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『仙境異聞・勝五郎再生記聞』を読む、の一



 やほーニュースをみておりましたら、敬宮(としのみや)愛子内親王殿下に天皇陛下になっていただきたい、という声が大きくなっているのだとか。


 fmfm


 継承順位としては順当なところかとは思いますが、急にどうしてそういう風向きになったんだろう、って思ったら、やっぱニューヨークに行ってしまったお方に対する反感がそこにあるのかな、と思う今日このごろ。wikiをみてもきっちり「小室」って名字になってるし。

 

 なんか、小室家ってコリアンじゃね? とか数多の疑惑が山積する状況下で、さしたる説明もなしになんか夜逃げするかのように米国に行ってしまっては、やはり反感を覚える人が多いのでせう。


 我ら大和民族にとって天皇陛下は国民統合の象徴であり、そして天皇は皇族からしかなりえない以上、皇族もすなわち国民統合の象徴であることは事実。その象徴たる存在が、恐ろしいまでの疑惑の数々をまったく無視し、自分たちの都合だけを優先させたように見えては、そりゃ思うところもあるというもの。統合に歪みも生じるというもの。


 とは申せ、この状況は敬宮愛子内親王殿下が女性天皇になるには風向きとしては良いかと。


 年食った人間からすれば今回のご成婚は、完全に綿毛の怒り、いえ、若気の至りですし、そんな駆け落ちのような結婚がうまくいくほうがまれであることも年食ってりゃ想像がつく。まあ、せいぜい自分たちだけの幸せとやらを求めればよろしいでしょう。その後の長い人生を、これがやまとごころかどうか、考えるにも無益なことではないでしょう。


 おこんばんはです。豊臣亨です。



 さて。今回読んだのは『仙境異聞・勝五郎再生記聞』 岩波文庫



 人様のブログを読んでおったら、この本が最近人気になっている、とのことで、新宿の本屋に行った時になんかつい興味が湧いて買ってみました。


 この本はどういった内容かといいますと、本の帯にはこうあります。



「緊急重版 twitterで話題沸騰!! 天狗にさらわれた子どもの証言!?」



 と。さらに小さい字で、



「江戸時代後期の国学者・平田篤胤が少年・寅吉から聴き取った異界についての詳細な証言録。寅吉の見た世界とは……」



 とあります。


 これは、天狗の住む世界についていった寅吉という少年が、ひょっこりとこちらの世界に帰ってきたのでその噂を聞きつけた篤胤が自宅に呼び寄せ、数々の門弟たちと一緒に天狗の世界や天狗の不可思議の技や術、その生活の程をkwsk根掘り葉掘り聞きまくった。のが本書のだいぶでありまして、その後ろの「勝五郎再生記聞」というのは、勝五郎という人が、実はわたしは程窪村の久兵衛を父にもつ藤蔵という人間だったのだが、いま勝五郎として生まれ変わったのだ、というのを聴き取った内容、ということになります。「仙境異聞」全2巻と「勝五郎再生記聞」は別々の書であったのをまとめた本、ということですね。


 で。


 その寅吉をさらったという天狗ですが。p22



「岩間山に住む十三天狗の中にて、名は杉山組正といふ」



 岩間山とは茨城県笠間市泉にある愛宕山のこと。そこに十三の天狗がいて、その一人が杉山組正、とのこと。この杉山組正がこの寅吉少年をさらった天狗のことです。ちなみに、この組正とは僧正の書き誤りであろうとありまして、正しくは杉山僧正、という名のようです。が、実はこの名も偽名とのことで山を降りた寅吉少年に、実の名は決して明かすな、ときつく言い聞かしたとのこと。


 で、寅吉少年はこの杉山僧正に本当はさらわれたわけではなく、占いに非常に興味があった寅吉少年が卜占(ぼくせん)の秘法を授けてもらおうと師とあおいで師事していたのですが、山を降りてしまうとどういうわけか、師の名が正確に出てこない。p334




「不測にも山に在りし時は正に知りたし師の実名を、今いかに考へても思ひ出でられず、ただ某王(なにのみこ)とかいひて、兄弟ともに三千歳余りの人と云ふことばかりを(たし)かに覚えたり」




