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『仙境異聞・勝五郎再生記聞』を読む、の七



 おこんばんはです。豊臣亨です。


 神様嫌いは日本からでてゆけ!


 さて。


 『仙境異聞・勝五郎再生記聞』を読む、の七、見てまいりませう。今回は、寅吉少年以外でも山人や天狗と関わった人々のお話。p69





【水戸家の立原翠軒(たちはらすいけん)(大日本史編集に携わった学者)翁も、寅吉が事を聞きて逢ひたしとて我が家に尋ねられたれば、今日伴ひたきよしいふ故に、遣はしぬ。


 立原翁甚く悦び、書をも多く書かしめ、種々の事を尋ねてその答へを感ぜられしとぞ。さて大関侯(下野国(しもつけのくに)黒羽藩前藩主、大関増業(おおぜきますなり))へも伴ひ、夜に入りて連れ帰りぬ。


 水謙翁後に、屋代翁に語られけるは、世の生漢意(なまからごころ)なる輩は、この童子の事を疑へども、我は幽界に誘はれたる事実を、目のあたり数々見聞きたる故に、一点も疑ふ心なし、また誘はれて彼の境に行きたるには非ねども、神仙に薬方を授かりたる者も正しく見たり。


 そは水戸の上町といふ坊に、鈴木寿安といふ町医の子に、精庵と云ふ者あり、今は三十歳ばかりなるが、十五六歳なりける或時に、容貌凡ならぬ異人忽然と来たりて、某の日に下総国(しもうさのくに)神崎社(千葉県香取郡神崎町にある神社)の山に来たるべし、方書(ここでは処方箋)を授けむといふに、(かたじけな)しと諾しつれど覚束なく覚えて、その日行かざりしかば、また或日その異人来たりて、何とて約を違へて某日に来たらざりしぞ、某の日には必ず来たれと云ひて帰りぬ。


 ここに精庵不思議に思ひつつ、約せる日の前日家を出て、神崎社の山に至れば、かの異人まち居て一巻の方書を授けて、返す返す人に()する事勿れと(いまし)めて帰しぬ。そは○○病(○○は不明)の薬なり、用ふるに従ひて功を(なし)しかば、この事遂に侯庁に(きこ)えて、役人中よりその一巻を出だし見せよとありけるに、異人の禁めを申したれど、聴き入られず、是非なく役所へ出だす事となりける。


 その前日に家に紙の焼くるかほりす、此彼(あれこれ)と見れど知れざれば、近き辺の事ならむと云ひて有りけるに、翌日役所へ、彼の一巻を持出さむと、納めたる所を見れば、彼の方書はみな焼けて少しも残らず、殊に(あや)しきは、反故(ここでは包み紙)もて包み置きたるに、その包紙はくすぶりたるのみにて少しも焼けず有りけり。家内大きに驚きて、この由を申さば偽りと聞こし召さむかと、甚く心を痛めけるが、是非なくその(こげ)たる包紙の反故をもち出でて右の由を訟へたる事あり。神仙の不測かくの如くなれば、寅吉童子が事は疑ふべきに非ずと語られしとぞ。さすがに彰考館(徳川光圀がかき集めた歴史書を大日本史として編纂する専用の学問所)の総裁とありし人とて、よくも(わきま)へられたるかな】




 ちょ~意訳。




 水戸藩士の立原翠軒先生も、寅吉少年のことを小耳に挟まれたのか、寅吉少年に逢いたいと我が家を訪問された。それで、今日連れ帰りたいと仰せなので寅吉少年を伴わせた。立原先生は大変お喜びになり、寅吉少年に書を多く書かせ、様々なことをお尋ねになり寅吉少年の答えに非常に感じ入られたようだ。また大関のご隠居様のもとにも伺い、夜になったので連れ帰った。


 その後、立原先生が屋代のじっちゃんに、世の中途半端な中華かぶれどもはこの寅吉少年を疑うものが多いようだが、わたしは寅吉少年の他にも仙界に誘われた人々を数多見聞きしているのでまったく疑う気持ちはない。また、仙界に誘われることはなかったが、神仙の妙薬を授けられたもののことも知っている、とおっしゃられた。


 それは水戸の上町という地区に、鈴木寿安という町医者で精庵という子がおり、現在は30歳を過ぎてしまったが、その子が15~16歳の頃、見た目、雰囲気が明らかに普通の人間ではないものが突然やってきて、


「いついつの日に下総国の神埼神社に来なさい。妙薬を作る処方箋を授けよう」


 と言われたので、かたじけない、と感謝し約束したのだけれども、しかし徐々に疑わしくなってしまい結局行かなかった所、また別の日にその尋常ではないものがやってきて、


「どうして約束を守らなかったのか!? ……いついつの日には必ず来るように」


 と厳しく言いつけてまた立ち去った。


 それで精庵少年は不可思議に思いつつも、約束した日に家を出て、神埼神社に到着すると、かの普通じゃないものがすでに待ち構えていて、一巻の処方箋を授けてくれたのだが、きつく繰り返すには、


