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令和八年の謹賀新年



 去年もぼちぼちいろんな出来事がありました。


 ウクライナとロシアの侵略戦争はまだ終結の兆しは見えませんし、タイとカンボジアでは、M48戦車とT-55戦車で戦闘をしたというお話。イスラエルのガザ侵攻は、完全に終わったという話は聞きませんね。


 そして日本では高市政権発足によって、大きく日本国内情勢が変動の兆しを見せておりますし、なにより、このことに過剰に反応した中共との間で強い摩擦が発生しております。


 なにより、中華では国内情勢がもはやボロボロで暴動も頻繁に発生しており、なので国内の不満を日本の敵意へとすり替えたいという思惑もあるようですが、パンダのレンタル終了とか、日本への旅行自粛とか、嫌がらせにもならない対応に終始しておるようです。もっといえば、以前なら中共が文句を言ったら、「中共様が怒ってござるぞ!」とマスコミが大騒ぎしてそれでなあなあのうちに強制終了されていましたが、もはや特異点を超えたのか、日本人もそれでは納得しないようになってきたようであります。


 中共外交部とやらが恫喝をしても、それを草の根、といいますか政権が主導するまでもなく民間人がそれを滑稽に皮肉る始末。


 高市政権が発足し、支持率は70~80%を維持するという状況を見ましても、日本人が現状に対し危機感を抱き、このままではいけないと現状を打破することに舵を切ったことが、強くうかがえる状況へと、ついに到ったのであります。




 あけましておめでとうございます。



 豊臣亨でございます。


 

 

 2025年も終盤にいたったまさにその時、高市政権爆誕という、未来の日本の趨勢を大きく左右する出来事が発生しました。これは、日本初の女性総理誕生という歴史的一ページであるにとどまらず、これは対中、対どこぞの半島、日本に巣食う対売国奴という、日本に対し非常に敵対的で、攻撃的で、かつ侮辱的な勢力への反撃、という日本人が待ちに待った状況への萌芽なのであります。


 これは古臭い話で例えて言いますと、力道山がザ・デストロイヤーとの対決によって、あの強大なるメリケンを相手にしても日本人は尻込みすることなく戦えるのだ、という、敗戦によって国力も精神もぼろぼろに成り果てていた日本人に対し、まだまだ日本も捨てたものではないという意識をもてた、ということとも一致する出来事といってよいでありましょう。ん? そうなると高市総理は令和の力道山、と言うべきか?w


 これは、どこぞの半島が勝手に反日不買やったり、クルド人問題があったり、NHKがあったりと、歴史上常に発生する旧態依然とした敵対勢力、権力構造、既得権益層に対する反感や危機感という、言うに言えない感情がついに一線を越えた、いうなれば革命的爆発と言って良いものであります。この、積もりに積もった積年の悪感情、怒りは、そうそう簡単に消え去るものではなく、革命のごとくに旧体制がひっくり返るくらいの事態が起こらない限り、収まるものではないでしょうね。それが、高市政権70~80%の支持率にも裏打ちされていると思ってよいでしょう。


 そして、中華は日本企業を締め出した結果、中華国内は失業の嵐が吹きまくっているともいいます。さらに恒大集団の破綻などなど、経済状態はぼろっぼろの状態なのだそうです。そのくせ、中共軍は大型空母9隻体制だの、原子力空母だの、最新鋭戦闘機配備だの、国内情勢をまるっと無視した威勢のいいことばっかやってますし、ここまでいびつな状態がいつまでももつはずがなく、まあ、今年にも大きな出来事が起こるかも知れません。




 では、今年の干支の塩梅を安岡先生から伺う前に、去年の干支を再確認しておきましょう。




「今年の干支は乙巳(いっし)(きのと・み)であります。




 巳という字はよく(や・い)(おのれ)と間違いやすいのでありますが、これは頭が上にくっついております。「み」は訓でありまして、音は「し」であります。


 したがって乙巳は、「いつみ」ではなくて、「いっし」であります。これはいったいどういう意味を持っておるのかと申しますと、順序としてまず去年の干支から説明いたさねばなりません。


