『愛国心』って?
おこんばんはです。豊臣亨です。
さて、今晩は一風変わった題材を考えてみたいと思います。
なにせ、昨今とみに世情を騒がせている「アサシンクリードシャドウズ」の弥助問題にからんで、この「愛国心」が議論の俎上にのぼることがあるからです。
ちなみに、まったくこのアサクリ問題を知らないお方のために少し要約しますと、これはUBIというゲームソフト会社が自社の代表作である「アサシンクリード」の最新作の舞台を日本にして制作中。というものです。……なのですが、主人公が黒人である弥助であったり、アサシン、というタイトルのくせして弥助が武士身分で恐ろしく豪奢な甲冑を身をまとっていたり、田植えの季節に桜が咲き、柿とおぼしき果実が実り、騎乗した弥助が「今年は豊作だな」などと世迷い言をほざいたり、とまあ~、よくもここまで問題しかないものを作れるな、という代物であります。
さらにちなみに、弥助なんぞ知らないという人のために申しますと、弥助とは南蛮人たるバテレン共がモザンビークから連れてきた、奴隷であります。それを一目で気に入った信長公が貰い受けたものであり、武士身分どころか、小姓くらいがせいぜいの、ペットと大差ない扱いだったとも言われます。ましてや、信長公が弥助、と名をつけましたがそれ以前のバテレン共がどのような名前をつけていたか、まったく記録に残っていない程度のモブに過ぎません。歴史的にも、本能寺の変で戦ったらしいのですが、しかし明智勢にとっ捕まって、まあ、こんな小物殺す価値もないし……ということで放免された程度の存在に過ぎません。
そしてその、UBIという会社の背後に、スィートベイビーというポリコレ推進団体の影響が大であったりと左翼思考にごってりまみれた危険で異常な連中によってこれら一連の問題が惹起されていることがつとに指摘されております。
またUBIは、「弥助については、まず”私たちの侍”、つまり日本人ではない私たちの目になれる人物を探していました」という、日本を舞台にした作品を作っておきながら、日本人の視野ではない、欧米人の視野で物語をつくるのだ、という恐ろしく偏向的な思考をもろ出しにしております。まあ、この文章はさすがにこれら異常者にも異常性がわかったのか、こっそり削除したようですが。
小泉八雲こと、ラフカディオ・ハーンだって、日本に来たのなら、郷に入らずんば郷に従えという精神で本を書いていることを知っておりますが、こういう連中はそういう、その国を敬う、敬意を払うという、ある意味文明国として当たり前の精神を徹底的に欠く、恐ろしく独りよがりな思考を発揮。しかもさらに、コンセプトアートという宣伝用商材も、コピー、盗用まみれという、モラルや常識がかけらもない、指摘されたら一応謝罪はするが、販売は一切やめないという厚顔無恥さまで発揮するという次第であり、盗用に関しては国技レベルのお隣中華や朝鮮半島ですら、恐れおののいてやらないであろうと考えられるような、悪行の総合デパートのような有り様であり、そのことに対してネット界隈はもちろん、政界にまで波及しつつあるという、たかがゲームと捨て置けない近年稀に見る大騒動となっているものであります。
そして何より面白いのが、この作品はまだ開発中であり、言うなれば、まだ開発中であるにもかかわらずここまで大騒動にまで発展している、という事実が面白いのであり、これが無事に(?)発売されるのかどうか、という点が大いに興味をそそられるというお話であります。これが、「常識」のある会社なら、決して販売などと厚顔無恥の上塗りなどできぬでしょうが、まあ、ここまで悪行ポイントを稼いでしまえばあとどれくらいが上乗せされた所で大差ないとも、言えなくもないのですが、はてさて、どうなることやら。
