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『論語と算盤』の丸写し。九、



 パレスチナ側のイスラム武装組織ハマス、イスラム聖戦がイスラエルに奇襲攻撃したとのこと。なんでもハマスなどは、一斉にロケット弾で攻撃を行うと同時に地上部隊が侵攻、多数の兵士や民間人を殺害、拉致誘拐したとのことです。それをもって当然、イスラエルは戦争状態突入を宣言、報復を開始したとのこと、翌日には空爆などでもってガザ地区を攻撃した。


 世界のあっちでも戦争、こっちでも戦争ですね。


 今回の戦闘はこれまでで最大規模であったとのことで、おそらくですが、イスラエルはガザ地区のパレスチナ人を皆殺しにしかねない勢いで反撃を行うでしょう。なにせ、こういう時に弱腰や下手くそな融和姿勢を見せるのが一番相手をつけあがらせるのが世の常。ここで徹底的に叩き潰さねば、イスラエルの威信は地に落ちかねないわけです。


 下手すると、ウクライナに攻め込んだおロシアも真っ青な徹底的な殲滅、族滅をやるかも知れません。ってか、わたしがイスラエルの為政者なら兵士にそこまでやれ、と指示するでしょう。舐められて笑って握手していられるか。


 しかしまぁ、どうしてこうも蛮族共は争いを好むのか。そうして、敵を非難するが自分たちも非難されるような真似をし、争いを泥沼にまで引きずり込み、そして国ごと滅びかねない戦争にまで行きつく。日本人のように、というと語弊がありまくりですが、それでも、どうして日本人のように争わずにやってゆける方法を模索しようとしないのか。その方法を考えもしないで相手を殺すことだけを考えるのか。


 まあ、おロシアのスラブ民族といい、アラブ民族といい、歴史的にみても明らかに戦争ばっかの歴史しか生きていないのでそれ以外の方法なんぞ知りもしないし知りたくもないのでしょうけど。


 世界中、こんなのばっかで、ほぼ唯一日本だけがのほほんと平和平和やってるんですから嫌になります。



 おこんばんはです。豊臣亨です。


 こういう時に思い出すのが明治天皇陛下のお詩。




よもの海 みなはらからと 思ふ世に など波風の たちさわぐらむ




 八紘一宇。



 争わずに生きられる方策をこそ模索すべきなのに、敵を打ち倒す方策のみを模索する。世界はどうやら自滅の道を歩み始めたようです。是非に及ばず。


『論語と算盤』の中でも渋沢栄一さんも争いについていくつか言及しておられますので、今回はそちらをみてみましょう。『論語と算盤』の丸写し。九、状況開始。p153




弱肉強食を乗り越える




「強い者の申し分はいつも善くなるということは、一つのことわざとして仏国に伝わっているけれども。


 だんだん文明が進めば、人々道理を重んずる心も、平和を愛する情も増して来る。相争う所の惨虐(さんぎゃく)を嫌う念も、文明が進めば進むほど強くなる。換言すれば、戦争の価値は世が進むほど不廉(ふれん)(値が安くない)となる。いずれの国でも、自らそこに顧みる所があって、極端なる争乱は自然に減ずるであろう。また、必ず減ずべきものと思う。


 明治三十七、八年頃、露西亜のグルームとかいう人が、『戦争と経済』という書を著作して、「戦争は世の進むほど惨虐が強くなる。費用が多くなるから、遂には無くなるであろう」という説を公にしたことがある。


「かつて露西亜皇帝が、平和会議を主張されたのも、これらの人の説に拠ったものである」と、誰やらの説に見たことがある。それほどに、戦争の惨虐なものであるということが唱えらるるくらいだから、今度のごとき、全欧州の大戦乱なぞは、決して起こるべきものでないように思われておったが、丁度昨年(大正三年。1914年)の七月末に日々各新聞紙の報導を見た頃(6月にオーストリアのボスニア地方の町サラエボで、オーストリア皇位継承者フランツ・フェルディナント大公夫妻がセルビア人青年によって暗殺される、サラエボ事件が起こる)、私は三日旅行して、「どうなるか」という人の問いに答えて、新聞紙で一見すれば戦争が起こると信ぜられるが、先年亜米利加のジョルダン博士が「モロッコ」問題(北アフリカのモロッコを舞台に、帝国主義をたくましくするドイツとフランスが起こした国際紛争。第一次大戦の原因ともなったとか)の生じた時に、米国に有名なる財政家ゼー・ビー・モルガン(ジョン・ピアポント・モルガンのこと?)氏の忠言のために戦争が止んだということを、電報でいって来たと言って、――博士はもとよりはもとより平和論者であるから、平和に重きを()いたのであろうが――特に手紙を寄越したことがある。


