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『論語と算盤』の丸写し。六、



『ゾンビになる前にしたい100のこと』


 の1話を見て思ったこと。そんなに会社が嫌ならとっとと辞めればいいのに、ゾンさんに世界を壊してもらわないと会社を辞めるもできない、現代の日本人の自主性喪失の悲哀を感じてしまい嫌になって途中で見るのをやめてしまいますた。


 これってただ単に「生ける屍」が「歩く(走る)屍」になるってだけじゃまいか。これぞ目くそ鼻くそやんけ。


 辞めたら先輩に迷惑がかかる、とか寝ぼけた言い訳してたくせに、ゾンさん出現で日本社会崩壊、もう会社にいかなくていいんだ! ってなったら、言い訳にしていたその先輩への心配なんぞなんもなし。いやまあ、本心はそうなんでしょうけど、己の心を殺してまで言い訳して、会社に隷従し続けなければいけない意味がまるでわからん。


 それで過労死だの自殺だのしている現代日本。

 

 わたしはいやしくも老荘思想家、己をもっとも尊しとなす生き物なので、己の誇りを汚されてまで、自尊心を踏みにじられてまで会社に隷属しなければいけない理由なんてなんにもございません。高橋是清さんも、食うだけの金は手に入る、とおっしゃってます。貧乏でも、陋巷にあろうと、誇りをもって生きることを是とする生き物です。そんなわたしから一言。


 もっと自分を大事にしたほうがええよ。



 おこばんはです。豊臣亨です。では、『論語と算盤』の丸写し。六、今回も学んでゆきましょう。p166




真の文明とはなにか




「文明と野蛮という文字は相対的で、如何なる現象を野蛮といい、如何なる現象を文明というか、その限界は随分むずかしいけれども、要するに比較的のものであるから、ある文明はさらに進んだ文明から見ると、やはり野蛮たるを免れないと同時に、ある野蛮はそれより一層はなはだしい野蛮に対すると、文明と言える訳になるけれども、今日これを論ずるに当たりては、ただ一つの空理にあらずして実現されておる所のものを例とするより外にない。


 ただし一郷、一都市についても、文化の程度を異にするけれども、まず一国を標準とするのが文明野蛮という文字に相応しいと思う。私は世界各国の歴史、もしくは現状を詳細に調べておらぬから、細密なるお話はできぬけれども、イギリスとかフランスとかドイツとかアメリカとかいう国々は、今日世界の文明国といって差し支えないであろう。


 その文明なるものは、何であるかというに、国体(こくたい)(国家の有り様、国家の性質、国家の政体、などなど。断じて国民体育大会のことではない。ないったらない)が明確になっていて、制度が厳然と定まっていて、そうして、その一国をなすに必要なるすべての設備が整って、もちろん諸法律も完備し、教育制度も行き届いておる。


 かくのごとく百揆(ひゃっき)(多くのはかりごと。または百官)皆整っているからといって、いまだ文明国とは言えない。その設備の整っている上に、一国を充分に維持し活動すべき実力がなくてはならぬ。この実力ということについては兵力にも論及せねばならぬが、警察の制度も、地方自治の団体も、皆その力の一部分である。かくのごときものが充分に具備している上に、かれこれ、おのおの()くその権衡(けんこう)(つり合い。兼ね合い)を得て、相調和し相連絡して、一方に重きを措き過ぎるとか、もしくは統一を欠くとかいうことのないのが、すなわち文明と言い得るだろう。


 換言すれば、一国の設備が如何によく整っていても、これを処理する人の智識能力がそれに伴わなければ、真正なる文明国とはいわれない。ただし、前に述べたるごとき、完全なる設備の整っている国で、これを運用する人は不完全であるということは、まず少ない道理であるが、ある場合には表面の体裁は完全に見ゆるが、根本が堅実でない場合もあり得ることで、いわゆる優孟の衣冠(ゆうもうのいかん)(他人の真似をする、または演技する者)で、立派な着物もその人柄には似合わぬというようなことがないとは言われぬ。


