必ずや聖か
この前、公道ラリーカーレースをニュースで流していた時のこと。
ラリーを観戦に来ていた多くの方々の中に、お父さんでしょうか、男性に肩車された小さな女の子が、
「がんばれーがんばれー」
と、応援しているのをみて、ほろりときた老荘思想家のおっさんです。おこんばんはです。
ばびゅんと走り去ってゆくラリーカーに応援なんて届くわけがない。そんなことは当たり前。でも、その小さな女の子は応援していた。ああ、わたしにもこんな純粋な時があったのなら、いいなぁ、と思った一瞬でした。
さて。
そろそろ新元号になりますね。世の中はゴールデンウィークに沸き立っておるような気がしますが、
皇太子殿下は来る、余人を持って代えがたい、そして、民草ごときには想像を絶する重責をその双肩に担われることを決意されておられるわけですよね。
我々愚民は、何が得か、何が儲けか、と目先のことばかり自分のことだけ考えて今日も生を無駄にしておるというのに、皇太子殿下は我々民草のために、天皇位に就くことを選択されたわけです。そして、おそらく、今も皇位継承のために様々なことを学ばれていらっしゃるのでしょう。
皇太子殿下は、天皇位に就くことの重責、さらに、その不自由さを十二分に知悉されているのだとか。それでも、なお、我が国のため、民草のために象徴天皇になることを選ばれた。
孔子様はこういう言葉を残されています。
【子貢曰わく、もしよく博く民に施してよく衆を済わば、何如。仁と謂うべきか。子曰わく、何ぞ仁を事とせん。必らずや聖か。尭舜もそれなおこれを病めり。それ仁者は己れ立たんと欲して人を立て、己れ達せんと欲して人を達す。よく近く取りて譬う。仁の方と謂うべきのみ】
子貢さんが、
「もし、人徳をもって広く民衆を救うことができたのならば、どうでしょうか、仁と言えるでしょうか」
と問われた。すると、孔子様はおっしゃられた。
「いやいや、仁どころの話ではない、それこそ、聖人と言えるだろう。
かの堯帝や舜帝ですら治世においては悩まれたのだ。
そもそも、仁者とは、自分のことよりも他者を優先させ、自分よりもまず他者を立派にさせるのだ。まるで、己の身のように他者を考えることができる。それが仁者のありようというものだ」
もし、孔子様が我が皇室をご覧になられたら、感涙にむせばれたことでありましょう。それこそ、この詩のように、
「なにごとの おはしますか 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」
とおっしゃられたであろうことは想像に難くありません。
孔子様が生涯をもって追い求められ、ついに、わたしも衰えた周公の夢を見なくなったとまで嘆かれた、本当の聖人の道は、我が国にこそあって、しかも、それは過去の、追いすがるべき桃源郷ではなく、今もまた新たに受け継がれてゆくのだ、という事実。
我が日本に聖人がおわすことを証しするものなのであります。
これほど有り難く、ありがたく、かたじけなく、もったいないことが、世界のどこにあるでしょう。
灯台下暗し、などと言っておれぬ、我が国の、我が民族の永世の誇りなのであります。
そう思った時に、こんなありがたい国に生まれて、どうしてふざけてなどおられるでしょう。とはいえ、だからといって必死こいて勤労とかボランティアに精を出したり、もしくは高位高官に上り詰めることが必要ではないと思います。孔子様はこうおっしゃっておいでです。
【ある人孔子に謂いて曰わく、子奚ぞ政を為さざる。子曰わく、書に云う、孝なるかなこれ孝、兄弟に友に、有政に施すと。是また政を為すなり。奚ぞそれ政を為すことを為さん】
ある人が孔子様に問われた。どうして政治の一線で活躍なされないのか、と。孔子様はおっしゃられた。
「書経にこう言います。親に孝行を行い、家族が仲良くする、これも政治に寄与するのだ、と。わたしが師弟を教えることも間違いなく政治をなすといえます。どうして一線で活躍することだけが為政と言えるでしょうか」
小さいながらも日々を正しく、心豊かに生きることも、天皇陛下の御恩に報いるものと思えます。どうして何かだいそれた事をなす必要がありましょう。
我々民草が区々たるといえど、こうして悪事もなさず、過ぎたる欲に身を滅ぼすこともなく、どんな災害や過酷な境遇であっても笑顔を忘れずに生きてゆけば、それは立派な尊皇家なのであります。
孔子様が指をくわえて羨ましそうに天から見ておられるでありましょう、世界唯一の聖人のおわす国に我々もまた、生きている。
今更ながらに、この国に生まれたことを本当に、心の底からよかったと思います。
リップンチェンシン
マンセーッ!!