 私もその説を深く信じた訳ではなかったけれども、世の進歩の度が増すに(したが)って、人々がよく考慮するから、戦乱は自然と減ずるという道理が起こって来る訳で、それは自然の勢いと思われると申したことであった。


 しかるに、今日欧羅巴(ヨーロッパ)の戦争の有様は、細かに承知はしないが、実に惨憺たる有様である。ことに独逸(ドイツ)の行動のごときは、いわゆる文明なるものは、いずれにあるか分からぬというような次第である。(けだ)し(おそらく、もしくはの意)その根源は、道徳というものが国際間に(あまね)く通ずることができないで、ついにここに至ったものと思う。


 果たしてしからば、およそ国たるものは、何とか国際の道徳を帰一(最終的にそこに行きつく)せしめて、いわゆる弱肉強食ということは、国際間に通ずべからざるものと、なさしむる工夫が無いものであろうか。畢竟(ひっきょう)(結局)政治を執る人、及び国民一般の観念が、相ともに自己の勝手わがままを増長するという欲心が無かったならば、かくのごとき惨虐を生ぜしむることはなかろうけれども、一方が退歩すると、他方が遠慮なく進歩して来るようでは、この方も進まなければならぬから、勢い相争うようになり、結局戦争せねばならぬことになる。


 ことさらその間に人種関係もあり、国境関係もありましょうから、ある一国が他の一国に対して勢力を張るのはその意を得ない。これを止めるには平和ではいかぬというので、ついに相争うようになるのである。蓋しおのれの欲する所を人に施さないのであって、ただ我を募り欲を(ほしいまま)にし、強い者が無理の申し分を押し通すというのが、今日の有様である。


 一体文明とは、如何なる意義のものであるか。要するに今日の世界は、まだ文明の足らないのであると思う。かく考えると、私は今日の世界に介在して、将来わが国家を如何なる風に進行すべきか。またわれわれは如何に覚悟してよいか、()むことを得ずばその渦中に入って、弱肉強食を主張するに外の道はないか、ぜひこれに処する一定の主義を考定して、一般の国民とともに、これに依りて行くようにしたいと思う。


 われわれは飽くまでも、おのれの欲せざる所は人にも施さずして、東洋流の道徳を進め、(いや)増しに平和を継続して、各国の幸福を進めて行きたいと思う。少なくとも、他国にははなはだしく迷惑を与えない程度において、自国の興隆を計るという道がないものであるか。もし国民全体の希望によって、自我のみ主張することを止め、単に国内の道徳のみならず、国際間において真の王道を行うということを思ったならば、今日の惨害を免れしめることができようと信ずる」




 かつてのイラク戦争後、各国がイラク復興に軍を派遣したとき、日本も自衛隊を派遣したことがありましたね。当事者である米軍が現地で襲撃にあうのは仕方がないとしても、フランス軍、英軍、イタリア軍も襲撃を受け被害を出したにも関わらず、日本は一人も死者をだすことなく(ロケット弾による攻撃等は受けています)、2003年12月から2009年2月の派遣期間を乗り切られました。


 なんでも、各国でこれを受けてなにゆえ、日本だけは被害をださなかったのか、という原因究明に乗り出したのだそうです。


 そもそもで言えば、イラク人にとって、日本人は日露戦争でロシアを撃破し、さらに大東亜戦争では途中までとは言え米国や英国と互角に戦ったわけで(当初日本は米英に対し宣戦布告しましたが、最終的に日本に宣戦布告した国は50カ国以上><)、あの白人相手によく頑張った、感動した! という気持ちがイラク人にはあったとはいえ、それでも被害を出さなかったのは凄いことです。


 なんでも、現地ではイラク人を雇って作業をさせる時に、他国では地元人にやらせるだけだったのに、自衛隊では隊員が一緒になって泥まみれ汗まみれになって働き、時には幹部隊員でも一緒になって働いたそうで、ご飯ともなれば一緒に食べるなど、コミュニケーションを欠かさず、現地イラク人を感激させた、という有名なエピソードもあります。


