大陸の吉田松蔭「文中子」(三)
おこんばんはです。豊臣亨です。
愚劣なあおり運転もいかがなものかと思いますが、それをさらに煽るように報道するワイドショーの如きもどうなのかと思う今日このごろです。
あおり運転を、偉そうに上から目線で報道しているこのテレビという媒体こそがどれほどこの国のモラル、人倫を汚すあおりをしているか。そもそも正義ぶっているこのマスコミも、いままでどれほどの不祥事を犯してきたのか。いったいどの面下げて他人を批判しているのでしょうね。
こういった厚顔無恥にしてかつ無知蒙昧なマスコミの、だらだら垂れ流されるどうでもいい衆愚報道を鵜呑みにするだけでは、そこに思考も思惟もなくなってしまう。そうでなくても儒教といった学問はおろか、思想も哲学も、日々の生活にまで浸透すべき信仰ですら薄れたこの国で、日々垂れ流される情報の波をただ浴びるだけでは、人としてあるべき個々の人格、個性までなくしてしまう。
だから今の人々の多くが、「やばくね?」っていっているのも、こういった思考も思想も、人としてあるべき人格、個性まで喪失した結果なのです。テレビ放送と同じく、人間ですら粗製乱造された現代社会の恐ろしさに、識者は大昔から警鐘を鳴らし続けていますが、それでも誰も気づかないのでしょうか。
街を歩けば、恐ろしく雑然とした、そこに歴史も伝統も風習も、人々の息遣いですら喪失した、ただただ「金儲け」という露骨な欲望だけを肥大させた建築物しか存在しない町並み。
極端にまで簡便化されたまるでプラモデルのような、いったいどこの国の歴史の流れにあるものなのかさっぱりわからぬ家々にマンション、アパート。
「エコノミックアニマル」がいるだけのこの生息域。今のままなら間違いなく黄砂とともに強大な別の「エコノミックアニマル」に駆逐されるだけの、レッドデータ寸前と化した島国。
それでもなお打開策をこうじようともしないのも、ある意味、自分の人生すら放棄したという分かりやすい意思表示なのかも知れません。そんな「エコノミックアニマル」たちが、日々の生存にのみ汲々として社畜に甘んじておるのも、ある意味、思考能力を喪失した畜生風情がたどるべき当然の末路なのでしょう。
しかし、社畜に甘んじておれぬ、まだまだ人としての自覚のある人にこそ、学ぶ喜びを味わってほしい。
昔の言葉にこういうのがあります。
「武士は食わねど高楊枝」
この、人間としての誇りを謳い上げるこの言葉を、食欲や睡眠欲や性欲など生存本能しか反応し得ない社畜には未来永劫理解できないでしょうし、社畜をのみ求め人間としての中身を喪失し金儲け以外の価値を想像もできない企業群だらけの現代には唾棄すべきでありましょうが、誇り高く生きる人間にこそ、この言葉はふさわしい。
それでもなお、歴史や伝統、風習、大和魂はいまもこの国に息づいていることを、知れたらおもしろいと思います。
では、大陸の吉田松蔭「文中子」の(三)。参りましょう。
老荘思想家のおっさんは語るほどでもない。
今回も、
「禅と陽明学<上>」 p295から。
【子曰く、貧賤に処して懼れず。以て富貴なる可し。僮僕その恩を称して以て政に従ふ可し。交遊その信を称して以て功を立つ可し】
政治家の資格
「「子曰く、貧賤に処して懼れず。以て富貴なる可し(貧賤の境遇に打ちひしがれないでいられる人こそ富貴の地位に値する人なのだ)」「交遊その信を称して以て功を立つ可し(友人・知人がこぞって信用する人にして初めて社会的に役立つ仕事ができる人なのだ)」はわかるが、なるほどと感心させられるのは、「僮僕その恩を称して以て政に従ふ可し」という言葉ですね。
召使どもがありがたがるという人で初めて民を治めさせてよろしい。政に従わせてよろしい。これは実に剴切です。
