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令和五年の謹賀新年



 あけましておめでとうございます。豊臣亨です。


 令和五年目の始まりとなりました。


 燃料費の増大に戦々恐々となる四年目も過ぎ去りましたが、とはいえ、まだまだ暗雲が晴れてチンダル現象たる天使の階段が拝める一年になるかはまだまだ不透明な状況下と思います。


 2019年の末に呱呱(ここ)の声(?)を上げた中共肺炎も、丸二年を経過しました。志村けんさんの突然の死や、多くの方々の命を奪う悲劇を生み出しましたが、さすがに世界的にも爆発的な感染という事態はなくなってきたようで(生みの親だけは別だったかな)、日本においても自粛の冬ではなくなりました。インフルエンザの親戚、もしくは亜種扱いされるのもあと少しでしょう。日々、油断せず心身を清潔にし健康な生活を送れば恐るることもありますまい。


 まあ、中共肺炎はともかく、2022年の最大の出来事は何と言ってもおロシアのウクライナ侵略でしょう。


 2022年の2月に始まったおロシアの侵略は、当初の予想を大幅に覆し、数週間で方がつくどころか2023年になってもいまだやまず。おロシアとしては、数週間でウクライナを蹴散らし最強ロシアの名をほしいままにしたかったのでしょうが、勝算ありと戦争を初めた張本人ですら驚愕の大大苦戦。しっかし、この大苦戦を予想できた人は世界で幾人いたでしょうね。


 サプライチェーンやら国際物流網やらと、世界のすべてが経済物流の網の中にあるこの情勢下で侵略戦争を初めたその匹夫の勇も驚きですが、おロシアが本当に匹夫であり、化けの皮が引っ剥がされたこの事態こそ驚愕の事実でありました。少なくとも、この侵略戦争が始まるまでは、おロシアは米国に次ぐ堂々世界第二位の軍事力をもつといわれた列強の一角にして共産国の大親分。かたやウクライナはソ連時代の衛星国にして、三十分の一とは言わないまでも、十分の一以下の国力差はあると言われてきました。


 それが蓋を開ければ、戦争初期において世界最強と謳われたスペツナズが壊滅した、との情報も流れ、将校クラスがありえないレベルで戦死し、補給網までズタズタにされるという世界に大失態をさらす始末。


 さすがにこの情勢におロシアもイモを引いたのか停戦交渉は行われていますが、「全軍撤兵せよ!」「すべての領土を返せ!」「損害賠償と謝罪を要求するニダ!」などと、当然のウクライナ側の要求にうまくいっていない模様です。とはいえ、このまま世界がウクライナ支援を継続するのか不透明ですし、双方、引き際を誤ると今後に大きなミソがつきそうですね。


 なれど、おロシアの凋落は決定的。


 世界の物流はロシアを除外して形成しつつありますし、戦争の混乱回復後の世界経済から締め出されたロシアが国力においても軍事力においてもかつての威光を取り戻すことは決してないでしょう。


 また、二匹目のドジョウを狙っていたであろう中共に対して、強烈なブレーキとなったであろうと想像するに難くない。


 いくら一国が強大な軍事力をもったとしても、世界すべてを敵に回しては戦争などできるはずがない。ある意味当たり前のことで、かつての大日本帝国も辛酸を嘗めまくったことでありますし、自らの身をもってまたもや証明したおロシアはご苦労さんなことですが、イキリ散らかす中共も明日は我が身と思ったことでしょうね。結局、渋沢栄一さんもおっしゃるようにお金の多寡は問題ではなく、道徳をもって国家を運営する他はない。こんな当たり前のことを人類が理解するのに、あと何千年かかることでしょうね。




 それはともかく、さっそくですが去年の干支は「壬寅(みずのえとら)(じんすいのとら、じんいん)」でした。意味としまして、




「「壬」は孕むすなわち妊の姿であり、また荷なう・事に当たる意(任)をも表しています。(中略)活動する人物が輩出する。これを「壬人(じんじん)」と申します。壬人すなわち任人で、事に任ずる人物です。おそらくいろいろ活躍する諸種の人物が輩出するでしょう。




