『仙境異聞・勝五郎再生記聞』を読む、の八
とある宰相経験者が◯されたようであります。それについて犯人は、とある宗教団体関連の恨みによって、その強力な後援者たる宰相経験者を◯したのだとか。
まあ、宗教云々はおいておいて。
その宰相経験者の◯によって選挙は自民の圧勝。候補者としては心ならずとも、いいタイミングで◯んでくれたw と思ってしまった人もいるのでは。その他には、ようつべあー(ユーチューバー)さんたちはどんな反応を見せるのかな、と思いましたが、動画もそうですがコメントもそのほとんどで、その◯を悼んでおられましたね。非常に優れた宰相経験者の◯は日本にとって重大な損失である! と。
いやはやまあ、なんとも。わたしみたいな、学問を志して古典などを好き好む人間からしますとその反応に面食らう。
こころみに、漢帝国において重きをなした陳平という人物にこういう逸話がありますので伺ってみましょう。漢帝国が成立しその後の動揺もようやく落ち着きを見せ始めた文帝の時代、文帝は右丞相である周勃に帝国の内情を訪ねたとか。この当時の漢は丞相に左右があり、右のほうが左の上にあるわけですが、文帝は裁判の件数や国費の収支などを訪ねたが、周勃は答えられなかった。なので左丞相である陳平に同様の質問すると陳平は、そういったことはその専任の担当官にお尋ねください。と平然と答えたそうな。それを受け文帝は、専任の担当官が職務に当たるというのなら、その上にいる宰相は何をするのが職責なのか、と尋ねると陳平はこう答えたそうな。
宰相とは天子を補佐し、陰陽を調和させ、外敵から国を守り、国内においては百姓万民を懐かせ、役人が職務を全うできるよう勤めることでございます。
と答えたといいます。
これが宰相というものの職務であり、はっきり言ってしまえば、米の値段がどうとか株の値動きがどうとかいうのは、そういう担当官に任せるべき事柄であって、宰相が気にすべきはもっと大きな、国家の円満なる発展に務めることが本来の職責であるわけですね。
それなのに、あの宰相経験者はいかがであったか。2006年に初めて宰相を経験し、その後紆余曲折はありながらも2020年の辞任まで、wikiによると「連続在職日数は2822日、通算在職日数は3188日と、いずれも歴代最長を記録した」とあるように長期にわたってその権力を維持した。その間には、いまの上皇陛下がご退位の意志をお示しあそばされたことがありました。その時、この宰相経験者は、こともあろうに、恐れ多くも陛下に対して◯ぬまで天皇やってろよ。と言い放ったのであります。
わたしはこれを絶対に忘れない。
女性宮家創立など、皇室の問題は山積しており、これをなんとかしないことには日本の歴史が崩壊してしまいかねないし、あれだけ長期の権力を維持できたのだから解決しようと思えばどうにかなったであろうに、あの宰相経験者は何もしないばかりか進んで敵対するような行動ばかりをみせたのであります。そして森友・加計問題にしても恐ろしいほどの疑惑を力任せに封じ込める始末。
上の陳平に擬してこの宰相経験者を表するのなら、
上は皇室に逆らい、法や人倫を捻じ曲げ、外敵からは侮蔑され、内においては万民をしいたげ下が自◯したって他人事で、当たり前のように忖度を強いる。
と言ってよいでしょう。
こんなのを大勢の人間が優れた宰相であったと称賛し、その◯を惜しむ日本。まあ、あまりにも脳みそ毒されすぎてもはや何が正常で何が正道かすらわからなくなってしまったのでありましょう。にんともかんとも。
おこんばんはです。豊臣亨です。
さてさて、異世界というのは実は身近にあって当時の江戸にあっては異世界人、異人さんも良きにつけ悪しきにつけ、実に身近にいる存在であることは前回みてみましたが、実は妖怪変化のたぐいも江戸時代にあっては実に身近に、ちょっとしたはずみですぐそばにいる、という存在であることも事実なようです。
わたしも、水木しげる氏のおかげで妖怪のお話も少しは知ってはおりますし、鬼太郎に代表される漫画などで妖怪というのは一面確かに恐ろしいがでもやはり、フレンドリーと言いますか、どこか親しみやすい存在だと思っておりました。ですが、その当時の人間の証言というのを伺っておりますと実に妖怪というのは本当に恐ろしい、おどろおどろしい存在なのである、ということを初めて教えられた気が致します。
それを今回は見てみましょう。
『仙境異聞・勝五郎再生記聞』を読む、の八。
平田篤胤やその門弟、その当時の一級の学者から様々な質問を受けて答えていた寅吉少年ですが、お話はお狐さまの話題になったようであります。p152
【寅吉云はく、
