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『仙境異聞・勝五郎再生記聞』を読む、の二



 男系男子に固執し続ければ、このままでは、皇室は高野槇(こうやまき)悠仁(ひさひと)親王殿下お一人になる未来しかない。


 その時に、殿下が、


「だったら天皇なんてならね~よ」


 とかおっしゃられたら、時の為政者どもはどんな顔をするのであろうか。皇室問題を常に棚上げにし、なんの解決の意思を示さない連中に殿下が愛想を尽かさないと、どうして言い切れるのであろうか。あぐらをかいて、軽々に文句も言えない尊い存在をないがしろにし過ぎです。


 あくまで自分とその周辺のみしか興味ない、という御方も現におわす以上、天皇拒否、という方向にならないとも限らない。伝統だの歴史だの格式だのにこだわりすぎた挙げ句、元も子もなくしてしまうようなことにならないといいのですが、昨今、オツムのカタイのしかいない世界なのでなんとも不安です。




【意なく、必なく、固なく、我なし】




 独善しない、無理強いしない、固執しない、俺が俺がとは言わない。




 今の日本では為政者すらまともに論語を読まない時代。不安しかありません。


 おこんばんはです。豊臣亨です。



 では、『仙境異聞・勝五郎再生記聞』を読む、の二、参ります。さて、平田篤胤と寅吉少年が出会ったわけですが、では寅吉少年と杉山山人との出会い、も面白いので見てみましょう。p13




【さてまづ神誘ひに逢ひたる始めを尋ぬるに、文化九年の七歳に成りけるとき、池ノ端茅町(かやまち)(ネットでは台東区池之端一・二丁目、だとか)なる境稲荷社の前に、貞意(さだおき)といふ売卜者(ばいぼくしゃ)(専業の占い師)ありしが、その家の前に出でて日々売卜するを立ち寄りて見聞くに、(けん)(けい)出でたりなどといふを、


 これは卜筮(ぼくぜい)といふ物は、くさぐさ獣の毛を集め置きて(うらな)ふ法ありて、その毛を探り出し、熊の毛を探り得れば、いかにとか、鹿の毛を探り出づればいかにとか、その探り出でたる毛により判断する事なるべく思ひて、(しき)りに習まほしく覚えしかば、或日卜者の傍らに人なき時を窺ひ、いかで我に卜筮のわざを教えへて給はれと請ひしかば、


 卜者我を幼き者と思ひて、戯言したるか、これは容易に教へがたき(わざ)なれば、七日がほど掌中に油をたたへ、火を灯す行を勤めて後に来たるべし、教へむと云ふ故に、()にも容易には伝ふまじく思ひて家に帰り、父母も誰も見ざる間を忍びて、二階に上りなどして密かに手灯りの行を始めけるに、熱さ堪へがたりしかど、強ひて勤め七日にみちて、卜者の(もと)に到り、手のかく焼け爛るるばかり、七日が間手灯りの行を勤めたれば、教へて給はれと云ふに、卜者ただ笑ひのみして教へざりし故に、いと口惜しく思ひしかど、詮方無く、


 倍々(ますます)このわざの知りたくて、日を送りけるに、その年の四月ころ、東叡山(wikiでは東京都台東区上野桜木一丁目にある天台宗関東総本山の寺院)の山下に遊びて、黒門前なる五条天神(wikiでは東京都台東区の上野公園にある神社)のあたりを見て在りけるに、歳のころ五十ばかりと見ゆる、髭長く、総髪をくるくると櫛まきの如く結びたる老翁の旅装束したるが、口のわたり四寸ばかりも有らむと思ふ小壺より、丸薬を取り出して売りけるが、取り並べたる物ども、小つづら敷物まで、悉くかの小壺に()るるに、何の事もなく納まりたり。


