元の木阿弥
おこんばんはです。豊臣亨です。
昨今ネット記事を見ておりますと、小林よしのりが反高市を声高に叫んでいるというのを見ました。小林よしのりが左翼に回帰したというネット記事は前々から読んでいたので知っていましたが、よもや中共の走狗に成り果てて高市政権批判をしているのをみて、さすがに基本世の中に対して冷淡なわたしですら色々と思うところがありましたので、ちょ~久しぶりにゴー宣道場を見てみますた。
そうしますと、あるある。
ネットで見た通りの(当たり前)、アホなブログがあるw
高市全体主義への戦いの幕開けだ!
とのタイトルで、中身をば抜粋。いわく、
「日本初の女性首相が誕生した途端に中国との喧嘩状態。
世界の真ん中で乱れ狂う日本外交。
来年はトランプが訪中するから、ますます日本は不利になる。
日本はかつて中国を侵略したという史実すら知らない無知が、
さな活ミーハーには多いだろう。
わしは違う歴史観を持っているが、せいぜい歴史教科書に
記述された内容くらい知っておいて欲しいものだ。
加害者の分際で被害者ぶって、中国が横暴だと毅然と振る舞っても
滑稽なだけだ。
高市早苗がフェミニズムの成果だという言論も倒錯が激しい。
わしから見れば、フェミニズムの劣化であり、堕落である」
まあ、よくもここまで知性を劣化させられるものであります。逆に感心するレベル。鈍器で頭どつかれて記憶をすべて失われるぐらいじゃないと、普通の人間なら、これまで言ってきたことと真逆なことは言えないですよ。
わたしははっきり言いまして、西部邁が左翼に回帰して、あげく入水自殺した時から、どうせ小林も左翼に戻るんだろうなと確信していたので、ああやっぱりかというくらいの感慨しかわきませんが、しかし、岸田、ゲル、と最悪級の総理が続き、さらにいやが上にも小泉かと、日本はどこまで腐臭をただよわせれば気が済むのかと思っていたのに、それなのに、まさかの高市総理の誕生と、まだまだ日本も捨てたものではないと思っていた、その矢先に、小林が中共の走狗と化して茶々を入れるに到ってはさすがに冷静ではいられませんね。
小林といえば、漫画「おぼっちゃまくん」で有名になり、その後、エイズだのオウムだのと様々な社会活動を通じて一時期、左翼から中道になったと自身で喧伝し、やがて「戦争論」で一世を風靡した人間で、わたしも一時期はその広範囲な知識量にけっこうお世話になったものであります。
しかし、わたしはその頃から安岡正篤先生の書に親しんでおりましたので、小林の言説には東洋思想がないのは感得しておりましたので、ゴー宣道場に参加して、東洋思想を鼓吹できんもんかと思いましたが、同じ門弟から「んな座学はよそでやれ」と言われてすごすごと退散したものでありますがw
でもいまだに小林が最大級に駄目な点は、東洋思想を学ばなかったことだと思っております。
東洋思想とは何かと、一言で言ってしまえば、「省」であります。反省の省です。省には主にふたつ意味があります。
ひとつが、省みる。
ひとつが、省く。
孟子にありますね。
【自ら反りみて縮くんば、千万人ともいえども我行かん】
自らを振り返って、こころにやましいところがないのならば、千万人が敵になろうとかまわない。
ということですね。数は問題じゃないw 自らに反りみる、省みる、というところであります。常に自分自身を反省し、自分がおかしいところはないか、自分は正しいか、自分で自分をチェックしつづける、という精神性であります。
そして、省みるからこそ、省く。
自分のこの部分はおかしいんじゃまいか? 前言ったあの発言は問題あるんじゃまいか? そう思ったればこそ、自分でおかしいと思う部分を、省く。修正する。
もちろん、東洋思想はこれだけなわけはないのですが、この省、は相当大きな意味をもつことは確かであります。
そして、この東洋思想が息づいていたのが、江戸時代までであり、明治時代以降急速に消え去ってゆくのであります。