狐が人の首を戴きて北斗を拝して、後に妖術を得ると云ふ事は、書物に有りても信じがたし。狐や狸、猫などの妖をなす事は、皆その物の天性なり。北斗を拝するには依るべからず。
さて狐を使ふには、まづ狐を見立て願を起こし、鼠を胡麻の油揚げにして、我に仕へば折々これを与へむと約して使ふ由なり。大凡かかる邪法どもは、仏道にて種々の物を使ひて、法を行ふに傚ひて、後世に為始めたる事なりと聞きたり。凡てかかる悪法を知りつつ、利欲の為に行ふ者は、神の大く悪み給ふ故に、末終に宜からず。
たまたまこの世の刑を免かるるも、死後には妖魔の部属と成りて、永く神明の罰を受け、また然る邪法を行ふと知らずして、その修法を受け用ひたる人さへに、妖魔の糸にかかれる罪は蒙る事なり。
然れば法は行ふ人も、よく択びて正法を行ひ、受くる人も、よくその法者を糺して、受くべき物ぞと、師の語るなり。我が呪禁祈祷を好まざるも是の故なり。然るは我文盲にてその択び未だ委しからず。邪法より出でたるわざの交れるを、知らず行ひて我も人も罪犯さむ人の空恐ろしくてなり】
ちょ~意訳。
寅吉少年が言う。
狐が人の首をかかげて(かな?)北斗七星を拝み、妖術を獲得するという事が書物を読むと書いてありますがにわかには信じられませんね。狐や狸、猫などがあやしげな魔法を使うのは、そもそもそれらが本来もっている能力であって北斗七星を拝んで獲得するものではないと思われます。
さて、狐を使役するには、まずふさわしい狐を探し出して契約するのですが、ネズミをごま油で揚げて、わたしに仕えればこれをあげるぞ、と桃太郎よろしく約束して使役するのであります。ですがおおよそ、こういう邪悪な魔法というのは仏教で様々なモノを使役するような魔法を真似した劣化版で、後々の世で誰ぞが始めたようであります。これらを邪悪な魔法であると分かっていながら我欲のために行うような者は神様が大変忌み嫌うものなので、だいたいその終わりはよくありません。
また、神罰を受けず、たまたま逃れたように見えたとしても、死後には妖魔のたぐいと成り果て非常に長い期間神罰を受けますし、また、それを邪悪な魔法であると知らず、授けられて使った者がいたとしても神罰から逃れることはできません。
そのような理があるので、
「魔法は行う者も正しく行い、また、魔法を受ける者も、よくその術者の心根を調べ上げた上で受けないと危ない」
とお師匠様はおっしゃっておいででした。しかも、わたしはあまり学がなく、何が邪悪で何が正しい魔法なのか詳しくは分からないのでわたしが加持祈祷や呪文を軽々しく使わないのはこういう次第でございます。
という塩梅。
お狐さまを使役する魔法などいうのもあるようですが、こういうことを行う者はやがて悪鬼羅刹に落ちるようですね。そんなことを話しているとこういう質問が起こります。p153
【問ふて云はく、「世に狐の人にとりつくと云ふこと幾等もあり。忽ちにおとす手段は有るまじきか】
狐に取り憑かれることがちょいちょいあるが、これを落とす手段はあるのか?
ちょいちょいあるの?w って感じですが、お話は意外なところにゆく模様。
【寅吉云はく、
我慢の人か、心の虚なる人がとり付かれ、化さるるなり。正しく心の立ちたる人には、つくこと能はず。また化されもせぬなり。
我も或時師の命にて、里に出でたりしに、とある稲荷の前を通りしかば、忽ちに夜となり一筋の道を幾筋にも見せて、迷はさむと為ける故に、これ狐の所為と心づきて、稲荷の社に向かひ、稲荷馬鹿を為るなと、大きな声して叱りたれば、元の如く昼になり、道も一筋に成りたる事あり。一体狐に限らず、人も人を化し、人が人にもつき、その外の物も化しもすれば、つく事も有るが、狐は中に卓れたり。
さて狐に五種あり。翼ありて空をかける狐あり、これを天狐と云ふ。これ天狗の類ひなり。白狐(しろきつねとも、びゃっこともいうのだそうな)、おほさき(wikiでは尾先狐、尾裂狐、御先狐、尾崎狐とありオサキギツネというそうな)、くだ(wikiでは管狐とあり、先程の狐を使役する術での狐のことをさすのだとか)、野狐なり。天狐のつきたるは落しがたき物なり。或時天狐のつきたるを、野狐のつきたると心得て、恥かきたる事あり。読みと読む呪文を吾が声より先に読みて、その術尽きたる故に、人々笑ひしかば、口惜しくて中臣祓詞をここかしこと飛違へて読みたれば、天狐それに困りて落ちたる事あり。
また野狐白狐にも、此方のいふ事を早く悟りて、云ふこと有るには困るものなり。然る時は狐のまごつく事を考へて行ふべし。凡て何狐によらず、始めより、りきみ心を止めて平和に狐と心易く、実意をもて交はる心になりて、理詰めにするが宜しきなり。此方の云ふ如く、声を揚げても形を現はしても去る物なり。また狐を欺きて陶などに封じ入れて落す事もあり。さて狐の人につくは、体をばその穴に置きて、魂をのみ人体に入るるなれど、一昼夜に三度づつは、その体を隠したる所に通はねば、体腐る故に人体を出づるなり。その時は、つかれたる人、聊か正気になる物なり。この時を見て防ぎの祈祷を行ふも宜しきなり】
