イデオロギーって?
あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくおねがいいたします。
平成もいよいよ閉幕を向かえ混迷なるままに我が国は新元号を迎えようとしておるわけですが、新年ですから我が国我が王朝の弥栄を祈りたいと思います。
我が国に繁栄あれ。
不朽なる誉れあれ。
天縦の神聖なる皇室永遠なれ。
神々の御護りの途絶えることなかれ。
愚民どもに叡智を授けたまえ(シャア)。
こんばんはです。豊臣亨です。
では、新年一発目の老荘思想家のおっさんのこの戯言の場所ですが、イデオロギーとはなんぞや、ということで初めてみましょう。
いつものwikiに伺ってみますと、
イデオロギーとは、世界観のような物事に対する包括的な観念、であると書いてありますね。他にも、人々の日常における哲学的根拠、とも。
こう抜き出してみますと何のことかさっぱりな気がいたしますが、概要として、啓蒙思想から生まれた近代思考のひとつであり、人間は従来の権威に対して理性を保ち自由であり自己決定権をもつ、との立場から政治的には政府に対する自立、つまり国民主権や民主主義、経済的には私的所有権と自由市場による資本主義などの思想や体系の基礎となり、またそれらの総称ともなった、とあります。
この文面を伺うだけならば、反体制派、無政府主義等々のことであり、旧態依然とした支配体制に対する反抗から発生した必然としての民主主義や、個々人が自立することによって必然生じうる、経済的所有物と世界的に拡大した経済観念の思想体系、といえるでしょう。しかし、これを伺うだけなら全体主義やそれに総括されうる社会主義、共産主義は見えません。
コトバンクを伺いますと、こうあります。
今日では、一般にある階級・集団・組織などが社会的利害を糊塗しつつ、自らの立場を正当化しようとして形成する信条・観念の一体系を、イデオロギーと呼ぶ。その意味では科学もイデオロギーとみなしうる、と。
これを伺いますと、イデオロギーを見る上で逸することのできないマルクス主義に明らかなように、自身を正当化し、他者を面罵し、それを打倒し屈服せずんば気がすまない、というのがイデオロギーであるかのように見えます。
まあ、科学もその始まりは哲学の一形態といいますから、十二分にイデオロギーの範疇に入るのでしょう。例えば、自身の立場を糊塗して、政治家に判断を丸投げして核開発を正当化していたように、科学者も十分そう言いえるでしょうね。
19世紀に興り、フランス革命によって花開き、世界を席巻し、毒し、今なお日本にはびこり続けるこのイデオロギーなるものは何なのか。平成も今上陛下の御退位によって幕を閉じ新たな元号が始まるわけですが、いまだにイデオロギーのごときが幅を利かせておるようなこの国に新たな風の吹かんことを願って、日本人のニュータイプ覚醒を願って新年始めのこの一文といたします。老荘思想家のおっさんは語りたい。
いまだに日本ではネトウヨだのブサヨだのイデオロギーが消え去りませんが、そもそもイデオロギーとは西洋の歴史から湧いてでたものであり、東洋の深遠なる叡智から出たものではない、ということを忘れてはいけません。
つまり、以前からみてきたように、西洋というのは歴史的に、支配者と被支配者が決定的に断裂しておるのであってどちらも時間的にも理念的にも融和することも一体化することもないであろう、いわゆる階級闘争が宿命づけられた存在であろう、ということであります。その歴史の中からイデオロギーなるものが、虫のごとく湧いてでた。
その点、日本の歴史とは天地の相違があるわけです。
日本は天孫降臨があって、神武天皇が大和の地に何とかかんとか王権の基礎を築き、その後は皇室あって人々があった。皇室のない日本の歴史などありえないわけです。その後、皇室は実質的な支配権力からは隔絶されるも、しかしむしろ、支配権力から隔絶されることによって本当の意味における権威となって日本の歴史で人心の鎮護となりました。
ある意味、皮肉なお話ですが、我が国の皇室は藤原道長や、平清盛、豊臣秀吉のような実質的な支配者の後ろ盾となることによって政治的な問題からはある程度は隔離されつつも日本人の権威となりえた。
本当の支配者ともなればそこにはどうしても現実の問題に対し矢面に立たねばならないのですが、皇室はその一線から退くことによって実質的な権力は失うも不可侵の権威として人々の無上の求心力を得た。さらに、皇室を転覆して自身が取って代わろうという不遜なものの出現がほとんどなかったことによって(日本人ならある意味当然とも言えますが)天孫降臨の神話時代から今に至るも連綿と続く、という世界史における奇跡の王朝が実現したわけです。