 しかるに、ここに悪いことがあります。壬人という語に、よい意味の「事に任ずる」人ばかりではなく、むしろ、この時局に便乗して、自己の野心を逞たくましゅうしようとするよからぬ人間の輩出することを示す意味のあることで、壬人といえば多く佞人(ねいじん)の意に用いられます。




「壬佞、憲綱を冒触す」(唐書・姚崇(ようすう))とか、「壬人位にありて吉人雍蔽(ようへい)(ふさぎおおうこと)す」(漢書・元帝紀)とか、そういうものがふえるというのです」




「「寅」の字の真ん中は、手を合わせる、約束する象形で、下の八は人である。「つつしむ」の意があり、寅畏(いんい)という語がある。また寅は演に通じ、進展を意味する。(つつし)んで協力することを寅亮(いんりょう)ともいう。転じて同寅(どういん)と言えば同僚であり、同僚の誼は寅誼(いんぎ)という。




 志を同じうするもの相約し、敬んで時務を進めねばならぬのである。しからずんば畏るべきことになる」




 確かに、己の野心をたくましくする輩が現れましたね。まあ、それでその輩が強大な魔の手を世界に伸ばすのなら恐怖ですが、幸運にも恐ろしく稚拙な輩であったので、ウクライナの人々には申し訳ないことでありますが、少なくとも日本が攻撃をうけることはないようです。


 また、世界が同調して防共で足並みを整えつつあるので、恐ろしい事態に至ることは避けられそうな情勢でしょうか。では、今年の干支は。




「癸卯」




 癸卯(みずのとう)(きすいのうさぎ、きすいのう、きぼう)。


 これも例年通り、『干支の活学』 プレジデント社から伺ってみましょう。以前の癸卯の年は昭和三十八年にあたり、安岡先生の詳しい解説があります。なので◯っと丸写しいたしましょうw p18




癸卯の信義




「今年はどういうことになってゆくであろうかと誰しも思わぬ者はあるまい。私はそういう時、いつもまずその年の干支が頭に浮かぶ。今年の干支は癸卯(きぼう)(みずのと・う)である。


 この前の癸卯は明治三十六年(一九◯三)、日露戦争の前年に当たる。そのまた前の癸卯は天保十四年(一八四三)で、内外物情騒然たる年であった。


 干支学からいうと、癸は揆であり、物事を「はかる」意である。故に揆度(きたく)とか、揆測とか、揆策などと用いる。然るに、測るには測る標準原則がなければならぬ。それでそういう「のり」、「みち」の意にもなる。「前聖後聖其の揆一(きいつ)なり(孟子・離婁下)」。「世代(こと)なりと(いえど)も其揆一なり(漢書・外戚恩澤表)」、「天に応じ民に(したが)うに至っては其の揆一なり(班彪・王命論)」などと用いられている。


揆一(きいつ)」という名はこれらに基づくものである。よって百事をとりはかる官職を揆といい、特に大臣宰相を意味する。つまり癸は物事の筋道を立てることであり、その筋道が立たぬと、混乱になり、御破算になる。これを「(なら)す」という。


 日本では、政治がその道を失って自然に起こる騒動を「一揆」と称するが、うまくつけたものである。一揆は自然発生的なもので、本来特定の人間の謀略から発した叛乱とは異なるものである。


 卯は兎ではなくて、(おか)す、陽気の衝動であり、「茂る」ことにもなり、兎よりも(かや)(ジュンサイのことだそうな)の方である。もっとも陽気が発すれば、兎もとびだしてこようが、それは民衆に普及する手段に採ったもので、原意にはない。卯は良い意味では繁栄・繁茂であるが、悪くすると紛糾し、動きがとれなくなることを表す。