 かくてみづからもその中に入らむとす。何としてこの中に入らるべきと見居たるに、片足を()み入れたりと見ゆるに皆入りて、その壺大空に飛び揚がりて、何処に行きしとも知れず。寅吉いと(あや)しく思ひしかば、その後また彼処(かしこ)に行きて、夕暮れまで見居たるに、前にかはる事なし。その後にもまた行きて見るに、彼の翁言をかけて、其方(そち)もこの壺に入れ、面白き事ども見せむと云ふにぞ、いと気味悪く思ひて(ことわ)りければ、彼の翁かたはらの者の売る作菓子など買ひ与へて、汝は卜筮(ぼくぜい)の事を知りたく思ふを、それ知りたくばこの壺に入りて吾と共に行くべし、教へむと勧むるに、寅吉常に卜筮を知りたき念あれば行きて見ばやと思ふ心出で来て、その中に入りたる様に思ふと、日もいまだ暮れざるに、とある山に至りぬ。


 その山は常陸(ひたち)国なる南大嶽(なんたいだけ)(男体山。wikiでは栃木県日光市の山。日光市街地からいろは坂を登った、中禅寺湖の北岸に位置する、とか)と云ふ山なり。


 然るに幼かりし時のことなれば、夜に入りては、頻りに両親を恋しくなりて泣きしかば、老翁くさぐさ慰めしかど、なほ声を揚げて泣きたる故に、慰めかねて、然らば家に送り帰すべし、かならずこの始末を人に語る事なく、日々に五条天神の前に来るべし、我送り迎えして、卜筮を習はしめむと言ひ含め、背負いて眼を閉ぢさせ、大空に昇りたるが、耳に風あたりて、ざわざわと鳴る様に思ふと、はや我が家の前に至りぬ。


 ここにても、返す返すこの事人にな語りそ、語らば身のため悪しかりなむと(おし)へて、老翁は見えずなりぬ。


 かくて我はその誡めを堅く守りて、後まで父母にもこの事を言はず。さて約束の如く、次の日昼過ぐるころ、五条天神の前に行けば、彼の老翁来たり居り、我を背負ひて山に至れるが、何事も教へず、彼此(あちらこちら)の山々にも連れ行きて、種々の事を見覚えしめ、花を折り鳥をとり、山川の魚など取りて、我を慰め暮相(くれあい)になりては、例の如く背負ひ帰せり。


 我その山遊びの面白さに、日々に約束の所に行きて、老翁伴はるる事、日久しかりしかど、家をばいつも下谷広小路なる井口といふ薬店の男子と伴ひて遊びに出づる風にて出でたりき】




 ちょ~意訳




 さて。ではまず、山人に誘われたその来歴を伺うと、こういった次第。それは1812年寅吉少年が七歳になったときのある日のことである。


 池ノ端茅町の町の境にある稲荷神社の前で、貞意なる占い師がいて、家々で日々占っていたのでそれを見物していると、易にいう、乾坤の乾の卦が出ている、などと貞意がいうので、これは占いというものは、様々な毛を集めてきておみくじみたいに、熊の毛が出ればなにがし、鹿の毛がでればなにがし、とこういうふうに占うのではないかと思って、



易を知らないのはともかく、毛の話はどっから出てきた?w



 これはちょ~面白いと思って是非とも習得してみたいと思ったようだ。


 なので、その占い師の周囲に誰もいないときを見計らい、ど~か、わたしにその占いの方法を伝授してください~、とお願いした所、その占い師は寅吉少年をガキだと思って、



いや、七歳だしw



「寝言をぬかすか。これは簡単に教えられるようなものではない。だが、その心意気やよし。もし教えて欲しいのなら、七日ほど手のひらで油をうけ、その油に火を付ける修行をせよ。そうすれば教えてやろう」


 と、言われたという。そこで寅吉少年は、


「そうか~。やっぱそんな簡単に教えられるようなもんじゃないよな~」


 と、うんうん納得しつつ帰宅し、父母や家のものに見つからないよう、二階にあがって言われた通りの修行を行った。非常に熱かったが根性でやり遂げ占い師のところに行って、いや~、手をやけどしてヤバかったっす! でも七日間やりとげたっす! だから教えてくださ~い、と言ったが占い師は、


