大陸の吉田松蔭「文中子」(二)
おこんばんはです。豊臣亨です。
昨今、あおり運転だの何だのがニュースで流れることが増えてきた気がします。
日本人の一部は、それこそチャイニーズやコリアンでも鼻でせせら笑うような劣等種が増えたのか、それとも、ドライブレコーダーやスマホの影響で映像保存化が促進されたから、こういう気違い(公共の電波放送でもないので伏せません)が露わになったのか。もともと日本人の如きはこの程度であった、とは思いたくはありませんが、実際、ああいう輩がいるのも事実ですし、日本人も相当劣化してきたと思うべきなのか。
【吾らの争う所は、周人の恥じる所なり】
なんて言葉は、こういう気違いには未来永劫理解できない言葉なんでしょうね。
しかし、老荘思想的には面白いと思うのが、この一文、そもそも、他国者である二人が田んぼの境界線を巡って争ったところから始まったとされます。周というのは立派な周公旦の治めた国であったので、礼楽が立派に行われ人心も高潔であったところから、田んぼ争いも立派に裁定してくださるに違いないと調停を願って出向いたところ、その周の国では田んぼの境界を巡って争うどころか、人々は道を譲り合って歩き、他者を敬い、落ちたるものをネコババするようなものもいなかったことから、この二人は自らの不明を恥じ、この言葉を言ったとされます。ちなみに、この周公旦の治めた地が後の魯であり、孔子様の生まれた地であり、孔子様が周公旦を理想の聖人と仰いだのもうなずけます。
まあ、それはともかく、この二人、老荘的にいいますと、
【上士は道を聞きては勤めて之を行う】
といえますね。
道が立派に行われるのを見て、自分もそうあらねばならない、と恥じ入る心、感激する心があったのですから立派なことです。さすがに西欧にもこういう言葉があるそうです。
【感激の魂よ。汝を抱ける母は幸いかな】
人は感激する心すらなくしてしまってはもはや成長は見込めない。子供はこの感激の心に富んでいるから成長できるし、大人はこの感激の心が薄らいでゆくから一年が早く感じるとか。この二人は感激する心を抱く有道有徳の人であったのです。
昨今の、くだらないあおり運転で人を殺して「やった」などと喝采を叫ぶ気違いの如きは、老子に言う、
【下士は道を聞きては大いに之を笑う。笑わざればもって道と為すに足らず】
でありましょう。
立派な道、立派な有道有徳の士がそこにあっても、逆に鼻でせせら笑うようなものの如きが、老子のいう下士であります。
そろそろ日本人は、かつてのモーゼの黄金の子牛の逸話の如く、劣等なる人種を誅戮すべき時にまで来ているのではないか、と思うのはわたしだけでしょうか。悪貨、良貨を駆逐す。腐ったみかんは急速に他のみかんも腐らせる。
そう考えておると「お前たちは腐ったみかんなんかじゃない」なんてセリフが脳裏に浮かびましたが、さらに考えると、このセリフもまだ世を憂い、人を救わんと欲する指導者あっての言葉であって、そんな指導者すら消え失せた今の日本だからこそ、もはや学問どころかまともな心すらなくした気違いの如きを誅戮せねばならない時にあたっている気はします。まあ、儒教の正統なる継承国である日本人の考えることではありませんが、チャイナのように、再教育施設なるものも必要なのではないか、とまで考えてしまうご時世でございます。そう、考えざるを得ないのも情けない話ではありますが、日本人は身も心も緑カビに侵されるのを座して待つんでしょうか。
しかし、昨今のコリアの動向を、何だか、この国の政財界の人達は、大人の対応をしていれば向こうもそのうち理解できるだろう、と高をくくっているのではないかと思いますが、【宋襄の仁】の言葉の通り、それがとんでもない自滅の道ではないといいのですけれどもね。まあ、この国の人々に、【宋襄の仁】なんて学問があればのお話ですけれども。
と、これから寛仁大度な文中子のお心を伺おうとしているのに、不快な文章から始めまして恐懼にたえませんが、大陸の吉田松蔭「文中子」その(二)に入りたいと思います。
