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『仙境異聞・勝五郎再生記聞』を読む、の九



 ぶおー。がんばえー。


 さて。


 おこんばんはです。豊臣亨です。


『仙境異聞・勝五郎再生記聞』を読む、の九、今回は寅吉少年の修行風景を伺ってみましょう。p272




【問ふて云はく、火の行の状はいかに】



 

 質問。火の修行とはどういった様相であるか。




【寅吉云はく、


 火つるぎとて、腕の太さなる炭を長く一町ばかりの所におこし、加持して幣をかざすに焼けざる時に、片端より一つづつこき行くなり。また衣を著たるまま、その上を徒足(かちあし)にてあゆむ。これ即ち火わたりなり。


 火の勢ひにて一尺ばかりも火上に衣の裾ひらめくなり。火を手足にかくる時に、熱からんなど思ふ臆病心ありては、やけどをするなり。一向に然る念なく踏みも(つか)みもするなり。火の行など、すべて怪しき事は、そんな事といへること。また山人の行は、人間の為にするといへること】




 ちょ~意訳。




 火の修行とは何をするのか、という質問に寅吉少年はこう答えます。


「火の剣と申しまして、腕くらいの太さの炭を、おおよそ100mほど燃やし呪文を唱え御幣をかかげて炭が燃えきる前に炭を歩いて渡ります(かな??)。そして、着物を着たまま炭の上を素足で歩くのです。これが火渡りの修行です。


 火勢によって着物のすそが30センチほどめくれ上がり、火の上を渡る時や手に持つ時に、火傷するんじゃまいか? などと思う臆病な気持ちがあれば火傷をしてしまいますので、そういう気持ちは捨て去ってしまえば踏んで歩くことも炭をつかむこともできます。



 火の修行など、面妖なことはこういうことだそう。


 また、こういう山人修行も、すべては人々のためにするのだそう」




 という塩梅。


 でました。火渡り。現代でも修験道では同様の修行を行うそうで、wikiによると走るとかえって火傷するんだそうな。ほんまかいな、と思ってしまいますが、たとえば、風船に水をいっぱい入れてそこに火を近づけると、普通なら風船のゴムが熱で溶けると思ってしまいますが、実は中の水が循環して熱を逃がすから簡単には風船のゴムは溶けないのだそうで、この火渡りもそういう理屈なのでしょうかw まあ、理屈がわかったからと言ってやりたいとは毛ほども思いませんがw


 とはいえ、現代人でもできそうなことを山人修行で行うとも思えませんが、どうなんでしょう?w




【問ふて云はく、その外にも種々の行ありや】




 質問。他にもそういう修行はあるのか。




【寅吉云はく、


 いかにも種々の行あり。まづその時々の時候の服を、一つならでは著せず。決して重ね著する事なし。夏はひとへ物、春秋は(あわせ)、冬は綿の入りたるを著す。また冬ひとへ物、夏綿入れを著る行もあり。天狗道を修し始むるには、まづ百日断食の行なり。堪へがたく苦しきものなり。


 我が勤めたる時に、四五日ばかりも過ぎてひもじさ云はむかたなく、堪へがたき故に、密かに人にもらひて結びめしを一つ食ひたれば、したたかに叱りて山下へ七度蹴落し、さて山の木にしばりつけて為直させたり。かくて夜とも昼とも知らず、日の多く立ちたると思ふと、しきりにひもじさ堪へがたく、前に栗の実一つ落ちたるを見たれば甚だ食ひたく思ひ、額より膏汗出でしかどしばられたる故にせん方なく、遂にこらへおほせたり。程すぎては然ほどになき物なり。


 その後は死にたる如くにて、ふと目を覚ましたれば、はや百日立ちたり。されどもやうやう七日ばかりも立ちし様に思はれ、今思ふにも百日断食の行の早く済みたる事、これまた更に合点ゆかず。殊に不測なるは、この行を始むる前に師より怠りなく行を(つと)むべき由の誓詞を案文して、我が小指の爪を師の手でおろし抜かれたるが、その痛さ堪へがたかりし事は(たし)かに覚えたるに、行をへ夢覚めて見れば爪もその儘にあり。この後師に従ひ居るほどは、折ふし手一合の行、さては寒水に七度入りて熱湯に三度入る、これ年に四度の行なり。さて年ごとに寒中三十日の水行あり】