 とありまして、三千もの齢を数えるなかなか長寿なお方でさらになにがしのみこ、の名をもつその齢にふさわしい古代の名をお持ちのよう。ちなみに兄弟とは兄弟弟子のことかと。寅吉少年が師事する前から師事していた兄弟子たちも三千歳なのでしょうか。


 ただ。天狗、とか僧正、とかありますが実際文中にたびたび出てくるのは「山人」でありまして「杉山々人」と呼ぶことが多いです。ではこの山人とはなにか。p98




「山人といふ物は、神通自在にて山々に住する事は、諸越(もろこし)(中華のこと)の仙人と同じ趣なれど、安閑無為には居らざる物なり。


 その訳は、まづ神の御上より申すべし。師言にすべて神といふ物は、既に神と崇められては、世の為、人の為となる事は、何事にても恵み賜はらでは、叶わざる由ある故に、千日祈りて(しるし)なきは万日祈りて験あり、万日祈りて験なきは生涯祈らむと云ふ様に祈願すれば、たとえ邪なる願ひにても、一旦は験を与へ給ふ。


 まして正道なる祈願は、よく信心を徹しさえすれば、叶はずと云ふ事なきものとぞ。されど人間の願ふ事ども、道理に叶へる祈りと思へるも、神の方より見れば、多くは邪の願ひなる故に、後に我知らず、それ程の罰を受くる事なり。まして道理に違へる事と知りつつ願ふ事は、ついに天道より永久の罪を降し給ふとぞ。


 さて山々に神のおはし()さざる山は無く、また山人の居らざる山も無きが、その山によりて秋葉山、岩間山などの如く、世間にても山人ある事を知りて、天狗と称し祈り崇めるは云ふに及ばず、山人ある事を知らず、ただその山に鎮座したまふ神に祈りても、その山に住む山人、その祈願を遂げさす事なり。


 しかるは我が師の本山は浅間山なれど、世間の人は、かつて師の名をだに知らざる故に、祈願ある時はただ浅間神社に祈る。しかれどもその願ひをば師の聞き届けて、神に祈りて遂げさす類ひなり」




 山人とは、中華にいう仙人と同じ存在であり、神通力が自在、なんでも出来る、と。ただ、仙人と言われれば、雲やかすみを食べて毎日のんきに生きているように思えるが、山人はそうではない、と。


 そもそも、神様とは、世の人々の願いを聞き届けて、その願いを達成できるようにその御力を揮うのが、神の神たるゆえん、神の存在意義である。そして、山人とは、神に仕えて人々の願いを遂げさせるために日々奔放するのがその使命である、と。


 なので人間が千日願って霊験なければ万日願い、万日願って霊験なければ生涯願うほどの願いであれば、叶えないということはない。ただ、俗世の人間の願望などというものは、神や山人から見れば邪なる願いが多いものなので、その願いを聞き届けても、その願いに応じて、その願いが邪であればあるほど災いもやってくる、と。ちなみに、ようつべのとある動画によると、きちんとした相手がいるのに、邪な浮気をするものには、貧乏神がやってくる、とのことですw 信じるも信じないもあな(ry


 この杉山山人は、齢三千歳という果てしなき長寿で、ほとんど神に近い存在でありながら、自身は神となって拝まれる側になることなく山人として神に仕え日々山々を巡っては世の人の切なる願いを聞き、神にそれを伝達するということをその使命としているのだそうな。


 なかなか趣深いお話です。


 この寅吉少年は、この神に近い山人に弟子として師事し、山人の住まうあっちの世界で暮らした。異界にいたわけですね。なので、天狗にさらわれたのではなく、ウチくる? と言われたので、行く行くw とついていったことになります。そこで見聞きし、体験し教わったことを、この質問者である平田篤胤と、その門弟に明かしたのが本書の内容、ということになります。ちなみに、この「仙境異聞」は門外不出の書となって、篤胤の高弟であっても簡単に閲覧できるような代物ではなかったとか。まあ、内容が内容だけに簡単にひけらかせるものではなかったようです。


 さらにちなみに、平田篤胤とはどちらさんかと言えば、wikiによりますと、



 安永5年8月24日〈1776年10月6日〉 - 天保14年閏9月11日〈1843年11月2日〉江戸時代後期の国学者・神道家・思想家・医者。


 大和田清兵衛の子として生まれるも、不遇な子供時代だったようで、二十歳に出奔、江戸に流れ着き、苦行の末に山鹿流兵学者であった平田藤兵衛篤穏(あつやす)に認められて養子となった。


 やがて本居宣長の書に触れ、国学や神道の学問を深めてゆき、復古神道という仏教や儒教の影響を廃した、神道の優位性、優秀性を強く説くようになる。そして、相思相愛であった妻を亡くした時、



「天地の 神はなきかも おはすかも この禍を 見つつますらむ」



 と詠んだのだとか。



 天地の間に神様はいらっしゃらないのか、それともおわすのか。我が災を見て、どう思し召すか。という意味かな??