老荘思想家のおっさんは語れない。
「禅と陽明学<上>」 p282
【温大雅問ふ。之を如何にして政を為さしむ可きか。子曰く、仁以て之を行ひ、寛以て之に居り、深く礼楽の情を識る。敢てその次を問ふ。子曰く、言必ず忠、行必ず恕、之を鼓するに利害を以てするも動ぜず。またその次を問ふ。子曰く、謹にして固、廉にして慮、齷齪焉として自ら保つも、以て発するに足らざるなり。これより降っては則ち穿窬の人のみ。何ぞ政に及ぶに足らん。そもそも員に備はらしむ可きのみ】
「「温大雅問ふ」この人もやはり唐の始めの偉い人で、唐の太宗から好遇を受けて重臣となった人です。「温大雅問ふ。之を如何にして政を為さしむ可きか」政治を為さしむる要諦はどういうものでしょうか。「子曰く、仁以て之を行ひ、寛以て之に居り」、政治を行う根本は仁である。同時にそれは寛大でなければならない。「深く礼楽の情を識る」。礼というのは統一・秩序である。楽というものは、その溌剌たる動き、流動である。「深く礼楽の情を識る」。これは難しい。
「敢てその次を問ふ。子曰く、言必ず忠」忠というのは進歩向上をめざして努力すること。「行必ず恕」、思いやりがある。包容ができる。「言必ず忠、行必ず恕、之を鼓するに利害を以てするも動ぜず」。利害を以て扇動しても動かないというのはその次である。
「またその次を問ふ」。これも難しいから、もう一つ低い所はどうでしょう。「子曰く、謹にして固」、慎み深くして固い。「廉にして慮」、廉潔でしかも思慮が深い。
「齷齪焉として自ら保つも」。こせこせ、せかせか、自ら保つ、つまり保身の術に汲々としていること、ひたすら間違いのないようにとばかり考えてこせこせしていることだ。保身ばかり考えていて、まあ間違いはないけれども、「以て発するに足らざるなり」。人を奮発させるに足りぬ。これは一番政治家としては下である。
「これより降っては則ち穿窬の人のみ」。穿はうがつ、穴を開ける。窬も同じことです。あるいは窬は垣を乗り越えること、人の塀、垣を乗り越えること、つまり泥棒ですね。窬は「ゆ」という音もある。ゆと読む時は犬くぐりのことですね。「これより降っては則ち穿窬の人のみ」。禄盗人に過ぎない。「何ぞ政に及ぶに足らん。そもそも員に備はらしむ可きのみ」。そんなのはそこに置いといて、場ふさぎにしておけばそれでいいんだというような、ナンバーなんぼというだけの人間で、言うに足りない。なかなかこの辺は辛辣ですね」
【子曰く、治乱は運なり。之に乗ずる者あり。之を革むる者あり。窮達は時なり。之を行く者あり。之に遇ふ者あり。吉凶は命なり。これを作す者あり。之に遇う者あり。一来一往各々数を以て至る。豈に徒に云わんや】
「これは非常に深い、そして剴切(急所に当たる)な意見です。「治乱」、世の中が治まる、世の中が乱れるというのは一つの運である。時代の大きな動きである。この運に、一つの時の動きにうまく乗る者があるかと思えば、また革むる者がある。時の動きを変えるという者もある。その時勢に窮すると達するとは、その時期に外れて窮する、あるいはそれに乗ると達する、窮達は時というものである。いつでも窮するわけでもなければ、またいつでも達するわけのものでもない。これは時というものである。運に対していうならば、時というものである。時に遇わなければ達すべき人も達することができない。窮せざるを得ない。また時に遇えば、窮していた人間が思わざる栄達を得ることもある。この時を行く者あり、之に遇う者あり。ちゃんと時を知って、自ら時の中を歩いてゆく。これは面白いですね。
「之を行く者あり。之に遇ふ者あり」。時に遇うというのはぶつかる。つまり主体性がない、偶然的である。偶然、時に行きあう時がある、かと思うと、どこまでも主体性を失わない、自主性を失わずに、窮達にかかわらず時を行く者がある。然る所以を知って自主的に歩いて行く者がある。非常に優れた識見です。