 ちょ~意訳。




 山人修行は他にもあるのか。


 寅吉少年答えて言う。


「もちろん、他にもいろいろあります。まず、その季節に着るべき着物を着ないこともあります。寒くても重ね着など致しません。夏ならひとえ、春や秋ならあわせ、冬なら綿入れを着ますが、それが冬にひとえ、夏に綿入れを着るという修行があります。


 また、天狗になる修行を始めるにあたって、まず最初に行うのが100日断食であります。これは本当に耐え難く苦しいものでした。


 わたしがその修業にあたったとき、4~5日もすれば空腹のほどは言いようもないほどであまりの苦痛に密かに他所様におむすびを恵んで食べましたら、お師匠様よりめっさ怒られまして、なんと7回も山から蹴落とされ、さらに山の木に縛り付けられて修行を続行させられました。


 このように夜となく昼となく日が過ぎ去ったと思い、また、あまりの空腹が耐え難く、目の前の栗の実が一つ落ちているのをみて、食べたくて食べたくて仕方がなかったのですが、木にくくりつけられているのでいかんともしがたく脂汗が吹き出る勢いでしたが、なんとかかんとかやりおおせました。やり終えたらなんとかなるものですね(かな?)。


 ですが、その後はしばらく死んだように動けなくなりました。そして目を覚ますと、なんと100日経った、とのこと。ですが、わたしの感覚では一週間が過ぎたくらいに思われ、今思い返しても断食を100日も行ったのに、あまりにはやく終わったように感じられ、これも摩訶不思議な次第ですね。


 さらに摩訶不思議なことに、この修業を始める前にお師匠様に修行をなまけることなくお勤めするという誓詞文をお師匠様に差し上げ、その証としてわたしの小指の爪をお師匠様の手で引きちぎられまして、その痛みたるやこれも脂汗が出るほどでして、その痛みもしっかと覚えているにも関わらず、修行を終えてしばらく死んだようになっていましたが、なんとか回復して小指をみますと爪が何事もなく治っているではありませんか。なんとも不思議なことであります。


 またその後、お師匠様に付き従っているとき、時々ですが手一合の修行を行い(手一合は両手いっぱい分、ということでわずかという意味のようでして、つまり、よく分かりませんw)、あげくに寒中の水に7回入って熱湯に3回入るという修行があり、これは一年に4回も行い、また一年おきに寒空の中水に入る修行が30日あります」




 という塩梅。


 次の修行が着る服を季節をあべこべに着る、というもの。夏に冬物を着て、冬に夏物を着る、というものの様子。聞いた感じではそんな荒行な感じはしませんが、そういえばわたしがガキの頃は「ザ・ガマン」って番組がありまして夏の最中にあっつい味噌煮込みうどん食べさせたり、氷の浮いたプールに入って一番最後まで浸かっていたら勝ち、みたいな内容でその当時から問題視されてなくなりましたね。天狗もそういう修行を行うようですw


 さらに100日断食を行った、と。常識的に考えて100日も絶食したら100%死ぬでしょうw 100日経つ前に死ぬ寅吉少年。寅吉少年が7日くらいしか過ぎていないような?? って不思議がっているので実際に100日絶食したかは怪しいものですが、摩訶不思議な能力で100日を乗り越えたか、乗り越えたかのように錯覚させたのか?w


 さらに、覚悟の程を示すために小指の爪を「おろし抜かれた」ようですが、修行を終えてみるとその爪も元通りに治っていた、と。まあ、山人ともなればヒールくらいは当然使えるのでしょうかw


 他にも寒中の水行をして、熱湯に入るという修行もあるようです。カンフーだか少林寺だかの修行に、強靭な手を身につけるために焼けた砂に突っ込む、みたいなのがあるようですね。TVでも、槍をのどにあてて力いっぱい刺しても全然突き破らないとか、「気」で肉体を強化する、というのもあるようなので、そういうたぐいの修行なのでしょうか。




