老いたる価値
この前出勤時にお弁当を買おうとコンビニに行った時のこと。最近はコンビニの店員も外国の方々がレジに立たれることが多くなりまして、いかにも南米系の方が担当されていました。
ちゃんと余裕を持って30分前に駅に到着、そこから歩いて10分程度の出社なので全然余裕なのですけど、出勤時は気分的にいそいそとしておるもの。にもかかわらず、その南米系の方はびっくりするぐらいのんびりと用意をなさる。
はやくしろよ。と、さすがにイライラしつつも待っておると、それでもこちらの雰囲気を一切関知しないもっさり加減に、ある瞬間、ふいに怒りがスーッと抜けて、悟ったというと言い過ぎですが教えられた気がしました。何をそんな慌てておるのか、もっと心に余裕をもとうぜ。とその南米系の店員さんに態度で語られている、諭されている気がして、逆に目が冷めたと言うか目から鱗が落ちる思いがしました。
その店員が本当にそんな考えだったかどうかはさておいて、「気付き」というのは思わぬ所にあるものであります。おこんばんはです。豊臣亨です。
とはいえ、昨今、TVなどを見ておっても尊敬に値する人、こういう人になりたいなぁ、と憧れる大人を見ることがなくなった気がします。そう思うと、だからこそ現代人は戦国時代や幕末の偉人に憧れるわけで、ある意味嘆くべき逆転現象といえるでしょう。
本来儒教の価値観である「敬老」の言葉の通り、老いたるものこそ敬うべきなのですが、昨今の日本ではほとんど真逆の現象が当たり前で、こういう言葉が出てきて久しい気がします。
「キレる老人」
「老害」
わたしも日々生きておると、割合として若者よりも頭がイカれた後期高齢者と接することが多いことを痛感しております。
本来、「老い」とは、年を食う、という意味の他に「練れる・熟成する・円熟する」という意味があり、「老成」すると言えば人間的完成をもつ言葉のはずなのにどうしてこんな事になってしまったのでしょうね。こんな人間になりたいと思うどころか、こんな人間にならなくて良かったと思ってしまう大人がうじゃうじゃいるとは、まったくもって驚くべき事態です。
単純にこの事態に答えを探すのなら左翼思考に傾倒したバカ共の成れの果て、と切って捨てることはできますし、こういった連中は人として生きる意味、価値も理解できない人生なのだと言いたいところですが、しかし、対岸の火事と笑っていてよいのか。明日は我が身、人の振り見て我が振り直せ、こうした生き物にならないための心構えも40を過ぎた人間なら必要かと思いますので今回は論語を中心に「老いたる価値」というものを探ってみたいと思います。
老荘思想家のおっさんもまれには語りたい。
たまには安岡先生の書を丸写しせずにやってみたいですしね(笑)。とはいえ、わたしの頭の中のほとんどは安岡先生によって作っていただいたものですけれども。
さて、数多ある論語に関する書籍をひもとくと絶対に出てくるのがこの言葉です。
【吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑はず。五十にして天命を知る。六十にして耳順ふ。七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず】
十五歳くらいで学問で世に身を立てることを決心した。
三十になって自立、一個の人間として立派に成長することが出来た。
四十にもなれば自分のなすべきこと、大局観に迷いが消えた。
五十にもなると自分の人生は天によって命ぜられたものであることを確信した。
六十にもなると他者のどんな言い分にも耳を傾けることが出来るようになった。頭ごなしに否定することがなくなった。
七十にもなると、世間一般のルールやマナー、規範に沿うような行動や言動を自然と行えるようになった。
古来名高い名文であり、TVを観ておっても、「私も四十を過ぎ不惑にいたりました」などという言葉も聞くくらい現代社会においても日常的に目にする一文であります。
人間、年を食うとそれにつれて衰えるのでも、ボケるのでも阿呆になるのでもない。人間はその年齢、生きた年数相応に進化、成長するのだ、というのが孔子様の見解であります。孔子様は七十三歳か七十四歳まで生きられたわけですから、一生をもって成長し続けられたわけです。そして、安岡先生もこれ何も孔子様や一握りの英雄の特筆すべき特徴ではなく人間として当たり前の成長過程であるとおっしゃっています。「亀の甲より年の功」という言葉もあり、人間、長生きをすればするほどそこには年輪のごとく蓄積するもの、練り上げるものがあるわけで、だからこそ年寄りの発言には素直に従わなくてはいけない、という言葉です。
また最初にみた「敬老」という言葉も、多年に渡り社会に貢献された方々に敬意を表するという言葉でもあります。