これは少し注意すると、ざらにあることです。役所や会社に行ったら大臣だ、重役だと威張っているけれども、その召使だとか、料理屋、お茶屋などという所へ行って、その中居やおかみなどに言わせると、くそみそなのがずいぶん多い。こんなのは本当の政治家の資格はない。「僮僕その恩を称して以て政に従ふ可し」その通りです。
実にこれは味がある。しかしこれはその通りだけれども、しからば僮僕がその恩を称すればみな偉いかというと、そうでもないですね。僮僕というものはまだそれらしい単純なものですから、奸雄にかかったら僮僕をちょろまかすくらいわけない。偉い人ならば必ずその恩を称するが、逆、必ずしも真ならずで、僮僕恩を称するが故に、その人必ず偉いとは限らない。その意味からいうと、これは中止しなければいけない。政に「従う可し」はよろしいが、「従わしむ可し」とはいえないですね。これは、自分が政に従うのに僮僕がその恩を称するくらいでなければならんということはわかるが、「従わしむ可し」とすれば、これは傷がある」
【子曰く、君子に非ざれば與に変を語る可からず】
「これも論語(子罕篇)にあるのと同じことです。論語には「与に学ぶ可し。未だ与に道を適く可からず」。一緒に勉強するということはだいたい出来ますね。しかし一緒に道を行くということは、これはたいへんだ。あそこへ行こうという者もいるし、しばらくここで休もうという者もいる。早く行こうという者もいる。なかなか一緒に道を行くということは難しい。況んや「与に道を適く可し。未だ与に立つ可からず」道を行くということは、なんとか一緒に行けないこともないが、与に立つということはたいへんだ。況んや、変に処して与に権るなんということは、とんでもない事変が起こった時にどうするかということになると、これはなかなか与に権ることはできない。
言い換えれば、ここにあるように「与に変を語る可からず」決まりきったことならそれは話になる。しかし変わったこと、変になると、これはなかなか与に話せない。これは男女、夫婦関係で考えれば一番良く分かる。ボーイフレンドとか、ガールフレンドと一緒に遊んでいるのは、これは何でもない。さて夫婦になって生活を一緒にしようとなるとなかなか……。
まして夫となり妻となって、親戚友人、いろんなものを相手にして、一つのしっかりした家庭をつくるということになると、単なる夫婦生活と違ってこれは非常に難しい。まして何か問題が起こった時、夫婦がぴったりと呼吸が合って相談が出来るというのはなかなか難しい」
【子、房玄齢に謂ひて曰く、成を好むは敗の本なり。廣を願うは狭の道なり。玄齢問ふ。功を立て。言を立つるは如何せん。子曰く、必ずや力を量らんか。子、姚義を謂ふ。與に友たる可し。久要忘れず。賈瓊は與に事を行ふ可し。難に臨みて変ぜず。薛収は與に君に事える可し。仁にして佞せず。董常は與に出処す可し。介如たり】
「「子、房玄齢に謂ひて曰く、成を好むは敗の本なり」。成功することばかり考える、これは失敗する本である。広を願うは狭の道なり」。むやみに広めようとすると狭くなる。「玄齢問ふ。功を立て。言を立つるは如何せん。子曰く、必ずや力を量らんか」。自分の力を量らなければならない。「子、姚義を謂ふ。與に友たる可し。久要忘れず」。姚義は友達になれる人間である。久要忘れず。久しき約束を忘れない。たいてい大事なことも月日の経つうちに忘れてしまうが、久要を忘れない。
「賈瓊は與に事を行ふ可し。難に臨みて変ぜず。薛収は與に君に事える可し。仁にして佞せず。董常は與に出処す可し。介如たり」。共に出で、共に居る。行動を一緒にすることが出来る。介如の介というのは堅いということ。節操をもって堅いことである。この董常は文中子門下の顔回といわれる人です」