「決してよその者に見せてはいかん。これはなにがしの病に霊妙なる効用をもつ薬である」


 と言ったとか。

 

 精庵少年はその通りに調薬し用いたところ非常に霊験あらたかであったのだが、しかしそれがかえって話題をうみ、お役所に噂が達してしまった。そこで、お役人がその霊薬を作りし処方箋を出せ、と言ってきたので、いえいえこれはこれこれさんとの約束で他所様にお見せするわけには参りません、と言ったが当然聞き入れられるはずもなくお役所に提出することになった。


 しかし、である。


 提出するその前の日、精庵少年の家で紙が焼けるニオイがするので火事かと思ってあちこち調べたのだけれども分からず、どうやらどこかでボヤ騒ぎがあったようだ、と思っていたとか。そして翌日、役所に持ってゆくために処方箋を入れた箱を出して様子を見ると、その処方箋は焼けてしまって灰になってしまっていたという。


 ことさらに摩訶不思議なことに、包み紙にくるんで保管していたのだが、その包み紙は焦げ目が少しついた程度でぜんぜん燃えてもいなかった、ということだ。


 家中大騒ぎでこのことを正直に話しても隠し立てをしているのではないか、と疑われるのではないかと非常に恐れたが、とはいえそれ以外に誤魔化しようもなく、その焦げた包み紙を提出し燃えた仔細を語ったという。


 仙界の物品の摩訶不思議なことは、かくいう次第であるので寅吉少年の申すことは少しも疑うようなものではない、と立原先生はおっしゃられた。さすがは彰考館の学頭、よくよく世の真理を把握されている。




 という塩梅。



 

 寅吉少年の噂は日本中に轟き渡っていたようで、いよいよ水戸藩にまで達したようです。そして、ここに寅吉少年に興味をもったのが立原翠軒(たちはらすいけん)先生。水戸光圀公が日本中に人を発して集めさせた歴史書を編纂させる学問所、彰考館の総裁の立場にあるようなこれまた大物がやって来たわけですね。


 しっかし、みんな寅吉少年を家に招きたがるw 水戸藩まで呼び出したとは思えないから逗留している宿にでも呼び出したんでしょうね。篤胤の家にやってきたのならそこで話をすればいいのに、何故か呼び出すw 


 まあ、篤胤としても求められたら弊害がなければ応ぜねばならないくらいにはお付き合いがあるのでしょう。寅吉少年を向かわせた。で、さらに他にも向かわせたのが、大関侯。栃木県大田原市の黒羽藩、前藩主の大関増業(おおぜきますなり)。こちらに至っては元とは言えお殿様です。


 この大関のご隠居、藩政改革を行うも因循姑息な家臣の反発を招き、強制的に隠居させられたようで、その隠居後、水戸などに訪れた、とwikiにあるので江戸遊歴もこの頃のことでしょうね。


 300年近い江戸の平安は武士階級の膠着を招き、現状維持を望む旧態依然とした連中からはそれが藩政改革であっても憎まれる。それがどれほど偉人たちの消耗を招いたことか。歴史が教えてくれています。


 それはともかく、寅吉少年と会談した立原先生は、後に屋代のじっちゃんに言うわけです。世には寅吉少年を疑う中華かぶれの学者気取りが多いが、わたしは寅吉少年の語ることを疑う気持ちはこれっぽっちもない、と。寅吉少年は山人にお呼ばれされたが、しかしそれは何も寅吉少年に限った話ではなく、他にも仙界にお呼ばれされたものや、お呼ばれされなくても山人に摩訶不思議なご縁があったものがいることを知っていると立原先生は語るのです。


 それは水戸の上町という地区に、鈴木寿安という町医者に精庵という子が居て、その子が15~6の頃、山人かどうかはわからないけれども、風貌が尋常ではない雰囲気の異人さんに「方書」処方箋をあげるよ、と言われたとか。


 最初は疑って行かなかったけれどももう一度やって来て今度こそ来い! と強く言われてしまったので行くことになった。で、渡された処方箋で薬を作るとどえらい霊験があったようで、一気に評判になった。で、当然寅吉少年のごとくお役人にバレてしまって、その処方箋を提出するように命令を受けた。役人側の視点でみれば、それだけ効力のある薬があるのなら町医者にだけ任せるより幕府に報告して日本中に行き渡らせたほうがいいと思うに決まっているわけです。なので仕方なしに提出しようとするとその処方箋は焼けて灰になっていたが、なんと、包み紙はぜんぜん焼けていなかったとか。


 しかしまあ、精庵さんもすでにその処方箋で薬を何個か作っていたのでしょうから、レシピがなくてもその薬が作れそうな気はしないでもないですが、寅吉少年が里に下りていると何度思い返そうとしても師匠の真名が出てこなかった、という記述もあるので、この異人さんからの知識もそこだけ切り取ったかのような出てこなくなったのでしょうかね。


 それはともかく、立原先生は世にはこういう摩訶不思議なことで溢れかえっているので、寅吉少年をそこまで疑うものではない、というので篤胤も、さすがは水戸藩学問所の学頭、かっけぇ。となると。


