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『現代活学講話選集4 人生の五計』の「敬」



 日々、ニュースをみておりますと、殺しただの、犯しただのという事件が途切れることがない。それ以外にも戦争だの、炎上しただの、まことにこの時代、この世界の人間のレベルをここまで如実に示していることもないでしょう。


 年の瀬に至って、これに対して痛憤、義憤するような声が有識者から上がるのは当然としても、本来なら民間から澎湃(ほうはい)として上がらなければいけないのに、そんな声を聞くことはない。もはや、庶民のすべてが、そういう感性もなくなってしまったのでしょう。文明の末期症状というのはこういう次第かと慨嘆させられます。


 せめて、かつて、偉人はこういう言葉を遺していたのだ、という声に耳を傾けて、過ぎ去りし過去に思いを馳せる他ありますまい。


 おこんばんはです。豊臣亨です。


 さて、今回の丸写しは。




『現代活学講話選集4 人生の五計』 PHP文庫




 安岡先生の書を◯っと丸写しいたしましょう。そして、その中の「敬」に着目し先生の教えを伺ってみたいと思います。わたしもずっと敬の重要さを申し上げてきましたが、先生のお言葉をそのまま味識いたしますのも、もっとしみじみと深く味わえるかと存じますので、今回も◯っと丸写して見たいと思いまする。p132




「敬」




「今まで家庭という時に、共通した長い、久しい欠陥の一つは「愛」が(もっぱ)ら説かれて、「敬」ということがなくなってきておるということです。


 子供というものは、本能的に分けて言うならば母に愛・慈愛、父に権威・尊敬・敬慕、こういう念を本能的にもっておるものである。


 私はよく言うのですが、人間と単なる動物とを区別する最も根源的なボーダーライン、境界の大事なものは何か。これを()くすれば、人間は人間の形をした獣になってしまう。これあるによって、人間が万物の霊長であるという境界を成す大事なものは何かというと、それは「敬」と「恥」であります。


 愛ではない。


 愛というものは、これは発達した動物になるとある程度もっている。特に高等動物となると十分に認められる。人間に根本的に大切なものは愛よりもむしろ「敬」と「恥」、この二つであって、これを失うと、人間はあきらかに動物並みになる。人間という獣になる。しかも他の動物がもっておらぬ知識だの才能だのといういろいろなものをもっているから、これはどうも難物になる。


 その獣類から人間を進歩せしめた造化の秘密は何か。造化が長い間かかって努力して、天地の心を立つ。天地が長い幾億年もの造化の苦労を積んで、ようやく人間というものを創造した。内面的に言うならば、心霊の世界というものを開いた。つまり平たく言うならば、心を立てた。天地のために心を立つ、あるいは天地心を立つを成す。その心の最も人間的なもの、他の動物と違うキーポイントは「敬」と「恥」であります。


「敬」するということは、自ら敬し、人を敬するということ。敬という心はより高きもの、より大いなるもの、偉大なるものに対して生ずる。つまり人間が進歩向上の心をもっておることだ。その人間が本具しておる進歩向上の徳によって、人間は自ずから、進歩向上の対象を創造する。創ることに対して、敬という心が生ずるのである。だから、進歩向上する人は、必ず偉大なる目標に向かって進まんとする。


 その進歩向上せしめる的になる者に対して、われわれは敬の心を生ずる。敬するということを分からない者には進歩がない。向上がない。


『論語』にもあります。



子游(しゆう)、孝を問う。子の曰く、今の孝は是れよく養うを謂う。犬馬に至るまで皆よく養うことあり。敬せずんば何を以て別たん】



 と。ただの愛だけでは動物でもあるもので、敬が生じなければいかんと力説しておる。カントの道徳哲学というものは言い換えれば、「敬の哲学」と言うてよろしい。カントにしても、フィヒテにしてもそれは言える。この敬とそして恥、敬することと恥ずることが、一番人間の根本的、根源的な徳であります。敬することによって向上がある。


 恥ずることによって規律、自ら律するという規律というものがある。この敬するということを建前とすれば、これが展開するとやがて信仰・宗教というものが発達し、恥ずるという内省的なものが建前となると、道徳というものになっていく。