江戸時代にあって、明治時代にないもの。
たくさんあるでしょうが、わたしがここで取り上げたいものは武士、と藩校、であります。江戸時代において、武士は藩校で儒教を学ぶことが常識でありました。そして、だからこそ、明治維新が行われたと言ってよいです。
何度でもいいますが、明治維新は、明治の人々によって成し遂げられたのではありません。江戸時代の、藩校で儒教を学んだ武士によって、維新は成し遂げられたのであります。だからこそ、世界的に革命運動が盛り上がるなかで、「王政復古の大号令」なんてことが行われたし、「大政奉還」も行われたのです。ですが、明治になった瞬間、武士が消え去り藩校が消え去り、そして、儒教がゴミクズ同然に捨て去られた。
福沢諭吉が『学問のすすめ』を書きましたが、その中で儒教を、ひいては孔子様を悪罵しまくっていますが、そんな書が、大ベストセラーになったというのですから、その影響力は深甚なものがあったのであります。
『論語と算盤』の中で、渋沢栄一氏が明治うまれの人々から学問がなくなっていることを危惧している描写がありましたが、しかし、渋沢氏が生きた時代はまだ儒教を学んだ人々が現役時代でありましたから、その影響なんて微々たるものでしょうが、その明治以降、儒教がなくなった日本は急速に堕落してゆくのであります。「坂の上の雲」の司馬遼太郎が、明治の日本はよかったが、それ以降は堕落していった、という司馬史観を表現していますが、わたしからすれば儒教がなくなったからだ、と言う他ありません。司馬氏が儒教を学んでいたかどうかなんて知りませんが。日本人は、聖徳太子の御代から、儒教のお世話になっておきながら、儒教につばを吐いたわけであります。
そういう意味で、儒教や、東洋思想を真剣に学ばなかった小林が、今日の醜悪を見せるのは当然の帰結と言えるでしょう。
小林は、自身の著書のなかでこう申しております。
「国家には「歴史的連続性」というものがある。過去からの「歴史的連続性」で出来上がった国民性や、伝統・文化、それらの国柄を内包した領域が国家だ」
と。
戦争論において歴史の連続性を強調しておりました。
そういう意味で、小林は自分自身の連続性を、自分の手で断ち切ったのであります。
自分の作品につばをはき、自分自身につばをはいたのであります。
そういう意味でみますと、西部邁が入水したのも、ある意味、老醜をさらすことの絶望が、彼に入水を選ばせたのではないかという邪推をしてしまいますが、しかし、小林の醜態を見ればそう解釈するのもあながち、大間違いではなかろうと思うのであります。
自分の作品を汚し、自分自身を汚す。
これこそが、イデオロギーにトチ狂ったものの末路であります。普通の人間からすれば、自身が築き上げてきた一切合財を、それまでの誇りや矜持、人生を、自分の言葉すらドブに捨ててしまうのは愚かな行為にしか見えませんが、それができるのがイデオロギーであります。
小林は、「戦争論」や「国防論」など様々な自身の書で、中共の蛮行を、これでもかと活写しておきながら、それでもイデオロギーのために中共の走狗に成り果てるという、凶行に走ってしまうのであります。自身を汚せるのであります。
自らに省みることのできない左翼というものが、どれほど情けない生き物であるかは、小林という生き物をみれば、嫌と言うほど理解できるのであります。こんな生き物になりたくない人は、学問をしましょうw
まあ、それでも左翼は後から後から、ウジ虫のようにどこからともなくわいてでるんでしょうけどね。
すべてこの世は、因果応報。自業自得。
これを剴切に教えてくれているのも、東洋思想なのであります。そして、左翼は絶対、決して東洋思想を学ばない。何故か。だって、東洋思想は向上心のかたまりなんです。そんな向上心がある人間が、左翼になるはずがないんですよ。小林、じゃない林修先生もおっしゃってるではないですか。「姿勢の良い不良なんていない」、と。
そういうことです。