 さて、お次は寅吉少年に問答していた中でのお話。これは、異人さんそのもののお話ですが、ちょいと興味深いのでみてみたいと思います。p135




【或人の異人に(さそ)はれて東海道を行きけるに、肥田豊後守(肥田頼常(ひだよりつね)(wikiでは1806年1月まで長崎奉行を務めた、とあります)、長崎の任みちて帰るに行逢ひたり。例の如く御朱印の入りたる長持ちをば先にかかせて、路人を下に下にと制しつつ来るを見て、人みな下に居たるが、ただ突居(つくばい)たるのみにて頭を土に付けるまでには無かりしを、彼の異人は土にひたと(すわ)りて、頭を土にさし入るるばかり(かしこ)まりし故に、伴はれたる男あやしみて、異人は人間の方よりはかつて見えざる身の上なるに、何とて彼の長持ちに、しか切に礼を致さるるぞと問ひしかば、将軍家の御朱印は、禁裡の御璽も同様の事なり。然ればいかにも尊敬せでは叶はざる事なるに、現世にはこの道を弁へたる人すくなし。能々心得よと誨しけるとぞ。実に彼の(さかい)の教へは然りやと問はれしかば、


 寅吉形を改めて云はく、彼の界にも然る掟を守らざる有れど、我が師の交はる人々は誠にその人の物語の如く、天子、将軍を敬ふ事、人間の神を尊敬するに似たり。師語に将軍は万国を鎮め押さへて、天下の人を恵み治め給ふ御職なる故に、神々は元より人の為に世を守り給はでは叶はざる由あれば、御崇敬あるに従ひて、ますます神威を益して世を守り給ひ、山人は神と人との中に立ちて、神の御事を行ふもの故に、天下を治め給ふ君をば、大切に守護せでは叶はざる由なりと聞きたり】




 ちょ~意訳。




 ある人が異人さんと一緒に東海道を旅行中のことであったが、肥田のお旗本さんが長崎での任務から帰宅途中であったので、通例通り幕府のご朱印が入った長持ちを先頭に、下に~下に~と江戸に下っていたところに出くわしたのであった。


 路々の人たちはただ平伏する程度で頭を地面につけるほどではなかったにも関わらず、その異人さんは地面にきちんと正座し、まるで頭を地面に突き立てんばかりにかしこまってお辞儀をするものであるから、同伴のその人がさすがに面食らって、


「あなた方天狗たちは我々俗世の人間からすればはるか雲上の立場にあるのに、どうしてそのように長持ちに向かって懇切に礼儀を尽くされるのか」


 と尋ねると、その異人さんは、


「江戸、徳川将軍様の御朱印ともなれば、それはすなわち天皇陛下の御璽、ハンコも同然。であるならばどうして敬服しないでいられようか。いやしかし、世の人々はこういった礼儀作法を軽視しがちですな。そのようなことでは困りますぞ」


 と教え諭されたのだとか。仙界の教えとはかくも厳格なものですか、と寅吉少年に質問したところ、寅吉少年、襟を正して言う。


「仙界でも、こういう礼儀作法を守らない人もおわしますが、ですが、我が師匠と交際される方々は実にその人の申される通り、天皇陛下、徳川将軍様に対し敬意を尽くされること、人間が神様を敬うのと大差はありません。


 お師匠様が語るには、


 徳川将軍は日の本を鎮護し、天下の人々を平安の内に暮らさせる大切なお立場でありますから、神々は言うまでもなく、人々を安楽に守り治めないではいられないお立場であり、我々みんなで尊崇すればするほどますますその君徳があつくなりますので、その君徳で世の中を平安に治めていただかねばなりません。


 山人とは神々と人の世をつなぐ中立ちであって、神々の大切なおつとめを補佐するものであるので、その天下を実際に治める将軍様を守護するのは当然のこと、とおっしゃってました」




 という塩梅。


 とある人が、どうやら異人さんと旅行かなにかされていた模様。でそこに、長崎奉行であった肥田という旗本が任務を終えて、下に~下に~と大名行列ならぬ、旗本行列を行っていた場面に出くわしたようです。幕府の大切な任命状か何かを長持ちに入れている以上、大名行列とまでは言わないまでも、路々に出くわした人々を道端に平伏させる程度には偉い行列であったわけですね。しかし、大名行列ほど御大層な行列でもないので路々の人々は、いうほど恐れかしこまっているようではなかった。


 にも関わらずその異人さんは、まるでそこに将軍様がおわすかのようにヘヘーッ、とかしこまっていたので、同行者がびっくり仰天してしまって、


「異人は人間の方よりはかつて見えざる身の上なるに、何とて彼の長持ちに、しか切に礼を致さるるぞ」


 人間からすれば、あなたがた天狗は神にも近しい存在であるにも関わらず、どうして長持ち程度にそこまでうやうやしくかしこまられるのか。


 と訪ねたわけですね。するとその異人さんは、


「将軍家の御朱印は、禁裡の御璽も同様の事なり。然ればいかにも尊敬せでは叶はざる事なるに、現世にはこの道を弁へたる人すくなし。能々心得よ」


 徳川将軍様のご朱印ともなれば、そのありがたさは天皇陛下の御名御璽と大差など無い。これをおそれかしこまらないでどうするというのか。しかし、世の人々はこういう道理に昏く、きちんと礼儀を尽くせる人は少ない。そんな無作法では困りますぞ。