 となれば、宗教と道徳とはもともと一体のものであって、建前が違うだけのものである。宗教という時には敬が主となって、つまり表に立って、恥ずるという道徳はその中に含まれる。道徳という時には恥ずることから生ずるところのいろいろの規律というものが表に立って、敬するという宗教のほうが中に入る。もともと一体のものの表現の相違にすぎないんで、宗教と道徳とを截然(せつぜん)(物事をきっちりと分けること)と二つに分けるという考え方は概念の遊戯であります。


 これらのことが日本語には実によく表現され、しかも使いこなされておる。まさに日本語の特徴の一つである。敬するということは、すなわち偉大なる目標をもつ、進歩向上の目標をもつということですから、そこで敬することを知ると、その敬の対象に近づこうとする。できるならば、それに親しみ、一つになろうとする。


 そこで敬する、敬うということを日本語で「参る」という。神に参る、仏に参る。これがだんだん普遍化して、「父の家に参ります」という具合になった。やがて「何々して参ります」とも使われるようになった。非常にいい言葉であります。


 西洋で男女が愛する、ラブとか、リーベンとかいう言葉がたくさんありますが、日本では「参る」というのです。西洋の「愛する」という言葉の中には、敬がない。日本語は愛することを参るという。例えば「俺はあの女に参った」と言う。これは女を愛することよりも、もっと進んで、あの女は偉いと、自分は頭が下がるということなんです。だから「愛してる」なんて言うのでは駄目で、「参った」と言わなければ本当の愛ではない。


 ことに女が男に参ったというより、男が女に参ったというのが面白い。面白いと言うてはおかしいが、味が深い。だから、結婚も、愛しているからと言うぐらいの結婚では、これは動物的であって駄目なんである。双方が相討って、「参った」ということになって初めて本当の結婚が成り立つわけなんであります。


 それは、まだいいが、日本語でもっと感服するのが、勝負して負けた時に、「参った」と言うことです。これは絶対に他の国にない。日本語独特の値打ちのある言葉です。たいてい勝負をして負けたら、悔しい。憤慨、自嘲、いろいろそういう噛んで吐き出すような言葉が多い。


 一番下劣なのは「クソッ」とか「畜生」とか何とか言う。失敗をし、相手に負けたら「クソッ」とか、「畜生」なんて言うやつはだいたい駄目だと思っていい。ところが日本人は「参った」と言う。参ったと言うことは、負けた相手を偉いと認識、感服することです。これはいい言葉です。


 この頃の思想家とか、評論家、ことに進歩的文化人なんていうのは、こういうことが一つも分かっていない。敬すれば参る。参るという以上はどうしてもなるべく側へ近づきたい。いわゆる親しみたい。側に行って何でも務めたい。いわゆる灑掃(さいそう)(清掃)でも承りたい。これを(はべ)る、()すると言う。「はべる」あるいは「はんべる」。参れば侍りたい。そして、単に側に近づき、共に暮らしたいばかりでなく、もう本当に参るというと、何もかも要らなくなる、すべてを捧げたくなる。


 それを「祭る」という。侍るとか、祭らうとか、日本人は何かというと「(つかまつ)る」「(たてまつ)る」とみんな「まつる」と表現する。漢字だけでもその意味をよく表しております。


 例えば、最も典型的なものは「祭」という文字。


 これは食うもののない原始人が命を支える大事な肉(月)を右手(又)で持って、神に自分の命の糧を奉るという意味である。「示」は神棚で、神を示します。祭祀(さいし)とよく言うが「祀」という字は(ほこら)という字と同じ意味で、その人が亡くなっても、亡き人にいますが如く仕えることを言う。これは東洋道徳精神というか、東洋の人間精神の非常に本質的なものであります。


「侍る」に対応する言葉は、「(さぶら)ふ」「(さぶら)ふ」ということである。こういう敬の道徳に徹して生きようとした階級が、つまり「武士」であります。だから武士のことを「(さむらい)」と言う。