【問ふて云はく、百日断食の行を畢へたる後に、定めてつかれよわるならむ。その状はいかに】




 質問。100日断食を行うと当然、体はボロボロになると思われるが、その様子やいかん。




【寅吉云はく、


 身は干からびたる様になりて、筋骨あらはれ、力なくて動くこと叶はず。歩行せむと思へど足立たず。手に物も取られず。物言はむとすれど舌は働かず、耳も聞こえず。幾日とも限りなく眠られて、眼を覚ます事なし。その間に、夢か現か、誰がわざとも知れず、食物しきりに口に入るを夢中にて食ふやうに覚えたり。さて数十日眠りたると覚えて、後に覚むれば現世の事は更に忘れて、生を替へたるが如くに彼方の心となる。


 これ修行の始めなり。凡て此方に来ては、もと此方にて有りし事も思ひ出でらるれど、彼方に在りては、此方にて有りし事どもは夢の如く忘るるなり。又こなたに来て、彼方の事を思ふにも夢の如きこと多し】




 ちょ~意訳。




 ある人問う。100日断食のことをkwsk


 寅吉少年が言う。


「その身は干からびて、骨と皮だけになって力も当然なくなり、動くことなどできません。歩こうと思っても足腰立ちません。手も力を失い何も持てません。しゃべろうにも舌は動かず、耳もよく聞こえず、まるで死んだかのように眠って何日も目覚めません。


 その寝ているさなか、夢か幻かどういう魔法かはわかりませんが、誰かに食べ物を食べさせてもらっていたような記憶があります。さて、数十日も眠っていたように思いますが、目が覚めるとこっちの世界のことはとんと忘れて、まるで生まれ変わったかのような心地を味わい、山人の一員になったかのような気持ちになりました。


 この修業を終えて、本当の山人の修行が始まります。

 

 こっちの世界にいて、こっちの世界の出来事を覚えていても、山人の世界にいては夢のように忘れてしまいます。逆もまた同様で、こちらに帰ってきて向こうのことを思い出そうとしても霞がかかったようにぼんやりとしか思い出せないことが多いですね」




 という塩梅。


 100日断食が本当かどうかは山人のみぞ知るところではありますが、これを終えた寅吉少年はようやく山人、仙人の仲間入りを果たしたようですね。生まれ変わったように感じられ、世界が新鮮に感じられたようです。まあ、餓死するほどになって臨死体験して、生まれ変わったような気になったのかも知れませんが、少なくともわたしは真似したいとは思いませんし、どう頑張っても1~2日空腹を我慢できないでしょうねぇw




【問ふて云はく、日々に寒水に七度、熱湯に三度入る行の状はいかに。


 寅吉云はく、


 極寒の水に長く息をつめて七度ひたり、寒さ堪へがたく成れる時に熱湯に入るなり。


 問ふて云はく、その熱湯は何に沸かすことぞ。据風呂なるかいかに。焼けただるる事はなきか。


 寅吉云はく、


 かたき石山を一間に二間ほどに、風呂の如く掘りて、鉄にて図の如く(図はなしw)作れる物に水を入れて、上なる穴より鉄棒二本にて、図の如く(同上)攪きまはせば、鉄棒と器のふちときしり合ひて火の如くなりて熱湯となる。その湯を、彼の掘りたる所に入るるなり。但しかくして沸かすことは手間どる故に、また傍らにかまどを作り、火を焚きてかの鉄器をかけ、幾はいも湯を沸かして、彼の掘りたる中に入れ、湛え、風呂の中の両傍に、図の如く(以下同文)壺に火を入れて、並べ置けば、湯はますます沸きたぎる。その時に、師まづ加持を為して赤裸にて眼をとぢ、図の如く(以下同文)端より端へくぐりて出づるなり。入りたる程は甚だしく熱く堪へがたき様なれども、出でては少しもただるる事なし】




 ちょ~意訳。




 質問。寒い水に7回、ついで熱湯に3回入る修行とは?


 寅吉少年が答えるには、


「凍えるような水に息を止めて入り、辛抱できなくなったら、熱湯に入ります」


 質問。その熱湯を沸かすのは鍋か? 風呂か? 火傷しないのか??