 と説教されてしまった、と。


 で、寅吉少年も、我が師匠も、同様に天皇陛下や徳川将軍様を大変敬います、という。


 なぜなら、徳川将軍様と言えば、この日本を治め、日本の人々の平安を守り、慈しむ立場にある方であるから、我々があつく敬えば敬うほどのその君徳はいよいよ篤くなり世をさらにきちんと治めていただけるでしょうし、そういう道理であるから神々と人々の間に立って働く山人が将軍様を守護するのは当然と言えましょう。という訳ですね。


 ここでわたしが思い出すのが、『不落因果』『不昧因果』です。


 これは百丈懐海という禅僧のお話。


 昔々、とある寺に住職をしていたお狐さんがおったそうな。そんなお狐住職のもとに、釈迦の如き修行を経たものは、因果を超越するのか? という質問をするものがやってきたそうな。で、お狐さんは、


『不落因果』と言ったそうな。


 不落因果。因果に落ちない。火に入っても焼けないし、水に落ちても溺れない。因果に落ちなくなるのだ、と言ってしまったらさあ大変、そのお狐さんは死ぬことのできない存在になってしまった。で、苦しみに苦しんだ果に、百丈懐海に助けを求めたそうな。


 釈迦の如き修行を経たものは、因果に落ちないのでしょうか?


 と自分が受けたのと同じ質問をすると、百丈懐海はこう言い放った。


『不昧因果』と。


 不昧因果。因果を(くら)まさない。火に入ったら火傷するし、水に落ちたら溺れる。その当たり前のことを当たり前のこととして受け入れるのだ。と、おっしゃったわけですね。その言葉を聞いたお狐さんは悟ってやっと死ぬことができたそうな。


 世にはきちんと(ことわり)があり真理がある。それを正しく受け入れ、正しく行う。それについては神も山人も天狗も人間も変わりない。


 変わりないのですが、世の人々は常々、その真理を昧ませる。


 正しい教えに一切耳を貸さず、意味不明な迷信を鵜呑みにし、邪教にすがる。そうして、世をなみするのみならず、自身の身命すら棄損する。そうして自殺に等しい人生を生きたものが人の世でどれほどいるものか。


 他にも無駄に最長の在任期間を誇る宰相がいましたが、それだけ長く居座り続けたのだから皇室問題を解決に導くかと思いきや、さは真逆で、皇室に反抗的で尊皇の心がかけらもない俗物でした。


 そのことをほとんどの人間があやしみもしないし問題にもしない。これはこの国が絶望的なまでに堕落している何よりの証拠です。君主を輔弼(ほひつ)すべきもっとも国家の枢機たる宰相が、尊皇の心がない。これでほとんどの人間が国としてなんの問題もないと思っているし、その宰相は名宰相であったなどと思っているのだから度し難い。


 さて、お次は異人さんが俗世の人々にわがままを言い出すというお話。p166




【摂津国大坂に何某と云へる者、俗謡を唄ふ声いと美しかりしが、或時途中に異人にあひて、その方の声を三十日借りたし。許し給はむやと云ふ。彼の男何心なく諾したるが、その翌日より声潰れて謡はれず。然れど異人に借りられたる故とは心付かず。産土住吉神に祈らむ、と思ひて出づる途の向ふより、彼の異人来たり相ひて、汝は頼み甲斐なき物かな。このほど我に声を借したるに非ずや。


 然るにわづか三十日の日を待ちあへずて、住吉神に祈らむとは、(いと)憎き事なり。汝その事を神に祈らば我決はめて御尤(おとがめ)を蒙むる事なり。然れば我も汝を只には置かじ。いかで三十日の事なれば、約束の如く借し給へ。然も有らば声を返す時によき咒禁法を伝ふべしと云ふにぞ、その男いと恐ろしく思ひて、(たし)かに (うべな)ひて別れけるが、三十日が程、声潰れて在りしが、彼の異人来たりて、今日より汝が声を返すなり。約束の咒禁法を授くべしとて伝へたるが、何の病にも能く(しるし)ありて行はれ、後に謡曲をやめて、この事のみにて安らかに世を送りけるとぞ。「松村平作にきけり」


 また上総国(かずさのくに)の東金と云ふ所に、孫兵衛とて(はこ)さす事を業と為る者あり。「孫兵衛ことは五十嵐にやれり」その職いと下手なりしが、或時異人来たりて、汝が耳と口とを三年ばかり貸したまへと云ふに、孫兵衛も何の心なく諾ひけるが、その日より(あほう)の如く、あまつさへに、啞となりたり。