【子曰く、吾仕へず。故に業を成す。動ぜず。故に悔なし。廣求せず。故に得。雑学せず。故に明らかなり】
「いちいちもっともですね。これ実に現代人に猛省を促すものではありませんか。この世を挙ってのサラリーマン根性、軽挙と妄動、飽くことを知らぬ物欲、雑学と末枝、ジャーナリズムの流行、こうしたことがどれほど現代人の成業を妨げ、人間そのものを破綻させ、昏昧ならしめているか、計り知れぬものがありましょう」
【文中子曰く、吾れ礼を関生に聞く。樵を負う者を見るに焉に幾し。楽を霍生に正す。竿を持つ者を見るに焉に幾し。吾将に退いて諸を野に求めんとす】
「これはどうも優れた見識ですね。ただ、これを考証学者に言わせると問題なんです。文中子がこう言ったということは弟子が書き記したのですが、その関生というのは関朗のことです。これは文中子からいうと百年も前の人である(北魏・太和年間の人、字は子明)。易の大家でありまして『関子易伝』という本がある。
「吾れ礼を関生に聞く。楽を霍生に正す」。霍生というのはどういう人か。霍汲だろうという説がありますが、よくわかりません。もし文中子が言ったとするならば、関生というのはこれは関朗のことではない。当時さほど有名でもない人のことに相違ない。とにかく自分は礼を関生に聞いた。即ち政治、道徳、その他人間社会の法令、制度組織、秩序に関することです。これを関生に聞いたが「樵を負う者を見るに焉に幾し」。山賎、きこりを見ると、そこにこそ礼がある。そこにかえって礼がある。
楽を霍生に正したが「竿を持つ者を見るに焉に幾し」。即ち漁夫、釣りをする者を見るに焉に幾し。どうも堂々たる学者、文人などよりも、素朴な野人の方にかえって本当の礼楽が存在する。「吾将に退いて諸を野に求めんとす」。これなども文中子の調子の高い、識見の透徹したところをよく表している言葉です」
【子、形を相せず。疾を禱らず。非義を卜せず】
非義を卜せず
「文中子は「形を相せず」。人相を見るというような、形を見ることをしない。これは形を以てすれば、孔子にも誤ったということがある。なかなかわからない。また病を禱らない。病を持つだけの理由があって病むのである。また義に非ざることを占わない。泥棒をするのにうまくゆくのかどうかなどということを占ってみたところでしようがない。非義を卜せず。これは易占の大原則です。卜することは正しいことを卜さなければならない」
【子曰く、君子虚誉を受けず。妄福を祈らず。死義を避けず】
「「君子虚誉を受けず」。内容のない誉め言葉を受けない。「妄福を祈らず」。妄りなる福、理由のない福を祈らない。「死義を避けず」。死なねばならない時に死ぬのを死義という。これを避けない。義として死に当たれば、つまり死すべき時に死す。それが死義である。これを避けない。厳粛な言葉です」
【子、家におるや、孩孺と雖も必ず狎る。その人を使ふや、童僕と雖も必ず容を斂む】
「衿を正す、姿勢を正す。非常になつかしい、人なつっこい人であって、同時にどこか威厳があって、自ずから形を正さずにはおられないような人である」
【房玄齢、薛収に謂ひて曰く、道の行われざるや必せり。夫子何ぞ営営たるや、薛収曰く、子は夫子の徒に非ずや。天子道を失へば則ち諸侯之を修む。諸侯道を失えば則ち大夫之を修む。大夫道を失えば則ち士之を修む。士道を失えば則ち庶民之を修む。之を修むるの道は師に従うて常無し。誨へて倦まず。窮して濫れず。死して後已む。時を得れば則ち行き、時を失へば則ち蟠す。これ先王の道続いて堕ちざる所以なり。古は之を時を継ぐと謂ふ。※詩に云はずや、縦へ我れ往かざるも、子寧んぞ音を嗣がざらん。之を如何ぞ行われざるを以て廃せんや。玄齢愓然として謝して曰く、それ行や是くの如くこれ遠きか】