 神様がおわすのなら、どうしてこんな災をわたしに下すのか、ということでしょうか。


 篤胤は、深く神道を学び、さらに死後の世界や神の世界に強い関心があったわけですね。そこに降って湧いたような寅吉少年の噂。篤胤の興奮の程やいかに、といったところでしょうか。


 こうして後付けで言いますと、両者は出会うべくして出会った、と言えるかも知れません。


 本書はこういった次第で進んでゆくもので、今回はこれを読んで、気になったところを丸写ししてみたいと思いますが、何分、この本書は江戸時代の記述そのままでして、わたしにはさっぱりわからない記述もちらほら。一応、6~7割は読めましたが読めない部分も結構ありますので、そういったまったく分からんところはそのままにしておくので、分かる人が読んでくださいw


 では、まずこの寅吉少年とは一体どういったお子様であったか。p11




「寅吉五六歳のほどより、時々未然に言を発すること有りき。そは文化□(□は欠字)年□月、下谷広小路(wikiによると、現在の台東区上野、おおむね上野広小路交差点の南側から上野公園前交差点(上野恩賜公園南端、西郷隆盛像付近)の中央通りに相当する、とか)に火事ありける前日に、家棟に上り居て、広小路に火事ありといふ。人々見るに何の事もなき故に、などて然は云ふぞと問ひしかば、あればかり火の燃ゆるを、人々には見えざるか、()く逃げよかしなどと云へるを、人々物に狂ふ如く思へりしが、果たして翌日の夜に広小路に焼亡あり。


 また或るとき父に向かひて、明日は怪我すること有るべし、用心せよと云へりしを、父は用ひざりしに、果たして大いに怪我したる事あり。また或時今夜かならず盗人入るべしと云へりしかば、父叱りて然ることは云ふべきに物に非ずと制しけるに、果たして盗人入りたること有り。


 またいまだ立つことも叶はずて這ひまはりしほどのことを覚え居て、語り出づることも時々ありき。然るに生まれつき疳性(かんしょう)(癇性。ちょっとしたことでもすぐ怒ったりする、癇癪もち)にて、幼少の時は色青ざめ常に腹下り夜つばり(寝小便)などして、遂に成長すまじく思へりしが、


「車に引かれてけがせるが、けんくわせずてよかりしといへること母(はな)し」


 今年旅より帰り来ては、いと丈夫になり侍りと語りき。未然の事を知りたるが(あや)しくて、後に寅吉にいかにして知りたしと(たず)ぬれば、広小路の焼けたりし時は、その前日に家棟より見けるに、翌日焼亡したるほどの所に、炎起こりて見えける故、然云ひしなり。父が怪我あるべき事、盗人の入るを知りたるなど、何やらむ耳の辺にて、ざわざわと云ふ様に思ふと、その中に何処よりともなく、明日は親父怪我すべし、今夜は盗人入るべしと云ふ声聞こゆると、直ちに我知らずその言の如く口に云ひ出でたりと云へりき」




 寅吉少年は五~六歳の頃から、時々、いまだ起こってもいないことを口にすることがあった。それは西暦1804~1817年の◯月のこと、下谷の広小路で火事が見えると家の屋根にのぼって言う。村人がほんまかいな? と見て、何もないと言ったが、ぼうぼうと火が燃えているのが見えていないのか。早く逃げよなどというので、村人はアタマおかしくなったんかいな、と思ったものだが、果たしてその次の日に本当に広小路で火事があった(文化の大火かな? と思いましたが、wikiによると文化の大火は芝・車町(現在の港区高輪2丁目)の材木座付近、での出火とあるので別件のようですね)。


 また、ある時などは父親に明日は怪我を負うことがあるので気をつけて、と言うが父親は信用しなかったところ、本当に大怪我をおってしまった。さらに、今夜家に泥棒が侵入する、などと言うので父親が妄言を申すな! と叱ったところ、本当に泥棒に入られてしまった。


