ちょくちょくコソッと論語でドヤる都内のおっさん
おこんばんはです。豊臣亨です。
今宵は繰り言の巻でござます。
まず開巻劈頭は、いま読んでる なろう作品のご紹介でも。
さて、いつもの通りなんぞ面白い作品でもないかいな、と累計ランキングを漁っておったわけですが。各作品のタイトルをつれづれ眺めておりましたらこれ、という作品がありました。
でもまあ、その作品名を申し上げる前にちょいと前置きでもw
誰でも御存知の通り、タイトルというのはその作品を象徴するものであり、その作品の発展性、性格性、方向性を示すものなわけであります。有名どころで言うのなら『無職転生~異世界行ったら本気出す』とか『転生したらスライムだった件』とか『蜘蛛ですが、なにか?』などなど、ネットスラングを引用してポップさをかもし出しつつ、ぱっと聞いただけでその作品の方向性を理解させる、見事に象徴化されたタイトルだと言えるでしょう。
かように、タイトルというのはその作品を体現する、超重要なものなわけであり、決して軽々に名付するものではないのは誰でも首肯できるでしょう。ですがどうにも、なろう作品というものは、どういうつもりでそのタイトルを付けたんだろう? と思ってしまうような作品も少なくないわけでw
例えばでいいますと、この前アニメ化もされました、『ハズレ枠の【状態異常スキル】で最強になった俺がすべてを蹂躙するまで』
アニメを見ましても実に面白い。アニメが悪くないのならと、なろう本編を読みましても面白いんですよね。スルスルと読み進めることができます。おかしな違和感も矛盾もない(まったくないとは言わないけどw)。実に面白いのですが、アニメ化されなかったら、まあ中身を読もうとは思わなかったタイトルだなぁとは思いますw
いや、なろう作品なんだし、いかにも なろうなタイトルつけたって文句言われる筋合いも何も無いんですけどねw ただ、アニメ化されたら、今時は動画配信で即日世界中に拡散される昨今にあって、自分の作品にそのタイトルつけるのか~、って思ってしまって逆にすごいと思ふw わたしならせっかくの自分の作品ともなればちゃんとした名前にしてあげたいとは思うw
あと、タイトルとは無関係なんですが、わたしが中学生くらいの頃に読んだ、ドラクエの小説がありまして、それを読んで衝撃を受けた記憶があります。まあ何分、今から約30年くらい前に読んだお話なんであんま覚えてないんですが、確か、ただの村人にすぎなかった主人公が、魔王退治に出かけるわけですが、まず冒険にでて何に苦労するって、敵が強いだの、剣が通用しないだの、そういうんじゃない。
手とか、足とかの皮がむけるんですよ。
剣を振ったこともない主人公が、いきなり剣を振るだの、長旅をするだので起こる事態が手か足の皮がむけてそれが痛い、ってお話なんですよね。
ああ、そりゃそうだ、と、子供心に思いましたね。
現代人だって、新しい靴を買って履いていれば、靴擦れを起こすわけです。人間の皮というものは非常に脆弱で、すぐに破れるわけです。他にも、1日中歩いておれば水ぶくれだって起こすし、剣を振りまくればチマメだって出来る。そういう、あたり前のことが描写されていたのが、子供心に相当衝撃だったんですよね。
だから、子供心にそういう読書体験があって、作品がリアルであることが自分にとっては当たり前。が。なろう作品をそれなりに読んでますけど、そんな皮がむけただのめくれただの、そんな描写している作品あったかしらん? と思う。いや、転移じゃなくて転生し、子供の頃から剣を振っておればいいんです。もしくは、異世界転移チート特典で、最初からオレtueeeeeな能力を付与されておれば、それもありでしょう。しかし、何の能力も持たない一般ピーポーが、死にものぐるいで走ったりして、身体に何の変調もないって、いやいやそれはないって、って思う。
そう思うからこそ、『灰と幻想のグリムガル』で、現代人がゴブリンに苦戦するのが、わたしには非常に当たり前に映ったんですよねぇ。その時も確かひまわり動画でみていた記憶がありますが、「ゴブリン相手に苦戦とか、ザッコw」ってコメントが乱舞していたんですが、現代人がいきなりゴブリンと闘って、勝てるわけがないんですよ。むりむり。ゲームじゃねぇんだから。
何だったら、殺す気で向かってくるジャーマンシェパードだって、現代人は勝てっこないですよ。まともに戦おうとすれば、甲冑着て、槍持って、完全武装なら何とかいけるかな? くらいでしょう。まあ、それでもジャーマンシェパード相手ではわたしは無理。最初の立ち会いで、突進されてのしかかられて、首ガブリで終わり。西洋のフルプレートアーマーならワンチャン?