※詩経鄭風に、「青々たる子が衿。悠々たる我が心。縦へ我往かざるも、子寧んぞ音を嗣がざらん」とあり、娘がその恋人に、「たとえ自分が往かずとも、消息ぐらいはありそうなもの」という意味の詩であるが、それを道徳的に解釈する儒家の風で、ここでは本文に記する意味の例証に引用されたものである。
「「房玄齢、薛収に謂ひて曰く、道の行われざるや必せり」。もうどうにもならない。今時はどの点から考えても道の行われようわけはない。乱世である。「夫子何ぞ営営(忙しく往来する)たるや」。こういうところ、論語にもありますね。
「薛収曰く、子は夫子の徒に非ずや」。君は先生の門、仲間ではないか。「天子道を失へば則ち諸侯之を修む。諸侯道を失えば則ち大夫之を修む。大夫道を失えば則ち士之を修む。士道を失えば則ち庶民之を修む」。代わりにだんだん修めてゆくよりほかはない。「之を修むるの道は師に従うて常無し」。それ相応にやるほかはない。
「誨へて倦まず。窮して濫れず。死して後已む。時を得れば則ち行き、時を失へば則ち蟠す」。蟠す。じっと雌伏する。「これ先王の道続いて堕ちざる所以なり。古は之を時を継ぐと謂ふ。詩に云はずや、縦へ我れ往かざるも、子寧んぞ音を嗣がざらん。之を如何ぞ行われざるを以て廃せんや。玄齢愓然(畏れつつしむ意)として謝して曰く、それ行や是くの如くこれ遠きか」。なるほど、人間の行というのはこれほど遠大であるか。
「行われざるを以て廃せんや」。行われないからといって廃めるということではなく、行われなければますますやらなければならない。「これ夫子営営たる所以だ」と。いい問答です。論語の孔子及び、孔子の弟子と隠者とのいくつかの問答も同じ調子、同工異曲であります」
儒教の真面目
「以上、『文中子』十巻の中からなるべく短い、そして感銘の深いものを摘録してお話しいたのですが、文中子という人は確かに賢儒であります。当時の儒教の真精神を代表する人である。これを熟読玩味しますと、なるほど儒教というものはこういうものであるなということがわかる。
儒教というものは、どこまでも人間というもの、時代というものに徹していこうという。これを避けたりこれを超えたりしない。あるいは単にこれを批判するものでもない。どこまでも人間と現実に徹して、これを改めてゆこうとして、それが出来ようが出来まいが、必ずしもその報いとか成功を求めない。功徳を求めない。良心、真理、道に徹してゆこう、どこまでも現実を重んじ、実践に徹してゆこうというのがその真面目である」
以上でございます。
学ぶことの楽しさ、ここに極まれり、と言いたいです。ってか言っております。
では簡単に振り返ってみましょうか。
【子曰く、貧賤に処して懼れず。以て富貴なる可し。僮僕その恩を称して以て政に従ふ可し。交遊その信を称して以て功を立つ可し】
ここで安岡先生は、「僮僕その恩を称して以て政に従ふ可し」で、
「これは少し注意すると、ざらにあることです。役所や会社に行ったら大臣だ、重役だと威張っているけれども、その召使だとか、料理屋、お茶屋などという所へ行って、その中居やおかみなどに言わせると、くそみそなのがずいぶん多い」
とおっしゃっておいでですね。
東京帝国大学、現東大卒業後、日露戦争の激戦を戦い抜いた八代六郎海軍大将に「私は君に師事する」とまで言わしめ、国政はもちろん、軍部、官僚、経済界、思想家と広範にわたって活躍された安岡先生のこの言葉ですから、どれほどの人間を見てのお言葉かと思わされますね。