 ゆえに真正の文明ということは、すべての制度文物の具備と、それから一般国民の人格と智能とによりて、初めて言い得るだろうと思う。かく観察すれば、もはや貧富ということは論ぜぬでも、文明という中には自ずから富の力が加わっているとみて宜しいけれども、形式と実力とは必ずしも一致するものに非ずして、形式が文明であっても実力は貧弱、これははなはだ不権衡の言ではあるけれども、必ず無いとは言われない。ゆえに曰く、真正の文明とは強力と富実(ふじつ)とを兼ね備うるものでなければならぬ。


 さて一国の進歩はいずれに傾くかというに、古来各国の実例を観るに、多く文化の進歩が先にして、実力が後より追随するように思われる。ことに国によりては兵力がまず前駆して、富もやはり、そういう有様といわねばなるまいかと思う。富力(ふりょく)というものはことさらに遅れ馳せになるということは、多く見る例である。


 わが帝国の現状もやはり、そういう有様といわねばなるまいかと思う。その国体が万国に冠絶(かんぜつ)(飛び抜けて優れていること)して、しかして百般の施設も、維新以後、輔弼の賢臣(ほひつのけんしん)(天皇陛下、天子を補佐する能臣)が打ち寄って、漸次(ぜんじ)に建設せられたのであるから、まことに申し分はないと思っている。


 ただ、それに伴う富実の力が同じく完備しているかというと、悲しいかな、歳月なお浅しと言わねばならぬ。富実の根本たるべき実業の養成は、短日月にして満足し得るものではない。ために前に申す国体とか制度とかいうものが、完備せるに比較すれば、富力はすこぶる欠如している。ただし、その富を増殖することのみに国民(こぞ)って努力するならば、帝国小なりといえども、種々なる方法もあるだろうけれども、富むより先に使用せねばならぬという必要がある。文明の治具(じぐ)(固定具のこと)を張るために、富実の力を減損するは今日の大いなる憂いである。


 およそ国をなすは、ただ富みさえすればよいという訳には行かぬ。文明の治具を張るために、富力の一部を犠牲に供するということは、止むを得ぬであろう。換言すれば、一国の対面を保つため、一国の将来の繁盛を図るため、陸海軍の力を張らねばならぬ。内治にも外交にも、種々の国費を支出せねばならぬ。すなわち一国の治具のためには、その財源を多少減損するということは、勢い免れぬことであるけれども、それが(はげ)しく一方に偏すると、(つい)に文明貧弱にならぬとはいえぬ。


 もしも文明貧弱に陥ったら、百般の治具は皆虚形となり、遠からずして文明は野蛮と変化する。かく考えると、文明をして真の文明たらしむるには、その内容をして富実、強力、この二者の権衡を得せしめねばならぬ。わが帝国において、今日最も(うれ)うる所は、文明の治具を張るために、富実の根本を減損して顧みぬ弊である。これは上下一致、文武協力してその権衡を失わぬよう、勉励せねばならぬと思う」




 文明野蛮の論。


 古典的に言いますと、王覇の論などといいますね。王道、覇道どちらが是か非か、というもの。特に中華はこれを非常にやかましく論ずるところであります。孟子などは王道を道徳による治世、覇道を武力による鎮圧と論ずるところです。まあ、これは侵略国家的概念であって、自国の治世にそのまま適応させるものでもないですが。


 文中を伺いますと、渋沢さんは、ある意味そういう時代であったというべきか、国家の制度、体制の完成に力点を置かれているようです。なにせ、幕末から新日本、明治維新を推進された功臣のお一人ですから、そこに視点が及ぶのも、むべなるかなでしょう。