 侍とは敬する者に参って、それに(はべ)り、(さぶら)い奉ると言うことである。一命を捧げて、それに近侍していくという道、それがすなわち「武士道」であります。侍とはそういう心、道を本体とした階級であります。


 そこで、武士道とはいろいろの理屈を抜きにして、本能的に庶民はこれを敬し、未だに人はこれを懐かしむ、あるいは好むのであります。妙なイデオロギーにとらえられた人間は、これは論外であります。そんなものに毒されておらない純真な子供は、侍が好きです。チャンバラ劇だから面白いんだろうというような、そんなものじゃない。もっと子供の心というものは純真である。(まこと)である。子供はみんな侍が好き。第一に子供に聞くと、「カッコいい」と言う。カッコいいということは、やっぱり彼らに敬を催させるものがあるということでしょう。


(中略)


 この頃、映画がテレビによってとって代わられて、「義経」だとか、「謙信」だとかいうのが流行してくる。しかも、その謙信を満輝という歌舞伎の子役(中村光輝。三代目中村又五郎。1969年『天と地と』で長尾景虎役で出演)がやるようになって、もうテレビを見る子供たちが、日本の子供たちがみんな謙信少年、景虎少年が好きになった。


 その主役を演じた満輝という子供が中村時蔵の孫で、また実によくできた子供だそうであります。時蔵の未亡人、つまりお祖母さんがびしびし歌舞伎役者の跡をとらそうと思って仕込んだ。たいていこの頃の子供だから嫌がるはずなんですが、あの子は喜んで、実にきびきびと服して、努力する。将来名優になるだろうといって、大変嘱望されておる。楽屋に帰ってきても、他の役者は舞台で働くと、もう楽屋へ入ると大アグラかいたり、寝そべったり、だらしのないもんだそうですが、あの子供だけはきちんと正座して、姿を崩さんそうだ。


 お守役をしている新平というのがおるが、どちらかと言うと、少し左がかった人物だそうですが、その彼でさえ、


「あの子は舞台、映画の上だけでなく、プライベートの生活でも主従となって仕えたいような気がする子供です」


 と言った。これが非常な感動を与えている。どっちかと言えば、横着な、少し崩れたのが役者などの常でありますが、左翼的だったその俳優でさえやっぱり民族、人間の血はどうしようもない、そういう本当の体験をすると、あの子に自分が家来になって、主従となって仕えたいという気がしてくるのであります。それを率直に告白した。この人間に「参りたい」と。そうすれば、侍りたい、仕えたい、すべてを捧げたいという気持ちになる。これこそ人間自然の徳であります」




失せてゆく家庭と父たち




「だから、敬というものが大事なんで、子供はもう純真であるから、本能的に敬の心をもつ。愛は動物の昔から、もとより本能的に備えている。だから「敬愛」でなければいかん。あるいは「愛敬」でなければいかんのであります。これを切り離すといけません。家庭では、子供は自ずから父に敬を抱き、また敬を求める。そして母を愛の対象としておる。


 それなのに、昨今の児童研究、児童教育学、あるいは社会学、心理学、いろいろの方面からの家庭問題についての議論はきわめてナンセンスである。家庭と言うと、専らこれは安息所で母の座、母が大事である。子供を育てるのはすべて母・愛だと言う。古来からの英雄、偉人の母はみんな偉かったと、親父は抜きになってしまっとるんです。家庭の居候みたいになって、高等居候的立場にある。親父どももまた家庭というものは、家族の安息所、休憩所のように考えている。そして、家庭へ帰るというと、おおよそ不敬だ、自ら不敬の存在になってきたわけであります。


 この点は階級を問わん。労働組合の会でしばしば話題になった。これは大変面白いことだと思うのだが、組合会議で演説、討論でもやる時には、みんなイデオロギーで、主義者である。ところが、彼らが別室に帰って、茶話会、懇親会になると、みんなだらしのない自由主義者で、マルクス・レーニン主義なんかどっかへ行ってしまって、もうみんなわがままリベラリスト。そのうえ、彼らは家へ帰ると、猛烈な封建的暴君である。彼らがそう告白するんです。だから変なもんですと、みんながみんな自分で侮っておるんだ。つまり自分で自分を敬しとらん。


