは。
日本人が、なんとはなしに了解した気になっていながら、実は何にも分かっていない、というもの。
何故に、2016年に上梓された本書をまた読みたくなったか。
戦後、日本人は大東亜戦争の悪業を反省させられて来ました、何があってもこっちが悪い、何を言われてもすいません、と、謝罪し賠償し、特に、チャイナとコリアにはビクビクしながら付き合ってまいりました。むしろ嬉々として土下座する人間まで現れる始末です。
しかし、今日に至るもまるで現行犯のように罪を償えと、国家間の取り決めすら反故にするコリアンの横暴の前に、ふざけるな、さすがに堪忍袋の緒が切れたと、ついに日本人は立ち上がったわけです。
あの、世界でもっともおとなしい、もっとも気弱な民族が、ついに怒髪天を衝いたわけであります。
明治大帝が、いみじくも、
四方の海 みな同朋と 思う世に など波風の 立ちさわぐらん
と、詠われたように、日本人は世界でもっとも平和を愛する民族であるのに、世界は波風が立ち騒ぐことばかり。今回の文政権と金軍閥によって、日本は何もしなくとも(むしろ、何もしないからこそ)周辺国は波風を立てたがるのだ、ということを今更ながらに我々はまざまざと見せつけられたわけです。
もっと言いますと、黒船来航だってそうですし、歴史を振り返れば、日本の歴史問題とは、けっこうな部分で周辺国が波風を立てたがるから起こっているのだ、日本人としては真っ当に、清く正しくあろうとすればするほど泥沼にハマってゆくのだ、ということを今更ながらに感悟するわけですが、むしろ、今回のコリアとの間で波風が立ち騒ぐ事はある意味、大東亜戦争後、恐らくもっとも危険な情勢であると同時に、大チャンスであると言えるでしょう。
戦後、左翼の煽動、策謀、虚報に日本人はなすすべもなくビクビクとおびえながら今日まで苟安の夢を貪り銅臭紛々たる金満思考をたくましくして豚の平和を謳歌してきたわけですが、コリアンが約束も、常識も、理性さえぶっ飛ばした精神の異常性をまざまざとみせつけてくれたからこそ、我々はこういう生物を心の底から嫌悪することができわけで、はっきり、きっぱり、こういうイデオロギー生物とは手を切るべきではないか? という雰囲気を日本人の中に醸成せしめることができたわけです。さらに、国内の精神的汚穢生物の常軌を逸した親韓加減を、我々はこれでもかと見せつけられてきたわけです。
黙ってりゃいいのに、鳩○とか枝○とかが親韓反日を叫べば叫ぶほど、こういう生物の醜悪さ、気持ち悪さを見せられるわけで、我々は、イデオロギー生物の異常性を平易に、簡便に、サルでも分かるレベルで見せつけられたわけです。それはすなわち、戦前から戦後、現在にいたるまでの左翼思考を日本から払底する大絶好機と言えるのです。
そういう意味でこれほど分かりやすく低俗で知能指数の低い連中は、人類史上でも相当珍しい。奇貨居くべし、であります。まあ、歴史を学べばコリアンの浅謀近慮は伝統芸とか民族芸と言えますが、コリアとの関係性を考える上でも、あえて民主主義とは何なのか。それを今回はもう一度学ぶのも悪いことではない、と思った次第でございます。
今このときほど、日本人の自立と自尊の心が奮起せねばならない時はありません。
ある歴史上の偉大にして英雄、永劫に尊名を讃えられるべき大宰相の言葉を借りるならば、
「立てよ、国民!!」
で、あります。
老荘思想家のおっさんはおっさんは語ってみたり。
では、今回学ぶのが、
『民主主義という病い』 小林よりのり著 幻冬舎発行
今回は珍しく安岡先生の書ではなく、さらに漫画ですね。
ですが、当代一流の思想家の本であるので、下手くそな東大教授の本よりよほど智にあふれ教養の香り高く比類ない学びやすさであります。とはいえ、さすがに漫画の内容を丸写しはできないので、学んだ所をわたしなりに表現したいと思う次第。はっきり言ってしまえば読書感想文。
我々は学校で歴史を習います。
ですが、何で歴史を学ばねばならないか、を理解している人がどれほどいるでしょう。まあ、教えを受けている子供たちは何にも理解せず、ただただ無味乾燥たる暗記合戦に四苦八苦するだけでありましょうが、教えている教師や、教科書を作っている人々も、歴史の意味、というのをどれほど分かっているでしょうか。
歴史を学ぶ意味、それは、民主政治を行うには歴史が必要だからです。
何故か。
元来、歴史は支配者のものでした。
勝者が歴史を作る、というように、国家の正当性、俺の国はこういう起源があってこういう経緯があって、だから偉いんだえっへん。と、知らしめるため、だけに歴史はあったのです。水戸黄門が重税を課してまで『大日本史』を編纂したのだって支配者は歴史を知る必要があったから、民草に苦労をかけてまで歴史をまとめあげた、まとめあげる理由があったわけです。
なんでも、西洋の貴族は自分の一族の血統を完璧に記憶せねばならなかったとかで、一族はもちろん、ご先祖様の誰それにいたるまで詳細に暗記せねばならなかったそうな。