それなのに、貧弱とはいえ、ちゃんと武装したゴブリン相手に戦闘能力も経験も知識もな~んもない現代人が、はい戦え、っていきなり放り出されてオレtueeeeできるわけがない。当たり前のことなんですけどね。
まあ、だからといって本当にリアル追求すれば、それこそ描写が煩雑になりすぎるのである程度の取捨選択は必要でしょうけどね。言語問題なんてまさしくそうで、異世界転移モノともなれば絶対に発生する問題なわけですが、これをきちんと描写すると邪魔くさいことになるのでつい省略しがち。これをうまく描写するのも作者の腕の見せ所とも言えるでしょうけどね。
とまあw だらだらと駄弁ってきましたが、今回ご紹介したいなろう作品のタイトルでございます。それは、
『聖女じゃなかったので、王宮でのんびりご飯を作ることにしました』ですw
タイトルからもすでにわかる通り、聖女系統(そんなくくりあるかな?)のなろう作品ですね。聖女、というタイトルのなろう作品もそこそこ見ますし、一定の周知度はあると言えるでしょう。
さて、聖女系の作品って乙女ゲームを下敷きにしていることが多いと思います。悪役令嬢ものとかもそうでしょう。この作品もその流れをくんでいると思って間違いない。例えば、まごうかたなき王子さまや、オレサマな王子さま、凛々しき神官長さまに、麗しき魔道師団長さまなどが登場し、それらがそろいもそろってくっそイケメソばかり。しかも、おなごに手を出しまくるような下半身がだらしないようなのは一人とていない。
で、世界観はほぼ間違いなく中世、大航海時代まっさかりのヨーロッパ。そのくせ、鉄砲だの大砲だのは登場しないw ってか、窓ガラスは当たり前に普及してるのにそれ以外は全然近代化されてないってどういう世界観だYO! とは思いますが、まあいいやw 魔法が世に溢れ、魔法文明化された快適な生活が楽しめる。現代人にも馴染みやすい世界観といえるでしょう。そういうご都合主義ド満載、が乙女ゲームなわけですが、要はキャラ同志の掛け合いやらを楽しむためにあるジャンルとも言える。この作品もそういうのが底流にありますw
では作品の導入部をさっくりと。
それは、異世界のとある国、【ヴァルタール皇国】でのお話。その世界は瘴気に覆われ、濃度によっては魔物が現れたりするし、動物を魔物化させてもしまう。魔物を一定量倒すと瘴気は薄れるが、特に瘴気が濃い時期がある。そういう時には、何故か、【聖女】または【勇者】がひょっこりと登場し、世界を救ってきたのだが、こたびに限ってそんな兆候はない。
瘴気の影響をもっとも受けやすい(らしい)【ヴァルタール皇国】としては、いつ現れるかわからない【聖女】または【勇者】を待って、国家の滅亡を迎えるくらいなら、だったらこっちから呼び出してやろうじゃまいか。ということで禁忌の召喚魔法を発動。そこに現れたのが、今作の主人公、リナだった。
という塩梅。
で、タイトルですでにおわかりの通り、主人公リナは、得手勝手に呼び出されたものの、聖女ではなかったようです。とはいえ、はいそうですかじゃあ、と還るあてもないので、しょうがないと、ご飯を作るようになった、というお話ですw
びっくりすることに、このお話の導入部で出てきた、世界の危機だ! 的な描写はありませんw かけらもありませんw 呼び出されてすぐの「いつもの」魔力鑑定によって、リナには火・水・風・土の4属性あることがわかります。が、魔法で戦うような危機的な状況など一切発生しないので、魔法を鍛えるだの、特訓するだのという描写もありませんw タイトルどおり、飯作ってるだけw 魔物が出てきても、リナにとってはただ食材w 現地人がドン引きする中スライムを食材として扱うw
危機的状況だから異世界召喚を行ったのだ、という導入なのに、そもそも王様が、闇落ちしたドラゴンとサシで戦えるほどつおいw 弟の宰相閣下も、【ヴァルタール皇国】最強の呼び声も高い魔法使いw
