日本って? (三)
おこんばんはです。豊臣亨です。
さて、盛大にすっとばしてきましたが、緩やかに進化を遂げてきた日本という国は、明治にいたって大躍進すると同時に、現代にも通じる頽廃堕落がすでにして始まっていたのであります。
それは西洋近代思考によるイデオロギー。左翼思考だの、資本主義だの、それまではなんとかかんとか皇室を中心に日本の歴史は回っていたのですが、左翼思考の流入による王権打倒思考、革命思考の浸透、英雄に憧れ、自分もそれに倣おうとするより現状のままに満足する庶民的こそが至上であるとする思考などに傾倒しました。それによって、皇室はしょせん支配者であって搾取する側であって、我々庶民はこの支配から脱却するのだ、という思考が蔓延するのです。
西洋や中華の歴史なら支配者、被支配者という単純な構造なのですが、それとは真逆で、日本は君臣一体の懸隔のない歴史を寿いできたわけなのですが、残念ながらイデオロギーごときにおつむをしてやられてしまう人にはそんなこと分かるはずがない。もしくは、分かっても認めるわけがない。
革命思考という、王権を打倒しようとする、支配構造の打破を目指すイデオロギーによって英雄の否定、偉大なる人物を唾棄する思考によって、本来あったはずの日本人の高邁なる精神がどれほど汚損されたか、西洋の近代思考がどれほど東洋思想を壊滅させたか。恐らくほとんどの人はその本質的悪影響を今でもわかっていないと思います。
だから、日本人として誇りや自覚なら歴史上でも最高峰だったはずの、あの、明治の元勲が、どうしてああも腐敗堕落してしまったのかは、つまり、彼らは冷静な西洋観察の視座が欠けていたからだと思います。尊欧卑亜で、西洋に追いつけ追い越せで、何が何でも西洋の真似事をして新国家を推進せねばならなかった、そのご苦労のほどは察するに余りがありますが、しかし、明治の日本人が仰ぎ見た西洋とは、しかし、仰ぎ見すぎて、対等なる視点、公平なる視野というのが根幹から欠けていたわけです。
機会があったら大航海時代が始まるまでの西洋というのも勉強なさると面白いと思いますが、西洋というのは大航海時代の以前と以後で激変するのはご存知でしょうか。
大航海時代以前では、それまでは国力的にも経済的にも、オスマン・トルコやインドよりはるかに劣っていて、だいたい、あの十字軍遠征だって結局西洋は負けており失地回復どころか恥じの上塗りをしまくったわけです。さらに、はじめて西洋がインドを見つけて、香辛料の交易を始めようと許可を求めて貢物をするのですが、その貢物の中身があまりにも貧相で、インド人の庶民にすらあざ笑われた、のだそう。
それが、どんどん諸外国に戦力を進出するに及んで、バイキング伝統の(というより西洋伝統の)、殺してぶんどれを地でいって次々に諸外国を征服、略奪し国力をつけていって、ついに、白人至上主義が出来上がってゆくわけです。簡単にいうなら、身につけた科学力で文化後進国を踏みにじり、調子に乗ったということです。
大西郷さんの『南洲翁遺訓』にあります、
「実に文明ならば、未開の国に対しなば、慈愛を本とし、懇懇説諭して開明に導く可きに、左は無くして未開蒙昧の国に対する程むごく残忍の事を致し己れを利するは野蛮ぢや」
これが西洋であり、逆に、少なくとも昭和の日本は、多くの占領地を、植民地ではなく自国化して、共に手を携え繁栄と発展を目指していた、ということなのです。もし、朝鮮半島が植民地だったのなら、絶対に、朝鮮出身の士官などいなかったでしょう。同じ日本人だからこそ、朝鮮人でも士官となって大東亜戦争を戦ったのです。黒人が絶対に士官にはなれなかった米国とは対照的に。
他国に対する扱いでも、日本と西洋ではこうまで違いがでてくるわけですが、ではこの、西洋と東洋とは何なのか。多くの人は、ただ地理上の区別だとしか思っていないのではないのでしょうか。
西にあるから西洋、東にあるから東洋。
ここまで遠い地にあるから、そりゃ少しは文化的にも差異はあるであろう、と。
そうではありません。西洋と東洋には大きな違いがあるのです。
明治の日本人が誤った西洋、
そして、現代日本人が理解していない東洋、
この東西の違いは何なのか。
それを、今回も安岡先生の書『日本精神通義』にお伺いしたいと思います。
老荘思想家のおっさんは語りたい。
東西文化の本質的対照
p193
「それが、東洋文化と西洋文化との上においてまた格好の対照をなしております。西洋文化はこれまでの諸例から見ればもはや明らかに、きわめて陽的文化であります。これに対して東洋文化は非常に陰原理を本文とする文化ということができます。
そこで西洋文化は明らかに外向性を帯びております。すなわち物質的であります。理知的で、才能本位で、功利的であります。どちらかといえば、男性的であります。難しい言葉で申しますと”乾徳文明”であります。
これに対照いたしますと、東洋文化ははるかに内面的精神的なる特徴をもち、理知的よりは情意的であります。功利的よりも趣味的であり、才能的よりは徳操的であります。男性的よりは女性的です。これを乾徳文明に対していえば”坤徳文明”であります。これは東洋文化の諸相を西洋文化の諸相と対比して見てまいりますと明瞭であります。つまり、西洋の文化は一つのものが無限に自分を分化し、形を採って自分を発現してゆこうとする働きであります。
東洋文化は複雑な差別を統一し、なつべく含蓄しようという傾向を持っております。これだけは否むに否めない特徴です」
ほとんど世界のすべてが「てめえさえよければそれでいい」思考なのに対して、日本だけが分を守るということを誇りに思ってきました。であるなればこそ、ひとつの皇室を戴いて、それに取って代わろうなどという思いあがった者の出現が驚くほど少ないのであります。たとえ皇室に近づいても、それに取って代わるのではなく、自分の娘を天皇の正室や側室に送り、その生まれた子の外戚として影響を発揮する、くらいに止まるのようにあくまで家臣としての分を守って参りました。冷静に考えますとものすごいことであります。
そういう点で言いますと、皇室に仇なした織田信長公が、明智光秀公に弑逆されたのもむべなるかな、と言えるでしょう。日本においては皇室に仇なすことは恐るべき大逆なのであります。
p197
「茶を一つ飲むにいたしましても、茶は決して渇を癒すというような単なる生理的満足でなく、茶というものによって我々が精神的生活を行う人格的に深い要求を満たすということがあの中に含まっております。
したがって茶道というようなものになってまりますと、実に幽玄なもので、その至れるにおよんでは例えば井伊家に直弼の好んで行いました一期一会の心得があります。一期一会とはすなわち一生涯に一度会うことで風炉の前に主客が端座する時、その時今生においてこれ限りかも知れぬ、人命というものは朝露のごときものである、朝あって夕を図ることができぬ。ここで会えば復た会うことは人間として期することができぬ、今生にこれを限りと思う気持ちになる。そこで汲むと人間はふざけた心、雑念というものが悉く脱落して真心が表れる。その真心をいうのがあの一期一会の有名な精神であります。
こうなりますと、茶を飲むということは物質的問題にあらずして、深遠なる悟道の問題であります。
このようなことは限りありません。住宅もそうです。西洋の住宅は大自然の中より、いかにして人間の世界を分派し出さんか、自然という混沌たる中から人間の天地をはっきり派生するようにできております。
ところが東洋ことに日本の住宅はこれと反対で、人間の住まいをいかにして自然に統一すべきかということを旨としております。これは東西の建築を見てまいりますと明瞭であります。こちらの方は、「ひきよせて結べば柴の庵にて、解くれば元の野原なりけり」で、あるいは「解かねど元の野原」であります。
最も人間の深い霊的要求による宗教的建築を見てまいりましても、ヨーロッパに教会建築、インド・中国の仏教建築と、それから日本の神社建築を見る時、やはり、民族性の本領の相違を明らかに看取することができます。
向こうはいかにして寺院の建築を人巧的に荘厳ならしめんかということに苦心を極めておりますが、それがだんだん東洋的ことに日本の神社建築になりますと、いかにして人間の一切の粉飾を去って、大自然に冥合せんかというふうに苦心しております。神社建築は木と石と明りです。その他何もない。その極まるにおよんでは山そのもの、森そのものを神体とし、神社として拝み入るようにできております。これ実に荘子にいう「已に彫し已に椓して復た朴に還る」ものであります。
大体こういうふうに東西の生活様式が違っております。日常の居居動作を見ましても、西洋人は分析的に、外面的に行動します。東洋人は統一的、含蓄的に動作します。前述のごとく西洋人の住宅は大自然の中から人間の住居を分離いたしたものでありますから、この西洋住宅に生活しますと戸外運動というものが必要になってまいります。