 人々然る事ありしとは知らず、忽ちに啞となれるは不測なる事ぞなど云ひ相へりしが、かくて三年ばかり過ぎて、彼の異人来たりて遠くより孫兵衛を招くに、痴の如くなる故に立つこと遅かりしかば、後ろへひらりと来て、手の平にて、背中をしたたかに打ちたり。孫兵衛それに驚き、(しょう)つきたる心地して、近よれば、今日より汝に借りたる、耳と口とを返すなり。受取るべしと云ふ時に、はや耳聞こえ口に物言ふ事も出来たり。


 かくて彼の異人云はく、この悦びに、その方の生涯を安らかに送るべく、我守らむといひて去りたりき。人々は始めよりの事を知らねば、忽ちに啞となれるは、何ぞ神の罰にや有らむなど云ひて在りしが、啞直りて後に、孫兵衛この始末を語れるに、人々始めて驚きける。さて彼の異人に打たれたる、大きなる手の跡、後まで黒くなりて有りけり。異人の言に生涯を安く送るべく守らむと云へれば、決はめて指物のわざ上手に成るべしなど、人も思へるに、この業はますます下手に成りて、誰も(あつら)ふ者も無くなりけるに、孫兵衛いかに思ひけるか、成田不動の前町に蕎麦店を出しけるに、殊の外に流行りて今に繁昌なりと、孫兵衛を知りたる者の物語なり。人の声また耳口などを自在に借りると云ふことも、成る物なるか。


 寅吉云はく、まづ神の自由に坐しまして、人形を人間の使ふ如く、人を自在に為給ふことは申すに及ばず、山人天狗なども、神に近き物ゆゑに、然る自在の働きをなすこと、珍しと為るにも足らず】




 ちょ~意訳。




 摂津国の大阪というところに、誰それさんがいた。その人は非常な美声で民謡などを歌う人らしかったのだが、ある時、異人さんがやって来て、


「君のその美声あっぱれ。あまりに美しいその声をわたしも試してみたいから30日ばかり貸してはくれないか。どうかね?」


 などというので、声を借りるとかワケワカメw とその人は軽く承諾してしまったという。すると、その次の日からまったく声がでなくなってしまった、とはいえ、異人さんに声をレンタルしている、などとは考えもせず、住吉の神様に声を取り戻してもらおうと思って大慌てで出掛けたところ、その道の途中で昨日の異人さんが現れてこういったという。


「まったく君は頼りがいのない人物じゃないかね。この前声を借りるといって君は承諾したではないか。なのに、約束の30日を待たずして住吉の神様に祈願しようとはまったく憎たらしい。もし、このことを神様にチンコロ(告げ口)すれば、わたしはきっと神様に罰を受けてしまうだろう。もしそんなことになれば、わたしも君をただでは置かないよ。


 まぁ、声を借りると言ってもたった30日のことではないかね。約束通り、貸してくれたまえよ。で、約束通り30日たったらきっちり返すし、声を返す時にはすんごい呪文も教えてあげるから☆彡」


 というがその鬼迫は凄まじく、その人は恐ろしさのあまりに今度こそ確かに約束して分かれたという。そして、30日が過ぎると約束通りその異人さんが現れ、


「さあ、今日で30日だ。約束通り声を返すぞ。また、すんごい呪文も授けてあげようではないか」


 と、その人に呪文を授けたところ、どんな病をも癒やしてしまう霊験あらたかな呪文で、その人はいつしか民謡をやめて、病を癒す技でその後を過ごしたと、松村くんに聞いた。


 また上総国の東金という地名に、孫兵衛という竹製の箱を作る仕事をするものがいた。「孫兵衛ことは五十嵐にやれり(これはさっぱり意味が分かりません。孫兵衛のことは五十嵐くんから聞いたことがある、とかそういう意味ですかね??)」しかし、その仕事ぶりはお世辞にも上手とは言えなかった。


 そんなある日、異人さんが孫兵衛のところにやって来て、


「そなたの耳と口を3年ほど貸してはくれないか」


 というので、孫兵衛もワケワカメw と何のこともなしと承諾すると、その日よりまるで痴呆を患ったかのようになってしまい、しかも口がいっさい聞けなくなってしまったという。人々はもちろん、異人さんに耳も声もレンタルしているなどとは露知らず、急に口が聞けなくなるとはどんな祟りか? 何をしでかしたのか? と噂し合ったという。そして、3年ばかり経って、



3年間も耳と口をレンタルとか、地獄w



 かの異人さんが遠方より孫兵衛を招いていたのだが、痴呆を患ってしまったかのように弱っていたのでのろのろとしていると、ひらりと孫兵衛の後ろに飛び来たり、何をするかと思えば、手のひらで思いっきり孫兵衛の背中をぶっ叩いた。すると、孫兵衛はおったまげてその拍子に正気を取り戻した。そこで異人さんは、


「本日、そなたより借り受けた耳と口を返すぞ。さあ受け取れい」


 といった途端、孫兵衛は3年間失っていた聴覚も声も取り戻したという。そしてその異人さんは続けてこういった。


「レンタル代だ。そなたの生涯を健やかにおくるべく、わたしがそなたを守護しよう」


 といって立ち去ったという。人々はこのことを聞いて、急に口が聞けなくなるから、どんな神罰を受けたのかと噂しあっていたが、孫兵衛本人からことの次第をきいて非常に驚いたという。さて、かの異人さんにしたたかに打ち据えられた背中は、大きな手のひらの後が黒ずんでずっと残ったという。