大したいわれも、血筋もない庶民は歴史を学ぶ必要も意味もなかったのです。
そして、戦争も、本来庶民には雲の上の話でありました。
日本なら武士が、西洋なら王侯貴族が担うように、戦争というのも特権でありまして庶民は戦争に行ってもただ一兵士、一足軽として駆り出されるのみで作戦だの、戦略だの栄誉だのとは完全無欠に無関係でした。
それが、変化してきたのがまさしく民主主義の去来であります。
国家とか、戦争とか、それまで王侯貴族、特権階級だけの所有物だったのが庶民の手元にやってきたのであります。国家を運営するのも庶民ならば、防衛、侵略、様々な軍事行動も庶民が担うこととなったのです。
そこで、庶民を鼓舞するために、歴史を学ぶ必要性が出てきたのです。
それまで武士や王侯貴族は、誇りや血筋、勇猛心、己の利益のために戦っておればよかったのです。庶民からすれば戦争の栄誉とか利益とか微々たるものですが、そんな庶民が鉄砲持って前線に出ねばならない時代になってしまった。鉄砲の弾や砲弾が行き交う戦場の最前線に送り込まれるわけです。そうなると、やはり当然、恐怖に苛まれます。本当なら逃げ出したい、自分だけでも生き残りたい、そういう臆病な心を糊塗せんがため、勇を鼓せんがため自分が生まれた国家とはどういうもので、民族とはどういうもので、どういう正義があってどういう大義があるか、誇りと自尊心を歴史として理解し、憎き侵略者に対して勇猛果敢に立ち向かったわけです。
軍隊における仲間との紐帯として、忠誠心として、士気として、歴史は兵士一人ひとりの心を支える、なくてはならないものとなったわけです。庶民の愛国心とは、近代によって起こったものなのです。作られたものなのです。
こうして、我々は庶民といえど、歴史を学ばねばならないようになった。民主国家と、国民軍それに愛国心、ナショナリズムはイコールの関係にあるのであり、民主制度と国民皆兵制度、ナショナリズムは同時に生まれたものなのです。
さて、ここで関係の無いようですが重大なことなので話が脇道にそれますが「ナショナリズム」を、wikiで調べますと、
「ナショナリズム」とは、統一、独立された国家に帰属する民族によって形成される政治思想や運動、とされます。なので、国家主義、国粋主義、と日本語で読み、パトリオティズム、愛国心とは区別される、と出てきます。
そのくせ、すぐ下の段で、
「ナショナリズム」の語源となった「ネイション」はラテン語のnātĭō、生まれ、という意味から来ている、とする。
生まれ、とはそのまま愛郷心に、さらに愛国心になるわけでその延長線上に国家主義はあると言っていい。同じ言語、同じ文化、同じ風習、同じ思想をともにできる人々が、そのまま国家を形成するわけであり、国家主義と愛国心が別々のもの、などというのはわたしから言わせるのなら完全に概念のお遊戯という他ない。
愛国心のない国家主義、なんてものが存在しうるのであろうか。
俺はフランスなんてぶっつぶしてやりたいしフランス人なんて吐き気がするけど、国のために尽くすぜ! なんて生き物がフランス革命時にだっていたとは思えない。彼らは自分の国や文化や同胞を愛するがゆえに、それを害する王権や教権、侵略者と戦ったのだし、戦えたはず。愛国心がないのなら、それこそ古代や中世のように誰が支配者でも関係ないや、と侵略者を傍観していたはずです。東洋と違って西洋では徐々に民族精神、愛国心が芽生えていったからこそ、ナショナリズムとパトリオティズムはイコールのはずなのです。
アーネスト・ゲルナーなどの知識人は、「身分差が厳然とある社会では、身分差を超えた共属意識をともにすることは、不可能ではないが極めて困難であり、たとえそのような意識が一部で形成されていたとしても、それを近代における国境線の中で共有することは近代以前ではできなかった」と考えた。
ヨーロッパでは、身分差は絶対。それも庶民の如きは支配者の家畜も同然であり、煮ようが焼こうが好き放題です。
それに対して実は東洋では早い段階で民主思想はあった。それが成功したか、といえば微妙なところですが、かの『貞観政要』は唐の太宗とその側近との問答集ではありますが、そこにこういう言葉が出てきます。
【太宗かつて曰く、君は国に依り、国は民に依る。民を刻して以て君に奉ずるは、なほ肉を割きて以て腹を充たすがごとし。腹飽きて身たおれ、君富みて国亡ぶ】
太宗はかつてこう言った。君主は国家により、国家は民による。
民に残虐を強いてその収奪をもって君主に捧げることは、自分の肉を切り取ってそれを食べるようなもの。結局、満腹にはなっても己は死ぬ。君主だけが富を得て、国は壊滅する。
これが東洋の王道政治です。
この精神、政治が完璧に行われなかったのがチャイナの忸怩たるところであり、悲しむべきところであり、また、歴史のおもしろいところであるのも事実ですが、重視すべきは、こういう立憲君主的、また天皇機関説的な思想がすでに東洋では理想としてもっていた、ということなのですが、今の東洋人はどれほど理解しているでしょう。