「マジでやってやんのw うっける~w」


 と笑うばかりでまったく相手にしてくれない。


 きい~! と地団駄踏んだが、こればかりはどうしようもなく、とはいえ占いはやってみたかったので、ど~しようか、と思案のままに日々を過ごしていると、東叡山の門前町、五条天神に赴いた時、歳でいうと五十過ぎの、ヒゲが長く、頭髪をくるくるとクシで巻いてお団子状にする旅装束のじっちゃんがいた。


 うわ、性同一障害者だ。と寅吉少年が思ったか否かはさておき、寅吉少年がそのLGBTな風貌のじっちゃんをみていると、約12センチほどの壺から薬を取り出して市で売っていたのだが、夕暮れとなると店じまいかゴザから商品からつづらまで、なんと、そのすべてを壺に収納してしまったという。


 しかもさらに、自分までその壺に入ろうとしているではないか。


 ど~やってそんな小壺に人間が入るっちゅ~ねん、と寅吉少年がつぶさに見守っていると、なんと片足をズボッと突っ込んだと思ったら、スルスルっと全身入ってしまった。



四次元ポケット現る。-人-



 あっけにとられていると、さらにその壺はフワ~ッと大空に浮き上がってどこへともなく去ってしまったという。寅吉少年は面妖な!? と思ったので、気になって次の日にも行って夕暮れまでみたらこの前とまったく同じことが起こった。


 さらに別の日にも見ていると、なんとそのLGBTなじっちゃんの方から声をかけてきたと言う。


「そちもこの壺に入るがよい。ええもん見せたるゾイ」


 というので寅吉少年は思わず、


「声掛け事案!」

 

 と全力で拒否ってしまった。


 たじろいだじっちゃんであったが、すかさず近くのお店でおやつを寅吉少年に買い与えたのであった。



やっぱ子どもを懐柔するのはお菓子ですねぇw



「ボクは占いの方法が知りたいんじゃなかったかな? ワシと一緒に来たらその方法を教えるゾイ」


 と、じっちゃんが言うので常々、そのことで頭がいっぱいだった寅吉少年は念願がかなうかも知れないと思ってその壺に入ってみようかなと思い、ちょっとだけ、ちょっとだけなら……なんて気持ちが湧いてくると、まだ夕暮れになって店じまいでもないのにさっきまで市にいたはずが、次の瞬間にはどこかの山にいるのであった。じっちゃんがいうにはその山は南台嶽という山なのだと言う。


 そこでじっちゃんの住まいに招かれた寅吉少年であったが、何分、七歳児なので夜にもなったら里心ついてしまい、


「おと~ちゃ~ん、おか~ちゃ~ん」


 とギャン泣きしてしまうので、じっちゃんが八方手を尽くしてあやすのであったが、さらにギャン泣きするのでほとほと手を焼いてしまい、しょうがないので家に帰してあげることとなった。


 そこでじっちゃんが、


「壺に入ったら山に来たとかそういうことは決して人に言ってはならんぞ。気が向いたら五条天神に来るが良い。ワシが送迎して占いの法を授けてやるゾイ☆彡」


 と言い聞かし、寅吉少年に目をつぶらせてから背負って大空に舞い上がった。寅吉少年の耳に、風の音がびゅうびゅうと鳴るのが聞こえたと思った、次の瞬間には目の前に自分の家があったという。


 さらにそこでも繰り返し繰り返し、この事決して人に言ってはならぬ。言ったら身に不幸が降りかかるであろうぞ、と念を押すとじっちゃんの姿は消え去った。


 寅吉少年はじっちゃんのいいつけをきちんと守り、父母には決して言わなかったようだ。さて、約束したとおり、次の日の昼頃、五条天神に寅吉少年がゆくと、果たしてじっちゃんがいた。寅吉少年を背負って山に行ったが、しかし占いの方法を教えることはなく、様々な山々を巡っては珍しいものを見せお花を摘んで鳥を狩り、川の魚を釣って食べさせ、遊んでくれたが、夕暮れには寅吉少年を家に帰した。


 寅吉少年は山遊びに夢中になって毎日のように五条天神に行っては、じっちゃんに誘われて山で遊んだ。そして、家の者にはいっつも、広小路の薬屋の井口さんちの◯◯ちゃんと遊んでるよ~、と語っていたのだという。




