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リツート機能の開発者が後悔を語るとか

時事ネタ。



 おこんばんはです。豊臣亨です。


 表題はこんなところ。


 ヤホーの記事が目に入って気になったので、これをとっ捕まえて自論を展開してやろうという腹づもりであります。


 そもそも、ブログはすれどもツイッターなどという文明の利器、ナウいヤングの為すことにはついていけないおっさんなわけで、リツート、とか言われてもなんのこっちゃかさっぱりわややで。なわけですが、




Twitterのリツイート機能の生みの親、後悔を語る




https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190804-00010001-bfj-sci




 の記事を読んでおって一応わかったつもりでいいますと、


 他者のツイートを、紹介し、拡散する機能、ということで理解しましたが間違っておるやも知れません。


 まあ、一応記事の中身をさらっと要約すると、ツイッターにリツイート機能というものを搭載してみたが、開発者の意図に反し、デマや悪意のツイートが恐ろしい勢いで急拡散されてしまった。


 というもの。


 これを制限しようにも、すでにこのツイッターに付随する広告収入やらあるからいきなり停止するわけにもいかず、リツイート機能の回数を制限することで改善を試みている、という感じだそうな。


 まあ、この記事はともかく。(ここからが自論)


 そもそもわたしはツイッターというものが世に現れた時から正気か? と思っておりました。


 ツイート、つぶやき。


 つまり、その時の感情そのままに私見を世間様に垂れ流す、ということですよね。


 え、お前の意見はそんなにご立派なのかよ? と思っておりました。何かの社会的位置、思想的牽引者としてのツイッターなら、幾分かの意味、価値を備えているでしょうけど、ただのぱんぴー、一般ピープルが、そんな御大層なことをつぶやけるはずもない。そんなぱんぴーにそんなものを投げ与えたら、悪意やデマや嘘が拡散することくらい、簡単に予想なんてつきそうなもの。


 そんなごくごく当たり前のことを当初の開発者は何にも考えていなかったそうですが、わたしは当初から、下らない私見を世間様に披瀝するという行為そのものに嫌悪感を抱いておりました。


 なので、わたしはブログはしても、ツイッターは死ぬまでしないでしょう。スマホを買ったのもつい最近ですし。思想を語る場としてブログという存在は非常にありがたいですが、ツイッターというそんな100文字ちょっとで思想が語れるとは思えませんし、100文字ちょっとで語る文章力など備えていない。


 きちんと理解して、飲み込んで、世間様の目に触れるに値するものを自分で出せる、という一応の確信があって初めて自身の文章を披瀝できるのであって、その時の感情のままに私見など垂れ流したらどうなるか、なんて、ちょっと考える能力があればわかりそうなもの。


 だいたい、精神的に幼稚な西洋人だからこんなツイッターなどといって大騒ぎできるのであって、東洋人たるものはこんなものは鼻でせせら笑って見下すくらいの心持ちであってほしいと思うのであります。


 どこぞの米国大統領がツイッター大好きで、ちょいちょいほざいてますけど、日本人の感覚として、この行為は褒められたものですかね?


 昔、靖国参拝で公人と私人の範囲で騒いでいたわけですが、


 大統領というからには公人なんでしょうけど、つぶやく、という行為はあくまで私人のはず。それなのに、つぶやく内容は明らかに公的な部分に及ぶ。


 ツイッターという、私的なシステム、からくりを用いて公的なことを発信する、という行為は日本人から見てどう写りますかね。


 それで昨今の大統領選挙にも、ネガティブキャンペーンでこのリツートというのは利用されたと記事にもあったのですが、このネガティブキャンペーンという行為にしたって、正々堂々を好む日本人の感覚からは合わない。スキャンダルだのデマだの使ってイメージを落とすという行為そのものが、日本人の精神性からすると薄汚い行為にしか見えない。だから、日本の選挙ではここまで薄汚いことはしない。そんなことをすればどちらが得するか、さすがに分かる。


 国のトップ、リーダーを決めようという、国家の威信をかけて戦うという時に、ネガティブキャンペーンなどという下らないものが存在している時点で、西洋人と東洋人は、少なくとも米国人と日本人は、精神性に天地の相違があるのだ、と理解できないほうがおかしい。


 さらに西洋人と東洋人の違いを言えば、


 例えば、オンラインゲームの実況などを見たことがある人は知っているかもですが、西洋人はちょくちょく、ゲームをしている自分の姿をカメラで撮って世に垂れ流しています。


 他にもアニメを見ている自身の姿を世に垂れ流す、という輩もいますが。


 わたしにはこの感覚がさっぱり分からない。


 薄汚い己の姿を世に垂れ流して、何が嬉しいのか? 何が面白いのか? 意味がわからない。もう、精神が完全に異常をきたしているとしか思えない。


 しかし、こういうことをしている西洋人はちょいちょいいる。


 でも、そういうことをする日本人には、さすがにあまりお目にかかったことがありません。


 日本人の感覚として、自分の姿を世に晒す、という行為に相当な精神的障壁を感じるはずです。だから、日本ではテレビ電話とかがあんまり普及していないはず。


 芸能人とか、もしくは容姿やべしゃりに相当の自信がある人、これは論語でもありますね、




祝鮀(しゅくだ)(ねい)ありて宋朝の美あらざるは、難いかな、今の世に免がれんこと】




 というわけですが、孔子様も優れた容姿と巧みなべしゃりがないと生きるに苦労するよね、とおっしゃっていますね。


 さらには心臓に毛が生えている人でもない限り、日本人としては薄汚い己の姿を世間様に晒すことに、それなりの抵抗を感じるはずなのです。ユーチューバーにしたって配信する時には合成音声を使うのだって、べしゃりに自信がないからのはずです。自分の姿をまるまる出す人のほうが少ない。まあ、相当可愛い女性がヌード配信するのならそれはそれでありがたいことですけれども。……言っておきますが、有料会員とかではないですよ(笑)。


 それはともかく、


「菊と刀」で米国の学者ルース・ベネディクトが日本は「恥の文化」と指摘したように、確かに恥ずかしい、という心情が米国人よりは強くある。


 逆に言えば、米国人には恥という概念が乏しいのであろう、と思う。


 わたしから言うと、ツイッターも、この薄汚い己の姿を配信するのも、同じ程度に感ずるのであります。目くそ鼻くそなんです。


 ツイッターは確かに自分の姿を晒すことなくつぶやけますが、大した所見もない、哲学も信念も信仰心すらない現代人が、その時の私見をその時の気分のまま垂れ流している時点で、大差はないと感ずるのであります。


 リツイート開発者は、こう思ったそうであります。


「まずいな、みんなの手に力を握らせてしまった、と」


 バカじゃねぇの。と思います。


 誰の言葉か知りませんが、こういう風な言葉があります。


「民衆の声を集めてもそれは雑音にしかならぬ。決してハーモニーにはならない」


 これが本質でしょう。


 日本人は、もうちょっと冷静に誇りある東洋人の末裔として、西洋というものとの距離感を掴んで生きてほしいと思うのであります。

 

 と、自論をつぶやいたところで、今回はこのへんで。



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