西洋人に教えてもらわずとも、東洋人は民主政治というのをすでに理解していたのであります。これが、東洋と西洋の根幹的にして決定的な差異であります。
また、日本はさらにこの東洋精神の精髄でありまして、西暦663年の「白村江の戦い」において捕虜となった「大伴部博麻」という人物はすでに愛国心のあった人物とか。博麻は、唐の軍が日本に攻めてくると知り、自分を犠牲にし奴隷として売ることで旅費を稼ぎ、仲間を帰国させて天智天皇にご報告申し上げた。
そして二十数年後に博麻は帰国がなり、持統天皇から、
「朕は、朝廷を尊び国を愛し、己を売ってまで忠義を顕してくれたことを嬉しく思う」
とのお言葉をたまわった。一個人に対して勅語を発せられたのは唯一のことだそうです。
また、遣隋使、遣唐使、だってそうですね。
これら使節派遣は、チャイナのはるかに高度で進んだ政治制度や文化、技術、楽器、武具、仏教教典に経書や史書、天文に兵法と、多岐にわたる書物を日本に持ち帰ることが使命でありまして、もちろん、派遣されるのは僧にしてもハイパーエリート外交官でありますが、渡海、という死をもってする大事業に己を捧げることができたのも、確かにそこに立身出世や野心があったとしても愛国心なくしてそうそうできることではありません。彼らが死にものぐるいで持ち帰った仏教の教えが、国家鎮護、人心安堵に活かされるわけです。自分の国をよくしたい、という彼らの精神が、日本人の血に流れているのです。
また、皇室ははやくから権力を手放し、権威を保持することによって世界で唯一、民衆の安寧秩序を神々に祈る、宗教的君主という存在であったことも目をそらすことはできません。
高き屋に登りて見れば煙立つ民のかまどはにぎはひにけり
この歌は聖帝として讃えられた仁徳天皇を偲んで詠われたとか。
仁徳天皇、という諡がすでにそのお姿を十二分に表していますが、ある時、仁徳天皇は難波高津宮から人々の生活をご覧になって、家々から炊事の煙が上らないのを憂慮された。
そして、三年間租税を免除された。そうすると家々から炊事の煙が上がっているのを、
「百姓富めるはすなわち朕が富めるなり」
と、民力が涵養されたのを喜ばれた。民が豊かになることはそのまま国が豊かになることだ、とおっしゃられたわけですね。しかも、さらに三年間、租税を免除された。
六年の歳月が過ぎ、租税がないことから宮殿の修築もままならなかったところが、
【民、うながされずして材を運び、簣(竹などを編んで作ったカゴ)を負い、夜をいとわず力を尽くして争いて作る。いまだ幾ばくも経ずして宮殿ことごとく成りぬ。故に今に聖帝と称し奉る。みかど崩御の後は、和泉国の百舌鳥野の陵に御葬し奉る】
民衆が、命令されることなく材料を籠で運び、夜間であるにもかかわらず争うようにして急ピッチで宮殿を修築した。
人々は、聖帝、と称えた。
仁徳天皇がご崩御あそばされた時には和泉国、現在の大阪府南西部(大和川以南)の百舌鳥の野の陵墓に埋葬された。
これが日本の皇室のお姿。
またさらに余談で以前にも見たお話しですが、この仁徳天皇時代、その当時で最大級の堤防工事、茨田堤の工事があり河の神がたたるという難工事がありました。
その時、仁徳天皇の夢見に神が立たれ、武蔵の住人の強頸と河内の住人の茨田連衫子の二人の人柱を捧げよと命じます。しかし、神様もまた、ずいぶんとピンポイントで人を選んできますが、神の仰せならいたしかたなし、と仁徳天皇は二人を探して見つけ出します。
強頸は泣く泣く入水しますが、衫子は、ヒョウタンを二つとって神に言います。
「河の神が祟るというから俺が選ばれた、俺の命がほしいならこのヒョウタンをまず沈めろ。このヒョウタンが浮かんでこなければ俺も神力を悟る、しかし、このヒョウタンすら沈められないような神なら俺は死なん!」
と宣言し、何らかの力が働いてヒョウタンを沈めようとしますが、結局ヒョウタンはぷっかりと浮かび上がって沈まず衫子は助かります。
考えますと凄まじいのが、神の命令、さらに天皇の命令であるにも関わらず、人命を犠牲にするような神に対し古代の日本人は疑いの目を向けた、ということでしょうか。
さらに、普通ならばタタリを恐れて兵を差し向けてでももう一回沈めようとしそうなところですが、それをしなかった。しかもこの難工事は完成したとか。神の命令と言えど、重大な難工事であると言えど、それを最終的には人力で乗り越えた。神のせいにしたり、タタリのせいにしたりせず、人の叡智で乗り越えた、という点に古代の日本人の開明さがここには記されているような気が致します。そう考えますと、この一文が示す意味は凄まじい。
つまるところ、西洋人は、身分差を超えて同胞愛を国家の中に保つことは近世以前は不可能に近い、と考えましたが、世界で唯一日本だけはそれを自然と古代から成し遂げられる民族であり、だから皇紀2679年という世界最長の歴史を寿ぐ国であるという事実を忘れてはいけません。