あれ?w って感じw
こうしてみますとなんだって思いますが、しかし、この作品はそんな凡百な なろう作品とは絶対に違う。それがわかるのが、12話。ここを読んでわたしは衝撃を受けましたねw ヒマヒマ星人さんは12話まで読んでみて下さい。1話ごとの文章量は少ないので、30分もあれば読めるはず。
ここは非常に衝撃的な描写なので、是非、衝撃を味わっていただきたい。
こういっては失礼ですが、よもや、聖女系のなろう作品で、そんな刺激的な考えがうかがえるとは、わたしは想像もしておりませんでしたw 度肝抜かれました。でも、確かにそうなんですよね。縁もゆかりも無い、それこそ、得手勝手に呼び出しておいて、世界の危機だから命がけで戦え! 勇者よ! とかいわれて、はいそうですか、と話が進んでゆくほうがおかしいわけで。
それをいうなら先程取り上げた、『ハズレ枠の【状態異常スキル】で最強になった俺がすべてを蹂躙するまで』なんてのは、その、呼出した元凶が元凶だったから、主人公が復讐のために躍起になるわけで、そういう理由はあるものの、本来、まったく見知らぬ世界から誰ぞを呼び出す、なんて行為は、リスクでしかないはずなんです。
いまなら、巻き込まれ系とかで勇者とは関係なく呼び出された主人公が、だったら異世界を満喫します! みたいな作品もちょくちょくみますが、本来だったらこの12話のようなお話になったって不思議はない。『異世界失格』みたいに呼び出した勇者がそれぞれのスキルを悪用しまくったりと、いやそうなるよ。というお話もちょいちょいありますしね。
わたしはこの12話を読んだだけでもこの作品の凄さを感じましたね。しかも、当然それだけではない。主人公リナは、当初はうやうやしく王様に謁見もしていたんですが、じょじょにメッキが剥がれたといいますか、地金がむき出しになったといいますか、本性を表すんですw で、それをみた王様がこういうことをいう。
「おい。ネコはもうかぶらねぇのか?」
と。それに対する主人公の返しがこういう塩梅。
「ネコにはもう新しい飼い主が見つかりました」
とりつくろう気、なしw
こういう掛け合いがまた楽しいw ここまで笑えるなろう作品は、わたしはもしかすると始めてかも?w ただただひたすらメシを作ってるだけの、大した山も谷もないのに、めちゃくちゃ面白いんですw 話が進むにつれて明らかになるリナのハチャメチャっぷり、もうそら、王にすら遠慮をかなぐり捨ててツッコミいれるw つおいw しかも、性格が豪胆なだけでは無いことが読んでいけばそのうちわかりますw
結構前にはやった『スレイヤーズ』ってラノベの主人公の名前もリナで、そのリナの数あるあだ名の中に「ドラまたリナ」ってのがあるw これは、ドラゴンもまたいで通る、ドラゴンもかかわりになるのを嫌がる、というもの(元ネタは「猫またぎ」でありネコも食わないほどのまっずいお魚を言うそう)w 『聖女じゃなかったので、王宮でのんびりご飯を作ることにしました』のリナもそういう一面があるw ここらへんのお話の展開はぜひぜひ読んで欲しいw
あと、わたしが感心したのが、この作者さんは、時々文章に半角スペースを挟むんですよね。例えば、13話の会話シーンを引用しますと、「これから先、立場上 叱責せねばならない事もあるだろう」という所などなど。恐らくですが、読み手にわかりやすくしようと工夫をされているのでしょうけど、こういう工夫は好きですねぇ。
せっかくの自分の作品なんだから、こういう一工夫を加えられるかどうか、が作者さんのセンスが光るところであり、個性の発揮のしどころなんですよね。こういうのが凡百の作品にさせていないと思うw なので真似して使わせてもらってますw