 また、その生涯を守護するというから、その仕事ぶりがどれほど上達するのかと人々は期待していたが、箱作りの腕前はさっぱりで、それどころかどんどん腕前が悪化する始末。ついにも誰も孫兵衛に箱を注文することもなくなるほどだった。すると孫兵衛は何を考えたのか、成田不動の門前町に蕎麦屋を開いたところ、大変繁盛したと、孫兵衛を知る者はそう語るとか。


 人の声や耳を自由にレンタルすることなどできるだろうか? と問うと、


 寅吉少年は神様は非常に自在に物事を行い、人々が人形を好き勝手に扱うかのように、神々は人を自在に扱うことはいうまもでなく、また、山人や天狗などはほとんど神に等しい存在であるから、それくらいは朝飯前でしょう。と語る。




 という塩梅。


 お話自体はけっこう単純明快なのですが、他人の声を30日借りるだの、耳と声を3年間借りるだの、けっこう天狗もやりたい放題やってますねw ですが、確かに美声だったら借りるのもいいかもですが、この孫兵衛さんから3年間も聴覚と声を借りる、ってその間その天狗は何をやっていたんだろう?w それほどの価値が、声ならともかく聴覚にあったのか?w 


 しっかし、3年間も聴覚と声を失って痴呆を患ったかのように弱り果ててしまって、よくそれで生活できてたなぁ、と思いますね。天狗の加護を受けてから箱作りの腕前が上達するのかと思いきやより下手くそになった、ってことはそれでも3年間箱作りを続けていたのでしょうか。もしくは養われていたか。家族がいなければとうてい生活できなかったと思います。


 しかも最初の話とか、神様に告げ口されるのを恐れて慌てて見返りを用意したように見える始末w 天狗という、超常の力をもっていても、だからといって必ずしも人格者ではない、という一例w さてお次も異人さん関係。次もちょっとおっかないお話。p169




【或童子の、異人に誘はれたるが有りしかば、両親血の涙を流して、氏神に祈りけるに、四五日ありて帰り来たれるが、語りけるは、伴はれたる処は、何処の山とも知らざるが、異人多く居て、剣術など稽古して在りしが、折々は酒呑みかはす事もありて、その盃を遠く谷を隔てたる山の頂などに投げて、今取来たれと云ふ故に、いかで我かの山に上りて取得むと(ことわ)らむに、怒りて谷底におし落したると思ふと、何の事もなく、やがてその峰に至り、盃をとりて異人の前に至る。


 凡てかかるる状に(つか)はれたるが、昨日の言に、汝が産土神(うぶすなのかみ)、ねむごろに汝を返すべき由を云はるる故に、留めがたしとて帰されたりと、語れる事あり(こは今井秀文が、或やごと無き侯の、語られしを聞きて予に語れり)。


 また備後国(びんごのくに)稲生(いのう)平太郎が許に来たれる、山本(さんもと)五郎左衛門と云ふ物怪(wikiによると、妖怪物語『稲生物怪録』に登場する妖怪で、妖怪のボス。魔王クラス)と、平太郎が応対せし時に、産土神と見えて、冠装束厳かなりける神の、半身を現はし、平太郎に添ひて挨拶せられたるを思へば、平太郎が物怪に()れられざりしも、氏神の守護ありし故と思はれ、


 また前に云へる、声を借られたる男の、住吉神に祈らむとせしを、異人恐れ、野山又兵衛が子の多四郎を誘ひたる、異人の首領の、又兵衛が神に祈れるを恐れて、多四郎を返したるなどを思ふに、山人天狗の誘ひたるも、産土神の御言は違ふこと能はず。また物怪の類も、氏神の守護ある人には、禍ひを為すこと能はざる物と見えたり。思ひ当る事はなきか。


 寅吉云はく、実に御説の如く、山人にまれ、天狗にまれ、何にもあれ、産土神の加護ありて、返せと宣ふには、その言を違背すること叶はぬ物なり。伴はれたる後にて、親などの丹誠を(はら)むで神に祈る時は、彼の境の事を仕損なひ、殊によりては(あほう)の如くなりて返さるる事あり。それ故に我が彼の境に誘はれたる時に、返す返すこの事を親に告ぐること勿れと、師は誡められ、我も痴になるが嫌さに、今まで人に語らざりしなり】




 ちょ~意訳。




 とある子供のお話。その子供が異人さんにお山にお呼ばれされたことがあったようですが、それを知った両親が血涙を流さんばかりに嘆き悲しみ、自身の氏神様に無事の帰還を願ったところ、4~5日ほどで無事に戻ってこられたようですが、その時の様子を子供に尋ねると、次のような次第のようです。


 その子はいずことも知れぬお山に誘われたようですが、異人さんがたくさんいるところで、剣術の稽古などをつけてもらっていたようです。そこでは、数多の異人さんと宴会を催すことがあったそうですが、酔った勢いで異人さんが自身の盃を谷を隔てるほどの遠くの山に放り投げ、