日本の住宅は今申しましたように、大自然と融合合致せしめることを念としておるがゆえに、強いて戸外運動の必要を西洋人ほど認めないのであります。婦人の生活を見てまいりましても、日本婦人は躾の通り、作法の通りに生活しますならば、例えば食事をするにも、来客に応接するにも、それが同時に運動になっているのであります。
茶を持ってそうして客室に入る時にはまず座って、全身運動で襖を開けなければならぬ、そして立ち上がって入って、また座って襖を閉め、また立ってそれからまた座って茶を出す、あるいは配膳をする。挨拶を一つするにも手を出して握手のような局部運動をすればよいというわけには行かぬ。必ず両手を突いて全身運動をなしてお辞儀をしなければならぬ。それで作法どおり一旦お客に接しますると相当の運動であります」
どうして日本人が茶道などに精神的昇華を求めるか、の解説ですね。
一期一会というのも、武士というのは日常の生き方に常に死生観があって、『葉隠』にも「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」とありますように、常に死を意識して今日を生きねばならない、という覚悟がある。死んだものとして自分を置いてしまえば、もっと客観的な、全体的な、長期的な視野が確保できるはずであり、下らない利己心など捨てられるはず、というある種の悟りといいますか、達観なのです。
朝起きたら今日は死ぬ日だという覚悟があればもっと真剣に生きられるはず、と考える。そう、真剣に生き、明日には自己の命すら知れぬ身であると思えば、生き方そのものが活き活きとしてくるはず。そう考えるわけですね。
東洋人は、こういう、余計なものを捨てる、最終的には己すら捨てる、という精神が旺盛です。宗教関係者のwikiなどをみますと、悟りにいたるとか大悟徹底したとかちょこちょこ出てきますが、西洋の宗教家ではそんな言葉は見たことがありません。西洋にはそういった悟る、とかないのでしょうか。もし、あったとしても、それを知覚できる人がいなかったのでしょうね。悟りにいたった人しか、悟りとは何かなんて分かるわけがありませんですしね。西洋は、物質的に固執するのが多いように見受けられるので、到底悟りなど至れないのでしょう。
とはいえ、現代でそうなるのは相当大変ですが、例えば、本当に自分に必要なこととはなんだろう、不必要なことはなんだろう、と考えれば、『断捨離』ではないですけど、けっこう整理整頓ができるはずです。わたし的には現代って、いらないものであふれ帰っているとは思いますけど、どうでしょうね。いえ、TVゲームとかは絶対必要です(笑)。
また、建築様式の美意識というのも、これも、世界対日本、という図式ではありますが。
中華も、かつては日本人と同様、正座し、床しい人は素朴や自然を愛するのですが、歴史が下り様々な文化と混融するに及んで人智の偉大なるを誇るようになっていった模様です。
その違いは庭造りなどでもろにでてくる、と安岡先生はおっしゃってまして、噴水とか、迷路とか、西洋ではこれでもかとごてごてと人為で飾り立てますが、日本ではいかに自然をそこに再現するか、を苦心するわけですね。庭師さんたちも、いかに自然に石を配置し魅せるか、を苦慮なさるのだそうな。なのでわたしも公園などを歩いていて噴水とかあるとイラッとします(笑)。水槽でも、いかに不自然を廃せるか、を考えるのが楽しいのですが残念ながらわたしの感性では流木の配置とか難しいです。
p217
「されそれでは、個人生活、家庭生活、社会生活という方面ではどうでありましょう。西洋は再三にわたって述べてきたように、文化発展の「陽」の原理によるものであります。したがって、どうしても人間として個我的、主我的、個人主義的であります。これに対して東洋は統一含蓄、言い換えれば自分というささやかなものから少しでもこれを摂理する根源の大生命に帰一して生きようというところの「陰」原理を本領としております。そこで没我的であります。
この西洋は主我的で、東洋は没我的であるということは著しい特徴でありまして、そこで個我的な精神の当然の発展として必ず権利観念、平等思想というものが生じます。権利観念、平等思想というものが正しく発展いたしますことは各人各個の自覚が明瞭になりまして、そうしてお互い同志の間に協同組織、共同動作というものが自然に発達することです。これによって社会という大きな体系的生活が営まれていくわけであります。ところが、一度これが失敗しますと、権利義務の観念、平等主義の観念が排他主義、無秩序破壊となります。
西洋の家庭生活をご覧になりますと、西洋の家庭生活においては夫婦というものは平等であります。各自自己を知り、相手を理解し、そうして共同生活を営んでおります。妻も財産権を持っている。夫は自分の経済的失敗によっても決して妻を煩わさないで済む。また、妻は自ら進んでなさざる限りは夫の財産上の破綻とは無関係でおられる。金では他人で、妻が財産を持っておっても容易に夫を助けるということはない。同じようにこちらが資力がないと結婚が行われない。子供は子供、夫は夫、妻は妻、父は父というふうに明瞭に個人的生活が行われております。
向こうの議会制度などを見ましても、政党はこれを構成する代議士たちがそれぞれの見識を持ち、それぞれ一つの主義を持って明瞭に自己の生活という者を持っております。それが協同してここに生まれるものが政党、そこで政党の首領というものがありますが、この首領の党員に及ぼす影響というものは東洋とはまったく違っております。よほど機械的であります。
したがって、首領というものの存亡のいかんにかかわらず、政党および党員はよく保っている。その政党に属する党員が平気でその党の政策を批判もすれば反対もする。これを他の党員が敢えて怪しみもせぬ。これはヨーロッパあたり、アメリカあたりの政党に常に見るところであります。
同時に経済社会を見ましても、資本家は資本家、労働者は労働者で仲よくいった場合に資本労働両方面のいわばお義理的協調というものがある。労働者は労働者としての自覚を持ち、資本家は資本家として相対的存立をなしている。しかし、一歩を誤れば闘争であります。
東洋はそういうようには行かぬのであります。
東洋の家庭というものは決して夫なり妻なり親なり子なりというものが明瞭に相対的、平等的なる自覚の共同生活をなしているのではない。いずれかといえば、お互いに没我的になって相愛し合うというのが原則です。親は子のために自己を忘れ、妻は夫のためにまったく己を忘れる。そうして夫や子供の喜ぶのを見て喜び、悲しむのを見て悲しむ。夫あり、子あることを知って、自らを知らぬという状態が普通であって、それが正しいのであります。
だから西洋と違って、夫が物をもらえば妻が礼を言う。子供が物をもらえば親が礼をいう。そういうことは日本の家庭でなければ見られぬことであります。
政治社会を見ましても、日本の政党に属する政党員というものは明確なる主義主張は、一般に余り持っておらぬのであります。いわゆる陣笠代議士(下っ端の代議士)であります。皆それぞれ親分とか何とかいうものがあって、それに没我的に許しているのであります。そうして親分のいうことには皆賛成であります。
したがって、政党というものは強力なる親分、総裁が現れる時は、これは実によく自分の手足を動かすように政党員を連れて行くことができる。善悪ともに自由になる。これは西洋ではなかなか難しい。いやしくも、立派な政党ならばそのために幹部が不正を行わんとする時、誤れる方向に進まんとする時は、これを批判し、論議する党員が出てくる。それだから田中大将(田中義一陸軍大将のこと)でも、原総裁(原敬のこと)でも、あれだけ政友会というものを善悪にかかわらず動かし得た。これは西洋では見られぬ図であります。その代わりその親分的総裁というものが亡くなりまるというと、魂のないものになります。
経済社会を見ましても、労資というものが西洋のように機械的に妥協する、機械的に提携をするということは日本人では満足ができぬ。やはり、労働組合長にあるいはまた資本家の中に自分がすべてを忘れて許すような人間がなくては、精神的に感激するところの対象がなければ能率を挙げて力を発揮することができない。「没我的現象」、つまりこの人のために死すとか、この事業のために死ぬという感激の対象を得ずんば活きる能わず、そういう没我的の働きを持っているものが東洋人、ことに日本人であります。
読者はあの幡随院長兵衛(江戸時代初期の侠客。肥前唐津の士)とか、清水次郎長(江戸後期の侠客。富士山麓の開墾に力を尽くした)というものをご覧になって、単に侠客として済ませるならば、それは古今に通じざるものであります。
現代的にいいますと、ああいう人物はちょうど今日いうところの労働組合長、職業紹介所長、簡易宿泊所長というようなものを統一含蓄した人物であります。なぜかと申しますと、あの幡随院とか、清水とか、あれらは身内という労働者を皆持っています。用のない時には、簡易宿泊所をやっている。つまり、仕事のない時は幡随院長兵衛は簡易宿泊所長であります。何か諸大名から人足の要求がある。その時に自分の身内からその人足を出してやる。その時はまさしく職業紹介所長です。