あと、少しだけ不満を申し述べさせていただきますと、王族がクレクレ言いすぎかな、とは思いますね。リナがぼそっとつぶやいた料理を作れ作れというのは、リナの存在理由的にも分かるは分かるんですが、いやしくも王族たるものがクレクレクレクレ言いまくるのはどうなんだ? と思う。よく恥ずかしくないな、と。
お話の中で少し言及がありますが、リナは別に料理人ではないので仕事としてしているわけでもないから給料もらっているわけでもない。立場的にはボランティアに近いのかな? 根本を言えば異世界から拉致ってきた被害者なわけですが。そんな人間にアイス作れ、チョコ作れ、お菓子作れ、酒作れ、と億面もなく要求ばっか、というのはいかがなものかw 時々庶民では手が出ないような財宝もらってますが、気軽に商人と売買できる状況でもなし。
あと、これは現代知識無双を行う作品について回る、様式美といいますかお約束といいますか、それをいっちゃあおしまいよというやつなのですが、現地の料理文化が貧弱すぎるw チーズとかバターとか卵とか材料めっちゃ豊富にあるくせに、料理がぜんぜん発展していないw(作中でも言及がちょろっとあるけどw) 鶏がら出汁を取るということすら現地人は王宮料理人ですら誰も知らない。ただ材料を水で煮ただけ。そのクセ、食べ物に対して貪欲で思い切り食いしん坊。それって両立するの?w って思う。仕方がないこととはいえ、ちょいと無理あるなぁw
そして、お話がいよいよ動き始めるのが500話を越したあたりから。それまで基本飯作ってるw そして動き始めてもリナの思考回路に変化はなしw 面白いw しょ~もない鬱展開とか見たくもないのでこういうのが大好きですw ヒマヒマ星人さんは是非読もうw
といったところでなろう作品の紹介はここまでにしまして、今晩の繰り言を申してみますか。
トランプ就任は日本にとってはすべてがすべて好材料とはならないだろうとは思いましたが、よもやここまで自爆が大好きな人間だったとはさすがに思いもよりませんでした。メリケンファーストはいいが、だからといって何の大義も言い分もなしに関税をあげればどうなるかなんて、今時高校生でもわかりそうなものですが、それが自称実業家にすら分からないんだから、どんだけアホなのか、と思いますよね。
ましてや、これからおロシアや中共との対決をますます強めてゆかねばならない状況であるにもかかわらず、何をするって、味方であるカナダやメキシコに積極的に喧嘩を売りに行くスタイル。EUにも喧嘩を売る。いろんなところに喧嘩を売る。
もう、すごいっすね。
なんで、米帝が自由貿易主義を掲げたか、グローバルスタンダードグローバルスタンダードと、結局のところ米国主義を他国に押し付けていたのかにしたって、価値観を共有し、商品やシステムを共有し、サプライチェーン、数多の文物が数多の国に関わることで成り立つ重商業経済圏を作り出すことによって、自分ひとりの得手勝手な暴走を食い止めるためだったのに、それをまさかの米帝がひっくり返すパターンとか、これを予想できたのは神様以外にはありえないと思う。
自分たちが作り上げたシステムをまさかの自分たちで大否定。それによって生み出されるものはなにもなし。米帝にとってはデメリットしか生み出さないのに、それをまさか、トランプ自身が理解していないという悪夢。
これ、トランプが順当に罷免されなきゃ暗殺されると思う。
2019年に一度弾劾されていますので、二度目になるか、また、この前にもトランプは狙撃されているので、今度こそヤラセじゃない狙撃をされることになるのか。どちらにせよ、米帝が受けるダメージは日本がバブル崩壊で負ったダメージをはるかに凌ぐと思う。
大統領の思惑一つで軍事情報からハブられるかも知れない、F-35のように定期的にアップデートが必要な兵器がアップデートできなくなるかも知れない、ドイツの米軍基地の移動のように、日本の米軍基地からも米兵は撤収するかも知れない、こういう懸念が世界中で加速し、米帝なしの同盟関係を構築する動きすらあるわけで、今後、信用できない米国製の兵器は売れなくなる恐れが高い。