 他にも、自衛隊の車両が移動するときは、銃口を向けて威嚇するのではなく、外に手を降ってアピールしたそうで、子供達が手を振りかえしたとか。第10次イラク復興支援群長の山中敏弘1等陸佐の言葉によりますと、


「イラクの子どもたちは非常に生き生きとし、目が輝いていてとてもかわいかったです。手を振って「ヤバニー シュクラン(日本人ありがとう)」といってくれたのが非常に印象に残っています。私たちの活動はこの子どもたちのために役立ったのではないかと思います」


 と残されています。


 また、各国の軍隊が日本の拠点に訪れた時に、あまりの規律のとれた施設の配置や隊員に驚いたとも言います。それなのに、当時の政府はいつもの「事なかれ主義」で活動日誌などの存在はすでにないと放言し、しかし実際にはあるなど、いつものごとく無様を世界に晒しました。


 かつてのアカに染まった日本軍人ならいざしらず、現在の自衛隊員は渋沢さんのおっしゃる「おのれの欲せざる所は人にも施さずして、東洋流の道徳を進め、(いや)増しに平和を継続して、各国の幸福を進めて行きたい」を実際に行われている。平和裏にことを行えることはすでに歴史に手本を示されている。


 だが、このことをまともに議論できる、推進できる為政者がこの国にはいない。嘆かわしいことであります。


 また、こういう文章もポロッと残されています。p290




中国・湖畔で考えたこと




「大正三年の春、支那旅行の途上、上海(シャンハイ)に着いたのは五月六日であったが、その翌日は鉄道で杭州に行った。杭州には西湖という有名な景勝の湖水があり、その(ほとり)岳飛(がくひ)(南宋の大将。金軍の圧力をたびたび跳ね返す)の石碑がある。


 その碑から四、五(けん)ほど離れた処に、当時の権臣、秦檜(しんかい)(岳飛を殺し、圧政を行った。売国奴といえばコイツ、といわれるぐらい中華人に蛇蝎のごとく嫌われているw wikiでは、「秦檜夫婦・張俊らが縄で繋がれた形で正座させられている像が造られている。近年は当局により禁止されているが、かつては彼らに唾を吐きかける風習があった」とありますが、別のネット記事ではいまでもつばを吐いているという情報もあるw)の鉄像があって相対しておる。


 岳飛は宋末の名将で、当時宋と金の間にしばしば戦いがあって、金のために宋は燕京(えんけい)(えんきょう。今の北京)を略取せられ、南宋と称して南方に偏在した。岳飛は朝命を奉じて出征し、金の大軍を破って、まさに燕京を回復しようとしたのであるが、奸臣秦檜は、金の賄賂を()れて岳飛を召還した。


 岳飛その奸を知って、


「臣が十年の功一日にして廃る。臣職に(かな)わざるにあらず。実に秦檜、君を誤るなり」


 と言ったが、彼はついに(ざん)(いわれのないそしり)によりて殺された。この誠忠なる岳飛と奸佞なる秦檜とは、今数歩を隔てて相対しておるのだ。如何にも皮肉ではあるが、対象また妙である。今日岳飛の碑を()に行った人々は、ほとんど慣例のように、岳飛の碑に(むか)って涙を(そそ)ぐとともに、秦檜の像に放尿して帰るとのことである。死後において忠好判然たるは実に痛快である。


 今日、支那人中にも岳飛のような人もあろう。また秦檜に似たる人がないとも言われぬけれども、岳飛の碑を拝して、秦檜の像に放尿するというのは、これ実に孟子のいわゆる「人性善(にんせいぜん)(いわゆる性善説)」なるに、よるのではあるまいか。天に通ずる赤誠(せきせい)(赤、血の通った誠)は、深く人心に沁み込んで、千載(せんざい)(一千年の時)の下、なおその徳を慕わしむるのである。これをもって人の成敗(せいばい)(成功すると失敗すると)というものは、蓋棺(がいかん)(死後棺に蓋をする、ということで一時には評価できず全人生を以て評価しなければいけない、ということ)の後に非ざれば得て知ることができない。わが国における楠木正成と足利尊氏も、菅原道真と藤原時平も、皆しかりというべきである。この碑を覧るに及んで、感慨ことに深きを覚えた」