にもかかわらず、どうしてナショナリズムとパトリオティズムは区別される、などと考えるか。
簡単な話で、イデオロギーに脳みそ焼かれているからです。
イデオロギーとして、ナショナリズムは国粋主義、排他主義、ジンゴイズムに通ずるから悪いことではあるが、愛国心を悪いことなどとはさすがに言えぬ。
だからこれらは区別しよう、などと概念上のお遊戯ができる。
アホの仕業です。
話を戻しますと、自分の国の歴史を学校で学ぶと言うことは、自分の国や民族に対して誇りと尊厳を学ぶということなのであります。古代の英雄はこうで、民族の歴史はああで、優れた崇高な文化、風土、精神性を連綿と紡いできたのだ、ということを学ぶためにあるのです。むしろ、そのためだけにあると、言って良い。
そうではなく反対に、自分の国の歴史を学んで、悔悟する、恥じ入る、侮蔑する、何ていうのは本来の歴史の授業の眼目から完璧に外れているのであり、そんなものを学ばされているのは国家のためになっていないのだ、いえ、自分のためになっていないのだ、ということを知らねばなりません。
しかし、中には仔細な事実を知ることによって周辺国に対する過ちを認め、再びしないために学ばねばならないのだ、と思う人もいるかも知れません。
ですが、そんな事は大学教授や専門国家機関がすればいい仕事であって、これから国家を背負って立つ子供たちが反省しなければいけない理由にはなりません。国に対して、自分の民族に対して誇りを・尊厳をもって、これからの人生を生きなければいけないのに、どうしてまるで犯罪者のごとく罪を自覚せねばならないのでしょうか。どうして、自分の民族を、尊敬できないのでしょうか。
例えば、貴方に子供が生まれて、なのに、近所の住民が必死こいて貴方の悪口を吹き込んでいたらどう思うでしょう。そして、そのために貴方が自分の子供から侮蔑され、見下されたとしたら、どう思うでしょう。
家族の絆を壊しやがって、余計なことをするんじゃねぇ!
多くの人はそう思うでしょう。
つまり、精神的汚穢生物が、戦後、教育にイデオロギーを吹聴することはこういう次第であります。
いま、多くの日本人が、本来受ける必要のない歴史を刷り込まれたことによって、あるべき国家と国民の関係がどれほど壊されていることでしょう。本来、もっと胸を張って、自信をもって世界唯一の歴史と伝統と東洋思想を受け継いで生きておればいいのに、そんな日本人が戦後、どれほどいるでしょうね。
いまや、東京で生活しておると欧米人がいることも日常です。しかし見ておると、大概の欧米人はいい面構えをしているのです。胸を張って誇りをもって生きているのが、その目と面構えをみればすぐに分かる。その逆に、誇りをもって自信をもって歩いておる日本人などほとんど見たことがない。あからさまに苟安の生を盗んでおる程度なのばかり。
子供の頃からまともな歴史の教育を得て育ったか、自分の国と民族をけなされて育ったか、の違いをこれほど分かりやすく実例で示されていることなどないのですが、そのことに思いを馳せられる日本人がどれほどいるか。
我々日本人は、イデオロギーによって内部からズタボロにされているのだ、自分という人間の誇りと尊厳を、子供の頃から踏み潰されて大人になったのだ、ということを知らねばなりません。
だいたい、そこいらを歩いている欧米人、いえ、おロシア人やチャイニーズにだって訊いてみるといい。
「自分の国を愛していますか?」
と。
「え、侮蔑してますが、何か?」
なんていう人間が、日本人以外でいるはずがない。歴史を知らない民族の哀れなこと、その自覚すらないのは、むしろ知らぬが花というものでしょうかね。
だからこそ、ここに至るまでコリアンになめられ、バカにされているのだ、という事実を忘れてはなりません。
そして、むしろだからこそ、今まさにコリアンのおかげで、
コリアンがああ偉そうに言ってるけど、実際はどうなのよ?
そう思う人が増えたのではないでしょうか?
コリアンを黙らすために、歴史をきちんと学ばないといけないんじゃね??
と思う人が増えたのではないでしょうか?
日本人は戦後、後ろめたいからこそ、いままで歴史から目を背けて来ました。敗戦や実情を知らぬ日本兵の悪行、大東亜戦争は、誉れある日本人にとって忸怩たる歴史です。暗澹たる悔悟の記憶です。だからこそ、歴史から目を背けて、豚の平和を求めてきました。奴隷の安逸を貪り続けました。しかも、それに付け込んだ左翼の跳梁跋扈によって、どんどん歴史を改悪され、捏造されてきたのです。
しかし、そこに完全な逆風、歴史的な大転換点、大特異点、シンギュラー・ポイントを向かえているのではないでしょうか。
これ以上コリアの横暴を許すのか? アホは長ずるにつれて大アホになるのなら、我々こそが正しい歴史を身につけぐうの音も出ないほどにコリアン共、昔風に露助的に言うなら、コリ助共を黙らさねばいけないのではないのか? そして、コリ助共を増長させる元凶である、国内に巣食う精神的汚穢生物を白日のもとにさらさねばならないのではないか?