権力は失うも、神聖不可侵の権威となることによって、天皇は常に国民の安寧と繁栄を祈るという、神々を祀る本来的な祭祀長としての立場を守り続けた。例えるとローマ教皇のような存在です。ところが、西洋のように王権と教権の対立がない。権力はなくとも立派な王権が教権を持つわけですから。
西洋は真逆に、例えば神聖ローマ帝国の皇帝と、ローマ教皇の対立と抗争、またその両方からの支配と搾取に悩まされる人々、という常に支配者被支配者の対立があり、また西洋文化の特徴として個々人が伸展せねば気がすまない。よって、王権、教権の他に、商権の存立もあって都市ごとに独立し王権、教権と対立する。
西洋ではさらに恐ろしく広大な大陸と、それによる民族の移動と他国家の侵略と、常に不安と困窮に悩まされてきた。
さらに、西洋の中世というのは大変な時代であり、キリスト教によって強固に人々は思考を制御され統制された。そのひとつが魔女狩りであり、妄信的な教条主義は古代ローマ時代よりも科学的に劣ったとか。このキリスト教の妄信的な教条主義によってどれほど西洋の発展が阻害されたかはかりしれないとされます。
それが大航海時代によって、人々は世界の広大なることを新たに知り、科学力の偉大を知り、我がまま勝手をする王権とキリスト教による妄信的な教条主義とに対し、思想的にも文化的にも反旗を翻すことになる。
徐々に徐々にと、西洋は近代思考を身につけてゆくわけですね。
その先駆であり成果が哲学であり、科学は哲学の一派生であり、この科学の発展こそが西洋の発展の根幹であり屋台骨であった。哲学の伸展と科学の伸展は同時進行なわけです。どんどん世界の拡大、知識の増大と、比例して科学と哲学による思考が拡充していった。
その点、東洋文化の一大特徴は内包、深蔵であり、いかに精神的に荘厳なることであるかを最重視いたします。なので個人としての完成を何より大事にする。しかし、西洋文化は発展分化を目指します。つまり、哲学や科学の発展、伸張、派生になる。
そういった西洋文化が勃興することによって哲学、科学の発展とともに、今見た「人間は従来の権威に対して理性を保ち自由であり自己決定権をもつ、との立場から政治的には政府に対する自立、つまり国民主権や民主主義」という概念を生み出したわけです。
この支配からの卒業、とやらで、ありとあらゆる支配から脱却せずんばやまない。
そして、だからこそ、この脱却には力強い援護が必要であった。
その力強い援護こそが哲学であり、イデオロギーであり、それがフランス革命によって花開き、議会における右派、左派の対立と分裂、その闘争、抗争がイデオロギーの流れなわけですが、さすがにそういった詳しい歴史的顛末は他書に譲るといたします。
そしてまたまた長文を引用させていただくことになりますが、やはり今回も安岡先生にお伺いいたしたいと思います。安岡先生も昭和の始めに国家の政策に参画されて、国粋主義だの軍国主義だの政治家、官僚、軍人だけでなく様々な運動家、活動家と接触されてイデオロギーの渦のど真ん中にあったようなお方です。そんな安岡先生がイデオロギーをどのように捉えたのか。それを伺うことも長い人生では無益なことではないでしょう。お暇な人は寄ってみてってね☆ミ
今回はこの書「活学講座」 致知出版社 p12
人間は人間の本質を変えねば救われない
「さて、これはこの講座でも幾度か述べました様に、私は中学は四条畷に学んだのでありますが、当時の私は太平記や日本外史というようなものを殊に愛読致しまして、暇がありますと、河内・大和・紀州等の各地の史蹟を歩きました。
そしてしばしば少年の心に感じましたことは、どうしてこういう偉い人々がこの様に非命に斃れたり、或はどうして人間というものはこの様に争って悲劇を繰り返すのかということでありました。
そして大正五年に四条畷中学を出て、第一高等学校にはいったのでありますが、丁度、その時第一次世界大戦が始まっておりました。これは世を挙げて左様でございましたが、私も私なりに非常な衝撃を受けました。そのうちに世界史を学ぶにつけても、改めて感じさせられる事は、どうして人類がこんなに戦さをするのかということでありました。
それからだんだん発心致しまして、何とか人間の繰り返し繰り返してやまない興亡・栄枯・盛衰の歴史、真実を究めたいという衝動にかられて、とうとうそれが病みつきでその研究に没頭して、今日に及んでしまったわけです。