 寅吉少年が答えるには、


「まず、硬い石の山を約2~4メートルほどお風呂のようにくり抜きます。それから、鉄製の容器に水を入れて、上にあいた穴に2本の鉄棒を差し込んでかき回せば鉄棒と容器がこすれあって高温を発し熱湯となります(かな???)。そうしてできたお湯を彫り抜いた穴に入れます。ただ、このようなやり方では非常に時間がかかるので、近くにかまどを作り、鉄製の容器でお湯を沸かして一杯になるまで入れます。


 さらに、そしてできた風呂の両端に、火を入れた壺を漬けてますます高温にします。それからお師匠様は呪文を唱え、素っ裸で目を閉じ、熱湯たぎるお風呂に入るのです。入るときは恐ろしく熱くて耐え難いのですが、出てみるとあらびっくりなんともありません」




 という塩梅。


 なんで冷水は7回で熱湯は3回なのか、という疑問はさておいて、どうやら熱湯CMのようにある程度手加減した温度ではなく(熱湯風呂もときたましゃれにならんくらい熱いのがあったらしい)、ボッコボコ沸かして入るようですね。鉄の容器に鉄棒2本突っ込んで「鉄棒と器のふちときしり合ひて火の如くなりて」といっていますが、まさか原始的な火起こしみたいに摩擦熱で温度をあげていたのでしょうかw まったくその情景がわかりかねますが、その方法だと時間がかかるのでお鍋にお湯を沸かして入れているようです。


 お湯くらい山人パゥワーでなんとかならんもんかと思いますが、色んな方法でとりあえず高温にして呪文を唱えて入る、と。入った当初は洒落にならんくらい熱いけど、出てくるとなんともない。現代人的な感覚として、沸騰するくらいのお湯に入ろうとすると恐怖心やらが勝って入れなくなると思うので、そこからして魔法にかかって感覚が麻痺しているのか、もしくは魔法でなんとか耐えられるくらいに体にバリアーでも張っているのかどうか。




【問ふて云はく、寒中の水行は何処にてするぞ。その仕方はいかに。断食にてするか。


 寅吉云はく、


 寒中の水行は、筑波山の白滝、不動の滝、日光山のけごんの滝などなり。その中に筑波の滝は凡人また山伏なども行をする故に、おほくは日光山の華厳の滝にて行ふなり。赤裸に(ひとえ)物を一枚著て、腹は鳩尾(みぞおち)の所と足の土ふまずと手くびの所と額をば、太縄にて結びて、頭巾か手拭などを冠り、日の出づるより日の入るまで滝に打たれ居て、夜は滝を出て寝るなり。食物も食ふなり。水行の功つもりては、白き団子ほどの物のふはふはしたるを吐くものなり。その後まめになる。目をまはせば人々あたためる。常に目をまはせばとふがらし水にてよみがへる。




 ちょ~意訳。


 質問。寒中の水行はどこでやるのか? またその様子は? 断食と合わせてやるのか??


 寅吉少年、答えて言う。


「寒中の修行は筑波山の白滝や、不動の滝、日光山の華厳の滝などで行います。ただ、白滝神社は普通の人、また山伏なども修業をする場所なので、わたしたちはだいたい華厳の滝で修行しておりました。夏服一枚着て、腹はみぞおち、足は土踏まず、あとは手首と額に大縄を結んで、ずきんか手ぬぐいをかぶり、日の出から日没までず~っと滝に打たれ、夜には就寝します。


 断食はしません。この水行の成果があがると、白い団子ほどのフワフワしたものを吐くようになりますが、その後は豆粒くらいになります。修行に耐えかねて目を回すと人々が温めてくれますし、たびたび目を回しても唐辛子の水を飲めば蘇ります」




 という塩梅。


 日の出から日没まで滝に打たれ続けると、命にかかわるような?w それが実際に実現可能かどうかはさておくとしましても、低体温やら凍傷やらで確実に死にそうですね。ただ、この大縄を結ぶ、という行為に何か意味があるのでしょうか。着物でも、脇かどこかを強く締め付けると発汗を抑える効果があるそうで、半日滝に打たれても耐えられる効果が縄を結ぶという行為にあるのかも。みぞおち、と言っていることからチャクラとかそういうところと関係があるのかも知れませんね。ミステリー。