裏を返せば、人間、年を食えば自然と尊敬される、というよりは、多年の人生を生きた人間ならば当然のように尊敬に値する人間にならねば嘘だ、ということになりはしないでしょうか。わたしは子供の頃からずっとそう思っており、年を食うだけなら誰でもできる。偉そうにふんぞり返るのならふんぞり返るだけのことをなしてみろ、などと思っておりました。
年を食ったのならその年齢、その人間に見合った成長、進化を遂げていなければいけない。そういうのを風格、風韻と申しますが、そういったものが養われているからこそ、人は自然とその人を敬うのだ。そう思うのであります。
かの米国大統領リンカーンもこういう言葉を言ったそうです。
【人間、四十にもなれば自分の面構えに責任がある】
と。
この話は、リンカーンのもとに知り合いがとある人物を推挙した時のことだそうな。
しかしいつまで経っても知り合いに推挙されたその人物をリンカーンが登用しなかったため、訝しく思った知り合いがその事を問うとリンカーンは「面構えが気に食わん」と言ったそう。その発言に驚いた知り合いが、「仮にも大統領たるものが、人間を顔で判断するというのか!」となじった時、リンカーンが言った言葉がこの言葉だそうな。
まあ、人相観に関しては孔子様でも間違って後悔されたということもあるので人相を観ることを盲信、過信は出来ませんが、面構えで人間を判断することはよくあります。
少なくとも、リンカーンは人間そのものを大きく形成する大きな要因として人間、日々何を考えたか、何をしたのか、どういう人生を生きてきたのか、それらはすべて顔に出てくると考えていた。しかも、それは日々積み重なり四十にもなれば決定的にその人物の面構えに反映されるのだ。そういう事をリンカーンは言っておるわけです。
孔子様はこうおっしゃっておいでです。
【子曰く、年四十にして悪まるるは、其れ終わらんか】
四十歳にもなって人々から忌み嫌われるようでは、すでにその人生は終わっている。
という孔子様の冷酷な断言です。これは何も利害が対立したり、敵味方に分かれて相争うのではなく日々の付き合いの中でどうにも好きになれない、いわゆる、生理的に無理、というのがこの「悪まるる」であります。異性にそういわれるのは致し方ないにしても、同性からもそう言われるのは人間的に根幹から間違っているという証拠であります。
また、こういう言葉もありますね。
【後生畏るべし、焉んぞ来者の今を如かざるを知らんや。四十五十にして聞こゆることなきは、これ畏るるに足らざるのみ】
後から生まれてくる若者をバカにしたものではない。今の我々より劣ったままだとどうして侮っていられよう。とはいえ、四十、五十にもなって世に音にも聞こえないようだと、まあ、大したことはない。畏敬する価値はない。
孔子様は若者に一定の敬意を払っておられたわけですね。自分の子供にすら敬意を払えない現代人とは根幹から違います。しかし、すでに大成すべき年齢に至っても鳴かず飛ばずではもはや観るべき価値はない、とおっしゃる。
こうしてみると人間にとって四十というのがいかに重大な年代であるかがわかりますね。2500年前の孔子様もそうですし、約150年前の欧米のリンカーンですらそう言うのですから、これは真理であるといって良いでしょう。
四十にもなればその人にはその人なりに、確実に完成されたるもの、出来上がったものがあるはずで、その人の面構えをみればその人がどの程度のものか、というのはわかってしまう。バレてしまう。これに反して、人は見掛けではわからん、というのは人を見る目がないからであって、ある程度物を見る目が養われたら自然と人の面を見て判断は出来るものです。それが絶対視すべきかはおいておくとしても。
本来、年齢を重ねれば、年輪を増せば、熟成され、老成されて然るべきなのが、昨今はまったくあてにならないと申すべきか、年齢と人格がまったく相反する人間が当たり前に出てきてしまったのはどうしてなのか。
これも現代人特有の特徴と言い切ってしまえばそれまでですが、この敬うに値しない現代人というものにもある歴史的な流れ、出来事があるように思えます。それを今度は見てみましょう。
そもそも、どうしてこうも大人が頼りなくなったのか、尊敬するに値しないと思えるようになったのか、を探るとその決定的な出来事に敗戦があるような気がしてなりません。
日本は大東亜戦争に破れ、米国に服従しました。敗戦によって大きく様変わりしたのであります。
昨日まで、白色人種の世界支配に対する反動から真珠湾空襲を歴史的壮挙と大喝采をあげ、鬼畜米英、天皇陛下万歳、と叫び、非協力的な人を見たなら非国民扱いをし、欲しがりません勝つまでは、贅沢は敵だ、の大気炎を発していた日本人が、なんと、敗戦と同時に米軍が上陸すると、まさしく漫画のごとく「手のひらを返し」ました。
「勝てば官軍負ければ賊軍」
の言葉の通り、負けた日本人は米軍に媚びへつらい身の保全を図った。昨日まで鬼畜米英と叫んでいた負い目からか、それこそ奴隷根性むき出しで媚びへつらった。
マッカーサーがやってこようものなら、マ元帥! マ元帥! とまるで救世主、メシアでもやってきたかのような大騒動。