 そこで癸卯の年は万事・正しく筋道を通してゆけば繁栄に向かうが、これを誤ると紛糾し動乱する意を含んでいる。すると来年は甲辰(きのえたつ)(こうぼくのたつ、こうしん)で、甲は「よろい」であり、鱗芽の「かいわれ」を表す文字である。辰は震、震発、震動で、甲辰は旧体制が破れて新しい激動が始まることを意味する。日本の現状はまさにこの干支の示唆する通り、重大な局面である。指導者・政治家・宰相(=揆)はこの機会を誤ってはならない(昭和三十八年はケネディ大統領暗殺事件がありましたが、米国の話ですしねぇw 小さい所(?)では、「鉄腕アトム」放映開始、NHKで大河ドラマ始まる。日清食品から「日清焼きそば」発売、エースコックから「ワンタンメン」発売と、日本の復興の足音が聞こえてきそうです。ちなみに、翌年昭和三十九年は東京オリンピックが開催されていますね。そしてその翌日、池田勇人退陣を表明、その後佐藤栄作が首相指名)。


 不幸にして今の日本はどの方面を見ても、いっこう筋道が立っていない。でたらめであり、わけがわからない。経済が繁栄しているというが、それは現れた形のことで、内実はすこぶるあやふやである。過当競争・出血受注・レジャーブーム・数十兆の手形の麻痺、経営の悪質、数え上げればきりがない。


 政治もまた同様で、民主自由ということをひどくはきちがえ、利己的暴慢や放縦がはなはだしく、法は守られず、「日本無責任時代」などという忌まわしい流行語が国民の苦笑を(そそ)っている。年頭国会正常化ということがまず問題になっている。それほど異常なのである(2022年では一部において「ケツアナ確定」が流行している、などと安岡先生の耳に入ったらどんな反応をされることやらw)。


 社会生活もいわゆる面妖なことが多い。男女の風儀は乱れ、優生保護のためのものが、堕胎公行となり、この十年の間に二千万に上る胎児が闇から闇に葬られ、奇形児の出生、性格異常者・精神薄弱児・精神病者の数が激増し、全人口の五パーセントを超えるといわれている。


 青少年の非行犯罪も世界文明圏では首位に達し、劣悪な教師によって道徳や礼儀・常識を無視した教育や講義が堂々と行われている。年々殺人事件だけでも六千件に上っているが、死刑は一万人に一人ぐらいの割にすぎない。殺された側は問題にされず、殺した人間をどう始末するかということの方がやかましく論議され、この点では似非(えせ)非人道論や社会責任論が幅をきかして、殺し得、殺され損のような事例が多すぎる。変なもの・妖しいことである。


 周の武王が革命を起こして、殷に勝った時、特に二人の捕虜を得て、これと親しく問答した記事がある。


「武王殷に勝ち二虜を得て問うて曰く、(なんじ)の国に妖有りしか。一虜(こた)えて曰く、吾が国に妖有り。昼星を見、(しこうし)て天、血をあめふらしぬ。此れ吾が国の妖なり。一虜対えて曰く、此は則ち妖なり。(しか)りと(いえど)もその大なる者に非ず。吾が国の妖の(はなは)だ大なる者は、子、父に聴かず。弟、兄に聴かず。君の命行われず。此れ妖の大なる者なり。武王席を避けて之を再拝せり(呂覧・慎大覧)」この意味から言えば、今の日本はまさに妖世・妖国である。これに対してなんとか正しく筋道を立ててゆかないと、今年は確かに乱れるであろう(「師と友」昭和38年2月)」




筋道を立てて処理すれば繁栄




「本年は癸卯(みずのと・う)の年であります。正しくはきぼうであります。


 癸をみずのと、と申しますのは、陰陽五行の思想が発達して、干支をこれに割り当てた時に、水に配したからみずで、これに兄弟(陰陽)を立てて、その弟(兄はえ、弟はと)をとってくっつけた。したがって去年は(みずのえ)で、今年は癸・みずのとであります。


「癸」は百姓一揆の揆と同じ文字で、揆計とか揆測とか、あるいは揆量などと申しますが、物事をはかるという意味であります。また「はかる」には、はかる標準や原則がなければならない。したがって則とか道とかいう意味にもなるわけであります。そこで「癸」の意味するところは、万事則・道、つまり筋道を立ててはかる、考える、処理するという意味になる。ところが筋道を誤ると、筋道をなくすると、物事は自然に混乱し、その結果はご破算にしなければならぬようなことにもなる。だから癸を平均の均、ならすという意味にも用いるのであります。