そして、今回の題名に入るわけですが、しかし、ここまで日本の文化、歴史、伝統、風習、習慣をコケにされますと、さすがに普段は多少なことならカエルのツラにしょうべん、を地でゆく日本人といえど、さすがに堪忍袋の尾がブチギレて烈火のごとく怒り狂ったのであり、普段は、そんなこと検討もしないような、「愛国心」というワードまで飛び出すに至ったわけで、非常に興味津々な次第であります。なので、ついでに愛国心というものはどういうものなのか、ということをわたしなりに語ってみたいと思った次第であります。
老荘思想家のおっさんは語りたい。
うん。久しぶりw
そもそも論、今の日本人で愛国心なんてものをもっている人間など全然いないであろうにも関わらず、こと、ここまで問題が大火事ともなればそんな慣れぬ単語すら口をついて出てきてしまうものか、という気持ちですね。今日本で戦争が起こったらどうしますか? と聞かれれば、ほとんどの日本人が「逃げる!」と自動的に答えてしまうでしょうに、そのような愛国心のない民族ですら、思わず知らず、愛国心という単語がポロリしてしまうのですから、こりは面白いw 奇貨おくべし。
さて、なんで今の日本人はここまで愛国心のない民族になってしまったのかと言えば、それはもちろん、GHQの占領政策であり、その後を引き継いだ左翼連中による教育制度なわけですが、まあ、それは今はおきましょう。
また、そもそもでいいますと、「愛国心」なんて概念は、明治以降になって現れた、必要とされた、近代以降の概念であることはご存知でしょうか。
近代国家、つまり、江戸時代以前の封建制度の日本においては、愛国心なんてものは存在しなかったわけですね。もっとも、これは日本に限ったお話であり、国が違えば全然お話が違ってきます。
中華においてはこういう言葉がありますね。
「漢節を持す」
これは漢帝国の時代の、蘇武という人のお話。節とは、外交官の身分を示す旗のことだそうな。漢の節を肌見離さずもっていたから、漢節を持す。この蘇武さんは漢帝国の将軍の一人だったのですが、北方の騎馬民族である匈奴にとっつかまってしまい、「オスの羊から乳が出せたら祖国に帰してやろう」などという、ポリコレも真っ青な要求を出されてしまったわけですが、それでもなお常にその節を手放すことなく、そして当然、匈奴に仕えることなく漢への忠誠心を捨てることがなかった。という忠義の人でございます。なんでも、この節には、装飾としてヤクの毛が飾られていたそうですが、食料を与えられなかったため、ヤクの毛をはがして食べて飢えをしのいだそうな(常に手に持っていたから剥がれた、という説もあり。そっちの方が漢節を持すって感じですね)。
約20年ほど匈奴にとっ捕まっていながら漢帝国への忠誠を捨てることなく、祖国帰還後もその忠誠は変わることがなかったとされる忠義の士としてとみに有名なお話であり、中華では大昔から国、という単位でできていたから愛国心があるわけですね。
その点、日本人は、古くは日の本、という島国に土着する民族、言語や文化、風習を共有する民族であり、日の本人、という概念はありましたが、国に仕えるとか、国のため、という考えはありません。ましてや、近代までの日本には66カ国(もしくは68)ありますし。
例えば、尾張の国にいるのは、織田家であり、信長公であり、武士たちはその織田家に仕えています。忠誠心がどれほどあったのかはよくわかりませんが、羽柴筑前や、柴田勝家、丹羽長秀らが仕えたのは織田家であり、尾張国に仕えた、という考えはありません。
なので、戦争が起こっても、尾張国対美濃国、ではなく、織田家対斎藤家、であります。国とは土地であり、場所にすぎません。姉川の合戦とか、長篠の戦いとか、川中島の戦い、などですね。とはいえ、甲相駿三国同盟、とはいいますが、武北今三国同盟、という言い方はしませんねw 織田と徳川との同盟は織徳同盟という言い方をしますし、一定ではないのかなw