焼け野原の子どもたちは米兵がやって来ようものなら「ギブミーチョコレートサムマネー」と言って、地面に放り投げられたチョコレートやチューインガムに狂喜乱舞したそうです。
そう、この時日本人は、これまでの日本人としての、大和民族としての、誇りだとか尊厳だとかをかなぐり捨て、豚でもいいから苟安の夢を貪ることを決心したのであります。
この時、安岡先生はこの、米兵の投げ与えるエサに群がる子供の中にあって、それでもその状況を憎々しげに見つめ、その輪に加わらない子供をみて、
「孺子、談ずるに足る(小僧、話せるな)」
と思ったそう。
その後GHQの洗脳政策が着々と実行に移され、ますます日本人総白痴化計画は進行していったのであります。しかし、今見たこの奴隷根性は何もGHQによる洗脳政策にのみ原因を求めることはできない。日本国民がこぞって、米国に服従することを望んだのであります。面従腹背どころか、身も心も米国に屈服することを良しとした。
なんでも一時期は、人を誉める時には「アメリカさんみたい」などという言い方をしたそう。それくらい日本人は自ら、昨日まで死にものぐるいで戦っていた敵国に手のひらを返して服従した。
しかし、とはいえ、この時の日本人を全面的に否定、批判することは出来ないものがあります。
「勝てば官軍負ければ賊軍」
を、すでに日本人は身をもって知っていたからであります。もっと言うなら骨身にしみるよう叩き込まれたというべきか。
そう、大西郷、あの西郷隆盛ですら明治新政府の推し進める、近代西洋思考の前に蟷螂の斧のごとく脆くも振りかざし滅び去った。大西郷ばかりか、誇りも尊厳も大和民族として敬うべき、仰ぐべき武士、維新志士たちが明治新政府の弾圧のもとに滅び去っていったのであります。
さらに、この近代西洋思考は日本人の価値観を顛倒させるに至った。
「人間は平等」という近代西洋思考、革命思考の流入によって、つまり民衆も人ならば、天皇陛下も同じ人、身分とか家格といったこれまでの儒教的秩序や倫理、上を敬い下と和するという日本人なら当然あるべき価値観、概念を覆すにいたった。武士の消滅はすなわち、士農工商という差別的身分格差の消滅のみならず、儒教を以て為政者として任じていた武士の誇りと尊厳をも消滅させてしまった。日本人から為政者として有るべき思想も、矜持も根こそぎ消し去ってしまったのであります。
「勝てば官軍負ければ賊軍」という価値観は、つまり露骨に、権力と暴力をもって弱者、反対勢力を叩き潰せばよいという、これまで日本人が営営と築き上げてきた、尊い東洋思想、仏教思想や儒教、聖徳太子によって唱導された「和を以て貴しと為す。忤うこと無きを宗と為せ(無思慮に反発するな)」という美しい思想を消尽させてしまった。
こういった暴力的にして矯激な時代の急変によって日本人は、西洋近代思考の前に、ただただ為す術もなく飼いならされるほかはなかった。何と、日本人は自らの手で、強者によって飼いならされる家畜の道を選んだのであります。
「武士は食わねど高楊枝」
という清貧思想は、
近代西洋思考によってものの見事に汚され、唾棄すべき負け犬の遠吠えとして哂われものとなった。物質的に、金銭的に豊かさを求めるのが人の幸せなのだという思考に塗り固められていった。
これが明治に起こったことであり、それがますます完成されたのが第一次大戦による漁夫の利、いわゆる「成金」の登場であります。とはいえ、「成金」歩が金に成った、偶然だけで成り上がった者、という蔑視はまだあったようですが、
「金を儲けて何が悪い」
という思考はこのように日本人の中に確かに醸成されていった。
論語にいう、
【子曰わく、敝た縕袍を衣て、孤貉を衣たる者と立ちて恥じざるは、それ由か】
孔子様がおっしゃられた。くたびれた綿入れを着て、見事な毛皮をまとった者と並んで平然としていられるのは、子路くらいのものか。
みんな貧しいんだから貧しいことを恥とは思わないという価値は消えてなくなった。きちんと金を稼いで、身なりを整えないと恥ずかしいという考えに変わっていったのであります。
そこに、敗戦の衝撃と、GHQによる巧みな洗脳政策によって、日本人は遺伝子レベルにまで従順な豚として飼いならされるに至った。明治新政府の推し進める近代西洋思考によって改造を受けた日本人にとって、これは別段怒るべき、反発すべきことではなかったようで、マッカーサーの登場を救世主のごとく狂乱して迎えたのも、そう考えれば飼い主が新政府か、米国か、くらいの違いでしかなかったのかも知れません。自ら進んで畜生として生きる道を模索していたとは、そういう意味では哂うべき皮肉であります。ある意味、和を尊び、平和を愛し、主君に仕えることを誇りとする日本人らしい、といえなくもないですが、日本精神も、大和魂も、誇りも尊厳もすべてかなぐり捨ててまで媚びへつらうことのどこに誉められる点があるでしょう。
