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『論語と算盤』の丸写し。十、



 おこんばんはです。豊臣亨です。


 では、『論語と算盤』の丸写し。十、本日も学んで参りましょう。


 今回、取り上げてみますのは、この『論語と算盤』の全文の中でも、わたしにとって白眉と思える一文でありまして、この文章、渋沢さんのお言葉に出会えただけでもこの一冊にめぐりあえてよかったと心から思います。p259




「親孝行」は強制するものではない




「論語の為政篇中に、


孟武伯(もうぶはく)孝を問う、子いわく、父母はただその(やまい)をこれ憂う」、


 また


子游(しゆう)孝を問う、子いわく、今の孝なる者は、よく養うことを謂う、犬馬に至るまで、みなよく養うことあり、敬せざれば何をもって別たんや」、


 なお、この外にもある如く、孔夫子は孝道のことについてしばしば説かれておる。しかし親から子に対して孝を励めよと()ゆるのは、かえって子をして不孝の子たらしむるものである。私にも不肖の子女が数人あるが、それが果たして将来どうなるものか、私には解らぬ。


 私とても子女等に対して、時折「父母はただその疾をこれ憂う」というようなことを説き聞かせもする。それでも決して孝を要求し、孝を強ゆるようなことは致さぬことにしておる。親は自分の思い方一つで、子を孝行の子にしてもしまえるが、また不孝の子にもしてしまうものである。


 自分の思う通りにならぬ子を、すべて不孝の子だと思わば、それは大いなる間違いで、皆よく親を養うというだけならば、犬や馬のごとき獣類といえども、なおかつこれをよくする。人の子としての孝道は、かく簡単なるものではあるまい。親の思う通りにならず、絶えず親の膝下(しっか)にいて、親をよく養うようなことをせぬ子だからとて、それは必ずしも不孝の子でない。


 かかることを述べると、如何にも私の自慢話のようになって恐縮であるが、実際のことゆえ、(はばか)らずお話しする。確か私の二十三歳の時であったろうと思うが、父は私に向かい、


其許(そこもと)(お前さん)の十八歳頃からの様子を観ておると、どうも其許は私と違った所がある。読書をさしてもよく読み、また何事にも悧発(りはつ)である。私の思う所から言えば、永遠までも其許を手許に留め置いて、私の通りにしたいのであるが、それではかえって其許を不孝の子にしてしまうから、私は今後其許を私の思う通りのものにせず、其許の思うままにさせることにした」


 と申されたことがある。如何にも父の申されたごとく、その頃、私は文字の力の上からいえば、不肖ながら、あるいはすでに父より上であったかもしれぬ。また父とは多くの点において、不肖ながら優った所もあったろう。しかるに父が無理に私を父の思う通りのものにしようとし、かくするが孝の道であると、私に孝を強ゆるがごときことがあったとしたら、私はあるいはかえって父に反抗したりなぞして、不孝の子になってしまったかもしれぬ。


 幸いにかかることにもならず、及ばぬうちにも不孝の子にならずに済んだのは、父が私に孝を強いず、寛宏(かんこう)(寛大)の精神をもって私に臨み、私の思うままの志に向かって、私を進ましめて下された賜物である。孝行は親がさしてくれて、初めて子ができるもので、子が孝をするのではなく、親が子に孝をさせるのである。


 父がかかる思想をもって、私に対して下されたため、自然その感化を受けたものか、私も私の子に対しては、父と同じような態度をもって臨むことにしておる。私がかく申すと、少し烏滸(おこ)がましく(出過ぎたような)はあるが、いずれかといえば、父よりも多少優れた所があったので、父と全く行動を異にし、父と違った所があって、父の如くになり得なかったのである。


 私の子女等は将来どうなるものか。もとより神ならぬ私の断言し得る限りではないが、今のところでは、とにかく、私と違った所がある。この方は、私と父とが違った違い方と反対で、いずれかと申せば劣る方である。しかし、かく私と違うのを責めて、私の思う通りになれよ、と子女らに強いて試みたところで、それはかく注文して強いる私の方が無理である。


 私の通りになれよ、と私に強いられても、私のようになれぬ子女は、どうしてもなれぬはずのものである。しかるになお強いて、子女らをすべて私の思う通りにしようとすれば、子女らは私の思う通りになり得ぬだけのことで、不孝の子になってしまわねばならぬ。私の思う通りにならぬからとて、子女等を不孝の子にしてしまうのは、忍ぶべからざることである。


 ゆえに、私は子に孝をさせるのではない。親が孝をさせるようにしてやるべきだという、根本思想で子女等に臨み、子女等がすべて私の思うようにならぬからとて、これを不孝の子だとは思わぬようにしておる」