そのうちに第一次大戦が終わりますと、ヨーロッパその他から戦後のあらゆる頽廃的、或は破壊的思想や運動が怒涛のようにわが国に押寄せて参りまして、私も身を以てそれを体験致しました。その日本の国事の変遷の中に身を投じて、いろいろ内外政治の機密にも触れ、参画も致しました。時には外国にも出向いて、東洋問題の専門家や当局者に直接接触し、議論も致しました。
そうして沁々感じたと言いますか、考えました結論の一つは、人間というものは手段的なものや理論的なものでは結局どうにもならぬ、人間は人間の性質を変えるより外に救われる方法がないということです。
これは私が到達した結論ばかりではなく、そう気がついて勉強しておりますと、古今東西尊敬すべき偉大な哲人や学者達が、もう枚挙にいとまなく同じことを教えてくれておるのであります。
例えばこの間亡くなりました、世紀の偉人等と称せられておりますアルベルト・シュワイツァーや、或はガブリエル・マルセルという様な人、又共産主義に愛想をつかして次第に哲学・神学にはいって往って、世界的にその名を馳せたベルジャーエフであるとか、アメリカのみならず世界の社会学会の指導者であるソローキンであるとか、こういう人々はその辺の本屋をのぞかれたらすぐ目につく現代の学者・評論家の代表的な人々でありますが、これらの人々の著作を丹念に読まれたならば、結局人間は人間の性質を変えるより外に、卑近な言葉で言いますと、根性をたたき直さぬ限り救われない、ということを説いておることがよくわかるのであります。
私はここ数ヶ月、回を重ねて『師と友』に「尽己の学」というものを載せて参りました。尽己とは詳しく申しますと、自反尽己ということであります。自分が自分に反って、自分の中に潜在しておるものを十分発揮する。先哲の学問も本質的には自反尽己という言葉に尽きるのであります。われわれは自分を棚に上げて置いて、他人のことや世間のことを兎に角言ってみたところでどうにもならん。
で、話ばかりでも忘れがちでありますから、それらの人々の文章の一説を引いて説明することに致しましょう」
究竟目的
<自然科学の中で最も自然科学らしい医学を研究してゐて、EXACTな学問といふことを生命にしてゐるのに、何となく心の飢を感じてくる。生といふものを考へる。自分のしてゐることがその生の内容を充たすにたるかどうかと思う>
妄想――鷗外
「これは森鷗外の文章の一説であります。鷗外と言っても、もう今の若い人には漱石や露伴と同じ様に古典になっているそうでありますから、余り読んでおらぬかも知れません、いや、知らぬ人が多いかも知れませんが、われわれの青年時代には本当に生々とした交渉がありました。
申すまでもなく鷗外は元来医学者でありますが、その医学者がEXACT(精確)な学問ということを生命としているのに、何となく心の飢を感じて来る、生というものを考えると言う。ここが大事なことでありまして、生というものを感じないような学問は、要するに自反尽己の学問ではないということであります。
これで初めて鷗外という人が、真面目で、真実の自己に生きた人であったということがわかるのであります。
次にジョン・スチュアート・ミルの述懐、告白の言葉を読むことに致します。申す迄もなくミルは、イギリスの知識階級の家庭の典型的なジェンツルマン教育を受けた人で、本当に知識人・文化人の優等生の見本の様な人であります。これを一読すれば、私が感動を受けたことを説明しなくとも、皆さんの胸にも響く筈であります」
<一九二六年の秋J・S・ミルは一種の倦怠と憂愁とに憑かれた(二十一歳)。彼は十五歳から人生の目的ともいふべき一つの目標を追求し始め、世界改造者を志し、全能力をあげてこの問題の研究に注いだのであるが、ここに至って一日彼はふと自問した。
――人生に於けるあらゆる汝の目的が実現されたと仮定せよ。汝の期待している社会機構並に輿論上のあらゆる改善が今この場で完全に実現されたものと仮定せよ。果して然らば汝にとってこれは大なる喜びであり幸福であるか。すると抑えきれない自意識が明確な声で答えた。
――否>
J・S・ミル
「一九二六の秋というのでありますから、ミルが二十一歳の時であります。世界改造者を志して全能力をあげてこの問題の研究に注いだとありますが、彼の改造思想・革命思想というものは、丁度私共の学生時代に一世を風靡したものでありまして、それだけにこのことが身に沁みてよくわかるのであります。