 ジャニーズの独裁者も死後によってようやく評価が固まりつつありますがw


 また、わざわざ像をつくってまで小便かけたり、つばを吐きかけたりするその捻じくれた人間性はとりあえず置いといてw


 確かに、人間には、別に法律だの戒律だのなんだのを持ち出すこと無く、正しいこと、悪いこと、という認識を持ち合わせています。孟子は、赤子が井戸に落ちそうになったら誰でも助けようとするだろう、これこそが性善説だ、といいました。これがどこから来ているのか、となると恐ろしい哲学問題になるのでなんですが、でも確かに、こうした偉人たちによる例証によって、われわれは善悪を選び分けています。


 天が、人類の歴史の最初の頃に世界四大聖人を世に送り出したのも、その一例であろうとわたしは思っております。


 神の子たるイエスや孔子様によって、確実なる、不変なる前例を作り出し、これが善、それ以外は悪、というものを作り上げた。それ以降は民族性の問題とはなりますが、やはり、その中でも日本人は世界の中でも隔絶して道徳的な歴史を作り上げてきたわけで、この偉大な偉人たちの存在があったればこそ、その民族は偉大になったのだ、と見ることができます。


 どういう偉人がいたか、でその民族の道徳性はある程度見える、と言って良いでしょう。


 例えば、聖徳太子によって十七条憲法が成立しました。これは世界最古の成文憲法であり、西暦604年に成立したとされ、世界史で言えばマグナ・カルタが成文憲法とされますがその成立は1215年のこと。日本に遅れること611年後とされ倍の年数を満たさないと日本以外では出てこなかったことになります。儒教、神道、仏教、道教などのその当時の最先端の学問を統合して作られた、国家、民族の理想・理念の表象であって、つまり、こうあるべし。こうあるべからず。という理念理想を結実させたものであり、これこそ大和民族の根幹に流れる民族性の源流といえるでしょう。


 いま見たように、日本以外ではこういう理念・理想を憲法として成文させるなどという概念すら出てこない以上、日本人の道徳心が世界に比類なく優れているのはある意味当然と言えますし、こういう偉人があったればこそ、その理想が今もわれわれに受け継がれている、とも言えます。


 こういう偉大なご先祖様に落胆されない、失望されない生き方をしたいものであります。では、お次に渋沢さんの先輩論。なんといっても、あの幕末を生きたお方なので、さすがの一言w p45




よい争いと悪い争い




「世間には、争いを絶対に排斥し、如何なる場合においても、争いをするということは宜しくない。


「人もし(なんじ)の右の頬を打たば、左の頬を向けよ」


 などと説く者もある。こんな次第で他人と争いをするということは、処世上に果たして利益になるものだろうか。()た不利益を与えるものだろうか。この実際問題になれば、随分人によって意見が異なることだろうと思う。争いは決して排斥すべきでないと言うものがあるかと思えば、また絶対に排斥すべきものだと考えておる人もある。


 私一己(いっこ)の意見としては、争いは決して絶対に排斥すべきものでなく、処世の上にもはなはだ必要のものであろうかと信ずるのである。私に対し、世間ではあまりに円満過ぎる、などとの非難もあるらしく聞き及んでおるが、私は(みだ)りに争うごときことこそせざれ、世間の皆様達がお考えになっておるごとく、争いを絶対に避けるのを処世唯一の方針と心得ておるほどに、そう円満な人間でもない。


 孟子も告子章句下(こくししょうくげ)において、


【敵国外患なき者は、国つねに滅ぶ】


 と申されておるが、如何にもその通りで、国家が健全なる発達を遂げて参ろうとするには、商工業においても、学術技芸においても、外交においても、常に外国と争って必ずこれに勝ってみせるという、意気込みが無ければならぬものである。ただに国家のみならず、一個人におきましても、常に四囲に敵があってこれに苦しめられ、その敵と争って必ず勝ってみましょうの気が無くては、決して発達進歩するものではない。


 後進を誘掖輔導(ゆうえきほどう)(手を引いて導き、助けること)せらるる先輩にも、大観した所で、二種類の人物があるかのごとくに思われる。その一つは、何事も後進に対して優しく親切に当たる人で、決して後進を責めるとか、苛めるとかいうようなことをせず、飽くまで懇篤(こんとく)と親切とをもって後進を引き立て、決して後進の敵になるがごとき挙動に出ず、如何なる欠点失策があっても、なおその後進の味方になるを辞せず、どこどこまでも後進を庇護して行こうとするのを持ち前とせられておる。


