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『仙境異聞・勝五郎再生記聞』を読む、の五



 おこんばんはです。豊臣亨です。


 血道を上げる。


 今のおロシアの独裁者を評すならこういう言葉でしょうか。


 血道とは、血管のこと。頭に血が上って、こめかみがピクピクしているくらいの状態ですね。数日で攻め落とせると踏んだウクライナ侵攻が実は未だに決着がつかず、それどころか想像もしていなかったであろう大反撃までくらう有様。もはや振り上げた拳の納め所に困ってムキになって攻め続けているのでしょうが、もはやロシアの地獄は確定。


 ルーブルは大暴落、世界の企業からことごとくそっぽ向かれる始末。


 独裁者はともかく、おロシア国民は塗炭の苦しみを味わうでしょうし、そうなったら、なにせ奴らは冷血のスラブ民族。何をしでかすか分かったものではない。その暴力が内に向かってくれるならともかく、外に向かってきたら何が起こるか分からないし、もっというなら死なばもろとも、と独裁者が核をぶっ放さないとも限らない。


 本当に、左翼はろくな人間がいない。


 左翼といえば、かの半島の大統領選が終わって次期大統領が決まったはいいものの、これで奴らがまともになることなどあり得ない。そもそも朴のババアだって保守党だったけどあんなに反日に血道を上げていたんだから、次の大統領も反日をやめるとか考えられない。どうせ都合のいいことを言って駄々をこねるだけ。相手にする価値がない。


 まったくもって世界はしょうもない連中でひしめき合ってますが、しかし日本だって他人のことは言えないと思います。いえ、実は劣化の度合いでいうなら日本が一番悪い気がする。


 なにせ日本は2000年以上の歴史を持つ世界一の長寿国。その長い歴史の内に蓄えられた叡智、深謀遠慮、偉人たちの業績はどの国よりも遥かに優れていたのに、明治になって突然、東洋の学問は古臭い、これからは西洋だ、という尊欧卑亜でこれまでの東洋の学問をドブに捨て、いきなり西洋一辺倒に切り替える始末。


 そもそも、西洋人が西洋人のために作り上げた西洋文明がただちに日本人の水に合うと考えられるほうがおかしいのに、国家体制から文化、食べ物、おもちゃに至るまですべて欧風。これで拒否反応起こさない日本人の順応性の高さはすごいとは思いますが、やはり正気の沙汰ではない。しかし、それでも明治に生きた彼らは良かった。なにせ、東洋人が営々と築き上げてきた叡智と教えを一身に浴びてきたから。


 そのメッキがそっこうに剥げるのが大正。


 成金という言葉がいまだに教科書にのるくらい、急に金持ちになった成り上がりが湧いて出た。先祖の教えを否定しドブに捨てたことによって、てめえさえ良ければそれで良い、という思考が恐ろしく瀰漫(びまん)した。その後、世界情勢の急変もあって日本は国家社会主義に変貌、その思考に染まりまくった軍人が幅を利かせまくってそれで敗戦。その後、米国の奴隷にあることをむしろ悦ぶ始末。


 最近でいうなら、年功序列、終身雇用と、それでも日本風の資本主義があったのに、これも西洋に劣るということで欧風の成果主義、実力社会にしてしまう。どこまで日本人は日本人の幸せをぶち壊せば気が済むんだろう、と他人事で見ております。


 成果主義、実力あるものがその恩恵に浴す、と言えば聞こえは良いが、結局、人間を歯車のひとつと捉え、それがきちんと回っているか、いないかを論じている時点で左翼的論理であり、国家総動員体制と同じ、人間を燃料弾薬と同等に見ていた社会主義国家の時代と同じです。優れた軍人が愚民どもを統率してやるのだ、という思考となんにも変わっていない。


 そうして、動きが悪い歯車は切って捨ててOKとなってしまったら、すべての人間はその命ある限り働いて働いて働き続ける経済動物とならねばならないということになる。そこに人としての幸せなんてあるはずがない。そもそも、そういう社会を推進している連中なんて、人の幸せのなんたるかなんてかけらも理解できない連中ばっかり。