 したがって「癸」という干は、「万事筋道を立てて物を考え、処理してゆく。それを誤ると混乱し、あるいはご破算にならぬとも限らない」ということになるわけであります。


 例えば、政治が筋道を失ったような時に自然に起こる動乱、打ち壊し騒動のことを、日本では昔から一揆と申します。揆は元来「則」とか「道」とかいうことであります。


 原理・原則というものは、いつの時代でも、いかなるところにおいても変わらない。そこで「孟子」には、いつの世も偉い人のたてる道、筋道というものは、一つであるというので、「先聖後聖、其の揆一なり」と言っている。この揆一をひっくり返して一揆というのであります。特定の人物の陰謀や謀略によって起こす叛乱は一揆とは言わない。これは反逆とか、反乱とか謀反と申します。一揆とは、政治が道を失った時に自らにして起こる自然発生的なものを言うのであります。陰謀家はこれを巧みに利用して乗ずるのでありますが、それは元来一揆ではない。そこで癸というのは、善悪両面から考えるとまことに重大な意味を持つわけであります。


 卯はぼう、という音で、冒に同じく、また茆・(かや)(ススキなどのこと)と同じ意味であります。これは陽気の衝動であります。陽気が衝動し、発生するというのは、草木でいうならば、芽や葉がしげるということになり、したがって卯は茂に通ずるわけであります。卯はもともとは兎ではなくて、いばら・かやという文字であります。いばらやかやというものは、茂って、根がはびこって、こんがらがると、どうにもならぬものであります。もちろんその中から兎が飛び出してくるでありましょうから、まんざら関係のないこともありますまいが、ほんとうは茅であります。


 そこで癸と卯が重なった癸卯という年は、「万事筋道を立てて処理してゆけば、繁栄に導くことができるけれども、筋道を誤ると、こんがらがって、いばらやかやのようにあがきのつかぬことになる。その果ては混乱・動乱、あるいはぶち壊し・ご破算になるぞ」とこういう意味になるわけであります。


 これを歴史的に見てまいりますと、六十年に一度ずつ干支が現れるわけでありますから、この前の癸卯は日露戦争の前年の明治三十六年という年になる。その前は天保十四年(一八四三)で、この大阪には縁の深い大塩中斎(平八郎)の騒動などのあった後に当たり、物情騒然たる時であります。幕府は政治の筋道を失って紛糾混乱、ついには明治維新にまで進んでいってしまいました。


 来年は甲辰(きのえ・たつ)で辰になる。甲はよろいという文字で、草木で申しますと、鱗のよろいをつけた芽のことで、それが春になって陽気が発動して、その芽のよろいがとれる。これを貝拆(かいわれ)と申します。すなわち在来の体制が破壊して、そこから新しい芽が出るということになる。辰は地震の震と同じこと。発動してきた陽気が激動してゆくという意味であります。したがって旧体制が破れて、新しい動き・建設が衝動的に発生してくることであります。


 これが前回の癸卯では日露戦争になり、その前が明治の開国とか維新とかいうことに進んでいったわけでありまして、こういうことを統計的に調べ、また、干支本来の意味に照らして日本の現状を考えますと、今年昭和三十八年という年はどういう年か。この簡単な二字の干支が実に的確にその本質を表しておる、と申してよいと思うのであります」




筋道を喪失した日本




「国民の運命を直接支配する代表的な政治の分野を見てまいりましてもそうでありまして、去年は重大な問題が、壬寅(じんいん)の干支のとおり進んでまいりました。壬は妊むという字で、したがって真ん中の一を長くしなければならない。これを短く壬(中の一が短い字だと思いねぇw)と書くと、朝廷の廷となって意味が違ってくる。


 寅は演と同じで、伸びるという文字であります。だから去年の壬寅は、いろいろ発生した問題をはらんでぐんぐん伸びてきた。確かに去年は干支のとおりに進んできたわけであります。もちろん寅も兎と同様、虎に特別意味はないのでありまして、本当の意味は伸びる、慎む。物事が新しくはらまれて伸びてくるのでありますから、その時において大いに慎まなければならない、慎重に処理をしなければならない。そこで寅という字は慎む。したがって同僚・同役のことを同寅(どういん)と申します。「書経」などによく出てくる語であります。