その彼が一日ふと自問した、「人生に於けるあらゆる汝の目的が実現されたと仮定せよ。……果して然らば汝にとってこれは大なる喜びであり幸福であるか」と。すると抑えきれない自意識の答えが「否」ということであった。ここに彼の真実な人間であったことがよくわかるのであります。
今日もこの現代の改造問題・革命問題に狂奔しておる人々が随分おります。それらの人々は大演説をやり、大論文を書いて、盛んに社会の改造や革命を論じておる。われわれも亦そういう声に耳を傾け、そういう論文・論説に目を曝して来た。
然し果して人間がそれによって救われるのかと言うと、最初に申しました様に、「否」であります。そういうもので救われるなどと考えるのは極めて浅薄な思想であり、極めて未熟な人間であると言わなければならない」
主義なるもの
<我々の主義なるものは恐らく我々の欠陥に対する一種知らず識らずの弁護に他ならないであろう。我々の眼から自分の未練を持つ罪業(our favourite sin)を隠蔽することを目的とする大見栄に他ならないであろう>
アミエル
「これは美しいスイスの自然に相応しい詩人であり、哲学者であったアミエルの日記の一説であります。favourite とは好感を持つということで、人は罪業と言いながら、その罪に多分に愛着・未練を持っておると言う。実に鋭い、身に沁みると言うか、骨にひびくと言うか、痛切な観察であり批評であります。
私は学生時代から随分いろいろな主義者・理論家に会いました。しかし会って親しくなってみると、大抵失望を感じる。それはその人と、言うところの思想・言論とが一致していないからであります。あの人間のどこを押したら、ああいう音が出るのかと、お話にならぬ矛盾が多い。
これは理論でも政策でも同じことでありまして、なかなか人間というもの、世の中というものは複雑で、簡単に律する事の出来ないものであります。殊に虚偽・粉飾・偽装というものが多過ぎる。
その意味に於いては右も左も似た様なものであります。最も熱烈なマルクス・レーニン主義でもそうであります。組合会議に出ておる間は熱烈な共産主義者であるが、会議が散じて自分たちだけの雑談になると、みんな虫の好い自由主義者になってしまう。そしてこの連中が家に帰ると、話にならぬ封建的暴君に変ずる、とまあ、これは組合運動の闘士達がしばしばお互いに語り合っているところであります。世間の人間というものは兎角そういうものであります。
然しこれでよいのでしょうか。そういう人間によって唱えられる〇〇イズムだとか、イデオロギーだとか、いうものに一体どれだけの価値があるか。仮りにこの人間が政権を取って、その唱道する処の政策を実施して、それで人間・社会が救われるのか。スチュアート・ミルではないが、答えは言うまでもなく「否」であります。
この頃の日本の国会の有様をご覧になればよくわかります。さすがに新聞でも、所謂車夫馬丁も恥づるようなという批評をしておりましたが、ああいう人々によって如何なる政策が打ち立てられ、如何なる約束がなされようとも、それでわれわれは救われると考える人間はおらぬだろうと思う。人間は人間を変えるより外にどうにもなるものではない」
本物の学問は人間を変える
「然らば人間は人間を変える事が出来るのか。これをよくし得るものが本当の学というものであります。
勿論この学問は、学問と同時に、真理は実践と一致すべきであるから、求道・修行と離るべからざるものであります。単なる知識としての学問では駄目である。教育も単なる知識・技術の教育は本当に教育ではない。そういうものは所謂レーゼ・マイスター(Lese meister 知識・読書の師のこと)でありまして、レーベ・マイスター(Lebe meister 人間の師のこと)ではない。
われわれのレーベン、人間そのものを変える学問をすれば、人間は確かに変わる、変えられる。
これをやるより外にわれわれを救い、世の中を救い、人間を救うことは出来ない、という結論・確証にこれらの先哲達が一生かかって到達したのであります。鈍物は鈍物なりに私などもそういう経験をした一人であります。
従って先哲講座というものは、単なる知識や手段の学を講ずるところではなくて、すでに実証されておる先哲の人間・人格・行跡を通じて、人間を変えることの出来る学問をすることであります」
人間の本質は特性に在る
「われわれ人間を解剖致しますと、これもこの講座で幾度か触れたことでありますが、一種の本質的要素と二種の附属的要素に分けることが出来る。本質的要素は人間の特性というものであり、附属的要素とは知性・知能、及び技能というもの。それからもう一つ大事な要素は習慣というものであります。