 侘び寂び。なにゆえ日本人は富貴よりも清貧に、たくさんあるものよりも質素な佇まいに心を惹かれるのか。太閤殿下が黄金の茶室を造ったとき、侘び寂びをなした利休居士は禅的、仏教的な思想を茶に持ち込んだわけです。狭苦しい茶室に主人と客とたった二人で端座する世界に、活けてあるのは一輪の朝顔。一説には咲き乱れる朝顔をことごとく切ってその中の一番よいものをすえたことで、多くの命の上に成り立つ太閤殿下を象徴した、と言われます。そういう意図もあったのかもしれませんが、わたしはこういう風に思いますね。


 一輪という、飾り気のない朝顔。それは、太閤とか天下人とか権勢、権力や名誉、黄金の茶室という富、名声という自分を飾り立てるものの一切を擺脱(はいだつ)した本当の自分をそこに置くという意味だったのではないか。利休居士は、一輪の朝顔をそこに据えることで狭苦しい茶室にあるのは、そういう外面を脱ぎ捨てた己があるだけ、ということを示したのではないでしょうか。そこにあるのは素心、赤心。つまり、真心。


 主人が客を迎える場に備えるのは、ただ、真心のみ。そういう心持ちだったのではないか、と思います。


 わたしも、悟りを開くという事を公言してはばからない人間なので、道を極める、ということに並々ならぬ興味、関心があるわけでして、道を極めようと思うのなら平生、気を配るのは己の心がけなのであります。自分の心の未熟を、悪い面を見つめ直し、それを直すことに心を尽くすのみであって、はっきり言って他人なんぞ気にしている場合ではない。自分のことで精一杯。


 それなのに、この一輪の朝顔は、数多の首の上に居座る殿下そのものじゃ! などというアテコスリを平気でやるような人間だったら、決してその道の大家になることなどなかっただろうと思う。自分がその生涯をかけて極めんとした茶の道に、そんな悪意を持ち込むような半端者だったらとうてい道は極められない、と思う。本気だからこそ、真剣だからこそ、そこにあるのは自身の真心のみであって、そこに悪意や雑念を持ち込むことなど決して許さなかっただろう、と思います。

 

 まあ、性格は極めて悪いのにその道のプロはわらわらいるでしょうが、しかし、その道の本当の大家には決してならないと思う。物事を真剣に極めるということは生易しいことではない、と思います。


 宮本武蔵もいっていますね。




【第一に、よこしまになき事をおもふ所】




 剣の道を修めるにあたって、邪なことを考えてはいけない、と。


 これが本質であろうかと思います。


 時間があるなら、幕末の偉人の言動を学ぶと良いです。現代人が一切省みない優れた叡智が詰まってます。


 

 では前置きがちょいと長くなりましたが、『仙境異聞・勝五郎再生記聞』を読む、の五、参りましょう。さて、篤胤屋敷に逃げ込んだ(?)寅吉少年。いよいよその全貌が明らかに。寅吉少年、不思議発見! p30




【予が家のまた隣にて、所謂はご((はご)ワナのこと)と云ふ猟事して、数丈(1丈は3メートル)なる高木の枝に鳥黐(とりもち)をつけ、媒鳥(おとり)(囮のこと)を出だして日々に鳥を捕るを、予が妻の母なる人の、常に無益の殺生と(いと)ひて在りけるに、をりしも(ひよどり)のかかりければ、居合ひたる者ども立ち見て、また鳥のかかりつると云ふを、童子聞きて今の間にその鳥を放ち飛ばして見せ参らせむ、茶碗に水を賜はれと云ふに、与へつれば、我が書斎の縁側に立ち居て、太刀かきの真似などし、口に何やら唱へつつ、茶碗なる水を指先にてはじき注ぎ、吹き飛ばす状をなす。