ちょ~意訳。
寅吉少年が言う、
「わがままな人や、心が虚弱な人が狐に取り憑かれ、化かされます。ですが、心の正しい人にはつくことも、化かすこともできないようです。
また、これはわたしの体験ですが、ある時、お師匠様の命令で里に降りたとき、とある稲荷神社の前を通りかかったときに、急に夜になって、しかも一本の道が何本にも見えてしまい迷ってしまうことがありました。
これは狐の仕業だな、とすぐに気がついて稲荷神社の前まで戻って「こら! バカにすんな!」と大声で怒ると元の昼に戻り、道も一本になりました。しかしまあ、狐に限らず、人も他人を化かしますし、人が他人に取り憑いたり、また人以外にも化かすものもあるし取り憑かれることもあります。その中でもやはり狐はなかなか厄介ですね。
さてさて。こういう妖狐のたぐいには五種類ほどあります。背に翼があって飛ぶことの出来る狐がいて、名を「天狐」。これは天狗の一種です。
その下が「白狐」、「おほさき」、「くだ」、「野狐」となります。
また、天狐に取り憑かれたらこれを落とすのは至難の業であります。ある時、天狐に取り憑かれたとき、野狐に憑かれたのかな? と早合点して赤っ恥をかいたことがありました。
狐を落とす呪文を唱えようとすると、わたしより先にその呪文を唱えて邪魔をするのでみんなに笑われてしまい、悔しいので中臣祓詞をあっちの呪文、こっちの呪文と順番をバラバラに読んでみたらこれには天狐も困ってしまってなんとか落とすことが出来ました。
また、野狐や白狐も、こっちの言うことを先読みして言われることには困ったものです。そういう時には狐もペラペラ喋れないようなことを考えて行うといいのです。すべて、どんな狐であれ、逸る心を静め、心を穏やかにし真剣になって接する心持ちになってこんこんと理詰めにするとよいのです。あと、こちらの言うことをオウム返しするので更にオウム返ししたりすると落とせますし(かな??)、騙して徳利などに封印して落とすこともありますね。
さて、狐が人に取り憑くときですが、自分の身体を穴蔵に隠して自分の魂だけを人の体に入れるのですが一日に三回は自身の身体に戻らないと自分の身体が腐ってしまうようです。その時は取り憑かれた人も正気に戻るので、このタイミングを見計らって結界の祈祷を行うとよいでしょう。
といった塩梅。
現代で狐に化かされる人はあんまりいないでしょうけど、「世に狐の人にとりつくと云ふこと幾等もあり」と、「幾らもあり」、と言っているように、江戸時代は狐に取り憑かれるのは日常茶飯事であったようですw
さすが江戸時代。パネっす。
さらに、寅吉少年は狐に五種あって、「天狐」、「白狐」、「おほさき」、「くだ」、「野狐」とあるという。wikiでは皆川淇園(みながわきえん。江戸時代の儒学者)の『有斐斎箚記』という書には「天狐」・「空狐」・「気狐」・「野狐」とあるそうです。天狐ほどになると人を化かすこともなくなるそうですが、寅吉少年はその天狐に取り憑かれて困ったようですw
しかも、祓いの呪文にまで通じているのか、呪文を唱えようとするとそのセリフを先に言うから祓えなくて困ってしまうという塩梅。それをなんとか機転を利かせてあべこべに呪文を唱えてなんとか落とした、とありますね。「人々笑ひしかば」とあるので、周りの仲間、たぶん、師匠の杉山山人とか兄弟子たちでしょうが、笑われた、とあるので、多分ですが悪さをしようと寅吉少年に取り憑いたのではなく、ある意味修行と言うか勉強のためにわざと取り憑いたとみるべきでしょうね。
お師匠さまである杉山山人の命令といいますか、頼みで実地訓練的に取り憑いて、それをいかに冷静に、とんちを働かせて素早く落とせるか、を試していたのかも。そう妄想しますと、仙人修行も楽ではないw
他にも、狐が人に取り憑く時は、自分の身体をどこかに隠してから取り憑くのだとか。で、一日に三回ほど自身の身体に戻らないと腐ってしまうのだとか。ってか、そこまで命がけで人に取り憑くメリットってなんだろう? って思ってしまいますねw そこまであやかしの術が使えるのなら人に化けることなんて簡単にできそうですし、よくわからんw
まあ、お狐さまの気持ちなど考えてわかるはずもないので、続きまして。p154
【問ふて云はく、山住居の時に、何ぞ恐ろしき物を見たる事は無かりしか】
とある人の質問。山暮らしのときに何ぞおっかないモノを見たことはあるかい?