 こんな塩梅。


 もうすでに荒唐無稽ですが、ご安心ください。全編こんな感じですw


 さて、もともとちょっと摩訶不思議なところのある寅吉少年。ってか、天狗にさらわれる、なんていうからどこの田舎の山猿かと思いますが、すごいシチー・ボーイですよねw まごうかたなき江戸っ子w 


 で、もともと普通ではないこの寅吉少年は、そういう不思議なわざに惹かれるのか、占い師のすることが珍しいので自分もやってみたいと思うものの、純真な子供心につけこんでとんでもないことをさせられたわけですが(他にもそういうたぐいで騙されてますw)、それでもなお、なんとかならんものか、と思案の中に日々を送っていると、市で商いをしている老人と出会った。


 これが杉山山人との出会い。


 ヒゲは長く、櫛巻き、女性が長い髪をクシでくるくるっと巻き上げて上でお団子状態にしているような髪型にして、それで旅装束の出で立ちでいる、というなかなかカブいた姿格好の老人がいた。


 これが良い子なら、アイタタタタタ、とすかさず目をそらしてしまいそうですが、人を見る目があったのか、それとも類友か、寅吉少年はそのなんとも香ばしい出で立ちのじっちゃんに目が釘付けになってしまったわけですね。まあ、江戸時代の子どもといいますと、かのラフカディオ・ハーン、小泉八雲さんも日本の町の路地でちょっとでも迷子になろうものなら子どもたちがわらわらと集まってきて異人だ、異人だ、と後を付け回されることになる、といっていたように、ちょっと珍しいものがあれば好奇心まんまんでじっと見るでしょうから、異装の老人に興味がわいたのでしょう。


 でもまあ、そもそもでいえば、このじっちゃん、杉山山人が、なにゆえそんな市で商いをせねばならんのか、という話でして、きっとこの寅吉少年のことをどこかで知った杉山山人が、寅吉少年に興味をもって、わざわざ接触するためにそんなパフォーマンスをしていたに相違ない。何せ言う言葉が、占いに興味があるんじゃろ? ですから、いや、どこでそれ知ったんすかw って話でして、何もかもお見通し。


 バビュッと日本中を飛び回れるようなすごい技をもっているので、自分の気に入った子どもを見つけるなんてわけもないのでしょう。


 で、市で薬を商っていたのですが、夕暮れになると約12センチほどの壺に仕事の道具の一切合財を入れ込み、さらに、自分もその壺に入り込んで空に舞っていった。


 これが本当でしたらそこら中大騒ぎでしょうが、全然そんな反応はないようです。


 ちなみにこれは、中華にもあるお話でして、古典を読んだことのある人間なら誰でも知ってるすごい有名なお話ですが「壺中の天」という逸話があります。


後漢書(ごかんじょ)』の「方術伝」というところにあるお話で、三国志が始まる前の後漢で費長房(ひちょうぼう)というお人が役人をしていたのですが、夕暮れにぼーっと市を見ておりますと、同じ様に、薬売りの老人が、仕事道具を壺に入れ込み、しかも自分まで壺に入って、最後その壺まで消えてしまった。なのに周囲は誰も気にしない。


 この費長房はピンときて、はは~ん、あれが有名な仙人という奴か、と気がついて、別の日にまた市を眺めるとまたその老人がいたので、ちょっとひとつ、わたしもその壺に入れてもらえんか? というので仙人がしょうがないのぅ、と連れて行ってくれて、そこは壺の中なのに別世界、別天地が広がっていて、そこで費長房はえらい歓迎を受けた、というお話。


 そこから「壺中の天」「壺中天」といえば自分の中にある桃源郷、とかそういう意味です。


 他の人はまったく気が付かないのに、費長房は気がついた。これは、気がついた、のではなく費長房だけに気がつくように仕向けていた、と考えるほうが自然かと。波長の合うものどうしで語り合いたかったのでありましょう。