 ここに己れも対馬も立ちて見るに、体も羽も多く指したる枝にひしとつきて、少しも動かず。殊に我が書斎よりかのはごの所までは三十間(1間は約1.8メートル)余りも有れば、心中に、いかに神童なりとも、彼の所までは(まじな)いとどくべしとも覚えず。放ち得ざるには、恥見する事ぞと、これを放つ事能はじと思ひて、彼の鳥を飛ばしては、捕人の本意なく思ふべし、止めよと云へど、童子はひたすら呪ふを、人々に目合わせして、かたわらより然しも促さしめず、対馬と予とは、わざと知らぬ状にて在りけるに、立ちて見居たる者どもの、すわや鳥の片羽の放たれたりと云ふに、予も対馬も立ちて見れば、右の羽が誠に放れて、見るが間に左の羽がひも体も放れて下りたるが、また中なる小枝の多く指したるはごにつきたり。


 (いと)惜しき事と見るに、童子はなおも呪へば、また下なる枝に落ち止まり、羽づくろひして飛び去りぬ。その落ちたる状を見るに、(もち)蛛の糸の如く引きたりき。然れば呪いにて力なくうすく成れりと思はる。


 人々甚く感ずるに、童子はさらに珍しとも思はぬ状にて、いざ竹買ひに行かむと云ふ】




 ちょ~意訳。




 さて、我が家の隣の家では、いわゆる、はご、というトリモチをつけた数メートルもの枝でできたワナをかかげ、オトリの鳥に騙されてよって来た鳥を捕まえるという猟をしているのだが、我が妻の母は、酷い仕打ちを許しておくれ、とその猟を大変嫌っていた。そして、この時おりしも、ヒヨドリがかかってしまった。


 その様子を見ていた家中の者たちが、ああ、また鳥が引っかかってしまった、と言った。その様子を寅吉少年が聞いており、なんとこういうことを言う。


「ふむ、隣の家の者に見つかる前に、逃してみせましょう。そのために、茶碗に一杯の水をください」


 と。


 何をするのかと興味があったので、言われたとおりに渡してみれば、わたしの書斎の縁側に立って、エア太刀で抜刀する動作をし始めたかと思うと何やら呪文を口ずさみ、茶碗の水を指先にてはじき注ぎ(指先で弾き飛ばす?? もしくは指先を濡らす??)、吹き飛ばし始めた。


 その様子をわたしも五十嵐対馬君も立ったまま見ていた。なにせ、ヒヨドリの体はトリモチにべったりとくっついてしまっており少しも動く気配はない。さらにいうなら、私の書斎とヒヨドリまでは約50メートル程度はあるであろうか、さすがにいかに高名な山人に師事した寅吉といえど、ヒヨドリの元までその呪文の効果は届くまい、もし、そんな珍妙なパフォーマンスをして何も起こらなければ、どえらい赤っ恥をかくであろうと思っていた。もっと言えば、これはそもそも隣人の狩りであって、それを邪魔するのも隣人に悪いだろうから止めよ、というが寅吉少年は fufu……話を聞いてくれません(既出)。 


 そんなありさまなので、周囲の者たちもさてどうしたものかと目配せし合い、わたしの言うように止めさせるか、続けさせるか判断が付きかねたようだ。わたしと五十嵐君もこうなっては様子を見るしかないと、スルースキルを発動したのであったのだが、立ちながらその様子を見ていた者たちが、ああ! 片方の羽がトリモチから放れました! と言うではないか。


 なに、とわたしも五十嵐君も立ち上がって様子をうかがえば、確かに右の方の羽がべったりくっついたトリモチから逃れていた。さらに、みるみるうちに左の羽までトリモチから離れる様子、だが、体はまだトリモチがくっついて完全に離れるには至っていない。


 まさか本当に寅吉少年の呪文が効力を発揮するとは思わず、年甲斐もなく興奮してしまったが、残念なことながら、この呪文もそこまでであろうと思って寅吉少年をみたら、寅吉少年はそれでも諦める様子などなく、一心にまだ呪文を唱えていたところ、なんと、体についたトリモチからも逃れ、その下の枝に一時退避したあと、毛づくろいをして飛び去っていった。


 その様子を目を皿にして見ていたが、ヒヨドリの体に、トリモチは確かにまだついていたのだが、それが柔らかくなって粘着力を徐々に失ってしまい、蜘蛛の糸のように伸びているのを確認した。これは、寅吉少年の呪文の効果であると、思わざるを得ない。そう、皆が寅吉少年の手際に感服したが、その寅吉少年は、特段、珍しいことをなしたとも思っていないのか、