変革の時にあたって、今こそ、我々は学ぶ時が来たのであります。むしろ、歴史を学ばぬ者は国賊である、とまで言える時代に差し掛かっていると、言えるでしょう。って、あれ、何かコロ助みたいで可愛らしく思えてきたからやめよう…。
さて。
そもそも民主主義というものが生み出されたのは、誰知らぬものはないおフランスからであります。
王権や教権、そして貴族、庶民からすれば絶望的なまでの階級社会から、徐々に哲学が勃興しました。まあ、哲学自体は古代ローマ時代からあったわけですが、それを長らく阻んでいたのが他でもないキリスト教、教権であったわけです。
このキリスト教が、カソリック、プロテスタントと相分かたれて、泥沼の内乱に突入するに当たってさすがに西欧人も、キリスト教に疑問を抱くようになるわけです。特に、教権によっていままで抑圧されてきた科学が、哲学の一分野として飛躍的に発展し教権の誤謬を指弾してゆくわけです。
あれ? この世はデウスが作り給うた、のではなく、あるべくしてただ、あるだけなんじゃね?
という風に、次々と科学がこの世の謎、闇に光をあて明らかにしてゆくにつれて、当然のごとく無神論的思考が醸成されるに及んだわけです。長年の科学の蓄積、実証によって徐々に迷信、虚構に光が当てられてゆくわけです。頑迷固陋の教権としても長い時間をかけて積み上げられてゆく事実の前に狼狽する他ありませんでした。
ジョルダーノ・ブルーノという人物は、宇宙は無限、と唱えて異端として火炙りにされた人物ですが、まさしく教権の誤謬を身をもって世に知らしめたお人と言えるでしょう。彼が処刑されたのは1600年。その当時西欧は、科学が進歩しても、教権に逆らえば殺されてしまう時代だった。
この、ジョルダーノ・ブルーノは処刑される直前、こう言ったとされます。
「この私を処刑しようとしているあなた達の方が、真理を前にして恐怖に震えているのではないのか」
キリスト教という存在をここまで鮮やかに皮肉った言葉もそうそうないのでは。
こうして、弾圧的な王権や教権に対する反抗、反感、反動、そういったものが西欧に醸成されていったわけです。世界のどこにでもそういう支配層というのはありましたが、西欧では特に、哲学と科学の勃興がなし崩しにこういった支配階級に対する反抗につながってゆくわけです。
ジャン=ジャック・ルソーはそんな西欧に生を受けました。
念の為、とwikiでルソーを読みましたが非常に波乱万丈の人生を生きておられますね。彼の中で、正義と悪が自身の中で日々葛藤している様子などを想像することができて、ルソーのwikiはまるでちょっとした小説を読んでいるかのような面白さがありました。
裕福な中産階級に生まれるも母はルソーを産んですぐ他界、父は告訴され逃亡、と若い頃は各地を放浪してなかなか苦労をするのですが、お世話になった家でいわれのない折檻を受けてマゾに目覚めたり、ち○こ放り出して町娘に見せびらかして猥褻物陳列罪で捕まりかけたり、貴族婦人と恋仲になったけれども、「オカンとヤッてるみたい」と告白したりと非常に面白い人物でありますが、生来の読書好きで、その当時の西欧思考の影響をこれでもかと受けます。
若い頃のルソーは、さして才能もなかったそうですが音楽家を志したり、貴族の家庭教師やらをして細々と生きていたそうですが、ある時「学問、及び芸術の進歩は、人間の道徳を向上させたか、否、腐敗させたか」という課題で懸賞論文を募集していると知り、その瞬間、閃きが生じて、精神が高揚して三十分も動けなくなってしまったそうな。
ソクラテスも確か、沈思黙考にふけって一晩立ったまま微動だにしなかったとかいいますが、そういった感激の精神をルソーも持っていたようであります。ルソーはこの時「あれを見た瞬間、別世界をみた。わたしは別人となった」といったそうな。
そうして、これまでの人生経験や読書、思索、様々なものを総動員して「人間は本来善良なのだが、邪悪な社会制度によって堕落を正当化させられてゆく」とみて、学問や芸術という文化とは、圧政をほしいままにせんとする支配者が、民衆を飼いならすための懐柔策であり、この文化に順応して、人間は腐敗堕落するのだ、と指摘したとか。
ルソーがもし、『老子』や『荘子』に出会っておったらなんて言っただろうか、と妄想してしまいますね。
そんなこんなで『人間不平等起源論』『社会契約論』と書き上げてゆくのですが、悲しいかなその当時はまだまだ教権の威光が衰えぬ頃。教権から危険思想視されたルソーは亡命やら逃亡やらで流浪の日々を送り、しかも論壇仲間と不仲になり、追い詰められてついには精神が崩壊し、隠遁生活を余儀なくされ支援者から保護を受けるも病死してしまいます。
そして、1778年の死から11年後の1789年、ルソーの教えを受けたナポレオンなどがフランス革命を主導することになる。
ルソーは多分、非常に純真で素直なお人だったのでしょう。