 しかし、渋沢さんのご心配は、その後の日本でことごとく非常に最悪なケースで推移いたしました。



「換言すれば、一国の設備が如何によく整っていても、これを処理する人の智識能力がそれに伴わなければ、真正なる文明国とはいわれない。ただし、前に述べたるごとき、完全なる設備の整っている国で、これを運用する人は不完全であるということは、まず少ない道理であるが、ある場合には表面の体裁は完全に見ゆるが、根本が堅実でない場合もあり得ることで、いわゆる優孟の衣冠(ゆうもうのいかん)で、立派な着物もその人柄には似合わぬというようなことがないとは言われぬ」



 まさしくここでおっしゃるように、


「処理する人の智識能力がそれに伴わなければ、真正なる文明国とはいわれない」


「完全なる設備の整っている国で、これを運用する人は不完全であるということは、まず少ない道理」


「表面の体裁は完全に見ゆるが、根本が堅実でない場合もあり得る」


 これがまさしく最悪の状態で底を打っているのが現代日本といえるでしょう。


 令和にあって、社畜がゾンビになるという、生ける屍が歩ける屍になるがごときアニメが、日曜の夕方5時に堂々と放送されるほど、日本人の自意識、自覚の喪失は日常と化してしまったかと感ずる他ありません。むしろ、あまりに自覚がなさすぎて、あんなアニメを放映されること、それを視聴して面白いと思えるほどには日本人の精神は死に絶えているのではないかと感ずる次第。


 たかがアニメ、と思うでしょうが、しかし、その放映されるアニメにどういった反応を示すか、でその人間性やら民意やらを伺うことが出来るのです。例えば、ちょいと旧聞に属するお話ですが『スーパーカブ』というアニメで、女子高生がカブに二人乗りで移動しているシーンに、道交法違反じゃまいか! と世間が激しく反応することがありました。


 また、昨今ならポリコレということで、ゲームなどに黒人が登場しないじゃないか! とか、女性キャラが美人すぎる! などという的外れもはなはだしい反応が見られるように、それに、どういった反応を見せるか、で世相を伺うことが出来るのであります。


 今回の、社畜という生ける屍が、ゾンさんという歩く(走る)屍になる、という、そもそもで言えば、思考能力の喪失、自主性の喪失という点では目くそ鼻くそでしかないというのに、これを面白いw とだけ反応している時点で、現代日本人の自覚の無さが伺える気がするのであります。


「もしも文明貧弱に陥ったら、百般の治具は皆虚形となり、遠からずして文明は野蛮と変化する。かく考えると、文明をして真の文明たらしむるには、その内容をして富実、強力、この二者の権衡を得せしめねばならぬ。わが帝国において、今日最も(うれ)うる所は、文明の治具を張るために、富実の根本を減損して顧みぬ弊である。これは上下一致、文武協力してその権衡を失わぬよう、勉励せねばならぬと思う」


 

 昨今は言わなくなりましたが、KY というのがありました。いえ、言わなくなっているだけでそれが日常化、恒常化しているから誰もそんな単語を用いなくなっただけでしょうけど。


 空気を読め、と。


 この、「全体の和のために我を張るな」、ということを当然のこととして受け入れる昨今の日本人の精神性が、しかし実に、野蛮へと堕落した日本にとって非常に都合の良い、使い捨てにして構わぬという社畜を維持するに好都合な「空気」であった、と理解している日本人は幾人おるでしょう。


 学校でも家庭でも、いい子が好まれます。


 先生の言うことを唯々諾々と聞き、しゃっちょこばらぬ、我を張らぬ、問題を起こさぬ、ただテストで良い点を取ることを至上とし、上位の学校に進級する人間を好しとする、現代社会。


 いじめにしたって、そういう「空気」を読めない異分子を排除しようとする行為なのでしょうし、それを見て見ぬふりする行為、事なかれ主義も、それも「空気」に汚染された現代日本人の悪弊なのでしょう。


 そうして「空気」を読むことに慣らされ、四角四面に型にはめられ、なんの疑問も不快にも思わないヒナたちは、まさしく会社という工場によってエコノミック・アニマル、経済動物として世に出荷されるようになる。