これもなかなかストレートな質問ですね。寅吉少年はこう答えます。
【寅吉云はく、
恐ろしき物と云ふは妖魔なり。人の透き間を伺ひて、その道に引入れるから、これほどに恐ろしき物はなし。この外には然しも恐るべき物もなきが、或時一人山奥を行きけるに、足元より団子ほどの白き光り物現はれて、目前を横にひらひらと飛びたるが、漸々に大きく成りて、能く見れば人のやうにも見え、鬼の様にも見えて、見定めがたく消えたり現はれたりする故に、気味わろくて、土にうづくまり額の所にて十字を切りたれば、暫くして消えたる事あり。
狐狸などの所為なるべし。又困りたる事は□□(□□は不明)にとり付かれたる時なり。月夜の事なるが、師の命を受けて山道を通れるに、月の光に見れば、向ふより風呂敷ほどの物ひらひらと飛び来ると見えしが、向ふ二三間と見る程に、素早く、ついと飛び来て顔に掛からむと為る故に、急ぎ両手を顔にあてたるに、その上に取付きて、頭を悉く覆ひたり。
鼬ほどの物にて鰭あるが、風呂敷の如くにて節々に爪ありて、しがみ付き、堅くしめ付けて鼻息を止めむとす。幸いに両手を顔にあてたる上に取付きたる故に、その手をうかして引放して打付けたれば、難なく打殺したり。我は引放さむと為るを、放れじと堅くとり付きたるを、無体に放ちたる故に、彼の爪にて頭より顔のあたりまで引かかれたり。あれは何と云ふ物ならむ、甚憎き物なり。
と云ふ故に、そは俗に鼯鼠(ムササビとかモモンガのことでwikiでは野衾という名の妖怪だそうな)といふ物にて、漢名は□□と云ふ物ぞとて、兼ねて蔵したる図を出して見せたれば、誠にこの物にて有りしと云へりき】
ちょ~意訳。
寅吉少年が言うには、
妖怪変化のたぐいはやはり恐ろしいものですね。
妖怪は人の心のスキマをうかがい、自分の領域に引きずり込むものですからこれほど恐ろしいものはありません。この妖怪変化のほかは言うほど恐ろしいものでもありませんが、ある時、山奥を歩いていたときのこと、足元から大きさで言うと団子ほどの白くぼんやり光るものが現れて眼の前をゆらゆら漂っていたのですが、それがじょじょに大きくなってよくよくその光を見れば、人の顔のようにも見えますし、鬼のようにも見えそれが消えたり現れたりするのでわけがわからなくなって地面にうずくまって額の前で十字を切ればようやく消えたことがありましたが、あれもタヌキやキツネの仕業でしょう。
また困ったのが◯◯という妖怪に出くわしたときですね。
月夜の晩のことでしたが、お師匠さまの命令で山道を歩いていたときのこと、月明かりの中を目の前から風呂敷のようなものがひらひらと飛んでくるではありませんか。約10~15メートルとおぼしき距離で、バッと飛びかかってきて顔を覆わんとするので慌てて両手で顔を守りましたがその上に巻き付いて頭をぐるぐる巻きにされました。
イタチほどの大きさでヒレがついていましたが、風呂敷のようでふしぶしに爪があってわたしにしがみついてきて堅く締め付けて窒息させようとしてきました。幸いにも両手で顔を守っていたのでその手で引き剥がして打ち付けて殺してやりました。
わたしは必死になって引き剥がそうとするところを、これでもかとしがみついて来るので思い切り引っ剥がしましたが、そいつの爪で顔中引っかかれました。あれはなんという妖怪なのでしょうか。本当に憎たらしい奴です。
と、寅吉少年がいうのでそれは鼯鼠という妖怪で漢字で書くとこう。図鑑を見せてあげるとまさしくこのような姿でありました! といった】
という塩梅。
最初のは鬼火とか狐火のことですかね? あまりにもおっかないので寅吉少年がうずくまって額の前で十字を切った、と。けっこう豪胆なところのある寅吉少年が怯えてうずくまった、とあるのですからわたしなんぞが出くわしたらそれだけでショック死しかねませんw
ちなみに十字を切った、というところですが、それは九字というものでしょうね。九字とは臨、兵、闘、者、皆、陣、列、在、前の呪文を唱えながら人差し指と中指を立てて刀印という形を作り十字に切って結界を張るもので、道教が発祥でやがて修験道や陰陽道に流れたというもの。キリスト教徒でもあるまいに、十字架を描きはしないでしょうねw