それはともかくとしまして、長い間、日本人にとって日本とは、列島であり、地域、場所でしかなかったわけですね。
所属するもの、仕えるもののほとんどはあくまでも「家」であり、「人」に仕えるものだったわけです。
また、古代であれば、ローマ人はローマ帝国に仕える将軍であり、戦士であったわけですが、これが中世あたりになりますとまた様相が変わってきまして、ロマノフ王朝とか、ハノーバー王朝とか、ホーエンツォレルン朝とか、家に仕えるようになりますね。
なろう小説を読んでいますと、ナーロッパでは国単位でお話が進むことがほとんどですが、中世においては国、という考えは相当薄いと思ってよいでしょう。試しに、
「100年戦争」
でwikiを見てみるとよいでしょう(昨今、とみに騒がれるwikiですけどw)。
「フランス王国の王位継承およびイングランド王家がフランスに有する広大な領土をめぐり、フランス王国を治めるヴァロワ朝と、イングランド王国を治めるプランタジネット朝およびランカスター朝というフランス人王朝同士の争いに、フランスの領主たちが2派に分かれて戦った内戦である。国家という概念は薄い時代であり、封建諸侯の領地争いが重なったものであったが、戦争を経て次第に国家・国民としてのアイデンティティーが形成されるに至った」
とあり、100年戦争は、普通この戦争をイギリス対フランスという対立構造だと思ってしまいますが、wikiにもはっきりと、これはイングランドを領有するフランスの王朝対、フランスを領有する王朝との内戦であり、国家の概念が薄い時代である、とありますね。ヨーロッパでも時代によって、国家、という概念が薄い時代があるわけですね。
我々日本人には理解できないことですが、イングランドという島国はたびたび外国勢力によって征服されてきた土地柄であり、古くは古代ローマ帝国から、その後はバイキングから、で100年戦争あたりでおフランスから征服された。なのでイングランド王朝とはフランス王朝であり、当初はフランス語で話していたそうですが、wikiにもあるように、フランスを敵として戦うのにいつまでも王朝がフランス語を話しているのはなかなか忠誠心があつめにくい、ということでイングランド化していった、という経緯があるようです。
なので現在でもイギリスのお貴族様といえば、フランス貴族が上位、バイキング貴族が中位と、れっきとした序列があるようですね。
まあ、それはともかくとしまして、日本は古代から、ヨーロッパでも中世では国ではなく、家、人に仕えてきたわけです。また、滅私奉公が当たり前の日本文化に、明治になって権利や義務の概念を有す西洋文化がやってくるようになって、武士が完全に滅び去った、というのも見るべき事実でありましょう。
それまでの日本人には権利の概念がなかった。だから、人々は主人、殿、天皇陛下に仕えるものであった、ある意味所有物であったわけです。
また、中華にもこういう言葉があります。
「骸骨を乞う」
これは「晏子春秋」にある言葉。これは御本人、晏子さんのお話です。孔子様も、【晏平仲(晏子のこと)、善く人と交わる。久しくして之を敬す】と、褒め称えられていますが、晏子さんは人付き合いにおいてナメられることなく畏敬され続けた、というお方のようです。それで、王である景公に仕えましたが、老境を期に言ったセリフとされます。意味は辞職を願うことでありますが、一度、主人に仕えたのならその身はすべて捧げたものとして考えるわけですね。その骸骨を乞う、骨くらいは返してもらっていいっすかね? というわけで凄まじい考え方であります。
まあ、それくらい東洋ではぜんぜん権利、人権、という概念がなかったわけで、日本もそういう感じで江戸時代の農民だって実態は殿様の所有物ですが、税が重いだの扱いが酷いだのあれば、農民だって一揆も起こすし、逃散もしますし、大罪だと知りつつも、幕府に強訴して窮状を訴えることもあったわけです。