「治乱は運なり。之に乗ずる者あり。之を革むる者あり。窮達は時なり。之を行く者あり。之に遇ふ者あり」。たいていは遇うんです。偶然ぶつかる。
「吉凶は命なり」。吉か凶かというのは命である。絶対的なものである。必然的なものである。これは人間の打算や理屈ではどうにもなるものではないが、しかしその命を作す者がある。創造する者がある。かと思うと、その命にぶつかる者がある。遇う者あり。すべて主体性があるかないかによることである。「一来一往各々数を以て至る」」
数
「「数」というのは、運、命、時、そういうものの中にあるところの因果の関係とか、理法のことである。「一来一往各々数を以て至る。この中にはちゃんと厳然たる因果関係がある。単なる数ではありません。
「子曰く、治乱は運なり。之に乗ずる者あり。之を革むる者あり。窮達は時なり。之を行く者あり。之に遇ふ者あり。吉凶は命なり。これを作す者あり。之に遇う者あり。一来一往各々数を以て至る。豈に徒に云わんや」
大見識であります。いかにも深く思考させられる。道を学ぶ本当の意味で哲学を持つと、運の如何、時の如何、命の如何にかかわらず、各々の数というものを知って、どこまでも自主的、自発的に行動することが出来る。次に房玄齢が出てきました。
【房玄齢、主を正し民を庇ふの道を問ふ。子曰く、まづその身を遺れよ。曰く、謂うその説を究めん。子曰く、それ能くその身を遺れて然る後に能く私無し。私無くして然る後に能く至公。至公にして然る後天下を以て心と為す。道行はる可し。玄齢曰く、主を如何せん。子曰く、道やその説を究む可からず。蕭・張だもそれ猶之を病めり。噫子の及ぶ所に非ず。姑く爾の恭を守り、爾の慎を執れ。庶はくは以て人に事ふ可べきなり】
「「房玄齢、主を正し民を庇ふの道を問ふ。子曰く、まづその身を遺れよ。曰く、謂うその説を究めん」。もっと詳しくおっしゃっていただきたい。「子曰く、それ能くその身を遺れて然る後に能く私無し。私無くして然る後に能く至公。至公にして然る後天下を以て心と為す。道行はる可し。玄齢曰く、主を如何せん」。臣たる者の心得はよくわかりました。主に対してはどうすればいいでしょう。我らは主持ち、君主を戴いている。これに対してはどうでございますか。「子曰く、道やその説を究む可からず」・わしはその点に関してはどうも究めることができない。わしばかりではない、「蕭・張(漢の名相・蕭何と張良)だもそれ猶之を病めり」
こうして読んでいると論語を思い出す。(憲問篇に)子路が(君子の条件を)問うた時に、孔子が、「己を修めて以て敬す」。それだけですか。「己を修めて以て人を安んず」。それだけですか。「己を修めて以て百姓を安んず」と言ったら初めて子路は喜んだ。「己を修めて以て百姓を安んずるは、堯舜もそれ猶之を病めり」とあるでしょう。それと同じ筆法であります」
主に仕える難しさ
「蕭何は漢の高祖の総理大臣、張良は参謀総長です。韓信は正直者で、とうとう誅戮されましたが、蕭何はうまくやる、張良は逃げて、隠遁してしまった。蕭何、張良のような賢人でさえ「それ猶之を病めり」。主をどうするかということになると、これは容易ではない。「噫子の及ぶ所に非ず」。ああお前などの及ぶ所ではない。「姑く爾の恭を守り、爾の慎を執れ」。どこまでも慎みということをしばらく守ってゆくがいい。「庶はくば以て人に事ふ可べきなり」。または「以て人に事ふ可きに庶し」。そうすれば何とか主に事えてゆくことができるであろう。
乱世というのは、そんなものでしょうね。ナチスの歴史を見ても、ずいぶん革命の同志が犠牲になっている。ムッソリーニのファッショを見てもそうです。ソ連に至ってはひどい。スターリンによってどれくらい同志が誅戮されたか。毛沢東また然り。毛沢東などは満州をまかせていた高崗(中国共産党の幹部。一九○五~五五)をついに自殺させた。これは瑞金(ずいきん。国共内戦当時の主要根拠地。江西省東南部にある)から出て逃げ回って、いよいよ行く所がなくなった時に高崗が延安(陜西省北部の都市。中国共産党の根拠地)に呼んでくれた。足を向けて寝られぬ相手である。それをとうとう粛清してしまった。