次に出てきたのが鼯鼠。ムササビとかのことのようですが、寅吉少年の顔に巻き付いて窒息させようと狙っているなど、殺意の波動に目覚めたムササビです。タマァ取りに来てますw
また、話を聞いていると一反もめんのようでもありますね。夜道を歩いていたら急にこんなものが顔に巻き付いてきたらそれは確かにコワイ。さらに、江戸時代ではそれなりに目撃談があるようで図鑑にも載るほど。江戸時代ヤバすぎ。
さて、次はご存知河童も出てきます。p171
【上杉六郎篤興(篤胤の門弟)が物語に、越後国蒲原郡保内(現新潟県三条市上保内。多分)と云ふ所の河にて、夏のころ、人々水浴びて有りける中に、一人の男河童に引かれむと為けり。その人声を上げて、我は今河童に引かるるを、人々助け給へと頻りに呼ばれど、恐れて誰も寄りつく者なく、皆逃上りけり。彼の男は足を引かれて漸々に深みに入るに、水ねばりて手足働かれず、既に河童の穴に引入らるべく、危ふかりしかば、一心に氏神八幡宮を念じけるに、何処ともなく空中より、その水に齧り付くべしといふ声、二声ばかり聞こえしかば、その如くしけるに、水のねばり止み、身も軽く成りて渚に游ぎ帰りぬ。
いと不測なる事なりと語りければ、寅吉ききて、予に蓑虫(wikiでは蓑火。雨具である蓑に燃えるように取り付き、手で払うとその光は際限なく増え、やがて全身に光が回るのだとか。また湖とかにでるのだそうな)と云ふ物を知り給へるかと問ふ故、そは木に取りつき、ちりを集めて蓑の如き巣を作りてある虫なりと云へば、寅吉云はく、木に付く蓑虫には非ず。別に蓑虫と称する事あり。
そは山中に有る事にて、我しばしば取付かれたり。その状何の故ともなく、身より青き光り、蓑を著たる如く、燃え出でて、その光り、ちらちらと飛散るものなり。始めの時、如何せむと周章て、燃ゆる服物を、ここかしこと齧り付きたれば、止みたりし故に、師に言ひしかば、そは齧り付きて止むるより、為方なき物なりとて、蓑虫といふ名も、この時始めて聞きたり。その後はいつも右の如くして止みたりしなり。然れば河童に引かれたる人に、神の誨して喰ひ付かしめ給へるは、定めて故ある事なるべし】
ちょ~意訳。
上杉君のお話ですが、越後国蒲原郡保内というところの川での出来事だそうです。
ある夏のころ、人々が川で水浴びをしている時のこと、一人の男が河童に引きずり込まれたとか。その男が大声をあげて、か、河童じゃ~! 助けてくれ~! と助けを求めたが人々は恐怖におののいてしまって散り散りに逃げてしまった。
為す術もなく男は足を引っ張られいよいよ深みに引きずり込まれたとか。しかも、水がまるでノリのような粘りっ気をだして手足が満足に動かすことも出来ずついに河童の巣穴に引き込まれそうなとき、その男は氏神様の八幡宮に助けを求めたところ、どこからともなく空中から、
「水にかじりつけ!」
という声が二回ほど聞こえたのでその男は無我夢中になって水にかじりつくと、水の粘りはおさまり、手足も動くようになってほうほうの体で泳いで帰ったのだという。
なんとも珍妙なこともあるものよ、と皆で話していると、寅吉少年がわたしに、ミノムシというものを知っておられますか、と聞いてくるので、ああ、木にぶら下がって小枝で身体を包んでいる虫のことだな、というと寅吉少年は虫ではありません。ミノムシという妖怪がいるのです、という。
それは山中にいる妖怪で、わたしはしばしばそれにやられました。それは何の理由もなく青い光を発し蓑を着ているかのように燃えておりその火が飛び散っているのです。わたしも当初はわけも分からず慌てふためき、無我夢中のまま光る服に噛みついたとき、その火が止んだことがあったのです。
それをお師匠様に言いますと、その妖怪は噛みつく以外に対処法がないものだ、と言われその時に初めてミノムシ、という名も聞きました。それ以降は常に噛みついて対処していたのですが、先程の河童に引きずり込まれた人に、神様が「水にかみつけ!」とアドバイスしたのも、それも何らかの理由があることなのでしょう。と言った。
という塩梅。
なんとも面妖なお話ですね。
河童に引きずり込まれた男が、やはり神様に必死に祈るとその願いが聞き届けられたわけですが、それが「その水に齧り付くべし」という声だった、と。