「とっとと取ってこい!」


 と言われることもあったとか。しかし、その子供は、


「いやいや! 何言うてんねん! あんな遠くの山にちゃちゃっと行けるかい!」


 とツッコミをいれるが、怒った異人さんに谷底に突き落とされたのだとか。しかし、何の怪我もなかったので仕方なしにその山の峰に行って盃を取ってきて異人に渡す、などという歓迎されているのか迫害を受けているのかよく分からぬ日々を送らされていたそうな。


 そうしたら、その子供の氏神様、一族を守護する神様が異人たちのもとを訪れ、その子供を外界に返すように命令されてしまったので、どうしようもないと帰されたのだとか。これは、ある高貴な方のお話として今井さんが聞いたのだという。


 また、備後国に、稲生平太郎というものがいたのだが、このものは数々の妖怪に悩まされたような人物で、その平太郎のところに、山本五郎左衛門という妖怪の頭領が現れたことがあったとか。約一月、平太郎をさんざん脅かしたが、その心を折ることができなかった五郎左衛門は、まるで産土神のような立派な侍装束の姿で現れ、平太郎の勇猛心を褒め称え、何かあれば駆けつける、と助力を約束したというが、平太郎が妖怪にかどわかされなかったのも、氏神様の守護のおかげであろうと思われる。


 また、先程出てきた異人が声を借りた者の話で、住吉の神様のお祈りしようとしたところ、異人さんが非常に恐れたとか、また、野山又兵衛(p403の勝五郎再生記聞に詳しく書いてあるお話で、自宅にいたところ又兵衛の子、多四郎がまぢで天狗に拉致られたのを神様に必死に祈って返してもらったというお話)の子、多四郎を拉致監禁した異人さんの大ボスが、又兵衛が神様に必死に祈ったのを非常に恐れて慌てて多四郎を開放した話などを思うと、山人や天狗が好き勝手に人間をさらおうとも、産土の神の命令が下れば、ただちに応じざるを得ず、また妖怪変化のたぐいも、氏神様の守護がある人には災いをなすことはできないと思う。そこのところに思い当たるところはないか?


 と尋ねるに寅吉少年は、実におっしゃる通り、山人であろうが、天狗であろうが、なんであろうが、産土の神様のご加護があるような子を仙界に誘っても、ただちに返すようにという命令が下ってしまえばその命令に背くことなどできようはずもありません。


 仙界に招いたあと神様に、親が至心に無事の帰還を祈られでもしたら、山人や天狗たちは、仙界でのことを吹聴されては困るので、事と次第によってはその子の知能を奪ってしまうこともあります。それをわたしは知っていたので、わたしが仙界に行っていた時などくれぐれもこの事を親に告げてはならん、とお師匠様に戒められていたので、わたしも知恵を強奪されるのを非常に恐れてこういうことを他人にはなさないようにしていたのです。と語った。




 という塩梅。


 これも寅吉少年のように仙界にお呼ばれされた子のお話ですが、これは寅吉少年とは違って、親御さんがそのことを知ってしまい血涙を流さんばかりに氏神様に祈ったので、ただちに返還するようにと氏神様の命令がその異人さんに下り、とっと返した、というお話。


 しかも、異人さんが盃を放り投げたのを、取ってこい! と命令され、出来るかドアホ! と言い返すと怒って谷底に突き落とされるという始末。怪我はなかったようですが、そんなことが返還されるまでの4~5日の間何回も起こっていたようで、歓迎されているのか迫害されているのかさっぱり分からぬ目に遭わされたとか。


 次に、備後国、今の広島付近で稲生(いのう)平太郎という人がいて、その人のもとに山本(さんもと)五郎左衛門という妖怪の大ボスがやってきて、ひと月もの間さんざん化かしてその心を折ろうとするも、平太郎はついにへこたれなかったので五郎左衛門がついにシャッポを脱いで、その勇猛をたたえて何かあったら助けに来るからな! と助力を約束したというお話だそうで、wikiではこの山本五郎左衛門、次期魔王の座をかけて100人の勇気ある子の心をへし折るなどという奇天烈な賭けをして、インド、中華、日本にやってきて、この平太郎に会ったのが86人目だったといいます。


 いやそこは100人目とか99人目やないんかいw と思いますがまあよろしいw


 しかし、この平太郎も、氏神様のあつい守護があったればこそ、魔王クラスの妖怪が脅してきても決してくじけなかったのだろう、というお話。


 次もまたひどい。これはp403の勝五郎再生記聞にありまして、野山又四郎の子、多四郎が家で便所に行った時のお話。


 夜半、あーっ! という多四郎の悲鳴が聞こえたので家のものが慌てて外に出ると、多四郎の服が破れて落ちてあるし、履物が屋根に乗っかっているという異常事態。家の人々が大声で呼ぶも返事はなし。家中どころか長屋中大騒ぎとなるも、父又四郎がこれは天狗の仕業に相違ない、こうなっては神様にお願いするしかない! と大慌てで神様にお祈りするのですが、その祈りがまた凄まじい。p404