「では、笛製作用の竹を買いに行きましょう!」


 とにっこり笑っていうのであった。


 


 という塩梅。

 

 いよいよ寅吉少年の実力の一端を垣間見たわけです。


 およそ距離にして50メートルはあろうかという先に、隣人が枝にトリモチをつけて猟をしていたわけですね。その様子をみた篤胤の女房の母親が、無益な殺生じゃのぅ、というので、でしたら逃してあげましょう、という寅吉少年(ってか、寅吉少年も山に住んでた時には、鳥を獲って食べていたような気がしますがw まあ、それは言いますまいw)。


 篤胤か、召使いから茶碗に一杯の水をもらって、エア太刀でなにやら斬りつける仕草をした、と。これは想像ですが、臨兵闘者皆陣烈在前で有名な、九字、という術は、人差し指と中指を立てた形を『刀印』といいましてそれで宙を斬るように結界を張るのですが、寅吉少年の仕草はこういうものだったのかも知れませんね。


 で、これも多分ですが、刀印で茶碗の水をしきりに弾き飛ばして、それでさらに指先を吹いていたのではないか。それから呪文を唱え始めた。


 その様子をみていた篤胤は、さすがにまだ出会って日の浅い関係もあり寅吉少年がそこまで術をこなすとは思えず、止めよ、という。さらにでいうと、いくら自分の母親が無益な殺生、と言ったところで、隣人からすれば貴重なタンパク源。それを可哀想、で逃してしまうのも、それはそれで隣人の気持ちを考えるとそれもなぁ、となるわけですね。


 しかし、せっかく我が家にやって来てくれた寅吉少年に強く言い聞かせてへそを曲げられても困るとでも思ったのか、篤胤は静観を選びます。も~、し~らない。という気持ちだったのでしょうが、スルーを決めた、次の瞬間、なんと、ヒヨドリの体にべっとりとくっついていたトリモチが、まずは右の羽がはずれ、それで家の者たちが歓声を上げた。びっくりした篤胤がそれを凝視すると、右が放れたと思った次には、左の羽まで離れることに。


 とはいえここで、「(いと)惜しき事と見るに」と言うからには、その後スムーズに体は放れなかったのでしょうね。しばらくヒヨドリは羽をばたつかせてもがいていたのでしょう。密かに嘆息していたかと思いますが、さすがにここまでかと、惜しいことよのう、とでも声をかけようとしたのでしょう。篤胤が寅吉少年を見ると、それでも寅吉少年は熱心に呪文を唱える様子。


 諦めたらそこで試合終了なわけで、寅吉少年が諦めていない以上、様子を見守るしかない、と思ったらなんと、トリモチから逃れたヒヨドリが、下の方の枝に飛び、羽づくろいをしてすっと飛び去っていった。


 まったく逃げようがないほどべっとりとくっついてしまっていたトリモチから、寅吉少年が呪文によって逃してあげた。その様子の一部始終を見ていた家の者たちは興奮を隠しきれませんが、当の本人はクールに、


「竹を買いに行きませう!」


 なわけですね。


 かっけぇ。


 と、まずは小手調べ。さすが山人直々に教えを受けた寅吉少年。なにやら不思議の呪文をすでに使いこなしています。次も摩訶不思議です。p32




【己れ云はく、そは今に我も共に行きて買ひ来たるべし、その前に、己れ常に風の神を信仰にて、(しるし)を得たる事数々あれば、いかでその(ぬさ)(御幣)を切りて得させよと云ふに、明日に為給へと(こば)むを、しひて請ひて、紙と刃物を出だせば、なまなまに(うべな)ひて、切りかけたるが、切りさして数度立ちて虚空(そら)を見て、今日はまづ見合わせ給へと云ふを、いかにと問へば、風の神の幣を切る事は、大切の伝を受けたる事なれば、切るままに東の方に雲起こりて、その雲西に渡れば風吹きて、(つい)に雨降るなり。