何のことかはわからないものの、その男も死の瀬戸際なので言われるがままに水に噛みつくと、ノリのようなネバつきもなくなり河童から逃れることが出来た。そんな話をしていると寅吉少年が篤胤に、ミノムシを知っていますか、と聞く。ああ、昆虫の? というと虫ではなくミノムシという妖怪がいるのです、そのミノムシにわたしはしばしば悩まされたのですが、そのミノムシも噛みついて撃退していたのです。という。ちなみに、wikiの蓑火では噛みつく、なんて話はなかったので、もしかすると妖怪に対して噛みつく、という行動は意外な急所攻撃なのかも知れませんね。
それを杉山山人から教えてもらうまえに対処できた寅吉少年はやはり機転が利く利発な子供だったのか。もしくはこんなのにしょっちゅう付け狙われているから自然と対処方法がとれた、と見るべきかw
さて、最後は「豆つま」という妖怪。さて、あまり聞き慣れぬ、豆つまとは何か。これを見てみましょう。p173
【寅吉云はく、
豆つまと云ふ物は、産の時の穢物、また胞衣より出で来て、その人の生涯に妖を為し、殊に小児の時に禍ひをなす物なり。その状は四五寸ばかりにて、人の形に異ならず。甲冑を着し、太刀を佩き、鎗、長刀など持ちて、小さき馬に乗りて、席上にいと数多現はれて、合戦を始むるに、太刀音など聞こえ、甲冑も人間のに異ひなく、光り輝きて甚だ見事に面白き物なり。
このほか種々のわざを現はして、小児を誑かし悩ましむる物なるが、何にても持ちて打払へば、座敷に血つきて消え失せる物なり。こは度々見たる事ありし故に、師に問へば、そは、豆つまといふ物なるが、産の穢物、また胞衣より成る物なり。右の穢物どもを蔵す時に、精米を入れて納むれば、出で来ぬなりと誨へられしなり(豆つまは、丑寅の方よりも来る。又産の穢物どもは、窮奇(鎌鼬)とも化るといふ)。
さて又鼹鼠(モグラのことらしいです)と云ふ物も、胞衣また産の穢物より成る物と覚ゆ。その故は或時右の穢物どもを蔵めたる所を知らず、蔵めて三十日ばかりも過ぎたるを、掘り出したるに、土器の中に、一寸ばかりの鼹鼠、十五六居たりし事あり。彼の物を切り殺して見れば、腹内みな血にて、天日を恐れて死ぬるなどを思ふにも、産の穢物の化れるならむと思はるるなり。偖また彼の物の庭など掘上げるは憎けれど、詮方なき物なるが、海鼠に縄をつけて、その掘上げるあたりを、鼹鼠どのは御宿か。海鼠どのの御見舞じやと云ひて引廻れば、掘上げぬ物なり。
豆つまの事、「聊斎志異(中華は清の時代の小説)に豆つまの事あり」実に奇談にて、古書に思ひ合すべき事あり。そは今昔物語に、或人方違ひ(方位除け。目的地が悪い方角ならいったん別の方角に進み別の家に泊めてもらって翌日改めて目的地に向かったのだとか)に下京辺りに、幼児を具して行きけり。その家に霊ありしを、彼の人は知らざりけり(古へに方違ひといふ事の有りしは、皆人の知れるが如し。さて古くは人の住み棄てたる家の、所々に有りしかば、その明き家に方違ひに行きたるなり。さて撰者は霊と記されたれど、霊とは異なり。寅吉が説に依れば、豆つまにぞ有りける)。
幼児の枕の上に、火を近く灯して、傍らに二三人ばかり寝たり。乳母は目を覚まして、児に乳をふくめて居たるに、夜半ばかりに、塗籠の戸を細目にあけて、長五寸ばかりの男の、装束したるが馬に乗りて、十人ばかり枕のほとりを渡りければ、乳母恐ろしと思ひながら、打ちまきの米を攫みて投げかけけるに、このわたる物ども、さつと散りて失せけり。打ちまきの米ごとに血付きけり。幼き児の辺には、必ず打ちまきを置くことなりと有り。
この事は古史伝の大殿祭(宮殿に災害のないように、祈り鎮める儀式)の所に、貞観格式(平安時代に作られた法令)に、殿内、また御門に米を散らす事見え、延喜式なるその祝詞の分註に、「今の世産屋に米を屋中に散らす」と見えたる文と共に引きたりしかど、唯に散米の功をのみ述べて、馬に乗りて出でたる物は、何物とも考へ及ばざりしに、今始めて豆つまと云ふ名を知り、散米する事は、その妖を消ずる事と知れるは、実に寅吉が賜にぞ有りける。
これに就きて我が本生の祖母は、九十歳余にて果てられたるが、幼児を養ふ婦女には、児の枕元に精米を忘れず置けと云ふことを、常に言はれしは、この故実を聞き伝へてなるべし。児を持ちたらむ人々、産屋に散米すること、胞衣を蔵むる土器に米を納るる事、児の枕元に精米を置く事は必ず忘るべからず。