せっかく米帝が築き上げてきた支配体制がトランプのおかげで崩壊するさまを目撃することになるわけで、日本にとっては面白い状況ではありますが、戦後、こと防衛や外交に関しては米帝の言いなりになって奴隷に甘んじて生きてきた日本に、そんな自主性がいきなり芽生えることなんて考えられないからどうなることやら。
ほんと、この言葉が脳裏をよぎります。
【天下本無事 小人これを乱す】
天下はもともと何も無い。それを、つまらん人間が乱している。
「学問しないといけない」 安岡先生は大正時代からこれを叫ばれていたにも関わらず、これを理解できた人が幾人いたことやら。こうして今日も、学問しない人間がよってたかって世の中を乱し、人を害して、毒している。
これを何とかする手立てなどあるはずもなく、出来るのはただ、悟りを開くのみ。こんな俗世とはとっとと縁を切って、人間をゴールできる自分を作る他無い。そう考えますと、今の世界は悟りを開くには都合が良いとは言える。しょうもない人間で世は溢れ、世界を、人々を毒しているわけで、こんな俗世におっては自分も赤くなる他無いで、それが嫌なら悟りを開くほかないわけです。
これが現状における、わたしの悟りであります。
世界は結局、良くもならないし平和にもならない。ただただ、なんちゃらファーストというてめえ勝手を追求するのみ。そうして、世界を壊し人を壊し、そして自壊して滅びてゆく。
こんなのに付き合っているのは阿呆のすること。とっとと悟って手を切らねばならない。
にも関わらず、こうして現れた世界秩序の大変革に当たって、日本はあまりにもガラパゴス的に平和でありすぎたと思う。そして、ウクライナの奮戦を見ればやはりこう思う。
【艱難は爾を玉にす】
ウクライナがおロシアに対し、ドローンを使うことで効果的に防衛しているのに対し、なんで日本では引きこもりが大量生産されているかって、こういう国難が一切ないことも無関係とは思われない。
かつて、日本も米帝と戦端を開く前は、それこそ人々は世界情勢に一喜一憂していたといいます。米国からの石油輸出が停止されたと記事で流れれば、日本はこれからどうなるかと、子どもですら日本の行く末を憂いたとか。しかし、戦後、日本は米国の核の傘の下に、本当に庇護されて生きてきた。それが日本国が望んだものか不本意のものであったかなどどうでもよい。まったくな~~んにも考えないでも、外交やら防衛やらやってこられたわけです。
やってこられたんじゃなく、ただ、相手にされなかっただけ、とも言えますが、兎にも角にも、日本は戦後紛争とは無縁でいられた。こと国防に関しては国民が頭を悩ませる、不安になるようなことは一切、これっぽっちもなかった。
国が危機的状況なんだから、自分もうかうかしておれんぞ! と思うような事態が一切起こらなかった。良くも悪くも。それが日本の戦後の発展であり、ゲームやアニメのサブカル大国としての発展であるわけですが、その影にある社畜だの、引きこもりだのの発生が無関係とは思われない。
そして、何度もいうように、こういう日本の有り様として、明治に日本が儒教をかなぐり捨てたことの影響もわたしは大きいと思う。今の日本人には、儒教と言われてもなんのこっちゃかわからんでしょう。
ネットで調べるとこういう文章が出てきます。
「儒教」
・中心的な教えは「仁」と「礼」 仁とは他者への思いやりや人間愛、礼とは社会的な規範や儀礼を指す。
・自己の倫理的修養による人格育成から最高道徳「仁」への到達を目的とする。
そもそも、儒教の最初はこの修養にあると言ってよいですが、これをもう少し発展的に言えば、
【修身斉家治国平天下】