 しかし、次がびっくり。


「水行の功つもりては、白き団子ほどの物のふはふはしたるを吐くものなり。その後まめになる」


 なんですって?w


 団子くらいの白い「ふはふは」したものを吐くの?w エクトプラズム?w




【問ふて云はく、その所に寝るか、常の住所(すみか)に帰りてねるか。


 寅吉云はく、


 常の住所に帰らず、その山に寝るなり。土の平らかにひくき所にて、松葉を熊手もて攪き集めて夥しく燃し、白く灰になりて土の熱く焼けたる所へ、樹葉松葉の落ち腐りて平たくこごりたるを持ち来て、厚くしき、連れの者ども赤裸となりて、その著物を二枚ばかりも並べ敷きて、その上に、たとへば五人の連れなれば、三人が寝ころぶと一人が残り居て、二枚の著物を三人の肌に引きかけて、その上にまた松葉樹葉のこごりたるを、夥しく積みかけて、能々(よくよく)おし付け、さて残りたる一人が、尻の方からむぐり入りて寝るなり。毎夜に替る替るかくの如くするなり。夜半ごろまでは大分温かなれども、明方には歯をたたくほど寒し。夜が明ければ直ちに滝に入ること、右に云ふが如し】




 ちょ~意訳。




 質問。滝行中はお山に帰るのか、そこで寝るのか。


 寅吉少年答えて言う。


「いえ、帰りません。そこで寝ます。広々とした低地で、松の葉をかき集めて燃やし、アツアツの灰になったところへ腐葉土のような落ち葉を灰の上に敷き詰め、みんなで服を脱ぎ、脱いだ服を2枚ほど落ち葉に並べて敷き、その上に、たとえば5人でやってきていればまず3人で寝転び、一人は2枚の着物をその三人にかけ、その上にさらに落ち葉を敷き詰めて押し固め、さて、残った一人がザリガニのようにお尻から潜り込んで入って寝ます。


 こうして毎夜毎夜交代交代で役割を替えて寝ます。ですが、夜中まではぬくいのですが、明け方ともなれば熱を失って歯がガタガタ鳴るほど冷え込みます。そして夜が明ければまた滝行に向かうのです」




 という塩梅。


 尻から腐葉土に潜り込んで寝る山人。


 ナチュラリストここに極まれりw


 さて、いかがでしたでしょうか。神に仕えながら、自身は神にはならない山人。その修業の一端は。もちろん、これらは初歩の初歩であり、空を飛ぶだの千里眼をもつだの色んな術に通じるだのはまったく不明なのでこれからが本当の修行が始まるのでしょうね。


 寅吉少年が語ったのは俗世を捨て、山人になるための準備段階であり、そのためにはある程度人を捨てるといいますか、これまでの自分を捨て去るほどの修行が必要なのでしょう。ある意味、禅でいう懸崖に撒手(さっしゅ)して絶後に蘇るという、己の命を捨てるほどの覚悟を持って修行にのぞむからこそ見いだせる境地へと至ることを目指すのでしょうか。


 ちなみに、山人になるにはどうすればいいのか、寅吉少年はこう語ります。p128




【誰人にても深山に三十年も住む時は、始めの程こそ獣らも厭ひ逃れれど、遂には、なれてまづ種々の食を持ち来て養ひ、後には奇術を得たる鳥獣なども使はれて、いつとなく仙人と成らるる物ぞと師に聞きたり】




 誰であろうと、深山幽谷に30年ほど住めば、最初のうちは山の獣も人を嫌って逃げますがそのうちに慣れてくるので色んな食べ物で餌付けし、そのうちに魔法を使える鳥や獣を使役するようになり、いつの頃からか仙人になる、とお師匠様に聞きました。




 誰もこないような奥深い山に、30年過ごせばいつの間にか山人になってるよ☆ とのこと。


 30年どころか1日だって山奥で野宿する自信ないっすw



 といったところで今回はこれまで。したらば。





「平家物語」OP・EDを聴きながら


 大河は鎌倉殿で、アニメでは平家物語(ちょっと時期ずれたけど)。そういう時期なのかな。


 平家物語のOPは切なくなるいいOPですね。



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