さて屋代翁の考へに、豆ツマと云ふは、ツは助辞にて、豆ツ魔にて、小さきより負ひたる名には非ざるかと言はれたり。然も有るべし。
胞衣の鼹鼠に化るといふ説も、奇説なるが、然も有るべく覚ゆ。又鼹鼠の海鼠を嫌ふ事は、世人も知れるが如し。庭などを掘上げるは、四隅に海鼠を埋め置けば、決はめて鼹鼠出でざる物なり。これも如何なる因縁か有らむ。海鼠は神世に天皇命に仕へ奉らむといふ答へせずて、宇受売命に口を拆かれたる物なるが、女の大かた好みて食ふも、奇しく、また活き物として血のなき物は無きに、こればかりは、血は一滴もなく、然れども海参とさへ云ひて、悪血を去りて、新血を生ずる能あり。鼹鼠は悪血より生じて、血多く、血に属する病を治する功あるも奇し。若しくは鼹鼠は、海鼠にあへば、血を亡ひて消化する事などは無きか。なほ試みむべし】
ちょ~意訳。
寅吉少年が言うには、
「豆つま」という妖怪は、出産の際の後産や胞衣から発生する妖怪のことで、その子の生涯に変異を起こしますが、特に、子供のときに災いとなるようです。
その姿は12~15センチほどの大きさで、まさしく人の姿そのもの。さらに甲冑を着込み太刀を佩き、槍やナギナタなども装備し同様に小さな馬に乗り、たくさん現れては戦を始めます。その鍔迫り合いまでも聞こえ、甲冑も人のものに違いなく、その姿は輝いており見るだけなら面白い妖怪です。
また、行うのは戦だけでなく、いろいろなことをして子供をたぶらかして悩ませる妖怪ですが、何でもいいので叩き潰すと床や畳に血が飛び散るものの消え失せます。これはわたしも何回も見たことが有るのでお師匠様に聞きますと、それは「豆つま」という名であるがお産の際の後産や胞衣から化けて出てくる妖怪で、後産を処分するときに一緒に精米を入れておけば化けて出ぬ妖怪なのだと教えられました(豆つまは丑寅、鬼門からも現れる。また、お産の後産はかまいたちにも化けるのだという)。
また、モグラという妖怪も後産から化ける妖怪と聞き及んでおります。
この妖怪は、後産を適切に始末する方法を知らず、適当に放置して30日ほどすると化けて出てくるようで、後産をいれた土器のなかに3センチほどのモグラが15~6匹ほどいたことがありました。そのモグラの腹を割いてみますと腹の中はただ血の塊でありました。
モグラがお日様を嫌うことを考えますと後産から化けた妖怪であることから、でしょうか。さて、モグラが家の庭にトンネルを掘るのは困ったものですが仕方ないものと言えるでしょう。ですが、ナマコに紐をつけてトンネルのあたりにぶら下げ、
「モグラはおるか? ナマコどんの見舞いじゃ」
といいながらナマコをぶら下げて庭を回るとモグラは嫌がってトンネルを掘りません。と、寅吉少年はいう。
さて、豆つまのことは中華の小説、聊斎志異にも記載があった。また、古書でも思い出すことが有る。それは今昔物語にある話で、とある人が方位除けに下京あたりに幼子を伴って行った所、その家に幽霊がいたのだがその人は気が付かなかったという話がある(古くから方位除けというものがあるのは周知の事実。さて、古くは人が住まなくなった家など点々とあったわけで、その人が方位除けで訪れた家は空き家で、そこに霊がいたとされるが、しかし実は、撰者は霊と書いてあるが霊ではなく、寅吉少年のいうような豆つまのことだったのだろう)。
さて、今昔物語の27巻目の第30の題名は「幼児を護らむが為に、枕上に蒔きたる米に血付く語」、内容はこうある。
「幼子の枕元に明かりを灯していたが、そのそばには2~3人ほど寝ていたが乳母は起きて幼子にお乳を飲ませていたところ、夜中に塗籠の戸を開けて身長15センチほどの、装束を着込んだ小人がこれまた小さい馬に乗って、数にして10人ほど枕をとことこと渡っていた。それを見た乳母が、恐怖におののきながら魔除けの米を投げつけると小人たちはさっと散り失せたが、米には血がついていたという。こういうことがあるから幼子の枕元には必ず魔除けの米を置くのだ」
と。
同じような記述が、古史伝大殿祭の所の貞観格式にあって、宮中や御門に清めの米を撒くという。
また、延喜式の注意書きには、
「今の時代、ベビールームに米を部屋中に撒き散らす」