人間は知能や技能の働きによってこういう立派な文明・文化を創り上げて来たことは言うまでもない。しかしこういう知能・技能によって得た知識や技術を持っておるからと言って、それでその人物が偉いと言えるかどうか。これは考えれば直ぐわかることであります。つまりそういうものは人間の本質的要素ではないからであります。
これがなければ人間は人間ではない、というものが本質であって、結局それは徳性というものである。人が人を愛するとか、報いるとか、助けるとか、廉潔であるとか、勤勉であるとか、いうような徳があって初めて人間である。又その徳性というものがあって、初めて知能も技能も生きるのであります。
若しこの徳性に欠陥があったならば、折角の知識・技術も人間を害する危険なものになってしまうかも知れない。原子力というものを開発した科学・技術は本当に偉いものであります。しかしこれを間違った精神で用いたならば大変なことになる。人間の心掛けによって正反対なことになるのです」
福と偪
「その意味で東洋の文字学は、福という字を考えて作っております。福という字の旁=畐は、人間が努力して収穫した物の積み重ね、即ち蓄積を著す形象文字であって、その蓄積の神の前に供えることの出来るものが福であります。
自分の心掛けによって神の前に差出す事の出来る蓄積、これが本当の「しあわせ」であります。自分の努力や心掛けによらず偶然に得たものは、如何に都合の好いものであっても、それは幸であって、福ではない。
この畐が神の前の福ではなくて、人の前の畐、即ち偪になったらどうなるか。偪という字もやはり「ふく」とか、「ひつ」、「ひょく」という音がありまして、第一は「せまる」という意味であります。自分の持っておる財産だとか、地位だとか、或は名誉だとかいうような蓄積で、どうだ俺は偉いだろう、貴様はなんだ、というわけで人に「せまる」ことです。
更に「倒れる」「ひっくり返る」という意味に使う。人間・柄にもない地位や財産などを持つと、威張って、そして自らひっくり返る。示偏と人偏とではこれだけ違うのであります」
良い習慣を積む
「要するに人間大事なものは、その心掛・心境・真実というものです。即ち人間の本質は徳・徳性というものにあるという事です。従って学問の本義というものも、自反尽己、その人間そのもの、徳・徳性を養う、練磨するということにあるのであります。
然しそれには平生に於いて良い習慣をつけるという事が大事でありまして、刹那的では、どんな能力・才能も確かな効果を挙げることは出来ません。俗に言う年季を入れなければ、到底立派なものになりません。
百姓でも商売でも、十年、二十年と久しくなればなる程習慣が出て来る。『論語』にも「久しうして人之を敬す」と言って久敬ということを礼賛しておりますが、人間は久しうしなければいけない、良い習慣を積まなければいけない。
この徳性・良習というものを忘れて、主義とかイデオロギーを振り回したところで何にもならない。その主義・イデオロギーというものが人間の徳となり、人間そのものをつくって行って、美しい言葉となり、動作となるようにならなければ、アミエルの言う通りの主義やイデオロギーになってしまう。どうかすると自己の欠陥をごまかす手段に過ぎなくなる」
為学の要
「このことは王陽明が実に適切に論じております。即ち、
<天下の事・万変と雖も、吾が之に応ずる所以は喜怒哀楽の四者を出でず。此れ為学の要にして、政を為すも亦其の中に在り>
「この通りであります。よく人は学問とか修行とかいう事を間違って、喜怒哀楽をしなくなることだと誤解するが、決してそうではない。それでは学問・修行というものは非人間的なものになってしまう。学問を為す要は、いかに喜び、いかに怒り、いかに哀しみ、いかに楽しむかというところにある。
この陽明の言葉を別の言葉で言ったのが、よくこの講座で朗誦する荀子の「自警」の言葉であります。
<それ学は通の為にあらざるなり。窮して苦しまず、憂えて意衰えざるが為なり。禍福終始を知って惑わざるが為なり>
「通とは通達するということです。学問というものは決して出世や生活のための手段ではない。窮して悲鳴をあげたり、心配事のために直ぐぺしゃんこになるようでは学とは言えない。何が禍で何が福であるか、如何に始まり如何に終るか、ということを知って惑わざるが為である。
こういう徳性・良習の本質的学問をやって、知能をそれによって練磨してゆくならば、どんなにでも人間は人間を変えることが出来る。人間を変えることが出来るならば、政治を変え、世界を変えることも決して出来ないことではない。これは具体的に古今にいくらでも例証することの出来る問題であります」