さらに、米国の洗脳政策によって、日本軍は徹底的に悪として演出されました。そしてさらにそれを増長させたのが戦後の左翼による暗躍であります。
南京大虐殺や、バターン死の行進、100人斬りの逸話など、日本軍を徹底的に悪として断じていったので、当初はこの米軍と左翼の虚実をおりまぜた洗脳に、当然、従軍した兵士たちは非難の声を上げるも、GHQと左翼の洗脳の前にやがて潰えていきました。
そして、かつて米国もベトナム戦争時、帰還した兵士たちに対してまるで犯罪者のような視線を注いだことを映画「ランボー」でも見ることができるのと同様に、こうした偏向報道、洗脳政策によって日本人は自分たちのため、国家の未来のために戦ってくれた、父や祖父に対して、まるで異常な性犯罪者でも見るかのような視線を注いだのであります。
そうして、心ある、戦争を知っている世代は沈黙を守るようになった。本来、声を大にして反論すべき、自らの正義を主張すべき人達は、身に覚えのない、心無い批判を受けて貝のごとく黙ってしまった。
日本人が、かつての日本人からありえないほど変質してしまった経緯はこういった次第であります。明治新政府によって、近代西洋思考によって、米国によって、左翼によって、日本人は日本人を敬えなくなった。敬えるだけの人材を喪失してしまった。もっと言うなら、敬われるに値する人生を生きられなくなってしまった。ただ日々の生存、苟安の夢を貪るだけの、己の欲望と欲求を満足させることを望むだけの生き物に成り果ててしまった。
多くの日本人が様々な思考、イデオロギー、勢力、集団によって、鬱屈とした日々を送らざるを得なくなってしまった。それを論語や正しい学問を身につけて正しく昇華できる人もいるのでしょうけど、大概の人間は自分自身ですら正しい道へと導くことが出来なかった。
これが現代日本であります。
そう思えば、今の「キレる老人」「老害」の出現も、ある意味仕方ない現象と言えなくもないかも知れませんが、しかし、だからといって自分もそれに成り果てるわけには参りません。論語にはこうありますね。
【過ちて改めざる、是を過ちとなす】
【過ちては則ち改むるに憚ること勿れ】
何が過ちか、の裁定は個々人でなせばよいことですが、しかし、こうなりたくはないな、と思われる自分にはなりたくはない、「年四十にして悪まるる」人間にはなりたくないものです。
話はちょいと変わるものの、過ちといえばここ最近はコリアの横暴に多くの日本人は怒りの声を挙げています。日本製品不買運動に至っては、もはや我々はこの運動を称賛し、掲揚すべきなのではないかとも思いますし、もっと言うのなら我々もこの排他的思考に賛同し、コリアとの貿易を廃絶すべきなのでは、とまで言いたくなる情勢ですが、ちょっと待っていただきたい。
確かに、その場その場の感情論で国家が運営できるとは、かの国もなかなか愉快痛快な有様ではありますが、これを軽挙に見下せる資格があるのかどうか日本人はもう少し考えるべきでしょう。
むしろ、性懲りもなくどんな国家的取り決めも批准も調印も何もかも無視して、
「従軍慰安婦に対して未来永劫、謝罪と賠償を要求して要求して要求しまくるニダ!」
と言っているコリアの方がまだバカはバカなりに頑張っていると言えるかも知れません。
少なくとも、日本人は米国に対して、
「東京大空襲や広島長崎への原爆投下は明らかな人道に対する大逆である! 米国に対し謝罪と賠償を要求するニダ!!」
とか、
「極東国際軍事裁判は明白な勝者によるリンチである! 本当の戦争犯罪人はどっちか明白にするニダ!!」
とか言っている人がどれほどいるでしょう。
米国に飼いならされ、踏みにじられるのが当たり前になってしまった、豚畜生と成り果てた日本人が、かの国を哂う資格があるのかどうか。
大方、米国を同盟国と信じ、その同盟国である日本は偉いんだぞ、とでも思っているのでしょうけど、はっきり言って、「同盟」ではなく「奴隷」の間違いだろう、と言わざるを得ない。米国は、いえ、そもそもまともな神経をもった人間なら、「同盟」なんぞ相手を利用するための方便である、と理解しているはずですし、1921年の「四カ国条約」がどれほど日本にとって最悪の結果となったか、いい年こいた日本人なら理解していないとおかしい。
こういう歴史観が何もないところがどれほど日本人の一億総白痴化を促進しているか、何もわかっていない日本人がわたしには恐ろしい。
そういう意味では、今の日本人も、強いもんには弱いが弱いもんには強い、コリアの事大主義と目くそ鼻くそ。
この現在の日本の状態を、意味合い的には間違ってはいますが、「黔驢外交」と言ってよいのかも。もちろん、コリアの如きが虎のわけはありませんが、自分のことをきちんと知りもしないでイキっているという点では、ロバか豚かの違いでしかない。そのうち、虎ですらないコリアにわんぐりやられやしないかとハラハラさせられます。