江戸時代ではもちろん、儒教で治めているわけで、儒教の基本理念は民衆が第一です。なので、あまりにも領主が悪政をしいていれば御家断絶も有り得た。特に、江戸時代初期の悪大名の代表、松倉勝家は島原の乱の原因をつくったとされ、江戸時代で唯一、大名でありながら斬首された者としてその界隈では有名ですね。殿中という、今で言うなら国会議事堂内で刃傷沙汰に及んだ浅野内匠頭でも切腹なのに。
さて、ここまで時代と認識の違いを見てきましたが、なんで、近代国家になって急に「愛国心」が必要になってきたか、を見てみましょう。
いちばん重要なのは、やはり戦争ですね。
戦争というのは、日本でもそうですが、本来すべて王侯貴族の権利だったわけです。
戦って、勝って、領土を得れば、代々、その土地を領有できるわけで、そこに住民をはやして、税をとることができる。戦争をするのは王侯貴族の特権であり、武士の特権であった。
とある偉人が、「支配されるという特権をだ!」といいましたが、戦争が貴族や武家にとっての特権であったのなら、平民とはそれに隷属することが特権であった、とも言えなくもないでしょう。
なので、農民も武器を手に持って戦うことはあっても、手柄はすべて領主にあるわけです。中には大活躍をして、士分に取り立てられた人もいるでしょうけど、戦国時代を通じても、農民から武士に取り立てられた人というのはごくごく少数だったようで、有名なのは太閤殿下とか、武田家の高坂弾正とか、数えられるほどのようです。これが身分の確定した江戸時代のほうが、農民から士分に取り立てられた人がけっこういるのが意外な気はしますが、それはともかく、戦争は庶民とはほとんど無縁のものだったわけですね。
そして、先程申したように、明治になって士分がなくなった。廃藩置県や廃刀令で、武士や殿様が廃業に追い込まれたわけです。そうなると、誰が戦争をするのか? となって、長州藩の久坂玄瑞が行った「奇兵隊」を全国で行うこととなったわけですね。
武士が戦争をするのではなく、農民が戦争をすることとあいなった。徴兵制の始まりです。
それまで、日の本と、ゆるい紐帯であった文化、伝統、言語のつながりではなく、大日本帝國という近代国家へと生まれ変わり、日本国民となって、諸外国の脅威に対抗するようになったわけです。
それまでの武士ならば戦うために存在するわけでありますし、戦争するために存在を許されていたわけであり戦うことが誉れであった。浜で死んではいけません。華々しく戦うこと、勝利を得ることが武士にとってのレーゾンデートル、存在意義であったわけです。なので武士はそれでよいのですがしかし、だからといって農民に教育や訓練を施したとは言え、鉄砲一丁渡して、さあ敵国に攻め込んで敵兵ぶっ殺してこい! といわれても、さあやっぺ! となる人のほうが少ないわけです。
農民にそんな度胸も、勇気も、そうそう湧いてきやしません。家名とか誉れとか、農民にんなもんはありません。
それなのに、昨日までクワ持って畑を耕していた、農家の次男三男を日本各地の田舎からかき集めて、それを立派な兵士に育てなければいけなくなったわけです。大変です。
そして、その解決法が「愛国心」です。我が日本国は、いかなる正義でもって諸外国と戦うのか。いかなる悪が、我が国に襲いかかるのか。そういう正当性を作り上げた。
いきなり農民に鉄砲渡して、「さあ敵兵殺してこい!」と言われてもええー、となるでしょうが、
「お前の女房子供が犯され殺され、家や田畑が焼き討ちされるぞ!」
と言われたほうが敵兵を殺す大義名分が、十分な理由が、生まれるわけです。そういう心理的障壁が低くなるわけです。そしてそれは、ウクライナで見る事実であり開戦当初のイスラエルでもあった。それが拡大すれば、お国の為、天皇陛下の為、になるわけです。そして、そういう愛国心を養うのにもっとも重要なのが、歴史教育なわけです。