これが覇道の嫌なところです。今度の朴正煕(韓国の軍人・政治家。大統領。一九一七~七九)でもそうだ。これは朝鮮動乱の前に、朴正煕が麗水という所の連隊長をしていた。当時南朝鮮労働党という共産党がある。これが軍隊の赤化に成功した。その麗水の連隊をすっかし共産化した責任者に金某という者がいたが、それが叛乱を起こして山に入った。そしてずいぶん李承晩(韓国の初代大統領。一八七五~一九六五)や米軍の討伐軍を悩ました。朴正煕は捕まって死刑の宣告をされた。その時に転向を誓って、それを彼の同志、といっても彼はご承知のように満軍育ちであります。金日成討伐のために関東軍が養成した青年将校の一軍であります。その当時の彼の同志が同情して、彼の転向を認めて彼を助けた。そこへ中共侵略があって猫の手も欲しい時であるから、朴正煕も軍隊へ復帰を許されて、それからだんだん軍功をたてて偉くなった。彼をそういうふうにして救った同志の一人は、今度彼が捕らえた金東河をはじめとする連中であります。
朴正煕からいうならば恩人であり、親友である。それを自分の政権のために、可愛い部下の罪状を彼らから責め立てられて、その罪状を覆うことができないために、金鐘泌(韓国の政治家。妻は朴正煕の姪。一九二六~二○一八)を亡命させるとともに、一網打尽に昔の親友、恩人を捕縛して投獄した。やっぱりこれは覇道ですね。王道ではないな。朴正煕がどんなに偉い男か知らないが、道より見ればこれは幻滅を感ずる。残念なことである。こうして考えると王者というものはいないということがわかる。
本当の意味で偉大な政治家というものはいませんね。みな功名に駆られた野心家だ。こういう人に事えるのは難しいでしょうね。スターリンに事えるのにフルシチョフも慄えていたらしいが、毛沢東もそうだ。朴正煕などに事えるのは、さぞかし骨が折れるだろうと思う。
「姑く爾の恭を守り、爾の慎を執れ。庶はくは以て人に事ふ可べきなり」これはなかなか事えられぬ」
【賈瓊群居の道を問ふ。子曰く、同じて正を害せず。異して物を傷らず。曰く身を終ふるまでして行ふ可きか。子曰く、烏んぞ不可ならんや。古の有道者は内、真を失わず、外、俗に殊ならず。それこの如し。故に全きなり。子、薛収を謂ふ。善く小人に接り、遠ざけて疎ぜず。近づけて狎れしめず。頽如たり】
「「賈瓊群居の道を問ふ」。大勢一緒にいる衆と交わる道を問う。「子曰く、同じて正を害せず」。一緒になって、しかも正を害しない。「異して物を傷らず」。異を立てて反対して物を傷らない。反対してぶっつぶすことはありますね。反対しても物を傷るということをしない。賛同すると付和雷同するということになったり、とかく正義を害するが、同じて正義を害せず、異して物を傷らず。これは難しい。これができたならばたいへんな人物です。
「身を終ふるまでして行ふ可きか」。一生それでよろしいか。「子曰く、烏んぞ不可ならんや」。どうしていけないことがあろうか。「古の有道者は内、真を失わず。外、俗に殊ならず」。これは名言です。内、真を失わず。そしてそれを外に出すというと皆からあまり違っているから毛嫌いされたり、それこそ「同じて正を害し、異して物を傷る」ということになる。内、真を失わず、しかも外は、見掛けは俗に異ならず、見掛け、外見は皆と一向違わないようであって、中は厳として真を持っている。真を失わない。
「子、薛収を謂ふ」。薛収(せっしゅう。唐の文学者・政治家。唐の文学者・政治家。唐高祖の天策府参軍。五九二~六二四)というのは、これは親子ともに偉い人物。お父さんは薛道衡(隋の文学者。隋の文帝の深く重んぜられた。五四〇~六〇九)という。「善く小人に接り、遠ざけて疎ぜず。近づけて狎れしめず。頽如たり」。論語の孔子の言葉によく似ていますね」