日本人がコリアの問題よりも、むしろ自分たちにこそ問題の根幹があるのだ、と気づき、ロバだの豚だのから脱し、本当の人間になるべく正しい人間に戻るべく、日本精神を、大和魂を復興するために米国と戦うべく立ち上がってくれれば頼もしいと思えます。
むしろ「攻殻機動隊」にでてきたクゼ・ヒデオのごとく、
「貴国にはコントロール出来ないカリスマ指導者は要らない。従順な消費者が居ればそれで良い」
とばかりに抹殺されてしまうかもですけど、米国が危機感を抱くようなカリスマ指導者が現れるなら、すでに日本人の中で変化は始まっているということでしょう。
「マトリックス」のように、畜生どころか、農産物にまで成り果てるまでには何とかしてほしいところであります。
まあ、学問に戻りましょう。
【少くして学べば、則ち壮にして為すことあり。壮にして学べば、則ち老いて衰えず。老いて学べば、則ち死して朽ちず】
若いうちに学問をしておけば、壮年になって何事かを為すだけの力を身につけられる。
壮年になって学問をすれば、いつまでも己を振り返って、省み、省いて、改善できるから老朽化することがない。
老いてでも学問をすれば、それは死んでも後世に語り継がれ不朽の人となって永遠と成る。
佐藤一斎の有名な言葉であります。佐藤一斎の著したとされる「言志四録」は西郷隆盛も学んだといいます。
「壮にして学べば、則ち老いて衰えず」
ここが大事なところですね。
若くして学ぶのはまあ、当然かと思いますが、誰しも老いると衰える。わたしも四十すぎると体の衰えや気力の衰えを自覚しますし、生きるだけでもひいひい言っております。この前も思い出したようにヒンズースクワットを100回やって筋肉痛に一週間近く苦しめられましたが、それは置いといて、どうにも四十くらいまで生きると人間、その人はその人なりに悟るところ、了悟するところがあって、むしろ諦める。限界を知る。よってある意味横着になってしまう。
世の中を決めつけるというか、固着したものの見方をしてしまって新しい発見も、発想も、着眼もなくなってしまう。
しかし、そこで学問をしつづけたのなら、自分よりはるかに昔の、はるかに偉大な人達の金言、箴言に触れることによって新たに気づく、新たに啓発されるところがあって自分を新たに作ってゆく、過ちを正しくゆくことができる。
啓発の発、は発憤であり、奮い立つ、ことであります。
論語にこういう一文があります。
【葉公、孔子を子路に問う。子路対ず。子曰わく、女奚曰わざる、その人となりや、憤りを発して食を忘れ、楽しみて以て憂いを忘れ、老いの将に至らんとするを知らざるのみと】
葉公が子路さんに孔子様はどんなお方か、と質問した。
子路さんは答えなかった。答えられなかったのか、答えたくなかったのかはわかりませんが、何も言わなかった。
それを聞いた孔子様が、お前はどうしてこう言わなかったのか、とおっしゃった。
「奮い立っては食べることも忘れ、楽しんで学んで憂いを忘れ、年を取ったことすら知らずにここまできてしまったのだ。わたしはこういう人間なのだよ」
と。
素敵な自己評価であります。
孔子様は真新しい音楽に出会ったときなど食べた肉の味がわからなくなるほど熱中した、というほどの情熱家ですから食を忘れるなど日常茶飯事であったことでしょう。孔子様ほどのお方の発憤がどれほどエネルギッシュなのか見てみたいですね。そういえばある時坊さんがお釈迦様とはどういった人でしょうね、と素朴な疑問を発した所、お師匠様が、「一人の熱血男子だ」とおっしゃったとか。さもありなん。
そして楽しむことで憂いを忘れた。わたしも日常から逃げるためにTVゲームやアニメは欠かせません。わたしごときと孔子様ではそれこそ月とすっぽんですけれども。
奮い立って物事に熱中し、楽しんで学んで、そんなこんなでこんな年寄りになったことすら気づかずにいる者だ。
こんなことが言える人生を送りたいものです。
とはいえ、「省みる」「省く」とさらっと言っておりますがこれはなかなか大変なことでありまして、「省みる」ためには自分自身を冷静に、冷徹に、冷厳に客観視する必要があります。ある意味、他人事として自分をみることが出来ないと駄目です。
こういう、自分をすら他人事として見るくらいの冷静な視野がないと「省みる」などということは出来ないことでして、それが出来て初めて我執だの執着だのから解脱できる。欲だの得だの、人間生きておれば物質的になずまなければいけない部分もありますますが、それを「ガンダム」風にいうと地球の重力に魂を引かれた人達、ということになりますがそこから自由になる、重力のくびきから開放される。その先に「刻がみえる」かどうかまではわかりかねますが、それができて初めて自分がこの先生きるにあたってやるべきこと、やる必要のないことがわかって「省く」ことができる。
自分自身を冷静に反省し、このままでは駄目だ、このままでは自分は駄目な人生しか送れない何とかせねば! と気付き、発憤して学問を始める。まさしくわたしがそうでしたが、自分自身を客観的に振り返って赤面しない人生を送るためには必要な道のりであります。