ルソーの考えは、まさしく自分の人生そのものであり、どうして自分はこうなってしまったのか、と悩んだ末、そうか世の中がこうだからだ、だから自分も堕落してしまったのだ。という結論にいたったのでしょう。そして、純真であったからこそ、教権や世間、かつての仲間の非難排撃に心が潰されてしまった。まあ、軟弱者が必死こいて自己弁論してるだけじゃん、などとは申しますまい。時代によって殺された人間、と見るべきでありましょう。邪悪な人間は神経衰弱になんてなりませんから。それはともかく、『社会契約論』でルソーは、
「人間は自由なものとして生まれた、しかし、いたるところで鎖につながれている。自分が他人の主人であると思っているようなものも、実はその人々以上に奴隷なのだ」
「奴隷状態のなかで生まれた人間のすべては、奴隷となるために生まれたのだ、世にこれほど確かなことはない」
「奴隷は彼らの鎖のなかですべてを失ってしまう、そこから逃れたいという欲望までも」
「暴力が最初の奴隷たちを作り出し、彼らのいくじなさがそれを永久化したのだ」
「人は牢獄の中でも安らかに暮らせる。だからといって、牢獄が快適だといえるか?」
と考えた。そして、
「わたしは奴隷の平和よりも、危険な自由を選ぶ」
と言った。
大東亜戦争後、日本人は米国をご主人様だと、冷戦や、中露から守ってくださる素敵なナイトであると、神聖視、絶対視してきました。それによって、米国様の命令は絶対服従、それが憲法や法律に反しようとおかまいなしです。
ニクソン・ショックやプラザ合意、象の檻のエシュロン、F2戦闘機の日本技術の寇掠、郵政民営化だって米国様の御命令に粛々と従っただけです。言い出したらいっぱい出てきます。
「年次改革要望書」もしくは、「日米規制改革および競争政策イニシアティブに基づく日本国政府への米国政府要望書」というそうですけど、米国様の命令を粛々と実行させていただきましょう。というのがその主旨。
郵政民営化は、米国様の御命令通りの展開だということで、奴隷の日本人をどしどしこき使って生き血をすすってやろう、という米国様のありがたい仰せなわけです。それを時の政権は「よろこんで!」とキャンキャン吼えて喜んだわけです。
戦後、GHQが乗り込んできてすぐに日本人はマ元帥! マ元帥! と熱狂。マ元帥の子が生みたい、などと言い出す始末。強制的に洗脳されて奴隷になったのではありません。自ら、喜んで、進んで、奴隷に成り果てたのです。
そして、それ以降の奴隷共は、鎖に繋がれることに喜びを見出し、同じ奴隷仲間のコリアンが米国様に逆らっているのを見て、空気読めよ! KYだなお前! と言い出す始末。さらに米国様によって与えられた民主主義という恐ろしいイデオロギーを、金科玉条として祭り上げ、いまも拝んでいる始末。
かつての東洋人の栄光と歴史を、ドブに捨て踏みにじって完全に忘却し、処女の生き血で風呂に入った西洋人のように、ご主人様に血をすすられることをむしろ誉れに思う始末。
ルソーだって、奴隷の安逸よりも危険でも自由をとる、と言ったのに。
民主主義の理念、「自由・平等・同胞愛」
これが理解できている日本人が、どこにいることやら。
さて。
この民主主義とは。
民に主権を有する主義、とあるわけですが、そもそもこの「主権」という概念は東洋にはありませんでした。この主権なるものを言い出したのが16世紀の法学者ジャン・ボダン。
「主権とは、神から与えられたものであり、王は神に対してのみ責を負う。これにより、王権は民衆はもとより、教権にも神聖ローマ皇帝にも拘束されることがなく、民衆は国王のすることに無抵抗でいなければならない」
と言い出したとか。
神の代理人、神罰の地上代行者を自任する教権が王権を保証するわけですからもう無敵もいいところです。すなわち、神に匹敵する権力を得た、というわけですからもはやオツムいかれています。
でも注目に値するのが、この王権神授説が出された当時フランスは、カソリックとプロテスタントの間で長い戦争が起こっており、「モナルコマキ」という暴君放伐論まで起こっているのです。ジャン・ボダンの主張はこの反論として、とりあえず秩序のための王者による国内統一論であった。とはいえ、混乱を収拾するための苦し紛れの言い訳が発端になっている? と考えると行きあたりばったり感が凄まじいですけれども。
とまれ(ともあれ)、このそこはかとなく、行きあたりばったり感のある「主権」概念によって西欧では王権がさらに絶対になってゆくわけですが、その絶対王政がフランス革命によって打倒された。神に匹敵するほどの「主権」が、民衆の手に転がり落ちてきた。民衆にこそ主権があり、その民衆によって政治がなされる、となったのですがここに、いかにも西欧らしい倒錯といいますか、拡大する思考の横溢はこの民衆による「主権」「国民主権」をイデオロギー化した。
本来、デモクラシーとは、民主制度、民主制、であった。それを、民主主義、とイデオロギー化したわけです。
「デモクラシー」とは、δῆμος、デーモス、民衆とκράτος、クラトス、権力を組み合わせたもので、民権、国民主権ということになる。この、クラトス、権力が大きいところでありまして、フランス革命によって権力、主権、が民衆の手に渡ったですが、