 去年も、壬寅は伸びるということよりも、慎むということが大事だと、慎重に研究し、善処しなければならぬと、ずいぶん力説しておいたのではありますが、政治家などの中には、せっかく力説した大事なところを忘れて、伸びるということばかり頭に入れて、慎むということが足りませんでした。


 そこで今年は筋を通すということが大事なので、筋を通さないと厄介なことになる、とんでもないことになる、今、日本は政治で申しましても、経済や教育で申しましても、すべてそうでありますが、問題が見送り見送りで、ごたごたするばかり、いっこうに筋道が立っておらぬ、というところに一番根本的な悩みがあるわけであります。


 世界もまたそのとおりで、近頃やかましい中ソの論争にしても、国際共産主義の思想、その運動にどう筋道を通すかという、つまり中ソの喧嘩であります。フルシチョフの方から言うならば、中共の言うのは独断教条主義であって、俺の言うことの方が筋道が通るのだ。毛沢東らは帝国主義国を”張り子の虎”などと馬鹿にしておるけれども、なかなかどうして自由主義・帝国主義諸国には恐ろしい爆弾もあるし、潜水艦もある。核兵器による恐るべき破壊力もあって、どのようなことになるかわからない。


 どうしてもここに柔軟性をもってマルクス・レーニン主義を解釈し、善処してゆかなければ道が立たぬと言う。ところが毛沢東の方にすれば、それでは逆に道が立たぬ。共産陣営の方が混乱して、破滅を招くことになる。だからこの際はあくまで強気で筋を通さなければならぬ、とまあすいぶん派手な論争をやって喧嘩をしておるわけであります。


 しかし立場こそ異なれ日本も同じであります。政界を見ても、まず議会そのものが実に筋道が通っておらない。大体こちらの言うことを聞かなければ審議に応じない、などということ自体間違っておるのでありまして、これでは議会はいらぬということになる。こんな筋道の立たぬ話はない。まさに香港やシンガポールの新聞にも書いてあるとおり、日本の議会は妙な議会で、「会して議せず、議して決せず、決して行わず」ということになる。実際はそのとおりで、まず議会の筋道を立てなければならないのであります。


 また至るところ派閥闘争が行われて、選挙を見ても、どうも筋道の通らぬものが多い。混乱が多すぎる。大事な教育の問題にしても、日本の教育ほど筋の通っておらぬものはない。これは根本的に考えるならば、もっとも本質的な難問題であり、政治や経済の混乱、あるいは偏向・歪曲というようなものよりもっと恐ろしいことであります。


 対外関係を見てもそうでありまして、とくに今年の干支癸卯(きぼう)は、癸は北を表し、卯は東を表すもので、つまり北から東をさしているわけであります。言い換えれば韓国問題、中共・ソ連およびアメリカ、この方面の関係が主題になる、ということを一方において意味しておるわけであります。


 韓国問題をとって考えてみても、韓国自体いま難しい立場にある。国内には革命勢力が数派あって、李承晩政権を打倒するために口火を切って、一番活動した学生とつながっておる勢力、軍事革命の主力、便乗勢力、この変則な状態に滲透(しんとう)してゆこうという共産勢力等々、韓国の政情またはなはだ多事多難であります。


 明治の日韓関係を見ても、韓国はロシアの勢力と清、すなわちシナの勢力と、日本の勢力との間にはさまって非常に紛糾しました。いずれと結んで国策を遂行してゆくか、ということでごたごたしたわけですが、運命と申しますか、今日も依然として韓国の立場は明治と似ておる。


 特に北の方は、中共と結ぶか、ソ連と結ぶか、日本と結ぶかということで紛糾しております。日本としては、これに対して立派な筋道を立ててゆかなければならない。これは実に難しいことで、同時にソ連や中共に対しても同じことであります。