 こういう風な先輩は、後進より非常の信頼を受け、慈母のごとくに懐かれ慕われるものであるが、かかる先輩が果たして後進のために真の利益になるかどうかは、いささか疑問である。


 他の種類はちょうどこれに正反対で、いつでも後進に対するに敵国の態度をもってし後進の揚げ足を取ることばかりをあえてして悦び、何か少しの欠点が後進にあれば、すぐガミガミと怒鳴りつけて、これを叱り飛ばして完膚なきまでに罵り責め、失策でもするともう一切かまいつけぬというほどに、つらく後進に当たる人である。かく一見残酷なる態度に出づる先輩は、往々後進の怨恨を受けるようなこともあるほどのもので、後進の間にはなはだ人望の乏しいものであるが、かかる先輩は後進の利益にならぬものだろうか。この点はとくと青年子弟諸君において熟考せられてしかるべきものだろうと思う。


 如何に欠点があっても、また失策しても、飽くまで庇護してくれる先輩の懇篤なる親切心は、誠にありがたいものであるに相違ないが、かかる先輩しかないということになれば、後進の奮発心をはなはだしく阻喪(そそう)(心が折れること)さするものである。たとい失策しても先輩が(ゆる)してくれる。はなはだしきに至っては、如何なる失策をしても、失策すれば失策したで、先輩が救ってくれるから、(あらかじ)め心配する必要はないなど、至極暢気に構えて、事業に当たるにも綿密なる注意を欠いたり、軽躁(けいそう)なことをしたりするような後進を生ずるに至り、どうしても後進の奮発心を鈍らすことになるものである。


 これに反し、後進をガミガミ責めつけて、常に後進の揚げ足を取ってやろうやろうと気の先輩が上にあれば、その下にある後進は、寸時も油断がならず、一挙一動にも隙を作らぬようにと心掛け、あの人に揚げ足を取られる様なことがあってはならぬから、と自然身持ち(品行)にも注意して不身持ちなことをせず、怠るようなことも慎み一体に後進の身が締まるようになるものである。ことに後進の揚げ足を取るに得意な先輩は、後進の欠点失策を責めつけ、これを罵り(あざけ)るのみで満足せず、その親の名までも引き出して、これを悪しざまに言い罵り、「一体貴公の親からして宜しくない」などとの語をよく口にしたがるものである。したがって、かかる先輩の下にある後進は、もし一旦失敗失策があれば、単に自分が再び立てなくなるのみならず、親の名までも辱め、一家の恥辱になると思うから、どうしても奮発する気になるものである」




 いわゆる、


  /ノ0ヽ

_|___|_

ヽ(# ゜Д゜)ノ <「泣いたり笑ったりできなくしてやる!」

  | ↑|

  | ̄ ̄| 

  ∪⌒ ∪


 ですね(なんでAA出した、と言われますと、ネットであったから、としか言えないw)。矢印のネクタイがいかすw


 基本的に自衛隊も同じ信念のもと新隊員教育を行っているそうで、理不尽なまでのイビリのごとき教育もすべて、戦場という本当の地獄に行っても耐えられるだけの人間性、精神性を養う。というものですね。「微笑みデブ」はそれに耐えられなかったようですが。


現代人だったら人工甘味料のごとく甘やかしてほしいと思うでしょうが、そこはさすが地獄の幕末を生き残った渋沢さん。軍人と同じ思考をもって、むしろ厳しくした方が当人のためになると思われていたようです。なろう小説でも、99%の主人公は甘やかすほうでしょう。反対に厳しくするのは『贄姫と獣の王』のアヌビス宰相などのキャラクターくらいでしょうね。いわゆる、嫌われキャラですが、しかし、主人公の成長にもっとも関与している役まわりであることも事実。


 また、自衛隊でも、理不尽なまでのイビリ教育をやめて、もっと優しく教育すべきなのではないか、という観点からイビリを止めた所、驚くべきことに、どうしようもないレベルにまで風紀が乱れた、「不身持ち」な隊員が増殖してしまったことから、理不尽なまでのイビリ教育に戻したんだそうです。現代社会ならいざしらず、自衛隊、という色んな意味でシャバとは隔絶された世界では、隊員を甘やかすことはむしろ危険なことのようです。