遠ざけて疎んぜず、近づけて狎れしめず
「小人というのはうるさいもので、(付き合ってみて)じきに嫌になるが、その小人にもよく交わって、そして遠ざける。小人はあまり近づけてはいけない。遠ざけると人間は疎んずるですね。あいつはつまらんと遠ざけて、(なおかつ)疎んじない。遠ざけて疎んじないというのは、どこかに真心、情がなければならない。「近づけて狎れしめず」近づけるというと小人はじきに狎れる。それを狎れしめないというのは、どこかに威厳がなければならない。怖いところがなければならない。頽はくずれるということ、格式張らない、よくこなれていることをいう。「頽如たり」。よっぽど出来た人であったとみえますね。「善く小人に接り、遠ざけて疎ぜず。近づけて狎れしめず。頽如たり」。いい言葉ですね。非常に難しいことであるが、人間である以上、社会生活をする以上たいせつなことです」
【子曰く、君子は招く可くして誘ふ可からず。棄つ可くして慢る可からず。軽々しく誉め、苟に毀り、憎を好み、怒を尚ぶは小人なるかな】
「「子曰く、君子は招く可くして誘ふ可からず」。礼を厚うして招くことはできるが、利益だの何だのということで誘惑することはできない。君子を棄てることはできる。君子というものは「棄つ可くして慢る可からず」。馬鹿にすることはできない。「軽々しく誉め、苟に毀り、憎を好み、怒を尚ぶは小人なるかな」。軽々に誉めるかと思うと、わけもなく悪口をいってみたり、じきに人を憎む。じきに腹を立てるというのは、これは小人である」
【子長安に在って曰く、帰らんか。今の異を好み、軽々しく進む者、率然として作し、取る所無し】
「「帰らんか、帰らんか。吾が唐の小子、狂簡、斐然として章を成す。之を裁する所以を知らず」というのが論語(公冶長篇)にあるが、同じ口調である。「子長安に在って曰く、帰らんか」、帰ろうよ。「今の異を好み」、何でも何か異なったところがあればいい、ありきたりのものでは面白くない。「今の異を好み、軽々しく進む者、率然として作し」、率然、思慮分別なく軽率な振る舞いばかりで「一向取るところがない。つまらないおっちょこちょいが、何やら物珍しげに軽挙妄動するばかりで、さっぱり取るところがない」
【子曰く、我未だ謗を見て喜び、誉を聞いて懼るる者を見ざるなり】
「そういう人は本当に自ら自己の完成に努力している人です。それほど真に自己に生きることはなかなか出来ないことです」
【仇璋薛収に謂ひて曰く、子三有七無を聞けりや。収曰く、何の謂ぞや。璋曰く、諾の責め無く、財の怨み無く、利を専らにする無く、苟の説無く、善を伐ること無く、人を棄つること無く、憾を蓄ふる無し。薛収曰く、請う三有を聞かん。璋曰く、慈有り、倹有り、天下の先と為らざる有り。収曰く、子是に及べるか。曰くこれ君子の職なり。璋何ぞ焉に預からん。子、之を聞いて曰く、唯それ之れ有り。是を以て之を似せり】
三有七無
「「仇璋薛収に謂ひて曰く、子三有七無を聞けりや。収曰く、何の謂ぞや。璋曰く、諾の責め無く、財の怨み無く、利を専らにする無く、苟の説無く、善を伐ること無く、人を棄つること無く、憾を蓄ふる無し」。
この七無ですね。
一、諾の責めというのは、うん、イエスの責任である。いったん承諾したら実行しなければいけない。その責任である。うんと言っておきながらやってくれないじゃないか、というのは諾の責めである。
二、金を持っている人がそれを出させようとする。それを出さないと恨む。
三、利を専らにして分けないというと、分け前を争って人は怨む。
四、人間はとかくいい加減なことをいうものであるが、苟の説、いい加減なことを言わない。
五、善を伐らない。
六、人を棄てない、見放さない。
七、憾みを胸中に蓄えない。さらりとして忘れる。これが七無である。
「薛収曰く、請う三有を聞かん。璋曰く、慈有り、倹有り、天下の先と為らざる有り」。これは『老子』に書いてある。慈愛がある。倹がある。ぜいたくでない、身を持すること倹約である。お先走りをしない。天下の先と為らざるあり。