1792年ロベスピエールによって新しい議会「国民公会」が発足します。
「祖国を救う全権を有するもっとも神聖な義務は立法府にある」と宣言、国王から奪った神に等しい「主権」を宣言するわけです。その後、この独裁的「主権」の所有を巡って議会は主導権争いで血で血を洗う粛清と恐怖政治に明け暮れ、議会の、国王に対して友好的な人々が右側に座り、逆に、国王対して苛烈な人々が左側に座ったことを端緒に現在の右翼、左翼という区別ができたわけですが、この苛烈、急進的な、左側、ジャコバン派のロベスピエールが実権を握りルイ16世とマリー・アントワネットを処断、フランスは第一共和制に移行します。
そして、国民による王族処刑という恐ろしい事態に恐れおののいた諸外国はフランスを征伐するべく出征、フランスは国民軍を動員し国難を戦う。そんな国民軍を指揮し天才的な勝利をおさめたナポレオンが、民主的な国民投票によって皇帝になるわけです。
ここにおいて注目すべきは、このフランス革命における大混乱は、国民主権から民主主義というイデオロギー化を意味するわけですが、左側議席、左翼、という急進派が粛清や虐殺、恐怖政治に弾圧と、今ある共産勢力のしてきたことをすでにやり始めている、ということでしょうか。
はっきり言ってしまえば、イデオロギーという視点において見れば、民主主義も共産主義も、まったく同じものであるということです。
試みに、日本共産党の2007年9月8日(土)「しんぶん赤旗」をネットで見ますと、
「日本共産党の綱領は、「社会主義・共産主義の日本では、民主主義と自由の成果をはじめ、資本主義時代の価値ある成果のすべてが、受けつがれ、いっそう発展させられる」」
と言い、
「マルクスが創設した科学的社会主義(共産主義)の運動は、民主主義と矛盾するどころか、民主主義を徹底して守り発展させる立場に立つものです。戦前の日本共産党が、命がけで「主権在民」の旗を掲げたのも、そのあらわれです」
と言います。
共産主義者が何より、民主主義を命がけで発展させると共産主義になるのですよ~、と言ってるのですから素敵なお話であります。
米国と日本と西欧の自由主義陣営と、おロシアとその衛星国とチャイナの共産主義陣営の戦いは、単純に見ればこのフランスの「国民公会」の延長線上にある。フランス発の、民主主義というイデオロギーの拡散が、一方では自由主義になり、一方では共産主義になったというだけで、その根っこはまったく一緒。結局、この両陣営に何らの差はありません。同じ穴のムジナなのです。では何が違うかと言えば、わずかに、他者に自由を認めるか、認めないか、の違いでしかないと言えるでしょう。
他者の自由を認めるのが自由主義陣営で、他者絶対不寛容が共産主義陣営です。米国や日本なら、左翼思考がいたってよもや殺されることはありませんが、ロシアやチャイナなら、民主主義者がいれば下手すれば殺されてしまいます。香港動乱はまさしくこの他者絶対不寛容の証明です。
だいたい、ソ連だって当初は民主主義を進めようとしたのだし、チャイナだって新民主主義とやらで建国したと言っています。それがこの他者絶対不寛容で国家を運営すれば一党独裁、弾圧と虐殺に終止するのはむしろ自然な流れといえるでしょう。それにヒットラーだって民主的に独裁者になったわけですから。
このロベスピエールらのジャコバン派の精神をよそでやっただけで、フランス革命時の民主主義という思考の中にこういう共産主義という思考はすでに胚胎されていたわけです。
そういう観点で見ると、かのホッブズが『リヴァイアサン』で、
人間を自然状態において、個人同士が互いに権利を行使し合うと、万人の万人に対する闘争に発展する。
とみなし、それを収拾するためには、
人間が生まれた時から当然の権利として持ちうる自然権、自由や生命や財産などを国家に譲渡する、国家と社会契約を結ぶことによって、共生・平和・正義が実現できるとする社会契約論を考えたのも、この西欧人が根幹的にもっている、他者絶対不寛容を何とか解決する方法はないであろうか、と何とかオツムをひねって考え出したからだ、と見ることはできないでしょうか。
西欧人は、歴史的に他者絶対不寛容の精神があり、しかし、これを推進すればどう考えたって全世界を自分の思考で染め上げる以外に解決策はない。まあ、共産主義陣営は大真面目にこれをやっておるわけですが、さすがにこんな異常なことをやってられない、と少しはマトモな人間が、マトモなことを考えだした、と見ることもできるでしょう。そういう意味で言えば、オツムがちょびっとマトモなのが自由主義陣営、オツムが完全に腐っているのが共産主義陣営、といえます。東洋人からすれば目くそ鼻くそですけれども。
とはいえ、この他者絶対不寛容の精神とはどこから出てきたのか、と言えば、ものすごく簡単でそれはキリスト教から出た、と見るべきでしょう。
キリスト教は、異端は皆殺しでおっけー、とほざいた宗教です。