 さて、お次も渋沢さんのお話。これもさすがの一言w p78




角を立てて生きる




「私も絶対に争いをせぬ人間であるかのように解せらるる人も、世間に少なからぬように見受けるが、私はもちろん、好んで他人と争うことこそせざれ、全く争いをせぬというのではない。


 いやしくも正しい道を飽くまで進んで行こうとすれば、絶対に争いを避けることはできぬものである。絶対に争いを避けて進んで行こうとすれば、善が悪に勝たれるようなことになり、正義が行われぬようになってしまう。私は不肖ながら、正しい道に立ってなお悪を争わず、これに道を譲るほどに、いわゆる円満な腑甲斐のない人間でないつもりである。人間には如何に円くとも、どこかに角が無ければならぬもので、古歌にもあるごとく、あまり円いとかえって転びやすいことになる。


 私は世間で()らるるほどに、決していわゆる円満の人間ではない。一見いわゆる円満のようでも、実際はどこかに、いわゆる円満でない所があろうと思う。若い時分には、もとよりそうであったが、七十の坂を越した今日といえども、私の信ずる所を動かしこれを覆そうとする者が現るれば、わたしは断々乎(だんだんこ)(断乎、をさらに強めた言葉)としてその人と争うことを辞せぬのである。


 私が信じて自ら正しいとする所は、如何なる場合においても、決して他に譲ることをせぬ。ここが私のいわゆる円満でない所だと思う。人には老いたると若いとの別なく、誰にでもこれだけの不円満な所が是非あって欲しいものである。(しか)らざれば、人の一生も全く生き甲斐のない無意味なものになってしまう。如何に人の品性は円満に発達せねばならぬものであるからとて、あまりに円満になり過ぎると、「過ぎたるはなお及ばざるが如し」と、論語の先進篇にも孔夫子が説かれている通りで、人として全く品位のないものになる。


 私が絶対にいわゆる円満の人でない、相応に角もあり、円満ならざるはなはだ不円満な所もある人物たることを証明するに足る……証明という語を用いるも少し異様だが……実際を一寸(ちょっと)(はな)してみようかと思う。


 私はもちろん、少壮の頃より腕力に訴えて他人と争うごときことをした覚えはない。しかし若い時分には今日と違って容貌(ようぼう)などにもよほど強情らしい所もあったもので、したがって他人の眼からは、今日よりも容易に争いをしそうに見えたものかもしれぬ。もっとも私の争いは、若い時分から、すべて議論の上、権利の上での争いで腕力に流れた経験はいまだかつて一度もない。


 明治四年私がちょうど二十三歳で大蔵省に奉職し、総務局長を勤めていた頃であったが、大蔵省の出納制度に一大改革を施し、改正法なるものを()いて、西洋式の簿記法を採用し伝票によって金銭を出納することにした。


 ところが、当時の出納局長であった人が……その姓名はしばらく預かり置くが……この改正法に反対の意見を持っていたのである。伝票制度の実施に当たって偶々(たまたま)過失のあることを私が発見したので、当事者に対してこれを責めてやると、元来私が発案実施した改正法に反対の意見を持っていた出納局長という男が、傲岸な権幕(けんまく)で、一日私の執務していた総務局長室に押しかけて来たのである。


 その出納局長が怒気を含んだ権幕で、私に詰め寄るのを見て、私は静かにその男にいわんとする所を聴きとるつもりでいると、その男は伝票制度の実施にあたって手違いをしたことなどについては、一言の謝罪もせず、しきりに私が改正法を布いて欧州式の簿記法を採用したことについてのみ、かれこれと不平を並べるのであった。


「一体貴公が亜米利加に心酔して、一から十までかの国の真似ばかりしたがり、改正法なんかというものを発案し、簿記法によって出納を行わせようとするから、こんな過失ができるのである。責任は過失をした当事者よりも、改正法を発案した貴公の方にある。簿記法などを採用してくれさえせねば、われらもこんな過失をして、貴公などに責め付けられずに済んだのである」