 ソ連のパイプ・ラインの問題にしてもそうであります。日本としては、そういうことはあらかじめにおわされておったのでありますが、NATO関係からああいうふうにはっきり言われてみて、初めてそういうこともあるのかなぁ、と言って驚くような始末で、実に物の考え方が甘すぎる。神は自ら助くるものを助くで、自らはっきりしないようなものを助ける国はどこにもない。アメリカでも同じこと。日本自身はっきりしなければ、おそらく日本を助けるようなことはありますまい。


 率直に言ってアメリカは、どうも日本はわかったようでわからない。もっとはっきりしてもらいたい、というのがいつわらぬ感想であります」




個人生活にも筋を




「これは国際社会のことばかりではありません。個人生活においても同じことであります。日本人の悪い癖は、外国人がよく指摘するのでありますが、日本人と話をしておるとじきに、「私にはよくわからないが……」と言って意見をしゃべり出す。これはおかしい。言われてみるとそのとおりで、よくわからぬのならば黙っておればよい。「自分はかく信ずる、かく思う」となぜはっきり言わぬか。議論をしてもはっきりしない人が多い。物事をはっきりさせると損だとか、危ないとか、失礼だとか、本当に妙なコンプレックスを日本人は持っている。


 私など始終はっきり物を言う性質ですので、そんなにはっきり言ってよいのかとよく言われる。今年は好むと好まざるとにかかわらず、打算の是非にかかわらず、物事をはっきりさせて、筋道を立ててゆかなければならないのであります。


 そうしなければ、だんだん日本は混乱に陥る。あたかも濁流が次第に脆弱な堤防に滲透してくるようなものであります。例えば、現に国際共産主義革命勢力なども、平和だ、平和だ、友好だ、親善だと言って、巧妙に滲透してきております。今日も汽車で通りながら気づいたのでありますが、熱海の向こうの網代地区に巨額の資金を投じて土地を買収し、共産大学の建設計画が進行している。


 これはソ連の指令によるものでありますが、数年前も、北鮮の指令によって、工場を建てると言って、東京の郊外に敷地を買収し、共産大学を建設して、尖鋭なる革命の闘士を養成されつつある。こういうことは国家としてまことに容易ならぬことでありますが、これも成り行きのままに放任されておるような始末で、国家の治安とか、機密というものを守る原理・原則が、わが日本においては行われておらない。実に危ういことであります。


 まあ、そういう個々の例をあげてくると際限のないことでありますが、どの面を見ても今の日本は、筋道が立たずにもたもたしておる。これが実相であります。これを放っておくと、干支の教えるとおりますます混乱するばかりであります。そのうちには安保問題、憲法問題、選挙問題、選挙法の改正問題、外交問題等々いろいろな問題が起こってまいります。さらに混乱がひどくなると、その揆一なりが一揆になって、またぞろゼネスト(大規模ストライキ)だとか大デモだとかいうようなことになって、始末の悪いことになる。どの点から考えても今年は重大な年であります。


 そういうことを考えてまいりますと、いったい日本は楽観すべきか悲観すべきか、楽観する方がよいか、悲観する方がよいか。何事も楽観の方がよいに決まっております。文字どおり楽観ですから……。しかし、本当の楽観は悲観があって初めて成り立つものであるということは、哲学的にもはっきりしておることであります。


 愛するという言葉があります。


 これは人間の一番大事な徳の一つでありますが、日本語ではこれをかなしと言う。


 本当に愛するということはかなしむということであります。もし仏教というものを一語にして尽くすならば、いわゆる一言もってこれを(さだ)むれば、「慈悲」ということであります。慈の下に悲の一字がついている。これが仏教の眼目であります。日本語で愛をかなしと言うのもうれしいことです。


 かなしむということは、人間の情緒のもっとも尊い働きの一つであります。人間、他人のことをかなしめるようになるのは、よほど精神が発達しなければならない。人が自分の親・兄弟・子供ばかりでなく、友人のことを、世の中のことを、国のことをかなしむようになってこそ、はじめて文明人であり、文明国であります。