 程度の差こそあれ、世の男ども、親父どもは、だいたい家庭は安息所と心得て、家へ帰ったら、どうも暴君ぶりというよりは、だらしのないところを見せる。安心して、うち(くつろ)ぐ。うち寛ぐのはいいけれども、うち崩れてはいかん。


 子供のほうは幼いほど、親父を敬の対象としているわけだ。それだから、子供は親父の大きな帽子をかぶったり、大きな親父の靴を引きずって歩いたりする。これを目のない、心のないお母さんたちは可愛いいたずらだと思っている。大きな間違いであります。ユーモラスにのみこれを見て、指を指してワーワー笑って、いわば可愛がる。子供は何もおどけてやっとるんじゃない。子供ながらに、親父の帽子をかぶり、親父の靴を履いて、親父たらんとしておるんです。だからよく似合うとか、何とか褒めてやればいいものを、この子供はもうユーモラスだとか、おどけてるとか、何とか批評をする。あるいは愛護かもしらんが、こういう愛護は無知の愛護というものである。


 だから、日本の子供でも、この頃よく要求するそうです。景虎のような着物を着せろとか、(はかま)穿()かせろとよく言うそうです。確かに子供に袴を穿かせてやるとシャーンとします。また、袴というものは実にいいもんで、(ふんどし)を締めて、袴をきりっと締めると体が決まる。この頃、だからまた褌が流行っているそうだ。デパートに褌を売ってるそうだ。一時はみんなサルマタということも言わなくなってパンツとなったが、褌も褌とは書いてないそうだ。褌と書いたのでは買ってくれん。女たちは嫌がるのか知らないが、クラシックパンツと言うらしい。ここに現代日本の悲劇というのか、滑稽というのか、堕落というものがある。ともかく精神的に堕落しとるということは、こういう些事でも分かる。だから、まことに荷が重いけれども、親父というものは、これはやはり家庭にあって、自ら敬の対象でなければならん。子供が接して、自ずからに敬する親父にならんといかん。


「レーデン・アンディ・ドイッチェ・ナシオン」、つまり「ドイツ国民に告ぐ」という大講演でフィヒテがやはり「敬」の大切さを説いておる。「愛する」ということばかり言っておってはいかん。家庭で大事なのは父の敬である。「父子の間の敬である」ということを言うておるが、これはもう東洋では、古来通説、自明の理であります。分業すれば、父の敬、母の愛、そこで不幸にして一方が欠けると、面倒である。その場合には、父が敬と愛の両方の対象にならなければいかん。逆に母が父を兼ねなければならんというのは、母にとっては大変な重荷だ。非常に難しいことだけれども、これは大事なことであります。


 いずれにしても、子供の「敬」の対象である父の存在は健全な家庭の欠くべからざる要であります。そのためには、言葉とか鞭で子供に対して要求したり説教したりする前に、父自身が子供から「敬」の対象たるにふさわしい存在たることが肝腎です。父の存在そのものが、子供に本能的に敬意を抱かしめる、彼の本能を満足させる存在であること、それが父たるもののオーソリティ(権威)であります。


 だから、父の存在、父の言動そのものが子供を知らず知らずに教化する。簡単に言えば、父の存在・父の姿・行動が子供が本能的に真似するものでなければならぬ。


 そうなれば、父たるものは子供の前で大胡座(おおあぐら)をかいて、下品な言葉で怒鳴ったりするようなことが一番いけない。本当は子供が起きた時には、父親がもうちゃんと起きて正座しておるとか、親父が前へ出たら、子供は自らにして姿・形を正す。父の言葉が自ずから子供を服せしむるという風でなければいかん。しかるに、そんなことは封建的でいかんとか何とかくだらない低級な理屈をつけて、一緒にふざけたり怒鳴ったりすることが人間的進歩であるふうに考えたこれまでの習慣は大変な間違いであったと言わなければなりません。