そういうことが渾然と統一されており、かつ彼らは経済的関係で生きているのではない。彼らは労働というものをよく人格化している。それで職業の紹介がありましても、ただ向こうからこういう報酬で、こういう仕事がきたからお前、行って働いてこいと、一定の報酬に対する一定の労働給付をするというような関係でない。いかに細やかな、いかなる低級なる労働といえどもそこに一種の誇りがあって、彼らをしてここに感激せしめて、人格的に労働するようにさしています。だから、あらゆることについて、親分子分の関係を結んだ人間でないと、無宿者ということになって人間として待遇されない。この生活様式、社会的存在というものに私は非常に興味を覚えるのであります。
それらに一顧の注意も払わずにまったく原理を異にするところの西洋の生活様式を導ききたって、教育たると、政治たると、学問たると何たるを論ぜずにどしどしと木に竹を接ぐように改めたということは我々の先輩の錯誤であります。社会生活のこういう動的方面を見てまいりましても、向こうはいかに一つのものから分派しようという傾向を持っているか、それに対して東洋は統一含蓄の傾向を持っているかということがよく判ります。
学問という方面を見てみてきてもそうであります。
ご覧の通り東洋には儒教であるとか、仏教であるとか、神道であるとか、あるいは道教であるとかいうような、漠然たる存在しかありません。西洋のごとく、哲学あり、科学あり、その科学にはそれぞれ社会科学あり、自然科学あり、その中にも政治学あり、経済学あり、宗教学あり、教育学あり、またその教育学の中に文化教育があるかと思うと、自由教育学、あるいはまた成人教育学、社会教育学とか何とか沢山そういうような学問の分派というものがありますが、東洋にはありませぬ。
そこで截然として考えますに、こういう派生してきた概念学問、これが学問というもの、ウイッセンシャフト(ドイツ語で科学のこと)に非ずんば学に非ず。東洋には学問というものがないのだ。儒教とか道教とかいう教えというものしかないのだ。非学問的、非文化的である。日本の文化史の内容を見てくる時、すべて外国からの輸入である。儒教しかし、仏教しかり、日本には独創的の文化というものはない。日本人は独創力がない民族である。こういう民族の文化的将来を期待することはできぬというのが我々の学生時代、いや今日もその一部分が残っている考えです。
それは造化の相待的原理を知らなくて、分化しきたれるところの機械的、感覚的存在のみを知って、その根底たる陰の世界を知らない浅見より生ずるのです。そういうふうに、あらゆる学問を分化しくるというのが西洋の特徴で、そういう分化すべきを統一して含蓄するというのが東洋の行き方で、行き方が違っておるのです。だから必要であるならば、儒教から儒教の政治学もできます。老荘哲学も老荘宗教学も生ずるでしょう。幾らでもそういうものをそこから抽出してくることは可能であります。それが抽出せられずに混沌として存在したというところにかえって非常な妙味があります」
現在の政治を見ましても、悪くも悪くも、一強体勢が確立されていますのも、この故ですね。
親分がそこにあるのなら子分たちは黙って従う。それが何であれ。だからそれで成り立ってしまえば対抗馬たる野党にも頼みの人がいないとなりますと、日本人も本当の民主主義というのを知りませんから、諦めてそれに唯々諾々となってしまうわけです。
民主主義というのは、西洋のイデオロギーから出でたるものであるだけに、民衆側の最終的意思表明として、革命がセットなわけです。現政権が明らかに国民に反し国民に敵対するものならば、敢然と立ち上がり武力をもって政権を打倒することこそが本当の民主主義なわけで、であるからこそ下は上を監視する、権力監視ができ、マスコミも国民の目を担うわけです。この間もフランスでは暴動が起こっていましたね。政権に批判があれば民衆は敢然として立ち上がる、のが西洋なわけです。しかし残念ながら、今時の日本人にそんなエネルギーも決意も覚悟もまた思考能力すらない、またそこまで生活に困窮しているわけでもない。また、そういった反抗精神も左翼運動華やかなりし時に常にぶっつぶされ、無気力が蔓延しもはやそんなエネルギーなど沸いて出てくるはずもない。マスコミも、マスコミ精神よりはサラリーマン根性でサラリーだけ気にするから政権にべったり。
現今の「入管法改正案」にしたって、外国人の労働に頼る前にいかに日本人を教育し、本来の日本人の美意識、美質を取り戻すか、磨き上げるかを論じねばならないのに、そんな論調はマスコミからは沸いてこない。
ただ、経済だけ金儲けだけを優先して、いかに日本の家庭が壊れ、教育が壊れ、すべてが壊れたまま放置されているか。例えるのなら、なけなしの保証金を目当てに細々と生活して、かつての誇りも尊厳も根こそぎぶっつぶされた米国先住民族と目くそ鼻くその様相を呈していると言ってよいでしょう。
いえ、米国政権にとって米国先住民族はまだ他民族ですけど、自国の国民をこんな状態に追いやって何とも思わない現在の日本の状態はもっとひどい。
いかに今の日本人が、日本に絶望し何の期待もしていないかの証明なわけですが、自分の国すら、自分の民族すら捨てて顧みず、外国人使ってればそれでいいんじゃね? と、とくとくと経済だけを語るなど、もはや正気の沙汰ではありません。
それに、経済経済と、今の日本はなんちゃらの一つ覚えで金儲けだけを語っておればそれでいいように思っていますが、そもそも経済とは、「経世済民」のことであり、世を経め、民を済う、ことでなくてはならないのです。こんなことすら理解もできないのが、今の日本の有様でございます。
金儲けなんぞはもっとも後にすべきであって、まずもってやることが、いかに日本人の本質的に優れており偉大な民族であるか、それを復興することこそ急務なのです。そうすればバブル景気を待つまでもなく日本人が世界のリーダーシップを発揮するなどたやすいですし、世界的にもそれを望まれるのでしょうが、残念ながら日本人のことごとくが本当の日本とは何か、ということが分からない。やんぬるかな。
とはいえ、ここですべてを諦めて投げ出すだけなら、それこそ阿呆でもできるわけであります。
東西民族精神の対照
p242
「今まで人類文化の二大対照であります東洋文化と西洋文化との本領が奈辺に存するかということを、実在、成立、活動の根本原理ともいうべき、陰陽相待的理法から説明いたしまして、東洋文化がまさに転回しようとしておりまする世界の文運に対してどういう意義を持ち、使命を持つものであるかということを論じてまいりました。
これから進んで東洋精神界の最も純一無雑なるものと申すべき我が日本精神の本義、それに照らして日本民族はどう進まねばならぬかというような問題について、論を進めましょう。
日本精神という言葉は今日、一世を風靡いたしまして、日本精神論はほとんど流行思想のごとくなっているのであります。あらゆる思想家、学者が講演会において、講習会において、またいろいろ新聞雑誌において、さまざまの立場より日本精神の説明を試みておられるのでありますが、しかるに一般識者の訴えを聴きますと、その割合に日本精神というものが茫漠として把握されないうらみを免れぬようであります。かつ、およそ物事が流行いたしますると、流行現象に伴ういろいろな過誤やら、あるいは軽薄な宣伝も起こりまして、迷惑が生ずるのであります。そのために私は日本精神の真義と自ら信ずるところを簡潔に論じてみたいのであります。
いったい現代の一欠点といたしまして、物が余り分析的煩瑣に陥っております。それで科学界においても、今までの分析主義、抽象主義、形式主義、主知主義に対して、自ら全体主義、全機性(全神の尊重というもの)の提唱を耳にするようになっております。今までのように物を精細に分析して結果を総論判決するというよりも、まずもって生きとし生けるものは全体として存在しておるのである。根本において全体性、全機性、全神を重んぜねばならぬ。
実例で申せば、肉体でもそうであります。これを内蔵諸器官や無数の細胞に分析観察したならば、生命の生命たるゆえんは逸し去ってしまう。まずもって我々の生命という全体を診断して、しかる後にいろいろな立場から細看するのです。
日本精神についても、毛色が栗毛とか白毛とか、牝とか牡とかいういわゆる形容筋骨は、幾らでも説明できるのであります。けれども日本精神の日本精神たるゆえん、日本精神に表れる、含まれている天機、すなわち全神、全機性といわれるもの、これを伝えることはなかなか難しいことであります。これは元来、九方皐(名馬を見抜く天才)、伯楽(九方皐と同じだけど、九方皐の方が眼力は上とされます)たらずんば能わざるところで、我々凡庸なものでは容易に企て及ばない。そこに一つ日本精神の真義を語ろうとすれば悩みがあり、慚忸(きまりの悪いこと)があるのであります。