 これを杉山山人はやっていたわけですね。


 まあ、寅吉少年は壺の中で歓迎されたわけではないようですけど。とにかく、仙人と山人は一緒だ、と寅吉少年は最初に語っておりましたが、このお話を聴きますとまったく同じことができるようです。


 で、バビュッと空を飛んで、江戸から日光の男体山、これは天狗の修行場らしいのですが、そこに寅吉少年をいざなって、その山の風物を見せた。シチー・ボーイの寅吉少年はさぞや喜んだことでしょう。


 こんな感じで杉山山人と寅吉少年は出会ったわけですね。



 では、続きまして弟子入りの様子をば。p17




「さて大抵日々の如く、伴はれ行きたる山は、始めは、南台嶽(なんたいだけ)なりけるに、いつしか同国なる岩間山に連れ行きて、今の師に付属したるに、


 まづ百日断食の行を行はしめて、後に師弟の誓状を書かしめたり。ここに我かねての念願なれば、卜筮(ぼくぜい)を教へ給はれと云へば、


 師のそはいと易きことなれど、易卜は()からぬ(わけ)あれば、まづ余事を学べとて、諸武術の方、書法などを教へ、神道にあづかる事ども、祈祷呪禁の()かた、符字の記し方、(ぬさ)(神主さんがもっているギザギザの紙)の切り方、医薬の製法、武器の製法、また易卜ならぬ、種々の卜法、また仏道諸宗の秘事経文、その外種々の事を教へらる。


 そはいつも、彼の老翁の送り迎ひたれど、両親はじめ人にはかつて語らず、世話なく遊びに出づるを善しとして尋ねず、また十日、廿(にじゅう)日、五十日、百日余りなど、山に居て家に送り帰されたる事も、折々有りしかど、いかなる事にか、家の者ども、両親はじめ、我が然ばかり久しく、家に居らずとは思はで有りしなり。


 かく山に往き来しつる事、七歳の夏より十一歳の十月まで、すべて五年の間なるが、この間に師の供をなし、また師に従ふ余人にも伴はれて、国々所々を見回りたり。


 さて、十二、十三の歳には往来せず、唯をりをり師の来たりて事を(おし)へらるるのみなりき。然るに父は我が十一歳になる八月より(わずら)い付きたり。


 その病中に師の我に誨へて、禅宗、日蓮宗などの宗体をも見覚えよと有りし故に、父母に我は病身にて商ひ覚束なければ、寺に奉公して後に出家せむと思うと云ひしかば、父母ともに仏を信ずる故に(うべな)ひて、この年の秋より池ノ端なる正慶寺(wikiでは、東京都台東区にある臨済宗妙心寺派の寺院)といふ禅宗の寺に預けぬ。


 この寺にて彼の宗旨の経文など習ひ宗体ともほぼ見聞きて、極月(ごくげつ)(12月)家に帰れるが、文化十五年の正月より、また同所の覚性寺(wikiでは、東京都台東区池之端にある日蓮宗の寺院)と云ふ富士派の日蓮宗の寺へ行きたるが、この二月に父みまかりたり」




 ちょ~意訳。



 

 さて、おおかた毎日のように連れて行かれた山は最初は男体山であったようだが、いつしか岩間山(ちなみに、岩間山、愛宕山は、茨城県笠間市泉で男体山は栃木県日光市)に連れて行かれたようで、そこで師事するようになったようだ。


 そこで杉山山人は、まず、百日断食の修行をさせた後、誓詞を書かせた。


 寅吉少年は占いの法を授けてください、と言ったが、師匠、杉山山人は、それはとても簡単なことなのだが、占いというものは諸刃の刃であり、使い方次第ではその者に悪い結果をもたらすことにもなりかねない。なので、まずは心身を鍛えよ。と言った。


 そこで、様々な武術、書道に、神道に関する儀式典礼、祈祷や呪術、護符の書き方、ごへい、神主の持つ神具の作り方に、医薬品の調法、武器の作り方、また、易から発する占いではない別種の占いの方法、また仏教諸宗の秘密の経文、その他様々なことを寅吉少年に授けたという。