【子曰く、吾仕へず。故に業を成す。動ぜず。故に悔なし。廣求せず。故に得。雑学せず。故に明らかなり】
この「吾仕えず」も浪人の重要性をいう言葉ですね。
あえて国に仕えず、野にあって天下を観望するからこそ事の本質、遠近を量ることができるのでしょう。世の中、国とか事業に仕えた途端、鳴りを潜める人がいるような気がします。忙しいのは分かりますが、結局、保身だの朱に交わって赤くなるだので物が言えなくなる、事が成せなくなるのでしょうね。
安岡先生は、
「いちいちもっともですね。これ実に現代人に猛省を促すものではありませんか。この世を挙ってのサラリーマン根性、軽挙と妄動、飽くことを知らぬ物欲、雑学と末枝、ジャーナリズムの流行、こうしたことがどれほど現代人の成業を妨げ、人間そのものを破綻させ、昏昧ならしめているか、計り知れぬものがありましょう」
とおっしゃっておいでです。
まあ、猛省する現代人がいらしたら見てみたいものですけれども。
とはいえ、『トリビアの泉』などを面白くみておったわたしも、目くそ鼻くそですが。現代社会で雑学しないでおれるのは相当の注意といいますか、覚悟、決意といったものがいるでしょうね。
【文中子曰く、吾れ礼を関生に聞く。樵を負う者を見るに焉に幾し。楽を霍生に正す。竿を持つ者を見るに焉に幾し。吾将に退いて諸を野に求めんとす】
これは孔子様のお言葉、
「子曰く、剛毅朴訥 仁に近し」
と同じことでしょうね。
剛毅朴訥とは強い意志があって簡単に変節しないような人で、素朴で口数の少ないような人のこと。孔子様は無駄に雑学を身につけた文人よりも、こういった「野人」にこそ仁を感じるとおっしゃるわけです。ここでいう「野人」とは現代人が考えるような原始人のことではなく、野に下って活動する人のこと。
安岡先生は、
「そこにこそ礼がある。そこにかえって礼がある。」
とおっしゃっています。
以前、何かのおりにブログでも書きましたが、昔TVでみましたが米国人がとある実験(?)を行っていました。それは、体にお札をくっつけて、「好きなだけもっていっていいですよ」と宣伝するというもの。そこで出会った人々がどういった反応を見せるか、というものでしたが、そこででてくる人々は、いかにも身なりの良いお金をわんさかもっていそうな人ほど毟り取るように金を持っていったのに対して、いかにも乞食の身なりのおっさんが一枚お金をもらって、いや、そんなにいらないんだ、これ一枚で足りるから残りは他の人にわけてあげてほしい、と言っていたのが強く印象に残りました。
人間、財産だの身分だの肩書だの、色んなものを身につけるほど本質から遠ざかり、どんどん下衆になってゆくのに対して、何ももたない人の方がむしろ、本質を見失わないでいられるのでしょう。
こういったことを考えられるのも、学問のありがたさであります。
【子、形を相せず。疾を禱らず。非義を卜せず】
「形を相せず」人相で人を判断しない、というのも重要ですね。
わたしも、いっぱしを気取って人の人相を見ておりますが、それがどれほどあてにならないか。まあ、なのでわたしは自分から疑うことにしておりますが。自分ほど信用できないものはありません(笑)。
ちなみに孔子様の失敗談とは、
「吾、言を以て人を取り、之を宰予に失す。貌を以て人を取り、之を子羽に失す」
というもの。
澹台滅明という容貌醜い人物がおったそうな。字が子羽。孔子様も人相見をそれなりにできると思っていらしたから、この醜さから澹台滅明さんを大した人物でもあるまいと思って軽視していたら、この人をお弟子さんの子游さんが立派に使いこなしていた。それを聞いた孔子様もさすがにしくじった、と思われたとか。