これに加えるに、おおよそそういう問題、日本精神の日本精神たるゆえん、一番根本の問題、全神、真髄というような問題になってくれば、そもそも言語や文字では表すことのできない性質のものである。何故かといえば、私どもの言語とか文字というものは、これはお互いの経験の共通性の上にできたものであるということができます。お互いに共通的なるものほどよくこれらに乗るのです。これはその発生成立の由来から明白なことであります。
したがって日本精神とはかくのごとしと、いろいろに説けば説くほど、書けば書くほど、実はそれは中国精神にも、イギリス精神にも、ドイツ精神にもいずれにも共通的なものになってくる。日本精神とは清く明らけき心である。日本精神は自然を愛するうんぬんと説明してくればくるほど、何処の精神だって清く明らかならざるものはない。何処の人民だって、中国の苦力(戸籍のない者)だって、イギリスの紳士だって、自然を愛するのであります。つまり程度の問題だというような水掛け論で終わってしまう。中国精神に非ず、イギリス精神に非ず、ドイツ精神に非ざる日本固有の精神、日本民族の日本民族たるゆえんの精神という意味における日本精神に至っては、これはなかなか思議言説のおよぶところに非ず。文字や言語にはなかなか乗らない」
そろそろ内容が難しくなってまいりました。
つまり、遺伝子的に日本人であるということはたやすい。しかし、何を以って、何がゆえに日本人なのか。そのよってたつ所以とはなんなのか、ということですね。世界中に人は存在する中で、どうして日本人なるものが存在するのか。この書が刊行されたのは昭和十一年の頃ですから、日本精神とは!? 的な論調はそれこそ声高に、格調高く、口角泡を飛ばして叫ばれたことでしょう。
しかし、安岡先生曰く、どれもこれもふわっとした説明に終始し、決定版ともいえるものに欠けるといったところであります。
p248
「東洋文化と西洋文化、オリエンタリズムとオクシデンタリズムとの対照を論じました時にも、一言いたしましたのでありますが、西洋主義の方では宇宙人生の成立活動するゆえんの相待的原理で観ますと、陽原理的代表です。東洋主義の方は陰原理的本領を備えております。
陽原理の働きは平たく申しますと、分かれて外に伸びて行く働きであります。分化発現の働きであります。陰原理はそれを結んで内に蓄えて行く働きであります。統一含蓄の働きであります。そこで、西洋民族性はその分かれて伸びて行く、分化発現して行く陽性の特徴にしたがって、どうしても個人主義的である、主我的である。東洋民族性の方は結んで含む、貯えるという、陰原理的特徴にしたがって、没我的である、大我的であるということを指摘いたしました。
主我的である、すなわち個人主義的である、我の自覚が明らかである、自治的であるということを、もう少し約して申しますと、つまり、西洋においては平等思想が発達する。主我的なることは分かれることであります。
一が分かれるのですから横の関係であります。その平等思想が発達すれば、自ずからそれに伴ってその主我的なるもの、平等的なるものの、各々の限界を定める必要が生じてきます。これ、すなわち権利思想であります。だから、主我的なる西洋民族性からは必ず平等思想と権利思想が発達する。こういうものが集まって家を造り、学校を造り、教会を造り、組合を造り、国家を造って行く。すなわち社会生活をなして行く上においてなければならぬものは、協同という働きであります。コーポレーションであります。
事実それが西洋においてさまざまな相に発達いたしている。そのために自ら彼らの社会は、その何たるとを問わず、本然社会たると構成社会たると、家庭たると国家たるとを問わず、すべて機械的、組織的、構成的性質を持っている。それだけにこれが悪くまいれば、主我的であることは利己的であることになる。
平等思想は悪平等思想―――価値否認、優者排斥、およそ偉大なるものを排して平凡を礼賛する。それももちろん悪い意味における平凡の礼賛ということになる。また、権利思想は必ず権利の濫用を生じ、ここにおいて協同は一転して闘争になる。
元来、機械的、組織的、構成的な性質を有する彼らの社会は、かくて、すこぶる解消し易い、解体し易いという弱点を免れないのであります。
しかるに、没我的な東洋民族ではどうか。
没我的であるということは取りも直さず、西洋民族性においてならば、はっきりさせようとするその自我というものを、ある偉大なるものに対する感激の裡に忘れ、これに抛ち、捧げて行こう、
―――すなわち「己を忘れ、己を抛って、ある偉大なるものを奉じ、これに生きてゆこう」ということになる。それだから西洋における平等思想とは違って、必ず理想精神、偶像礼拝、およそ偉大なるものに憧れて生き甲斐を覚えることになる。そして、各自の限界を定める権利思想とは違って、ある偉大なるものに対する犠牲的、あるいは奉仕的、もっと適切には祭祀的ともいうべき思想になる。
そこで、その社会、東洋の社会はその何たるとを問わず西洋の機械的であり、組織的であり、構成的であるのとは反対に、非常に有機的であり自然であり、人格的であるという特徴を有する。その代わりにこれが悪くなればどうか。没我的である、自我の意識が明らかでないことから反省の不足となり、無責任になる。そして、偉大なるものを求める心、理想精神というものは、偉大なるものに対する依頼心の増長になる。ところが、いかなる偉大なるものも、そうそういろいろの要求を満たすことはできないから、自然、容れられないということになる。容れられないというと、自ら省みる力に乏しくて自治能力が少ないものであるから、それを恨む。等しくその偉大なるものに縋ろうとする者同士が嫉視排斥し合う。あるいは「我が仏尊し」で、他の偉大なるものの自分に結ばれないものは排斥するというような心理が非常に盛んになる。そのために西洋ならば理論的に解消し易いものが、東洋では感情的に破綻し易い弱点を免れないのです。
これ、東西民族性の明らかに具現している長短であります。さて、あらゆる東洋性のうち我が日本民族性を見てまいりますと、それこそいろいろの実例をとって申し上げると明瞭でありますが、煩瑣になりますから差し控えたいと思います。
要するにいちばん純一無雑、オリエンタリズムの中のいちばん純一無雑なるものが日本精神であると申すことができます」
現政権が偉大かどうか、という議論は「他方仏国土」に投げ打つといたしまして、ここにみた、「自我の意識が明らかでないことから反省の不足となり、無責任になる」「偉大なるものに対する依頼心の増長になる」「自ら省みる力に乏しくて自治能力が少ないものである」「等しくその偉大なるものに縋ろうとする者同士が嫉視排斥し合う」「「我が仏尊し」で、他の偉大なるものの自分に結ばれないものは排斥するというような心理が非常に盛んになる」「東洋では感情的に破綻し易い」ものが今の日本の現状であると言えるでしょう。
理知的に、物質的に長けた西洋では、その帰結として哲学と科学が進展いたしました。
そして、その科学でもって社外国をしのぎ、世界に覇を唱えることとなったのであります。しかし、ここに面白い点があります。哲学的思考、思索に長けているくせに、精神的な内面的な方向には結局長けることができませんでした。西洋哲学書などを読んでいるとわたしなどは頭が痛くなるのでありますが、外へ外へと思考が向かうだけで、一回己に深く沈殿し、反芻してから出てきた言葉ではないから、あまりに内容が雑駁を極め、東洋だったら恥ずかしくて外には出せないような、思索の変遷などをモロに書に書きなぐっていたりもするので、結局お前は何が言いたいねん、と突っ込みをいれたくなるような書が少なくない。
しかも、言い回しが無駄に迂遠で回りくどい。例えば、素直に、できない、といえばいいところを、西洋ではこういう風にいう。わたしはそれをなすべきであろうか、しかし、わたしはこう考えるのだ、そこに至るべきわたしの未来、わたしの義務を思いはせるとき、諸君も理解はしてくれようがそこに行きかねる懸念が世界には社会には横たわっているのだ。うんぬん的な。
東洋なら、漢詩でも、和歌でもそうですが、文字に限りがあるわけです。
その限られた文字数の中に、いかに精妙なる言葉をちりばめられるか。それを東洋人は古来、頭の限りをふりしぼって一句を仕上げるわけです。その、思想の努力が東洋にはあって、すべてを一回己に沈殿させて、そこから濾過された、純粋な思考、思想を表面化させる、ということを東洋ではものすごく気を使うわけです。
西洋の詩といえば、とりあえず思いついたことをだらだら書きなぐるような、東洋のような、思索の濾過、というのがあまり見られない。まあ、本人たちは必死こいてやってはいるのでしょうけど、東洋の歴史に較べれば……。
それに引き換え、東洋では精神面、内面で長けておりますから、偉大なる英雄、為政者、僧侶が数多輩出いたしまして、言葉も単純なら行動も素直です。その単純の極みのような『論語』では、逆に単純すぎてむしろ解釈がいろいろできて難しい、となるわけですが、ああいう書は西洋では絶対に見ることが出来ません。