という記述を読んだことがある。ただ、米を撒く効果ばかりを記述し、豆つまなどの記述は一切でてこなかったので、馬に乗ってわたる、という存在が何であったかさっぱりであったが寅吉少年から豆つまという話を聞いて、初めて清めの米を撒くという行為にはこの豆つまを退けるという意味だったのだ、ということが分かった。寅吉少年のおかげだ。
そういえば、90歳で大往生をとげられた我がお祖母様は、常々子供を育てる婦女に、子供の枕元には必ず清めの米を置くように、と言いつけていたが、なんということでしょう。このことをお祖母様は聞き伝えられていたのだ。子を生んだ人々はベビールームに清めの米を撒くこと、胞衣をいれた器に米をいれること、幼子が寝る枕元には清めの米を置くこと、これらは決して忘れてはいけないのだ。
さて、屋代のじっちゃんがいうには、豆ツマのツは助詞で豆ツ魔と書くのではないか、小人のような姿からこのような名をつけられたのではないかと言われたが、確かにそうであろう。
また、胞衣がモグラに化けるという話もこれまた珍妙な話ではあるが、考えるとそこまで不自然ではないのかもしれない。また、モグラがナマコを嫌うことも周知の事実。庭にトンネルを掘るので庭の四隅にナマコを置けばモグラは現れない。これも何か摩訶不思議な因縁が有るのだろう。
ナマコは神代の時代に、天皇に仕えよと言われて無言だったので宇受売命に口を引き裂かれたという記述がある。ナマコは女性が好んで食べるが、そういえば、たいがいの生き物は切れば血が出るのに、ナマコは血が出ない。海参といって乾燥ナマコも食べるが血の巡りをよくし、造血の効果がある。
モグラは後産より化けてでてくる妖怪であり、血が多く、血に関係する病に効くのもそう考えると摩訶不思議な話だ。まさか、モグラはナマコに出くわすとその血を失って消滅してしまうのだろうか。やべぇ、ちょ~試してみたい。
という塩梅。
豆つま。武者の姿をした小人で、後産や胞衣より化けて出る妖怪なのだとか。寅吉少年によれば、たくさん集まって小さいながらも合戦を始めるのでなかなか見ものなのだそう。でも、幼子に悪さをするやはり悪い妖怪ではあるのだけれども、具体的に何をどうするというのはよく分からないw
平安時代の書物である、大殿祭の貞観格式や延喜式にそういう記述があるようでして、このふたつは平安時代の法令とかしきたりを司る国家的な書物なわけで、その当時の日本には宮中に当たり前のようにこういう妖怪変化のたぐいがでてきていた。また、篤胤のお祖母様が子を育てる女性に幼子の枕元には必ず清めの米を置くように。と言いつけていたことから、その当時の人はある意味当たり前の存在だったのでしょうね。
ちなみに、この豆つまはwikiにありませんでした。wikiにないくらいマイナーな妖怪のようですね。
あと、後産から化けるものとしてかまいたちとか、モグラのたぐいもいるようですね。そして珍妙なことに、モグラはどうやらナマコが嫌いのようですw 篤胤が「又鼹鼠の海鼠を嫌ふ事は、世人も知れるが如し」と言っているのでその当時の常識のようですね。……いや、初耳もいいとこだわw
さてはて、いかがでしょうか。
これが江戸時代です。わたしも時代劇などで少しは江戸時代のことを知っているつもりでしたがとんでもないですね。江戸時代とは、天狗が往来を闊歩し、人を拉致監禁し、時によっては廃人にし、お狐さまが人を化かし人に取り憑き、妖怪は平然と人を殺しにかかってくる。という時代です。別世界もいいところですw
何も異世界に転生する必要などありませんね。江戸時代にタイムスリップするだけで存分に異世界を体験できるでしょう。それも即座に命に関わるレベルの緊張感のある生活が出来ること請け合い。
では、最後の最後に、寅吉少年が面白いことを言っているのでこれを聞いて終わりにしましょう。p297
【魔は後ろより来ればなり。凡て魔は前に見えても、後ろに居るものなり】
妖魔は後ろにいる。前にいるようにみえるがそうではない。後ろに、いるのだ。
皆様も妖怪変化と対峙するようなことがあればこの寅吉少年の言葉を参考にしていただきたいと思います。あと、カミツキ、有効w -人-
といったところで今宵はこれまで。
したらば。
『リトルウィッチアカデミア』のOP・EDを聴きながら。