 この短い文章中に、現代日本人のほとんどの人、家庭で抱えている問題が、そしてその解決方法ですら、示されていることが、おわかりいただけただろうか。


 幕末から明治、多分、昭和前期まではかろうじてあったが、昭和後期、おそらく、敗戦後、日本人が根幹的に失ったもの。


 それは、孝、ではないですね。


 敬、です。 


 渋沢栄一さんの父君、渋沢市郎右衛門(いちろうえもん)さんが、親として、というより以前に、人として、子たる栄一さんを敬っていた、敬意を払っていた。子たる栄一さんを人として尊敬していた、だからこそのお言葉が、


其許(そこもと)の十八歳頃からの様子を観ておると、どうも其許は私と違った所がある。読書をさしてもよく読み、また何事にも悧発(りはつ)である。私の思う所から言えば、永遠までも其許を手許に留め置いて、私の通りにしたいのであるが、それではかえって其許を不孝の子にしてしまうから、私は今後其許を私の思う通りのものにせず、其許の思うままにさせることにした」


 なのですね。


 お前さんは、観ておったところ、私よりも優れている。なので、これからはお前さんの好きなようにおやんなさい。


 こんなことを言われた経験のある日本人が、戦後、幾人いるでしょうね。少なくともわたしにはないっす(まあ、悧発どころか愚鈍であったのでしゃ~ないが)。


 いえ、これはなにも、栄一さんが父君よりも優れていたから、このような発言になったのではないと思います。人として、人を、子であろうがなんであろうが、人を敬う気持ちに溢れていたからこそ、こんなことを素直に吐露できたのだと思います。まあ、こんな言葉は、現代人にはそうそう吐けないだろうと思います。


 ちなみに、この父君である市郎右衛門さんも、wikiでは「江戸時代後期の武蔵国榛沢郡血洗島村の豪農、商人」とありますが、決して農民や商人の範疇で扱って良いようなお方ではないようですね。「学問として四書五経を学び、漢詩、俳諧に親しんだほか、剣術は神道無念流を()くした」とありますように、武士に比肩しうるほどの学問教養や武芸を修められていた。決して文盲であったり田夫野人(でんぷやじん)の類などではありません。


 であるからこそ、「トンビがタカを産んだ」のではなく、「父子鷹(おやこだか)」、というべきなのでしょう。


 優れた学問を修められた方だからこそ、自身の子であろうとも、認めるべきは素直に認めるという、馥郁(ふくいく)たる精神性を養い得られたのでしょうね(どこぞの、世界でも有数の知名度を誇るが、自分の子供を悪罵するアニメ監督とは天地の相違であります。こういうのが世を毒し、人を毒している。誰も気づかないけど)。

 

 そんな父君に養育されたからこその渋沢さんのお言葉が、


「及ばぬうちにも不孝の子にならずに済んだのは、父が私に孝を強いず、寛宏(かんこう)の精神をもって私に臨み、私の思うままの志に向かって、私を進ましめて下された賜物である。孝行は親がさしてくれて、初めて子ができるもので、子が孝をするのではなく、親が子に孝をさせるのである」


 となるのですね。


 親孝行は、子がするものではなく、親がさせてくれるもの。なのです。


 この一言はわたしにとって非常に響きました。


 わたしはこれまで、中華とか江戸時代の儒教の書などを何冊か読んでおりましたが、こういう孝行、「孝悌(こうてい)(孝は親子間の秩序。悌は兄弟間の秩序。子は親にうやうやしく仕え、兄には従順たれといったところ)」というのが当たり前のように説かれることを内心非常に苦々しく思っておりました。「孝悌は仁を為すの本」とか言われてもうっせ~し、と思って内心非常に反発心を抱いておりましたが、この渋沢さんのお言葉に出会えて、ようやく内心にあったものがわかったといいますか、(ゆる)されたような気持ちになったのであります。


 つまり、わたしは、わたしの親から敬ってもらってなかったから、孝行をさせてほしいと素直に思えるような親ではなかったから、孝行、孝悌などと言われると、だからイラッときておったわけです。


 まずもって親孝行とは、親から子に、親がまずもって子を人として敬い、人として正しく接して初めて、親から子へと受け継がれるという性質のものであって、いうなれば、子孝行もしていないような親が、さしでがましく親孝行を求めるなどというのは、無から有を求めるようなものであり、そもそも筋違いなのだ、ということを教えていただいたわけであります。-人-


 最初に渋沢さんが取り上げられた論語の、




【今の孝なる者は、よく養うことを謂う、犬馬に至るまで、みなよく養うことあり、敬せざれば何をもって別たんや】




 は、すなわちそういうことであり、経済的に養ってやったんだから、子はただちに親に感謝し、親に恩返しをしろや、などという思考は、そもそも「敬」を知らぬ田夫野人の妄言であり、ペットを飼うことと人を養育することの違いすら理解できない阿呆のたわ言なのであります。