 去年は甲辰( )(きのえ・たつ)でありました。「(きのえ)」という字は、今まで寒さのために殻をかぶっておった草木の芽が、その殻を破って頭を出したという象形文字であります。したがってSein ザイン 存在、あるがままで申しますと、春になって草木が殻を破って芽を出す(日本語ではこれを甲拆(かいわれ)という)という自然現象を表す。Sollen ゾレン 当為、人間のなすべき行為で申しますと、旧体制の殻を破って創造を伸ばせ、ということを教えておるわけであります。




 支の「(たつ)」は震と同じ意味で、易の六十四卦(ろくじゅうよんけ)震為雷(しんいらい)、即ち雷の卦を表すものであります。非常に騒がしい動揺がある。けれどももう一つ実がない。まかり間違えば、思いがけない変動・災禍を生ずる。


 そこで、甲と辰とが組み合わされると、旧体制を脱して創造の新しい歩を進めるが、まだ外の寒気が強くて抵抗が多いために、思うように伸びない。いい気になるというと、とんだ失敗をする、禍わざわいを蒙こうむる。だから気を付けて進んでゆかなければならぬ、ということになるわけであります。




乙の意味




 それが今年になると、去年の甲辰で出した芽が、まだ外界の抵抗が強いために、真っ直ぐに伸びないで屈折しておる。乙という字は草木の芽が曲がりくねっておる象形文字であります。だから新しい改革創造の歩を進めるけれども、まだまだ外の抵抗力が強い。しかしいかなる抵抗があっても、どんな紆余曲折を経ても、それを進めてゆかねばならぬということであります。




巳の意味




 乙巳の巳は、動物の象形文字であります。説文学で申しますと、今まで冬眠をしておった蛇が春になって、ぼつぼつ冬眠生活を終って地表に這い出す形を表しておる。即ち従来の地中生活・冬眠生活を終って、新しい地上活動をするということで、従来の因習的生活に終りを告げるという意味がこの文字であります。その意味で()む(やむ)にひとしい。




乙巳の意義




 したがって乙巳という年には、いかに外界の抵抗力が強くとも、それに屈せずに、弾力的に、とにかく従来の因習的生活にけりをつけて、雄々しくやってゆくのだ、とこういう意味を表すわけです。文字というものは面白いもので、そういう弾力的な創造的な発展の精神がなくて、悪がたまりに固まってしまった、というのが己という文字であります。自己になってしまうわけです。




 とにかく今年は、この乙巳の干支のとおり、ありきたりの、意気地のない、あるいはだらしのない、ごまかしの生活に見切りをつけて、勇敢に溌剌とやってゆかなければなりません。




(中略)




「年頭決然滞事を一掃すべし」――滞っておることを一掃せよということがありました。つまりけじめをつける、片づけるということです。これをうまくやらぬと、来年の丙午(へいご)(ひのえ・うま)は反対勢力が旺盛になるのでありますが、その抵抗力に圧倒されることになる。いま抵抗はどちらかと言うと、あまり外にはっきり現れておりませんが、それが外にはっきり出てきて、四つに取り組むということになるわけです」





「乙巳という年には、いかに外界の抵抗力が強くとも、それに屈せずに、弾力的に、とにかく従来の因習的生活にけりをつけて、雄々しくやってゆくのだ、とこういう意味を表すわけです」


 まさしく、去年は干支の通りと言ってよいでしょう。


 とはいえ、当初は小泉総理爆誕、のほうが濃厚だったので、わたしもけっこう腐ってましたけどね。ぜんぜん旧弊を一掃できんじゃん。とは思ってましたが、これも干支の功徳なのか、人々の現状打破を願う気持ちの現れなのか、高市政権爆誕となって、干支の通りとなったわけで、ちょっと、遅い気はしないでもないですが、でも、高市政権誕生後の急速な世の流れをみますと、これでも十分と言えるのかも知れませんね。あまりに事態の変化が急激にすぎますと、中毒を起こしかねませんしね。


 今年の干支はさっき見ました、丙午(へいご)(ひのえ・うま)。ですね。では、いつもの通り、安岡先生に教えをこいましょう。『干支の活学 プレジデント社』から。p51




丙午の意義




「「ひのえ・うま」が今だに世上の問題になっている。多くの人々が、この年に生まれた女は夫にたたる、ひどいのは殺してしまうという伝説に、少なくとも内心に危惧を感じておることは事実であり、それだけにその迷信を排斥しようとする人々も真剣である。しかしその割に丙午の真義を知る人の少ないことは一つの不思議である。問題はそんな男女夫婦関係にあるのではない。