 また、まだハイハイしていた頃の事も覚えていたり、詳細に語りだすこともあった。


 また、生まれつき疳の虫がある子で、幼い頃などは顔色悪くぽんぽんがゆるゆるで、おねしょなどを度々した。そんな具合であったから、家のものは早死するのではないかと思ったが、


「大八車(?)に轢かれて怪我したが、喧嘩をしなかったのでよかったと母親が語った」


 旅から戻ってからというもの、丈夫な子に育った。いまだ起こってもいなことを知っているのを家のものがいぶかしんで、後で寅吉少年に聞いたところ、火事に関しては屋根に登ったところ、火が見えた、と言い、父が怪我した時、泥棒に入られた時などは、耳のあたりにザワザワするものがあって、耳をすますとどこからともなく、明日親父どんが怪我すんで。今夜泥棒に入られんで。という声が聞こえたので、思わず口をついてでてしまった、と言った。




 どうやら尋常一様の子では、そもそもなかったようですね。予言まがいのこともあったし、何者かのささやきを聞くこともあったようです。


 でもまあ、おねしょくらいは特筆するほどでもないと思いますけどw では、続きまして、寅吉少年と平田篤胤との出会いの場面。p10




「彼の童子を呼び出して、翁(屋代輪池。和学者)と余とに相ひ見せしむ。然るに彼の童子はも、二人の面をつくづく打守りて、辞儀せむとも()ざりしを、美成(山崎美成。薬商。最初に寅吉少年を見出した。それを聞きつけた篤胤がひったくるように寅吉少年を自宅に招待したw)かたはらに居て、辞儀せよと云へば、(いと)ふつつかに辞儀を()たり。


 憎気なき尋常の童子なるが、歳は十五歳なりと云へども、十三歳ばかりに見え、眼は人相家に下三白(下まぶたのフチが垂れた眼の形だそうな)と()ふ眼にて、凡より大きく、(いわ)ゆる眼光人を射るといふ如く、光ありて面貌すべて異相なり。


 脈を診、腹をも診たるに、小腹実して力あり。脈は三関(さんかん)(脈をとる箇所)のうち寸口の脈いと細く、六七歳の童子の脈に似たり。江戸下谷七軒町(ネットでは、台東区元浅草一丁目、小島二丁目とあり、春日通り元浅草一丁目交差点付近、だとか)なる、越中屋与惣次郎(寅吉少年の父親のこと)といひし者の次男にて、名を寅吉といふ。


 然るは文化三年十二月晦日の朝七ツ時に生まれたるが、その年も日も刻も寅なりし故に、かく名付けしとぞ。父は今より三年さきに世を退()れり。その後は寅吉が兄荘吉、ことし十八歳なるが、少しの商ひを為て、母を幼き弟妹などを養ひ、細き(けむり)を立つるといふ。


 さて寅吉、余が面を熟々(つくづく)見て打笑みつつ有りけるが、思ひ放てる(さま)にて、あなたは神様なりと再三いふにぞ、予その言ひ状の(あや)しきに答へもせずて在りしかば、あなたは神の道を信じ学び給ふならむといふに、美成傍らより、これは平田先生とて古学の神道を教授し給ふ御方なりと云へば、寅吉笑ひて実に()るべく思ふといふ。


 ここに予まづ驚きて、そはいかにして知れるぞ、神の道を学ぶは善き事か悪しき事かと問へば、何となく神を信じ給ふ御方ならむと心に浮かびたりしゆゑに、然は申し侍り、神の道ほど尊き道は無ければ、これを信じ給ふは(いと)()き事なりと答ふ。ここに屋代翁我をばいかに見つると問わるれば、寅吉しばし考えて、あなたも神の道を信じ給ふが、なほ種々ひろき学問を為給ふらむと云ひき。是れなむ己れがこの童子に驚かされたる初めなりける」




 寅吉少年を呼び出して、屋代じいさんと一緒に会った。そうすると寅吉少年は我々の顔をつくづくと眺めて、お辞儀もしなかったので、付添の山崎君がお辞儀しなさいと言ってようやく、まあ行儀悪くお辞儀をする(篤胤は武士身分であるから、武士ではない寅吉少年がお辞儀をして挨拶するのは当然の礼儀になるわけですね)。