我が日本国民は、現在で言えば皇紀2684年という世界に比類なき長大なる歴史を有し、万世一系の、126代目の大和王朝を戴く、ここも世界と比較してもお話にならないほどの長い伝統を有する世界史に確固たる正当性を有する、比類なき国家である。
その日本国民は、縄文時代から数えれば1万5000や2万年の長い時を日本列島に住し、大和王朝という、唯一の王朝を戴いている。中華は、秦、漢、晋、隋、唐、宋、と、民族も国家も次々に興亡を繰り返していったが、我が日本においては日本以外の国など認める必要もない。奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代、江戸時代、とはすべて時代の話であり日本の歴史の1ページにすぎないのである。
そして、我が日本は神道という、これも世界で唯一の宗教を有していながらも、仏教やキリスト教も受容することのできる懐の深い民族性を持ち、中華という大国からの文物を多量に取り入れながらも、決して、「宦官」「纏足」など、悪文化は取り入れなかった。さらに、その漢字からひらがな、カタカナを創造し、さらに、音読み、訓読みと、日本語と漢語を巧みに組み込んで、独自に進化させていった。
また、儒教、仏教、老荘思想と、聖徳太子の時代から最先端の学問を取り入れながらも、達磨大師が謁見した、梁の武帝の実例に見るように、それによって王朝を転覆させるような大乱、本末転倒を起こすこともなく、日本民族の教えの中にこれらの学問を染み込ませていった。
日本人は古来より偉人を愛し、偉人を敬い、楠木正成公や、二宮尊徳翁など、手本とすべき方々を学び、自身もそうなるべく研鑽を怠らなかった。
などなど、言い出すときりがないくらい、日本の歴史は素晴らしいものであり、日本人たるもの、この祖国の文化、伝統を愛しこれを守り、慈しむようになるべき。というのが、本来の歴史教育なわけであり、「愛国心」なわけであります。
そして、だからこそ、この日本に悪辣なる攻撃をしてやまない鬼畜米英に対し、日本人は愛国心に従って戦争をしたわけです。
そして、日本人は最終的に神風特別攻撃隊となって、果敢に敵艦に体当たりを仕掛けるまでに至った。それによって、米国は一時期恐慌状態に陥ったとされます。自分の命すら弾となって、敵艦に体当たりをしかけてくるような、そんな命知らずな、勇猛果敢な勢力を敵としてしまい、米国兵は非常な恐怖を覚えたとされます。
愛国心、それが例え、天皇陛下のためであれ、祖国のためであれ、故郷のためであれ、父母のためであれ、愛すべき妻や子のためであれ、日本人は、国を愛するからこそ、自分たちが生まれた、生きた空間や歴史、土壌を愛するからこそ、自身の一命をも弾丸にかえていった。同じ歴史と伝統と信仰と言語と思想と生活を共にする人々のためにこそ戦えた。
大君の為、御國の為、と言えればそれは勇ましくも、雄々しくもありましょうが、一人の人間としては、家族のため、愛する妻子のために命を投げ出すほうが真なわけです。至誠なわけです。もちろん、おなごのため、などと言えば女々しい奴め! と鉄拳制裁を食らう時代でもあったでしょうが、それが真実なわけです。そして、それだって立派な愛国心なわけです。
特に、近代国家、近代以降での戦争で、ここまで愛国心というものを世界に示した民族は日本人以外にはいないと断言してよいでしょう。
そして、だからこそ、戦後米国はGHQを組織し、3R・5D・3S政策を作って、徹底的に日本人の愛国心を皆殺しにした。
3Rとは、リベンジ(報復)、リフォーム(改造)、リバイバル(再生)の頭文字。
5Dは非武装、非軍国化、非工業化、非集中化、民主化。
3Sは、スポーツ、セックス、スクリーン。