 それなら二六時中、親父はしゃちこばっていなければならぬといけないかと言うと、そんなものじゃない。その中に春風駘蕩(しゅんぷうたいとう)(春の風のような暖かでのびのびしていること)たるところも、ユーモアもあるわけです。


 細川幽斎(ほそかわゆうさい)(細川藤孝。1534~1610 始め足利幕府で働き、幕府滅亡後は織田家に仕えた)はその晩年、(せがれ)忠興(ただおき)(1564~1645)が来た時は、まったく寛いでくだけた態度で応対したが、六丸という幼い孫が来た時は、ちゃんと姿勢を正して慇懃(いんぎん)(丁寧で礼をつくすこと)に会った。家老が、


「ご当主に対してはあんなにくだけてご引見なさるのに、お孫さんにはどうしてそんなに形を改めてお会いになりますか」


 と聞くと、幽斎は、


「もう伜はできてしまったものだから、それでよい。孫はこれからものになるのじゃから、こちらも敬して会わねばいかんのだ」


 と言ったので、家老が感服したという話があります。


 近衛文麿(このえふみまろ)(1891~1945)さんが大学生時代、西園寺公望(さいおんじきんもち)(1849~1940)さんに呼ばれて、おっかなびっくり伺候(しこう)(偉いさんに挨拶に伺うこと)すると、父親ほども大先輩の西園寺さんは態度を改めて「公爵、公爵」と敬称を使われた。まだ若くて、できておらぬ近衛さんにしてみれば、何となく(はなは)だくすぐったくて、「私に公爵、公爵なんて、そんなしかつめらしいことを言わんでください」と言ったところが、西園寺さんは、「いや、そうではありません。貴方は大切なんだから当然です」との返事だったという。そして後で側近の者に、


「近衛さんはあれじゃから困る。わしが公爵、公爵と言っているのは何も皮肉やからかいで言っておるのではない。立派な公爵になってほしいと思うから礼を正しておるのに、それが分からんかのう」 


 と嘆かれたという。そういうところが西園寺さんと近衛さんと違うところで、それだけ西園寺さんは教養が深かった。心境が出来ておった。近衛さんにはそれだけの教養や心境がなかったのであります。


 現代ではもっとひどい。英国の貴族がそうだ。この頃の若いイギリスの貴族は称号だけは残っても、凡物愚物が多く、昔の貴族がもっておったような、いわゆる the authority' 品威というものを放棄した者ばかりで、無気力な問題を頻発させております。アメリカでもそうです。社会的・経済的・文明的、あらゆる国の変遷からvanishing family (失せてゆく家庭)が増えてゆきつつあります」




立派な女房論




「家庭は人間教育の素地である。家庭教育から教育は始まる。ただし、この場合、知識、技術というようなことは、これはだんだん後になって開けていくので、まず根本的に子供の正しい特性と良い習慣を養うことが学校に入れる前の大事な問題である。大切な問題であります。それを明治以来、教育とは学校に入れることであると錯覚したことから、民族の堕落というものが始まった。


 このことがよく行われれば、少年の非行、犯罪もほとんどなくなることは各国において実証されておる。父母はその子供のために、学校に限らず、良き師、良き友を選んで、これに就けることを心掛けねばならん。


 それから、家庭というのはつまり祖先以来の歴史、伝統、生命の座であります。つまり永遠の座と言ってもおかしくない。だから父母は随時に祖宗の祭を行い、子供に永遠の生命に参ずることを知らせる心掛けが大事である。仏壇とか神棚というものをそれぞれの信仰、宗旨に応じて、これは必ず備えて、そしてまず祖宗を守って、時々に礼拝・供養することを教えるということが大切です。偶像崇拝なんて言って退ける者があるが、これは思わざるの(はなは)だしきもので、浅薄な考えである。そうではなく、これは永遠の生命に参ぜしむる所以である。理屈から入らずに、まずは実践から入る。非常に大切なことです。


 そしてまた、父母は物質的、功利的な欲望や成功の話に関心をあまり示してはいけない。その言動を見て育つ子供は当然ながら功利的になる。功利的になると卑しくなる。だんだん本当のことが分からなくなり、卑屈になる。さらに父母は親戚や交友の陰口をあまり言い合ってはいかん。淡々として、もっぱら平和と勤勉の家風を作り上げる心掛けが肝腎であります。