武器の製法?w



 そして、その日々は常に師匠の送迎だったようだが、寅吉少年は両親をはじめ、他に誰にも自分がいま何をしている、といったことは口にもらさなかったようだ。


 よって家の者は貧乏ゆえ、寅吉少年が毎日元気に外で遊んでいると考え、手間がかからなくてよいと思って放任していたようだ。また、時にはその修業や勉強によって家をあけることが10日、また20日、さらに50日、100日とどんどんのびてゆくこともたびたびあったようだが、これもまたいったいどういうわけか、家の者は両親をはじめ誰も、寅吉少年がそんなに家を出ているなどと気にも留めなかったという。


 そうして家と山を行き来すること7歳の夏ごろから11歳の10月まで、ざっと5年の歳月であるがこの間に師匠のお供をし、また師匠の知り合いなどにも付き添われて、様々な国々を見て回ったという。


 また、12~3歳の頃は山に往かず、もっぱら師匠の方からやってきて学問を授けていたというが、寅吉少年が11歳の8月ごろ、父親が病を得て床につくことになったという。


 その父親の病中、師匠が、禅宗や日蓮宗などの仏法も身につけよ、いうので、寅吉少年は父や母に、わたしは体が弱いので商いを覚えるのは難しく、お寺に入ってお手伝いし、ゆくゆくは出家したいと思います、と言うと、父母ともに仏教を信仰するのでそれがいい、と承諾し、その年の秋頃から正慶寺という禅寺に預けられた。


 この寺で禅宗の経文などを読み習い、年末に家に帰ったが1818年の正月、同じ地域の覚性寺という富士派の寺に行ったが、その2月に父親が世を去った。




 という塩梅。


 弟子入りするにあたって、まず百日断食した。


 ってさらっと言っちゃってますが、なかなかパネっすw まあ、これは後々修行の日々を寅吉少年が語るのでその時にでも。


 で、師匠と弟子の関係の誓詞を書かせた。そこで、改めて寅吉少年は占いの方法を授けてください~、とお願いするのですが、杉山山人は、それはぜんぜんかまわんなんでもないことだ、といいますが、しかし、「易卜は()からぬ(わけ)あれば」占いは軽々しくつかってよいものではない、だから、占いを習う前に、それ以外の知識を身に着け、修行をしなさい、というわけですね。


 で、


 様々な武術、書道に、神道に関する儀式典礼、祈祷や呪術、護符の書き方、ごへい、神主の持つ神具の作り方に、医薬品の調法、武器の作り方、また、易から発する占いではない別種の占いの方法、また仏教諸宗の秘密の経文、えとせとらえとせとら、ものすごいエリート教育を受けるわけです。


 それはともかく、祈祷に呪術に護符にと、心トキメクワードがありますねぇw わたしも習ってみたいものです。-人-


 で、寅吉少年はこうして修行の日々を送っていたので家をあけることがけっこうあったにもかかわらず、家のものはまったくそのことに頓着しないわけですね。


 壺の時のように、恐らく、山人ともなれば、ドラえもんにでてきた石ころ帽子のように、人の認識を阻害する術くらい朝飯前なのでしょう。たとえ寅吉少年が100日家を留守にしていても何も気が付かない。すごいものです。


 そして、12、3歳のころは山に行かなかった。師匠の命でもって11歳の頃には寺で出家の下準備のための奉公に出されるのですが、寺の修行もあったので山にいけなかった、ということでしょう。わたしのイメージでは、こういう奉公は住み込みな気がしますが杉山山人は寺にひょっこり顔を出して勉強を教えていたのでしょうかw


 しかし、考えてみますとさすが識字率の高い日本。


 寅吉少年は貧乏であったといいますが、お師匠様の授ける学問や、お寺の経文を習っていたわけですから、読み書きなんて余裕で出来たのでしょうね。お寺の経文なんて漢文でしょうし。これもさらっと流してしまいますが、けっこうすごいことだと思います。


 こうして寅吉少年の弟子入りを垣間見たところで、本日はこれまで。次は寅吉少年と篤胤の出会いをもう少し、つれづれみてみたいと思います。


 したらばな~。



天地無用 GXPのOP・EDを聴きながら。

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