 などと言語道断の暴言を(ほしいまま)にし、いささかたりとも自分らの非を省みる様な模様がないので、私もその非理屈にはやや驚いたが、なお憤らず、


「出納の正確を期せんとするには、ぜひとも欧州式簿記により、伝票を使用する必要ある」ことを諄々(じゅんじゅん)と説いて聞かせたのである。しかしその出納局長なる男は、ごうも私の言に耳をかさぬのみか、二言三言言い争った末、満面はあたかも朱を注げるごとく紅くなって、ただちに拳固を振り上げ、私を目蒐(めが)けて打って掛かって来たのである。


 その男は小背の私に比べれば、身長の高い方であったが、怒気心頭に発し、足がふらついていた上に、あまり強そうにも見えず、私はとにかく、青年時代において相当に武芸も仕込まれ、身を鍛えておったことでもあるから、あながち膂力(りょりょく)(筋力)が無いという訳でもなかった。かりそめにも暴行に訴えて無礼をしたら、一ト捻(ひとひね)りに捻ってやるのは何でもないことだとは思ったが、その男が椅子から立ち上がって、拳を握り腕を上げ、阿修羅のごとくなって猛り狂い私に詰めかけて来るのを見るや、私もすぐ椅子を離れてヒラリ身を()わし、全く神色自若(しんしょくじじゃく)(緊急時にあっても顔色ひとつかえないこと)として、二、三歩ばかり椅子を前に控えて後部(しりえ)に退き、その男が拳の持って行き所に困り、マゴマゴして隙を生じたのを見て取るや、(すか)さず泰然たる態度で、


「ここは御役所でござるぞ、なんと心得召さる、車夫馬丁の真似をすることは許しませんぞ、御慎みなさい」


 と一喝したものだから、その出納局長もハッと悪いことをした、田夫野人(でんぷやじん)(学のない田舎者)の真似をしたということに気がついたものか、折角握り挙げた拳を引っ込めて、そのままスゴスゴと私のおった総務局長室を出て行ってしまったのである。


 その後、その男の進退に関し種々(いろいろ)と申し出る者もあり、また官庁内で上官に対し暴力を(ふる)わんとしたは()しからん、などと騒ぎ立てる者があったが、私は当人さえ非を覚り悔悟したなら、依然在職させておくつもりの所が、当の私より省中の者が憤慨して、右の事情を詳細太政官(だじょうかん)に内申に及んだので、太政官でも打放(うっちゃ)っておく訳にも行かず、その男を免職せらるるに至ったのは、私が今なお、はなはだ気の毒に思うのである」



 

「この紋所が目に入らぬか! 控えい、控えおろう!」




 といったところでしょうかw


 23歳ともなれば気力体力ともに充実、何者にも負けん、くらいの気力のあった頃でしょう。しかも、仰せの通り、渋沢さんはwikiによりますと、「北辰一刀流の千葉栄次郎(かの千葉周作の次男にして伝承者。かの山岡鉄舟さんが「鬼鉄」と呼ばれていた頃に戦って打ちのめしたとされ、しかも、一度戦って負けても、二度目には必ず勝った、と言われたほどの俊英)の道場に入門し」たお方なので、剣術の腕前も相当のものであったことでしょう。


 山岡鉄舟さんも、あの幕末にあって一人も斬り殺したことがないように、渋沢さんも一人も殺めたことがないので、御本人がおっしゃるよりは、相当に隠忍自重のできるお方であったのでしょうね。


 まあ、このお話では、その出納局長なるおっさんの腕前からして、小物と看破されてしまったので軽くあしらわれてしまったようですが、この文章のいろいろなところに渋沢さんの才気が伺われますね。特に、「その出納局長もハッと悪いことをした、田夫野人の真似をしたということに気がついたものか、折角握り挙げた拳を引っ込めて、そのままスゴスゴと私のおった総務局長室を出て行ってしまったのである」の「折角」の箇所が目を見張りますw


 せっかく、という言葉の意味には、「努力・好意等による効果がうせるのを残念がる」とありますので、拳を振り上げて襲いかかってきた出納局長を、ついに打ちのめすことができなかったことが残念、という雰囲気もうかがえるのでありますw あ? やってやんよ?w というその当時の渋沢さんの薄ら笑い(?)が見えるようですw まあ冗談はさておき、この「折角」は出納局長にかかっている言葉であり、せっかく拳をあげたのにワシを殴れなくて残念じゃのぅ、くらいの意味合いでしょうけどね。