 そうして、給金や生活の安定のために己の心を殺し、我が身を殺し、社畜という名の生ける屍と成り果てて今日も満員電車に揺られることとなる。それが現代社会の常識、あって当然の仕組みとして構築されてしまったがために、誰も疑問に思わないし、逆にこのことを疑問、不快に思うようなものはどこぞで自殺するか、逃げ出すようなヘタレである、社会不適格者であるとまで思っている始末。


 ダグザ中佐の言のごとく、



「個人の力では変えられないし、変えようとする気すら起こさせない。どんな組織でも起こることだ。が、かと言って維持存続の本能に呑み込まれた歯車を悪と断ずることもできない」



 会社に、社会に隷属、盲従すること、歯車となって一部品として存在し続けることは現代においては当然のごとく要請されうることであるから、疑問にも、否定的にも思ってはいけない。


 そんな「空気」に現代日本人は完全に汚染されてしまい、そうして、他者からにも、そして自主的にも、自覚を喪失していって生きながらゾンビ化していったのでは。


『ゾンビになるまえにしたい100のこと』を見て面白い、と思った人は、まさしく社畜だのブラック企業だのからまったく関係のない一握りの勝者か、もしくは無自覚人間のどちらかではないか、と思ふ。


 真っ当な心があるならば、あれをみると悲痛な気持ちになるのでは、と思いますが、無自覚人間には響かないか。まあ、滅びへ向かって一直線な日本としては、そちらのほうが真っ当な反応なのやも知れませぬ。


 ちなみに、


『南洲翁遺訓』の11条では西郷隆盛公はこうおっしゃっておいでです。




「文明とは道の(あまね)く行はるるを賛称せる言にして、宮室の荘厳、衣服の美麗、外観の浮華を言ふには非ず。世人の唱ふる所、何が文明やら、何が野蛮やらちっとも分らぬぞ。予かつて或人と議論せしこと有り、「西洋は野蛮じゃ」と云ひしかば、「否な文明ぞ」と争ふ。「否な否な野蛮ぢゃ」と畳みかけしに、「何とてそれ程に申すにや」と推せしゆゑ、「実に文明ならば、未開の国に対しなば、慈愛を本とし、懇懇説諭して開明に導く可きに、さは無くして未開蒙昧の国に対する程むごく残忍の事を致し己れを利するは野蛮ぢゃ」と申せしかば、その人口を(つぼ)めて、言無かりきとて笑はれける」




 国民を経済動物とみなし、ただ、金を搾り取るためだけに血道を上げ国家を運営する。


 これこそ野蛮人のする仕業であって、こういうことを心から心配された偉人を抹殺したような国が、そもそも真っ当な国になるはずがない。


 明治以降の日本人は、こういう根本をこそ、気を配るべきであったと思ふ。


 それどころか、そのことにかけらも気を配ることもなく、戦争に負け、それどころか、憎むべき勝者に奴隷として拝して能事とし、エコノミック・アニマルとあざけられながらも、ただ金さえ儲ければよしとする国が、そもそも栄える道理などあるはずがない。


 奴隷に誇りなど無く、ただ隷従し盲従するだけの卑屈な奴隷根性があるのみ。本当の誇りとは、蟷螂の斧と言われようと、戦うものにのみ養われる精神性なのであります。


 では、続きましてはその西郷さんとのお話。p186




二宮尊徳と西郷隆盛




「井上候(井上馨(いのうえかおる)。明治政府の元老にして毛利家の宿老の家系)が総大将を承って采配を振り、私や陸奥宗光(むつむねみつ)(渋沢さんと同じく幕臣ながら、坂本龍馬とも交友があった)、芳川顕正(よしかわあきまさ)(銀行制度確立に貢献した、のだとか)、それから明治五年に、英国へ公債募集のため洋行するようになった、吉田清成(よしだきよなり)(薩摩藩士。外債交渉に活躍した、のだとか)なぞが(もっぱ)ら財政改革を行うに腐心最中の、明治四年のことであるが、ある日の夕方、当時私の住居した神田猿楽町(さるがくちょう)茅屋(あばらや)へ、西郷公が突然、私を訪ねて来られた。