ちなみに、宰予さんは昼寝を見つかってどえらい失望されたお人。
「子曰わく、始め吾人に於けるや、その言を聴きてその行いを信ず。今吾人に於けるや、その言を聴きてその行いを観る。予において是を改む」
わたしは人の発言をもってその人を信じてきたが、これからは言葉があってもきちんとその後の行いまで見てから信じることにした。今回のことで懲りた。というもの。
さらにひどいのが、その時の言葉に、
「朽木は彫るべからず、糞土に牆は塗るべからず」
腐った木で彫刻などできようはずもないし、壁土にう○こを塗れるはずもない。とまで酷評されたらしいです。
昼寝をしていただけでう○こ呼ばわり(?)とはなかなか辛辣ですが、約2500年前その当時は昼寝してはいけなかったのでしょう。
それはともかく、孔子様ですら失敗する。猿も木から落ちる。ということでしょう。
【子、家におるや、孩孺と雖も必ず狎る。その人を使ふや、童僕と雖も必ず容を斂む】
現代の、友達感覚のだれた家族関係ならともかく、地震雷火事親父よりさらに厳粛な時代のチャイナの事ですから、子供ですら狎れる、とは相当に人間が柔和でなければそうはいかなかったでしょうね。
しかし、人を使うと、純朴な子供でも必ずぴしっとした、威儀を正した、というのですから絶対に間違ったこととか、言っていることと行いが違うなどということはなかったのでしょうね。子供というのは知識が発達しきっていない分、本質的な部分で人を見てきますから、そういう矛盾にすぐ気がつくものです。
文中子さんは、西郷隆盛のようなお方であったのでしょうね。
【房玄齢、薛収に謂ひて曰く、道の行われざるや必せり。夫子何ぞ営営たるや、薛収曰く、子は夫子の徒に非ずや。天子道を失へば則ち諸侯之を修む。諸侯道を失えば則ち大夫之を修む。大夫道を失えば則ち士之を修む。士道を失えば則ち庶民之を修む。之を修むるの道は師に従うて常無し。誨へて倦まず。窮して濫れず。死して後已む。時を得れば則ち行き、時を失へば則ち蟠す。これ先王の道続いて堕ちざる所以なり。古は之を時を継ぐと謂ふ。※詩に云はずや、縦へ我れ往かざるも、子寧んぞ音を嗣がざらん。之を如何ぞ行われざるを以て廃せんや。玄齢愓然として謝して曰く、それ行や是くの如くこれ遠きか】
これはなかなか大事ですね。
いまの世の中、道徳も倫理も正義もモラルも何もあったものではない、そんな世にあってどうして先生はせかせかと働きまわっておられるのか。という房玄齢の言葉。
これは論語(微子第十八)にある、
「長沮、桀溺、藕して耕す。孔子これを過ぐ。子路をして津を問わしむ。長沮曰く、かの輿を執 る者は誰かと為す。子路曰く、孔丘と為す。曰く、魯の孔丘か。対えて曰く、是なり。曰く、ならば津を知らん。桀溺に問う。桀溺曰く、子は誰とか為す。曰く、仲由と為す。曰く、魯の孔丘の徒か。対えて曰く、然り。曰く、滔滔たる者、天下皆な是なり。しかして誰と以にかこれを易えん。而その、人を辟くるの士に従わんよりは、豈に世を辟くるの士に従うに若かんや。憂して輟まず。子路以て告ぐ。夫子憮然として曰く、鳥獣は与に群を同じくすべからず。吾その人の徒と与にするに非ずして誰と与にかせん。天下道あらば、丘は与に易えざるなり」
と同じ。
長沮はこういいますね。世を導こうと営営としておる孔子ならば、津(川の渡し場)くらい知っておるだろ。と。
桀溺こういう。水は低きに流れる。人もまたしかり。その流れに逆らって、あれは駄目だこいつは悪いと他人を選り好みしている孔子に仕えるよりも、我々のように世の中自体を避けた方がいいんじゃないか。と。
孔子様はこう。
「憮然(心から落胆する意)として曰く、鳥獣は与に群を同じくすべからず。吾その人の徒と与にするに非ずして誰と与にかせん。天下道あらば、丘は与に易えざるなり」