西洋と東洋では、根幹的に相違がある、ということも理解しておくべきでしょう。
しかし、重要なことは、だからといって排斥すればいい、否定すればいいということではありません。
現在の日本人なら西洋を理解できるでしょうし、さらに一歩進んで古来からの東洋も理解すれば、人間的に一歩も二歩も進んだ人間となれるのであります。まあ、言うだけなら恐ろしく簡単ですけどね。
p256
「いかに生くべきか」より「いかに死すべきか」
「さて、先ほど東洋民族性が西洋民族性に較べて没我的であるということを申しておきましたが、日本民族ほど没我的なものはない。したがって、西洋民族においてならば「我々はいかに生くべきか」と考えるところを、東洋民族はむしろ「いかに死すべきか」と考える。
そのいかに死すべきかを実生活上の原理として日本民族ほど純化したものはない。日本民族精神をある意味において最も霊活に表した武士道(武士道と日本精神の関係にもいろいろ学者の論がありますが)において、おらゆる文献(文献というと記録的なものばかりに考えますが、それは「文」の方で「献」は賢に通じ、人物をいうのであります)、その正しい文献を通じて間違いのないことは、常にそれがいかに死すべきかという覚悟の上に立っていることであります。それ故に文学を見ましても、芸術を見ましても、宗教を見ましても、政治を見ましても、いかに死すべきかということの上に立てられて始めて日本的です。
儒教といわず、仏教といわず日本精神に摂取されたるものは、その中からそれに役立つところを最もよく吸収している。ただし、いかに死すべきかということは唯、死を願う消極的な心ではない。いうまでもなく、ある偉大な感激の対象を求めて、それに向かって没我的になって行く。己を忘れ、あるいは己を抛つべきある偉大なる感激の対象を得る生活であります。
我々が喜んで、勇んで、己を空しうし、己を忘れて没入して行くような、そういう感激の対象を得ることを、大和言葉では「むすび」(産霊)というのであります。日本精神を最も活き活きとつかむため、日本精神の真骨頂を把握するためには、この「むすび」ということを知ることが、根本の問題であります。
西洋流に考えますと「むすび」ということは、平面的に相対して存在するものを結合することでありますが、我らのいう「むすび」は霊を産む、産霊という文字を当て嵌めているように、これは相対するものを統一して、そうしてより一段高次な価値に進むことであります。一種の弁証法的思想です。
これを中国思想で申しますと、「中庸」という文字がよく当て嵌まる。「庸」とは常という文字で、不易を表す文字であります。中庸ということを普通、例えば小作争議ならば、小作人側のいうことと地主側のいうことを聞いて、これを歩み寄らせること、この頃の市電争議でいうならば、従業員側のいうことと市役所側のいうこととを聞いて、歩み寄らせること、そういうことを中庸というならば、それは相対するものを平面的に結ぶだけのこと、いわゆる妥協に過ぎません。それなら何も孔子が、
「天下国家も均しうすべきなり。爵禄辞すべきなり。白刃踏むべきなり。中庸は能くすべからざるなり」
とまでは嘆じはしまい。
中庸とは相対するものを結んで、総合統一して、より高い価値的道程に進めることでありますから、地主側と小作人側とで申せば、両方のいうことをよく聴いて、その善悪正邪を批判し、そうして小作人側が正しければ小作人の主張を通してやり、地主側が正しければ地主側の主張を通してやらなければならぬ。そこをできるだけ円満正大に解決するのが中庸であります。中庸すなわち中道であります。これは孔子の言の通り難しいことであります。
日本のいわゆる「むすび」とはこれであります。男女が結ばれるということも、一対の男女が集まって共同生活をやるというだけではないのであります。男が夫となり、女が妻となって、家庭という高次な価値生活(これも西洋臭い言葉で、西洋哲学の匂いのする言葉ですが、便宜上そういう言葉を使います)を営むのが「むすび」であります。
男女の「むすび」であります。さればこそ、男女が情死することも「心中」と書く、なかなか名語であります。
この世においてはどうしても「むすばれる」ことができないから、仕方がない、一つ肉体的に、現実的に死んで、より永遠の霊的生活に進もう、いわゆる「天国にむすぶ」こと、そういう意味から「心中」と書くのです。情死などと書くよりはよほど面白い、意味の深い言葉であります。こういう価値生活への無限の進歩向上がすなわち「むすび」であり、換言すれば我々が己を空しうし、己を忘れ、己を抛って偉大なる感激の対象に生きることが「むすび」であります。
(中略)
ところがこの「むすび」ということは、むすばれる方からいいますと、「まいる」の思想になるのです。「まいる」とは卑しきもの、小さきもの、低きものが、高きもの、尊きもの、偉大なるものにむすばれる。自ずからむすばれて行くことであります。これを中国思想でいうならば、「参」であります。だから、この文字を入れて、それで「まいる」という文字に当て嵌めている。我々は始終この「まいる」、参ずるという言葉を愛用して、今日におよんでおります。
男女間の、西洋ならばLove、あるいはLiebenなどというところも、日本では「参った」という。あれに「参った」というのは、相手を価値的に認めた(こんなことをいっては駄目ですが)、感激したことをいうのであります。利害も批評も一切投げ出して、心から、服する意味です。女性認識ではなく、女性崇拝の言葉です。
それはまだしも、今度は相敵するものと争う場合、勝敗を決する場合、負けた者がその勝者に対して「参った」という、これなどは非常に深い言葉であります。礼譲(相手に礼儀を尽くし、へりくだること)の正しい、謙虚な、奥床しい日本民族性をよく表している。没我的な民族性の証拠です。
いろいろな軍記物語を読んでみますと、日本の武士は、なるべく骨の折れない敵を見つけて、なるべくたくさん倒す、弱そうな奴を探してその首を挙げるというのでは軍功にならない。最小の労力でもって最大の効果を挙げるということは、経済的には通用しますが、精神生活には潔しとしない。日本人は没我になって感激の対象を求める国民性でありまするが故に、感激を欲する国民でありまするが故に、したがって、戦いの場合にも全力を挙げて、あるいは生命を賭して争う華々しい相手、強敵勇士、敵の大将を目指して、これに踊りかかる、そして、大将の首を一つ取ることが、雑兵の首を百取ることよりも遥かな軍功であります。名誉であります。
ところが左様な場合に「畜生!」とか「野郎!」とかいうような、憎悪に満ちた言葉、軽蔑に満ちた言葉をもって決して踊りかからない。心得のある武士ほど相手を尊敬して、相手を偉大なるものにして、礼儀を正してこれにかかる。左様な場合に使われている言葉は、「いざ、参る」ということです。「見参」ともいう。
見参とは現在、すなわち「目の当たりに参りますぞ」という言葉で、「推参」ともいう。で、「参上仕る可く」というよりは「推参仕る可く」といった方が、グッと丁重な言葉であります。でありますから、人を叱咤する場合にも、貴様なような奴を相手に取るのは嫌だ、それにもかかわらず、貴様は俺に懸かってくるか、というような場合に「推参なり」と叱る。
『国典(国家の法典。わが国の典籍。国書)』を読んでみましても、かようなところになりますと、実に津々たる興味を覚えるのであります。日本民族性を深く味わされるのであります。
ところが、むすばれる方からいって「参る」という思想、この思想をむすぶ方からいいますと「ゆるす」ということになる。
今でもこれをいろいろ武道とか茶の湯、生け花、琴、三味線その他、芸道においてなお用いております。「ゆるし」を受ける。「ゆるされる」というような言葉、これは「むすび」の思想から当然、発展しきたるべき生命必然の思想であります。我々はかく感激の対象を得て、それに参る場合に、必ず偉大なるものを念としてその傍を離れられない。一つにならなければ承知できない。ここにおいて、「参る」から続いて生じきたるべきものは、すなわち「はべる」「つかえる」「そうろう」というような思想であります。
我々も候文を捨てかねるのも理由あることです。武士、「さむらい」とは、すなわちある偉大なる感激の対象たる人を得て、崇敬する人を得て、その人に「はんべり」さむらい、つかえて、没我的生活、身を致す人のことであります。そういう場合は没我になって行くのでありますから、自分のもっている物はおろか、生命までも、悉くそれに捧げて行く。
これが大和言葉で「まつる」「まつろう」というのであります。日本精神を論ずるものは必ずこの「むすび」に始まって「まつり」を体得せなければなりません。