この、強烈にして醜悪な独善性、こそがキリスト教の特徴であり、そのキリスト教の思考が、実は民主主義だの、共産主義だのに紛れ込んでいる、ということに気付かされるのであります。
そして、このキリスト教の思考が、実にこのイデオロギーと親和性が非常に高いというのも、歴史的事実として見出すことができます。
まず、拡大性。布教という手段を持って、キリスト教は世界中にその魔手を伸ばしましたが、米国がグローバリズムの名の下に世界中に民主主義を輸出しているのも、ここにあるし、おロシアやチャイナの拡大路線、侵略路線もこの拡大性にある、とみなせます。中東において民主化のドミノ倒しなんて脳天気なことが考えられるのも、自分こそが正義であり、他者もこの正義に浴するべき、などとキリスト教由来の考えがあるからです。
次に、今見た独善性。イデオロギー生物の、凶悪な独善性は、今も我々は目にしておるではないですか。従軍慰安婦は日本人だっていたのに、コリアンの従軍慰安婦だけを悪と断じ、北による拉致は一切なかったと言い出す独善性。さらに言えば、朝日新聞の旗だってもろに日章旗だけど、あれはイデオロギー生物の連帯で一切噛みつかないけど、それ以外ならシューズにだって日章旗がある、と噛み付く。こういうイデオロギー生物にとって重要なのは、自分が信じたい情報だけが真実なのであり、それ以外は一切認めない。ということです。キリスト教も、異端は悪と断じ魔女狩りによって多くの人間を虐殺してきました。自分だけがデウスによって選ばれた唯一の正義なのであり、それ以外はプロテスタントといえど悪。これがキリスト教の独善性です。共産主義の虐殺も、キリスト教が起源であると、わたしは思います。
さらに、この他者絶対不寛容の精神も、キリスト教の一大特徴でして、中世においてどれほどの民族が異端の烙印を押されて抹殺されたことでしょうか。そして、これも今も目にできます。例えば、チャイナが推し進める新疆・ウイグルによる民族浄化がそれです。そもそも、東洋人に民族浄化などという思考があったとは思えないのです。歴史上、チャイナのどの国だって、異民族に悩まされてきたし、そもそもチャイナの国の結構な数が異民族の国で成り立っていますが、どの時代でも朝貢や懐柔によって紛争を解決しようとしてきたはずで、今の共産党のように男は逮捕し、女は犯罪者の嫁にし、その民族を根幹から抹殺しよう、などという思考が古来からあったとは到底思えないのです。イデオロギーによって東洋人に植え付けられたとしか思えない。
日本だって、アイヌ民族や琉球民族を奴隷のように酷使してきた歴史がありますが、自然と同化してきたことはあっても、だからといって民族そのものを計画的に、恣意的にこの世から消し去ってやろう、などという行いをしてきたことはないはず。
他の民族をこの地上から、血ごと消し去ってやろう、などと言う発想は、キリスト教発祥であるとしか思えないのですよね。そう考えますと、無神論を標榜する共産主義者が、その根っこはキリスト教にある、と考えますと恐ろしい皮肉ではありませんか。
一つの結論として、
イデオロギー=キリスト教
と言い切っても、決して言い過ぎではない、と思いますよ。わたしは。
つまり、この世界中を席巻するマルキシストだの、自由主義だのは、その根幹としてキリスト教の遺伝子を受け継いでいるということに、すべての端を発してる、と言えるでしょう。
もちろん、東洋にこんなオツムのおかしい宗教は元来なかったし、これからもいらないのです。
東洋の古来の精神をきちんと学べば、欧米人ごときには逆立ちしたって真似のできない善政、仁政ができるし、しかも、それを成し遂げてきた歴史が、東洋には、日本にはあるのです。
最後に、
第二次朝鮮戦争が起こるにせよ、共産統一コリアが爆誕するにせよ、文政権がこのまま瓦解するにしたって、今後のコリア政権が二度と反日を叫ばない保証などないわけで、これからさらに国難が待ち構えておることは間違いがない。この、東洋由来の、輝かしい日本の歴史を学ばねば、到底これからの日々の思索・生活にすら難儀することになる。
学問をするものにだけ、胸を張って、誇りをもって、栄えある大和民族、天皇陛下の赤子として生きる精神が養われる。
今後、この問題だらけの東アジア情勢を考える上でも、逸することができないのは、奴隷の鎖に繋がれたままで良好な関係が築けるであろうか、ということでしょう。
奴隷に、誇りも尊厳もない。バカにされ見下され、笑われるだけ。
この、奴隷の鎖というくびきから解き放たれ、真の自由を勝ち取った誇りあるものにだけ、尊敬と融和が生み出されるのです。
はっきり言い切ってしまえば、「日朝修好条規」で、清の属国に過ぎない李氏朝鮮に対等な条約を認めなかったくせに、
米国の奴隷の分際で対等な国家間の関係を要求するつもりか?
と、言い切ってよいでしょう。
『民主主義という病い』の読書感想文の発表はこれにて終えたいと思います。
日々学問。
さすがに今回は時間かけて思索にふけったので、元来、我がとぅるっとぅるの脳みそにも一本くらいはシワが入ったかもと思う今日このごろ。