 その頃西郷さんは参議というもので、廟堂(びょうどう)(古くは朝廷。いまでいうと政権?)ではこの上もない顕官(けんかん)(最高位の官職。いわゆる雲の上)である。私のごとき官の低い大蔵大丞(おおくらだいじょう)(明治2年の法令全書によれば、なんでも大蔵省の従四位とのこと。今でいいますと、財務省主計局総務課課長とかそんな感じでしょうか?? 目もくらむような高官ですw)ぐらいの小身者を訪問せられるなど、すでに非凡の人でなければできぬことで、誠に恐れ入ったものであるが、その用談向きは、相馬藩の興国安民法についてであった。


 この興国安民法と申すは、二宮尊徳先生が相馬藩に(へい)せられた時に案出して遺され、それが相馬藩繁昌の(もとい)になったという、財政やら産業やらについての方策である。井上候始め、私らが、財政改革を行うに当たり、この二宮先生の遺された興国安民法をも廃止しようとの議があった。


 これを聴きつけた相馬藩では、藩の消長に関する由々しき一大事だというので、富田久助(とみたきゅうすけ)(二宮金次郎の娘婿、だとか)、志賀直道(しがなおみち)(二宮金次郎の弟子、だとか)の両人をわざわざ上京せしめ、両人は西郷参議に面接し、如何に財政改革を行われるに当たっても、同藩の興国安民法ばかりは御廃止にならぬようにと、(とも)に頼み込んだものである。


 西郷公はその頼みを容れられたのだが、大久保さんや大隈さんに話した所で、取り上げられそうになく、井上候なんか話でもしたら、井上候はあの通りの方ゆえ、到底受け付けてくれそうに思われず、頭からガミガミ跳ね付けられるに決まってるので、私を説きさえすればあるいは、廃止にならぬように運ぶだろうとでも思われたものか。富田、志賀の両氏に対する一諾(いちだく)を重んじ(一度でもうんと言ったのなら絶対やる、という覚悟)、わざわざ一小官たるに過ぎぬ私を茅屋(ぼうおく)に訪ねて来られたのであった。


 西郷公は私に向かわれ、かくかくしかじかの次第ゆえ、折角の良法を廃絶さしてしまうのも惜しいから、渋沢の取り計らいでこの法の立ち行くよう、相馬藩のために尽力してくれぬか、と言われたので、私は西郷公に向かい、


「そんなら貴公は、二宮の興国安民法とは何んなものか御承知であるか」


 と御訊ねすると、


「ソレハ一向に承知せぬ」とのこと。


「どんなものかも知らずに、これを廃絶せしめぬようにとの御依頼ははなはだもって腑に落ちぬわけであるが、御存知なしとあらば致し方がない、私から御説明申し上げよう」


 と、その頃すでに、私は興国安民法について充分取り調べてあったので詳しく申し述べることにした。


 二宮先生は相馬藩に招聘せらるるや、まず同藩の過去百八十年間における詳細の歳入統計を作成し、この百八十年を六十(ずつ)に分けて天地人の三才とし、その中位の地に当る六十年間の平均歳入を同藩の平年歳入と見做(みな)し、さらにまた、この百八十年を九十年宛に分けて乾坤(けんこん)の二つとし、収入の少ない方に当る(こん)の九十年間の平均歳入額を標準にして藩の歳出額を決定し、これにより一切の藩費を支弁し、もしその年の歳入が幸いにも坤の平均歳入予算以上の自然増収となり、剰余額(じょうよがく)を生じたる場合には、これをもって荒蕪地(こうぶち)(荒れ地)を開墾し、開墾して新たに得たる新田畝(しんでんほ)(おにゅうの田畑)は開墾の当事者に与えることにする法を定められたのである。これが相馬藩の、いわゆる興国安民法なるものであった。