支那においてもやはり「祭祀」という文字があります。日本においてもその文字がいちばん普及しておりますが、「まつり」という言葉に充当しております。祭祀という文字の意義はいろいろ解釈ができますが、その最も我々に相通ずる解釈は、祭という文字の左側の上の肉月は、肉の一片を筋まで表したものであります。右は手を表したもので、下の「示」は神を表している。神様に自ら大切な生命の糧をそなえることであり、「まつり」の意味を表す文字であります。
「祀」という文字は、「似也」と『考経』の註にもありますが、二六時中、夢寐にこれを思うて忘れず、常にその人在ますに似たりという意味をいうのであります。すなわち、祭祀という意味は忘るる能わざるところの、ある偉大なるものに、自己の一切を捧げて行く。
海行かば水づくかばね
山行かば草むすかばね
大君のへにこそ死なめ
かえりみはせじ
という、この気持ちを表すのが「まつり」であります。ここにおいて、我らいかに死すべきかという東洋精神は、最も活き活きとして我らにこれらの言葉、観念、思想、覚悟となって実生活に現れ文化を創造しているのであります」
ある意味簡単なことですが、物質に拘泥する西洋は生に固執し、
祖先に見守られていることを知る日本人は死を恐れないわけであります。
p266
直感的英知の発達した日本人
「ところが我々がそういう偉大なる感激の対象を得て、それに向かって己を空しうして、まつろえばまつろうほど、そこに生ずるいろいろの心の働きを、まず知的に見てまいりますと、叡智であります。深い直観であります。「我」があるというと、開けないものであります。我が無くなればなくなるほど、「欲」が無くなればなくれるほど、これが開けてくる、磨けてくる。
東西文化の対照の話をした時に、我々の知というものにもいろいろな区別があるとして、あるいは儒教、あるいは仏教、あるいは西洋神秘派哲学者、あるいは現象学派の哲学者の説をあげましたが、直観的になればなるほど、物の性命、全機性、全体性を把握し、概念的、形式論理的、抽象的になればなるほど、物の一面しか触れない。
そこで「むすび」「まつり」の心に裕かな日本人は、自然、この大事な知においても叡智を貴ぶのであります。直観を貴ぶのであります。形式論や概念の遊戯に甘んじない。潔しとしないのであります。さればこそ、「ことあげ」をせぬというのであります。これに反して、「言魂」の幸わうということは直観的叡智の発達したことで、それゆえに、遊戯的な議論は好まないというのであります。ですから、柄にもない人間が、でっちあげた指導理論などというものは、日本においては結局、何ら指導力を持ち得ませんで、行きづまりの外ないのであります。
つまり、日本民族には指導人物あって、指導理論は成立ちますが、指導人物から離れて指導理論はあり得ません。それから、知において日本人は直観を貴びますように、叡智を貴びますように、感情においても日本人はあまり表情的であることを好まない。あまりに表情的であるということは、つまり枝葉末節的であることです。派生的であることです。もっともっと深い、何といいますか、優情あるいは幽情(どちらもより深い情意)を貴ぶのです。それでありますから、喜怒哀楽を色に表さぬとか、疾言遽色(あわただしい物言いと、うろたえた顔つき)しないとかいうようなことを非常に貴ぶ。その意味において中国民族性、中国道徳、中国の人物とよく相通ずるところがあるのであります」
戦うときにも、日本では「いざ尋常に」といいます。昔のゲームで『サムライスピリッツ』でもでましたね。
尋常とは、常日頃ということ。
つまり、いまから殺し合いをするのだが、常日頃と同じ心持を忘れるな、ということです。
冷静に考えますと、この心情、覚悟のもちようもすさまじいです。
また、日本人はどうしてもお側に仕えたい、家臣として活躍したいわけで、それには自分が尊敬する人が欲しいわけです。自分が、この人のためだったら頑張れる。この人が褒めてくれるなら何もいらん。そういうのが欲しい。「士は己を知るもののために死す」これは中華の言葉ですが、東洋人はこういう精神にあふれております。
だから、魂のない、尊敬する人でもない、感激のない、スローガンだの政策だのに賛同する日本人はいない。いるとすれば利害打算で苟合しておるだけでしょう。
p271
「現代人は、西洋の近代文明に触れて、何でも西洋流に走り、それも浅薄に枝葉末節化、先端化して、その結果、そういう民族的本質をも誤って、知的にはもちろん、感情の点でも、非常に表情化してしまった。だから、現代日本人、文化人ほどセンチメンタルで神経がドギドギしている。痙攣的である。誠に弱く見える、甘く見える。これは日本人の好まざるところであります。
さて、内において深き直観、感情において深き優情を貴ぶがごとく、我々の現実欲望の生活上においても、解脱を貴ぶ。これを称して「勇」というのです。偉大なるものに感嘆して、己を忘れて参じて行くには、当然、現実の執着を絶って理想に向かっての躍進、勇がなければならぬ。これを貴ぶのであります。すなわち、知と行との矛盾を許さない。知行の合一、生命の全き躍進を愛するのであります。これらはいわば、日本精神より発する根本精神、『中庸』の言葉でいえば「三達徳(どんな場合にも一般に通ずる三つの徳、すなわち智・仁・勇のこと)」とでも申しますか、それを最もよく表徴するものは、我が皇室に斎き祠られるところの三種の神器であります。
これも学者がいろいろ説明しておりますが、あの「御鏡」は宇宙を遍照する大光明、大叡智であります。万物これに照らされてその正体を映すのであります。「玉」は含蓄、潤い、人間の深い優情仁愛を表徴するものです。「剣」は現実の執着を断ち切り、理想への躍進を表徴するものです。西洋人は光がキラキラ外面に発散する宝石を愛する。東洋人はその光が含み潤うところの玉を愛する。だから、宝石を愛する間は未だ本当の日本精神になておらぬわけで、やがてこういうふうに日本精神が進歩し、また生活が真実になってくれば、やがてまた、愛玉趣味というものが必ず起こるであろうと思います。現にこの頃、翡翠などはよほど尊重され、いろいろ玉が入ってきています。日本刀趣味もがぜん復興してきました」
安岡先生が、左翼の知識人に尋ねられたそうです。
君はどうしてソ連や中華の太鼓を持つのか? と。するとその知識人は、その方が得するからね。と答えたそうな。
まあ、左翼派知識人にしては割合素直なことでありますが、昨今の知識人のごときは、曲学阿世もいいところで、世に媚び諂い、己一身の保身をはかって強者に媚び諂うものであります。
今の日本の知識人に、そうそう気骨ある人をみることができないのもそういう次第であります。
わたしが好きなゲームに『信長の野望』があります。最近はグラフィックが特に美麗になってきておりますして、戦国武将の顔などを見ますと、いかにも、現実に現れたら一癖も二癖もありそうな、しかし、線の太いいかにも英雄、豪傑、な好人物といった顔がたくさんであります。現代に多く居るような、ジャニーズ系の優男はほとんどありません。つまり、現代人がどれほどこういった英雄にあこがれているか、の一つの例題とみることができるでしょうね。
p274
「偉大なる混沌」より発現した民族精神
「そこでそういう日本精神の最も日本精神たるゆえんの、枝葉末節の問題でなくして、根本的、生命的特徴を見てまいりますと、ここに我々は日本の国体と中国の国体、日本での民族性と中国の国民性というものについて、一言申したくなるのであります。それは等しく東洋精神であり、東洋民族性でありますが、中国民族性は日本民族ほど純化されておらない、厖然(ぼうぜん。形が大きいわりにははっきりしないこと)なところがある。いわゆる大陸的という言葉でほぼ読者が了解されるような、そういう規模は大きいが洗練されないものがあるのであります。そこで国家生活に当たっても、日本民族はこれ無くんば国家として国民として生活することができないという、ある偉大なる感激の対象をもたなければやまない。これすなわち皇室、天皇が御座すのであります。
日本国民の皇室、天皇に対する心持は、いろいろ理論をもって設営すべきものであるよりは、端的に、これ無くんば日本人は生活できない感激の対象であります。国民性そのものの至高の要求、やむにやまれない信仰であります。だから、何がゆえに国家が神聖なりや。天皇は絶対不可侵なりや。それを説明してくれれば、自分も忠君愛国者になろう。国体科学というようなものでも打ち立てなければ、忠君愛国心が養われぬというふうに考えるのは、そもそも本末転倒の考え方でありまして、そういう理論的努力は対症療法的な意味は大いにありますが、本末転倒してはなりません。
説明上手な西洋哲学者、私の好きな学説の一つのハルトマン(ニコライ・ハルトマン。ドイツの哲学者)の倫理説を借りますと、人間の心には一つはDas Kaotische 混沌ともいうべき含蓄力と、一つはDas Demiurgische 造物とでも訳すべき創造力と、こういう二つの作用が一致して人事万物が展開すると申しておりますが、東洋、ことに日本を解するためにはこの「混沌」が大切です。