 元来干支=十干(じっかん)・十二支は、生命あるいはエネルギーの生長収蔵すなわち変化の過程を系統的に分類したものである。去年の干「乙」は草木の芽が新しい陽気に逢うて古い殻を破って頭を出したきのえが、外の寒気の抵抗のために真っ直ぐに伸びられなくて曲折している姿であり、支の「巳」は冬眠していた蛇が地上に出ようとしている(かたち)である。そこで乙巳(いっし)は旧体制を打破して新しい創造発展に努むべきことを意味する。日露戦争をうまく片付けた明治三十八年が乙巳である。


 丙は乙より進んで陽気の発した象。丙は( )(あきらか・つよし)を意味するが、文字の成り立ち=一・冂・入が示すように、一は陽気、冂はかこい、物盛んなれば衰うる理で、陽気がすでに隠れ始めることを意味する。


 午は(ケ。のノがない字w)+十で、上の字画は地表、下の十は一陰が陽を冒して上昇する象である。即ち「午は忤也」と解釈され、反対勢力の高まりを示す。そこで丙午は、旧来の代表勢力がすでに極に達して反面にこれに対する反対勢力の突き上げに遭う象である。これをどう処理するかによって、運命が一変する。


 来年は丁未(ていび)(ひのと・ひつじ)で。「丁」は丁壮でもあり丁当でもある。「未」は昧に同じ、反対勢力を鎮静帰服することもできるし、反対に激突して世の中を昧くしてしまうことにもなる。反対勢力そのものの吟味・革新も考えられる。明治三十九年が丙午に当たるが、明治の政治家は日露戦争による慢心と放縦、その内部の疲労・打撃の処理に悩んだ。そしてどうやら大過なきを得た。


 それでも翌々年戊辰(ぼしん)には国民を引き締めるためにいわゆる戊辰詔書を出していただいて、「荒怠相誡(こうたいあいいまし)め、自彊息(じきょうや)まざるべし」のお言葉を仰がねばならなかった。丙午の歳の重大意義はここに在ることを明解してほしい」




和を以て相欺く




「人間何か真剣な問題に逢うと、古人が体験より発した言葉に改めて感を深うする。漢の高祖を教えた陸賈(りくか)の書といわれる「新語」を先日耽読しているうち、


「君子は義を以て相褒め、小人は和を以て相欺(あいあざむ)く」


 という語にいたく打たれた。特に「和を以て相欺く」とはまさに今日の世界情勢にぴったりではないか。外国でも日本国内でも、平和と友好は合言葉のようになっている。しかしどこにまことの平和や友好があるのか。特に共産陣営では、平和は敵を攻撃する楯、自己陣営を誇示する旗幟(きし)に用いられ、友好親善は相手国を安心させるための謀略奸計の偽装にほかならない。まさに和を以て相欺くものである。


「三国志」で知られたことであるが、荀悦(じゅんえつ)は国の四患の第一に偽-いつわりを挙げている。これだけ文明が進歩した世界であるが、政治・政略に今日ほど偽りのはなはだしいことはあるまい。なんとかもう少し正直になれぬものか。MRAの四綱領の第一に絶対正直を挙げているが、絶対でなくても普通でよい。もっと正直にさえなれば、世の中はぐっと善くなるのだ。


「偽のなき世なりせばいかばかり人の言の葉嬉しからまし(古今和歌集)」であるが、遺憾ながらクレムリンや北京の政府によって欺瞞は公然の政略武器となり、青少年教育にまで徹底させられて、「稚き孫めに偽り表裏を稽古させ、嘘つきに仕立つるか(国姓爺後日合戦)」という名高いセリフが思い出される。陸賈「新語」に、「愚者力を以て相乱す」ともある。「和を以て相欺き、力を以て相乱す」なんとも救いがたい世界である」