こういう「気付き」こそが死活問題なのです。
そして、それに「気付く」ためにも、古賢先哲の書から教えを受けねばならないのです。
それでは、論語の中からさらに教えをお尋ねしましょう。
【子曰わく、貧しくして怨むこと無きは難く。富みて驕ること無きは易し】
孔子様がおっしゃられた。貧乏の境遇にあって他者を怨むことは難しいが、裕福な身になって尊大にならないでいるのは難しくはない。
【陳に在りて糧を絶つ。従者病みて能く興つこと莫し。子路慍って見えて曰わく、君子も亦た窮すること有るか。子曰わく、固より君子も窮す。小人窮すればここに濫る 】
陳国の軍によって孔子様の一行は包囲され食料が調達できず窮乏においやられ、従者は立つこともできないありさまとなった。その状況に子路さんが怒って孔子様に迫った。
「君子となってもここまで困窮することがありますか!」
と。孔子様はこうおっしゃられた。
「君子とて困窮することはある。しかし、つまらないものは困窮すると見苦しく乱れる」
孔子様も諸国を放浪されて餓死寸前にまで追いつめられたこともあった。そうして前の文章にかえると、孔子様であっても貧乏のどん底にあっては己の境遇を恨まれた、ということでしょうか。
しかし、己の状況を、運命を怨むことはあろうとも、「貧すれば鈍す」などいいますけど、そうではない。濫れない。これですね。
【子貢問うて曰わく、郷人皆これを好せば如何。子曰わく、未だ可ならざるなり。郷人皆これを悪まば如何。子曰わく、未だ可ならざるなり。郷人の善き者はこれを好し、その善からざる者はこれを悪まんには如かざるなり】
子貢さんが尋ねられた。
「郷土のすべての人があの人はいい人だよ、と誉める人はいかがですか」
孔子様、
「まだまだだね」
「では、郷土のすべての人があの人は悪人だね、とそしる人はどうでしょうか」
孔子様、
「まだまだだね。郷土のいい人には誉められる。悪い人には憎まれる、そういう人でなければ駄目だね」
これですね。
日々生きておれば自ずと己の言動など人にわかるもので、自然といい人には好かれ、悪い人にはさけられるはず。誰とつきあっておるかでその人となりがわかるというものです。この後も同様のお言葉が続きます。
【子曰わく、ただ仁者のみ能く人を好み、能く人を悪む】
孔子様がおっしゃられた。仁に生きる人だけが本当の意味で人を知るから、いい人が分かるし、悪い人もわかる。
【子曰わく、苟に仁に志せば、悪しきこと無し 】
孔子様がおっしゃられた。誠の仁に生きる人なら、感情で人を憎むことはない。
【子貢問うて曰わく、君子もまた悪むこと有りや。子曰わく、悪むこと有り。人の悪を称する者を悪む。下に居て上を訕る者を悪む。勇にして礼なき者を悪む。果敢にして窒がる者を悪む。曰わく、賜やまた悪むこと有りや。徼めて以て知と為す者を悪む。不孫にして以て勇と為す者を悪む。訐きて以て直と為す者を悪む 】
子貢さんが尋ねられた。
「君子も、それでも人を憎むことがありましょうか」
孔子様がおっしゃられた。
「もちろん有るとも。他人を悪し様にいう者を憎むし、下の地位にあって上司を讒言する者を憎む。傍若無人で礼儀作法にのっとらない者を憎むし、ハキハキしておっても本質がわからない者は憎むね。子貢も憎むところはあるかね」
「はい。人の智慧を盗んで自分のもののように言って得々としておる者を憎みますし、傲岸不遜のくせして勇者気取りを憎みます。他人が隠していることを爬羅剔抉して自分は正直者だと誇っておる者を憎みます」
いまここで見たことをしている者がつまり、「その善からざる者」であり、そうではない人が「郷人の善き者」であります。人の悪口を言うもの、あることないこと上司の悪口言って引きずり降ろそうとするもの、乱暴で礼儀も知らないもの、ハキハキとしている割には本質を全然理解していないもの。例えば、「2位じゃだめですか?」といっている人ですね。
本当の勝負に生きる人はこういうそうですね。
「2位で甘んじられるのは、頑張って1位を目指した者だけだ」と。
勝負の世界に「2位でいい」などとふざけた考えなどないそうです。そもそも「2位でいい」などと考えて行動した瞬間、2位にすらなれないそうな。なるほど、そう言われてみれば確かにそうでしょうね。
また、人の智慧やアイデアを盗んで自分のものにする者など世にざらにおりますし、声や態度がでかくて自己主張ばっかりして現世利益にこだわっている者、例えば「ニダニダ」言っている人とかもたくさんいます。スクープ、とかほざいてパパラッチしている下衆の如きは今時はゴキブリ以上にいるでしょう。週刊誌などがあって芸能人をよくネタにしているのも、そういう下衆根性の表れであります。