 西郷公は、私がかく詳細に二宮先生の興国安民法について、説明する所を聞かれて、


「そんならそれは『入るを量りもって出るをなす』の道にも適い、誠に結構なことであるから、廃止せぬようにしてもよいではないか」


 とのことであった。よって、私はここで平素自分の抱持する財政意見を言っておくべき好機会だと思ったので、如何にも仰せの通りである。二宮先生の遺された興国安民法を廃止せず、これを引き続き実行すれば、それで相馬一藩は必ず立ち行くべく、今後ともに益々繁昌するのであろうが、国家のために興国安民法を講ずるが、相馬藩における興国安民法の存廃を念とするよりも、さらに一層の急務である。西郷参議におかせられては、相馬一藩の興国安民法は、大事であるによってぜひ廃絶させぬようにしたいが、国家の興国安民法はこれを講ぜずに、そのままに致しおいても差し支えないとの御所存であるか、承りたい。


 いやしくも一国を双肩に担われて、国政料理の大任に当たらるる参議の御身をもって、国家の小局部なる相馬一藩の興国安民法のためには御奔走あらせらるるが、一国の興国安民法を如何にすべきかについての御賢慮(ごけんりょ)なきは、近頃もってその意を得ぬ次第、本末転倒のはなはだしきものであると、通論いたすと、西郷公はこれに対し、別に何とも言われず、黙々として茅屋を辞し還られてしまった。


 とにかく、維新の豪傑のうちで、知らざるを知らずとして、ごうも虚飾のなかった人物は西郷公で、実に敬仰に堪えぬ次第である」




 う~ん、この全文にわたる微妙な言い回しw 過剰なまでの謙遜も鑽仰もすべて皮肉に聞こえるw


 しかし、まあ、渋沢さんの頂門の一針も、そうしたくもなるんでしょうねぇw


 日本を立て直すだけでも産業、工業、軍事、立法、行政、司法、インフラ、税収(税収ひとつとっても、これまでの江戸時代以来の年貢米である米納から、お金での納税に切り替えないといけないわけでその仕組をどうするのか、米はまず農民自身に売ってもらってそのお金を納めてもらう、という仕組みを作らないといけないわけで。で、それを人々にどう周知徹底させるのか、想像するだに寒気がしますw)やるべきことは山とあるというのに、江戸時代の旧弊がそうそう簡単に改まるわけもなく、それどころか自利を貪って毫も恥じぬ俗物がはびこる始末。しかも、ことは日本だけの問題に収まらない。アメリカだのロシアだのイギリスだの、大列強を向こうに回して戦ってゆかねばならないし、清帝国だの朝鮮半島だの周辺も頭の痛い問題であるわけで、どれひとつとっても対応を間違えれば国が傾きかねない難事ばかり。


 恐れ多くも維新の大英雄が、小藩ごとき(しかも言って悪いがど田舎の10万石もないような)にかまけていてどうするのか、あなたはもはや国家の安危を念頭に置いて行動すべきご身分ではないのか。


 と言いたくもなるんでしょうけど、しかしまあ、自分で小身者といいながら、その維新の大英雄に向かって露堂々と正論パンチをかませるところが、偉人の偉人たる由縁なんでしょうねw


 まさしく、この自覚、断固たる信念においては大英雄を面前とするといえど寸毫も譲らぬ、という大覚悟。この強心臓。


 明治の頃の日本人がもっていて、現代の日本人が失った気概ですね。


 明治以降の日本が、長い期間に渡っていい子ちゃんばかりを要求し、問題児を排除していった結果、生み出された当然の結果でしょう。それも、暴虐邪智な為政者のみが求めたにあらず、多くの日本人が好き好んで求めた結果なのですから、インガオホー。


 そうして、空気を読め空気を読め、と全体に、全員に押し付けると同時に、それで、その当然の反動として己の心をどれほど殺すような結果となってしまったか、四角四面の自分を作ることしかできなかったか、これを検討することは不可能であり、天の神しか分からぬことでしょうけど、それによってこんな日本が作り出されたのですから、ねぇねぇ今どんな気持ち? ってところですね。