 今の日本から、根幹的に消えてしまったもの、「敬」これが今の日本の問題の本質的なところであり、これがあれば、問題の結構な部分は解決するでしょう。


 そして、敬があれば、他者を敬えるし、なにより、自分自身を敬えます。


 自分で自分を敬う。


 なんでもないようであって、これが非常に重要で、これも現代人にはないものです。わたしが一目も二目も置く、とあるようつべあー(ユーチューバー)さんが、自身の動画作品において、現代日本人の多くはナルシストである、などとおっしゃってまして、わたしはそれのコメントとして、敬があればナルシストにはならない、と返しておきました。なんでかと言えば、ナルシスト、過剰な自己愛というのは、自分を愛しているようにみえて、しかして実際的には己を損なうものでしか無いからです。


 舐犢(しとく)の愛と言う言葉があります。舐は舐めること、犢は子牛。親牛が子牛をべっろべろ舐めるように、盲目的に溺愛することを指す言葉であって、愛が悪いというつもりはないのですが、愛はその性質上、相手をゆるす、受け入れることであるため、なので心の停滞を招きやすいという性質をもつものなのです。


 敬は敬うことであり、素直に優れたものを鑽仰する、尊敬することであるので向上心と同じ。


 神社や仏閣に参る、あこがれの人のそばに行きたいと思うのは、偉大なもの、優れたもののそばにいきたいから参るのであり、自分も偉大なものになりたいという心が、それを促すのです。参るのです。自身の中にある向上心、自分も偉大な存在になりたいという子供のような無邪気な向上心が、敬です。


 安岡先生は、父親が敬を司り、母親が愛を司るものであって、子にはこの敬と愛をもって教え育てることこそが肝要とおっしゃってます。


 自分で自分を敬える人は、自分より遥かに偉大な人を知っているから、今の自分には決して満足しない。できるわけがない。自己愛があったとしても、それで己の成長の停滞を甘んずることなどできるはずがない。




君子自彊(じきょう)やまず




 彊は強、自分で自分を強いる。自分で自分の背中を押して成長を自らに促す。


 学問があるものならこれができる。


 戦後、なくなってしまったものですね。ではなにゆえ、なくなったか、いろいろなことが複合的に起こったのは事実ですが、一番大きいのはやはりGHQの公職追放令ですね。これで教育の中枢に共産主義者が入り込んで日本の教育が狂った。今の教師が性犯罪者であふれ子どもたちに共産思考を垂れ流しているのが日本の教育の現在であり、これが致命的ですね。しかし、そのことを全然日本人は教育改革を叫びもしないんだから終わっている。


 そして、『ドリフターズ』の織田前右府(さきのうふ)信長のセリフをまたみてみますと、



「尊厳が無くとも飯が食えれば人は生きられる。飯が無くとも尊厳があれば人は耐えられる。だが両方なくなると、もはやどうでもよくなる」


 

 まさしく今の日本は、「尊厳が無くとも飯が食えれば人は生きられる」ですね。


 ただ、生きてるだけ、畜生のごとく日々を因循姑息(いんじゅんこそく)するのみ、だから社畜にもなれる。自尊心がないから。ただ、経済的安心だけを求めるなら社畜でもいい。己の尊厳に気を配って生きられないなら、それなら社畜がよい、ということになる。


 だから己で己を敬することができない。


 よって当然、他者を敬うことなどできようはずもない。だからブラック企業がわっさわさ増える。今の日本が非常に生きづらい、どの職場、仕事をやっても長続きしない、楽しくない、という人は、こういう、内心において敬の対象を求めているかも知れません。しかし、悲しいかな、今の日本では、親も、学校の先生も、職場の上司ですら、敬としてみる対象にはなり得ない、むしろ真逆の感情を抱かせるような程度だから、だから、自身の内にある敬の思慕の情、敬ってほしい、敬えるほどの相手にめぐり逢いたい、という純真な子供心がまったく満たされないから、だから引きこもったり、自分でも分からないが無性にイライラして仕事が長続きしないという人が多いのであろう、と思います。


 本当に悲しむべきことですが、今の日本で、心の底から敬えるような人はそうそういないので、わたしのように本を読んで、尊敬できる方の教えを受けて、自分だけは、こんな亡者の列には並ばないように、自彊やまずで頑張っていただきたいものと思います。



 といったところで、『論語と算盤』はこれにて終わるといたしましょう。



 渋沢さんの意志が、いまさらとはいえ、日本人に響けば幸いですが。


 まあ、響かなくとも、わたしにはがっつり響いたので元は取れました。


 したらば。








「オーバーテイク」のOP・EDを聴きながら。


 特にEDがまじぱねっす。秋アニメもわっさわさ放映されてますが、しかし、わたし的にはいまいちピンとこなかったのですが、このEDは素晴らしいw イチオシ。ちなみに、知ってます? このED歌ってる人、『甲鉄城のカバネリ』で生駒やってた人ですよw この繊細で妙なる高音を、あのだみ声声優さんが歌っているとは、その落差が凄まじいw




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