こういう者はやはり、「年四十にして悪まるるはそれ終わらんか」でありまして、やはり生理的に受け付けないものであります。そういう人間は、目がパッとあったら波長が合うか合わないか、馬があうかそりがあうか結構わかります。わたしはその、目がパッと合った瞬間に、面構えとか目つきとか雰囲気で、ああこの人はいい人だな、む、この人は性格悪いな、と判断していたりします。これが外れることはあんまりないですね。少なくとも、ゴシップ系週刊誌を愛読しているような人と親しく接したことはいまだかつてないはずです。
【子夏の門人、交わりを子張に問う。子張曰わく、子夏は何とか云える。対えて曰わく、子夏曰わく、可なる者はこれに与し、その不可なる者はこれを距がんと。子張曰わく、吾が聞く所はこれに異なり。君子、賢を尊びて衆を容れ、善を嘉して不能を矜む、我大賢ならんか、人に於いて何の容れざる所あらん。我不賢ならんか、人また我れを距がん。これを如何ぞそれ人を距がんや 】
子夏の門人が人との付き合い方を子張に訊ねた。子張が「子夏さんは何と言ったかね」
と聞くと、
「子夏さんは『善い人と交際して、善くない人は断るように』と言われました」
というと、すると子張は言った。
「わたしが孔子様から伺ったのは少し違うな。君子たるもの、優れた人を貴ぶことはもちろん、しかし市井の人とだって親しく接するものだ。良い人を誉めるし、悪い人とて棄てずに憐れむ。それに、わたしがすごい仁者ならどんな人でも包容できるだろうし、反対にもしわたしが劣った者なら人々の方から離れてゆくだろう。どうしてこちらから人をさえぎることがあろうか」
なるほど、面白い問答ですね。
しかし、これはそもそも論点が違うような気がします。孔子様は、
【己に如かざる者を友とすることなかれ】
ともおっしゃるし、「可なる者はこれに与し、その不可なる者はこれを距がん」というのは、自分の本当に親しい人、友人と交際するのなら、ということなのではないかと思いますね。それを、子張さんは為政者たる君子として民衆との接し方を言っているように聞こえますね。
確かに君子として民衆に臨むのなら孔子様もただの一人とて棄てない、とおっしゃるでしょうけど、本当に親しい友人との付き合いとなるとさすがに自分より劣ったものを友としてはいけない、とおっしゃっていますけどね。もし、わたしの考えている通りだったと仮定するのなら、そんなに多くの友人をもてということかな、と子夏さんの門弟もあせったことでしょうね。
しかし、「我不賢ならんか、人また我れを距がん」
自分が劣ったものなら、そもそも人から断られるだろうね。という言い方は面白いですね。これは、きちんと冷静な自己判断、客観的な自己評価がなくてはこんなことは言えないことであります。
少なくとも、現代人でこういう言い方ができる人をTVでみた覚えはあんまりないですね。続いてもそれに関連して。
【子曰わく、已矣乎。吾れ未だ能くその過ちを見て内に自ら訟むる者を見ざるなり】
孔子様はおっしゃられた。どうしようもない。自分の過ちを聞いて、自分と、自分の心にきちんと悔い改める人間を、わたしはみたことがない。
【子曰わく、古の者、言をこれ出ださざるは、躬の逮ばざるを恥じてなり 】
孔子様はおっしゃられた。昔の人が軽々しくおしゃべりしなかったのは、言っていることと行いが違えることを恥じたからだ。
昨今、TVを見ておると自分の発言で自滅する人の方が多い気がします。
【子曰わく、賢を見ては斉しからんことを思い、不賢を見ては内に自ら省みる 】
孔子様はおっしゃられた。優れた人を見ては自分もそうなろうと思う。反対なものをみれば自分はそうはならないよう思う。
次もほぼ同文。
【子曰わく、我れ、三人行なえば必ず我が師を得。その善き者を択びてこれに従う。その善からざる者にしてこれを改む】
孔子様はおっしゃられた。人間、三人いれば必ずそこに先生を見つける。良い行いをする人はそれを見習って、反対なら自分はそうしないよう気をつける。
【司馬牛、君子を問う。子曰わく、君子は憂えず、懼れず、曰く、憂えず、懼れず、それこれを君子と謂うべきか。子曰わく、内に省みて疚しからずんば、それ何をか憂え何をか懼れん 】
司馬牛が君子とは何か、を孔子様に質問された。
孔子様は、
「君子とは無用な心配もしないし、くよくよ引っ込み思案になったりしないものだ」
とおっしゃると、司馬牛が、
「無用な心配や、引っ込み思案にならないのなら君子といってよいでしょうか」
と重ねて問うので、孔子様は、
「我が心に省みて何のやましいところがなければ、何を心配し、何をおどおどする必要があるのか」
とおっしゃられた。
孟子の「自らに反みて縮くんば、千万人と雖も、吾往かん」の原文ですね。最後にこの有名な一説を学んでみましょう。
【曾子曰わく、吾れ日に三たび吾が身を省みる。人の為に謀りて忠ならざるか、朋友と交わりて信ならざるか、習わざるを伝うるか 】
曾子が言った。わたしは常々、自分の行いを振り返る。人に教えてあげて、真心から言えていただろうか。友達との交際でも誠実でいられたろうか。よく身に着けもしていない教えを耳学問で人に知ったかぶってやしないだろうか。
