『現代活学講話選集4 人生の五計』 のおまけ。「ソワーカー」
おこんばんはです。豊臣亨です。タイトル通りのおまけをちょびっと。
ってか、わたしのFC2ブログを見ようとすると、セキュリティ警告が出るんだがw いや、ウイルスだのマルウェアだの仕込んだ覚えはないぞw んな能力もないし。まあ、悪意あるもの好きが何か仕込んだんでしょうけど、そもそもわたしのブログを見るもの好きなんていやしn(ry
では気を取り直して参りましょう。p65
「世の両親というものは、案外くだらんといったら気の毒だけど、抜けておるのが多い。二、三度何かの同志の会で話したことがある。私は忘れもせんが、うちの近所に伝通院という名高いお寺がある。そこで知人の葬儀が行われた。
お参りをして焼香が終わって、帰り道をずっと門まで道が長いんですが、私の前を親戚か親しい友人夫婦なんでしょう、私の後にいたいけな子供、まだ幼稚園くらいの子供を連れた夫婦が帰っていく。その子供が頓狂な声を出して、「ソワーカーって何だ」と言ってお母さんに聞いた。これは般若心経を聞いて、終わりのあの言葉が耳に残ったに相違ない。
「ソワーカーって何だ」
とまた聞いている。面白いなと思って、私はお母さんが何と答えるかと、足を止めて耳を傾けたが、お母さんの口をついて出た言葉は、
「知らないね」
のたった一言であった。
これはいかん。せっかく子供が、「ソワーカーって何だ」と聞いたのだから、知らなくてよろしい、「知らないね」と突っ放すということは、これはいかん。それこそ断絶だ、断絶の時代だ。
そうすると、子供はすぐ親父のほうを見て同じ質問をした。そうしたらこの親父は言下に、
「お経だよ」
と答えた。これまたナンセンスだ。だいだい世間の両親というのは、これなんだ。それだから子供は良くならん。知らなければ知らないでいいんで、お経だぐらいのことは分かりきっていることなんで、言う必要もないことだ。
「なるほど、それはお母さんも知らない」
「知らないから、良く勉強しような」
「お前は偉いね、そんなことが耳に残ったのか」
と言ったら、子供はそれで満足するでしょう。
親たちにそれだけの心掛けがないんだから、何をか言わんやだ。子供が悪くなるのは当たり前だ。良くなるほうがむしろ不思議と言わなきゃならん。この一事をもって、世の中の万事を卜(占う)するに足る、と言うたが、だいたいはみんな知らんのじゃないか。専門的に言うといろいろ意味があるが、平たく言うと、仏様に駄目を押すことである。
「そうでしょ、そうでございますよね」
と、駄目を押す言葉です。そうだよなとか、そうじゃないかといったような、駄目を押す言葉として「薩婆訶」とあるんです。
ある信者の婆さんが明治の禅門禅界で名僧と言われた西有穆山(1821~1910)という方を訪ねた。この耆宿(学徳の優れた老人)は曹洞宗の総持寺住職で天皇の勅により直心浄国禅師の号を賜っており、近代稀有の道元禅の奥義を極めた人といわれております。横浜の西有寺というお寺におったが、その婆さんが西有穆山老僧のところへ行って、何か一つ心得になることを教えてくださいとお願いしたのです。老僧はよしよしと、お前は一生この呪文を唱えろと言うて、こう書いて与えた。
「おんにこにこ、はらたつまいぞや、そわか」
と。「怒るなよ、そうだよな」ということであります。これはいい施しだと私は思った。「薩婆訶」とはそういうことなんだ。
ちょうど子供がいい質問をしたんだから、そこをつかまえなきゃならんのに、一方は突っ放す、一方は誤魔化す。おそらく子供は非常に寂しかったろう、不満だったろうと思う。それほど意識はしないけれども、深層意識ではすでに両親に対する反発あるいは軽蔑が起こったに違いない。そいつが大きくなるといろんなことになってくる、千変万化するんだから」
短い文章ですが、ここに非常に大切な教えがあることがわかるでしょうか。
これも結局、人が人を敬することのなくなった事例であり、こんなことが日本中いたるところでやっておるんだから、日本人が、日本がよくなるはずがないんですが、悲しいかな、今の日本人には分からん。
これに似たことはわたしにもたくさんありますが、その中でもいまだに記憶に残っていることがあります。
それはわたしがガキンチョの頃、小学生の頃でしたが、同級生にこう聞いたことがあります。
「なんで寝る時には寝入る記憶がないんだろう?」
と。そうすると多くの同級生は、
「これから寝る人間にその瞬間の記憶なんてあるわけないじゃん」
みたいなことを全員から言われた記憶があります。
なんでだ? 起きている意識が寝入るその瞬間の意識・記憶がなくなってしまうのだと、なんでみんな、当然のごとく把握出来ておるんだ?? みんなすでにその当時から老成された思考と人生経験をもっておって寝入る瞬間からすでに意識を手放しているということを当然のごとく、理解しておるのか??