在来勢力が反対勢力の突き上げにあう年




丙の意味



「今年の丙午(へいご)(ひのえ・うま)というのは、干支の学問から言うと、一昨年、昨年の陽気が一段とはっきり発展することであります。それが「丙」・そこで「丙は炳なり」で炳の文字を当てはめてある。あきらかとか強いとかいう意味であります。文字学的に言うと、丙の上の一は思い切って伸びる陽気を表し、冂はかこいを表す。それに入という字を書いてある。陽気が囲いの中にはいる、つまり物は盛んになりっぱなしということはない、ということをこの字は表しておるわけです。生命・創造の働きというものは無限の循環であります。


 例えば我々の生命力が伸びて成長するということは、同時にこれは老衰するということに通じる。丙は去年の乙に較べて陽気があきらかに伸びるのであるが、しかしもうその時すでにこの陽気が囲いの中に入るわけで、また入れなければいけない。つまり盛んな陽気がだんだん内に入ってゆくことを表しておる。物は、盛んな時に必ず衰える(きざし)を含んでおる。だから盛んになったからといって有頂天になることを教えはもっとも愚としておるのであります。


 しかし反対に衰えるということは、やがてまた盛んになるという生の未来を含んでおるのであるから、衰えたからといって落胆するのは道を知らざる者のことである。人間、老いるということを多く嘆くのであるが、決してそうではない。老いたら老いたで楽しみもあれば、また力もある。丙の字はよくこれを表しておるわけであります」



午の意味



「さて、「午」はどういうことを表すかというと、上の午は古代文字ではケ(のノがない字w)と書き、これは地表を表しておる。十の一は陽気で、│は陰気が下から突き上げてまさに地表に出ようとする象形文字であります。だから「午は忤なり」でそむく、さからうという意味になるわけです」



丙午の意義



「そこで丙午と組み合わされると、在来の支配的代表勢力が大いに伸びて盛んになるが、反面に、それに対する反対(待をも含む)勢力が内側から突き上げてきておるということになる。一見、たいそう栄えて、あきらかで、強いように見える在来の代表勢力ではあるけれども、すでにもう下からの突き上げに遭って、これをよく処理するか、し得ないかで、今後大いに変わってゆくという意味を持っておる。


 したがってこの丙午機運というものは本当に大事なのでありまして、うまく反対勢力を処理すれば、元来これは陰でありますから、おとなしく鎮静する。ところが処理し損なうと、ますます突き上げが強くなって、陰と陽とが激突する。これが来年の「丁未(ていび)」である。「丁」には壮丁などという場合の盛んという意味と、丁当などという場合の当たるという意味の両方があって、激突してうまくこれを処理すればおとなしくなる。そのおとなしいのを象徴して古代人は羊を選んだわけです。「羊のような国民」、という本を近年アメリカのレーデラ(ウィリアム・J・レーデラー)という人が著して話題になりましたが、この本の意味とはやや違って、うまく処理すれば、おとなしい羊の群のような、平和で、善良な時世にもなるわけです。だが間違えると、「未」は日扁の昧という字になって、暗黒になってしまいます。


 そこで丙午という年は、在来の代表勢力は伸びるようであって、すでに反動勢力が台頭して来ておる。それを今年うまく乗りこなせば、来年はおとなしくなるけれども、やり損なうと少し暗くなる、激突もする。したがってシナの歴史の文献を見ても、(こと)に唐や宋の時代の文献にしばしば出てまいりますが、歴史的に丙午と丁未の年を「内憂外患の年」として警戒され忌まれておるのであります」



歴史に見る丙午の年



「今から一還暦、六十年前に遡ると、丙午の年は明治三十九年( )(1906)になる。この年はもう説明しなくても、みなさんよくおわかりであろうと思う。日清戦争に続いて、三十八年に日露戦争が終わって、日本は押しも押されもしない世界的勢力に伸し上がったわけですから、その意味において三十九年は陽気盛んな、華やかな時である。まさに炳であります。


 だが、しからば本当に華やかで、平和で、おめでたい、安心な年であったかと言うと、けっしてそうではない。内部的にはすでに大きな動揺不安が発生してきておる。なんと言っても日露戦争はロシアという世界の大国を相手にして戦ったのでありますから、軍・政府当局はもちろんのこと、全国民のその間の苦心・苦労というものは本当にたいへんなもので、そのために派遣軍の児玉(源太郎)さんなどは、精根を使い果たして、ほとんど虚脱の状態になってしまうし、総理大臣の桂(太郎)さんに至っては食べる物ものどを通らなかった。