こうしてみると、論語の各所に、己に振り返る。己に省みる。という一文を見ることができます。つまり、昔の人々は自分を棚上げにしたり、自分のことを横に追いやって他人を批判、非難などしなかった。
その由って立つ所以を、自分に求めていたという証拠であります。現代人の多くが理解していない、理解しようともしないこの「自由」という言葉の本質的な意味であります。
「自由」とは、自らに由って立つ、という意味であり、論語でつれづれ見てきたように、すべての問題の根幹を自分において考えていた、人生における自分こそがこの世に関わる始点であり、その源流をこそ正すことによってその後の流れを正そうとした。自分の行いをきちんと正し、常々反省し、振り返ることで出来うる限り、己の間違いを少なくしようとした。
これが、本来あったはずの東洋思想であり、東洋人であります。その真反対の生き物が、左翼に代表されるマルクスでありますが、それを理解しようとするものはいないようであります。
下らぬ近代西洋思考、西洋のイデオロギーによって脳みそ毒され、反省する、自らに省み、やましいかどうかを点検するものがいなくなってしまったのが現代社会であります。自由、自由と、なんちゃらの一つ覚えでかしましいですが、本当の自由とは、きちんと自分を反省し、自分が生きる人生の責任を、自分自身にきちんと負わせることの出来る人間のことをいうのであります。
世の中が悪い、世界が悪い、国が悪い、社会が悪い、政治家が悪い、役人が悪い、あいつが悪い、こいつが悪い。
他者の悪口を言うものなら今も昔も腐るほどいますが、自分自身にその批判の矛先を、客観的、公平な視点を注げるものがどれほどいるでしょうか。古の、いえ、少なくとも戦前までの日本人ならば、自分自身をきちんと反省するだけの人材がいたはずなのであります。
最後にこの一文を見てみましょう。
「原壌、夷して俟つ。子曰く、幼にして孫弟ならず、長じて述べらるるなく、老いて死せざる、是を賊と為すと。杖を以てその脛を叩く」
原壌が孔子様を出迎える時、夷して、両足を投げ出して座っていた。礼にのっとることもなくぼへーっと出迎えた。
その有様をみた孔子様が、
「幼いときから年長者に対して従順でもなく、年を食っても人々の口の端にのぼるようなろくな働きも見せない。無駄に長生きしておるだけの穀潰しである。こういうのを賊というのだ」
と手にしていた杖でスネをぶっ叩いた。
原壌というのは何でも孔子様の旧友なのだとか。
旧友というからには孔子様とある程度は親しいはずなのですが、にもかかわらず礼儀も徳も何もなっていない。何も理解していない。
無駄に年を食っているだけで、いやむしろ、無駄に年を食っておって礼儀も徳もなんにもないような者がのうのうとのさばっているとその俗臭を周囲に垂れ流す。悪影響しか及ぼさない。
そんな穀潰しはとっとと死ねばいいのに、まだ生きておるのか!
という孔子様のお怒りでございます。
思えば、現代人が米国のなすがままの奴隷となって喜び、会社の言いなりの社畜となって幸せを感じていられるのも、自分にこそ自分の人生に責任があり、自分を省み、反省し、やましいことがあれば改めるにはばかることなく行えるという人間がいないのも、軽薄で傍若無人な自由ではない、本当の意味における、この「自由」がないからであります。
自分の人生に対して、自分の日々の行いに対して、行動の主軸、主柱、自分を自分たらしめている本当の意味目的。自らに由って立つ、というある意味当然の、あって当たり前の思想、精神、魂が消えてなくなってしまったからであります。
生まれてから長じて、ただただ、世の中がそうだから、みんなそうだから、回りがそうだから、と本当の自分の思想、考えをもつこともなく流され、おざなりに生きている人々ばっかりだから、自分に対しても誇りもないし、尊厳も矜持もない。自分の人生に対して本当の意味で責任をもっていない。リンカーンが言ったように、自分自身の面構えに責任をもっているものがいない。
自分の国がどうなっているのか、自分の国とはどのようにして成り立ったのか、という歴史、伝統、文化、母国語に興味も理解もないのも、ただただ流されるだけの畜生人生だからであります。
だから、目の前の出来事や欲得にだけ反応する動物に成り果てられるのであります。成り果て、成って果てるだけの人生に何の疑問も不安も怒りも湧いてこないのであります。
つまり、この「自由」をきちんと持っている人間こそが、「自由」をきちんと持っている人間だけが、
尊敬するにふさわしい人間であって、それ以外は生きているだけの賊、今孔明ならぬ、今原壌と言われても仕方ないのであります。
今の日本で、
「自由」なる人、老いたる価値をもっている人はどれほどいらっしゃるでしょうね。
俺はそうじゃない! と思った方。
反論はいりません。ただ、事実がそこにあればそれでいいです。わたしは見たままを申しますので。
珍しく面白いことを言って『老いたる価値』を語り得た気がしないでもないので、今回はこれまで。
したらば。