 いとけなき普通の子どもに見え、聞いたところ年は15とのことだが、見た目は13歳くらい、中学一年生ぐらいに見えるが、しかし、目つきは人相家が下三白という目つきで、普通よりは大きめ、いわゆる眼光人を射るというように非常に鋭く、顔つきはすべて普通ではない。


 脈やぽんぽんを観たところ、お腹実して(充実して、かな?)健康的だ。脈をとったところ、非常に小さく、まるで6~7歳の子の脈のよう。


 江戸下谷七軒町の越中屋与惣次郎という者の次男坊で、名を寅吉と言う。


 1806年12月大晦日の午前4時頃に生まれたそうだが、その年、その日、その時刻、みな寅であったのでそう名付けたのだそうだ。ただ、父親は三年前に死亡し、その後は長男の荘吉が少々商いをして家族を養い、ほそぼそと生計を立てているのだとか。


 さて、寅吉少年、わたしの顔をつくづく眺めてにっこりと笑っているが、思い切ったようにあなたは神様ですね。と何度も言う。急にそんなことを言い出すのでわたしも変な子だねぇ、と思って黙っていると、今度はあなたは神様への篤信な信仰があり、さらに神道をよく学んでおいでのようです、というので、付添の山崎君が、こちらは平田篤胤先生と申しまして、古代の神道を教えられる偉い先生なのですよ、と言うと、寅吉少年、にっこりと笑ってそうでしょうそうでしょう、と言う。


 これにはわたしも驚いてしまって、どうして君はそう思ったのかね? さて、神道を学ぶことは良いことであろうか? それとも、悪いことであろうか? と聞いてみると、寅吉少年は、いえなんとなく神様を信仰なさるお人であろうと心に浮かんだのでありましてそう申し上げました。さて、神様の教えほど尊き教えはありません。神様を信じられることは大変よいことかと存じます、と答えた。


 それで屋代じいさんが、じゃあわたしはどう見える? と、問うので、寅吉少年はちょっと思案の後、あなたも神の信仰おありのようですが、なお色んな学問がおありのようですね。と言った(多分、神道だけではなく仏教も信仰しているということを言ったのかな? 何分、山の神様にお仕えする山人に弟子入りしているので、寅吉少年は大の仏教嫌いw)。


 これなどはわたしが寅吉少年に驚かされた、最初の出会いである。




 という塩梅です。


 これから寅吉少年の口から驚くべきお話がわっさわさ出てきますが、今回はこれまで。


 一応、わたしも時代劇などで江戸時代のことを少しは知っている気でおりましたが、本書を読みますと、まったくもって江戸時代は異世界であるように感じますw いえ、寅吉少年の語る山人世界も恐るべき異世界ですが、江戸時代それ自体が、現在からみるとまったくもって異世界で、なんて世界に人が生きていたのだろう、と驚愕することになると思いますw 


 そして、神と人との距離が、我々が想像している以上に近かった。人が神様にお願いすれば、神様はそれを叶えてやろうと思う、その関係性が非常に近かったのではないかと思います。露骨な言い方をすれば、その信仰の度合い、神様を信じ拝めば、その度合に応じて神様が叶えてくださる、わけです。


 また、本書でけっこう出てくるのですが、この寅吉少年以外にも、天狗にいざなわれてあっちの世界を垣間見てきた、という人がいることが分かります。


 やはり、江戸時代以前と、近代、明治以降では日本人の性質、霊的といいますか、摩訶不思議な性質が変容していくのだな、と思いますね。


 明治以降、福沢諭吉のように西洋思考、西洋文化を導入し、無知蒙昧から抜け出し、国家を上げて開明、文明開化に邁進した結果、人と神様との距離が非常に乖離し、山人、天狗から、ウチくる? と言いたくなるような日本人は全然いなくなってしまった。それが良いことなのか悪いことなのかは、その人次第でしょうが、こういう書を読んで思いいたすのも悪いことではないと思います。 -人-


 しばらく続く予定。では本日はこれにて。したらば。




「風が強く吹いている」 OPとEDを聴きながら。


 しかし、リセットはライブ映像 「SAVAGE TOUR 2019」の方がEDよりはるかに情感が豊かで素晴らしい。ライブの時ってけっこう疲れた声してる人が多いけど、このライブはそういうのが全然ない。すごいw




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