日本人に、二度と、愛国心などというものを身に着けさせないようにしたわけです。そして、その後を受けた左翼教育、左翼マスコミも、GHQのお先棒を担いで、日本人の愛国心を徹底的にぶっ潰したわけです。今の日本で歴史教育といえばただの暗記合戦に終止しているのも、日本人に愛国心を育てないためです。
別に、鎌倉幕府がいい国作ろうだろうが、いい箱作ろうだろうが、ど~でもいい。源頼朝公の肖像画が本人だろうが別人だろうが、本来ど~でもいいんです。元来、歴史教育とは、自国に誇りを持つためにあるのです。他国と自国の違いをはっきりと自覚し、他国との関係において容易に負けない国民を作り上げるのが歴史教育のあるべき存在意義なんです。
もっといえば、ヒデヨシの朝鮮出兵を1000年忘れないニダ! とどこぞのゴミクズに言われたらすかさず、だったらこっちは文永・弘安の役で対馬の宗資(助)国や島民を殺された恨みは忘れてねぇぞ! クソボケが! 謝罪を賠償を要求する! と言い返せるだけの歴史認識を養うのが本来の歴史教育です。しかし、戦後、公職追放令で教育会は左翼に乗っ取られた。だから、本来、今の日本人に愛国心などというものはあるはずがない。
あってはならないはずのものですが、それが、タイミングによってはポロリしてしまう、という事実がわたしには面白いわけです。どれほどぶっ潰され、踏みにじられても、時あってか蘇る。まあ、だからといって、まともな歴史教育もない、自分の国を愛することも敬うこともしなくなった日本人が、かつての日本人のごとく愛国心に急に目覚めることがあるとは思えませんが、しかし、このアサクリ問題を契機として、歴史認識に一石を投じることになるかも知れない、と思うと少しその後が気になりますね。
そして、もはや戦後どころか、日本は令和となったわけで、そんな日本で愛国心とはどうあるべきなのか、を少し考えてみましょう。そして、それを考えるのに、やはり「愛国心」と真剣に向き合った、神風特別攻撃隊の隊員たちの遺書を読んでみるのが一番参考になる、と言いますとなんですが、骨身にしみる、と言えるでしょう。ネットでも遺書を伺うこともできますので、他国からくだらん茶々を入れられないだけの愛国心を養いたい国士は、検索してみるべきでありましょう。
さすがに全部はなんなので、心に印する文章を少し、見てみましょう。
山田勇大大尉
「列車の出る瞬間の母の姿 しっかりやっておくれ 唯それだけの言葉がしっかりと胸に脳裡に刻みつけられた」
「大君のみ為に死ねと云ひし母強し」
穴澤利夫大尉
「妹様 弟様 みんないい人でした 至らぬ自分にかけて下さった御親切 全く月並のお礼の言葉では済み切れぬけれど「ありがたふ御座いました」と最後の純一なる心底から言って置きます
婚約をしてあった男性として 散って行く男子として 女性であるあなたに少し言って往き度い」
「あなたの幸せを希う以外に何物もない」
「徒に過去の小義に拘る勿れ あなたは過去に生きるのではない」
袴田治夫少尉
「治夫が特別攻撃隊として征くことの出来得るのも皆お父さんお母さんの御蔭であります。治夫はにっこり笑って死んでゆきます」
藤田文六少尉
「心は清く正しく朗らかであります。にっこりと笑って敵艦に体当たり致します」
日本人とは、上は天皇陛下を思い、下は家族を思い、日々を生きるものと思います。だからこそ、身を律することができる。恩ある人々に恥ずかしくないよう、父祖に顔向けできるように、子孫に胸をはれるように、清く正しく、朗らかに生きる民族であると思います。
イギリスが100年戦争でイギリス人としてのアイデンティティーを磨いたように、かつては日本人も日露戦争や大東亜戦争で愛国心を磨いた。そう考えますと、今回のUBIの歴史攻撃(?)によって日本人の愛国心がにわかにかき立てられたのもある意味納得できるのかも知れない。