 さては竹を買ひに行くこと能はざる故に、明日に為給へと申すなりと云ふ。ここに己れ云ひけらく、さばかりの験あらむと思へばこそ請ひつれ、よし雨降り風吹くとも、何てふ事か有らむ、我みづから買ひに行かむと云へど、なお(こば)むをなお強うるに、止む事を得ず、左右に虚空を見て気遣ひつつ、切り(おわ)りて神をうつし、これを用ふる時のしわざをも伝へて、神籬(かみがき)(ひもろぎともいう。神様の仮の居場所。依り代)に納めたる程に、はや一点曇りなき青空に、東の方より言ふが如く雲起こりて、西に渡らむとし、すでに風も吹き出でたり。


 寅吉さればこそと騒ぎて、切りたる幣をまづ出だし給はれと云ふを、己れなお(こば)むけれど、(あなが)ちに云ふ故に、出だせば、しばし祈念してまた納めしめ、夕暮れまで移したる神功を封じ奉れり。その間までは雨風あらじ。されど暮相には起こり候はむと云ひき】




 ちょ~意訳。




 わたしは言う。


「竹か。竹ならそのうちわたしも一緒に行って買おうではないか。しかしその前に、わたしは常々、風の神様をお祈りしており、いくつかのご利益をいただくことがあるのだ。なので捧げものを作りたいと思うから、風の神様にお礼の御幣を作ってくれないか?」


 と。すると寅吉少年は、明日にしませんか? と言うのでいや、是非に今すぐ、と願い、紙と刃物をもってくれば、う~んどうしようかな、と生返事ではあったが受けてくれた。そして、御幣を作り始めると、どうしたことか、何回か立ち上がっては空模様を観察しだし、いえ、今日はやはり見合わせられた方がよいかと存じますが………というのでどうしてか? と聞けば寅吉少年が言うには、風の神様に捧げものの御幣を作るという作法は、非常に重要な儀式であると我が師より承っております。


 それは、作成が進めばすすむほどに、東の方より雲が起こり、その雲が西に流れる頃には風が吹き、ついには雨が降るのです。そうなってしまっては竹を買いに往くことはできなくなってしまいます、なので明日にされたほうがよい、と申しましたと言う。


 そこでわたしはこういった。

 

 そのような摩訶不思議のことが起こるのであれば、なおさら捧げものを作ろうではないか。それで雨が降り、強風が吹こうともどれくらいのことがあろう。わたし自ら竹を買いにいこうではないか。と言う。それでも寅吉少年は渋るが、なおも願うと、渋々といった感じで左右の空を見渡し、こわごわといった感じで御幣を作り終わり、神様にお移りいただくと(かな??)御幣を使う際の作法を教えてくれて、神籬(かみがき)、依り代に納めた時のこと。


 先程は晴れ渡った青空だったのだが、東の方よりみるみるうちに雲が発生し、西にどんどん流れてゆくではないか。そして、その頃には風も吹き始めた。


 寅吉少年は、ですから申したでありましょう、と騒ぎ始め、御幣をお渡しください、と言うがわたしはそれを一旦は断るも、寅吉少年が真剣な様子で渡してください、というので依り代から取って渡すと、寅吉少年はしばらく静かに祈り、また依り代に納めるとこういった。


「夕暮にまで行き渡ってしまった風の神様のお力を、ひとまずお収めいただきました。これで雨風もやむでしょう。ですが、日が没する頃にはついに降り出すでしょう」


 と。




 といった塩梅。


「己れ常に風の神を信仰にて、(しるし)を得たる事数々あれば、いかでその(ぬさ)(御幣)を切りて得させよと云ふ」この文章。ここは最初は意味がわかりませんでした。篤胤は常々風の神様にお祈りを捧げていたので、それで神様からご利益をいただいていたようです。で、ぬさ、御幣を作って欲しいと寅吉少年にお願いする、という流れなわけです。


 神様からいろいろ助けていただいているから、御幣を作る?? どういうこと?? と。


 わたしはず~っと、このぬさ、御幣というものを神主さんが振り振りしていたのを見てはいましたので、ただの道具だと思っていたのですが、そうではなく、御幣そのものが実は神様にたいする捧げもの、供物なのです。ここが分かってないとこの文章の繋がりが見えにくいw