龍田神(たつたのかみ)に、今天神地神(あまつかみくにつかみ)に祈り申す事を、御耳いや高に、()く聞こえ上げたまへと云ふことを、返々(かえすがえす)祈り申して、さて、天津神(あまつかみ)千五百万(ちいおよろず)国津神(くにつかみ)千五百万(ちいおよろず)の大神たち、辞別(ことわけ)ては、幽事(かくりこと)しろし()大国主(おおくにぬし)大神(のおおかみ)産土大神(うぶすなのおおかみ)和魂(にぎみたま)は静まり荒魂(あらみたま)は悉くにより給ひて聞こし()せ。我卑しくも、深く神世の道をたふとみ、神の恩頼(みたまのふゆ)をかたじけなみ、心を正しくする事は更にも云はず、一日も神拝おこたる事なく、祈り信奉(たのみたてまつ)りてあるに、今わが子にかかる災害ありては(たのみ)なきことに侍り。かつは痴者(しれもの)どもが、後指ささむも恥かし。されば奴吾(やつかれ)が恥は神の道の恥ならずや。明日とは云はじ、今速く我が子を返さしめたべ】




 風神様! 今からお祈りするので、ただちに天の神様や地の神様にお届けくだされ!


 1500万の天の神様!


 1500万の地の神様!


 とりわけ、幽界の支配者大国主大神様! 産土の神様のニギミタマ、アラミタマも聞いてください!


 わたしは小なりと言えど、深く深く惟神(かんながら)の道を生き、神様のご恩を常に感謝し心を正しくして生きることはもちろん、一日も参拝を怠ることなく神様に祈ってきました。それなのに我が子多四郎がこのような目に合うのはどういう次第でありましょうか!


 恥知らずにもこのような後ろ指差されるがごとき悪事を働くのが、これが天狗の仕業ならそれはすなわち、眷属たる神々様の恥になるのではありませんか!? 明日などとは言いませぬ! ただちに! 我が子を返還するように小癪な天狗にお命じください!


 


 声も枯れよ無心に祈りに祈り、ついにその日に多四郎が返還された、というお話です。こうしてみると、山人や天狗という、神様に近い存在と言えど、しかし、ヒエラルキーは絶対で、神様の命令とあれば必ず命令違反を犯すわけにはいかないのか? と質問すると、寅吉少年はおっしゃる通り、というわけですね。ここをもう少し見ますとなかなか恐ろしいことを寅吉少年は語ります。p402




【妖魔にまれ何にまれ、産土の神のあつく守護(まもり)たまふ人には、禍事(まがこと)をなすこと能はず。適々(たまたま)に神の守護なき(ひま)を伺ひて勾引(さそい)たるも、親などの丹誠をこらして神に祈るときは、返さでは叶はぬものとぞ。されど殊によりては、その(さかい)の事を世に漏らすまじき爲に、痴人(あほう)のごとくなして返すことも多かり。神の御力にもさる事までは、制し給ひがたき事もあるにや。又いかに丹誠をこらして祈れども、帰らぬ人もあるは、神どち相議(あいはか)りて、召し寄せて使はしめ給ふことも有りげなれば、祈りて(しるし)なき事もあるべし】




 山人であろうが、天狗であろうが、妖怪変化のたぐいであろうが、氏神様、産土の神さまのあつい守護ある人を害することなどできるはずもない。時たまたま神様の目を盗んで拉致ろうとも、熱心に祈られては神様も動かざるを得ないのです。


 ただしかし、仙界を訪れたひとは、そのことをべらべら喋られては困るから、物言えぬような体にして返すのです。そのことについては神様と言えど、完全に命令することはできないようです。また、どれほど専心に神様に祈ろうとも帰ってこない人もあり、それは神様と協議の上、その子を神様の召使いとすることもあり、祈れば必ずその通りになる、というようでもないのです。




 という。天狗が暴走してしまえば、神様といえど絶対言うことを聞かせられるわけでもない。こちらのことを喋られては困るからと、勝手に拉致しておきながらその知恵まで奪い、何も喋れないようにする、という。なんとも恐ろしいお話です。


 こうしてみますと、天狗とは、神様に近い存在であり、今の我々にはまったく理解の及ばない変幻自在の技を駆使するといえど、だからといって完全無欠な仏の如き人格者でもなく、その気になったら家にいる子を拉致監禁するような荒事もやってしまうという、倫理観の欠如も見られるわけですね。


 もちろん、これが天狗の全部ではないわけですが、これもまた、人ならざる存在である、ということでしょう。今が江戸時代でなくて本当に良かった、とか思うべきかな?w


 

 といったところで、今回はこれまで。本の内容は寅吉少年への一問一答形式になってゆくので、気になるところをつれづれ見てゆくことといたしましょう。それでは、したらば~。




『宇宙のステルヴィア』のOP・EDを聴きながら。


 こういう続編が楽しみな物語ほど続編が出ないのですが、そのくせ、は? そんなん誰が見るんや? って言いたくなるようなものほど続編が作られるような気がするのは、……おっさんの気のせいでしょう。きっと。



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