鳥や獣と一緒に暮らせというのか。
わたしは人だ。人とともに暮らさずして誰と一緒に暮らせというのか。天下が正しく、道徳がそこに行われているのならば、どうしてそれに手をいれる必要があろうか。と。
わたしはこの言葉が大好きですね。
儒家の精神、まごころ、血誠をみる気がいたします。
房玄齢はまるで長沮桀溺のようなことを云うから、同門の薛収がたしなめるわけですね。君は先生の門下生ではないのか、と。
君子が間違っているのなら側近が正す、側近が間違っているのなら家臣が正す、家臣が間違っているのなら役人が正す、役人が間違っているのなら庶民が正す。
これがある意味正しい民主主義であり、民衆のあり方なのでしょう。
民主主義の根幹は、民衆にこそある。その民衆をまず何とかしなければ永遠に衆愚政治に終わりはない。政治家や役人に文句言ったりするよりも、まず自分の身を正さねばならない。
先生の教えはそれに応じて変化するもので、「常無し」、決まりきったものなのではないのだ。
「誨へて倦まず。窮して濫れず」説教して、それを聞かれない、理解されないからと言って諦めたり投げ出したりするのではなく、また、貧乏しても取り乱したりしない。
「死して後已む」死んで、それで初めてやめるのだ。
生きている限り終わりはない。
素敵な言葉です。
論語の、
「夫子の道は忠恕のみ」
と同じ心です。
これが「文中子」先生ですね。
時代は違えど、儒家の精神、孔子様の教えはこうして受け継がれているということであります。
改めて教えを請うて非常に教えられました。
しかし、こういった師匠と弟子の関係に憧れますね。
今の世にも、こうして、師匠から弟子への教えの鼓吹、思想の敷衍、魂の伝播が行われればいいんですけれども。こうして草の根で民衆に教えが広がり、民衆から世を変えてゆく。これこそが儒家の使命といっても良いのでしょうが。どうしてわたしのような老荘思想家のおっさんはいて儒家はいないのか。
考えますと、わたしのいっておることって、畢竟、昔、ブログでも話題にしたこの言葉、2016/05/17
「鵠を刻して成らず尚鶩に類するなり」
でもやっておるので暇で暇で死にそうなヒマヒマ星人さんはみてみると面白いかも。
「刻鵠類鶩」 鵠を刻して成らず尚鶩に類するなり
「画虎類狗」 虎を描いて成らず、反って犬に類するなり
鵠はコク、クグイ、と読み、白鳥のことだそう。鶩はボク、と読み、アヒルのこと。
意味は、
白鳥の彫刻でもつくろうとしたけど、へたくそでアヒルみたいになってしまったよ。
虎の絵を描いたけれど、へたくそで犬みたいになってしまったよ。
言っていることはまったく一緒ですが、内容は正反対となっておりまして、アヒルはまだいいけど、犬になるのは悪いことだそうな。どうしてアヒルはましで、犬は駄目なのか、チャイニーズの感性はわたしにはわかりません(笑)。
まあ、意味合い的に言いたいことは、
「大した人間にはなれなくても、マシな人間にはなれよ」
ということでありまして、わたしが営営と言っておることはこのたった一言に集約されると言い切っていい。
それでいいんです。
徹頭徹尾、わたしが言っておることは、最終的に神や仏になるための間違いの少ない一歩、このためにあるわけですから。
わたしも、こうしてブログを始めたからには、のんびりではありますがこうして思想を鼓吹してゆきたいと思います。人の師たる資格も能力もありませんが、ブログくらいは説教してゆきましょう。
「死して後已む」
つもりで。
では、最後にそれっぽく語ったところで、
大陸の吉田松蔭「文中子」
はこれにて。
したらばな~。