 篤胤のもとには、五十嵐対馬という現職の神主さんがやってくるほど神道と深い繋がりがあるわけですが、それでもそんな自分より、山人に直々に教えを受けている寅吉少年のほうが儀式にくわしいだろう、と思ったのでしょうね。しかし、いくら直々に伝授されているであろうとはいえ、よわい15歳の子供に、神様への捧げものを作ってもらう、ってこれはこれでなかなかすごい判断だとは思いますけどねw 現職の神主を差し置いて、子供に御幣作ってもらうって。


 で、それよりも竹を買いに行くことのほうが大事な寅吉少年は渋るわけですが、何故かここでの篤胤は強くお願いをしています。よくある、ヤバいことが起きる時のあるあるですw


 篤胤から強いてお願いをされたので、言われた通りに御幣を作り始めますが、突如寅吉少年は空を見上げてやっぱ今日はやめにしません? という。なんでやねん、と篤胤が言うと、すごいことを寅吉少年は言い出します。


「風の神様に捧げものを作るということは、師より重要な儀式であると教えを受けております。その製作によって東の空より雲が沸き起こり、風が吹き、ついには雨が降るでしょう」


 というわけですね。


 現代人のわたしからすると、こんなことで雨乞いが出来るんなら干ばつはなくなってしまう気がしますが、そこはそれ、寅吉少年ほどの神通力? 法力? をもったものでないとそこまでてきめんに効果はでないのでしょうね。


 で、そうは言われてもここでは何故か御幣作りに執心な様子の篤胤。雨が降ろうがヤリが降ろうがわしが竹を買いに行くぞ! とまで言い出す始末。そこまでいうのなら、と渋々御幣作成を進めると、まさに寅吉少年が言った通りのことが起こります。


 いわゆる、一天にわかにかき曇り、ってやつ。


 先程まで清々しい青空だったのが、急に雲がもくもくと東の空より沸き起こったかと思えば、いよいよ風がびゅーびゅー吹き始める様子。で、寅吉少年がそらみたことか! と騒ぎ始め、いったん、神籬(かみがき)、神様にお越しいただく依り代にささげていた御幣を篤胤から受け取り、神様にお願いしてちょっと待っていただくことが出来ました。ですが、夜半には雨が降るでしょう、というわけですね。う~ん、ミステリーw


 で、その後、竹を買ったわけですが、その夜。p33 


【かくてこの日のくれあいに、果たして風出で氷雨振りつ】


 この頃は10月のはずですが、ヒョウまで降ってるw


 寅吉少年のもつ不可思議の力がますます明らかになってきております。-人-




 さて。話はちょっと飛びまして。寅吉少年は師の招集に応じていったんお山に帰ろうとしてそこで兄の壮吉と仲直りしたり、いろいろありましたが、結局杉山山人は当番に当たってしまって山に帰る話はなくなってしまい、また篤胤屋敷に居候をしておりますと、寅吉少年の名は世間に大きく広まり、阿部備中守(恐らく、阿部正精(あべまさきよ))という幕府の老中や、大久保加賀守(恐らく、大久保忠真(おおくぼただざね)。二宮尊徳翁に小田原藩の藩政改革を任せた)という同じく幕府老中のような超大物から使者が派遣されて質問に答えるくらいになります。


 幕府の老中がわざわざ使者を発してその様子を伺わせるくらいに、寅吉少年の名は広まっていたわけです。世を騒がす不届き者、と急に捕縛されるような目に合わないところをみると、さすがに江戸幕府も15歳の子供にそこまでの危険性はないと判断しているようですw