と言えるでしょう。
儒教とは、といえば、修身斉家治国平天下である、と言い切ってよいです。
修身とは、論語に出てきます。ちょいと長いですが大事な箇所なのでよくよく見てみましょう。
【子路君子を問う。子日く、己を脩めて以て敬す。日く、かくの如きのみか。日く、己を脩めて以て人を安んず。曰く、かくの如きのみか。日く、己を脩めて以て百姓を安んず。己を脩めて以て百姓を安んずるのは、堯・舜もそれ猶これを病めり】
子路さんが君子になれる方法を聞きました。それに対して孔子様が、己を修めて己を、人を敬うことだとおっしゃった。そうすると子路さんが、それだけっすか。といったわけですが、孔子様は続けて、己を修めて人々を安心させることだとおっしゃった。そうするとまた子路さんは、それだけっすか。と言った。また孔子様は続けて、己を修めて百姓、人々を安心させる。己を修めて人々を安心させるのは、これは古代の伝説的皇帝である、堯・舜ですら心を傷められたのだ。とおっしゃった。
ある時、孔子様のお弟子さんの中でも一、二位を争う困ったちゃん、子路さんが、君子ってなんすか? どうやったら君子になれるんすか? と聞いたわけです。
それに対して孔子様は、「己を脩めて以て敬す」己を修めて、自分や他人を敬うことだ、とおっしゃるも、困ったちゃんの子路さんはよく理解できなかった。
それだけっすか?
と言い放ったわけですね。お師匠様に大切な教えを聞いておきながら、それだけっすか? は何様だと思いますが、こういうところが子路さんなわけですw 孔子様もカチンときたのでしょうがw 続けてこうおっしゃる。「己を脩めて以て人を安んず」安んず、は安心させる、でも平和裏に治める、でもよいでしょう。己を正しくし、慎み、その上で人々を統治するのだ。と。するとまたもや子路さんが、
それだけっすか?
と言い放つ。孔子様はそこですかさず、「己を脩めて以て百姓を安んず。己を脩めて以て百姓を安んずるのは、堯・舜もそれ猶これを病めり」己を正しくし、慎み、人々を平和裏に統治する。これは、古代の伝説的な皇帝である堯帝、舜帝でも心を傷められたのだ。粗忽者であるお前に出来るのか!
とばっさりと斬って捨てられたわけですね。
己を修める。
なんだそれだけか、と思いがちですが、今の世界を見渡せばそれがどれほど大切なことか、分かったのではないでしょうか。プー太郎しかり、ペー太郎しかり、トランプしかり、己を修めるどころか、欲望を無限大に肥大化させ、野心をたくましくし他者を蹂躙し圧政を強いる。そのくせ、責任を自分には求めない。すべて他者。他者が悪い。他者のせい。
儒教の、己を修める、ということを理解できる指導者は今の世界にはいない。
日本にしてもそうです。クマが出ているにも関わらず、それを現状唯一対処できる猟友会に対し謀略を仕掛ける。クルド人が強姦をしているにも関わらず、司法や警察は積極的に悪を裁かない。
己を修めるとは、自分自身の行いに対してやましくないと胸を張って言えることです。
【内に省みて疚しからずんば、それ何をか憂え何をか懼れん】
【自ら反りみて縮くんば、千万人と雖も、吾往かん】
むしろ、自分が正しいのなら一千万人が敵に回ろうともいっさい退かない。たじろがない。という志をいうのであります。儒教とは、こういう教えをいうのであります。自分を作るからこそ、そういう人々が集まるからこそ、天下が治まるわけです。しかし、明治になって日本人はこれを捨てた。しかも、その重要性を理解できる人間など もはやほとんどいますまい。日本人にとって、儒教がどれほど重要であったか。これあるによって日本人、大和民族という精神が形作られていたにも関わらず、それが理解できないとはどういうことなのか、わたしにはそれが理解できない。
人間にとって欠かすことのできない栄養素がビタミンやミネラル、必須アミノ酸だとするのなら、