大塩中斎と気質変化
「例えば、この大阪の土地に関係の深い大塩中斎(大塩平八郎のこと)がそうであります。中斎は自分の学問・求道に五つの原則を掲げておりますが、その中の一つに、気質を変化するということがある。持って生まれた自分の性質・根性を変える、つまり学問によって人間を変えるということでありますが、それを一つの眼目にしておる。
これは中斎の心酔した明末の哲人であり、陽明学者であり、模範的な役人であった、呂新吾という人の『呻吟語』という勝れた語録の中に出て来る言葉でありまして、呂新吾の学問の一つの眼目になっておる。
中斎はこの言葉に文字通り心酔致しまして、佐藤一斎に宛てた手紙の中に、「自分はこれを読んで、長い間苦しんでおった病気に針を刺した如く、胸のつかえがすっと取れたようになった」と、それを読んだ時の感想を書いております。
この気質を変化することが出来なかったならば、改造だの革命だのというものは止めた方がよい」
人間そのものを変えない革命は悲劇に終わる
「今日も依然として革命論というものが大変流行しておりますが、これは戦前と戦後では大分違う。戦前は理想的に考えて、革命というものは好いものだ、とこれを謳歌する傾向が強かったのでありますが、戦後、科学的研究の発展が歴史の上にも応用される様になり、いろいろの文献が発掘され、吟味されるにつれて、革命というものは決して理想的なものではない、ということがだんだんわかって参りました。
革命には革命に伴ういろいろの罪悪・残虐があって、革命以前よりももっと悪い革命が随分ある。
ベルジャーエフなども、革命というものは、根本的に人間そのものを変えるものでなければ、いつまで経っても新しい世界はやってこない。深刻な憎悪や復讐心に燃えてやるような革命であったならば、結果はいつでも悲劇である、と堂々と論じておるのでありますが、これは苫小牧や三池の争議を見ればよくわかることであります」
ここらでよかろうかい。
この言葉、便利ですねぇ(笑)。
改めて解説する必要など何にもなく、本当に分かりやすく、凱切(本当に適切なこと)な教えがちりばめられているではありませんか。
この安岡先生の言葉がもっと世界に普及しておれば、20世紀の世界は大きく様相を異にしたでしょうにね。
老子も言っていますね。
<大道ははなはだ夷らかなるも、しかし民は径を好む>
大道、本当の、人が歩むべき、進むべき道はこんなにも広くまっすぐに続いているのに、しかし、民は余計な小道を好む。そして、いつも本質を失い結局自分自身をすら見失ってしまう。
古今の、本当の生き方をした方々が、自身の人生を使って、自分の人生によって、真実とはこうだ、と教えてくださっているのに、それを素直に耳を傾けることは、そんなに苦痛なることなのでしょうか。
『西郷どん』の大河ドラマも終わりましたが、大西郷の行った道は、そんなに行いがたい、近づきがたいことなのでしょうかね。明治の元勲が西郷をもっと容れることができれば、どれほど日本が変わったか。本当に、大道は広く大きいのに、民は小道を好みます。
最後に、わたしも好きな、王陽明先生のこの言葉をみて終わりといたしましょう。
<山中の賊を破るは易く、心中の賊を破るは難し。区々が鼠窃を剪徐せしは何ぞ異とするに足らん。若し諸賢心腹の寇を掃蕩して以て廓清平定の功を収めなば、これ誠に大丈夫不世の偉績なり>
山中に掬う賊を滅するのは簡単だが、心中に掬う賊を滅ぼすのは難儀だ。
区々(自分自身をへりくだってこう言う)、わたしが鼠窃(盗賊のこと)、盗賊を剪徐(退治すること)、斬って打ち破ったことなど、何ぞ異とするに足らん、別に大したことでもありません。
もし諸賢、貴方達が、心腹の寇(腹の中、心に掬う賊)、腹中、心中に掬う強欲だの我執だのを残らず滅ぼし、そのまま、廓清平定の功(世を払い清め平和をもたらす大仕事)、世の悪を退治し、天下に平和をもたらすほどの正義をなしたのならば、
これ誠に、大いなる人物、世に稀なる偉大な業績である。
こういう教えをひとつひとつつまびらかにして、己の心中に潜む毒虫を、ひとつひとつ潰してゆくことが出来るのならば、確かに、イデオロギーといえどそれは偉大なる大仕事に繋がるのでしょうけどね。
って、イデオロギーについて何にも語ってもいませんが、安岡先生から大事な教えを伺ったのでこれでよしとします(笑)。
今年ものんびり戯言いたす所存にて。