 しかし、中には好ましくないものもやってくるわけで。p57




廿(にじゅう)日の夕方には荻野梅塢子(おぎのばいうし)(恐らく荻野八百吉(おぎのやおきち)。山崎屋敷にて寅吉少年に仏門に入れといった仏教学者)来たりて寅吉が事を語り、彼は是れまで神仙に使へたりと云ふこと妄説なり、熟々(つらつら)(かんがえ)るに、怜悧抜群の者なれば、其処彼処(そこかしこ)を徘徊せるほどに聞きたる事を、幽境にて見聞きしたりと云ひ触らすなること疑ひなしと云う故に、己れ云ひけらくは、中には聞き伝へたる事を語るも有るべけれど、総ては中々然る事とは思はれず、七韻舞(しちしょうのまい)(神々が悦び、妖魔が忌み嫌う舞、なのだとか)のこと、仙砲の事などは、かつてこの世の事とは思はれず、と云へば、荻野氏云はく、その事どもは皆妄想なり、怜悧なる童子には妖魔のわざにて然ること有るものなり。


 我も童子なりし時は、世にも神童と云ひはやされたる程の事にて、目に見えざる事物の在り(さま)をいひ、まだき晴雨を知り、リクト(利器? と本文でもさだかに分からず)さへに見えたり。そを人の誉むるが嬉しくて、今思へば杜撰妄説もいと多く吐きたりしなり。かの童子もその如く、人に聞きたる事を山人に習へりと云ひ触らすこと、すでに我が始めて逢ひたりし時には、かつて印相(いんそう)(サイン、ジェスチャー。仏が親指、人差し指で輪っかを作るなどのもの)の事などは知らざりしかば、(ことごと)く我が教へたるに、速やかに覚えてその後或る家に伴ひたれば、その主人に我が教へたる印相の事を元より知れる状に委しく語れり。


 是れをもてこの世に聞ける事を幽境に見聞きしたる事の如く云ふこと知るべし、()く追い出しねと勧むるに、己れもやや心惑ひていらへもせず有りけるに、寅吉次の間にて我を呼ぶ故に、立ちて何事ぞと云へば、今ここにて聞くに、荻野氏の言(いた)く心得がたし。


 我かつて妄談を云へる事なく、彼の人に印相の事を習へることなし。美成の許にて始めて逢ひたりし時に印相の尊き由をいひて、彼の(さかい)にも印相を結ぶ事ありやと問はれし故に、尊き由は聞かざれど、これも世にあるわざなれば知り弁へずては事欠く事あり、覚えをれとて教へられつと云ひて、かの人の望まるるままに知りたるかぎり結びて()せたるに、甚く感じて、懐紙(かいし)(メモ紙からちり紙までいろんな用途に用いた)を出して書き記し、この後にもおりおりこの事を(たず)ね、かかる事どもをよく知れるが惜しき由にて、僧になれとは勧められしなり。


 こは美成ぬしの委しく知られたる事なり。然れば先生の客人なれど聞き捨てがたし、この事明かりを立てて恥見せむと、眼差しを変へて甚く憤るを、己れは更なり、家内の者もさまざまに宥めて(しず)めたり。後にこの事美成に尋ぬれば、誠に寅吉がいふに如くにぞ有りける。梅塢(ばいう)のいかなる心にて、右の如く云へるにや、己れも今に心得がたくぞ覚ゆる】




 ちょ~意訳




 10月20日の夕方、荻野氏が来て、寅吉少年のことを語った。


 いわく、彼はこれまで山人に仕えているなどと言いふらしているようだが、そのようなことは世迷い言である。拙者、察するにそれなりに利発なわらべは、あちらこちらを渡り歩いてそこで見聞したことをさも、仙境にて見聞きしたのだ、などと言いふらしているのであろうこと、間違いない。という。なので、わたしは反論を試みた。


「彼が言っていることは実際に見聞きしたことであろうし、あなたがおっしゃるように、すべてがすべてそこいらで見聞きしたことをそれっぽく語っているなどとは到底思われない。七韻舞(しちしょうのまい)や仙界の鉄砲などは、どれもこっちの世界に存在するようなものではないからだ」


 と言えば、荻野氏は、それらも皆妄想だ。時に、利発なわらべは面妖なる仕業にてそういうこともあるもの。かくいう拙者もわらべの頃は世間に神童ともてはやされたこともあり申す。それで図に乗って目に見えないことをさも見えるかのように言い、明日の天気を占い、不思議な叡智をもっているように見られた。そして、それで褒められることを喜んでいたが、今にして白状すれば嘘八百を並べ立てたものである。