 これについて、封建的遺習と言いますが、封建制度も良い点と悪い点がある。悪いほうの遺習で言えば、誰それは大臣になった、偉いとか、誰それはこの頃、偉い景気がいい、大儲けをしたとか、そういう功利的な欲望や成功の話に過度の関心を示すということ、これは良くない。淡々として、光明である、平和である、勤勉であるという家風を作らなければならん。親父が何かの地位にでも就いたとか、都会議員の何やらの委員長になったなどというと、この間まで「おめえが」「おらが」と言っておった町の夫婦が、たまたま議員さんにでもなって、ある地位に就いたなんていうと、いわんや代議士になって大臣にでもなったというと、途端に女房からして態度を変える。「お父さん偉くなった」というようなことで態度が一変する。その代わり今度は浪人をすると、またたちまち態度を変じて亭主を軽蔑する。これが一番いけないことだ。


 私の親友に非常に気骨があったのはいいけれども、気骨がちょっと女性的で拗ねる欠点があった。知事までやった人ですが、知事になる時に次官と喧嘩をして、辞表を叩きつけて、家へ帰ってきた。この奥さんというのは、非常な財界の名士の娘さん。玄関に迎えに出た時に、この夫婦は非常に仲が悪くて、いつも喧嘩ばかりしておる。


 その彼が「俺は今日、次官と喧嘩をして辞表を叩きつけてきたよ」と言った途端に、その細君が「言わんこっちゃない。だから私はあんたは偏屈でいかんとしょっちゅう言ってるんだ」とやり返し、「これからどうするんです?」と言ったというんだ。それで彼は気の短いやつなもんだから、ピシャッと一拳食らわしてやったという。この時ぐらい俺は結婚を誤ったと思ったことはないと、私に告白しておったが、とうとう本当に別れてしまった。子供も幾人もあったのに。


 この正反対の話がある。これは内大臣をした湯浅倉平(ゆあさくらへい)(1874~1940)という、非常に立派な人です。奥さんももちろん立派である。湯浅さんは悠々迫らずというのか、非常に温厚な風格のある人でもありました。この人もやっぱり辞表を叩きつけてその座を降りた。玄関に出迎えた夫人に「わしは今日辞表を出してきたよ」と言って、さすがにむっつりして上がりかけたら、途端に奥さんが「ああ、よかったですね。これでまたお好きな釣りができますねぇ」と言われた。これに、その倉平先生、非常に感動して、「ああ、女房は立派な女だ」と思ったという。これは同じ事実でも正反対のことです。これが非常に大事なことなんです。


 これこそ先にも触れた良い意味の「(ねい)」ということである。一方は不佞であり、一方は本当の意味の、いい意味の「佞」、いわゆる挨拶がいい、心掛けがいいのである。(中略)


「父母は子供の持つ諸種の能力に注意し、特にその隠れた特質を発見し、啓発することに努めねばならない」

 

 (中略)これは当然な心得であります。


「人生万事、喜怒哀楽の中に存する」


 これは王陽明の名言であります。


「父母は常に家庭に在って最も感情の陶冶(とうや)を重んぜねばならぬ」


 理論、イデオロギー、あるいは信仰、題目、いろいろあるが、卑近に言ってわれわれの生活、人間の生活というものは喜怒哀楽の中にある。常に何事によらず、いかに喜び、いかに怒り、いかに悲しみ、いかに楽しむかということの中にある。われわれがいかに日常、この喜怒哀楽するかという、この感情、情緒、情操の陶冶。これが家庭運営においても大変に大事なことであります」




 昭和の時代に発せられた、安岡正篤先生のこのお言葉を、日本人がもっと味識し、悔悟し、襟を正しておりましたら、令和に至って文明の末期と思う他ないような国になることはなかったでしょう。



 といったところで、今回はこれまで。




 したらば。








「利便事屋(REVENGER)」のOP・EDを聴きながら。



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