日本のいちばん偉大な尊い混沌がすなわち皇室であり、天皇でありまして、神聖な我が国一切の事象は皆ここから発現するのです。これに対して日本人は皆「まつろい」たてまつるのです。
「大君のへにこそ死なめ顧みはせじ」
と感激するのです。
およそ、日本国民の精神の一つの重大なる特徴を表すものに、「是非ない」「是非に及ばぬ」という言葉がありますが、「まつり」の心に伴う必然の心理です。西洋はどちらかといいますと、飽くまでも是々非々であります。中国にも「没法子」しかたがないということがありますが、著しく消極的です。日本のは非常に積極的で、利害や理屈を超越した致身(いのちをささげること。身をまかせること)の意義です。もちろん同じ「是非に及ばず」にも人物相応の深浅がありますが、とにかく、すべて日本民族の感激の対象たる親なり、主人なり、夫なり、いわんや、陛下のこうと決定されたことならば、もはや「是非に及ばぬ」のです。決定されるまでは十分に手を尽くすけれども、決定されれば「是非に及ばぬ」という覚悟を持つのであります。
ところが中国の民族性になりますと、西洋民族性と日本民族性、日本精神と西洋精神との間に立って、どうも日本精神ほど純一無雑でない。ここにおいて中国の国体、中国の国民生活に現れている特徴は、易姓革命と隠逸生活であります。至純の東洋精神、日本主義からすればあくまでも「まつろう」ものは「まつろひ」の対象には、「是非に及ばず」でなければならぬし、不断に己を抛っての扶翼(かばい助けること)がなければならぬ。ところが、そうなりきれずして、これを非難し、これを怨嗟し、これに憤激し、まつろえぬ結果、これを倒して、自分の理想とするところのものを実現しなければやまないとするところに、さらに私心が混じて、易姓革命が起こり、これに反して絶望の結果、己一人を潔くしようとするところに隠逸が生じます。いずれも道は醇でない。こういうところは私の『東洋政治哲学』によく論じておきました。
中国でも真の有道の士はこれをよく知っています。
さて往々、愛国者、日本精神論者の中には、日本精神となると日本の自慢ばかりいって、外国精神といえば糞味噌に排斥するという傾向の人があるのであります。したがって、そういう人々は中国といえば、日本の忠というような思想は全然解らぬ、中国精神にそういうものはないのであって、彼らには易姓革命あるのみ。中国の学といえば、儒学といえば、易姓革命の学だというふうに思う人もありますが、まったく浅見です」
とはいえ、安岡先生の後の書では、この「没法子」ですけど、消極的ではなくして、実は、よし、またやりなおそう、仕切りなおしだ。という不屈の精神の言葉であると説明なさっています。
また「皇帝たちの中国」で宮脇淳子先生が、こういう風なことを申されていました。
「研究するに、中国の歴史ほどおもしろいものはない。ま、日本人に生まれてよかったけれども」
と。
満腔の共感を込めて同意いたします(笑)。
p280
「あるいは思いもかけない例をとりますと、『韓非子』というものがあります。
これは東洋の法律政治を研究する上において、必読される思想ですが、その中に「忠孝篇」というものがあって、そこには明らかに、日本人が見ましても首肯のできるように堂々と力をこめて「忠」ということを論じています。決して暴君放伐を認めておらない。かえってそれは非道であると論じている。日本人が国家に対し、皇室に対して抱いている、そして、実際行いにおいて具現いたしておりますものを、中国人は単に理想として持つに止まり、実践的に破滅している。その悩みを汲んでやらなければなりません。それを侮辱しては武士の情ではありません。
隠逸にしても、この易姓革命に飽きたらないものは、身を措くに所がない。死ぬか。死ぬと言うことは卑怯である。そこで隠逸する。すなわち世を背き、社交を絶ち、自分の絶対的境地に生きる生活が始まる。だから、陰士、隠逸というものは中国の哲学、歴史において非常に貴んでいます。
許由(伝説の賢人。古代の王、堯ぎょうが位を譲るといって穢れたことを聴いたとして川で耳を洗い、山に隠れた)とか巣夫(古代伝説の牛飼い。許由が耳を洗った川だと聴いて、牛にもその水を飲ませなかった)とか、後漢の光武皇帝がどうしてもいたすことができなかった厳子陵(光武皇帝の学友。直々に光武皇帝から仕事を任されたが世俗を嫌がって遁世した)でありますとか、ああいう人々を非常に崇めて、いかなる歴史の書物にも必ず隠逸伝というようなものがあって、隠者というものが非常に尊ばれている。
けれども日本では隠逸の要はない。また日本の国体においては隠れるということはよろしくない。没我でなければならぬ。一旦臣となった上は身命を賭して、己を忘れ、己を捧げて、道のために尽くさなければならぬ。隠遁を許さないのが、これが本義です。立前です。また、隠遁されないのが日本人の心理です。ここにおいて例えば『大日本史』を見ますと、そこに隠逸伝というものは立てられてありますが、その冒頭では日本において隠逸ということは決して賞すべからざることである。しかしながら、その心境は浮世の名聞利達に汲々たる人間の企ておよぶところではないとして、隠者の伝記を立てている。ここに日本の国体と中国の国体との最も重要な相違があるように思われるのであります」
孔子様も隠者を貴んでおられます。
中華においては、世を捨て一人身を持すという人を礼賛する思想があります。
これが日本においてはさすがに隠遁を貴びはしないけれども、引退、隠居というのは貴ぶようであります。水戸の御隠居とか。
これもある意味、在家入道と似たようなものでありまして、一線を退くことによってもっと大所、高所から世間を見、考え、現今指揮に当たる二世に知見を与えるという立場が好きなようです。これも正しい進化のありようでしょうね。
現在の日本の有力者に隠居とかあるのかは知りません。こういう、陰、老荘的思想とかあるのか、どうなんでしょうね。
p286
「日本精神は、山鹿素行先生が『中朝事実』の後にちゃんと論じているように、異民族文化を自由に摂取して、そして、これを日本化する上において天縦の神聖(天に許されたる無限の能力)をそなえている。中国の言葉でいうなら「鼎新」という言葉がある。鼎がちょうど、いろいろ食物の材料を入れて、それを煮て一つの料理にするのと同じように、道というものは自由な造化力でなければならない。できるだけ自由にものを包容して、それを新たに造化するのでなければ道ではない。日本精神はそういう鼎新力、天縦の神聖を確かに世界のあらゆる民族に比べて、最も豊富に持っているのであります。
(中略)
その最も高貴な顕現を皇道(天皇の行う政道)に見るのであります。ところが古来、日本に困ったことは、国学者は漢学者を排斥し、キリスト教はまた神道を排斥し、というふうに始終排斥し合っている。特に異民族の文化に反感を持つ、いわゆる日本主義者、日本精神論者が(今日なお未だありがちだが)何ぞといえば相排斥することをもって能事としている。非常によろしくないことであります。それでは日本精神は発達しない。卑近な例をとって、我々が漢籍ばかりを読んでいると、どういうものか干からびてしまう。国典ばかり読んでいると、どういうものかだらける。いや、理由はちゃんと明白ですが、それは預かりましょう。横文字はどうか。横文字ばかり読んでいてはどうも調子が合わない。
漢学者、国学者にしてよく西洋の哲学にも触れ、西洋の哲学・文芸を研究して、また、東洋の学術を修めることに注意を怠らない人、それの自由にできる人ほど、その学問、思想、人物が活きるのです。
一体、漢学者、国学者というものは、無闇やたらに攘夷論を振り回して、学問的、文化的に異民族を排斥しておったものであるから、漢学者、国学者はカチカチになってしまって、時代精神に副わなくなった。明治以来から考えましても、いったい明治の初めに、明治天皇の特別の思召しによって、聖堂(東京、湯島にある孔子をはじめとする聖賢を祀った廟)の跡に大学本校を設けて、ここに和漢の学を広めることにし、もって古聖・先賢の学を講じて、大いに国士を養成するはずであった。ところが、この人々が、明治天皇の聖旨(天皇のおぼしめし)に反対して、始終喧嘩ばかりしている。相排斥ばかりしているから、これが潰れてしまって、西洋の学問・技術を研究するために置かれた大学本校の南の方の南校、東の方の東校、これが大学として残ったため、欧化思想を非常に激成したのであります。
今日の欧化思想をかくして反省して見ますと、漢学者、国学者などの罪が大いにある。これは実に浅ましい。思想、学問上において正しく相争うのは宜しいが、感情上の嫉視排擠から、ことに、異民族に対してこれを無反省に、驕慢に行うにいたっては、その害、実に測るべからざるものがある。今日、憂うべきことの一つの大事は、心なき人々が、妄りに日本主義、王道、皇道を振り回して、他国に驕ることであります。
これは決して日本精神、皇道を世界に光被。(君徳がゆきわたること)するゆえんではない。そもそも言挙げをするということが、イデオロギー闘争をやるということが、日本国民性に対してあまり合わない。それよりも不言実行の士、謙虚、求道の風を帯びるということが日本人の欲するところであり、しかしてこれ実に人類の欲するところです。