なんで誰も疑問に思わないのか。
こういう何気ない疑問に答えを見出す行為が、それが有意義であれ無意味であれ、その思考の変遷、思考の過程こそが面白いのに、誰も疑問に思わずそれをさも当然のこととして受け入れておる。
ガキンチョのわたしは非常に寂しく思った記憶がいまだにありますが、そう考えますと、同級生は、心のない親によって、すでに突き放された教育を受けておるから同じような人間になってしまったのやも知れません。哀れなものですが、ミイラ取りがミイラというとなんですが、トンビがタカではなく、カエルの子はカエルにされてしまって、同じ程度にされてしまって、そのことにも疑問も不快感も抱かないような存在に成り果ててしまった人間なわけですから、同情しても仕方のないことなのかも知れません。
ちなみに、安岡先生は、「深層意識ではすでに両親に対する反発あるいは軽蔑が起こったに違いない。そいつが大きくなるといろんなことになってくる、千変万化するんだから」とおっしゃってますが、むか~しみたTVで、性犯罪者だの凶悪犯だのに、退行催眠を受けさせてみたところ、そういう人間はたいがい、子供の頃に虐待を受けていたとか、そういう深層に潜んだ心理によって、手に負えない犯罪者になっているのだ、ということをやっていた記憶がありますね。
何でも、出産時の、産道を通ってくる時に非常に痛く苦しい思いを赤子も味わうのだそうですが、その痛いとか寂しいという記憶が、本人にも理解も把握もできない深層に閉じ込められて、それが大人になってからの犯罪者意識に変換されていくのだそうです。
人間心理はどのように千変万化するか分からないわけですね。
だからこそ、子供という一番大事な時に、「お経だよ」と投げやりに言われてしまうのがどれほど失望感を味わわされることでしょうね。
こういう、安岡先生の講義、講演をみた人はたくさんいるでしょうし、書籍にもなって出ているのに、まったく日本人には理解できないのだからこの民族はどれほど情けない民族なのであろうかと思わざるを得ません。理解できないどころか、いまや日本の至る所、それこそ宝塚歌劇団にいたるまで過労だのパワハラだのいじめだのが蔓延する始末。日本人はどこまで腐れば気がすむのやら。まあ、年末に愚痴るのもなんなのでこれくらいでやめますが。
こういう時、心ある人間、ものを考える能力のある人間なら、己の、この腐った性根を叩き直さねばならない、と思うのです。
世の中が腐っておるのなら、まずは、己の腐った性根を叩き直さねば差別化がはかれん。偉そうに言えん。
王陽明先生の、
【山中の賊を破るは易く、心中の賊を破るは難し】
の言葉の通り、非常に難しいことではありますが、世の中が腐っておる、非常に不快であると、思うのならば、腐った己の性根を叩き直さねば言っておることとやっておることが違ってしまうのです。
言うだけで何もしないヘタレになるために生まれてきたと思うのならばそれでもよいのですが、今の日本の惨状を見て、こんな人間にはなりたくないと思うものならば、安岡先生の書を読んで、心を練る訓練、鍛錬を行ってほしいものであります。
年の瀬、一年の終わりだからこそ、新しい年を迎えるその端緒、準備、始まりとして、もしくは心の大掃除として、そういう決意もあってしかるべきではないでしょうか。
せっかくの自分の人生だからこそ、もったいない己の人生だからこそ、心掛けをよくしたいものであります。-人-
といったところでこんばんはこれまで。
したらば。