 とは言え、相馬藩といえば、早々に降伏したとはいえ佐幕側だったわけですよね。で、隆盛公は押しも押されもせぬ、倒幕の筆頭。江戸無血開城を成し遂げた本物の英雄。そんな倒幕の大リーダーに、相馬藩のごとき佐幕派が嘆願にゆくというのは、厚かましいといいますか、図々しいといいますか、なりふり構わぬ必死さといいますか。


 で、そんなお願いに、一諾を重んじて自分自身で動き出す、というのが、見方によっては迂闊のそしりは免れぬと言いますか、自分自身の価値を知らないといいますか、全然しゃっちょこばらない隆盛公は、やはり、古今稀有な聖人君子でございます。これが普通の人間だったら、なんで幕臣が俺にものを頼むんだよ、とかなんとか言って立場だの身分だのをたてにして願いを聞き入れないでしょうけど(わたしなら絶対そうするw)、そんなこと全然気にせず、ふらりと渋沢さんの居宅を訪れるところがやはり非凡にすぎますw 西郷さんはまさしく、




【党無く偏無く、王道蕩蕩(とうとう)




 の、生きる見本だった、と言えるでしょう。


 一方に偏ったり、どこぞに肩入れしたりすること無く、私利私欲のない、まるで春の日差しのようにすべてを暖かく包み込む。そういうお方であった。


 でも、だからこそ、そんな自然体で、偉ぶったり、欲目に走らない隆盛公だからこそ、全然真逆な明治政府の魑魅魍魎どもには、無価値なものに見えたのかも知れません。で、ご自分はご自身の価値に一向頓着なさらないくせに、周りからすればやはりとんでもない大英雄なわけで、神輿として担ぎ上げるにはこれ以上の存在はないわけで、だから、明治政府の人間は、どんな手を使ってでも抹殺したい目の上のたんこぶだったのかも知れません。


 そして、薄汚い策を弄して抹殺して、王道を抹殺して、覇道に邁進した明治政府、日本が、やがてそれ以上の覇道の化け物、米国にこてんぱんに蹴散らされるのも、ある意味当然の成り行きだったのかも知れません。


 大東亜戦争での敗北も、現代の日本も、王道蕩々を抹殺した日本の、インガオホー、だったのでしょう。


 曲がりなりにも、儒教をもって260年の天下太平を日本で実現せしめた江戸幕府を打倒したのならば、明治新政府はそれ以上の大理想をもって日本を、世界を牽引すべき責務があったというのに、さはなく欧米の猿真似をして覇道に邁進するのはいかばかりか、と、あれだけの偉人を数揃えながら誰も疑問に思わないのだから恐れ入る。


 なんでも、帝国大学の開校記念式典に臨席遊ばされた明治天皇は、知識やスキル教育ばかりに偏重し、本当のリーダーを育成する学問がなにもないことをご懸念されていたそうです。偉人は数いても、本当の偉人はほとんどいなかったことがわかります。


 そう思ってこの文章を見ますと、正論パンチでぶっ飛ばしたお方は、例えるのなら(りょう)の武帝に謁見した達磨大師に比すべきお方であり、決して逃してはいけなかった幸せの青い鳥であったのだ、ということを、イキった文章書いてる当時の渋沢さんがそこまで考えておられたのか、死んだら聞いてみたい気はしますw


 そう、つれづれ考えておりますと、こんな末世の日本では、自覚も自主性もなく、生ける屍と化してさまよっている方が、一面においては気楽なのかも知れませんね。



 といったところで今回はこれまで。


 したらば。





『自動販売機に生まれ変わった俺は迷宮を彷徨う』のOPを聴きながら。


 さあ、数だけは異様に多いと言われる夏アニメが始まりましたが、今のところ好きなOPはこれですね。BRADIOといえば、内容も全然知らないし、名前すらよく知らない『デス・パレード』のOPも好きなんですよね~w




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