「収曰く、子是に及べるか」。(あなたは)そこまで出来るか。
「曰くこれ君子の職なり。璋何ぞ焉に預からん。子、之を聞いて曰く、唯それ之れ有り。是を以て之を似せり」。いやいや、これは仇璋はそういうけれども、彼はちゃんと三有七無を身につけている。それだから彼がそれをお前にいうことができたのだ。この似すというのは仮借といいまして、示と音が同じだから仮に使うのですが、いい言葉ですね」
今回はここらでよかろうかい。
さて、いかがだったでしょうか。
為政者の心得とか、為政者の部下たるものの心得とか、あまり日常生活にはピンとこないものもありますが、でも、身につまされる教えがいろいろとあったのではないでしょうか。また【数】などは難しい言葉でございまして、分かるような分からんような例えでいいますと、アニメ「ベルセルク」で冒頭、「この世界には、人の運命をつかさどる、何らかの超越的な「律」神の手が存在するのだろうか。少なくとも人は、自分の意志さえ自由には出来ない」というナレーションが流れますがつまりはこういうことでありましょう。世には、何の労苦もなく己が運命を切り開く人もいれば、労苦の果、困苦の果に人生をようよう切り開く人もあるものです。これらはまさしく、神の手によるものであって、人には端倪すべからざるものであります。
なので、こういう【数】とか、もしくは学問の要諦である、
【君子の学は通の為に非ざるなり。窮して困しまず、憂へて意衰えず、禍福終始を知りて惑わざるが為なり】
こういうことをじっくり学んで、日々の己の生活に、日々の己の習慣に染み込むように生きておれば、やがて、達観といいますか諦観といいますか、そういった精神が養われて、嫉妬だのいらぬ憤怒などが消え去るものであります。
こういう、実際の生活にぴったりとくるのが、本当の教えであります。
今の人達をみておりますと、こういう学問がないから、基本、自分というものが作れていない。ただ己の欲だの、得だのに突き動かされて生きているだけで、信仰も、哲学も、思想もないから、本当の自分というものができない。
本当の自分が出来ないから本当の人付き合いもできない。ただ表層の、上っ面だけの、欲得での付き合いに終始しがちとなる。
そういう国で、そういう社会で、そういう地域で、そういう会社で、そういう学校で、そういう家庭で、毎日を生きておるから朱に交わっては赤くなるのも仕方がないとは申せ、そこまで自分を棄てて何が嬉しいのか、わたしにはわかりかねます。
本当の自分というものが出来れば、刹那にならず、長い目で見た行動、言動、生活、習慣になるはずです。そうなると、自分の欠点、悪いところを指摘されると、確かにおっしゃるとおりだ、と反省できたりするものなんですよね。悪いところを指摘されてただ感情的に反感を覚えるだけでは、結局の所、自分を大切に思っているとはいいがたい。本当に自分を大切に思えるのなら、こういった指摘にこそ耳を傾けるべき事実があったりするのであります。とはいえ、指摘がすべて100%正しいか、となるとそれもまた難しい問題ではありますけれども、えこひいき、色眼鏡を、どれほど少なく出来るか、も、己を忘れる、「その身を遺れ」ることが肝要になるのであります。まあ、口で言うは易く、行うは難し、ではありますけれどもね。とはいえ、こういうことをじっくりできるか、否か、が、人というものを截然と、厳然と、決定的に分け隔てる道になるんですよね。
孔子様にいう、
【性相近し、習えば相遠し】
これが大きな分水嶺、分岐点となるのです。
少なくとも、こういう学問をして、少しでもましな自分を作りたいものであります。
と、安岡先生のぶんどしでえらそうに相撲をとったところで、大陸の吉田松蔭「文中子」その(二)はおしまい。とはいえ、苟の説は申してはいないことが伝わると幸いではありますが。
したらば。