 まあ、それはともかく、孔子様もこう仰せです。




【子曰わく、内に省みて(やま)しからざれば、それ何をか憂え、何をか(おそ)れん】




 とあります。


 古来、自分が正しいと信ずるのなら絶対に曲げぬ。というのが大丈夫の気概であります。孟子も一歩進めてこう申しております。




【自ら省みて(なお)くんば、一千万人といえども我いかん】




 自分の心を内省し、恥ずかしい所、痛い所がなければ、一千万の敵がこようと恐れず突き進む。と。


 渋沢さんもそうですし、明治、いえ、まあ昭和の日本男子にはあった気概であります。しかし、戦争に負け、卑屈に成り果てた現代の日本男子が失った気概でもあります。もちろん、左翼の、フェミニストだのが跳梁跋扈するので男が気概を失うゆえんもあるはありますが、しかし、信念に従って行動することができない、そもそも、信念がない、もっと辛辣に言えば、信念を持てるだけの学問も根性もやる気もな~~~~んもない、のが現代日本男子であり、言っちゃ~悪いですが、ヘタレなお前が悪い、というところなので同情のする価値もありませぬ。


 大昔から、近代に至るまで、日本は偉人ガチャで大当たり連発してるんですよ。誰も知らないだけで、それこそ世界でもトップクラスの偉人が犇めき合っている。にも関わらず、それをまったく活かせていないわけで、現代日本男子は猛省してほしいとは思います。

 

 また、内に顧みて疚しいことだらけの今の為政者には、憂いと恐れだらけでしょう。


 おロシアとウクライナで戦争し3年目に突入しようとしている。そしていまや、パレスチナとイスラエルの戦争も勃発。この中東の紛争は、もしかすると第五次中東戦争に発展し、それはとりもなおさず第三次世界大戦に至るかも知れない、地獄の幕開けなのやも知れないのです。ますます、日本男子としては断々乎として行動できるだけの気概と気骨を養わなければいけない時代に突入したと言ってよいわけで、下手すると、幕末や敗戦の混乱に匹敵するほどの大混乱に至るやも知れないほどの、未曾有の大危機です。


 ガスの供給不足に加え、石油の供給、食料供給にも大混乱必至。


 こんな事態になってしまったからこそ、もう一度今回の渋沢さんのお言葉を振り返ってみましょう。



「一体文明とは、如何なる意義のものであるか。要するに今日の世界は、まだ文明の足らないのであると思う。かく考えると、私は今日の世界に介在して、将来わが国家を如何なる風に進行すべきか。またわれわれは如何に覚悟してよいか、()むことを得ずばその渦中に入って、弱肉強食を主張するに外の道はないか、ぜひこれに処する一定の主義を考定して、一般の国民とともに、これに依りて行くようにしたいと思う。


 われわれは飽くまでも、おのれの欲せざる所は人にも施さずして、東洋流の道徳を進め、(いや)増しに平和を継続して、各国の幸福を進めて行きたいと思う。少なくとも、他国にははなはだしく迷惑を与えない程度において、自国の興隆を計るという道がないものであるか。もし国民全体の希望によって、自我のみ主張することを止め、単に国内の道徳のみならず、国際間において真の王道を行うということを思ったならば、今日の惨害を免れしめることができようと信ずる」



 為政者は当然として、国民の多くがこの大理想をもって生きることができたのなら、どんな国難ものりこえることができるのであろう、とは思うのであります。思うんですよね~。

 

 また昨今、ようつべなどを見ておりましても、昭和の時代などとは比較にならないほどに、優れた人、真実の人が現れているような気がいたします。そして、ジャニーズなどをみるように、旧時代の遺物がどしどし排斥される傾向にもあるようです。


 日本の歴史、源平合戦や戦国時代、幕末と、偉人が多く現れるほどにその時代は動乱時代であり、そして、それはとりもなおさず新時代の幕開けでもあったわけです。


 この、これから来たるであろう、いえ、すでに突入しているであろう大混乱の時代は、次代の、輝かしい未来の玄関口なのだ、と信じて明日を頑張っていきたいと思いますし、皆様も未来を信じて頑張っていただきたいと思いまする。-人-





 といったところで今夜はこれまで。


 したらば。








 夏の終わりに「青空」を聴きながら。



――けれど最後は、星の記憶を担う最後の子には、どうか幸せな記憶を……――





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