日本人にとっては儒教と仏教、神道が日本人を日本人たらしめる重要な精神的栄養素であった。幕末明治以降、これを失った日本人がどんどん西洋思考に毒され、イデオロギーにかぶれて無能になっていったのは決して無関係ではない。にも関わらず、この関係性を論じ、復興を叫ぶ人間が全然出てこないのはどういうことなのだろう。
もっと言うのなら、西南戦争で失った西郷隆盛公は、日本人の良心と慈悲を象徴する人であったと言って、わたしは決して過言であるとは思われない。その西郷さんを、謀略によって踏みにじったことが、日本の未来にとってどれほどの汚点であったか、どれほど自分たちの未来を踏みにじる行いであったか、誰もそこに思い至らないことがわたしには不思議でならない。
明治政府は暗殺の手を伸ばし、謀略をもって私学校生を扇動し反乱を惹起させ、武力をもって圧殺したのだ。
こんなことを露堂々とやるような国が、その先どうなるか、何故誰も危機感を持たなかったのか。勝てば官軍負ければ賊軍とは、まさしく勝者のみが特権を享受するという倫理観をドブに捨てる考えでしか無い。しかしかつて、徳川幕府がやったように、やがて藩校を創設し、儒教を人々に敷衍させたのならまだしも、明治政府はそのまま帝国主義に邁進していった。
こうして強いもんが強いという、サルの如き倫理観で日本は突き進み、そして、それ以上の強者に敗れ去った。それ以降その強者の腰巾着と成り果て、嬉々として奴隷的身分を甘受した。
これからも日本がよくなる可能性はほぼ、0
皇室にしてもそうです。自称愛国者は、万世一系、男系男子となにかの一つ覚えのように喜んでいますけど、その自称愛国者の大切な皇室は、悠仁親王殿下が天皇陛下になられる御代には、愛子内親王殿下も、佳子内親王殿下も臣籍降下されている可能性が非常に高いわけで、たったお一人の皇室となる恐れが非常に高いわけです。
そしてその悠仁親王殿下が天皇陛下におなりあそばされた時に、誰が皇后になるのか。重責著しい、しかもくだらないゴシップ記事に悪しざまに書かれるかも知れない皇后に、誰がなってくれるのか。そして、奇跡的に皇后様が見つかったとして、そして男子が生まれる確率はいかほどか。
そして、奇跡的に男子がお生まれあそばされたとして、その次の御代でも同じことを繰り返すのか。
昭和天皇が、側室を禁止されたことによって、男系男子という伝統を維持するのはほぼほぼ不可能になったのです。しかし、叡慮は下された以上それに異を唱えることは許されません。男系男子という側室によって維持されてきた伝統はほぼほぼ受け継ぐことが不可能になった以上、それ以外の方法を模索する他無いというのに、そのことに本当に危機感をもっている愛国者は幾人おわすのか。
皇室がなくなってしまったら、本当に日本は終わるでしょう。いえ、たとえ遺伝子上は日本人であったとしても、精神性が、人間性が、もはやかつての日本人とは同一、同質のものではなくなるでしょう。ニホンジンモドキ、ニホンジンダマシが分布するのみになる。
そのくせ、ネットなどの論調を見ても、誰か総理にふさわしい人物はいないものか、というものばっかりで、他人事ばかり。自分のこととして、自分の問題としてなんとかしよう、という意識を持った人は幾人おわすのか。そんな他人事思考で世の中がよくなるんなら、今頃世界は楽園になってますよ。
世の中がどうであれ、他者がどうであれ、家族がどうであれ、自分はこうする。身を修める。学問をする。それしか無い。
日本人が捨て去った儒教が、どれほどのものであったか。こころざしある人は静かに学んでほしいとは思ふ。
そして、2025年、トランプという自滅の未来しか無い独裁者が現れた。
世の中が良くなる可能性は、0 どころかマイナス。
で、皆さんはいつまで『猿の惑星』にいるおつもりですか??