この前のどこぞの半島人共の反日、慰安婦像、レーザー照射問題よりも、ゲームの話のほうがよっぽど日本人の逆鱗に触れたのかと思うと何だか非常に感慨深い。そう思うと、ゲームというのは今のオークの日本人にとってサンクチュアリだったのやも知れない。その聖域を土足で踏みにじられたことに、下手くそな歴史認識問題よりも赫怒したのやも。
そして何より、日本人が、これまで日本のことに無関心であり、そういうゴミクズ共の茶々に、カエルのツラにしょうべんしてきたことの、これも因果応報であることに気がついたのなら、左翼教育ぶっつぶせ。左翼マスゴミぶっつぶせ。日本人の歴史教育を見直せ。という機運も高まるのかも知れない。
むか~しに取り上げたことがあるんですが、かの平成元年。世界では何が起こったか。
2月、ソ連がアフガンから撤退し、パラグアイで軍事クーデター勃発。
6月に天安門事件が起こり、軍事政権が国名をビルマからミャンマーに変更。
11月にはベルリンの壁が崩壊し、チョコスロバキアで革命が勃発。
世界中で大激動の時代の渦中にありながら、日本ではゲームボーイ発売、などとwikiにある。まあ、リクルート事件で竹下総理秘書が自殺、なんてのもありますが、戦後日本はこうして世界の激動の中に取り残されてきたわけで、しかしだからこそ、ゲームを使って侮辱されると烈火のごとく怒り出すのかも知れない。え、逆鱗そこ?w って思わなくもないけど、逆に言えば、ここまで左翼によって歴史問題を汚されてきた、尊厳を踏みにじられてきた自虐史観の日本人にとっては慰安婦像などは耳に入れたくない、聞きたくない問題であり、半島人どもが騒げば、(∩゜д゜)アーアーキコエナーイ キキタクナーイ だったのだけど、黒人の弥助が偉大な武士だった、戦国の日本では首切りが日常だった! これが日本の正史だ! と言われるとさすがにそれはちげぇだろうが! と言えるのかも知れない。戦中ではなく、戦国時代という自虐しないですむところに火をつけられた。と言えるのかも知れません。
そう、戦時中の話であれば自虐にまみれた日本人も、さすがに戦国時代にまで自虐せねばならないいわれなどない。
そして、こうしてしみじみと世界を見渡すと、結局のところ、欧米人共が金科玉条のものとする、権利の観念、私利私欲こそが、世界をここまで毒してきたのであり、これある限り世界に本当の文明の光というものはないと知るべきであります。
「愛国心」
とは、天皇陛下のため、お国のため、故郷のため、家族のため、愛する妻や子のために命を投げ出す特攻隊にまで昇華されたのであり、これこそ私利私欲の正反対、公利公益だったといえるでしょう。
そして、そう見てみますと、滅私奉公、公利公益のために生きていた時の日本人こそが、大和民族の歴史においても、もっとも民族精神を発揮していたのではないか、と、見ることもできるでしょう。もちろん、それは私利私欲だけで生きている政治家や官僚のために死ねというわけではありません。決して、そうであってはいけません。そう言えば、今の日本で、公利公益のために働く政治家や官僚という存在など考えられないわけで、やはり、我々民草が愛国心をもって一命を投げ出すような事態は、やはりあり得はしないとは言え、しかし、自覚はあってしかるべきかと思います。
人間は、私利私欲ではなく、公利公益で生きたほうが、その本来の能力を十全に発揮できるという生き物なのだ、ということを。
と、「愛国心」を語り終えたと言うにはには少しばかりではない舌足らず感が否めませんが、欧米思考に染まりながらも、しかしそれでも、それを跳ね返すことができるのは世界で唯一、日本人だけだということがやはり証明されつつありますので、その心田を養う一肥料にしていただきましたら望外の喜びであります。
といったところで今宵はこれまで。
したらば。
『NEW GAME!』のOP・EDを聴きながら。
ゾイ!