 まあ、そういう苦労をして、勝ち戦という体面をつくって、明治三十九年に入った。そこで三十七、八年の無理・苦労が一斉に突き上げてきた。つまりその反動が現れてきたのであります。しかもそれが複雑で、その上、勝った勝ったというので、どうしても国民はいい気になる、上っ調子になる。直接戦争に関与したような連中は、俺たちの努力で勝ったのだというので、どうしても高慢になる。お互い同士嫉視排擠しっしはいせいをし合う。とにかく物質的にも精神的にもいろいろの矛盾や悩みが突き上げてきたのが明治三十九年です。


 そこでこれはいかん、戦に勝ってかえって日本は堕落する、失敗をする、というので引き緊めにかかったけれども、なかなか引き緊まらない。頽廃動揺して明治四十年の丁未には、だいぶ日本は暗くなってきた。またいろいろの勢力が政治的にも思想的にも衝突するようになってきている。そして明治四十一年の戊辰になると、もう政府の力ではこの時代風潮も国民生活の動揺も指導しきれなくなった。そこで明治天皇にお願いいたしまして、あの「戊辰詔書」の渙発となったのであります。


 そしてその中に「荒怠相誡(こうたいあいいまし)め、自彊息(じきょうや)まざるべし」、という言葉を入れられたわけでありますが、明治・大正に生きた人でこの言葉を知らぬ人はおりますまい。終戦の時の御詔勅にある「万世の為に太平を開く」と同じことで、まるでお守札と言いますか、おみくじの言葉と言いますか、みなこれを覚えたものです。しかし、これは裏を返して言えば、それだけでその頃の日本が、国民生活が、荒怠しておったという証拠です。今日で言うならば、レジャーとかバカンスとかいうような享楽主義、自由と放縦をはき違えたようなだらしのない状態を、明治は明治なりに実現しておったのであります。


 戦後の日本の国力は、まず経済の面から非常な勢いで復興してまいりました。いろいろの艱難を克服して、確かに炳、盛んな状態になった。けれどもその反面において、いろいろの反対・反動現象が盛り上がってきておる。それを明治三十九年の時のように指導者がうまく処理できるかどうか。明治の時はさすがに指導者たちがしっかりしておって、なんとか処理して落ち着けたけれども、それでも戊辰詔書を仰がねばならなかった。今、日本がこのままだんだん乱れていったならば、いったい何をもって戊辰詔書に代えるか。これは重大な問題であります。しかし同時にいい反動もまた近来著しく現れてきております。これを育て上げればよいのであります」




 丙午とは、


「そこで丙午と組み合わされると、在来の支配的代表勢力が大いに伸びて盛んになるが、反面に、それに対する反対(待をも含む)勢力が内側から突き上げてきておるということになる。一見、たいそう栄えて、あきらかで、強いように見える在来の代表勢力ではあるけれども、すでにもう下からの突き上げに遭って、これをよく処理するか、し得ないかで、今後大いに変わってゆくという意味を持っておる」


 ということでありまして、NHKやマスコミという、売国奴的な従来の支配的代表勢力に対し、突き上げが発生するもの、と思ってよいでしょう。しかし、これの対処に失敗しますと何が起こるかわからん、という年でもあります。でもまあ、マスコミなんてのはしょせんサラリーマンでありますから、そこまで恐怖するものでも、本来はない。


 この三ヶ月ほどの高市政権を見ておりますと、実に根気強く、非常に慎重に行動しているように見えますので、強大に見える左翼勢力にも、よく処理し得るものと思えます。しかし、とはいえ楽観視はできない。


 敵の総本山はロシアであり、中共であります。


 この在来の支配的代表勢力にどう対処するかで、世界情勢が大きく変わる可能性がある。


 2025年も大いに騒がれましたが、2026年も日本の将来を左右する、大変重大な年なのであります。でもまあ、一介の民草にできることと言えば、静かに学問することしかないわけで、まずは新年をお祝いし、そしてこんな民草のために神々に祈ってくださっている今上陛下に感謝を申し上げ、今年一年を無事に過ごせるように初詣に参りましょう。



 日本に、大和民族に、平安と発展と正気あれ。-人-



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