 簡単に言えば、他人と親身との区別はどこにあるか。心配してくれるか、くれないかにある。他人はみな気楽なことを言う。「やあ、心配いりませんよ、大丈夫ですよ」、みなそう言う。他人から見て心配事でも何でもないようなことでも、親身は心配する。「人、遠き(おもんぱか)りなければ近き憂あり」という(ことわざ)のとおり、親身になって心配する者があってこそ楽しめる。悲観ができてこそ楽観ができる。親身になればまず今日は悲しまざるを得ない。今の日本は、親身になって考えれば考えるほど悲しまざるを得ない。状態があまりにも深刻すぎる。これを多くの国民が親身になって悲しんでこそ、初めて楽観することができるのであります」




 さすがに干支一回り分の時代の変化を感じざるを得ませんが、さすがは安岡先生。この短い文章に学問が詰まっております。また、改めて読み返しますと、わたしが普段言っておることは先生のお言葉の言い直しに過ぎない。まあ、それだけ教えが身についたのだ、と喜んでおきましょう。しかし、干支一回りしたくせに、日本の問題はなんにも改善も解決もされていない様子でありますが、ここでやいのやいの言ったところで致し方なし、悲観して、かつ、楽観しておきましょう。では、干支癸卯(きぼう)の意義をもう一度振り返りますと、



「万事筋道を立てて処理してゆけば、繁栄に導くことができるけれども、筋道を誤ると、こんがらがって、いばらやかやのようにあがきのつかぬことになる。その果ては混乱・動乱、あるいはぶち壊し・ご破算になるぞ」



 ということであります。


 また、ようつべを見ておりますと動画がありまして、なんでもハリウッドがオワコン化しておるのだそうな。


 ポリコレが常態化し、いわゆるLGBT ホモだのレズだの、バイセクシャルだのを誰はばかることなく自身のアイデンティティとして主張するキャラが登場し、また、昨今のシンデレラは黒人女性なのだそうな。


 ポリコレ、とは、人種や性別だのの差別を撤廃する、といえばなにやら良いことのように聞こえなくもないような気がしないでもないふわっとした雰囲気ですが、しかし、差別を撤廃するといいながら、白人で美人はないがしろにする風潮にあるそうな。明らかに美人と特定して差別しておきながら何が差別撤廃なのかさっぱりわかりません。

 

 ポリコレとは、はっきり言ってしまえば価値観の共産主義化であり、全体主義的価値観の押し付けでしかありません。何故、米国が繁栄し、ソ連が消滅したのか。そんなことすらわからん連中に汚染された業界が繁栄するはずがない。こんなことばっかりしておるからハリウッドが終わるのでしょう。価値観は押し付けるものではなく、価値観の多様性を認めることにある。美人という価値観もあってしかるべき、と認めねばならない。


 それが理解できない、イデオロギーに脳みそ毒された連中とはきっぱり、はっきりと断絶しなければ、こちらまでどんな混乱に巻き込まれるか分からない。つまり、おロシアや中共の世迷い言にはっきりとNOを突き付け、敢然と正義、道徳を推し進めねばならぬ。こういう筋道の立たぬ意見、連中とははっきりと決別し、自身の本当の正しい主張をせねばならぬ。これが癸卯の年に求められることでありましょう。好むと好まざるとに関わらず。


 そして、殷の終わり、周の初めの武王と捕虜との問答を見てみますと。




「吾が国の妖の(はなは)だ大なる者は、子、父に聴かず。弟、兄に聴かず。君の命行われず。此れ妖の大なる者なり」




 我が国におけるもっとも悪いものは、子が父の言うことを聞かず、弟は兄の言うことを聞かず、君命は遂行されない。これが我が国のもっとも悪いことである。




 美人を美人として尊重せず、敵視し差別する。


 これこそ妖の大なるものでございます。


 今も大昔もなんにも変わらない。筋道の乱れを正す以外に国の繁栄などあり得ない。


 当たり前のことを当たり前のこととして毅然と実行する。そういう一年であって欲しいと、悲観しつつも楽観しておきましょう。




 といったところで、新年のご挨拶はこれまで。




 日本に繁栄がありますように。-人-



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