 つまり、かのわらべも同様。よそで見知ったことを山人に習え受けたと言いふらしていたのだ。それは、拙者とわらべが初めて会った時のこと、かつては印相のことなど知る良しもなかったが、それら一切を拙者が教えてしんぜたのを、まるで乾いたスポンジが水を吸うように覚え、よその家に行ったときなどまるで昔から知っていたように振る舞ったものだ。


 この一事をもって明らかなように、あっちこちで見知ったことを、仙境でならったなどと妄言を申しているのだ。とっとと追い出すが吉。などとという。


 この言い分には、わたしも何が真実かくらまされてしまい、満足な返事もできないありさまであったが、そんな時、寅吉少年が別室からわたしを呼ぶではないか。それで立って何事かと問えば、寅吉少年は、


「そこですべて聞いておりましたが、あの者の言い様、まったくもって納得いきません。わたしはついぞ、妄言など吐いたことなどなく、そもそもあの者から印相を習ったこともありません。


 美成の宅で寄寓していた時にあの者とあった時のこと、わたしが印相がなにゆえありがたいものなのかを語っていたのです。そこで、仙境にも印相を結ぶことはあるのかと聞かれたので、印相の何がありがたいのかの理由は聞かれませんでしたが、これらもこの世に広く伝わる大切な教えであるから、無知であることはいろいろ問題であるから覚えておいたほうがいいですよ、とお教えしたまで。


 そして、あの者の望むままに知っている限りの印相を結んで見せると、あの者は懐紙でメモをとりその後も色々のことを質問されました。それで、そんなことを知っているのならもったいないから僧侶になれと勧められたまで。


 これは美成もとなりで見ていたから当然知っております。


 であるのに、あの者数々の暴言、先生の客人と言えど聞き捨てなりません。この事、しっかりと証を立てて恥を雪がねばなりません」


 と、目の色を変えて憤慨するのでわたしはもちろん、家の者たちで懸命になだめすかして落ち着かせることになった。


 そして、このことを山崎君に聞けばまさに、寅吉少年の言う通りであったのだ。そう考えると、かの荻野氏がなにゆえこのようなことを言い出したのか、まったくもって分かり難い。




 といった塩梅。


 有名になるということは、すごいVIPからお呼びがかかることもあれば、こういう他者をさげすみ謀略をもって陥れようとする輩が出てくるのもこれは仕方のないことなのでしょう。


 これが人の世であります。


 で、この荻野氏が語るには、寅吉少年の語ることはすべて、そこらへんで見聞きしたことをさも仙人に直々に教えてもらったのだ、などと言いふらしているまでで、そもそも、自分の子供の頃もそんな感じでした、などという始末。


 一緒にすんなw


 ああ、でも人というのは、自分のものさしでしか物事を見られませんからね。こういう輩はたいがい自分の考えが世間のすべてであると考えるようなものが多い。自分がそうであるから他もそうであろうと決めつける。


 こういう独断はけっこう厄介で、そして、その独断を完全に信じているものを説得する方法などこの世にはない。オウム真理教が正しいと思えば、この令和の時代であってもその関連で拝むものはいる。なんちゃらにつける薬などありはしません。


 まあ、それはともかくそういうたぐいの荻野氏もあ~たらこ~たら寝言を抜かすのですが、何が真実かわからぬ篤胤はその世迷い言に流されてしまいそうになります。ですが、わたしはあいつから印相を習ったことなどない! と目の色を変えた寅吉少年の怒りに触れて目が冷めたようです。で、その一部始終を知っているであろう山崎美成に聞いてことの真相を知る。


 にんともかんとも。


 でも悲しいかな、そういう人間は他にも結構いますw 今回はここまでにしますが、次回は寅吉少年に噛み付く大人を、そして寅吉少年の大の仏教嫌いの様子などを見てみましょう。


 したらば。





「電脳コイル」 OP・EDを聴きながら。


 あの作品、子供向けのはずなのに、ヌルがでてくる辺りで異様にホラーになるんですよねw


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