(中略)
理想というもの、理想に対する感激、人と人、人と事業との間に何の「むすび」ありや、何の「参り」「ゆるし」「さむらい」「まつり」ありや。何の感激ありやということです。
考えるべきこと、一番大事なことはこのことです。私はそれをまずもって教育の上から申しますと、従来、日本の教育には、教育者、被教育者を通じて、日本人をして感激せしめるような目的がない。
立派な人物になろう。国家人類のための奉公させようというようなことは考えられない。そこにあるものは、ただ上級学校に入学することと、何ほどかの月給をもらう、サラリーマンになる、就職するということです。上下を通じて低級な功利主義に堕してしまって日本人の欲する感激性というものは教育目的から消えてしまっているのであります。それから一般に教育社会において教育が非常に職業的になっている。学校を見ましても本当の日本精神からいうならば、今後の学校というものは、まず校長に独特の教育精神に燃えた人がおり、その理想、その情意を分かつ教員が、その校長の眼識によって集められ、校長とその教員、教員相互の間に「むすび」があって、それによってその理想、その教育精神、熱情が学科を通じて児童、学生に伝達され、ここにおいて初めて活きた教育があります。神ながらの教育があります。
ところが今はただ形容、筋骨、馬の毛色や牝牡によって先生が採用される。すなわち、あれは中等教育の免状を持っているとか、あれは何学校の出身であるとか、資格免状によって、あるいは多少の情実因縁によって採用されて、その人物がいかなる人物なりや、教育者としていかなる適材なりや、というようなことは、あまり論ぜられない。
それから教授、その学科がまた索然たる形式的、主知的なものであって、何らの感激がない。教科書なるものがそもそも感激なく、「むすび」なく、魂なき、雑然たる編纂物が多い。そこで学生は教科書を授けられても、少しも面白くない。
私は何かの折りに、学生時代でありましたが、英語の本を読んでおった。すると、およそ世の中で最も面白くないものは教科書である、いかなる面白い書物でも、それが一度教科書になると索然として興味を失うということが書いてあったことを覚えている。誠に同感であります。そういう教科書によって、誠に感激のない学校で、感激の失せた先生から教わって、どうして偉くなりましょうか。学ぼうという者にもまた感激がない。そこで、日本の学生ほど学校を嫌うものはないのであります。
(中略)
学問において、学校において、教育精神において感激がない。また、教育行政において感激がない。国家の教育政策において感激がない。せめて、大学でも出れば、昔のように役人ならば知事になる、会社ならば重役になるというくらいな、浮き世の名聞利達だけでも約束されるならば、つまり、前途に多少裕な光でも輝いているならば、まだしも生命が鼓動するのでしょうが、それも約束されておらない。出世どころではない、就職もおぼつかない。骨折ったって日本の青年はバカバカしい。生命のはけ口、やむにやまれない感激を何処に求めるのであるか。「むすび」というものが更にない。
ここにおいて、ある者は極左、極右の社会運動にあこがれ、ある者はスポーツに夢中になり、ある者はカフェー、ダンスホールに通い、それもしきれぬ人間は神経衰弱になる。よほど出来た人間、よほど恵まれた人物でもなければ中道を歩めないということになるのです。だから、多くの現代学生は多少ともデカダン(虚無的・退廃的)的になり、多少ともソシアリズム(社会主義)に感染し、あるいは多少とも神経衰弱にかかっておらない者はない。どうもウンザリしてしまう。気宇が快活でない。覇気がない。けれどもこれは独り学生のみではない。
役人になっても、銀行員になっても、会社員になっても、何になっても、人と人、人と職業の間に感激がない。魂が入らない。これが日本人をして何ということなく荒ませるのです。何ということなく現実に不満を感じさせるのです。これに向かって枝葉末節の政策で、思想善導だの、民力涵養だのといってみたところで、これはちょうど藪医者・竹庵(藪医者のこと)が病の急所を察せずして、いたずらに徴候に囚われてアッチに膏薬を貼ったり、コッチにメスを揮ったりするのと同じことで、幾らやっても救われぬのです。
疲れる一方、じれったくなる一方です。だから私は常々我々の教育学問の根本改革ということについて、深く思いをいたしているのでありますが、しかし、これはまた大問題でありまして、別に章を改めて説かねばちょっと論及できないことであります。それでここでは、ただいまの一斑よりその全貌を推察していただく外ありません。
(中略)
要するに人格と識見と、よほどの「まつり」の心、理想精神によってそれらの「むすび」によってのみ初めてなし得るのです。今、少しく深いものに目醒めなければなりません。もし、単なる理論とか方策によって世の中が救われるならば、我々の先祖に偉大なる人物はたくさんおったのですから、千年二千年前に、我々のユートピアを実現してくれているはずです。それが幾度も治乱興亡を繰り返しているということは、理論や闘争のみによっては経世済民はできないことを物語っているのです。
ことに、東洋、日本の国家において然りです。そういう点において日本の改革ということは決して軽々と外国の模倣的思想、行動に出るを許されないのであります。
ともあれ、本当の日本精神によれば、できるだけいろいろな人々が、地位、年齢、階級のいかんを問わず、お互いに心を合わせて日本の国運を翼賛して行かなければならぬと思うのです。
世界はまた今混沌に陥って、日本は世界の「いざなぎ」「いざなみ」の神として、天照大神の信仰を発揚すべき時運に際会いたしております。今こそ深く内に省み、大いに奮発して、次代の国民に新たな『古事記』『日本書紀』などを遺さねばならぬ、と信ずるのであります。
大丈夫(大いなるますらおということで大人物のこと)会心の時代ではありませんか」
ここらでよかろうかい。
ふう。
長々と引用した割には先生のお心をきちんとお伝えできぬうらみがございますが、まあ、本当に気になる方は買ってでも読まれるでしょうし、そこは気にはしますまい。
さすがに300ページものを大著を丸々書き込みするのは厳しい(笑)。
はっきりいってしまえば、わたしのたわごとなんぞ聞く価値もないわけで、先生の書を読めばこと足りるわけです。
それでもこうしているのは、わたしなりに心ある人のためになればと思うからです。
とはいいながら、
安岡先生がこの書を上梓されたのが昭和十一年のことで、それから日本の中枢たる政財界やはては軍部にまで深甚なる影響力を発揮され、時には「影の総理大臣」とまで揶揄され、先生の書のあとがきには、何とこの人が、と思うような財界の大物が一言しているのですが、ここにおいて驚愕の事実に突き当たらざるを得ないのであります。
これほど偉大な、国父とお呼びしても決して過言とも思われぬような方が、この国の重鎮としてまさしく国家に重きをなして、これほど立派な思想の書をたくさん残され、はらわたに染み込むような講演などをたくさん行われていたにも関わらず、今日、日本がこのような有様なのは一体全体、どういうことなのでしょうね。
先生は昭和の始から、昭和の終わりまで、時にはGHQからA級戦犯の嫌疑までかけられるほど国家の中枢にあった。
上は総理大臣から下は一書生にいたるまで大変な影響があったにも関わらず、日本はこのような有様と成り果ててしまった。
しょせん、どれほど偉大な人が熱心に教えを垂れられても、その下が不心得ものしかいないのならばこう成り果てるという、格好の実例と言わざるをえないわけです。キリストしかり、ゴータマ・シッダールタしかり、孔子様しかり。
ということは、わたしなんぞはどうでもいいとして、世に立派な教えを垂れる人も、結局は今の日本人には馬耳東風、豚に真珠なのでしょう。
豚のごとき生き物に、どれほどありがたいお経を聞かせても、理解できるわけがないのであります。
そのような豚がこんな稚拙な文を読むなどありえないといたしましても、
いやそうではない、俺は豚なんぞではないぞ、俺は人だ、光輝ある日本人だ、と思う人が、密かに、静かに学問するための一助となりますれば幸いでございます。
そう思えばこそ、思想家は思想を述べるのであります。
そうすればシンギュラーポイント、特異点を超える時が来るかもしれません。
密かに学問をする、密かに日本人としての矜持を保つ伏竜鳳雛が、世にぼつぼつと現れれば、いつかはがらっと今の日本が劇的に変わることも、あるかも知れません。
わたしも妄想することだけは得意なわけで、そういう都合のいい妄想でもして日を過ごしましょう。
今後日本がどうなるにせよ、それは日本人の選ぶ道なのでしょうし。
ちょびっとはわたしも、日本について語り得たと思いますので、これにて終了とさせていただきます。
したらば。